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Cracker Barrel の反撃

このブログでもここ数回程コロナ関連の「嬉しくない」記事を書いてきたけど今日は少々趣向の違う話題をお届けしましょう!

と言うことで今日のテーマは「CRACKER BARREL」。
このブログに付き合ってくれている皆さんはそれが何かは直ぐにピンと来るよね?(笑)
このレストランチェーンへの私の愛情はもう既に充分伝わっていると勝手に想定して、細かい説明は省いて進みますので、ご容赦!

その是非はさておき、米国では現在多くの州で Social Distance を含めた各制限が緩和、解除されつつある中、Cracker Barrel(以下CB)も他の多くのレストランと同様「しばらくは売上が期待できない」と予想しながらも、徐々に営業の再開していると聞いた。
Nation’s Restaurant Newsのレポートによると、CEOのSandra Cochranさんも「当面は売上が不安定になる。誰もが何が起こるか予測するのに苦労している。」と投資家相手に語っていると書かれていた。

Sandra Cochran CEO

でもね、興味深いのは同CEOの次の声明。
「過去数ヶ月間、私達CB、飲食業界、そしてわが国は前例のない極めて難しい課題に直面しています。でも私たちは、このような状況下ではあるもののやがて来る回復時期に向けて、テイクアウト’オプションの加速を含めた「流動性と複数のビジネスモデル」を強化することで、状況に合わせる事業を適応させる迅速な行動をとることで、当社を競争力の高い企業に位置づけることができたと確信しています。」

ん?テイクアウトだって?
食べきれなかったもののドギーバッグじゃなくて、TAKE-OUT。
これは今まで経験していないことだ!素晴らしい!
「複数のビジネスモデル」も非常に気になるところだ。

余談だけど、このテイクアウト、日本では「テイク・アウェイ」と呼ぶことが多い。最初聞いたとき非常に違和感を感じたのだが、調べてみるとどうやら英国ではTAKE AWAYと言うらしい。 勉強になったと同時に日本人にとってやはり英語は British English かぁ、と。。。(汗)

実はCB、ダイニングルームのリニューアルを筆頭に、新メニューの展開やアルコール飲料の販売試験など、コロナウイルスが大流行する前から開発中だった取り組みを進めているらしい。

例えば、現在約20店舗で既に「ミモザ」の提供が始まっていて、オレンジとストロベリーの2種フレイバーとも凄い人気だそうだ。
CBのホームページより ⇩ (見た目もいいよね)

更に(詳細はまだ明かされていないが)顧客がCBの食品や小売商品を購入できる「デジタルストア」も開発しており、CBの姉妹チェーンである「Maple Street Biscuit」の商品もラインナップされるようだ。

この一連の動きは、前年同期の純利益が5,040万ドル(約55億円)だったのに対し、第3四半期は1億6200万ドル(約178億円)の損失を出した後に起因している。発表では売上高は41.5%減の4億3250万ドル(約474億円)と激減。 5月最終週の既存店レストラン売上高は45%減、ギフトショップ売上高は38%減だったようだ。

それでも、Jill Golder CFOは、「CBへの投資は引き続き資本配分の優先事項。もちろん手元での現金保存は重要だが、メニューの進化、ビールとワインのプログラム、デジタル戦略、POSへの慎重な投資を行く」と語っており、さらには CB 505店舗はダイニングルームオペレーションを再開し、他の159店舗では6月末までにテーブルサービスを再開する予定だという。総数664 に及ぶ店舗はパンデミック中も営業していたことで、ある程度健康的なキャッシュフローを保てているようだ。

良く考えてみれば、CBの店舗は地理的にまだ深刻なコロナの影響を受けていない地域が大多数を占める。飲食チェーンとしては極めて稀なケースだが、何と数年前まではカリフォルニア州に店舗はゼロ、今でも確か僅か6店舗ほどのはずだ。あの広大なカリフォルニア州に!だ。
しかもロスアンゼルス、サンフランシスコ、そしてサンディエゴ等の大都市およびその近郊には未だ無い。
東の大将、ニューヨーク州ですらたったの9店舗、当然マンハッタンには無い。
(昔マンハッタンに住んでいた時、「パンケーキを食べにコネチカット州まで行く」(当時一番そこが近かった)と言ったら、殆どの場合大笑いされたものだ)

