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4th of July

日本にやってきて丸っと3年。4度目の “July 4th” を異国で迎えることになった。Memorial Day、Thanksgiving と米国との繋がりを感じる年次イベントは少なくないけど、やはり7月4日は特別なものがある。

私は日本生まれの日本育ち、だ。もっと細かく言えば「逗子生まれの名古屋育ち」って感じか。ただ重要なのはその「育ち」ってとこだと思う。
この場合の育ちはあくまでも「教育を受けた」時期。
人間形成の根幹部分はこの時期に造られる、という人も多いけど、私にとって真の育ちは「社会に出てから」だと思っている。
その意味では人生の半分以上を過ごしている米国、取り分け「育ち」に関しては98%近く米国で「育ててもらった」自分としては、やはり7月4日は大きな意味を持つのだ。

ルート66を人生のテーマとしている自身には、元軍人、退役軍人を始めとする友人は多い。仕事上の知人も米国国防省、米国海軍、そして米国疾病予防管理センターや各州政府まで多岐に渡る。
彼らの誰からと、この3年間ほぼ毎日SNSを通じてやり取りをしていると、the Stars & Stripes とは切っても切れない縁を感じる。

ただ、今年の7月4日はいろいろな意味で今までとは異なる。言うまでもなく、コロナ禍の影響だ。
報道によればトランプ大統領は4日、新型コロナウイルスの戦いに取り組んできた医療従事者数百人を招き、独立記念日を祝う式典をホワイトハウスで開いた。そこでは、アメリカが新型コロナウイルスとの戦いで「素晴らしい勝利」を収めつつあると強調したという。そうは言うものの、前日3日の新規感染者は5万2300人と過去最多を記録したらしいし、亡くなった人達は13万人にも及ぶ。

感染者数は現在39州で増加しており、最近ではアラバマ、アラスカ、カンザス、ノースカロライナ、そしてサウスカロライナの、少なくとも5州が1日あたりの最多記録を更新したとNY Times も報道している。民主党の Joe Biden大統領候補は自身の Twitterで、「今年の7月4日に、みんなにできる最も愛国的な行動はマスクをつけることだ」と呼びかけた。

アメリカ独立記念日の関心事と言えばやはり「花火大会」だが、今年は多くの州市街村が中止を発表したが、自治体や個人レベルでは結構な花火が上がったとSNS上では動画が散見されていた。
ちょうど動画サイト Youtube にニューヨークのイーストリヴァーでの花火が上がっていたのでご紹介。

こんなこと言うと少々不謹慎かもしれないけど、個人的にはやっぱりMLBのオールスターゲームが中止になったことが結構打撃かな。夏の風物詩じゃないけど、オールスターウィークはアメリカはやはりベースボールの国だ、ということを再認識させてくれる一大イベントが無いのは寂しいよ。
調べたらオールスター戦の中止は第2次世界大戦以来初めてだそうだ。

ここで今更だけど「アメリカの独立記念日ってどんな日なの?」という方に簡単にご説明。独立記念日又は Independence Day は、米国では冒頭にも書いた “July 4th” または “4th of July” と呼ばれる、1776年にアメリカ独立宣言が公布されたことを記念して毎年7月4日に定められている米国の祝日なのだ(池上氏のような気分になってきた)アメリカを最も象徴する祝日であり、独立記念日の一週間は Thanksgiving や Christmas Holiday と並び全米が祝日モード一色になる。
今年2020年は、第244回目の誕生日のお祝い、ってわけだ。
でもここでアメリカの独立の経緯や歴史的考察をするつもりは全くないので、その辺りの詳しい話は Google 先生に聞いて欲しい(笑)
ただ、この国の歴史は、18世紀絶対王政の時代圧倒的権力を持っていた英国王政に「勇敢に立ち向かい」、多大な苦難を乗り越えて勝利=独立を「勝ち取った」という、いかにもアメリカらしいストーリーで歴史は始まったところが大きなポイントだろうか。

毎年この日には数年前に経験した宣誓、 Oath of Allegiance を一番強く思い返す。日本語に訳すと「忠誠の誓い」となり、日本人的感覚には少し重いものかもしれないが、内容はこうだ。
“I pledge allegiance to the Flag of the United States of America, and to the Republic for which it stands, one Nation under God, indivisible, with liberty and justice for all.”
このフレーズ、結構気に入ってたりするんだけど、ルート66の仲間であるオクラホマ州タルサの、Route 66 Alliance のリーダーである Ken Busby 氏が自身のSNSにポストした内容がとても心に刺さった。
いろんなことで毎日を100%楽しめていない中、ちょっと救われた気がした。以下、彼のポストより。

“America is a nation with a mission — and that mission comes from our most basic beliefs. We have no desire to dominate, no ambitions of empire. Our aim is a democratic peace — a peace founded upon the dignity and rights of every man and woman.” ~ George W. Bush

As this Independence Day comes to a close, I’ve been thinking a lot about events of the past several weeks – events that have shaken our nation to its very core.  We cannot correct past injustices with one speech or one program or one event.  All we can do is pledge to do better tomorrow than we did today.

