ジョプリンにホリディ・イン誕生

私にとってミズーリ州は、ルート66の走る8州の中でも特別な想いのある大好きな州の一つだ。3か月ほど前にも野球の話で取り上げたが、今回はもう一つ、私自身の専門職、ホテルの紹介をしたい。
今年2018年、ミズーリ州ジョプリンの街に新しいチェーンホテルがオープンした。Holiday Inn Joplin である。残念ながら?私自身の働くブランド・チェーンではないが、そんなことはどうでも良い。ホテル業界全体が栄えればそれが最優先である。


ホテルの経営者は Randy Shippy 氏。ジョプリンで生まれ育った生粋のミズーリっ子らしい。ルート66は、その歴史的重要性と旅行者へのアピール度を考慮した際に大きなマーケティングツールになることをよく理解している彼は、ブランドオーナーである インターコンチネンタル・ホテルズ・グループに掛け合い、ルート66をテーマにしたレストラン&バー施設を盛り込むことによって収益の拡大を見込んでいるとのことだ。

一年間で約100万人がルート66を旅していると言われている中、半分と見積もっても約50万人がジョプリンの街を通過する。私の友人が経営する小さなモーテル「Boots Motel」などのモーテルは苦手で、チェーン系のホテルに宿泊したい旅行者にとっては大きな魅力のホテルになるはずだ。

ただ唯一残念なのが、このホリディ・イン・ジョプリンが、ルート66上に建っているわけではないことだ。ルート66として指定されている 7th Street と、Rangeline Road より南に4キロ近くも離れている。

とは言え、施設は先述したレストランを始め、フィットネスジム、プール、パティオやリビングルームエリアまで、旅の疲れを取るには充分な要素で満載だ。
ジョプリンの街で宿泊する際の一つのオプションにして間違いない。

ホテルの詳細はこちら ⇩ まで。
https://www.ihg.com/holidayinn/hotels/us/en/joplin/jnljo/hoteldetail

 

 

Ariston Cafe 90余年の歴史

イリノイ州リッチフィールドに建つアリストン・カフェが売りに出る、という衝撃的なニュースがルート66を駆け巡ってから4年。どうやら新しいオーナーが正式に決まったようだ。

現オーナーであるニックとデミのアダム夫妻は、この6月30日が最終日となる。

ニックのお父様であるピート・アダム氏はギリシアからの移民で、1924年同州カーリンヴィルでレストラン経営をスタート。ルート66の開設により1935年、現在の場所に移転し、数えて90年以上に渡って伝統的なアメリカンフードと暖かいホスピタリティで多くの旅人や地元住民に愛されてきた。アリストン・カフェは1992年にイリノイ州ルート66の殿堂入りを果たし、2006年には米国国家歴史登録財にもなった。
カフェとは言っても地元ではカジュアルにも、フォーマルにも対応するいわゆる「テーブルクロス・レストラン」。趣のあるカウンター席た、小奇麗に整った木製のブース席、そして角卓と清潔感は充分だ。

ニックがお父様を継いだのが奇しくも1966年。私の生まれた年だ。当時は高齢だと思っていたお父様の年齢を今のニックは当に超えてしまったらしい(笑)
私が最初に訪れたのはいつだったか実ははっきり憶えていないが(1990年代後半のはず)、マイアミ、そしてロスアンゼルスと、大都市に住み慣れた自分はこの人口1万人にも満たない小さな田舎街のレストランの質の高さとアットホームな雰囲気に気後れし、最初はろくに話もできずに食べただけで帰ったことはハッキリと記憶している。

今となってはすっかりアダム夫妻と意気投合することができ、行く度にとびきりの友情で迎えてくれる。場所柄中々頻繁に行くことが出来ず、最後に訪れてから実に3年経ってしまった。


今回掲載する写真はその時2015年のもの。何となく虫の囁きか、次に来る時までは少し時間が経つだろうと予想したのか、行けば必ず閲覧させてもらう私の敬愛する花村氏、大塚氏の自筆サインの入った著書や記事のスナップまで撮ってみた。

