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Arcadia にて(2018年度晩)


東京に軟禁されて早1年4か月。今年の春に渡米したとは言え、半年に1回ぐらい「我が家の空気」を吸わねば窒息する!とばかりに、日本ではシルバーウィークと呼ばれる期間を利用して放浪の旅に出させてもらった。
ちょうど?休みを取れる期間がこのあたりだったので、ルート66上では何かイベントがあるだろうかと検索したら何と!
昨年3月~5月の間で5回に渡ってお伝えした、アーケディアのネオン祭りが、ちょうど第2回目がその期間の週末金、土、日で開催されるというではないか!

イベントというもののは頻繁に旅に出れない場合は非常に有益で、その場所一つで色々な州や街から来ている友人、知人に一気に会えるという優れもの。
今回の休暇もルートに出られるのは正味5日間なので、とても素晴らしいタイミングに恵まれた。

ネオン・フェスタの内容自体は昨年とほぼ大きくは変わらないが(いや変わる必要はないのだ)ともかく一番の共通目的は「Family Reunion」、一つの大きな家族である皆との再会を楽しむものだ。

初日は金曜日であることや、しかもその日はオクラホマ州は大雨だったこともあり、昨年ほど人の集まりはなかったが、それでも盛況の幕開けとなった。
早めの午後には開催場所近くのGlass Boy Studioにてガラス細工の作成デモ+実体験イベントがあり(私は行程上間に合わなかったが)、それに参加して一旦帰った人達もいたようだ。

わずか数時間のこの集まりのために片道10時間のフライト+800マイルを走っていくわけだが、ある意味とても贅沢な話だ。


今回私は金曜のセッションしか参加できなかったが、それでも約20人ほどの友人らと近況報告をしながら飲み、談笑し、とても楽しい時間を過ごすことができた。こういう「ガス抜き」がないとホテル商売なんぞやってられない(笑)

 

2019 Rockin’ Route 66

過去5年に渡ってニューメキシコ州ルート66と、トゥクムキャリの街の発展に尽力してくれた夏の風物詩、「Rockabilly On The Route」が今後のイベント計画を一切白紙にすると発表されたのが昨年の2月。
ルート66のファンは勿論のこと、多くのロカビリーファンにも衝撃を与えたのはまだ記憶に新しい。
何でも主催者側と市職員の間で知的財産権を巡る意見の不一致があったとかなかったとか言われているが真相は明らかにされていない。

そんな中、Facebook、Instagram 等のソーシャルメディアを通じて新しいイベント企画の発表が先月あった。その名も「Rockin’ Route 66」だ。
ロカビリーからロックへ、個人的な意見を言えば私は前者の方が好きだが、この際細かいことは端に置こう。
同地域共通の目的と趣旨を持ったイベントが行われるということはそれだけでもハッピーだ。

主催者の発表によれば、イベントは ①50年代回帰、そして ②ニューメキシコ州の特色、の二点にフォーカス。
古き良き時代にルート66を行き来したクラッシックカーを走らせ、様々な音楽や生活の違いが世界中の旅行者からもたらされ、変化と発展に溢れた楽しい時代、をテーマに多くの仕掛けが用意されるようだ。
「ニューメキシコ独特の食文化も世界中に発信したい」、この一言に私は最も惹かれたのだが、この新しい試みが大成功し、より多くの人にニューメキシコの良さをもっと知ってもらうことに元住人としては興奮を隠せない(笑)
今から来年、2019年6月27日~30日は決定だな。

公式ウェブサイトはこちら ⇩
http://rockinroute66.com/

前回の Rockabilly On The Route、興味ある方はこちらを!

 

過去に遡った新たな出会い

毎年恒例となったルート66日本アソシエーションの年次会も無事、6月2日(土)に行った。詳細はアソシエーションのホームページに譲るとして、今日はその年次会に来てくれた Karim Hakam氏について少しだけ触れたい。

このホームページ、4月7日掲載の「ルート66、アルバカーキーの興隆」を思い出して貰えると幸いだが、今回の年次会の先に花村氏とKarim氏に東京アメリカンクラブでお会いして話をした。
繰り返しになるが、Karim氏のお父様、Ali Hakam 氏は1991年までアルバカーキーにある、エル・ヴァド モーテルのオーナーだった方だ。
先日聞いた話だけど、あの Micheal Wallis 氏も Ali 氏にいろんなアイデアを貰ったらしい。これだけでも Ali 氏がレジェンドと呼ばれる理由が分かりそうなものだ。

