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Road Crew – America’s Route 66 Band


2016年のニューイヤーズディよりスタートしたこのブログ。最初の題材は、夜中のネットサーフィンで何気なく発見した「Songs from the Mother Road」という、私のハートを一瞬で鷲掴みにしたタイトルのCDだった。すぐさまダウンロードして聴いた時の興奮と喜び、「こりゃ良いものに出会ったなぁ。次の旅のお供はこれだよ、これ!」は、今でもはっきり憶えている。
実際すぐには旅に出るチャンスはなかったものの、スマートフォンに落とし込みチャンスがあれば聴いていた。それから10か月、イリノイ州エドワーズヴィルで行われる「Miles of Possibility」という、イリノイ州ルート66アソシエーションが主催するカンファレンスで、Road Crew というバンドがゲスト出演するという情報を得た私は、それまで実は行こうかどうか迷っていたけど、主催者に即レス、参加する旨を伝えた。(Debyjo、Chery すまないw)


イリノイ州とは言え、エドワーズヴィルがあるのは州のかなり南、ほぼミズーリ州との境近辺だ。だから金曜日を一日だけ有給取れば、3日間は余裕で週末の素敵なルート66 小旅行に変わる。
Miles of Possibility は決してルート66愛好家の同窓会でなく、様々なテーマを決め、その分野の第一人者の講演や、各組織のプレゼン等を含んだ立派なカンファレンスだ。もちろん顔見知りの大所帯でのレクリエーションもきっちり行うので同窓会の側面もあるけどね(笑)

ルート66は8州に渡って 2,347 マイル(約3,945キロ)だけに、各地域の友人知人に会おうと思うと一苦労だけど、こういう集まりがあると沢山の友に一度に一カ所で会えるという最高の利点がある。この手のカンファレンスに出席するのは実は初めてだったけど、今後は可能な限り来ようと誓った。

話はいつものようにズレちゃったけど、その Road Crew の皆さんに会いたいのがメイン目的でサンフランシスコから飛んできたわけで。ちょっとでも話せたら嬉しいな。握手なんかできたら最高だろうな、なんて思いながら、小学生の時に松阪慶子さんに会いに行った時と似たような感覚でその夜まで過ごした。


その夜のステージは最高だった。
例のアルバムから数曲、知らなかった曲も幾つか、そして新しくリリ―スしたばかりのアルバム「Under The Neon」から。ルート66の生ける伝説、Tattoo Man、Ron を唄ったにした軽快なナンバーも心地よい。後でミーハーにも、ジャケットにサインまで頂戴したw


何もかもに満足したのに、その上何と彼らは非常に素敵な人達だった。全く気取らず、奢らず、普通の友人のように話してくれて、一緒に笑ってくれる。
やはりルート66のホスピタリティ精神は著名なミュージシャンであれ何の変わりもない。特にその中でもVocalとGuitarを担当する Joe は会う以前よりFBで繋がってもらったこともあり、とても仲良くしてくれる友人の一人だ。

自らを「America’s Route 66 Band」と呼ぶ Road Crew の4人組。今後も、いやずっと応援して行きたい。
最後に Road Crew の公式ウェブサイトとビデオクリップをどうぞ!
http://roadcrew.weebly.com/

 

Art’s Motel の復活


イリノイ州ファーマーズヴィルにある ART’S MOTEL。そう聞いてあの独特な目を引く赤い看板を想像出来る人はかなりのルート66ファンだ。モーテル自体はかならい長い間休業中だったけど、この看板は2006年にイリノイ州史跡保存会の有志が中心になって修復されたもので、モーテル自体も1995年にイリノイ・ルート66の殿堂に選ばれている。
そんな Art’s Motel が去る2月、何と再オープンしたと聞いたからこれは超興奮ものだ!

