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オジサン二人のルート66旅⑤ (最終回)イリノイ帰路編

さて、ミズーリ州を爆走して最終シカゴへの帰路。再度セントルイスに宿をとることも考えたが、都会の費用はどうにも高い。
アメリカのホテルは部屋単位の料金制なので、二人で宿泊すれば安上がりに済むが、一人で泊まるとなるとただ単に寝床を確保するという意味では無駄なお金がかかるだけだ。
なので、セントルイスから北に更に60㍄ほど、小 1時間頑張って夜のドライブをし、Litchfield (リッチフィールド)の街で休むことにした。
懸命な読者の皆さんなら、あ!アリストン・カフェのある街だ!とお気付きだろう。残念ながら営業中には到着できなかったが・・・

リッチフィールドのカフェ前通り

翌朝、早いうちから朝飯を食べてさっさと帰路を走ることに。
上手く行けば午後のホワイトソックス対カブスのシカゴ・ダービーが見れるかも?とこの時はまだ考えていたわけで 💦

惜しい。実に惜しい。なぜ一文字足りないのだ。
「H」さえ入っていれば、友人皆に「オレ、店をオープンしたんだよね~」と自慢できるんだけど 😂

この TOSI、苗字か名前かは分からないが、ちょっとリサーチしてみたら、実際世界何か国かで存在するようで、最も多く使われているのが何と、イタリアのようだ。その中でもサンマリノ共和国ではそれなりに存在するらしい(サンマリノは正確にはイタリアではないが)。
因みに「トシ」の姓名が最初に認識されたのは、トスカーナ州ピサ県の県庁所在地であるピサだそうだ。でもイタリアでこの綴りとなると、何となくイメージはシチリアであったり、カンパーニャ、プーリア、又はカラブリア州等の南部であったり・・・ピサかあ。

ま、余談はさておき、私はどこへ行こうが、朝食べるものは特に変わらない。これが人間の習慣というものだろうか(単に自身の好みを人間と大きな括りで言ってみた)。

早朝のせいか、人はまだおらず。値段が安いのが、このインフレ時期には嬉しい。ゆっくり、安く、普通に美味しい朝ごはんを希望する方、おススメ 👍

さて朝食後は、I-55 をそのまま北上すれば、スプリングフィールド、と手っ取り早いが、せっかく遥々やって来たイリノイ州。それではイリノイ・ルート66を走ったとは言えない。
ということで、少し北へ走ってから、州道3号線を西方面へに横断して、イリノイ州道4号線へと向かう。ひたすらこういう道を行くのだが、この4号線にはルート66の歴史を彩った街が多く点在する。

US-4 Illinois

最初にストップしたのは Carlinville(カーリンヴィル)という街。州道4号線を街に向かって走れば、ダウンタウンから南東にちょっと行ったところ、つまりはダウンタウンに入る前の通り沿い、左手に出て来るのがCarlinvilla Motel という中々キュートな感じのするモーテルだ。
残念ながら行程の都合上、このモーテルに泊まる機会は滅多になく、もう十年以上前に一度お世話になったきりである。
仲間うちからもとても人気のあるモーテルと聞いているので、経営が傾くことはないだろう。時間的にあまり車は停まっていなかったが、モーテル内部のフロアには何人か見かけた。ゆっくり寛いでいたようなので、内部の写真は遠慮。今回は外観だけで。

代わってダウンタウン「パブリックスクエア」と呼ばれる街の中心部はこんな感じ。ラウンドアバウトの周りには必要なお店が並ぶが、ゆっくり流れる時間がいかにも週末らしい。

Carlinville Downtown Public Square

今回は立ち寄る機会がなかったので特に触れていないが、昨晩の宿泊地はリッチフィールド。リッチフィールドと言えば、アリストン・カフェ、というのは先ほども書いたが、そのアリストン・カフェが営業を開始したのはリッチフィールドではなく、このカーリンヴィルだ。
ルート66の宝物の一つであるそのレストランの歴史はこのパブリックスクエアの一角にて始まった。そのことをきちんと記したサインがこちら ↓

アリストン・カフェの前オーナーであり、とても仲良くしてもらった Nick のお父様、Pete Adam 氏の名前がしっかり刻まれている。
うんうん、歴史を感じるなあ~と再度物思いにふけってスクエアでしばらく座ってみた😚

おっと!だいぶ時間が過ぎてしまった。
これでは MLB シカゴ・ダービーは間に合わない!が、やはりベースボールが大好きとは言え、ルート66のアイコンをすっ飛ばして行くわけにはいかない。複雑な心境のところ、実はこの後がこのルートのハイライト 🤩 の一つ。「13-star Flag Barn」で有名な、「ただの納屋?」だ。
カーリンヴィルを出て次の街、Nilwood に向かう途中、左手に現れる。