さて、Karim 氏。非常に明るい人懐こい聡明な方だ。初対面であったにも拘わらずとても気が合い(私は少なくともそう思っている 笑)、お互いの共通点であるニューメキシコ州在住経験があることから沢山のことを話した。
もちろん今回の年次会に Hakam 氏が参加し、当時のニューメキシコ州、アルバカーキー、そしてモーテル経営者の息子、という立場や経験を、特別ゲストとして話して貰える機会を得たことは花村氏の尽力が欠かせない。

花村氏の80年代~90年代初頭にかけての多くの物語は、(私自身は)1993年よりルート66を走り始めたが、私の 2000年以降のルート66訪問に大きな影響をくれた。Ali 氏を知っていた花村氏が今年偶然SNSで Hakam 氏をみつけ繋がったと聞く。私は2014年に日本に一時住んだ時、どうしても花村氏に会ってみたく半ば押しかけのように時間を頂き親交を始めさせてもらった。
ニューメキシコ州との繋がりはまだまだ他にも多数あるので、どうしてもこういう「縁」は自分自身でコントロールできない何かの糸(意図)で繋がっているようにしか思えないのだ。

ルート66は回り回って、花村氏の言葉を借りれば「時空を超えて」人と人を繋げる不思議な空間であり、存在だ。この先まだどのような出会いがあるのか、どこで誰と再会できるのか、興味は尽きない。

ルート66生誕地、スプリングフィールド


シカゴ~サンタモニカまで続く2,448マイル(約 3,940キロ)のルート66。
“Mother Road” とも呼ばれる、このアメリカのメインストリートの話をする度に一番よく聞かれる質問が「いつ、どこで始まったの?」である。

先に正解を言えば、今から92年前、1926年4月30日が66号線としての称号、そして”66″の数字を正式に国から頂戴した日だ。更に言えば、どこ?つまり場所はルート66のスタート地点であるシカゴでもなく、終着点サンタモニカでもない、ミズーリ州スプリングフィールドという街なのだ。当時の大統領カルビン・クーリッジが国土交通省の責任者と、この地で面談し正式承認のテレグラムを州議会に向けて打ったことから始まる。余談だけどルート66には、国として「最初の大陸横断ハイウェイ」という意味合いだけでなく、世界各地からの旅行者が継続的に訪れ、アメリカの発展が永続的なものになるようにという想いも込められていたんだ。

その後、ルート66が文字通り「66周年」を迎えた1992年、ミズーリ州ルート66協会はスプリングフィールドをルート66の正式な生誕地として指定、記念プレートを街の中心であるPark Central Squareの東側に設置した。
そのプレートがこちら ⇩


尚、このスプリングフィールドでは毎年 “Birthplace of Route 66 Festival” 「ルート66誕生地最」と銘打って8月の第二週週末に盛大なお祭りが開かれる。

昨年2017年は仕事の都合で参加できなかったのだが、その前年2016年はしっかり訪れ、多くの友人らとキャッチアップをして楽しんだ。(詳細は2016年8月のブログを参照)

スプリングフィールドの街の中心である Park Central Square に建つ、歴史博物館では現在特別展示で「母なるルート66の記憶」を開催している。これは聞くところによると、スプリングフィールドの街と街の所属するグリーン郡に焦点をあて、ルート66沿いにある多くの観光ポイントや企業らも紹介されているようで、今年いっぱいは展示が続くとのこと。
https://historymuseumonthesquare.org/

今年2018年のお祭りは8月10日、11日。
何とか仕事の都合をつけて足を運びたいと思っている。


そうそう、スプリングフィールドで思い出しだしたが、昨年8月、ドナルド・トランプ大統領は、税制改革に関する講演会を子の街で開催している。大統領がここを選択した理由は、ルート66との歴史的リンクを象徴的と魅せるためである。
この街を選ぶにあたってホワイトハウス高官は、「ルート66はアメリカのメインストリートであり、大統領の計画は国をメインストリートに戻すことだ」と再三記者団に語ったらしい。アメリカのメインストリートを、米国製の製品を米国国産のトラックが運搬し、アメリカの消費者に届ける - こんな筋書きはトランプ大統領の目指す “America First” (アメリカ第一主義)にピタリと合致する。
過去の政治家たちも、例えばジョン・マケイン前上院議員はセントルイスにある有名な Ted Drew’s Frozen Custard で一般市民とアイスを食べ、オバマ前大統領は同州レバノンにある Bell’s Restaurant へサプライズで現れてお客達を喜ばせた。
そう、アメリカとルート66は切っても切れない。