このモーテルの元を辿れば1920年、当時は Hendrick’s Brothers Cafe という名前のガソリンスタンド。1937年に Art McAnarney 氏が購入し僅か6部屋でスタートしたと記録には残っている。1952年の大火災の後、Art 氏が亡くなり、二人の息子さんが後を継いだがその後経営は尻すぼみで気が付いたら閉まっていたそうだ。

Art Motel の部屋は基本二つのダブルベッドに、ケーブルTV、冷蔵庫、それに電子レンジ完備としっかりと最低限のニーズは満たしてる。値段は聞くところによれば何と一泊$50。昨今のホテル、モーテルの値段高騰から考えると非常にリーズナブルだね。(全11室とのこと)

となると、当然?気になるのはレストラン。そう、実は元々この敷地内には Art’s BBQ というレストランもあったようで、その建物、内装はしっかり残っていたんだ。訪れるたびにここはまだまだ使えるのに、と思っていたものだけど、やはり建物リーズでカフェ経営をする人を募集中らしい(笑)
新しくアメリカでカフェやレストランを開きたい方、是非いかがだろうか?

ルート66の明るい未来


久しぶりにちょっと真面目なお話。
3か月ほど前のこと、Route 66 Road Ahead Partnership がイリノイ州選出共和党下院議員の、Rodin Davis 議員と Darin LaHood 議員と面談。その結果、Route 66 の歴史的意義を記念し、議会において二つの法案を発表することが約束された。
LaHood 議員は天然資源委員会のメンバーで、Route 66 を National Historic Trail として正式指定するよう、National Trails System 条例の改正を要求する法案、H.R.801を発表。で、もう一方 Davis 議員は交通関連議員連盟やインフラ委員会の一員である立場を上手く利用し、2026年に100周年を迎える Route 66 のために、記念祭を行う準備を統括する連邦委員会を設立する法案、H.R.66 を発表したというわけ。彼らに加え、カリフォルニア州選出民主党 Grace Napolitano 議員も上記天然資源委員会等のメンバーであるため、両氏に積極的に協力して法令の提案準備や起草に一緒に取り組んでくれた。

Route 66 Road Ahead Partnership の現議長は Bill Thomas 氏。で、何をやっているかと言えば、簡単に言うと、 ルート66の活性化と文化としての保存、そして持続を目的とした団体、っていう感じかな。またその同団体の中に International Advisory Board という、アメリカ以外の国に存在する ルート66 アソシエーションや関係諸団体の代表者で構成する集まりもあって、僭越ながら私も情報共有をさせて貰いながらお役に建てないかと日々尽力してる次第です。
Bill が言うように、ルート66を National Historic Trail として指定することは、2015年の夏以来数 Partnership の先導で行われてきた多くのミーティングやワークショップで最も積極的に支持されたアイデアだった。それにこれらのミーティングは、Partnership のミッション、成果、それにゴールに関して、全国のステークホルダーさん達からのフィードバックやインプットを求めるように設定されていたからこそ、法案起草に繋がる一連の成果は非常に意義深いものになったと言えると思う。

LaHood 議員の演説から。
「1世紀にわたるルート66は、アメリカの中心地を旅行する重要な「輸送動脈」でした。マザーロードは多くの仕事とチャンスを提供し、イリノイ州を始めそれが通るすべての州のコミュニティにとって強力な経済発展ツールであり、クロスカントリー旅行者のための時代を超えた思い出を提供しています。今こそ、 マザーロードは、それがふさわしい国家認定を受ける時です!」
いや~上手。さすが政治家だね(笑)
でもこの法案が無事可決されれば、ルート66を保存し、促進し、さらには経済的に発展させることのできる永続的なプログラムとなるわけで。
今後の展開が益々楽しみで仕方ないね!

 

 

法案可決を目指して

イリノイ州所属の共和党下院議員である Rodney Davis 議員が中心となって「Route 66 Centennial Commission Act」(H.R. 66)の導入草案を今月頭に、米国運輸省長官宛に提出した。
「ルート66百周年記念委員会法」とでも訳したらいいものだろうか。
大まかに言えば、10年後の 2026年にやってくるルート66の100年祭に向けて、国家の支援の下、組織だった活動を行う(行える)団体を形成し、アメリカの歴史と伝統そのものであるルート66の保存に力を入れようということだ。
詳しくみたい方はこちら ⇩ (英語のみ)
https://www.govtrack.us/congress/bills/115/hr66/text