これね、アメリカ合衆国建国時の 13の★が入った最初の国旗。もちろんその当時に描かれたものではないにしろ、中々他では見ないとても貴重な白物である。最初に見たときからすっかり心を奪われ、通る機会がある度に無くなっていないか「生存確認」をする習慣がついている。

この星条旗、東向きに描かれているので、午前中に来ないとしっかり上手く写真が撮れないんだ。プロのフォトグラファーさんらは問題ないのかもしれないが、私のような素人には逆光はキツイ。だから午後にならないように注意してるのだよ。今回はしっかり午前中、大満足である。

大満足である、はいいが、この時点でまだここか~ 💦
昼前ではあるが、昼にスプリングフィールドにすら着いていないとやっぱり野球は無理か、とこの時点ですっかり諦める。仕方ない 😵‍💫

その後は、Girard、Virden、Auburn と、アイコニックな街を通りながら、一気に 80㍄を爆走、1時間超のノンストップで、アトランタへ。

アトランタの街を走るルート66は、I-55 号線の一本西をほぼインターステートに沿って走る。ダウンタウンの東端をぐるっと行くイメージであるが、いわゆるダウンタウンというのは Arch Street、そしてその隣の Church Street の2本ぐらい。街のアイコンである、Paul Bunyon の像が建つのは、前者、こんな風景だ。

週末とあてか、ダウンタウン内に殆ど人の影が見当たらない。最近復活したと聞いた Palm Grill も活気はない。。。

さて、その街のアイコンである Paul Bunyon、「バニヨン・ジャイアント」だが、前回街を通ったときは確か夜だったので、明るい陽の元でそのお姿を見ることができなかったが、今回はしっかり。
さすがに 19ft (約6㍍)もあると大きい。この像は元々シカゴに程近い、Cicero(シセロ)という街のホットドック屋さんの前に宣伝用として建てられたものだが、2002年、その店が閉店するにあたって、アトランタへ引っ越してきた。このグラスファイバー製の Bunyon 像については、以前 Gemini Giant の話をした時に詳しく書いたので詳細は省略するが、このアトランタにある像を含め、イリノイ・ルート66には合計3体あるので、興味のある人は是非追いかけて頂きたい 👍

そのバニヨン・ジャイアントの建つすぐ南側には、ルート66パークが。ちょっと遠めで恐縮だけど、写真奥の時計台は 1909年に建てられた年代もの。高さ 36ft (約 11㍍)の塔は「セス・トーマス8日時計」と呼ばれるが、それは8日毎に手巻きをしなければならないからである。

おっと、そんな話をしたかったのではなくて、今回アトランタに立ち寄ったのは、最近SNS上で知り合いになった、アトランタ観光局の代表、Whitney に会うためである。が、週末だし、こんなに街に人がいないんじゃ、観光局は開いているんだろうか。

やはり!やはり、である。観光局の入り口は真っ暗で鍵がかかっている。
「ま、仕方ないか」と、一旦はあきらめたのだが、街中で唯一オープンしていた Arch Street Artisans という骨董品やアート作品を扱うお土産屋さんに入ってみた。
店内にはお店番?の女性が一人座っているだけだったが、何やらお電話中だったので店の中をぐるっと見ながら通話が終わるのを待つ。

「こんにちは、何かお探し?」
「ああ、どうも。いや、特に何かってことはないんだけど。そこの観光局って今日はお休みだよね」
「そうよ。何か私で分かることであれば」
「実は Whitney って人に会いに来たんだけど、やっていないんじゃ仕方ないね」
「そうなの?Whitney ならきっとイベント会場にいるわよ。さっき見たから。」
「え?イベント?どこで何の?」
「ここからフリーウェイの方へ走ったら Dairy Queen のお店があるけど、分かるかしら」
「ああ、知ってますよ」
「あら、すぐわかるなんて唯の旅行者じゃなさそうね(笑)、今日はそこでクラシックカーの展示イベントがあって、観光局主催だがら彼女はずっとそこにいるはず。行けば絶対会えるわ」
「そうかい、助かった。ありがとう!」
と、こんなやり取りの後、お礼を言って会場へと向かった。

おお、やってる。やってる。全部で30台ぐらいは余裕であっただろうか。
カラフルな車が青空駐車場一面に並んでいた。

で、そこのスタッフに聞いて会えたのが、Whitney Ortiz さん!
元気いっぱいの、如何にも観光局の人!という感じが気持ち良い。
長居はできなかったが、とにかく会えてよかった 😊
今回のテーマである「人に会う旅」が、また一つ実現した。

