Category: Association Page 1 of 6

Arizona Fun Run 中止へ

2019年のイベントポスター

少し前にルート66沿道で開催される、2020年のイベントを紹介したが、現在世界中を巻き込んでいるコロナウィルスの影響で、30年以上に渡って行われている毎年恒例の「Arizona Fun Run」(5月1日~3日開催予定)が中止となってしまった。
ここ数週間、アメリカは勿論、イラン、イタリア、中国、そしてスペインを筆頭に150か国近く感染者が出ているパンデミック状態では、CDCC やアリゾナ州知事の推奨に従った形で、それは感染の拡大と多くの人の命を尊重する大切な決断と思う。

Arizona Fun Run は毎年約800~900台のカスタムカーが参加し、アリゾナ州セリグマンをスタートし、同州西端のトポックまで走る一大イベントだ。

昨年のイベントがYouTubeにあったので、参考までに。

勿論、今年参加する予定だった人には、$55 の参加費はアリゾナ州ルート66協会へ「寄付」するか、「返金」を希望するかの選択が与えられているようだし、来年2021年への参加へトランスファーすることも可能だ。

コロナウィルスの影響は日々日々深刻になっていて、今後の見通しが立っていない分、今後幾つのイベントが中止または延期になるのか分からない状態だ。アメリカは先週の欧州、UK、そしてアイルランドからの旅行禁止を発表したことに加え、カナダとの国境も「必須でない」旅行者の訪問を封鎖することを両国で合意した模様。先行きが本当に心配だ。

もし読者の皆さんの中にこのイベントに申し込んでいる人がいるなら、イベントのウェブサイトよれば、連絡先は nikki@historic66az.com とのこと。

週刊NY生活月イチ連載 SEASON 3: Vol.11 ミズーリのガスコナーデ橋を守れ!

毎月恒例の寄稿「魅惑の旧街道ルート66をフォーカス」SEASON 3、第11回目(02月号)は、先日もこのブログで紹介したガスコナーデ橋のお話です。

詳細は週刊NY生活ウェブサイト ⇩ まで (11ページです)
https://nyseikatsu.com/editions/760/760.pdf

Save the Gasconade River Bridge 最終章

ミズーリ州ラクレード群ヘイゼルグリーンという小さな街の郊外にあるガスコナーデ川橋。そう、この橋の運命については何度もこのブログで取り上げてきたけど、やっとその将来が決まる(かもしれない)という時期に差し掛かっている。

というのは、同州ルート66協会の会長であるリッチが、ガスコナード川橋の所有権を協会に引き継ぐことを望んでいると語ったからだ。

まだ現時点で結果を聞いてはいないが、リッチは1日(土)午後に開かれる理事会で、同協会に提案を承認するよう尽力しているようだ。

最近読み始めてくれた読者の皆さんのために簡単におさらいをすれば、ガスコナーデ川橋はルート66の歴史の一部としてとても重要なアイコンの一つ。だけど2014年12月、ミズーリ州運輸省が橋の劣化が理由で当面の通行封鎖を勧告した。同運輸省の査定では修理をするには約1億円程度の資金が必要であり、州財政を鑑みれば当面その「順番」は廻ってこないというものだった。しかし問題はそれだけでは済まず、たとえ修理したとしても構造そのものが現在の規制に合っておらず、更には通行できる車両の重さも制限されることから、解体=>新しい橋の設置というオプションまで議論されるに至った。

2015年春、そのリッチが音頭を取って初めて同地でラリーウォークを主催、ガスコナーデ川橋を守る意思を群や州を相手に鮮明にアピール。私もルート66日本のアソシエーションを運営する身としてリッチの活動に賛同し、2016年4月に行われた第二回ラリーウォークに参加したことは既に皆さんにもお伝え済みだ。スローガンは “Repair, Don’t Replace” ( 壊さずに修復を)。橋そのものを「残す」ことが必須だったのは言うまでもない。