We need to give each other grace when we fall short.  And we need to acknowledge that most of us are doing the best that we can, based on what we know and have experienced.

As Maya Angelou once noted, “I did then what I knew how to do. Now that I know better, I do better.”

Here’s to a better tomorrow for all of us!!

by Ken Busby at his Facebook on July 4, 2020

最後にネットで見つけた History Channel からの面白いトリビア。何とアメリカの「誕生日」は、同時に過去の何人かの大統領の「命日」なんだとか。 知らなかった!

幻のビジターセンター

バーストウからダゲットの交差点方面へ

ルート66に携わって以来結構な年月が経つけど、知らないことってまだまだあるなぁというお話。
もちろんそうは言っても私は歴史家でもツアーガイドでもなく、ルート66に存在する多くのエキスパートである友人知人から見れば、私の知識なんぞ小学生程度のものだ。毎度その歴史や背景に通じる仲間から多くのことを教えてもらうのが、楽しみなのは言うまでもない。

でも今日は「え?なぜ今まで見落としてた?」という大反省する出来事があったので自省を込めて書き記しておきたい。
ということで、今回の舞台はカリフォルア州ダゲット(Daggett)だ。

Route 66 News によれば、ダゲットのルート66沿いに建つ、「有名な」スキーロッジルーフハウスが修復されることになり、本来在ったビジターセンターとして復活するとのことだ。建物の正面には元々「WELCOME」と書かれていたそうで、今回の修復も同様に行われる予定だがそのスケジュール詳細はまだ決まっていないようだ。

同州ビクタービルにあるカリフォルニア・ルート66博物館で働く友人、Delvin も自身のFBで同様のニュースを先週載せていた。
この建物の通りを挟んで東にある、もう使われていないガソリンスタンドが1940年に出来た際に、「スキーロッジルーフハウス」は民間に売却されたそうだ。

カリフォルア州ダゲットの街は、同州ルート66の拠点バーストウより東へ僅か10マイル(約16キロ)に位置し、車で走ればものの15分かかるかかからない距離にある。さらにその先には例の「Bagdad Cafe」が建つ、ニューベリースプリングスの街がまたまた僅か16マイル(約26キロ)にある。バーストウで宿泊した際には朝飯を食べるにBagdad Cafeまで行くのが私の常套なため、ダゲットに立ち寄れる機会は限られていた、というのが「言い訳」だ(笑)。

ダゲットの人口は約230人。街の交差点から唯一目視で営業が確認できる食料雑貨店「デザート・マーケット」以外は歴史を感じるのみの静かな場所だ。ルート66を離れて北方向へ15分程度車を飛ばせば、Yermo という街にたどり着き、多くのファンが訪れる「Peggy Sue Old 50’s Diner」という著名なダイナーがある。

街の歴史は1880年代まで遡る。ダゲットの北にはそのエリアの鉱山から銀が採れることで一躍有名になった Calico という街があり、当時ダゲットを通過していたサザンパシフィック鉄道は「Calico Junction」という駅名を付けていたが、Calico の街との分別に紛らわしいことを理由に、街名を1883年当時の同州の政治家であった John Daggett 氏の名前から命名する。
その後サザンパシフィック鉄道は、このダゲットを東西運搬の基点の一つにする予定だったが、鉱山の影響もよって土地の価格が高騰、基点はバーストウへと移行して行くという歴史もあるのだ。

そんな哀しい?背景があるせいなのか、その事実を知った後の自身の勝手な想い込みかは知らないが、私はここの線路の真ん中に座ってじっと先の景色を見るのが好きだ。(良い子は真似しないように)
危ないと思う方も多いだろうが、実は今はもうそんなに頻繁に列車は通らない。通る時もかなり遠くの距離からけたたましいサイレンが鳴るので、事故に巻き込まれることは無いのだ。

話は脱線したが、そう。私は何度もここを通っていながら、この建物の存在を知らなかったのだ!このニュースを見たとき「え?どの建物の話?そんなのあったっけ?」と久しぶりに「狼狽えた」。最近ことの他、記憶には自信を無くしているが、それとこれとは別物である。
自慢じゃないが、シカゴからサンタモニカの全長2,347マイル(約3,755キロ)に及ぶルート66の道はターン・バイ・ターンに「ほぼ」説明できるのだ。(ターン・バイ・ターンの和訳が上手く付けられない、泣)

そこで、自身で撮った写真からダゲットの風景を探してみた。
おおおお、あるじゃないか。
その建物は撮っていないが、その横の旧印刷会社は何枚もレンズに収めている。興味が引かれなかったのか、見る目がないのか。
下記の写真、右端の赤丸部分に映っているのが確認できる!(笑)

次回ダゲットを訪れる時は徹底的に観察しようと思う。
それまでにはビジターセンターになっていて、いやでも目に着くようになっていることを祈って!