ルート66を走れば次の目的地は当然?Funks Grove ということになるのだが、今日はホリディウィークエンドの日曜日、友人 Debbie は不在と聞いていたので、Maple Syrup もすでに買い終わったので今回はスキップ。
ということで、Normal の街まで飛ばした。

Normal での滞在は、Sprague Super Service Station に寄って Terri に会うことだけだ。イリノイ州ルート66界では、2015年より「Miles of Possibility」というアカデミックなルート66イベントを開催しており、昨年2021年、パンデミックの中、バーチャル・カンファレンスが開催されたのだが、そこで登壇させてもらい、諸外国から見たルート66と米国文化ということで、日本を代表をして少しお話をする機会を頂戴した。
詳細はこちら!
https://www.toshi66.com/2021-10-26/

で、その登壇に関して声をかけてくれたのが、イベント主催者の一人である Terri だったというわけ。なので、あれから一年が過ぎてしまったが、直接フィードバックを頂く良い機会だと思い、今回ぜひ会いたかった友人の一人だ。

元々教育者であった彼女は相変わらず凛としながらも、優しい笑顔で迎えてくれた。イベントも今年は第 7回目、2022年はまた対面形式に戻るようだ。お仕事の邪魔かなとも思いつつ、お客さんが来るまでしばらく時間を頂き談笑。また何かお手伝いできればこの上ない幸せだ。

さてさて、今日の話は長めだが、もうこの時点では MLB がどうの、という話ではなく、夜までにシカゴ帰れるかな、というレベルになってきた 💦
陽が落ちるまでにもう2か所、寄って行きたいのだ。

これは「Memory Lane」、追憶の路とでも言おうか。中々詩人じゃないか、ミーも 😚
現在は散歩用のトレイルとして活用されている、正真正銘の1926年に開通されたときの、1 ㍄に渡るオリジナル・ルート66 である。
もちろん道路は一部舗装されたいる所もあるが、大部分がオリジナルのそれであり、我々愛好家には堪らない場所の一つなのだ。
と言いながら、実はあまり頻繁に来れていないのも事実。旅程上スキップしてしまう場合も決して少なくなく、前回来てからは10年近く経つのではなかろうか・・・

古い標識が所々に現れる趣向も何とも言えない。

今回は車を完全に脇に停め、少し時間を取ってゆっくり散歩してみた。
ベンチに座ってこの旧道に思いを馳せると、この夢のハイウェイを旅した人たちの微かな囁きが聞こえてきそうである。

ということで、本日最後の訪問地は、Joliet (ジョリエット)にある、Rich & Cremy、アイスクリーム屋さん。
残念ながら?着いた時はもう夕方 5時をすっかり回っていたので、街のハイライトである、ジョリエット旧刑務所も、ジョリエット地域歴史博物館もすっかり閉店。まあ、この辺りのものはいつも来ているので仕方ない、と嘯いて、お腹も空いているから腹ごしらえに一直線。

この店ってさ、いつも混んでるんだよね。今まで来たときに店の前にお客の行列が無かった時は無いから。
で、これが大体2回に1回の割合で注文する、Banana Split 🤩
こういうところで食べるアイスクリームは本当に美味しいよね!

さあ、シカゴまで残りは 40㍄、小 1時間ぐらいかな。もうひとっ走りだっ!(オジサン二人のルート66旅 終)

シールド補修イベント@Gay Parita (05.28.22)

さて、友人と別れていつものルート66 独り学習旅に戻った私は、キューバより更に南下してレバノンに一泊。「ミズーリ州のお母さん」Ramona の Munger Moss Motel で充電し、車で約 1時間ほどかかる Paris Springs に位置する、 “Gary’s Gay Parita Station” まで走る。
実はココが今回ミズーリ旅のハイライト。Gay Parita で行われる Shield Repair (RePaint) 即ち、ルート66 のマークを旧ガスステーションの前の道に「再塗装」する、ローカル・イベントに参加することが旅の第一目的だ。

前日に集合時間を確認したところ、「9時半あたりに来てくれれば大丈夫だよ」と、いう Rich の言葉に、それならばと、少し余裕をかまして Gay Parita の近くにある Spencer に寄ってみることにした。今まで何度も訪れている大好きな場所だ。スキップしても良かったのだが、よーく考えてみてほしい。パンデミックのおかげで再渡米するのに 3年かかったのだ。この地を訪れるのも自身の記録を辿れば 3年半になる。一体あの時点で誰がこんな状況になることを想像しただろうか。「次回」は必ず来るとは限らないのだ。この場所を見るのは今回が最期になるかもしれない。大切な友人達に次回また会えるとは限らない。このように考えると「その一回」はとてつもなく貴重な時間であり、体験であると改めて感じる。