実際ミズーリ州、カンザス州、オクラホマ州などの地域ではトランプ大統領は抜群の人気を誇る。日本の皆さんには信じられないこのような看板をみかけることも少なくはないのだ。

 

Route 66 と パンケーキ


皆さんは「Cracker Barrel」というアメリカのパンケーキ・チェーン店をご存知だろうか。パンケーキと言うと語弊があるかもしれないが、要はファミレスだ。なぜパンケーキ・チェーンと言いたくなるかはズバリ、私が最も推す商品に他ならないからだ(笑)


Cracker Barrel、そのフルネームはロゴにある通り「Cracker Barrel Old Country Store」と言う。1969年に Dan Evins 氏によって設立され、会社の本社、そして店舗の第一号はテネシー州レバノンという街にある。ルート66ファンにとっての「レバノン」は勿論ミズーリ州。レバノンと聞いた最初は一瞬テンションが上がったが、テネシー州と言われ頭の中はクエスチョンマークの嵐となった。
レストランのメニューは伝統的な南部料理がベース。ミートローフ、カントリー・フライドステーキ、ローストビーフ、キャットフィッシュフライ、そしてポークチョップと私の好きなお皿のオンパレードだ。取り分け朝飯メニューのラインナップには感涙もので、イチ推しのパンケーキから、ビスケット、スクランブルエッグ、ハムのステーキ等、目新しいものではないが本物の伝統がそこにある。

これがパンケーキだっ!

お店の外観、そして内装はどの店舗に行っても「これこそチェーンの醍醐味」と言わんばかりに、ほぼ同じ。実際40店舗ぐらい訪問している身としてはたまにどこに自分がいるのか分からなくなるぐらいだ。店前のポーチには木製のロッキングチェアが売られ、石の暖炉や地元の装飾品が並ぶ上、店内インテリアは基本、アンティーク家具、古い壁のカレンダーや広告用ポスター、写真など、地域の地元の歴史に関するアート関連が含まれている。

そもそも私が最初にこの店と出会ったのは偶然、1993年にフロリダ州マイアミに住んでいた時のことだ。アメリカっぽい朝飯を食べに行こうと思い立って北に向かって少しドライブ。West Palm Beachという場所でたまたま入った店が Cracker Barrel だったのだ。そこで初めてパンケーキ食べた時の感動は凄まじいもので、それまで数多くのパンケーキを食べてきたが、文句なく1等賞ものだった。そしてパンケーキにかける彼らのオリジナルであるメイプル・シロップがこれまた絶品なのだ。
その経験以来約25年、事あるごとにチャンスがあれば同店を訪れ、可能な限り友人知人にも薦めている。(親善大使にして欲しいぐらいだ)当の Cracker Barrel は1990年代に急激に業績を伸ばしたが、そこに目をつけて?私は当時通っていた大学院のレストラン経営学に関するクラスの最終論文にこの Cracker Barrel Old Country Store を題材として取り上げた。そのぐらい Cracker Barrel LOVE ♥ だ。
もう一つ言わせて貰えれば、ニューヨーク在住の時はマンハッタンやロングアイランドにこの店舗は当時なく、70マイル(約110キロ)ほど離れたコネチカット州ミルフォードにあるお店まで1時間30分かけて車でよく出かけたものだ。「わざわざパンケーキを食べに90分も車で行くバカはお前ぐらいだ」と、よく友人に言われたが、一回食べさせれば納得してもらえた。(と、思っている)

前置きが長くなったが、なぜ今回こんな話をしているかと言うと、この Cracker Barrel Old Country Store、全米で43州に渡って店舗経営をしているのに、私の長く住むカリフォルア州には実は一店舗もない。全米チェーンのお店でこれは余りお目にかかれない事実である。その理由は一つ「儲からないから」だそうだ。同社が長い間リサーチを重ねた結果だと言うが、真偽は定かでない。
ロスアンゼルスに住んでいた時には一番近い店舗があったのは、アリゾナ州グッドイヤー。距離にして370マイル(約600キロ)、時間は約6時間のドライブだ。

そんな中、先日驚きべきニュースが流れてきた。Cracker Barrel が第一号店をカリフォルア州ヴィクタービルにオープンすると!しかも彼らは同街の我らがアイコン、California Route 66 Museum と提携してビジネスを行うとまで発表された!