デザート・マーケット正面(イラスト風デザインで)

Boots Court Motel 売却へ

先月取り上げたコロナ禍の影響が遂にはっきりと形になってしまった。
先週地元のメディア、Joplin Globe でも取り上げられたように、ミズーリ州ルート66、カ―セイジの Boots Court Motel はオフィシャルに売りに出ることとなった。
Joplin 近郊の The Hunter Team という不動産屋が仲介に入っていて、売却希望価格はUS$210,000(約2,250万円)だそうだ。

ネオン取り付け前のモーテル(2015年)(イラスト風)

Boots Court Motel は1939年に設立され、元々はガソリンスタンドだったものを4つの部屋で構成する小さなモーテル(Court) として出発した。場所は高速道路、国道71号線と66号線の交差点。通称「Crossroads of America」と呼ばれるところだ。ルート66については今更ここで説明する必要はないと思うが、国道71号線も66に勝るとも劣らず、1926年に開通した南北1,500マイル(約2,500キロ)を結ぶ長い長い、歴史のある道である。北端はカナダと米国の国境である、ミネソタ州インターナショナルフォールズ、そして南端はルイジアナ州ポートバレとクロッツスプリングスの間だ。東西に走るルート66と南北に米国大陸をまっすぐに分けるルート71、その交差点は「アメリカの交差点」と呼ぶに実に相応しい(よね?)当時 Boots Court Motel は、有名なジャスパー郡庁舎の素晴らしい景色を眺めることができ、世界中の多くの国々や米国からのトラベラーの宿泊所として人気を博してきた。過去9年間で4,800部屋も販売した実績を持つ。

ジャスパー郡庁舎(イラスト風)

Boot Court は、1939年に Arthur Boots 氏によって建てられた。とても有名な話だが、当時きっての人気俳優であった Clark Gable 氏はオハイオ州の出身で彼がクロスカントリーをする旅では何度もここに宿泊。彼の宿泊した6号室は現在「Clark Gable Room」となって一番予約が取り難い部屋でもある。Boots Court は1950年代に Boots Motel と改名される。

Boots Motel はその後景気の悪さから当時の所有者が地元の開発者に売却、その跡地には「Walgreen」ができるだろう等の噂が飛び交っていたのだが、同州ルート66アソシエーションやマザーロードを愛する支援者のおかげでその計画は頓挫。

悪さを理由に所有者が地元の開発者に売却したため、倒壊する寸前でした。モーテルはウォルグリーンのために破壊されるだろうという憶測が横行しました。しかし、ミズーリ州ルート66アソシエーション、マザーロードの友、その他の保護活動家からの抗議は、開発者たちを怖がらせた。

現オーナーである(先月のブログでも紹介した)Debye Harvey さんと、Priscilla Bledsaw さんは、この歴史的なモーテルをその最盛期でもあった 1940年代のスタイルに戻すため、2011年にプロパティを購入し、翌年2012年よりビジネスを再開、それ以来ずっと惜しみない愛情と努力を注いできた。現在モーテルの部屋数は13にまで増えているが、宿泊として利用できるのはそのうち「8」、残りは修復中だ。
私が Debyeさんや Debbie Dee と知り合ってからまだ僅か数年だが、彼女たちの本当にやさしい、Hospitality に溢れた人柄と物腰にはいつも頭が下がる思いでいっぱいだった。
「1040年代のスタイルに戻す」ため、このモーテルにはテレビはない。が、各部屋にクラッシックなラジオが必ず1台置いてあるのみだ。

私の趣味はスポーツ。それも熱狂的なスポーツファンだ。必ずみるTV番組は ESPN。これさえあれば他は要らないぐらいの勢いである。旅行の滞在先の宿泊部屋でチェックインすると同時にまず ESPN のチャンネルを点けるため、昔家内に「いつもそれだからどこにいるのか分からない!」とキレられたこともある(汗)
そんな私は最初に訪れた際にそんなこととはツユ知らず、真っ青になったことを今でも憶えているが、実際にない経験をしてみるとそれはそれで色々なことに気付かされる。
Boots Court Motel での夜。それはTVからもネットからも解放され、自分の時間をゆっくりと過ごすことができるのだ。