ルート66を西へ走っていくと、道はゆるやかなカーブで左に曲がる。すると周りが緑に溢れる景色の中から現れるのが、この Johnson Creek Bridge だ。ルート66オリジナルの橋で、まだ国道として制定される前、1923年に架けられたものだ。この景色を見ると、何となくホッっとするのだが、分かって頂けるだろうか。。。💦🤔

橋を渡れば、その向こうは Spencer の街だ。街と書いたが、正確には Township 、つまりは地方自治体の運営する土地区画で、現在人口も 150人程度だそうだ。
この 旧ガスステーションが「街」の目玉で、現在では、きれいに修復された Phillips 66 のビンテージ品と、クラシックなオレンジ色の看板がある。開業当時のオーナーである Sydney Casey 氏は、元々あった理髪店、商店、カフェ、ガソリンスタンドで、旅行者をもてなしたらしい。

上の左側の写真、今まで自分でガスステーションと橋を一緒に撮ることって滅多になかった。なぜか?他の観光客の車が駐車するので、それらを一緒に写り込ませたくなかったから。でも今日は朝早いせいか他に誰もいない!チャンスとばかりにお初のアングルも撮れ、テンション上がってシャッター切ってたらつい思ったより長居してしまった!が、まだ時刻は9時20分。余裕である 😎

と、余裕を持って現地へ着いたら、何と、もう作業が始まっているではないかっ!そうだ、この時間にイージーな感覚、すっかりこの 3年間で忘れていたよ。いけない、いけない、ここは日本じゃないのだ 😵‍💫良い意味でも悪い意味でも「アバウト」なのだ。(私はこの方が断然気持ち良い)

今回このイベントの指揮を執るのは、ミズーリ州ルート66アソシエーション代表の “Roamin’ Rich” こと、Rich Dinkela 氏。このブログでは既に何度かご登場済の ルート66界の重鎮だ。
彼は何年か前にすでにこの舗道に一度シールドを塗ったことがあり、時が過ぎかなり劣化したことによっての今回の「再塗装」という運びだ。

先ずは既に路上に描かれているものの上に、彼が予め作成してきたパーツを合わせ、塗っていく範囲を設定することから始まる。

手順をよく理解していない私は、もっぱら彼らのやることを見ながらそのお手伝いに終始するのだが、せっかくの機会なので、認定もされていない非公式カメラマンとして幾つか記録をすることにした 😂
ではここで Rich の実際の作業も少し動画でお見せしよう。

出来上がった姿を少し遠めから。しばらくこのまま白い塗装を放置して乾かさないといけないとのこと。5月にしては今日のミズーリ州、天候が落ち着かないせいか、比較的湿気も高い。。。

という、ところで乾燥時間を待つ間、お昼+休憩という流れになる。
お昼は裏のパティオで皆でホットドッグにソーダ。久しぶりに会えた Gary や Richard に加え、SNSで繋がっていたものの今回初めて会えた Ed とランチからの談笑タイム。そうそう、こういう時間が Precious なんだよな。
(マスターカードかっ!)

そして午後は、塗装が乾いたことを確認してから、シールドの枠を当てはめて行き、黒い文字やラインを順に塗っていく。

そういえば、Gay Parita については過去にも何度か書いているので詳しくはふれないけど、最新?の画像はお見せしないとね。

いろいろな部分に手が加わり、きれいになってきたのが正面からもわかる。やはりパンデミックの 2年間、Barabara と George が一生懸命準備していたのが分かるね。

奥の納屋には Gary が長い時間かけて収集した多くのアンティークの看板やアーティファクトが所狭しと並んでいる。以前は埃っぽかったけど、そのあたりもきちんと並べられ、掃除もしたようで 😊

代わってこちら ↓ は、Gary が大好きだったクラシックカー。左はその名も「Gary」、1932年の 6速 International だ。右は「Larry」、1928年の同車である。カッコいいよね。

とりわけ一番驚いたのがココ!土産物の並ぶお店部分なんだけど、飾りつけも増え、きちんと椅子も直り、お店の中もかなり整頓されて商品の充実ぶりも増してきた。でも前来た時は、恐竜はいなかったような。。。

最後はここ。裏のパティオ?の奥の、プライベートスペースだ。こんな場所で毎日ゆっくり?できれば(お客さん来たらそうは行かないだろうけど)サイコーだよね。
ちょっと前までは私も「まだ」若ぶってたから、正直ここまで田舎になると生活して行く自信はなかったけど、今ならもう大丈夫 👍問題ないよ。
あ、ネット環境さえきちんとあればね 😉

そんなこと言ってる間に作業は最終章。黒で塗った後の色の境部分の細かい修正を施して完成に向かう。総作業時間、4時間ぐらいかな。

それでは完成したものをご覧あれ!