CBは、例えば今年の夏休暇時、家族が車で移動をすることが大多数になると予想される中、州間に位置する彼らの店舗は非常に有利だとほくそ笑んでいることだろう。我がCBに栄光あれ!(笑)

幻のビジターセンター

バーストウからダゲットの交差点方面へ

ルート66に携わって以来結構な年月が経つけど、知らないことってまだまだあるなぁというお話。
もちろんそうは言っても私は歴史家でもツアーガイドでもなく、ルート66に存在する多くのエキスパートである友人知人から見れば、私の知識なんぞ小学生程度のものだ。毎度その歴史や背景に通じる仲間から多くのことを教えてもらうのが、楽しみなのは言うまでもない。

でも今日は「え?なぜ今まで見落としてた?」という大反省する出来事があったので自省を込めて書き記しておきたい。
ということで、今回の舞台はカリフォルア州ダゲット(Daggett)だ。

Route 66 News によれば、ダゲットのルート66沿いに建つ、「有名な」スキーロッジルーフハウスが修復されることになり、本来在ったビジターセンターとして復活するとのことだ。建物の正面には元々「WELCOME」と書かれていたそうで、今回の修復も同様に行われる予定だがそのスケジュール詳細はまだ決まっていないようだ。

同州ビクタービルにあるカリフォルニア・ルート66博物館で働く友人、Delvin も自身のFBで同様のニュースを先週載せていた。
この建物の通りを挟んで東にある、もう使われていないガソリンスタンドが1940年に出来た際に、「スキーロッジルーフハウス」は民間に売却されたそうだ。

カリフォルア州ダゲットの街は、同州ルート66の拠点バーストウより東へ僅か10マイル(約16キロ)に位置し、車で走ればものの15分かかるかかからない距離にある。さらにその先には例の「Bagdad Cafe」が建つ、ニューベリースプリングスの街がまたまた僅か16マイル(約26キロ)にある。バーストウで宿泊した際には朝飯を食べるにBagdad Cafeまで行くのが私の常套なため、ダゲットに立ち寄れる機会は限られていた、というのが「言い訳」だ(笑)。

ダゲットの人口は約230人。街の交差点から唯一目視で営業が確認できる食料雑貨店「デザート・マーケット」以外は歴史を感じるのみの静かな場所だ。ルート66を離れて北方向へ15分程度車を飛ばせば、Yermo という街にたどり着き、多くのファンが訪れる「Peggy Sue Old 50’s Diner」という著名なダイナーがある。

街の歴史は1880年代まで遡る。ダゲットの北にはそのエリアの鉱山から銀が採れることで一躍有名になった Calico という街があり、当時ダゲットを通過していたサザンパシフィック鉄道は「Calico Junction」という駅名を付けていたが、Calico の街との分別に紛らわしいことを理由に、街名を1883年当時の同州の政治家であった John Daggett 氏の名前から命名する。
その後サザンパシフィック鉄道は、このダゲットを東西運搬の基点の一つにする予定だったが、鉱山の影響もよって土地の価格が高騰、基点はバーストウへと移行して行くという歴史もあるのだ。

そんな哀しい?背景があるせいなのか、その事実を知った後の自身の勝手な想い込みかは知らないが、私はここの線路の真ん中に座ってじっと先の景色を見るのが好きだ。(良い子は真似しないように)
危ないと思う方も多いだろうが、実は今はもうそんなに頻繁に列車は通らない。通る時もかなり遠くの距離からけたたましいサイレンが鳴るので、事故に巻き込まれることは無いのだ。

話は脱線したが、そう。私は何度もここを通っていながら、この建物の存在を知らなかったのだ!このニュースを見たとき「え?どの建物の話?そんなのあったっけ?」と久しぶりに「狼狽えた」。最近ことの他、記憶には自信を無くしているが、それとこれとは別物である。
自慢じゃないが、シカゴからサンタモニカの全長2,347マイル(約3,755キロ)に及ぶルート66の道はターン・バイ・ターンに「ほぼ」説明できるのだ。(ターン・バイ・ターンの和訳が上手く付けられない、泣)

そこで、自身で撮った写真からダゲットの風景を探してみた。
おおおお、あるじゃないか。
その建物は撮っていないが、その横の旧印刷会社は何枚もレンズに収めている。興味が引かれなかったのか、見る目がないのか。
下記の写真、右端の赤丸部分に映っているのが確認できる!(笑)

次回ダゲットを訪れる時は徹底的に観察しようと思う。
それまでにはビジターセンターになっていて、いやでも目に着くようになっていることを祈って!