そろそろ話を元に戻そう。メディアの記事によればこの売却の理由がどうしてもコロナ禍が理由に見られてしまうらしいが、実はそうではなく、コロナ禍は最終的に結論を促された最後の背中ひと押しだとのことだ。もうだいぶ年齢的にキツくなってきたこともあり、引退=売却の図式は少し前からあったようで、彼女らの家族とも相談した結果それが最善だとの結論に達したそうだ。

残念ながらこのような事は Boots Court Motel だけが抱える問題ではない。ルート66 全体に起こっていることでもあるのだ。現行の移動規制がが解除され、また私たちが自由に旅ができるようになる近い将来、その景色は全く異なるものになっている可能性も否定できない。

幸い売却が済んだとしても彼女らはカ―セイジの街から出ていくことjはないそうだ。そこは正直心の底から安堵した。

今年の旅行をキャンセルした多くの人たちはこう言う。
「来年必ずまた会おう」
何度も書くがルート66 は一つの大きな家族だ。
私もこのコミュニティに出会って、受け入れてもらって、実に沢山の素晴らしい時間を過ごした。出会った人々は素晴らしい人達で、彼らとルート66 の話をし、古いルート66 の経験を聞き、そして勉強する。そしてそれらを次の若い世代に伝えていく。

Debbie Dee、Debye、そして Priscilla 、それに彼女らと一緒に多くの時間と財力を投げ打った Rod には心からお礼と「お疲れ様」と言いたい。新しくオーナーになる方が、ルート66に同じ情熱と愛情を注いでくれることを願って。

2,200万円かぁ。パッと出せるほど貯蓄があったらなぁ。

モーテルのネオンを灯りに夜通し歓談する愛好家たち

Time No Waits, Again…

何とも悲しい日になった。
ニューメキシコ州ルート66アソシエーションの役員であり、ルート66沿線上多くの歴史的なネオン看板の修復に関して第一人者である Johnny Plath 氏が先週、コロナウィルス感染によって亡くなった。
まだ「たったの」68歳だ。
ニュースによれば彼のお父様も同様な理由でお亡くなりになったらしいのだが、どうやらお父様のお世話時に感染してしまったようだ。

Johnny Plath, the image from Route 66 News

Johnny と彼の兄弟である Larry は、同州アルバカーキにある Southwest Outdoor Electric 社でネオン看板の作成ならびに復元作業に従事していた。彼の業績の中でも最も注目に値する看板の復元は、同州Santa Rosa にあった Sun n’ Sand Motel、こちらも現在は閉店してしまっている同州 Moriarty の El Comedor の「ロトスフィア」、そしてアルバカーキにある De Anza Motor Lodge のそれらだ。

Johnny とニューメキシコ州ルート66協会とのパートナーシップは、2003年に同協会が提唱した、「ルート66ネオンサイン保護プロジェクト」がきっかけだったと言う。その際 Johnny は、最も困難な二つのネオン看板の修復に入札し、担当することになったとのことだ。上記で紹介した、サンタローザの巨大なサンアンドサンドモーテルの看板と、モリアーティにある「Rotosphere」ネオンだ。彼はこれらのプロジェクトが利益を生まないことを十分に理解していたが、ジョニーはこれらの歴史のあるアイコンであったネオンサインを蘇らせる機会を貰えることにモチベーションがあったそうだ。

Rotosphere at El Comedor, the image from Route 66 News

今年の初め、2020年は初夏ごろに渡米し、ニューメキシコ・ルート66を走る予定をしており、その際 Johnny Plath 氏に面会を申し出るつもりだった。もう何年もの間、是非お会いしてお話を聞きたいと思っていた方だ。本当に残念でならない。
ご本人のご冥福を祈ると共に、ご家族に心よりお悔やみを申し上げたい。

PBSが作成したドキュメンタリー映画「Route 66:The Neon Road」に、Johnny のネオン看板への情熱を見ることができる。この映画は Emmy Award も受賞した。お時間のある方は是非。

De Anza Motor Lodge, the image from Route 66 News

Lilian Redman に会いたくて

Lilian Beatrice Leigon Redman

ルート66を走り始めて、ルート66に関わることで沢山の友人、知人が出来た。皆、一人一人が私の誇りとする素晴らしい大切な人々だが、残念ながらタイミングが合わず会うことの出来なかった方々も大勢いる。
その一人が、Lilian Redman 女史、言わずと知れたニューメキシコ州トゥクムキャリのBlue Swallow Motel の元名物オーナーさんだ。ブルースワローモーテルは、1940年代よりルート66のアイコンであり続けているが、Lilian Beatrice Leigon Redman がモーテルのオーナーとして活躍した50年代にその伝説は生まれた。彼女の名セリフの一つ、” I end up traveling the highway in my heart with whoever stops here for the night” は、私自身がホテル業界に従事していることもあり、いつも指針の一つとして肝に銘じている。(とは言え、そんな気量は私にはないが、笑)