何を今更、と思う人もいるかもしれないけど、ルート66は非常に政治色の強い、利権とお金を生む大きな話だ。元々の発端がAAA(全米自動車協会)で、NPS(全米国立公園局)とも関わる、すなわち(NPSは国の省庁扱い)文字通り国家絡みの案件というわけ。

報告文書によればこの草案は既に地元イリノイ州は勿論のこと、ミズーリ州、オクラホマ州、カンザス州、そしてカリフォルニア州の各州所属の12人の議員さんによって賛同も取り付けている様子だ。この法案が通れば運輸省はルート66の保存に必要な資金を投資する役目も負うから関係各所は調整に大変だ。
委員会にも、運輸長官、下院議員、常任理事、それにルート66関連8州の知事による推薦を経て、最終的に米国大統領によって任命される 19人で構成されるのだ。
話はかなり「デカい」ということが多少は伝わると思う。

前述のNPSと言えば、私の関わっている日本ルート66協会の公式サイトでも触れた Route 66 Road Ahead Initiative (団体)が、100周年を迎える前にルート66を「国家歴史登録道路」(National Trails Hwy) としての公式指定を受けるべく行動している。
同団体には私も個人的に International Advisory Group に参画しているし、実は今朝、日本ルート66協会としても賛同する旨の書簡を送付したばかりなんだ。
下に写真は活動用のピンバッジ。

先週1月20日(金)ドナルド・トランプ新大統領の就任式があり、アメリカは新しいチャプターへと進むことになった。
果たして彼がこの法案を承認してくれるのか?
うーむ、タイミング悪いな(笑)


 

ルート66仕様のナンバープレート

ちょっと前に話題にしたけど、いよいよ明日(12月19日、月曜日)からアリゾナ州でルート66仕様のナンバープレートが発売される。と、言っても注文を受けるだけで実際の受け取りは未だ先らしい。

これがそのデザイン  ⇩

くぅー モノトーンでカッコイイ!
販売料金のうち一枚につき$17は、そのデザイン元でもあるアリゾナ州ルート66協会に寄付されるんだって。そんな姿勢もまたまたカッコイイね。
アリゾナ州が言うには何でも2007年からここ10年間、この手のライセンス・プレートによる収益はUS$6600万ドルにもなるんだそうだ!もうルート66はニッチな分野ではないでしょ、これは(笑)
これまでルート66のライセンス・プレートが正式に州から発行されているのは、イリノイ州、ミズーリ州、オクラホマ州、とニューメキシコ州。

早く自分の住むカリフォルニア州でも出してくれないかと気を揉む年の瀬です。

 

Route 66 Corridor Preservation Program その②

nps66
先日このブログでお話した、アメリカ国立公園局主導の助成金プロジェクト。支援を受けている案件のご紹介、第二弾です。

The Mill on Route 66 accessibility project
Location: Lincoln, Illinois
Recipient: Route 66 Heritage Foundation of Logan County
NPS grant: $10,720; cost-share match: $12,000

themill
The Mill レストランはアメリカの早期によく沿道上で見られた建築物の最も優良な事例の一つで、その時代から現在に至るまで残っているものの数少ないものでもあります。レストランは1929年、The Blue Mill という名前でルート66に開店し、オランダの小風車をモチーフに帆船を店の前に構えた大胆なものでした。1945年になるとキャンプ・エリス用の兵宿舎が横に建てられ、兵士に食事、お酒、そしてダンスホールを提供する場となります。建てられた頃は「Blue」という名の通り建物は青色でしたが、この頃を境に赤く塗りかえられ The Mill と呼ばれるようになりました。レストランでは様々な変わったものが置かれ、来るお客を楽しませていましたが、一番の目当ては何と言っても名物料理 Fried Schnitzel だったと聞きます。The Mill は1996年に閉店、その後しばらくそのまま放置され、各所に腐敗が広がっていましたが、10年後の2006年、ローガン郡は同郡の他のルート66関連物と連携してこの Mill を守るべく Route 66 Heritage Foundation を立ち上げ、リンカーン市と共に活動を開始しました。アメリカ国立公園局は2008年に外観補修の助成金を貸与。現在の助成金は入り口、ボールルームへのアクセス道を確保する補修用にお金が捻出されています。