デザート・マーケット正面(イラスト風デザインで)

Boots Court Motel 売却へ

先月取り上げたコロナ禍の影響が遂にはっきりと形になってしまった。
先週地元のメディア、Joplin Globe でも取り上げられたように、ミズーリ州ルート66、カ―セイジの Boots Court Motel はオフィシャルに売りに出ることとなった。
Joplin 近郊の The Hunter Team という不動産屋が仲介に入っていて、売却希望価格はUS$210,000(約2,250万円)だそうだ。

ネオン取り付け前のモーテル(2015年)(イラスト風)

Boots Court Motel は1939年に設立され、元々はガソリンスタンドだったものを4つの部屋で構成する小さなモーテル(Court) として出発した。場所は高速道路、国道71号線と66号線の交差点。通称「Crossroads of America」と呼ばれるところだ。ルート66については今更ここで説明する必要はないと思うが、国道71号線も66に勝るとも劣らず、1926年に開通した南北1,500マイル(約2,500キロ)を結ぶ長い長い、歴史のある道である。北端はカナダと米国の国境である、ミネソタ州インターナショナルフォールズ、そして南端はルイジアナ州ポートバレとクロッツスプリングスの間だ。東西に走るルート66と南北に米国大陸をまっすぐに分けるルート71、その交差点は「アメリカの交差点」と呼ぶに実に相応しい(よね?)当時 Boots Court Motel は、有名なジャスパー郡庁舎の素晴らしい景色を眺めることができ、世界中の多くの国々や米国からのトラベラーの宿泊所として人気を博してきた。過去9年間で4,800部屋も販売した実績を持つ。

ジャスパー郡庁舎(イラスト風)

Boot Court は、1939年に Arthur Boots 氏によって建てられた。とても有名な話だが、当時きっての人気俳優であった Clark Gable 氏はオハイオ州の出身で彼がクロスカントリーをする旅では何度もここに宿泊。彼の宿泊した6号室は現在「Clark Gable Room」となって一番予約が取り難い部屋でもある。Boots Court は1950年代に Boots Motel と改名される。

Boots Motel はその後景気の悪さから当時の所有者が地元の開発者に売却、その跡地には「Walgreen」ができるだろう等の噂が飛び交っていたのだが、同州ルート66アソシエーションやマザーロードを愛する支援者のおかげでその計画は頓挫。

悪さを理由に所有者が地元の開発者に売却したため、倒壊する寸前でした。モーテルはウォルグリーンのために破壊されるだろうという憶測が横行しました。しかし、ミズーリ州ルート66アソシエーション、マザーロードの友、その他の保護活動家からの抗議は、開発者たちを怖がらせた。

現オーナーである(先月のブログでも紹介した)Debye Harvey さんと、Priscilla Bledsaw さんは、この歴史的なモーテルをその最盛期でもあった 1940年代のスタイルに戻すため、2011年にプロパティを購入し、翌年2012年よりビジネスを再開、それ以来ずっと惜しみない愛情と努力を注いできた。現在モーテルの部屋数は13にまで増えているが、宿泊として利用できるのはそのうち「8」、残りは修復中だ。
私が Debyeさんや Debbie Dee と知り合ってからまだ僅か数年だが、彼女たちの本当にやさしい、Hospitality に溢れた人柄と物腰にはいつも頭が下がる思いでいっぱいだった。
「1040年代のスタイルに戻す」ため、このモーテルにはテレビはない。が、各部屋にクラッシックなラジオが必ず1台置いてあるのみだ。

私の趣味はスポーツ。それも熱狂的なスポーツファンだ。必ずみるTV番組は ESPN。これさえあれば他は要らないぐらいの勢いである。旅行の滞在先の宿泊部屋でチェックインすると同時にまず ESPN のチャンネルを点けるため、昔家内に「いつもそれだからどこにいるのか分からない!」とキレられたこともある(汗)
そんな私は最初に訪れた際にそんなこととはツユ知らず、真っ青になったことを今でも憶えているが、実際にない経験をしてみるとそれはそれで色々なことに気付かされる。
Boots Court Motel での夜。それはTVからもネットからも解放され、自分の時間をゆっくりと過ごすことができるのだ。