現在のオーナーは、Nancy と Kevin Mueller 夫妻。ミシガン州デトロイトから越してきたとても気さくで愉快な人達だ。いつも訪れる度に笑顔満面、飛び切りのホスピタリティ精神で出迎えてくれる姿にはきっと Lilian の精神が受け継がれていると確信する。

With Nancy & Kevin Muller

そんな Lilian にインタビューをする ルート66の生きた伝説、Michael & Suzanne Wallis 夫妻と Nancy の貴重な映像を発見したのでここでシェアしたい。

Lilian が亡くなったのは 1990年代後半。1993年に初めてルート66を走ったが、当時はまだ走って「観光」することだけに注力していた未熟な私は、このようばルート66の真の魅力に気付いていなかった。
Time No Wait、本当に時間は待ってくれない。今やるべきことは絶対に後回しにしてはいけないのだ。

友人、Anthony Reichardt が撮影した当時の Lilian。ああ、本当に会いたかったなぁ。

夜明けの一枚@Blue Swallow Motel

@Tucumcari

Bagdad Cafe 30年の時空を超えて

1987年に世界中を唸らせた映画、「Bagdad Cafe」の封切り後から約30年。ちょっと前になるけど、その映画の監督を務めた Percy Adlon 氏が時代を経て初めて語った記事が面白かったので紹介したい。

冒頭に「世界中を」と書いたが、読者の皆さんも知っている通り、当初は「風変わりな」ドイツ映画と見られていたのも事実。実際私自身も、正直告白すれば、一回目はあまりピンと来なかったことを憶えている。1993年にルート66を走り始めたことで何度か見るようになってジワジワとその魅力に憑りつかれていった。 内容を簡単に言えば場所はアメリカのモハヴェ砂漠にある「うらぶれたカフェ」に集う人々と、そこに突然現れたドイツ人旅行者ヤスミンの日常交流を描いた作品だ。撮影はカリフォルニア州ニューベリースプリングにあった Sidewinder Cafe を使用したが、その Cafe のオーナーは映画公開後に店名を賢く Bagdad Cafe に変更するという大技も見せた。

ドイツ映画ということもあり、「Bagdad Cafe」は特にヨーロッパではカルト映画ファンのお気に入りになり、今でもドイツやフランスからの観光客が一番多いと聞く。残念なことにモーテルは数年前に取り壊されたが、カフェは毎日営業。現在のオーナーである Andree さんがルート66と映画の精神を引き継いでいる。

Andree さんと

アドロン氏が語ったのは、映画はアドロン氏のカリフォルニア州のモハーヴェ砂漠へのルート66の旅をしていた際に触発され、Daggett と Bagdad の両小街近郊で「奇妙な光」を見たことが「お告げ」となってこの企画に結び付いたのだとか。本当に些細なことが人生を変えるのが良く分かる。

また、俳優のJack Palance はこの映画で好演したことで、彼のキャリアを一気に上昇させることが出来、1991年に “City Slickers” でオスカーを受賞することになったと公言して憚らない(笑)シティスリッカーズは勿論のこと、その他 “Batman” や、”Tango & Cash” でご存知の方も多いかと。
それと同時にTVシリーズからの”Bagdad Cafe” へ出演することは断っていたそうな。知らなかった。。。

Bagdad Cafe と言えば思いだされるのが、あの名曲「Calling You」。作曲家のボブ・テルソンが作り、これを欧州出身の歌手、Jevetta Steel さんが歌い上げた。これは彼女の作品の中でもトップ10ヒットとなり、アカデミー賞の最優秀歌手にノミネートされることとなる。その後は特にフォローしてなかったが、名作「Calling You 」は、セリーヌ・ディオン、ナタリー・コール、バーブラ・ストライザンド、ジョージ・マイケル、そしてエッタ・ジェームス等多くのアーティストによってカバーされたとのこと。

Bagdad Cafe の横の空き地にたってモーテルサイン柱を眺める。インターステートから少し距離があるので、そこは風の音しか聴こえない。そして目を閉じると自然と「あの声」が降りてくる。1987年、スクリーンで観た時空へのタイムスリップが体験できるのだ。

アメリカを体感したければオクラホマに行こう!