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Dell Rhea’s Chicken Basket neon sign restoration project
Location: Hinsdale, Illinois
Recipient: Private Owner
NPS grant: $17,300; cost-share match: $17,300

chickenbasket
「チキンバスケット」は、1930年代、簡易ランチ店舗としてスタートし、イリノイ州ヒンスデールにて現在でも営業を続けています。色々な材料を上手く組み合わせて作るこの手の手法は当時のルート66上ではとても典型的なものですが、薄利多売が基本のためいつも新しいアイデアが必要でした。そんな時に現れたのが、街に住むごく普通の二人の女性の閃きです。彼女らは当時のオーナーである Irv Kolarik 氏に彼女ら自身のフライドチキンのレシピを披露、その味が瞬時に気に入った Kolarik 氏は原材料となるチキンを彼女から購入することを確約しました。そうして「チキンバスケット」の輝かしい歴史は始まったのです。
今日のレストランは1946年に建てられたもので、オリジナルの建物はすぐ横にありました。1階建てのレンガ造りの建物は極めて実用的に設計されており、功利的商業主義にマッチした戦後のスタイルです。もちろん国家歴史登録財にも含まれています。
そんなレストランですが、多分に漏れず1962年になるとインターステートが出来たお蔭で経営難に陥ります。が、翌年シカゴ出身の敏腕ビジネスマン、Delbert ”Dell” Rhea 氏が店を買い取り、シカゴを中心にシカゴやその郊外の住民、果てはルート66の旅行者に向け嵐のように広告をうち、店の経営を一変させました。
今回の助成金はネオンサインの復興に向けて使用されるとのことです。

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Sprague’s Super Service rehabilitation project
Location: Normal, Illinois
Recipient: Private Owner
NPS grant: $15,699; cost-share match: $15,699

supragueservice
William W. Sprague 氏の発案である「Sprague’s Super Service」は、チューダー様式の復古スタイルである二階立て構造になっており、カフェ、ガスステーション、そしてサービスステーションを同設したものとして、大恐慌時代が始まる頃に建てられました。
2003年、現オーナーは手始めに国家歴史登録財に選定される保全活動から始め、ルート66回廊保全プログラムから助成金が受けられるよう尽力してきました。そして助成金を受け取る計画が出来て後、ノーマル市に屋根部分、そしてヒーティングシステムの修理のために更なる補助金を要請しました。
このような計画性に満ちた手順を踏んだため、イリノイ州観光局からも基金を集めることが出来、2011年ステーションはノーマル市のランドマークとなり、今年2016年には今後の保存を確約するため、市の所有とする投票まで行われました。
現在この場所は Ryburn Place と呼ばれ、市としての最終目的はこの地にルート66観光センターを開設することです。今回の助成金は、スタッコと石造りの外壁の修理とその安定化、そして窓の最終部分の修繕に利用されるようです。

(続く)

Route 66 Corridor Preservation Program その①

nps66
先日私も運営に携わっている、とあるルート66関連のホームページでも少し触れたんだけど、ここでは更に詳しく、ルート66に関連する建築物や店舗が享受しているアメリカ国立公園局主導の助成金プログラムについて紹介します。ルート66とアメリカ合衆国国立公園局、実は密接な関係にあって、8州に渡って数多くの街、ガスステーション、映画館、劇場、モーテル、そしてレストラン等が国家歴史登録財の認定を受けています。その公園局がアメリカン・エクスプレス社や世界記念建造物保護財団などと組んで行っているのが「The Route 66 Corridor Preservation Program」という助成金プログラム。歴史の保存にかけては超敏感ないかにもアメリカらしい活動ですよね。

今年2016年は合計8件の(コストシェアを含む)助成金 USD103,000 (約1000万円)の支給が決定。同プログラムは2001年に開始され、支給は今日までに122件ものプロジェクト数におよび、USD1.9 Million と、コストシェア USD3.1 Million、合計USD5 Million(約5億1千万円)がルート66の保全に使用されています。

ではここからは、今年このプロジェクトの支援を受けた案件を何回かに分けて紹介します。

Historic Navajo County Courthouse Roof Preservation Plan
Location: Holbrook, Arizona
Recipient: Navajo County
NPS Grant: $7,000; cost-share match: $7,000