そろそろ話を元に戻そう。メディアの記事によればこの売却の理由がどうしてもコロナ禍が理由に見られてしまうらしいが、実はそうではなく、コロナ禍は最終的に結論を促された最後の背中ひと押しだとのことだ。もうだいぶ年齢的にキツくなってきたこともあり、引退=売却の図式は少し前からあったようで、彼女らの家族とも相談した結果それが最善だとの結論に達したそうだ。

残念ながらこのような事は Boots Court Motel だけが抱える問題ではない。ルート66 全体に起こっていることでもあるのだ。現行の移動規制がが解除され、また私たちが自由に旅ができるようになる近い将来、その景色は全く異なるものになっている可能性も否定できない。

幸い売却が済んだとしても彼女らはカ―セイジの街から出ていくことjはないそうだ。そこは正直心の底から安堵した。

今年の旅行をキャンセルした多くの人たちはこう言う。
「来年必ずまた会おう」
何度も書くがルート66 は一つの大きな家族だ。
私もこのコミュニティに出会って、受け入れてもらって、実に沢山の素晴らしい時間を過ごした。出会った人々は素晴らしい人達で、彼らとルート66 の話をし、古いルート66 の経験を聞き、そして勉強する。そしてそれらを次の若い世代に伝えていく。

Debbie Dee、Debye、そして Priscilla 、それに彼女らと一緒に多くの時間と財力を投げ打った Rod には心からお礼と「お疲れ様」と言いたい。新しくオーナーになる方が、ルート66に同じ情熱と愛情を注いでくれることを願って。

2,200万円かぁ。パッと出せるほど貯蓄があったらなぁ。

モーテルのネオンを灯りに夜通し歓談する愛好家たち

週刊NY生活月イチ連載 SEASON 3: Vol.10 ルート66各地のイベント2020

毎月恒例の寄稿「魅惑の旧街道ルート66をフォーカス」SEASON 3、第10回目(01月号)は、2020年、ルート66の沿道各地で開催されるイベントをご紹介。今年の旅行計画の参考にしてください!
もちろん紙上で全ては語れませんので、ネットでググって自分に合うイベントを見つけて、是非その「空気」に触れてみましょう!

詳細は週刊NY生活ウェブサイト ⇩ まで (11ページです)
https://nyseikatsu.com/editions/756/pdf/page11.pdf

アルバカーキでの一大ビジターセンター計画

地元ニュースで取り上げられた建設地域の映像

ニューメキシコ州、アルバカーキ市議会は先週、「ルート66ビジターセンター」用の費用を含む、スポーツ観光パッケージを承認した。
これは総額約3,000万ドル(約31億円)のパッケージで、その内、ルート66ビジターセンターには250万ドル(約2億7千万円)ほどが含まれるようだ。
ビジターセンターにかかるコストは過去3年間で、340万ドル(約3億6千万円)から1,290万ドル(約14億円)まで急激に増大した。
それは当初の予定にタップルーム、博物館、ドライブインシアター、さてはカンファレンスホールまで追加設置し、一大センターとしての利用価値を上げようとするものだ。

下記は同市議会会議で、総額1,300万ドルを投入して建造しようとしているビジターセンター計画のプレゼンテーションが行われている映像だ。
開始より14分ほどの所から約12分間に渡ってプレゼンテーションが行われているので、興味のある方は是非ご覧になって頂きたい。

地元媒体である、アルバカーキ・ジャーナルは、ティム・ケラー市長先導で提案された観光パッケージは、地元のグレーター・アルバカーキ・ホテル・アンド・ロッジング協会からの積極的な賛成が得られないにもかかわらず、承認プロセスは問題なく進んだと報道。市と債権財務担当者は、市場は活況のため、迅速な債権販売を進めたかったのだろうと読んでいる。

そもそも2016年12月に同州参議院議員である、クラリッサ・ペーニャ女史によってこのルート66ビジターセンターを建造することの重要性が提案され、同センターはコミュニティにとって重要な案件であると提起され続けてきた。ペーニャ女史の言葉を借りれば、同センターは地域経済の活性を推進する大きな力となり、人々が誇りを持つことができるものになる、ということだ。
先に挙げたように、このプロジェクトの費用は約1,300万ドルと予測されており、市は300万ドル(約3.1億円)を割り当て、今年11月の投票の一般債務債において、さらに100万ドル(約1.1億円)を見込んでいるようだ。
今後の動向に注視したい。

モーテルを買うタイミングは未だ遠い?