新しいオーナーは同州リッチフィールドとスタントンでそれぞれ育ったステファンズ夫妻で、今までのアリストン・カフェの伝統とサービスを重んじながら、新しい要素を加えよりルート66のアイコンとして頑張るようだ。
カフェは伝統的に7月初旬はお休みのため、新オーナー下での開店は同月中旬になる見込みだ。

ここ1、2年はSNSのお蔭もあり、たまにお互いが元気かどうか簡単なメッセージを送り合うだけに止まっていた。本当は最後にもう一度訪れたいのだが、今は仕事で遠く離れた東京に軟禁状態だ。来週は彼らの最後の週。SNSではなく、電話を一本入れようと思う。そして心からの感謝とお疲れ様を伝えたい。

ありがとうニック。ありがとう、デミ。



 

 

週刊NY生活連載第二弾③:ルート66ベスト10~レストラン東部編

NY週刊生活掲載新企画「ルート66何でもベスト10」!今月はレストラン編。
東部4州から(イリノイ、ミズーリ、カンザス、オクラホマ)ご紹介します。

詳細は週刊NY生活ウェブサイト ⇩ まで!
https://www.nyseikatsu.com/editions/682/html5/index.html

 

過去に遡った新たな出会い

毎年恒例となったルート66日本アソシエーションの年次会も無事、6月2日(土)に行った。詳細はアソシエーションのホームページに譲るとして、今日はその年次会に来てくれた Karim Hakam氏について少しだけ触れたい。

このホームページ、4月7日掲載の「ルート66、アルバカーキーの興隆」を思い出して貰えると幸いだが、今回の年次会の先に花村氏とKarim氏に東京アメリカンクラブでお会いして話をした。
繰り返しになるが、Karim氏のお父様、Ali Hakam 氏は1991年までアルバカーキーにある、エル・ヴァド モーテルのオーナーだった方だ。
先日聞いた話だけど、あの Micheal Wallis 氏も Ali 氏にいろんなアイデアを貰ったらしい。これだけでも Ali 氏がレジェンドと呼ばれる理由が分かりそうなものだ。

さて、Karim 氏。非常に明るい人懐こい聡明な方だ。初対面であったにも拘わらずとても気が合い(私は少なくともそう思っている 笑)、お互いの共通点であるニューメキシコ州在住経験があることから沢山のことを話した。
もちろん今回の年次会に Hakam 氏が参加し、当時のニューメキシコ州、アルバカーキー、そしてモーテル経営者の息子、という立場や経験を、特別ゲストとして話して貰える機会を得たことは花村氏の尽力が欠かせない。

花村氏の80年代~90年代初頭にかけての多くの物語は、(私自身は)1993年よりルート66を走り始めたが、私の 2000年以降のルート66訪問に大きな影響をくれた。Ali 氏を知っていた花村氏が今年偶然SNSで Hakam 氏をみつけ繋がったと聞く。私は2014年に日本に一時住んだ時、どうしても花村氏に会ってみたく半ば押しかけのように時間を頂き親交を始めさせてもらった。
ニューメキシコ州との繋がりはまだまだ他にも多数あるので、どうしてもこういう「縁」は自分自身でコントロールできない何かの糸(意図)で繋がっているようにしか思えないのだ。

ルート66は回り回って、花村氏の言葉を借りれば「時空を超えて」人と人を繋げる不思議な空間であり、存在だ。この先まだどのような出会いがあるのか、どこで誰と再会できるのか、興味は尽きない。

ルート66生誕地、スプリングフィールド


シカゴ~サンタモニカまで続く2,448マイル(約 3,940キロ)のルート66。
“Mother Road” とも呼ばれる、このアメリカのメインストリートの話をする度に一番よく聞かれる質問が「いつ、どこで始まったの?」である。