David Schwartz 氏デザインの同イベント用ステッカー

これらの活動の結果、州政運輸省は一旦解体を見送ることになったので、リッチの行動の効果は充分にあったが、その後 同州運輸省は橋の新しい所有者を今年4月20日までに見つけることを条件に、橋を残すことを認めた。
そのリッチは昨年からミズーリ州ルート66アソシエーションの会長に就任。ガスコナーデ川橋の問題に向き合っている、というわけだ。

Facebook の Save the Gasconade River Bridge ページも多くの応援メッセージで溢れている。
https://www.facebook.com/groups/savethebridge/permalink/3668158949868693/

リッチを始めとした全ての関わる人達の行動に心から敬意を表するとともに、可能な限りのサポートができればと切に願っている。

ありがとう!Illinois Route 66 Blue Carpet Corridor

とても残念なニュースが飛び込んできた!
イリノイ州スプリングフィールドを拠点とし、ルート66に関するツーリズムで多大な貢献をしてきた「イリノイ・ルート66・ブルーカーペット・コリドー」が、昨年12月31日に正式に解散、同団体ウェブサイトも先週1月31日をもって閉鎖になったって(泣)

解散に至った大きな理由は、別団体 Great Rivers & Routes Tourism Bureau の成長と拡大が原因とのこと。(あ、「原因」って書くとその団体が悪者になっちゃうね)
その団体はAlton Regional CVBとして活動してたらしいのだけれど、その活動地域が、Alton、Grafton、ジャージー群の一帯に及ぶことから、過去数年にわたってブルーカーペット・コリドーは彼らとコミュニケーションを取りながら、協力して活動をしてたらしい。
だけど、ここ何年間においてブルーカーペット・コリドー主催のイベントでの集客力低下や、その回数そのものの減少もあって。。
ブルーカーペットのリソースや情報を Great Rivers & Routes Tourism Bureau へ移管することにしたそうだ。

ニュース媒体のRoute 66 Newsでは「前向きな統合」との見解で、私自身も同感。無くなってしまうわけじゃなくて、そういうサービスや情報をきちんと提供できる地域機関があるわけだからね。

でもやっぱり寂しいのは正直なところ。2014年からブルーカーペットの代表を務めた、Cheryl Eichar Jett さんは私の良き仲間であり、友人でもある。彼女に心から感謝の意を表し、今までの御礼を言いたい。
Cheryl、ありがとう!お疲れ様!

真ん中の女性が Cheryl さん

Roamin’ Rich 新会長誕生!

Image From Route66News.com

“Roamin ‘Rich” の愛称で知られる Rich Dinkela 氏が、先週末のグループ選挙で、ミズーリ州ルート66アソシエーションの新会長へ就任することが決まった。
彼は YouTube 等のメディアでも露出度が非常に高い、ルート66界屈指の人気ソーシャルメディアプロモーターでもある。

ミズーリ州ルート66アソシエーションは過去約20年に渡って Tommy Pike 氏とその奥様である Tonya さんの二人三脚で大きな発展を遂げてきたが、今年一気に世代交代をし、さらにパワーアップしていく予感に溢れている。

Rich と私が初めて出会ったのが2015年秋にイリノイ州エドワーズビルで開催された「マイルズ・オブ・ポッシビリティー」、ルート66の歴史的意義やアメリカの偉大な財産として今後どのように保存、発展させていくかを教育的、学術的見地から意見交換をするカンファレンスでのことだった。
もちろん「その場所に居る」ことで、多くのルート66を愛する友人知人と楽しい時間を共有できることが何よりうれしいし、そこで彼に会えたことは非常に有意義なことだった。

彼はいつもいろいろなことを精力的にこなし、ルート66に多大なインパクトを与える。翌年2016年春には(実際にそれは第二回目になるのだが)、ミズーリ州のガスコナーデ橋を取り壊しから守るため、州政府を相手に多くの支持者をまとめ上げ、結果的に保存に成功した。この話は当ブログにも詳しく載せたが(2016年4月26日参照)、その時にも前年に日本ルート66アソシエーションを立ち上げた私にも檀上に上がってその紹介をするチャンスをくれた。
いきなりの指名に少し焦ったが、準備なしにしては上手く話せたと自画自賛、記憶している(笑)