Photo from Route 66 News

残念な話だけどルート66では、毎年幾つかのモーテル、ダイナー、そしてお土産屋さん、が閉店となる。理由はオーナーの高齢化、または健康上の問題、それに伴う後継ぎがいない、さらには不況が原因であったり、様々だ。
ルート66の素晴らしい文化と後世に残したい、と日々大なり小なり努力をする仲間たちにもとても心の痛い話題なんだよね、こういう「現実」は。
かく言う私はホテルマンの端くれとして、いつかはこのルート66上でモーテルを再生経営したいと機会があれば言っている。
もっと言えば、その「正しい」タイミングが来る時に向かって各ホテルで経験を積みながら資金を作っているところだ。

昨年のことだけど、ミズーリ州サリヴァンにある「Shamrock Court Motel」もオーナーが売却に舵を取った。現在のオーナーはシカゴ出身の Weiland 兄弟だが、ある程度のメンテナンスはしているものの、宿泊として販売するレベルではなくここ10年以上空き家になっているものだ。

所説あるものの、Shamrock Court Motel は1945年、イタリアからの移民石工である Berti 氏によって作られたらしい。47年、または48年という記録もあるけど、まあそこはどっちでも(笑)

写真を見てもらえるとわかるように、その歴史はもとより、建築も非常に美しく目を引くよね。昔の盛況時のポストカードも披露しちゃいます。
実際、このモーテルが売りに出てから直ぐに購入を希望する人から連絡があったらしいけど、その人物、何と建物を壊したいと申し出たそうだ。何という大バカ者!もちろんオーナーは NO と言って断ったらしいが、こういうルート66の歴史と意義をわかっていない金だけ持っている輩が最近増えているのも頭の痛い現実なのだ。

でもね、売却希望金額は125,000ドルなんだって。日本円で約1,400万円ぐらいかな。東京で住宅を買うことを考えると破格に安い。
このくらいなら私が!と正直思うところもあるんだけど、やっぱりサリヴァンという場所がネックだ。。。
この地域のモーテルといえば「Wagon Wheel」と、実際私のブログでも紹介している素晴らしいモーテルがわずか18マイル(約29キロ)先にあるのだ。
車で走れば所詮20分程度だ。繁忙期はお客をスプリットできそうだけど、それ以外の時期はどうかな~、悩むな~。

Terri & Sprague Super Station の壮大なプロジェクト


皆さんはイリノイ州ノーマル (Normal)、という街の名前を聞いたことがあるだろうか。ノーマルはイリノイ州のほぼ真ん中あたりに位置し、通常近郊のブルーミントン (Bloomington) と一緒に「ブルーミントン・ノーマル・メトロポリタン地域」等と呼ばれたりするが、ノーマル単体では人口約55,000人程の小さな街だ。かく偉そうに語る私も実はルート66を走り始めるまで勿論聞いたこともなかった。
ノーマルはシカゴから140マイル(約224キロ)、車で2時間ほどルート66を南に向かったところにある。街で最も有名なものは州の公立大学としては最古のイリノイ州立大学のメインキャンパスがあることで、街のほとんどの人達がこの大学か、ステートファームまたはカントリーフィナンシャル(ともに保険会社)で働いているとうから驚きだ。
そんなノーマルには昔から素晴らしい歴史的建造物がある。1931年、ウィリアム・スプラーグ氏によって建てられたチューダー建築様式のガソリンスタンド「スプラーグ・スーパーサービス・ステーション」だ。これはルート66に現存する僅か3か所の建物中最も大きな2階建てもので、当時は一階がステーションとカフェ、二階はオーナーと従業員がクラスアパートだったそうだ。

The Station in 1966

ガソリンスタンドはルート66の発展と共に繁盛し、1940年代~60年代はその頂点を極めたが、高速道路の発展により徐々に衰退。1971年に最後の給油販売をし閉店。1979年にはガスポンプ自体が撤去されたと記述が残っている。その後この場所は溶接会社、ボイラー会社、レンタカー会社と姿かたちを変えて残るが、そこに颯爽と登場したのが本日の主人公、テリー・リバーン女史である。
イリノイ州立大の講師であり、かつルート66の歴史家でもあるテリーは夫のウィリアム・サンダース氏(2011年他界)と共に2006年、22万ドル(約2400万円)の資金でこのステーションを購入、歴史的建造物復活への第一歩を踏むこととなる。