素晴らしい作品だ!
気になるのは、これでまた何年大丈夫なのだろうか?まあ、その時はその時でまた集まってやれば良いだけだけどね。

最後にまだ登場していない、Barb と George、そして久しぶりに会えた友人達とのショットでこのお話は終わり 👻

🍺🎇今年はやるぞ~66会😀🍔

さあ今年は満を持して、ルート66 アソシエーション・ジャパン主催の毎年恒例?、66会を遂に開催するよ!🤩

ちょっと遠いなぁ、と言うなかれ!開催地、木更津の Double Roxer ほど アメリカンテイストに満ちた場所はそうそう無いよ。目の前は何と、三井アウトレット・パークだっ。ついでに買い物まで出来ちゃうんだからこれは便利!

ご近所さんの手前、取り立てて大きな催しは出来ないけど、久しぶりに皆で楽しくルート66を、アメリカを語り合おうではないか~、ということでご参加をお待ちしていま~す。
お申し込みは、route66association.japan@gmail.com まで!
See you there!

週刊NY生活月イチ連載 SEASON 4: Vol. 12 「発祥の地」スプリングフィールドで楽しむ夏

いよいよあと2週間弱で日本はゴールデンウィークとやらが始まる。コロナ対策の規制が特に無い、久しぶりの?大型連休だ。
ニュースによると今年のGW中の国内旅行者数見込みは去年の 160%、意外に皆さんまだまだ慎重なようだが、少しづつ移動の機運は高まっている。あと3か月で夏。夏と言えばルート66発祥の地では毎年街を挙げたイベントが開催される。コロナ禍では自粛していたため、今年の開催は特別だろう。

毎月恒例の日系情報誌「週刊NY生活」紙にて連載中の、「さあ行こう!魅惑の旧街道ルート66」SEASON ④の今月のお話は、そのミズーリ州スプリングフィールドで行われる「Birthplace of Route 66」イベントについて再度取り上げてみた。
あ~これ行きたいな~。8月かぁ。どうかなぁ。。。。 😎

本当はこのイベントでブースを出したいのは内緒🤫

記事全文は週刊NY生活ウェブサイト ⇩ まで (14ページです)
https://nyseikatsu.com/editions/862/862.pdf

週刊NY生活月イチ連載 SEASON 4: Vol. 8 来年はイベントに参加しないなあ🙏

早いものでもう一ヶ月経ったみたい。毎月恒例の日系情報誌「週刊NY生活」紙にて連載中「さあ行こう!魅惑の旧街道ルート66」SEASON ④は、先月から無事?再開してるけど、この時期いろんなジレンマがあるんだよね。
なぜって?とっくに忘れてるかもしれないけど、このシーズンはおススメのルートを細かく切り取って週末~3泊ぐらいで行けるコースを紹介するのが当初の目的だったんだよね。でもこのコラムが復帰した季節が何と冬だけに、中々「ここに行ってみて!」って言っても説得力ないでしょ。
ルート66の殆どの区間が寒いだけだし😅

ということで、季節が少し暖かくなるまでは話題を変えてお届けしようと企んだ?第二弾は「イベント」
来年度の春からまた旅行シーズンが始まった時は是非このイベントを目指して!なんて思った書いた矢先にまたまた新たなオミクロン株?
ふ・ざ・け・る・な(おもてなし風に)という感じだろうか。
何はともあれ、皆で上手く乗り切っていきたいよね。

記事全文は週刊NY生活ウェブサイト ⇩ まで (17ページです)
https://nyseikatsu.com/editions/847/847.pdf

1年の計はタルサにあり~Route 66 Marathon

さあ、マラソンの開始だ!
©Tulsa World

「ああ、今年もこれで終わるんだなあ」って感じるイベントって何?と、先日何かの話で聞かれたときに頭を過ぎったのが実はこれ、Route 66 Marathon だ。
以前も触れたけど私はランナーでもなければマラソン愛好者でもない。ハーフマラソンは疎か、5キロマラソンすら走ったこともないんだけどね🤣

