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廃墟、ジェリコの侘と寂


「ジェリコ・ギャップの呪われた秘密」‐ これは私の敬愛する花村広氏の出版した「ルート66再び:時空を超えるオールドハイウェイの旅」の中の一章である。花村氏はルート66に関して日本でもパイオニアであり、その知識と経験は第一人者と呼ぶに相応しい素敵な人物だ。その著書を初めて読んだその時からジェリコ、”Jericho Gap” という名前と興味が頭の中から消えたことがなく、その後初めて訪れることが出来た時は何もないテキサス州の大荒地の中、気温摂氏45度の下で何時間にも渡ってその空気を感じていたことを憶えている。


現在ジェリコという街は既に存在しない。その昔アランリードという街から西へ約12マイル、そして更にそこから南へ2マイル程行ったところにこの街はあった。ジェリコのコミュニティが形成されたのは1870年代後半あたりまで遡るらしい。ジェリコは、入植者とインディアンの血生臭い抗争や、1894年のマラリアの大量発生によって多くの住人が亡くなった歴史を経て、ルート66の開通と共に1930年代に栄える。が、1955年あたりには郵便局を維持するだけの人口がいなくなり、その後消えた。
花村氏の書中にもあるように、このジェリコを有名(悪名)にした主な理由は「Jericho Gap」と呼ばれる天災のもたらす道路状況だった。一旦雨が降ると黒泥泥に変わり、旅行者は必ずと言っていいほど足止めをくらい、何日もその街での待機を余儀なくされた。当然街にはお金が舞い降りる。もし無理をして進もうとするのなら、泥に足を取られ完全に立ちゆかない状況に。伝説によれば 近くの農家は、旅行者の足を引っ張るため夜間に水をまき、収入源を伸ばすために泥を作ったのだとか。


実は今でもこの史実は変わっておらず、毎年何人かは車のタイヤが完全に動かなくなり、高額な謝礼をふっかけられる犠牲者もいると聞く。
だから私もここに行く時は必ず四輪駆動車と決めているのだ。

花村氏はこのジェリコ・ギャップの話をクラーク・ゲーブル主演の映画「或る夜の出来事」、旧約聖書「ジョシュア記」さらにはヨルダン河の古代都市ジェリコなどと上手に話をシンクロさせながら更に興味深い考察をしてくれる。この僅か6ページのファンタジーが私をテキサス・パンハンドルの辺境地まで導いてくれた。

花村広 著:ルート66再び(徳間書店)

街の入り口というか、交差点というか、に立っている「ジェリコ墓地:1894年設立」の看板は比較的新しいものだが、どこか妙に惹かれるものがある。
その墓地は看板のあるそこにあるのではなく、どこにあるのかは今の今でも分かっていないままらしい。

2017年初夏、数年ぶりにまた廃墟、ジェリコを訪れた。何と言うことか!無数の風力発電機が造られ、ゆっくりと、ゆっくりと灼熱の下回っていた。
荒野の辺境地の、あの「侘、寂」はもう帰ってこない。

 

 

西へ進むよ、日曜日。


夢心地の宴から一夜が明けた朝は絵に描いたような快晴となる。これこそルート66に相応しい。晴れ男の異名、回復の朝だ(笑)
何度も通っているオクラホマシティ内最大の湖、オーバーホルスター湖を左手に見ながら橋を渡る。インターステート40号線の北側をほぼ並走するルート66をゆっくり走る。冷たい風が気持ち良い。

Yukon、El Reno、と街を越えるともうすぐ今日の第一目的地、ポニーブリッジだ。ポニーブリッジがあるのは Bridgeport という街だが、ここは特筆する観光スポットは無い。ほぼゴーストタウンと言っても差支えないかもしれない。前述した街々も決して大きくないので、足早にインターステートを通ってテキサスに急いだのならこの橋にお目にかかることはないのだ。
ポニーブリッジはカナディアン河にかかる橋で、全長約4000フィート、38個のトラスが使われており、1933年7月1日に完成した。映画「怒りの葡萄」の中にも登場している。
今日は日曜日の早朝、当然ルート66を走るものは殆どいない。誰ともすれ違わないし、追い抜かれも追い越しもしない。(やっとこの橋ですれ違うことが出来たんだけど)だからラジオステーションを大好きなカントリーミュージックに合わせのんびり横断してみる。