アリゾナ州と共に、各州を走るルート66の距離としては最も長い道路を持つオクラホマ州はその圧倒的な大きさゆえにとても多くの魅力を持つ。

そんなオクラホマ州観光局は昨年大きなプロジェクトを立ち上げた。
タイミング的には半年ほど周回遅れだが、今日はその一部を紹介したい。

「オクラホマロードトリップ」と名付けれた、YouTube 上で毎週配信されるエピソードでは、ルート66を含む街、三か所を選びそこで行われるお祭りや、ユニークなレストラン、そして訪れるべき観光スポットを紹介します。観光局と共にそのBRANDINGを司るのは何と Pinnel 州知事。州のやる気が伝わってきます。
知事は 「このプロジェクトを通じて、オクラホマが提供する豊かでユニークな体験を楽しく革新的な方法で伝えていきたいと考えています。オクラホマには、楽しくユニークな観光スポットから、素晴らしい博物館、受賞歴のあるレストランやアトラクションまですべて揃っています。アメリカを見たいなら、オクラホマを見なければ始まりません。」

イタリアの諺にはもある ” Vedi Napoli, e poi muori”「ナポリを見てから死ね」と同じ、オクラホマの誇りと魂を感じるよね。

今回は最初のエピソードを三つほど。

復刻!ネオンサイン:Meadow Gold 編

ここ1、2年に渡ってルート66では、「ネオンサインの復刻」がいわゆるブームだ。看板そのものが長い間使われていなかった、ヒューズが切れたまま放置されたモーテルサインの点灯式はすっかり毎年のイベントとなりつつある。
そんなネオンサインの一つで最も象徴的なものの一つがオクラホマ州タルサにある「Meadow Gold」だ。
私もこの建物とネオンサインは大好きで、タルサを通る時はできる限り11番街に立ち寄ることにしている。
現在は、このブログでも紹介した、Buck Atom のお店が通りを挟んだ正面に出来たことで一層訪問の確立は高まったわけで。

1934年、Beatrice Foods は、Meadow Gold Milk を宣伝すべく大きなネオンサインを掲げた。それはその後何十年にも渡り、11番街とルイス通り角のランドマークだったが、1967年に当時の市長であった James Hewgley 氏は同年9月に「Scrap Old Sign Week」を導入、独自の公共イメージを促進しタルサの街を美化することを Greater Tulsa Sign Association と共に主導した。
それは「見苦しい」または「危険な」と指定されたサインは取り壊されるというものであったが、幸い1967年はまだ Beatrice Foods は営業中であったため、その難を逃れる。しかし会社はその後廃業、1970年代のある時期にサインは荒廃、その点灯は消えた。

Photo by Beryl Ford Collection, Rotary Club Tulsa

その後 2004年になり、ネオンサインが設置されている建物の所有者が建物を取り壊そうとした際に、Meadow Gold の看板は存続の危険にさらされるが、Tulsa Foundation For Architecture は歴史保存キャンペーンを主導、保存に必要な基金を設置し、看板は無事慎重に解体されることとなった。当時のルート66オクラホマ・アソシエーションの会長であった Rich Schmigle 氏は看板はタルサの歴史であり、ルート66の歴史。捨てることは絶対にできない、と解体保存に尽力したと聞いた。

そして2009年。
Meadow Gold の看板は、元の場所から約1マイル西にあるルート66上に帰還。土地は11番街のコーナー・カフェのオーナーとピオリア・アベニューから寄付された。

昨年、その当時の貴重な映像が Tulsa History Series によって YouTube に上がったので、それを皆さんにもシェア。National Park Service も関わるルート66の歴史的意義そしてアメリカにとって大きな意味を持つことを感じて貰えたら嬉しいかな(笑)

Neon Sign by illustrated touch version by Toshi (2015)

Castaneda Hotel 70年の時空を超えて

Time flies. (光陰矢の如し)はこんな短期間に使うべき言い回しではないのかもしれない。だが本当にそんな感じがするのだから仕方がない。
前回その「元ホテル」に訪れたのが最近のことだと思っていたら何と、2016年10月、実はそれからもう 2年半も経っていたのだ!

2019年4月、私はニューメキシコ州ラスベガスの「Castaneda Hotel」を再訪する機会に恵まれた。Castaneda Hotel のオーナーは「La Posada 物語は永遠に」(2018年3月21日記事)で紹介したアラン。Castaneda と私の関わり、そしてホテルの歴史については「遂に La Castaneda Hotel の中へ!」(2016年10月22日記事)を参照して頂きたい。

こういうのを虫の知らせと言うのかもしれないが、今回限られた日数のルート66旅で選んだのがニューメキシコ州東部だ。Castaneda Hotel も随分改築改装が進んだであろうと予測し、先月アランに進捗状況を知りたくショートメッセージを送ってみた。聞くところによると事は順調に運んでいて、来月には何室か実際にお客を泊められるかもしれない、と。「こりゃ絶対に見に行ってみないとな」私はまだ何も予定も決められない端からぼんやりと決心していた(笑)