まずはこちらの映像から。

パンデミックのせいで昨年は何とバーチャル開催となったこのマラソンも、今年は盛大に行われたようだ。
ちょうど去年の同じ頃、このマラソン大会の簡単な歴史と、バーチャル開催になったことについて書いているので詳細をみたい方は ⇩ へ。
https://www.toshi66.com/2020-11-08/

で、今年は大会が始まって15周年ということで記念すべき回であったことは確かだが、そう、ここまで読むと勘の良い人はピンと来たであろう。
2026年、ルート66が生誕100周年を迎える年は、このマラソン大会にとっても20周年という節目じゃないか!
きっといろんな催しがあるのだろうな、と今からワクワクするよね。

マラソンコースは昨年と同じというか、従来のものなんだけど、今年はテクノロジーだよね、コースの「実際の映像」まで届いた。
こんな景色を見ながら走る「らしい」。。。

話は急に変わるけど、昨年より大手旅行代理店、H.I.S のアメリカ・ニューヨーク支社、井手田氏と二人三脚で「ルート66妄想ツアー」などというオンラインでの番組をやらせて貰っているが、私達の当面の目標は2026年での大々的なツアーだ。
お互いの時差を計算し、折を見てはオンライン・ミーティング(聞こえは良いが要は雑談である)でアイデアを話合っているが、先日彼に向って「ルート66マラソン、走ってみたら?」と冗談で言ってみたものの、このような節目的なイベントになってくると冗談では済まなくなってくるような気が勝手にしているのだ。
ただ注意して欲しいのは、走るのはあくまでも彼であって、私ではない😛

タルサのダウンタウンを背景に ©Tulsa World

さてそのルート66マラソン、今年はアプリも出来、電子書籍ならぬ電子カタログ?パンフレット?も出来たようなので、彼らのホームページと、地元 Tulsa World 紙より幾つかイメージで紹介したい。

2022年の申込受付も開始したようなので、興味のある我こそは!というあなた!是非トライしてみてはいかがだろうか。
来年は11月19-20日のようだ!
https://route66marathon.com/

2021年、15周年記念メダル

週刊NY生活月イチ連載 SEASON 4: Vol. 7 Miles of Possibility 2021 リモートで登壇!?

さて、今日は久しぶりのネタ。
今年6月19日以来ってことかな、毎月恒例の日系情報誌「週刊NY生活」紙にて連載中「さあ行こう!魅惑の旧街道ルート66」SEASON ④は、長い夏休みを経て、今月号から再開だよ!

このブログを読んでくれている方々には申し訳ない。内容が重複してる😅
先日のイリノイ州で開催された「マイルズ・オブ・ポッシビリティー・カンファレンス」の件で書きました。

記事全文は週刊NY生活ウェブサイト ⇩ まで (18ページです)
https://nyseikatsu.com/editions/843/843.pdf

Happy 95th Birthday Route 66 🎂~茂村泰彦氏を迎えて

95年前の今日、ルート66はその産声をあげた。合衆国連邦と各州の道路委員会の面々がノースキャロライナ州パインハーストで開催された公式会議にて、「66」が正式に割り当てられ、ルート66が誕生した瞬間だった。
ルート66の歴史についてここで触れるつもりはないが、今回はその歴史に「乗っかった」お話を一つ。

昨年より大手旅行代理店 H.I.S の井手田氏と一緒に同社主催のオンライン・ツアーで「ルート66 妄想ツアー」を担当させて貰っていることは、ちょくちょくこのブログやSNSでも宣伝しているつもりだが、今年の夏前から個人的事情で半年近くお休みを頂いた後、先日久しぶりに妄想ツアーの配信を行った。(視聴参加の皆さんありがとうございました)


11月11日ー
そう、再開するのは 11月11日と決めていたわけで、もはや言うまでもないルート66の誕生日の設定だ。アメリカと日本がちょうど同じ11日になるためには、日本時間 11日の午後10時という、ある意味ギリのベストチャンスに設定が必要だったわけで、平日の夜という「集客」の観点からすれば(一番大事な要因に)疑問符の付く時間帯に快く許可をしてくれた井手田氏には感謝だ。

せっかく 11月11日なのだから、今までとは何か違うことをしたいね、という二人の願いの下、従来のスライドを使った100%講義型から、新しい手法を二つ用意してみた。
一つは現地シカゴからのライブ配信。井手田氏はこれを実現するためにお休みを利用して何と自費でシカゴへ飛び、ダウンタウン、アダムス通りに立つルート66のスタート地点サインポスト、及びそこから少し離れた著名ダイナー「Lou Mitchell 」から何と私のいつも注文する朝食アイテムを実際にオーダーして店内を紹介するという大胆なことをやってくれた。
こういうフットワークの軽さは H.I.S の強みであり、それを実行する井手田氏が多くの同業者に愛される由縁だろうか。