Terri Ryburn 女史

テリーの構想はこのステーションを多角化してルート66の発展に役立てることで、インフォメーション・センター、カフェ、ダイナー、ソーダ・ファウンテン、ベッド&ブレックファスト、イベントスペースとしての将来的計画を持つ。聞くところによると総額120万ドル(約1億5千万)相当の野心的なプロジェクトだそうだ。
この「完全なる修復」プラスアルファのプロジェクトは、オーナー自身からの更なるポケットマネーや、市や街、そして国立公園サービス(政府)からの助成金を始め、マッチンググラントや各州ルート66アソシエーション団体からの寄付金等、多くのルート66を愛する者達からの支援する気持ちで成り立っている。こんなところはいかにも「ルート66は一つの大きなファミリー」のコンセプトが体現されている。

そして2017年8月、スプラーグ・スーパーサービス・ステーションは万感の想いを乗せて再開した。昨年より仕事の都合でルート66よりかなり遠い場所に住んでいるため開店日には行けなかったが、それから1年経った今年、やっと念願かなっての訪問となった。もちろんまだ観光センター+お土産屋+イベントスペースの部分しか完成していないが、今後少しずつ確実にプロジェクトを進めて行くことだろう。

知ったかぶりにずらずらと書いてきたが、今回の訪問時にテリーさん本人に話してもらったことだ(笑)優しい笑顔と暖かい人柄に加え、亡き夫との夢に向かって進むテリーさんからは芯の真っすぐ通った強い意志も同時に感じることができた。とても貴重で有意義な時間だったことは言うまでもない。

最後になったけど、スプラーグ・スーパーサービス・ステーションは、2008年4月25日、国家歴史登録財に指定され、翌年2009年にイリノイ州名誉勲章殿堂協会にも選出、そして2011年8月15日には地元の歴史的ランドマークとして指定されている。

Sprague Super Station – Ryburn Place
http://www.ryburnplace.com/
305 Pine Street, Normal, IL 61761

Baxter Springs の再開発

全長2,448マイル(約3,980キロ)に及ぶ道の長さの中で、僅か13マイル(約21キロ)しかないカンザス州ルート66。しかしながらその全体の0.01%にすら満たない13マイルの中には見どころも多く、私の大好きなパートでもあるのだ。
カンザス・ルート66を代表するものは何か?と聞かれればガレナにある Cars On the Route や、リヴァ―トンのグローサリーストアを想像することが多いと思うけど、今日は伏兵(と言ったら失礼千万w)?バクスター・スプリングスの街をご紹介したい。と言うのも、ここ数日、新しい「街復興」のニュースが飛び込んできたからだ。

バクスター・スプリングスはその街名の通りミネラルや亜鉛が出て、当時の原住民にとって夏のキャンプ場でもあったらしいのだが、それに目を付けた John J. Baxter 氏が160エーカーの土地で宿場と雑貨屋を1853年に始めたことから街の歴史は動いている。土地柄数々の紛争へ経て、1868年にバクスター・スプリングスという名前になり、当時需要の高かった牛肉の輸送鉄道の北部への中継地点として街は飛躍的な発展をした。しかし時代の流れと共に鉱業に頼っていた経済は衰退し、今ではメインストリートも少し寂しいものになってしまった。

そんな中聞こえてきたのが、街近辺、オクラホマ州マイアマ―に拠点を置く非営利法人「Decades of Wheels」の代表、David Hickmott 氏の発案、街のメイン通り、ミリタリーアベニュー(ルート66)の1100ブロックの西側で大規模な街の再開発の計画だ。そこでは車博物館、ゴーカート・トラック、地ビール工場、そしてレストランやバーを展開するという。博物館「Decades of Wheels」では常時30台程度の映画に出てくる著名車を中心に展示、さらにそれらを定期的に入れ替えをすることでリピーターを作ることも忘れていない。エリアはいつもライブミュージックやレストラン、子供向けのアトラクションも設け、カンザス・ルート66が多くの観光客を集められるよう「家族で過ごせる場所」の提供に尽力するそうだ。

開店は今年の10月13日(土)、秋のルート66旅はカンザス州を目指したいね!
公式ページはこちら ⇩
https://www.decadesofwheels.com/

バクスター・スプリングスのメイン通りいには現在は閉鎖されているカフェ、著名なレストラン「Angels on the Route」を始め、薬局、質屋、そしてお土産屋さんが細々と営業しているのみ。ただ、最近再開店したリッツ劇場のオーナーさんはこの再開発にただ一人反対中と聞く。素晴らしい計画だけに一日も早く和解して、皆で同じ方向に向いて発展して行って欲しいね!