4月4日(木)前日トゥクムキャリに泊まった私は、早朝からUS84号線を飛ばしラスベガスへと向かう。残念ながらアランはアリゾナ州のホテルの仕事で当日は不在とのこと。ホテルの仲間に話しておくからゆっくり見て行ってくれ、と事前に連絡をもらったのでお言葉に甘えた。
US84からフリーウェイ25号線に入り、University 通り出口で降りる。何も変わっていないのが心地良い。Grand アヴェニューの交差点まで進み左折、そしてすぐをもう一度左折する。
そこで見えてきたモダンに生まれ変わったホテルの外観に唖然とした。いや表現の訂正が必要だ。外観は変わっちゃいない。煉瓦作りの、あの何年も見てきた Castaneda Hotel だ。変わったのは周りだ。薄暗い柵も撤廃され、周りの樹木もきれいに伐採。エントランス周りもきれいになって、文字通り「ホテル」になっていた。

窓が大きく、陽の光がしっかり注ぎこむ明るいロビーのドアを開けてみる。
フロントには女性のスタッフが一人。自分がアランの友人でホテルを見せて貰いにに来たことを告げると、とても心良く案内してくれる旨を伝えられた。
実は4月3日の夜、初めてのお客様を7部屋分、泊めたそうだ。
今風に言えば「ソフトオープン」といったところか。
全25室はまだ完成していないようで、泊められる状態になった部屋のみ提供開始だそうだ。とはいえ、BARやレストランを始め、客室以外の部分はまだ何も出来ちゃいない。こんな状態でお客を泊めようってんだから、さすがアメリカだ!
今回案内してくれたのは経験豊富なベテランマネージャー、Yvonne さん。彼女のお客様への接し方を見ていれば、このような状況下でも彼らが充分満足するホスピタリティは「完成」していると感心した。
その Yvonne さんに連れられて、ホテルの隅から隅まで案内してもらった。

ロビーは非常に明るくシンプル。今後どのような装飾がされていくのかは分からないが、可能な限りシンプルさを保って欲しいところだ。

そのロビーから階段を上がっていくと客室エリアとなる。

さきほど触れたように全部で25部屋。聞くところによると全ての部屋にテーマがあり、異なった内装とのことだ。例えば201号室は「The Hare」尾っぽの黒いジャックラビットと、白いジャックラビットの競演、202号室は「Bluebird」。ニューメキシコ州に棲む西部、中西部、東部のブルーバード(日本だとコマドリ?)が勢揃いだそうだ。

部屋の窓からは隣にあるアムトラックの駅もしっかり見える。なるほど Harvey House の真骨頂だ。

内側に面している部屋の窓からはまだ作業中の中庭が剝き出し(笑)

せっかく?なので私の一番好きな中庭へ出て幾つかショットを撮ってみる。

パノラマもやってみた。

ここは前回も見せてもらったBARエリアだが、その時は埃をかぶった薄暗い感じであふれていたが、ずいぶん綺麗にに生まれ変わった。

実はこのBARが最も喫緊の課題場所だったようで、その時 Yvonne さんは、今月どこかでオープンしたいと言っていたが、さっき友人のFBポストで「BARのオープンまであと72時間!」という興奮気味のコメントが書かれていた。かなりの急ピッチでやってるのかな。因みにこんな「やることリスト」も貼られていた。


レストラン、厨房、そしてワインセラー、はまだまだこんな感じ。

オープン間近という最も忙しい時に嫌な顔一つせず、ゆっくりいろいろと説明しながら見せてくれた Yvonne さんには本当に感謝。ニューメキシカン・ホスピタリティとは正に彼女のような御持て成し精神のことを指すと再認識。同じホテル業界勤め、自身は営業職ではあるが、改めて学ぶことが多かった。
聞くところによれば Yvonne さんはここラスベガスの出身だが、サンタフェの有名なホテル「La Fonda」に長く勤務したらしい。なるほど、だ。
Castaneda のような歴史が長く、今回70年の時空を超え甦ったホテルなんかは、そう、「あれ」が付き物?だ。La Fondaでも時折その手の話はあったらしい。ここでは詳しく書けないが、興味のある人は是非 Yvonne さんに直接聞いてみては?!


ホテルのある通りはまだまだ寂しい。アムトラック駅があるのみ、で他には車の修理工場が一軒あるだけ。とっくの昔に閉店してしまった飲食店や散髪屋の看板がひっそりと佇んでいる。

Castaneda の再生と共に、この道もまだ活気を取り戻す日が来るのだろうか。
そんなことを考えながら写真を撮っていたとき、ふと通りがかりの男性に声をかけられた。
「オレさ、お前のこと知ってるよ。SNSでみたことある。確か日本人だよな。そうか、このホテルまで来てくれたんだな、うれしいよ俺は。もう少ししてさ、お客が沢山来るようになったら、オレはここでカフェもやろうかと思ってるんだ。その時は来てくれよな!」
酒臭い息を吐きながら、でも人懐こい笑顔で早口にまくしたて、ひょうひょうと去って行ってしまった。
お世辞にもカフェが開けるようには見えない。
でもこういう歴史の再生は多くの人にいろんな夢を与えるようだ。
アランと彼のチームメンバー全員に感謝するとともに、今度こそは Castaneda Hotel が長く永劫続くことを願って。