そしてもう一つの企画はスペシャルゲストを招いてのちょっと対談+ライブ音楽、そうミスター・ジャーニーマン、茂村泰彦氏の登場だ。
シゲ兄こと茂村泰彦氏は、島根県出身、広島育ちのプロのミュージシャンである。歌手、作詞家、作曲家、編曲家、ギタリストそしてプロデューサーと活躍の幅は広い(広すぎる🤠)
TUBE、高橋真梨子、中森明菜、黒沢健一、19(ジューク)を始め多くのアーチストの作品に携わり、自身でもバンド「KACTUS(カクタス)」を結成し、毎年全国ツアーに精を出している素敵な「兄貴」だ。
そんな正真正銘のプロに出演をお願いするなど、大した出演料も出せない失礼さも含め😅、かなりガッツの要る話ではあったが、何とシゲ兄は二つ返事で快諾してくれた。

シゲ兄、最愛の奥様、美子さんのSNS投稿より

私がシゲ兄と初めて会ったのは、数年前のルート66アソシエーション・オブ・ジャパンの年次会合でのことだった。アーチストだというのにとても気さくで話しやすく、すぐに好印象を持ったことを憶えている。なーんて書くと上から目線っぽくて恐縮だけど、その後シゲ兄の歌を直に聴いたときの感動も忘れていない。もともとウェストコーストサウンドがお好きなようで、ロックとポップスが融合した心地良いサウンドは、同年代ということもあってか、シゲ兄のちょっとハスキーな歌声も加わって、心によく響いた。あとで聞いたらイーグルス、ジャーニー等80年代のアメリカン・ポップスも大好きなようで趣味は完全に一致した😄

そんなシゲ兄に何と 3曲もご披露頂き、私がただただルート66の魅力について語っている番組の価値は何十倍にも膨れ上がったってわけ。
この場を借りて再度、心からお礼を申し上げたい。本当にありがとうございました。

シゲ兄はこの後もまだ今年のツアーが少し残っているのに、その合間をぬって時間を調整してくれた。あと6本ライブはあるのでもし興味のある方は是非足を運んでみて欲しい。平日だけど、東京では 12月3日(金)原宿があるよ!

最後に、シゲ兄が書き下ろした最新作「The River」をご紹介して今日はおしまいに。
曰く「原爆の事を知らない人たち、知るきっかけがなかった人たちに伝えたい。」広島で育った彼だからこその逸品ではないだろうか。

2022年、また以前と同様にルート66を訪れることができる日がくる。今度は私がシゲ兄に少しでも恩返しする番である。
知名度も実績もある人に僭越ながら、ルート66のイベントで一つでも多く歌ってもらうのが私の夢の一つなのだ。そしてその積み重ねは2026年へと続く。私にはまだまだやりたいことが山ほどあるのだ😎


MOP21 登壇しました😎

© Miles of Possibility

いやいやいやいや、この歳になると時差はやっぱりキツイわ!😂
先月の投稿でも紹介した、Miles of Possibility 2021 のカンファレンスに無事、登壇が終わりました。
最初から分かってたとは言え、午前 1 時にPCの前で 1時間にわたってしゃべるなどという経験は中々したことがないよ。日中ならまだしも、ね。
もちろん自分の番が終わったからってすぐ寝るわけにはいかない。他の登壇者を気遣って、というよりは、彼らも皆良き友人達だから、どんな話をしてくれるのかな~って、やっぱ気合い入れておきちゃうわけ。
だからと言って流石に全部は無理だったけど、週末とはいえ 2 晩連続で朝の 5 時に寝るなんてマジ、学生時代以来だと思う🙄

© Miles of Possibility

登壇日のスケジュールはこんな感じ 👆
私の担当持分、現地時間が朝 11 時は聞こえはいいけど、さっき言ったように日本時間の午前 1 時。そこまで起きてるのも結構大変だったよ。一度寝たら起きられないし、きっと。。。

でもね、やっぱり出させてもらって良かった。機会を与えてくれた主催者の皆に心から感謝したい。久しぶりに楽しい 2日間だったよ。ルート66の多くの友人に一堂に会することができるのは本当に魅力的。特に立場を同じくするアメリカ以外の世界各国のルート66アソシエーションを率いる友人達とは中々会えないからね。

これは ⇩ ここでも紹介したことのあるルート66関連の雑誌「ROUTE Magazine」を発行する Brennen がインスタグラム上で作ってくれた今回の登壇者たちの集まったイメージ画像。