Image From Roamin’ Rich’s Facebook Page

その後もドローンを飛ばすことでルート66を見たこともない世界に導いてくれたり、シールドペイントと言って、ルート66のサインが消えかかった、またはないルート上の重要な場所に一つ一つ出向いて、地道にルート66のプロモートに尽力してくれた。私が言うのもおこがましいが、行動で示す彼のリーダーシップがあればミズーリ州は安泰だ。

時を同じくして、オクラホマ州ルート66アソシエーションにも、私の親友 Rhys Martin 氏が新しく会長の座に就いた。ルート66は一気に世代交代をし、心からルート66を愛する素晴らしい友人たちの手によって発展して行く。まだまだ微力ながらお手伝いできる機会が山ほどありそうだ。

最後に Rich の素晴らしいドローンの世界をもう一度!

アリストン・カフェにて


一日の走行距離が380マイル(約600キロ)、は然程大変ではない。せいぜい数時間走れば着くものである。が、各所で再会を祝い、四方山話に花を咲かせながら走るとなると結構時間との戦いに陥るケースも少なくない。
2016年8月に掲載したお話、「ウサギの王国、ヘンリーラビット」に登場するご主人、リッチ・ヘンリー氏にテキストメッセージを送ったのが渡米する2週間ほど前だったか。
「やあリッチ、元気かい?9月の下旬にイリノイ州に行く予定なんだが、お店はまだやっているかい?9月はもうシーズンオフだ、何時に閉めるの?」
昨年リッチは一度体調不調を理由に一旦は引退?に近いようなことを口走ったことがあったのでこのように聞いてみた。
すると体調は順調なようで相変わらず頑張ってお店を開け旅行者のお相手をしてくれているとのことなので、日付と時間とが決まったらまた連絡する旨を伝えておいた。

当日ミッドウェイ空港を出発した私は、いろいろ思い描いていた計画と少々違う事案に遭遇しながら、南下した。先のメイプルシロップのお店で時間を過ごし過ぎのこともあり、リッチには(約束していた)夕方4時に着くのは難しいことを伝えたら、「トシ、俺は今日ミーティングがあってリッチフィールドに来てるんだ、だからスタウントン(彼のお店の場所)には居ないよ、アリストン・カフェまで来れないか。」と。
後から聞いたら急に決まったそうなのだが、「おいおいそれじゃあ先に言えよ」と再度狂ったスケジュールを呪った(笑)。

だが良く考えると実はそれはかなりの好都合だということに気付く。アリストン・カフェは、今年の6月に掲載した「Ariston Cafe 90余年の歴史」に登場する、デミとニックのアダム夫妻が先日リタイヤし、売却されたルート66の名物レストランだ。今回は時間の都合上訪問する予定はなかったのだが、そこにリッチが居るのであれば(アダム夫妻には会えなくとも)レストランを訪問することが可能となる!

というわけで午後5時半過ぎに何とか到着。いつもの如く素敵なレストランだ。


店に入り、イリノイ州ルート66のミーティングの旨を伝えると、それ用に用意された個室に通される。
「ハロー、リッチ!」
何年か振りの再開に思わず笑顔が更に崩れる。
ミーティング開始時間は6時だと言うが、当然?皆さん揃わない(笑)
結局始まる6時45分あたりまでリッチを含め何人かの出席メンバーと近況報告をしながら旧交を温める時間が取れた。


さらにはタイミングよく、新しいオーナーの一人、Will Law 氏とも挨拶をすることが出来た。デミから私のことは聞いてくれており、いつか会えると思っていたがこんなに早く会えるとは!と喜んでくれる。このあたりの調子の良さは生粋のアメリカ人だ。


次はゆっくり来ることを約束し、今晩の目的地である隣接州ミズーリ州のキューバまでお持たせをしてくれたサンドイッチを頬張りながら、すっかり夕方になったルートに飛び出た。あー寒っ!