ホテルのホームページ:
http://castanedahotel.org/

ホテルの改装状況アップデート:
https://hotelcastaneda.blog/

 

 

新装 Joe Becker Stadium 徘徊

諄いようだが、ジョプリンの街へ来たら「あそこ」を訪問しないと気が済まない。このブログを読んでいてくれる方々にはピンと来ると期待したいが(笑)、ご名答!Joe Becker Stadium のことだ。
忘れてしまった方や、最近訪問し始めてくれている方々は、ジョプリンがマイナーリーグチームを誘致する話、昨年4月に書いたこの記事を参照してもらいたい ⇩

http://www.toshi66.com/2018-04-30/

昨年9月、ジョプリンから南下する際にスタジアムに寄ってみた。前回はまだ工事をしていた部分もあったり、2年間プレイしたブラスターズが去ってしまった今となってはどうなっているのか、興味は尽きないわけで。。。

ということでスタジアム正面の駐車スペースに車を止めて正面玄関へ行ってみた。案の定門は閉まっている。平日の早朝だから仕方ないか。

でもどうしても中に入ってみたいので、以前は簡単に「侵入」できた裏へ廻ってみたが、工事が完了したのであろうか。しっかりそのような侵入経路はなくなっていた。気を取り直してもう一度正面玄関に回ってみると、一台の車が駐車場に入ってきて若いお兄さんがこちらへ向かってくる。
「ん?警備の人かな?まずいかな。」と、思っていると、気さくな笑顔で
「やあ、どうだい?早朝から珍しいね。観光?」と聞いてきた。
「まあ、そんなところだよ。新しくなったの知ってるから、一度見たいと思って」と、言うと「じゃあ見ていく?俺はお客さんとの面談があるから相手できないけど」。
人生真面目に生きてれば偶には良いことはあるものだ。
「そりゃ嬉しいけど、本当にいいの?」と聞き返すと「もちろんさ。ベースボール好きに悪い奴はいないよ」と笑いながら鍵を開けてくれた。
と、言うことでちょっとしたスタジアムツアーの開始だ!

スタジアムといったところで、大した大きさではないが、マイナーリーグとしては立派な?施設だ。早速コンコースを通ってメインスタンドへ。

おお、きれいになっているじゃないか。
これなら今年からプレイする Miners は力いっぱい出来るにちがいない。

基本的に事務所以外はどこへ行っても入ってもOKと許可をもらっているので図々しくグラウンドにも降りてみる。
こう書いていると随分と野球好きのように聞こえるが、ちなみに野球を実際にしたのは小学校時代のみと言ってもよい。そう、私の時代は野球をしないと友達が中々できない時代だったということがある。ただ、そういいながらも野球は大好きで、贔屓のオークランド・アスレチックスは10歳のころから応援しているので、現時点で40年を超えるファン歴だ。そんな「観る」が主体の私でも、スタジアム好きが合い重なって、マイナーリーグとは言え、グラウンドに立つと血が騒ぐのは肌で感じるってわけ(笑)

更にいい気になってベンチへ行って座ってみる。「あれ?まだベンチは改装途中なんだね」と思う方もいるかもしれないが、これは立派な完成形。木目ラインが素敵!とでもいうべきか。マイナーリーグではこの程度の、DIYの延長線にあるようなベンチは極めて普通だ。

ああ、ここから名前を呼ばれて出ていく時って感慨もひとしおだろうなぁと、しばし夢想の世界へ。

そして最後は VIP セクションへ。ここは作りは簡素なものの、システム的にはメジャーと一緒。屋根のついた部屋にはソファやモニター、そしてBARまであり、扉を出れば外の座席で観戦できるという代物。でもきっと値段はかなり安いんだろうな。マイナーリーグなら VIP ルーム、貸し切れるかも!スタジアムの外側からは向い建設中の駐車場もみえた。

一連の自主ツアーを終え、兄ちゃんに例を述べて帰る。
あ、チケット売り場も発見。シーズン席から当日席まで、しっかり窓口も違っている。なかなかニクイね。

最後は新しくできた看板をしっかり見学して。
往年の大スター、ミッキー・マントル氏と、このスタジアムの名前がとられているジョー・ベッカー氏のツ―ショットが素敵だ。MINERS の試合、絶対に来るぞ!

Joe Becker Stadium
1301 E. 3rd Street, Joplin MO 64801
http://www.joplinprobaseball.com/

 

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