Cracker Barrel は確かにアメリカの歴史上流れる「先祖代々の遺産」や「物語」を非常に大事にする。その顕著なものが上で述べた店内デコレーションや、メニューだ。その考え方はルート66を愛する者たちが持つ精神そのものだと感じるので、正にそこが大きな理由の一つになったのだろう。
Cracker Barrel と Route 66 Museum は、来月9日「Building Our House Heritage Event」と名付け、お互いのパートナーシップや意義についてお互いに認識を深め合うイベントを開催するとのことだ。
California Route 66 Museum の President は私の良き友人の一人、Delvin だ。

デルヴィンと@ヴィクタービルのバー

次回彼に会った時にはどんな話をしようか。こんなことも聞いてみたいし、あんなことも議論したい。

12月24日、クリスマス・イヴにサンタさんから降ってきた最高のプレゼントだ。
皆様、MERRY CHRISTMAS !!

 

 

 

Shamrock 2018 Route 66 Festival


「シャムロック」と聴いたら皆さんは何を想像するだろうか。アイルランド、クローバー、はたまた緑色の山高帽をかぶった髭のおじさん?変な言い方だがいずれも正解?だ。シャムロックでググってみると(イメージには)これらの画像のオンパレードだ。アイリッシュ系の人々は世界各地に散らばっているせいか、毎年3月のセントパトリック祭のパレードやお祭りはニューヨークを始め、とても多くの国や街で体験できる。ここテキサス州ルート66 の街「シャムロック」でも例外ではないのだ。

テキサス州シャムロックの歴史は19世紀後半まで遡る。正式には、1911年にウッドリー氏が市長に就いた時が街の創立とされ、最近2011年には街の100年祭が盛大に行われたのだけど、街の名前であるシャムロックは、未だ街が街になる前に郵便局を設置したニッケル氏の母親(アイルランドからの移民)が常に幸運をもたらすように、とシャムロックという街名を提案したことに由来する。
こういう「ストーリー」って素敵だよね。


街で一番有名なのは、大手ガス会社である Conoco の Gas Station と U-Drop Inn Cafe のアールデコ調建物。Cafe は現在観光案内所であり、お土産屋さんとしても活躍している。華やかな建築デザインは目をひくけど、夜は夜でネオンが灯り一層綺麗になる。

皮肉な話だけど、私の記憶では 2年前は無かったはずなのだけれど、今年の春にはもう使われなくなったガソリンステーションの裏に TESLA のチャージャーが立ち並んでいた。。。(絶句)


もともとシャムロックはテキサス・パンハンドル地域ルート66での最も大きな街だけに古くから宿泊場所も多い。
伝説のモーテル、「the Sun ‘n Sand Motel」は1953年にレストランを併設して28部屋で開店。現在は存続しないため、そのポストカードは大人気を誇る。が、当時のモーテルの建物一部は残っており、その名前を「ルート66イン」に変更して今も営業中だ。

from James R. Powell Route 66 Collection

そんなシャムロックの街で来年2018年、ルート66シャムロック・フェスティバルが開催される。テキサス州ルート66 アソシエーションの主催で、彼ら曰く来年度、ルート66上のお祭りでは最も大きなものの一つになる予定だそうだ。
幸いにも?開催のアナウンスが早かったので(今年の春には聞いていた)私もしっかり自身のスケジュール帳にしっかり書きこみ参加を予定している。
フェスティバルの公式ホームページはこちら ⇩
http://www.shamrock2018.com/

興味のある方は是非足を運んで頂きたい。
2018年7月12日からの3日間、是非現地でお会いしましょう!