過去に遡った新たな出会い

毎年恒例となったルート66日本アソシエーションの年次会も無事、6月2日(土)に行った。詳細はアソシエーションのホームページに譲るとして、今日はその年次会に来てくれた Karim Hakam氏について少しだけ触れたい。

このホームページ、4月7日掲載の「ルート66、アルバカーキーの興隆」を思い出して貰えると幸いだが、今回の年次会の先に花村氏とKarim氏に東京アメリカンクラブでお会いして話をした。
繰り返しになるが、Karim氏のお父様、Ali Hakam 氏は1991年までアルバカーキーにある、エル・ヴァド モーテルのオーナーだった方だ。
先日聞いた話だけど、あの Micheal Wallis 氏も Ali 氏にいろんなアイデアを貰ったらしい。これだけでも Ali 氏がレジェンドと呼ばれる理由が分かりそうなものだ。

さて、Karim 氏。非常に明るい人懐こい聡明な方だ。初対面であったにも拘わらずとても気が合い(私は少なくともそう思っている 笑)、お互いの共通点であるニューメキシコ州在住経験があることから沢山のことを話した。
もちろん今回の年次会に Hakam 氏が参加し、当時のニューメキシコ州、アルバカーキー、そしてモーテル経営者の息子、という立場や経験を、特別ゲストとして話して貰える機会を得たことは花村氏の尽力が欠かせない。

花村氏の80年代~90年代初頭にかけての多くの物語は、(私自身は)1993年よりルート66を走り始めたが、私の 2000年以降のルート66訪問に大きな影響をくれた。Ali 氏を知っていた花村氏が今年偶然SNSで Hakam 氏をみつけ繋がったと聞く。私は2014年に日本に一時住んだ時、どうしても花村氏に会ってみたく半ば押しかけのように時間を頂き親交を始めさせてもらった。
ニューメキシコ州との繋がりはまだまだ他にも多数あるので、どうしてもこういう「縁」は自分自身でコントロールできない何かの糸(意図)で繋がっているようにしか思えないのだ。

ルート66は回り回って、花村氏の言葉を借りれば「時空を超えて」人と人を繋げる不思議な空間であり、存在だ。この先まだどのような出会いがあるのか、どこで誰と再会できるのか、興味は尽きない。

父の遺志を受継いで何処までも、そして次世代へ

FB、Ken の投稿より

2018年2月13日、ルート66を語る上で最も敬愛すべき大切な友人の一人を、また私達は失った。Cyrus Steven Avery II、彼はオクラホマ州タルサ発の Route 66 Alliance と共に Route 66 Experience Museum Complex(ルート66体験型博物館)の建設に尽力、「まだ」85歳だった。
http://www.route66alliance.org/

名前を聞いてピンと来る方も多いかもしれないが、彼は「ルート66の父」として知られている Cyrus Stevens Avery 氏(1963年没)のお孫さんなのだ。
Avery 氏は米国高速道路66協会の創設を推進し、ルート66の舗装に努め、現在の高速道路システムの基礎を築き上げ、また1929年には同協会の副理事も務めた伝説のヒーローだ。

私の良き友人である Route 66 Alliance のエグゼクティブディレクター兼CEO、Ken Busby 氏は、先日 Cyrus の死後、Facebookに下記のメッセージを投稿した。
Ken の言葉のニュアンスを変えたくないので原文そのままを記載したい。
「We lost another intrepid soul yesterday. … Cyrus Avery (Cyrus Stevens Avery II), the grandson of the Father of Route 66, passed away at his home. He was 85 years young!! I had the good fortune of working directly with Stevens, as he was called, for the past three years as Stevens, Michael Wallis, and I have been securing funds to build the Route 66 Experience near the plaza that bears his illustrious grandfather’s name. Our work continues in honor, and now in memory, of a man who was devoted to all things Route 66 – the Main Street of America! Godspeed, my friend. …」