先に正解を言えば、今から92年前、1926年4月30日が66号線としての称号、そして”66″の数字を正式に国から頂戴した日だ。更に言えば、どこ?つまり場所はルート66のスタート地点であるシカゴでもなく、終着点サンタモニカでもない、ミズーリ州スプリングフィールドという街なのだ。当時の大統領カルビン・クーリッジが国土交通省の責任者と、この地で面談し正式承認のテレグラムを州議会に向けて打ったことから始まる。余談だけどルート66には、国として「最初の大陸横断ハイウェイ」という意味合いだけでなく、世界各地からの旅行者が継続的に訪れ、アメリカの発展が永続的なものになるようにという想いも込められていたんだ。

その後、ルート66が文字通り「66周年」を迎えた1992年、ミズーリ州ルート66協会はスプリングフィールドをルート66の正式な生誕地として指定、記念プレートを街の中心であるPark Central Squareの東側に設置した。
そのプレートがこちら ⇩


尚、このスプリングフィールドでは毎年 “Birthplace of Route 66 Festival” 「ルート66誕生地最」と銘打って8月の第二週週末に盛大なお祭りが開かれる。

昨年2017年は仕事の都合で参加できなかったのだが、その前年2016年はしっかり訪れ、多くの友人らとキャッチアップをして楽しんだ。(詳細は2016年8月のブログを参照)

スプリングフィールドの街の中心である Park Central Square に建つ、歴史博物館では現在特別展示で「母なるルート66の記憶」を開催している。これは聞くところによると、スプリングフィールドの街と街の所属するグリーン郡に焦点をあて、ルート66沿いにある多くの観光ポイントや企業らも紹介されているようで、今年いっぱいは展示が続くとのこと。
https://historymuseumonthesquare.org/

今年2018年のお祭りは8月10日、11日。
何とか仕事の都合をつけて足を運びたいと思っている。


そうそう、スプリングフィールドで思い出しだしたが、昨年8月、ドナルド・トランプ大統領は、税制改革に関する講演会を子の街で開催している。大統領がここを選択した理由は、ルート66との歴史的リンクを象徴的と魅せるためである。
この街を選ぶにあたってホワイトハウス高官は、「ルート66はアメリカのメインストリートであり、大統領の計画は国をメインストリートに戻すことだ」と再三記者団に語ったらしい。アメリカのメインストリートを、米国製の製品を米国国産のトラックが運搬し、アメリカの消費者に届ける - こんな筋書きはトランプ大統領の目指す “America First” (アメリカ第一主義)にピタリと合致する。
過去の政治家たちも、例えばジョン・マケイン前上院議員はセントルイスにある有名な Ted Drew’s Frozen Custard で一般市民とアイスを食べ、オバマ前大統領は同州レバノンにある Bell’s Restaurant へサプライズで現れてお客達を喜ばせた。
そう、アメリカとルート66は切っても切れない。

実際ミズーリ州、カンザス州、オクラホマ州などの地域ではトランプ大統領は抜群の人気を誇る。日本の皆さんには信じられないこのような看板をみかけることも少なくはないのだ。

 

週刊NY生活連載第二弾②:ルート66ベスト10~ホテル・モーテル西部編


本年度4月より始めさせて貰った新企画、その名も「ルート66何でもベスト10」
今月はホテル・モーテルを西部4州から(テキサス・ニューメキシコ・アリゾナ、カリフォルニア)ご紹介します。
詳細は週刊NY生活ウェブサイト ⇩ まで!

https://www.nyseikatsu.com/editions/674/html5/index.html

Baxter Springs の再開発

全長2,448マイル(約3,980キロ)に及ぶ道の長さの中で、僅か13マイル(約21キロ)しかないカンザス州ルート66。しかしながらその全体の0.01%にすら満たない13マイルの中には見どころも多く、私の大好きなパートでもあるのだ。
カンザス・ルート66を代表するものは何か?と聞かれればガレナにある Cars On the Route や、リヴァ―トンのグローサリーストアを想像することが多いと思うけど、今日は伏兵(と言ったら失礼千万w)?バクスター・スプリングスの街をご紹介したい。と言うのも、ここ数日、新しい「街復興」のニュースが飛び込んできたからだ。