 

 

ジョプリンにベースボールが帰ってくる!


何と嬉しいニュースだろうか。ジョプリンの街にベースボールが帰ってくる!
やったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。Yes! Yes! Yes!

赤字経営に加え将来のプランに関して中々合意できないジョプリン市と球団オーナーのガブリエル・スアレス氏の不和によって球団移転の噂話が起こったのが2016年9月。結果的にその溝は埋まらず、ブラスターズ側からの支払も滞ったことで、球団は消滅し、ジョプリン市はチームを失うだけでなく、改装中の本拠地であったジョー・ベッカー・スタジアムの負債をも背負うことになった。
*ブラスターズにまつわるお話は、3月31日付けのブログを参照:http://www.toshi66.com/2017-03-31/

その後話は法廷へと持ち込まれることになったが、そんな暗い話が続く中、サウスウェスト独立リーグの一員としてジョプリンの街は球団を誘致。ホーム、アウェイをそれぞれ56試合づつ合計112試合を戦うリーグ戦が2019年春より始まるそうだ。
現在予定されている参加チームは、テキサス州ウェイコが本拠地のブルーキャッツ、そして同州ロイスシティのグリフィンズだが、更に3球団追加されて合計6球団になる予定だ(7月1日までに決まるとのこと)
http://www.swlbaseball.com/teams/

Ballpark Digest社の発表によれば、ジョプリンの新球団名は700件以上の応募から選ばれたマイナーズとなったが、実はルート66に因み、66ERSも検討されていたらしい。結果その名前は選ばれなかったが、ルート66は確実にチームのロゴに繁栄されている。


そんなこと知らないよ!と一笑されるかもしれないが、米国野球マイナーリーグの歴史を紐解けばジョプリン・マイナーズというチームは1902年~1954年の49年間存在した。しかも!驚くべきことにその後NYヤンキースでスーパースターとなり殿堂入りも果たした、ミッキー・マントル氏がプレイしたことでも知られているのだ。1950年のシーズンにミッキーは特大のホームランを量産し、チームの上部組織であるヤンキースに引っ張り上げられた。こう書くと少しは興味を持ってくれる方もいるのでは?(笑)


今回球団名に決まったマイナーズ(地域が長らく鉛、亜鉛鉱業として発展した街の歴史を反映)を提案したリー・アン・ケラーさんはチームから生涯有効のシーズン・チケットを獲得し、テキサス州デントンのアラン・ビームス氏はジョプリンの街とルート66との長い歴史関係を考慮したルート66のシールドをロゴの一部にする素晴らしいデザインを完成させた。

来年のシーズン開幕が待ちきれないのと同時に、こんどこそジョー・ベッカー・スタジアムで思う存分ジョプリンの応援をしたい。

ルート66、アルバカーキーの興隆


私が最初にアルバカーキを訪れたのが1996年なので、あれから22年が経つ。2010年にご縁あってニューメキシコ州に住むことになってそれ以来は頻繁に同街と係ることになったが、ここ1、2年、急速にアルバカーキ(ルート66を含め)が「進化」している感じがする。それによってニューメキシコの良いところを失って欲しくないのが本心だが、いやはやもう住人でない輩の意見なんぞ聞かないよ、というのが地元の人達の意見だろうか(笑)
その使い勝手の良さからアルバカーキ空港は全米でも最もお気に入りの空港の一つだし、この街に着くなりここ何年も先ず食べるのはチリバーガーだ。その手のニッチな話は置いておき、今回は短時間だけど街の進化を体感したお話を少し。


“Beep, beep”の音で素早く走るロードランナーは、皆さんもアメリカの漫画から良くご存知と思うが、カッコウ科の鳥で北米大陸南部のユッカの花が咲く乾燥した砂漠地帯に多く生息しているらしい。私が初めてそれを見たのは確か1992年頃テキサス州ヒューストン郊外だった。 事典によると時速30キロ近くの速さで走ることが出来るらしいが、そのロードランナーをモチーフにしたものがニューメキシコには多い。アルバカーキ~サンタフェを結ぶ鉄道は「レイル・ランナー」と呼ばれるが、その車体には大きくこのロードランナーが描かれている。2年前ほどだろうか、アルバカーキ・ルート66が進化を掲げてこのロードランナーを用いて新しい街の象徴(ロゴ)を作成。賛否両論あったが、私は結構気に入っているのだ。