橋を渡った後は Hinton の街を抜け、西へ向かって更に E1020 Road を走る。E1020 Roadとはこの区画上でのルート66の別称だ。特に民家も多くのないこのあたり一帯では東西に走る道は「E」、南北に走る道は「N」を冠した道番号となっている。Hinton を抜けて更に10マイル強走るとそこは Hydro の街。E1020 Roadは限りなくインターステートに近づき並走する。Hydro の街には郵便局、教会、薬局、そしてピザ屋さんと、必要最低限のものしかない。ただその小さな街をルート66上でも極めて有名なスポットに変えたのが Lucille’s Service Station。1929年に建てられた古典的なガソリンスタンドで、1941年ハモンズ一家が運営を引き継ぎ、ルート66史上に残る「マザーロードの母」と呼ばれて親しまれたルシールさんは彼女が亡くなる2000年まで、約60年に渡って多くの旅人と接してきた。
私も1993年以来何度か通ったが、残念なことにまだネットもSNSも確立していなかった頃。ついぞ彼女に会うことは出来なかったのがとても残念だ。

ちゃっかり貼らせて貰っている、日本ルート66協会のステッカーの有無を確認し、先を急ぐ(笑)

オクラホマ州ベッカム郡セイヤー。聞いたことがある人は殆どいないはずだ。実際私も初めて訪れた時まで聞いたことすらなかった。当時は人口3000人ほどの街だったが、最近の国勢調査では4500人程度まで増加しているらしい。凄まじい伸びではなかろうか。セイヤーの街を一番有名にしているのがベッカム郡の郡裁判所。

こう見えても?郡都なのである。
ドーム型のデザインが施されている裁判所はオクラホマ州全域を見渡しても数カ所しかない稀有なものなのだ。観光スポットとして有名な Owl Drug Store のあるダウンタウンの交差点を見ていると、とてもそんな人口にいる街には思えない。日曜日の力は偉大だ。


ルート66に興味のない人にとっては多分一回訪れたら二回目はないような場所だ。いや、訂正、一回すら来ないかもしれない。
でもなぜかこの街の持つ独特な空気感、ゆったりと包み込むような雰囲気が私は好きだ。訪れる度に座ってゆっくり眺める「マイスポット」もそのまま、暫く妄想にふける時間が過ぎた。
おっと、今日はアマリロあたりまで出来たら行かないとマズい。そんなばかりはしていられない、とオクラホマ州最後の街へ向かうべく重い腰をあげた。


そうそう、一つ忘れてた。この Owl Drug Store 跡、きれいなオレンジ色の Rexall の文字が魅力的なんだけど、何とこれと同じ看板で現在も元気に営業しているお店が、自身の住む街サンフランシスコにあったのだ!
あまりの感動に写真を撮りまくっていたが、傍から見ればただの薬局。変な奴とばかりにジロジロ見られたことが記憶に新しい(笑)

 

 