バクスター・スプリングスはその街名の通りミネラルや亜鉛が出て、当時の原住民にとって夏のキャンプ場でもあったらしいのだが、それに目を付けた John J. Baxter 氏が160エーカーの土地で宿場と雑貨屋を1853年に始めたことから街の歴史は動いている。土地柄数々の紛争へ経て、1868年にバクスター・スプリングスという名前になり、当時需要の高かった牛肉の輸送鉄道の北部への中継地点として街は飛躍的な発展をした。しかし時代の流れと共に鉱業に頼っていた経済は衰退し、今ではメインストリートも少し寂しいものになってしまった。

そんな中聞こえてきたのが、街近辺、オクラホマ州マイアマ―に拠点を置く非営利法人「Decades of Wheels」の代表、David Hickmott 氏の発案、街のメイン通り、ミリタリーアベニュー(ルート66)の1100ブロックの西側で大規模な街の再開発の計画だ。そこでは車博物館、ゴーカート・トラック、地ビール工場、そしてレストランやバーを展開するという。博物館「Decades of Wheels」では常時30台程度の映画に出てくる著名車を中心に展示、さらにそれらを定期的に入れ替えをすることでリピーターを作ることも忘れていない。エリアはいつもライブミュージックやレストラン、子供向けのアトラクションも設け、カンザス・ルート66が多くの観光客を集められるよう「家族で過ごせる場所」の提供に尽力するそうだ。

開店は今年の10月13日(土)、秋のルート66旅はカンザス州を目指したいね!
公式ページはこちら ⇩
https://www.decadesofwheels.com/

バクスター・スプリングスのメイン通りいには現在は閉鎖されているカフェ、著名なレストラン「Angels on the Route」を始め、薬局、質屋、そしてお土産屋さんが細々と営業しているのみ。ただ、最近再開店したリッツ劇場のオーナーさんはこの再開発にただ一人反対中と聞く。素晴らしい計画だけに一日も早く和解して、皆で同じ方向に向いて発展して行って欲しいね!

 

 

ジョプリンにベースボールが帰ってくる!


何と嬉しいニュースだろうか。ジョプリンの街にベースボールが帰ってくる!
やったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。Yes! Yes! Yes!

赤字経営に加え将来のプランに関して中々合意できないジョプリン市と球団オーナーのガブリエル・スアレス氏の不和によって球団移転の噂話が起こったのが2016年9月。結果的にその溝は埋まらず、ブラスターズ側からの支払も滞ったことで、球団は消滅し、ジョプリン市はチームを失うだけでなく、改装中の本拠地であったジョー・ベッカー・スタジアムの負債をも背負うことになった。
*ブラスターズにまつわるお話は、3月31日付けのブログを参照:http://www.toshi66.com/2017-03-31/

その後話は法廷へと持ち込まれることになったが、そんな暗い話が続く中、サウスウェスト独立リーグの一員としてジョプリンの街は球団を誘致。ホーム、アウェイをそれぞれ56試合づつ合計112試合を戦うリーグ戦が2019年春より始まるそうだ。
現在予定されている参加チームは、テキサス州ウェイコが本拠地のブルーキャッツ、そして同州ロイスシティのグリフィンズだが、更に3球団追加されて合計6球団になる予定だ(7月1日までに決まるとのこと)
http://www.swlbaseball.com/teams/

Ballpark Digest社の発表によれば、ジョプリンの新球団名は700件以上の応募から選ばれたマイナーズとなったが、実はルート66に因み、66ERSも検討されていたらしい。結果その名前は選ばれなかったが、ルート66は確実にチームのロゴに繁栄されている。