いつも通りチリバーガーを食べた後、街の中心を東西に走る Central Avenue(ルート66)をクルージング。おっと!いきなり見たことないオブジェが登場。
いつ造ったんだろうか、聞いてないぞ(笑)

そして見えてきたのは ART の駅。


ART:Albuquerque Rapid Transit、の導入は2016年に物入りで州議会を通過、当初その建設にあたっては 119億円必要(その後134億に増加)とあって、補助金で75%程度は確保できたものの、残りはどのように費用を捻出するのかで相当な議論を呼んだ。ART は約9マイル(約14キロ)に渡って専用バスをセントラル大通りに通す公共交通機関だ。あれから2年、駅とその専用道路の舗装はほぼ終わったものの、バスそのものは未だ運行していないようだ。ART のホームページでもまだまだ課題は山積みの模様。今後の動向に注視したい。

そういう言っている間にインターステート40号線と25号線の交差するダウンタウンの中心を超え、オールド・アルバカーキを渡ると以前はぐっと寂しかった地区になるのだが、何とここにもバーや、レストラン、クラブに映画館と、オールドタウンからも簡単にアクセスできるウェストサイドの賑わいも出来ていた。車を運転している都合上写真は撮れなかったが、⇩ のような街頭サインも誕生し、その「進化」を主張しているようにみえた。

セントラル大通り(ルート66)を更に西へ走るとアルバカーキの誇る3大モーテル、”Monterey Motel”、 “El Don Motel”、そして “El Vado Motel”が順に現れる。
ルート66が全盛だったころのポストカード(⇩)からも当時の素敵な雰囲気は充分伝わってくるが、さすがに近年はいわゆる「モーテル」の域は出ない。

モンテレイはモーテルと言うより短期間アパート的なものに姿を変え、エル・ドンも営業はしているものの、かつての華やかさは無い。エル・ヴァドに至っては2005年に営業が終了して以来、廃墟への道を辿っていた。

(2015年撮影)

そんなエル・ヴァドが 18億円の新プロジェクトにて、ブティックホテルとして甦る、と聞いたのが数年前のことだ。前オーナーが2005年に辞めた後、新しい所有者ゴンザレス氏は、モーテルの建物を一掃して高級タウンハウスを建造すると明言。市やルート66保存団体は当然の如く反対意見を表明、その建物とエリアを封鎖し数年に渡って交渉に臨んできたという経緯がある。
当初は今年2018年に再開業する予定だったが、そんなのは米国では良くある「予定外の理由」で遅延。当然今は一生懸命開業に向かって頑張っているだろうと想像し、今回はここに寄ってみることを当初から一つの楽しみにしていたのだ。
結果はこんな感じ!

働いている人達に話を聞くと、正面ロビーにはタップルームと呼ばれるビールの飲めるバーを地元のビール製造会社を入れてオープンさせ、もちろんモーテルを基本に、レストランやその他のショップ等もコンプレックス内に開業予定だそうだ。
つい先日のニュースでも5月上旬のオープンを目指しているとのことだ。
この夏、アルバカーキへ行く予定のある人は是非宿泊して頂きたい。
因みにエル・ヴァド・モーテルは1937年、アイリッシュ系移民のマーフィー氏によって開業、1993年には米国国家歴史登録財に認定されている。

話の順序が逆になってしまったけど、今回このエル・ヴァドの進展を見てみようと思ったのは実は理由がある。ルート66の大先輩でもあり敬愛する花村氏のSNS発信に始まる。私が渡米する直前、花村氏は東京某所で以前エル・ヴァド・モーテルのオーナーであった Ali Hakam氏と1991年に撮った写真を上げ、その上で当時幼かった息子さん(今では立派な大人)は今お仕事で日本に在住しており、彼との再会を楽しむポストを掲載されているのだ。それを見た瞬間、エル・ヴァドのことを思い出して「あ、行ってみてこなきゃ」って思った。

(写真:花村氏のSNSより転載)

当初は行く予定でなかったのだが、これによって(この方向に走ることによって)先日ブログに書いたサンフィデルの出会いも生まれた。
近々この息子さん、Karim Zaher Leif Hakam 氏も紹介してくれると花村氏は言う。どんなお話が聞けるのか、今から楽しみでたまらない。


アルバカーキから西へ向かうルート66

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