そんな Cyrus Avery II 氏に、私は一度直接お会いして食事をする機会を貰った。
2015年の夏のことだ。タルサ市のとあるダイナーで、彼と Ken、そして同市出身の親友フォトグラファー Rhys、そして伝説のタトゥーマン Ron という豪華な顔ぶれだ。当時はまだ Route 66 Alliance のプロジェクトが発足してそれほど時間が経っていなく、そのプロジェクトの重要性、価値を一生懸命に Ken と Cyrus が夢と希望に満ち溢れた眼を輝かせて説明してくれた。
僭越ながら私はルート66日本アソシエーションの代表をやらせてもらい、その立場でじっくり話を聴いた。すぐには実現が難しいが、きっと遠くない将来何等かの形でこのプロジェクトに個人的にも、アソシエーションとしても協力させて貰いたい旨を伝えた。わずか2時間弱の対面ではあったが Cyrus が放った情熱と言葉の力強さはとても 80歳を超えた人間には思えなかったことを良く記憶している。


向かって一番左が Cyrus Avery II 氏

前にも書いたが「一期一会」の言葉はルート66 に関わるようになってから身を持って経験することが増えた。もちろんルートに携わる多くの方々が年配であることは事実だが、何と言っても全長 2,347 マイル (約3,800キロ)もあるルート66だ。そうそう皆に頻繁に会うことはできない。
Packard Museum の Laurel を私達が失った時も急であり、私個人としては「やっと会えた」たった一回の面会だった。(www.toshi66.com/2016-01-28 参照)
しかし、そんな一回でも、たった数分の会話だったとしても、共通の思考(嗜好と書くべきか)や夢を持つ仲間たちとの出会いや繋がりは一生心の中から消えない。あの時会えて良かった、あの時話が出来て幸せだった、という想いは私の中に数多く存在する。ルート(道)と真剣に向き合うようになってからの私自身の財産である。

生前 Cyrus はこんな事を教えてくれた。「私のお爺ちゃんのモットーはな、”Live with Ants in Your Pants” だ。自分もそう心がけている。分かるな?」
これは言い回しの一つで直訳すれば「パンツの中の蟻と生活する」だが、意味は好奇心旺盛に常に活動しろ、ということだ。
私はどちらかと言えば好奇心が旺盛な人間ではないので、この言葉はそれ以降常に頭の片隅に存在し私を刺激し続ける。

Cyrus はタルサ・ルート66 沿いにある ローズヒル メモリアル公園に、彼のお爺さんと一緒に眠るらしい。お疲れ様でした。後は私達に任せてください。ルート66は永遠に!

Powerhouse Museum 改装終了!


アリゾナ州キングマン。
ルート66沿いに鎮座する大きな給水塔が威厳をもって観光客を迎える。

そのキングマンの街で、これまでもこのブログで何度か紹介している「パワーハウス・ビジター・センター」が、約US$25万ドル(約2800万円ほど)かけた改装作業をやっと先月終了したらしい。まあ長かった ((´∀`))ケラケラ
同州 Historic Route 66 Association や、キングマン市等が筆頭となって資金を調達、改装請負業者 T.R.Orr 社も長い間一緒に頑張った賜物だ。

改装後はミュージアム内のウェルカムデスクや照明が一新され、サインボード、店舗表示も綺麗に。おまけに従業員用の新しいオフィスや収納スペースに加え、(州内最大規模の)アリゾナ州高速道路地図、約100を数える州内の街とアトラクションのパンフレットも充実しているという豪華さだ。

プロジェクトに尽力した館長の Josh Noble 氏は、この改装によって今まで制限されていたギフトショップでの収入増加を期待していると話す。実際売り場面積も少し大きくなり、相当数の商品の陳列が可能になった。私もこの夏前に訪れた時はまだ作業途中ではあったものの、随所にその片鱗を感じたものだ。
一昨年、大型チェーン書店だった Hastings が閉店。ネット社会が進み、Borders、B.Dalton、そして Waldenbooks と、馴染みの本屋さんが姿を消す中その波に呑まれた恰好だが、その「遺品」より多くの本棚、ラックを譲り受けることが出来、このパワーハウスのギフトショップはその前年より在庫が31%拡大、US$109,000 以上(約1,200万円)の収益を上げた。今回の改装プロジェクトによって今後は更に1.5倍の収益を見込んでいるそうだ。