そんなこと知らないよ!と一笑されるかもしれないが、米国野球マイナーリーグの歴史を紐解けばジョプリン・マイナーズというチームは1902年~1954年の49年間存在した。しかも!驚くべきことにその後NYヤンキースでスーパースターとなり殿堂入りも果たした、ミッキー・マントル氏がプレイしたことでも知られているのだ。1950年のシーズンにミッキーは特大のホームランを量産し、チームの上部組織であるヤンキースに引っ張り上げられた。こう書くと少しは興味を持ってくれる方もいるのでは?(笑)


今回球団名に決まったマイナーズ(地域が長らく鉛、亜鉛鉱業として発展した街の歴史を反映)を提案したリー・アン・ケラーさんはチームから生涯有効のシーズン・チケットを獲得し、テキサス州デントンのアラン・ビームス氏はジョプリンの街とルート66との長い歴史関係を考慮したルート66のシールドをロゴの一部にする素晴らしいデザインを完成させた。

来年のシーズン開幕が待ちきれないのと同時に、こんどこそジョー・ベッカー・スタジアムで思う存分ジョプリンの応援をしたい。

週刊NY生活連載第二弾①:ルート66ベスト10~ホテル・モーテル東部編

週刊NY生活編集部さんからのサポートの下、2018年度4月より新しい企画が始まりました!その名も「ルート66何でもベスト10」!
ルート66沿線上のモーテル、レストラン、お土産屋さん等を筆者の独断と偏見で選んでご紹介して行きます。旅のご参考になればこれ幸いです。

ということで今月はホテル・モーテルを東部4州から(イリノイ・ミズーリ・カンザス・オクラホマ)ご紹介します。
詳細は週刊NY生活ウェブサイト ⇩ まで!

https://www.nyseikatsu.com/editions/674/html5/index.html

ルート66、アルバカーキーの興隆


私が最初にアルバカーキを訪れたのが1996年なので、あれから22年が経つ。2010年にご縁あってニューメキシコ州に住むことになってそれ以来は頻繁に同街と係ることになったが、ここ1、2年、急速にアルバカーキ(ルート66を含め)が「進化」している感じがする。それによってニューメキシコの良いところを失って欲しくないのが本心だが、いやはやもう住人でない輩の意見なんぞ聞かないよ、というのが地元の人達の意見だろうか(笑)
その使い勝手の良さからアルバカーキ空港は全米でも最もお気に入りの空港の一つだし、この街に着くなりここ何年も先ず食べるのはチリバーガーだ。その手のニッチな話は置いておき、今回は短時間だけど街の進化を体感したお話を少し。


“Beep, beep”の音で素早く走るロードランナーは、皆さんもアメリカの漫画から良くご存知と思うが、カッコウ科の鳥で北米大陸南部のユッカの花が咲く乾燥した砂漠地帯に多く生息しているらしい。私が初めてそれを見たのは確か1992年頃テキサス州ヒューストン郊外だった。 事典によると時速30キロ近くの速さで走ることが出来るらしいが、そのロードランナーをモチーフにしたものがニューメキシコには多い。アルバカーキ~サンタフェを結ぶ鉄道は「レイル・ランナー」と呼ばれるが、その車体には大きくこのロードランナーが描かれている。2年前ほどだろうか、アルバカーキ・ルート66が進化を掲げてこのロードランナーを用いて新しい街の象徴(ロゴ)を作成。賛否両論あったが、私は結構気に入っているのだ。


いつも通りチリバーガーを食べた後、街の中心を東西に走る Central Avenue(ルート66)をクルージング。おっと!いきなり見たことないオブジェが登場。
いつ造ったんだろうか、聞いてないぞ(笑)