後記:
そうそう、シャムロックという言葉をその後ググってみたら、シャムロックはアイルランド語でクローバーの意味の seamair 又は若い牧草を意味する seamróg を、似た発音で読めるように英語で綴った語だそうだ。アイルランドではシャムロックの葉が3つに分かれているのは「三位一体」を表しているとし、キリスト教の布教に利用したとか。面白いね。

 

夏だ!祭りだ!ルート66

例年のように4月の声を聴くと人々はルート66へ旅に繰り出す。そして6月になると各地で催し物が開かれ始め、7月にそれらは一気に加速し、8月には大きなお祭りが目白押しとなる。
Birthplace of Route 66 Festival、今回で7回目を迎えるこの祭典は今週11日~12日、今年もミズーリ州スプリングフィールドで開催される。

街の様子

今年の夏はとにかく、我慢だ。毎日のようにSNSにポストされる仲間や友人らの旅の記録が羨ましくて仕方ない。彼らの楽しんでいる様子をとても嬉しく思う反面、同時にとても気分がダウンする時も正直ある。ルート66が、アメリカが最も恋しくなる瞬間だ。
SNSに上がる写真の景色をみればそこがどこか一瞬で分かるし、そこに写っていないその周りの空間も容易に想像できる。あたかも自分がそこに居るかのような景色が眼の前に広がり、たった数秒間のタイムスリップが心地よい満足間を与えてくれる。
今これを書いている時、スプリングフィールドは土曜日の午前10時30分。今日も楽しい一日が始まる。友人からのポストが楽しみだ !

(Route 66 Association of Missouri の投稿写真より)

 

Arcadia Neon Fest 2017 ⑤:Arcadia の夜は永遠に

“Hey Toshi, Let’s meet to dine with us around 17:00! Will call ya later.” と、簡単なSNS メッセ―ジが届いたのはその日の午後2時すぎ。おいおい、こっちにも予定ってのがあるんだよ。そうならそうと早く言えよ!と腕時計と睨めっこしながら間に合う距離にいるのか再確認。
もちろん皆で一緒に夕飯するのは大きな楽しみの一つだけど、自分の予定は曲げられない。でもちょっとばかり足早気味に行動、彼らからの場所の連絡を待ちながらBristow、Depew、Stroud の街での撮影に精を出す。


時間を見ればもう4時を回っている。が、一向に連絡の兆しはない。まあこのままArcadia に向かえば5時過ぎには着くはずなのでピッタリだろうとばかりに(それでもフリーウェイには乗らず)ルート66をひたすら走った。

さて、時間は午後5時17分、Arcadia の街に入る。予定より若干遅れたが許容の範囲だ。が、一向に連絡がない。
“hey guys, where you all? Ain’t know the place yet.”
“Oh Toshi, forgot to text ya. We all at XXX.”
とまあいつもこんな感じだ(笑)
指定された店は典型的なアメリカン・フード。オクラホマのアメ食だ。心からホッとする。美味い。


どうやら結局かなりの大人数で行くことになったらしく、誰が行くのか何人行くのか誰もつかめておらず(最終的には30人を超えていたらしい)店には流れてきたものの適当にバラバラに座りそれぞれ楽しんでいる状況だ。
こういうの本当に楽で良い。苦手な方もいるだろうが、私はこういう方が断然性に合っている。

陽もすっかり暮れはじめ、まだ夜は肌寒いオクラホマ州の4月。Arcadia Neon Festa の2日目が始まった。昨日は Jim と Shelle のサプライズ結婚式だったが、今宵は仲間内ですっかり談笑。近隣 Yukon の街よりエルヴィスも甦り(笑)素敵なパフォーマンスで会を盛り上げてくれた。
ご本人の許可を貰っているのでちょっとだけその雰囲気を味わって頂きたい。

今回8州にわたるルート66のうち、5つの州から多くの友人が集まった。毎年夏場を中心にルート66沿線上各地でいろいろなお祭りや催しものが開催されるが、いつも一大家族のリユニオンのようだ。互いの元気な姿を確認し、最近どうだい?と仕事の話、家族の話、悩み話、下らないゴシップから政治の話までまるで本当の家族のように本音で気取らず楽しめる。
元々この集まりには最初から参加する予定では居たものの、今年の春に実は少々大きな決断をするに至った。だからこのフェスティバルで彼らに会うことは、オクラホマからテキサスを走っておくことは今回非常に重要だったのだ。

沢山の笑い声とアップビートな音楽に包まれてアーケディアの夜は更けて行く。

 