実は今回この改装内容のサインボード、幾つかの言語でも紹介されるようになったのだけど、その日本語の部分を私が担当させて貰った。現地の展示でだけでなくウェブサイトからその一部は見られるので、時間のある方は是非パワーハウスの公式ページを訪問頂きたい。
http://www.gokingman.com/attraction-Powerhouse-Route-66-Museum

お土産屋さんの入り口ドアにもこのように貼り紙で、日本アソシエーションも協力させて貰っている旨、宣伝?してくれているのだ。

従来の Hilltop Motel や、私の友人夫婦が切り盛りする El Salvatore Motel、に加えRamada Hotel チェーンがルート66を前面に押し出したホテルを開業したことで街を上げてマザーロードをプロモートする街、キングマン。
今後の取り組みにも目が離せないよね!

 

キングマン在住の親友、ジムと

 

 

Shamrock 2018 Route 66 Festival


「シャムロック」と聴いたら皆さんは何を想像するだろうか。アイルランド、クローバー、はたまた緑色の山高帽をかぶった髭のおじさん?変な言い方だがいずれも正解?だ。シャムロックでググってみると(イメージには)これらの画像のオンパレードだ。アイリッシュ系の人々は世界各地に散らばっているせいか、毎年3月のセントパトリック祭のパレードやお祭りはニューヨークを始め、とても多くの国や街で体験できる。ここテキサス州ルート66 の街「シャムロック」でも例外ではないのだ。

テキサス州シャムロックの歴史は19世紀後半まで遡る。正式には、1911年にウッドリー氏が市長に就いた時が街の創立とされ、最近2011年には街の100年祭が盛大に行われたのだけど、街の名前であるシャムロックは、未だ街が街になる前に郵便局を設置したニッケル氏の母親(アイルランドからの移民)が常に幸運をもたらすように、とシャムロックという街名を提案したことに由来する。
こういう「ストーリー」って素敵だよね。


街で一番有名なのは、大手ガス会社である Conoco の Gas Station と U-Drop Inn Cafe のアールデコ調建物。Cafe は現在観光案内所であり、お土産屋さんとしても活躍している。華やかな建築デザインは目をひくけど、夜は夜でネオンが灯り一層綺麗になる。

皮肉な話だけど、私の記憶では 2年前は無かったはずなのだけれど、今年の春にはもう使われなくなったガソリンステーションの裏に TESLA のチャージャーが立ち並んでいた。。。(絶句)


もともとシャムロックはテキサス・パンハンドル地域ルート66での最も大きな街だけに古くから宿泊場所も多い。
伝説のモーテル、「the Sun ‘n Sand Motel」は1953年にレストランを併設して28部屋で開店。現在は存続しないため、そのポストカードは大人気を誇る。が、当時のモーテルの建物一部は残っており、その名前を「ルート66イン」に変更して今も営業中だ。

from James R. Powell Route 66 Collection

そんなシャムロックの街で来年2018年、ルート66シャムロック・フェスティバルが開催される。テキサス州ルート66 アソシエーションの主催で、彼ら曰く来年度、ルート66上のお祭りでは最も大きなものの一つになる予定だそうだ。
幸いにも?開催のアナウンスが早かったので(今年の春には聞いていた)私もしっかり自身のスケジュール帳にしっかり書きこみ参加を予定している。
フェスティバルの公式ホームページはこちら ⇩
http://www.shamrock2018.com/

興味のある方は是非足を運んで頂きたい。
2018年7月12日からの3日間、是非現地でお会いしましょう!

後記:
そうそう、シャムロックという言葉をその後ググってみたら、シャムロックはアイルランド語でクローバーの意味の seamair 又は若い牧草を意味する seamróg を、似た発音で読めるように英語で綴った語だそうだ。アイルランドではシャムロックの葉が3つに分かれているのは「三位一体」を表しているとし、キリスト教の布教に利用したとか。面白いね。

 

Page 1 of 6

Powered by WordPress & Theme by Anders Norén

Translate »