HistoricNavajoCountyCourthouse

ナバホ郡群立裁判所は1898年、アリゾナが未だアメリカ合衆国の領土だった頃に建てられ、アリゾナ州に存在する二つのリチャード二アン・ロマネスク様式による裁判所の一つです。裁判所は永きに渡ってルート66上のランドマークでしたが、今日それはホルブルック地域の文化と生活を伝えるアリゾナ州インフォーメーションセンターとナバホ郡歴史社会博物館として親しまれています。毎年夏に行われるネイティブ・アメリカンのダンスイベント等でご存じの方もいるでしょうか。
裁判所は1978年に国家歴史登録財に認定されましたが、2012年に「Historic Structures Report」の発表によって建物の著しい劣化が指摘されました。その中でも特に酷い状態にある屋根部分を今回NPSは助成金を出すことによって修理、修復の計画を立てるとのことです。

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Rialto Square Theatre Marquee Restoration Project
Location: Joliet, Illinois
Applicant: Rialto Square Theatre Foundation
NPS Grant: $27,855; cost-share match: $27,855

Rialto Square Theatre
リアルト・スクエア劇場は、1926年11月の国家高速道路条例が出される数か月前に、ルート66を世に知らしめる手段の一つとして建てられました。当時のアメリカは、装飾に溢れた劇場と「音声のある」映画を国民に提供すること、そして流行の最先端であった自動車(旅行)を実現させる高速道路、の二つが国が発展して行くための重要な要因でした。出費を全く惜しまず造られた「ジョリエットの宝石」と呼ばれるに相応しく、その建築スタイルはギリシア建築、新ローマン・ロココ建築、そしてイタリアン・ルネサンスのエッセンスを多岐に渡る要素を含んだものになっていました。
しかし1970年代に入るとルート66もこの劇場も荒廃の一途を辿ります。1978年にはこの場所を駐車上に変えようとする動きまで出てきました。そこで Will County Cultural Arts Association が立ちあがり劇場を守ったことで、その後国家歴史登録財となり1980年代には再開業できるまでの状態に戻りました。
今日劇場はマチネでの上映とコミュニティセンターとして活躍していて、年間10万人以上の訪問者数があるとのことです。今回の助成金は劇場マーキーを1926年時の外観に戻すことに使用されます。

(続く)

ウサギの王国、その名もヘンリーラビット

Exterior Rabbit
先日別の場所でそのビデオ映像だけを紹介したので、今日ここではもう少しだけ踏み込んでイリノイ州スタントンの友人のお話を。
その名も「Henry’s Rabbit Ranch」、文字通りウサギの王国。
多くの人はここをウサギが沢山いるお土産屋さんって思ってるけど、実はれっきとしたビジターセンター。ご主人のリッチさんのルート66と地元に関する知識は半端ない。ビジターセンターを経営する、ってことはこういうことか、と何年か前に感心したことを憶えている(笑)

Rich & Toshi

こちらがリッチさん。笑顔の素敵なもの静かで、でも楽しいオジサンだ。

実は私、ウサギを間近で見たのはこの場所が初めて。確か小学校の校舎裏のウサギ小屋があったような気もするけど、幼少時はとかく動物には興味がなかったので一度も見に行った記憶はないのだ。

でもここで出会ったウサギ達はとても静かで人懐っこい感じで、結構禁断?の距離まで近づいたら一生懸命臭いをかがれた(笑)

Interior

店内はこんな感じ。ルート66の関連商品が所狭しと飾られてます。(もう何年もあるんだろうなというブツまで)

スタントンはイリノイ州と言っても、車でもう45分も走ればミズーリ州。スタントンの街は東側に1930年までルート66だったイリノイ州4号線、その西には1930年以降のルート66が走る面白いエリアにあります。人口は数年前の調査では5000人強だとか。ルート66を西に向かって旅をするときはスプリングフィールドからこの1930年までの旧道がオススメ。チャタム、オーバーン、カーリンヴィル等、風情のある景観を堪能できる。Henry’s Rabbit Ranchは街の南だけど、この看板 ↓ を見落とすことはないと思うのでご安心を。