Fermosa Cafe とハリウッド映画


最近つとに人気のある映画「La La Land」、もう見た人は多いのでは?批判を覚悟で言えば、この手の映画は私の好みではないのでほぼ観ない予定なんだけど(汗)、ここに出てくる Cafe が何とカリフォルニア・ルート66では著名な “Formosa Cafe” だと聞いたので無視するわけにはいかない(笑)
Formosa Cafe は賞金稼ぎの Jimmy Bernstein 氏によって1925年に創業。その後パートナーを組んだ Lem Quon 氏が後を継ぎ、彼の孫 Vince Jung 氏に引き継がれた。聞いた話だけど何人かの従業員は40年、50年と働いていたらしい。
その Formosa Cafe、何と昨年クリスマスの直後に閉店してしまったというから、ルート66関係者は大慌て。閉店の理由は詳しく聞いていないんだけど、再開の目途はない模様。
但し!関係者をホッとさせたのはこの事実。実はこの建物は市の保存条例によって保護されているものの一つらしく(外装の殆どとネオンサインも含む)、建物の賃貸管理をする不動産会社は、向こう一年以内に長期契約をしてくれる顧客を探し、そのスペースを何等かの形で再開すると豪語しているとのこと。そう、建物は少なくとも残るわけだ!あー良かった。また一つランドマークが無くなるのかと冷や冷やしたよ。
Formosa Cafe が有名な理由はもう一つ(というか、これが一番かも)この場所の周りには大小多くの映画スタジオがあるので、俳優さんたちが撮影の合間なんかに寛ぎにに来ることで知られてるんです。古くには John Wayne、Elizabeth Taylor、Marlon Brando、Elvis Presley、Clark Gable 等多くの著名人の目撃記録が残っているらしく、今ではCher、Bono、そして Jack Nicholson さんが現れるとか現れないとか。(大きな声じゃ言えないけど)決して料理が格別美味しかったわけじゃないので、近年はそのようにハリウッドスターに会えるかも?で行くお客が多かったとも聞いてる。残念。

“La La Land” も良いですが、この Cafe、ロスアンゼルスではもう一つ超有名な映画に出てくる場所でもあるんです。分かります?そう、”LA Confidential” なんです。Kevin Spacey、Russell Crowe、Guy Pierce ら錚々たる名優さんたちが出てました。今ではスターとなった Russell Crowe は実はこれがハリウッドデビューだそうですよ!当時まだ若かった私も Kim Basinger の妖艶な魅力にクラックラしてたのを憶えています(笑)

では折角なのでその “LA Confidential” 、Cafe が出てくるシーンをご覧頂いて今日はおしまいです。

 

 

 

 

 

Save the Gasconade Bridge 経過報告


ちょっと前の話になってしまうけど、ミズーリ州へイゼルグリーン近郊のガスコナーデ橋存続に関して、昨年12月9日のポストで「14日に公聴会が開かれます」と、紹介させて貰った。それほど大きな貢献は出来ていないけど、自分自身も関わっている問題として、それがどのようになっているのかその後の流れを少し説明しようと思います。

MoDOT(ミズーリ州交通局)の発表している内容はこちら。(英文のみ)
http://www.modot.org/central/major_projects/Laclede.htm

前回ポストも書いたように「何もしない」というオプションを除けば、議題に上がっているのは全部で5つ。それら提示内容は上記ウェブサイトで見れるけど、簡単に要約すると:
②橋を改築、一般車両(普通トラックを含む)のみ通行可能とする。
予想費用は約USD$440万ドル。
③現存の橋を解体、同場所に新しく橋を建設する。
予想費用は約USD$430万ドル。
④現存の橋を解体、同場所に同じ形の橋を再建設する。
予想費用は約USD$550万ドル。
⑤現存の橋と、I-44の間に新しく橋を建設。現存のものは使用しない。
予想費用は約USD$412万ドル。
⑥I-44との逆側に新しい橋を建設。6マイルほどの迂回が必要になる。
予想費用は約USD$580万ドル。
という感じ。


住民側(特に保存を訴える団体)は、「取り壊しでなく修復」を根幹とした主張をしているので、それに応えるとなれば一番安価なオプション⑤より少なくともUSD$30万ドルは多くかかるわけ。そうなると、その後の人件費やメンテ費等も含めてより多くの出費を伴うことが予想されるから、MoDOTにとって最良の選択とはかけ離れていくのは明白。さらに MoDOT の文書に賛否両論の一部として記載されているように、例え修復された場合も依然として橋を通行にするにあたっては、車の高さと重さ制限の問題は残るわけで。。。
つまり住民の使用する大型農業機械は通れないし、I-44 で事故が起こった場合の迂回道路としての役割も果たすことはできないんだよね。
うーん頭が痛い。

今月中旬までは多方面からの様々な意見を聞く姿勢を見せてくれているから、一人でも多くの人が「建設的な」意見を MoDOT に送付してくれることを願うのみ。
年末には予算に関する審議会も開かれたようなので、その点もまたお伝えします!