© ROUTE MAGAZINE

最上列は、左から歴史家で作家の Jim、そして同じく歴史家であり知識の量ではずば抜けている Joe、その次が Brennen、一番右は ルート66 生誕100年祭では中心的人物になるであろう、Bill。いずれも重鎮さんたちだ。

また、同じインターナショナル・アソシエーション同盟として、三段目一番左の、スロヴァキアの Marian、お隣はカナダの Bonnie、最下段左から二人目は、オランダの Dries だ。

最後に Route 66 Miles of Possibility について少々。この Miles of Possibility は、実は地元イリノイ州の 3人の素敵な女性によって運営されている法人化された非営利団体だ。彼女らは一生涯を通じて旅を愛していることで一致していて、教育、資金調達、非営利団体の運営、歴史、保存、執筆、編集、小売業、観光業など、様々な分野での経験を積み重ねてきているスター達なのだ。

© Miles of Possibility

左から、Debyjo(イリノイ州ジョリエット) Cheryl (イリノイ州エドワーズビル)、そして Terri (イリノイ州ノーマル)。

Penny & Geoff © Miles of Possibility

カンファレンスも今年で6年目、コロナ禍ということで、初めてのバーチャル開催だった。来年 2022 年度はまた集客型に戻るそうだし、次はLIVE で皆と共に喜びを分かち合いたいな。

追記:Miles of Possibility のウェブサイトにはこんなふうにご紹介いただきました。

© Miles of Possibility

9月25日は National Public Lands Day 🤩

突然ですが!
皆さんは “National Public Lands Day” をご存知だろうか。

National Public Lands Day (通称 NPLD)は、毎年9月の第4土曜日にアメリカの公有地で開催される National Environmental Education Foundation(全米環境教育財団)の代表的なイベントの一つで、「公有地を一般の人々に楽しんでもらうとともに、ボランティアによる保護活動を推進する」という日なのだ。その始まりは1994年。3つの連邦機関と約 700人ほどのボランティアによって第1回目の National Public Lands Day が開催された。このイベントは年々大きくなり、2010年には、全米は勿論のこと、ワシントンDCや、その他のアメリカの領土も含め 2,000以上の地域で 17万人のボランティアが参加するまでに成長したそうだ。この日は今日現在、全米にて 63 を数える国立公園の入園日が何と無料になるので、多くの人々に人気が高いのである。

そうそう、入園無料と言えば、年に何回か国立公園を運営する National Park Services が設定した入園無料の日があるのはもう周知の事実。2021年は(パンデミック中ではあるものの)1月18日の Martin Luther King Jr. の誕生日である祭日を始め、全部で6日間設定されている。そのうちの 1日がこの National Public Lands Day なのだ。
因みにこれを書いている時点では今年は残りあと 1日。11月11日の Veterans Day がそれにあたるので、国立公園巡りを計画している人には今年最後のチャンス!だ。
9月25日のイベント例がこちら ⇩

とはいえ、そもそも入園料は(公園によって差があるが)代表的な料金を言えば一人あたり$5(徒歩で入園の場合)または車一台につき$35というところだ。これだけを見れば決して高くはないが、これはあくまでも「公園一箇所につき」なので、例えば連休を使って車で3,4の公園を訪れようと計画している場合、車で行けば入園料だけでも$100あたりになり、まあまあの出費だ。
夢の国の真似ではないが、「年間パス」というものは存在し、これはわずか?$80。国立公園だけではなく、国定公園やその他 2,000 を超えるレクリエーション施設に入れるのだから安いものだよね。

私の場合は、行った先で普通に$35払って入園料を購入。この入園料は大体3日~1週間ほど有効なので、残り日数によって同じ公園に訪れる他の旅行者に半額なんかで売る。お互いに Win Win な関係になるわけで。
まあ、入園料の多くは毎年かかる膨大な維持費に回されるわけだから、そうばっかりしていると結局私達観光客が煽りを受けるわけなので、毎度というよりは前述したように多数の箇所を巡る場合に限ってお許しを頂いている感じだろうか😅

話はいつもの如く脱線してしまったが、無料で国立公園に行くのもいいけど、とにかくこのボランティア・ワーク・プロジェクトに参加するってのはいかがだろうか。

明日9月25日のイベントに先駆けて National Environmental Education Foundation (NEEF)がリリースしたキックオフ・ビデオをシェア。

尚、下記のサイトでは今後行われるイベントが見れるので、フィジカルに参加するのか、バーチャルというバージョンもあるので是非興味のある国立公園で、興味のあるイベントを探してみて欲しい。
https://www.neefusa.org/npld-event-search

皆さんの身体と精神の健康に乾杯!🍷

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