Henry Rabbit Ranch Marker
あ、そうそう元々リッチさんがこのお店をやろうと思ったキッカケは、彼が1993年にカリフォルニアに向かって旅をした時にビジターセンターの少なさに驚いて、じゃあ自分でやってやろうじゃないか、と一念発起して始めたんだそうだ。その後のルート66の人気が少し再燃したことで、「時代を先取り」の形になったのは羨ましい限りですね。

では最後に地元TV局の作ったリッチさんのビデオでこの項はお別れです。

http://www.ksdk.com/entertainment/television/show-me-st-louis/a-roadside-attraction-thats-really-hopping/305014779

Bill さんの見守る調印式

Shea Museum 1
イリノイ州でルート66の発展に大きく寄与する(と期待される)法案に昨日州知事が署名。オートバイのナンバープレートがルート66仕様の新しいデザインがオプションとして追加された。車両に対しては既にこのようなナンバープレートがあるが、バイクに対しては初めての試み。私はバイクに(未だ)乗らないので、直接的な影響は少ないけどこのようなニュースは嬉しいものだ。

イリノイ州ルート66プレート

イリノイ州ルート66プレート

法案署名の式典が行われたのは、旧 Shea Museum にあったガスステーションをそっくりそのまま移動した先、@同州スプリングフィールドのピザ屋さん。
式典には先日スプリングフィールドで開催されたお祭りの時に挨拶させて貰った、イリノイ州ルート66シーニックバイウェイの事務局長、Bill Kelly 氏も同席したそうだ。次に会う時はイリノイ州の今後のプロジェクトに関して意見交換をさせて頂く予定なので、その時にこの件も色々聞かせて貰おうと楽しみにしている。

その式典はさておき、今日ちょっと触れたいのは Shea Museum。先に述べたように現在ピザ屋さんがオーナーになってガスステーションはきちんと保存してくれている。
知ってる人も多いと思うけど、Shea Museumは、元々テキサコ系のガスステーションだったものがマラソン系に変わり、その後 Bill さんと Helen さんの夫婦によってルート66上でも最も著名なアイコンの一つ、”Museum” として生まれ変わった。

ビルさん

ビルさん

Museum には50年以上に渡って収集されたオリジナルのガスポンプ、木製電話ボックス、サイン、写真等、ルート66に関するありとあらゆるものが展示されていたんだ。今まで何人が訪れたんだろう?以前ゲストのサインブックを見せてもらったとき、何冊もある電話帳かと思ったことを憶えてる。
1993年にその功績を讃えられ、BillさんとMuseumはルート66の殿堂入り。彼の家族もその後確か2002年頃だったと思う、殿堂入りした。

残念ながら2013年12月、ビルさんは91歳の若さで永眠。(奥様ヘレンさんはその約1年後に永眠)Museum の記念品は全てオークションにかけられることになったんだ。私がBillさんと話がで出来たのは一回だけ。彼の体調や私の旅程なんかで中々タイミングが合わず、「じゃあまたね!」の約束を果たすことが出来なかった。

その後私が訪れることができたのは2014年10月。夕方のちょっと冷たい風と掃除されていない黄色い落ち葉の山が寂しさを一層煽っていた。完全に施錠されて閉まっている Museum を外から眺めていると、車椅子に乗った髭もじゃのオジサンが寄ってきて「ここは奴が居なくなってからずっとこのままさ。これからどうなるんだろうな。」と言いたいことだけ言って去ってった。

今回の調印式に数多くある幾つかのスプリングフィールドのアイコンで、なぜこの場所が選ばれたのかの経緯は知らないけど、BillさんとShea一家の功績が今一度スポットライトを浴びることになって本当に良かったと思う。
姿身は亡くなったけど、彼の魂はきちんと受け継がれ、そしてその形を変えて次世代に確実に受け継がれて行く。きっと天国から調印式を誇らしげに見てるんじゃないかな。ちょっと心が温かくなった。

 

 

 

 

週刊NY生活 その⑧

連載第8回目が掲載されました。
7か月に渡って旅をしてきたイリノイ州も遂に終了。次回からはミズーリ州がスタートします。

http://www.nyseikatsu.com/editions/596/index.html

No.8

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