Save The Gasconade Rally by David Schwartz

Route 66: America’s Lost Highway Turns 90 by WSJ

あの、Wall Street Journal までがルート66、90周年を記念してショートビデオを制作しています。
内容は英語ですが、興味のある方はご覧ください。

http://on.wsj.com/2g17J00

California Route 66 & Joshua Tree N.P.:その②

感謝祭当日は一部のスーパーやカフェを除き、ほぼどこも空いていないのでルート66を散策することに。カホンパスまで下ってみようとも思ったけど、昼食をできれば Emma Jean’s で食べたかったのでとにかくヴィクタービルまで。
だけど着いた時は既に午後3時近く。うーん、やっぱり出るのが少し遅かったな。
とは言え、今日営業していたかどうかは定かではないけどね。
これ 👇 前回食べたときのハンバーガー。なかなか美味しんだよ。

気を取り直し?閉まっていると分かっていながらルート66博物館へ。ここはルート66アソシエーション日本でもお世話になっているところ。基本毎週日曜日には友人の Delvin がボランティアで来客を案内しているので、もし日曜に
行くことがある方は、トシの友人だ!って言ってみてください(笑)
取りあえず愛車とともに、彼に見せる証拠写真を一枚。

vicmuseum1124
さて、ヴィクタービルから北へ延びる National Trails Hwy、ルート66号線。こういう道を走っていくんだけど、多分、多くの日本の方にはルート66のイメージってこういうんじゃないのかな、と思ったり。やっぱりカリフォルニアやアリゾナは日本人観光客にはきっと馴染みやすいし、荒野っていうのか西部劇っていうのか、そんなイメージだよね。途中で列車なんか走ってくると「鉄キチ」でなくともテンション上がる。

nationalhwy

そうこうしていると出てくるのが Oro Grande の街。ちょっと前に写真だけFBアカウントにも掲げたけど、結構いつもそれなりに人がいるんだよね。ピザ屋さん、それなりに人気あるし、この壁絵の前もいつも100%何等かの車が停まってる。でもさすがに今日ばかりは誰もいないね。ほんと、だーれもいなかった。得した気分。

Oro Grande の街を抜けて約7マイルぐらい走ると出てくるのが、この奇妙な?Elmer’s Bottle Tree Ranch。カリフォルニア・ルート66 ではトップ3を争う観光スポット。所有者はこのボトルを使った多くの傑作を生み出す Elmer Long 氏。彼のお父さんと一緒に旅した幼少時代からの収集品を溶接したものだとか。着いたときの時刻はもう午後4時すぎ。何と夕陽の時間だ。これから5時には真っ暗になっちゃう冬の季節。どっか行くにもこの時間帯までが限度か。ってことでちょっと夕方の雰囲気になってます。

たまたま YouTubeでBottle Tree Ranch の歴史を語るご本人のビデオを発見したので貼ってみる。

Happy Birthday Route 66!

route66
1926年11月11日、全米ハイウェイ協会はシカゴ〜ロスアンゼルス間、2,448マイルの道程に初めて国道66号線の称号を与え、ルート66が誕生しました。
そう、ルート66は今年は誕生から90回目の誕生日を迎えます。
私がルート66と出会ったのが1986年、初めて旅をしたのは1996年。全て60周年、70周年、そして90周年と「節目」で様々な体験をしたことは今まで余り他言していません。何周年まで一緒に旅ができるのか、これからも益々楽しみです。