Arcadia Neon Fest 2017 ④:オクラホマ徘徊


オクラホマ州と言えば、ルート66界に最も貢献しているアーチストであり、私の親友の一人、ジェリーを紹介しないわけにはいかない。彼の出版する「Route 66 E-Z Guide」は世界中のルート66ファンのバイブルであり、これを持たずに旅をすることは有り得ない!と言っていいほどルートの詳細が書かれたガイドブックだ。本日現在で出版されているのは第4版。ルート66を旅しない人でも是非手に取って欲しい一冊だ。

そんなジェリーのアトリエというか、彼の ギャラリー が、彼の故郷オクラホマ州チャンドラーという小さな街にある。小さいとは言っても、人口は3000人近くいるらしい。商工会議所や銀行を中心としたダウンタウンには1930年代に建てられた Phillips 66 のガスステーションが、更にはリンカーン・モーテルや、ルート66の資料館も揃った「立派な」ルート66沿線都市だ。
ジェリーとは様々なルート66関連のフェスティバルなんかで良く顔を合わせるので、久しぶりの感じは全くしないんだが、よーく考えてみると彼のギャラリーに来るのは2年以上ぶり。
中はご覧の通り写真、絵画をはじめ彼の作品が所狭しと飾ってある。真ん中にはソファも置かれ居心地はかなり良い。
ギャラリーの窓にはちゃっかり私達の日本ルート66アソシエーションのステッカーを、同オランダ・アソシエーションと一緒に貼らせてもらっているのだ!


あ、そうそう。忘れちゃいけないのが彼の自慢、1957年製シェビー。もちろん未だ現役。時速は30マイル程度しか出ないけど、ダウンタウンまでこに一緒に乗って飯を食べに行ったのは素敵な思い出だ。そんな彼の愛車の写真を(マイブームの)イラスト風に仕上げてみた。


昨日の今日、では実はあまり大きく天気が変わっていない。いや、でも少しはマシと言うべきか、所々陽が差してくる箇所も出てくる。
なので私は昨日のリベンジをしようとタルサへ向かって走るわけだけど、今日は一つだけ「新たな発見」をお伝えしたい。
ルート66を東に向かって走ると、Rock Cafe で有名なストロードの街からデピューと呼ばれるほぼ「ゴーストタウン」の街に行く途中、旧道に小さな橋がある。
これは実は、昨日結婚式をあげたジムが数年前、ルート66を散策中に偶然発見したものだそうだ。ジムはルート66界きっての「橋オタク」、昨年出版した「Route 66 Crossings」はその集大成だ。


なぜその橋がそんな最近まで知られていなかったかというと、その旧道、もはや通ることはできないから。East Hwy 66 と呼ばれる E860 Road はインターステート44号線にほぼ沿って走っているが、ストロードの街が近づくにつれ(今はもう通り抜けが出来ない)旧道とその後作られた道がある。旧道の方はもはや森や雑草にまみれ、今の道からは車を停めて中に入っていかないと通れない。一般の民家の牧場の一部になっている箇所もあるから、殆ど人が通らなかった(通ろうとさえしなかった)場所と言っていい。
そこを今回教えて貰って是非に、とばかり訪問してみた。
因みにこの上の写真の橋は、その橋に行く途中にある橋だ(笑)

この橋のたもとに車を停めて、その橋を求め自分の足で歩く。
うーん、凄くワクワクするよね。土曜日の午前中だからなのか、自分が車を停めた場所も、そこから既に約10分ど歩いているけど誰にも会わない。
当時の人々はどういう想いを秘めてこの道を通ったのだろう、といつも自問する同じプロセスを踏みながら歩く。
と、すると遠くに見えてきた。あった。


走りたい衝動を抑えて一歩一歩歩く。これは Lilly Creek(リリー河)にかかる「Hidden Bridge」(隠れた橋)としか命名されていないようで、何年頃どのように作られたのはを含め現在調査中のものらしい。確かに行き止まり。ここより先は通り抜けできないようになっている。


今はほとんど枯れてしまっている小川を流跡をぼーっと見つめながら、勝手に1930年代にスリップしてみた。
帰り路に向かって撮った一枚、結構気に入っているんだけど、いかがだろうか?

週刊NY生活⑱

恒例の月一寄稿。今月はテキサス州西部、ヴェガ、エイドリアン、そしてグレンリオのご紹介と共に私達ルート66アソシエーション・オブ・ジャパンの活動にも少し触れました。お時間のある方は下記のURLで、13ページをご覧ください!

http://www.nyseikatsu.com/editions/635/html5/index.html

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