そして見えてきたのは ART の駅。


ART:Albuquerque Rapid Transit、の導入は2016年に物入りで州議会を通過、当初その建設にあたっては 119億円必要(その後134億に増加)とあって、補助金で75%程度は確保できたものの、残りはどのように費用を捻出するのかで相当な議論を呼んだ。ART は約9マイル(約14キロ)に渡って専用バスをセントラル大通りに通す公共交通機関だ。あれから2年、駅とその専用道路の舗装はほぼ終わったものの、バスそのものは未だ運行していないようだ。ART のホームページでもまだまだ課題は山積みの模様。今後の動向に注視したい。

そういう言っている間にインターステート40号線と25号線の交差するダウンタウンの中心を超え、オールド・アルバカーキを渡ると以前はぐっと寂しかった地区になるのだが、何とここにもバーや、レストラン、クラブに映画館と、オールドタウンからも簡単にアクセスできるウェストサイドの賑わいも出来ていた。車を運転している都合上写真は撮れなかったが、⇩ のような街頭サインも誕生し、その「進化」を主張しているようにみえた。

セントラル大通り(ルート66)を更に西へ走るとアルバカーキの誇る3大モーテル、”Monterey Motel”、 “El Don Motel”、そして “El Vado Motel”が順に現れる。
ルート66が全盛だったころのポストカード(⇩)からも当時の素敵な雰囲気は充分伝わってくるが、さすがに近年はいわゆる「モーテル」の域は出ない。

モンテレイはモーテルと言うより短期間アパート的なものに姿を変え、エル・ドンも営業はしているものの、かつての華やかさは無い。エル・ヴァドに至っては2005年に営業が終了して以来、廃墟への道を辿っていた。

(2015年撮影)

そんなエル・ヴァドが 18億円の新プロジェクトにて、ブティックホテルとして甦る、と聞いたのが数年前のことだ。前オーナーが2005年に辞めた後、新しい所有者ゴンザレス氏は、モーテルの建物を一掃して高級タウンハウスを建造すると明言。市やルート66保存団体は当然の如く反対意見を表明、その建物とエリアを封鎖し数年に渡って交渉に臨んできたという経緯がある。
当初は今年2018年に再開業する予定だったが、そんなのは米国では良くある「予定外の理由」で遅延。当然今は一生懸命開業に向かって頑張っているだろうと想像し、今回はここに寄ってみることを当初から一つの楽しみにしていたのだ。
結果はこんな感じ!

働いている人達に話を聞くと、正面ロビーにはタップルームと呼ばれるビールの飲めるバーを地元のビール製造会社を入れてオープンさせ、もちろんモーテルを基本に、レストランやその他のショップ等もコンプレックス内に開業予定だそうだ。
つい先日のニュースでも5月上旬のオープンを目指しているとのことだ。
この夏、アルバカーキへ行く予定のある人は是非宿泊して頂きたい。
因みにエル・ヴァド・モーテルは1937年、アイリッシュ系移民のマーフィー氏によって開業、1993年には米国国家歴史登録財に認定されている。

話の順序が逆になってしまったけど、今回このエル・ヴァドの進展を見てみようと思ったのは実は理由がある。ルート66の大先輩でもあり敬愛する花村氏のSNS発信に始まる。私が渡米する直前、花村氏は東京某所で以前エル・ヴァド・モーテルのオーナーであった Ali Hakam氏と1991年に撮った写真を上げ、その上で当時幼かった息子さん(今では立派な大人)は今お仕事で日本に在住しており、彼との再会を楽しむポストを掲載されているのだ。それを見た瞬間、エル・ヴァドのことを思い出して「あ、行ってみてこなきゃ」って思った。

(写真:花村氏のSNSより転載)

当初は行く予定でなかったのだが、これによって(この方向に走ることによって)先日ブログに書いたサンフィデルの出会いも生まれた。
近々この息子さん、Karim Zaher Leif Hakam 氏も紹介してくれると花村氏は言う。どんなお話が聞けるのか、今から楽しみでたまらない。


アルバカーキから西へ向かうルート66

Page 1 of 18

Powered by WordPress & Theme by Anders Norén

Translate »