グロリエタの道標

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ペコス国定歴史公園を出るとサンタフェはもうすぐそこだ。どうしようかなどと悩んだが、サンタフェはやはり無視しては帰れない。サンタフェに行くに一番手っ取り早いのは来た道を戻ってインターステート25番線に帰る方法だけど、どうしても「確認」しないといけないものが一つある。「ここまで来たらグロリエタに寄らないといけない」と前回書いた。その理由がこれ、道標だ。
誰が置いたのか、いつからあるのか、よく知らない。
でも何年も前からこの近くを通る度に必ず確認しに来ては同じ写真を撮る。
何故かは自分でも分からないのだ。
こうやって特に何もない道の脇にひっそりと佇んでいる。

glorieta1
グロリエタは、南北戦争中のニューメキシコ作戦で非常に重要な意味を持った戦いの行われた場所。アメリカ連合国軍が、コロラド州の金鉱とカリフォルニア州の湾港を含む南西部地域での優位性を保つため、このニューメキシコ準州北部での一大軍事作戦を展開、多くの血が流れたらしい。もちろんこの道標がそんな昔からあるわけはないが、ひょっとしたら当時の亡霊さん達に呼ばれているのかな(笑)?

 

ペコス国定歴史公園

話を小旅行へと戻そう。いきなり余談だけど、さっき過去の記録を見たらこの小旅行の書き始めが今月初旬だった。たった3日間の話だけど、もう月末だ。。。
根気よく読んでくれる方、感謝です。

ラスベガスを出た後は、実はサンタフェに寄ろうか寄ろまいかでかなり悩んだ。でもここまで来たらグロリエッタに寄らないといけないし、結局285号線を下って行くからなあ、とサンタフェ方面へ進むことを選択。当初は全く予定になかったが、ならばということで Pecos National Historic Park (ペコス国定歴史公園)に立ち寄った。入場料はFREE。舗装された道を歩いて周るセルフツアーだ。

pecos2
この場所はペコスのアナサジ族の末裔と植民地支配を狙うスペインが出会った場所という設定。(事実だよ)公園パンフの情報によれば竪穴式住居の跡が確認されてるのは800年あたりで、1100年にもなるとネイティブ・アメリカンの伝統的な共同集落、「プエブロ式住居」が造られ始めたらしい。それから約300年後の1400年代中期には2000人もの人口を抱える大都市になったとか。
とはいえ、現代においては非常にゆっくりとした時間の流れる神秘的な空間だ。
サンタフェからも車で小1時間かかる場所にあるせいか、余り多くの他の観光客を見たことがない。
風の音、しか聞こえない孤独と静寂の狭間にいる、そんな感じかな。

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上写真の穴の部分は、KIVA(キヴァ)と呼ばれる集会場。アナサジ族が宗教的行事を行うときに集まる「地下室」だ。地上から見ると梯子が突き出ていて、地下は円形又は四角い部屋となっている。KIVAの床下は古い世界、内部は前の世界、そして梯子を登って出る外は新しい世界を表しているのだそうだ。下に入るとこんな感じ。
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そんな神聖な逸話満載の場所だが、歴史はいつも罪深い。ここも例外なく多くの血と涙は流されたようだ。永らくの間ネイティブアメリカンとスペインからの宣教師団体で戦闘が繰り返されてきたものの、1700年代前半に建てられた教会跡が残るように平和的な融和政策が基本になったらしい。
しかし1780年代になると、コマンチ族の襲撃や疫病の流行で街から忽然と人が消え、一気に廃墟となる。益々ミステリー感満載だね。
ニューメキシコ州には私たちが普段「アメリカ」で経験することと全く違うものが溢れている世界だ。まだ旅したことのない方は是非一度、体感して頂きたい。

 

SHOW ME 66: MAIN STREET THROUGH MISSOURI

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全部で8州にまたがっているリート66。その中でもミズーリ州は私の中でもトップランクの一つ、とは再三叫んできたけど、ミズーリ州歴史博物館が一年以上もかけて取り組んできた「SHOW ME 66: MAIN STREET THROUGH MISSOURI 」というドキュメンタリー映画が遂に完成。11月10日に同博物館内劇場で無料で公開され、その月末から数回に渡ってテレビやその他の劇場でも見られるらしい。
そこで今日はそのトレーラー映像を皆さんにお届けしましょう。
インタビューにはルート66界重鎮のマイケル・ウォリス氏を始め、私の愛すべき友人達、ジム・ロス氏、テッド・ドリュー氏、ジョー・ソンダーマン氏も登場します。

 

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