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【週刊NY生活月イチ連載】Season 5 Vol.6:回廊保存法や次世代愛好家育成制度など


毎月恒例のNYを中心としたローカル日系情報誌「週刊NY生活」紙にて連載中「さあ行こう!魅惑の旧街道ルート66」SEASON ⑤の第6回、今回はルート66回廊保存プログラム、カリフォルニア州アンボイのロイズカフェの復興、オクラホマ州からは子供の育成を目指した新会員制度、そしてイリノイ州ジョリエットの旧刑務所が国家歴史登録財指定へ、というニュースをお伝えします。
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オジサン二人のルート66旅⑤ (最終回)イリノイ帰路編

さて、ミズーリ州を爆走して最終シカゴへの帰路。再度セントルイスに宿をとることも考えたが、都会の費用はどうにも高い。
アメリカのホテルは部屋単位の料金制なので、二人で宿泊すれば安上がりに済むが、一人で泊まるとなるとただ単に寝床を確保するという意味では無駄なお金がかかるだけだ。
なので、セントルイスから北に更に60㍄ほど、小 1時間頑張って夜のドライブをし、Litchfield (リッチフィールド)の街で休むことにした。
懸命な読者の皆さんなら、あ!アリストン・カフェのある街だ!とお気付きだろう。残念ながら営業中には到着できなかったが・・・

リッチフィールドのカフェ前通り

翌朝、早いうちから朝飯を食べてさっさと帰路を走ることに。
上手く行けば午後のホワイトソックス対カブスのシカゴ・ダービーが見れるかも?とこの時はまだ考えていたわけで 💦

惜しい。実に惜しい。なぜ一文字足りないのだ。
「H」さえ入っていれば、友人皆に「オレ、店をオープンしたんだよね~」と自慢できるんだけど 😂

この TOSI、苗字か名前かは分からないが、ちょっとリサーチしてみたら、実際世界何か国かで存在するようで、最も多く使われているのが何と、イタリアのようだ。その中でもサンマリノ共和国ではそれなりに存在するらしい(サンマリノは正確にはイタリアではないが)。
因みに「トシ」の姓名が最初に認識されたのは、トスカーナ州ピサ県の県庁所在地であるピサだそうだ。でもイタリアでこの綴りとなると、何となくイメージはシチリアであったり、カンパーニャ、プーリア、又はカラブリア州等の南部であったり・・・ピサかあ。

ま、余談はさておき、私はどこへ行こうが、朝食べるものは特に変わらない。これが人間の習慣というものだろうか(単に自身の好みを人間と大きな括りで言ってみた)。

早朝のせいか、人はまだおらず。値段が安いのが、このインフレ時期には嬉しい。ゆっくり、安く、普通に美味しい朝ごはんを希望する方、おススメ 👍

さて朝食後は、I-55 をそのまま北上すれば、スプリングフィールド、と手っ取り早いが、せっかく遥々やって来たイリノイ州。それではイリノイ・ルート66を走ったとは言えない。
ということで、少し北へ走ってから、州道3号線を西方面へに横断して、イリノイ州道4号線へと向かう。ひたすらこういう道を行くのだが、この4号線にはルート66の歴史を彩った街が多く点在する。

US-4 Illinois

最初にストップしたのは Carlinville(カーリンヴィル)という街。州道4号線を街に向かって走れば、ダウンタウンから南東にちょっと行ったところ、つまりはダウンタウンに入る前の通り沿い、左手に出て来るのがCarlinvilla Motel という中々キュートな感じのするモーテルだ。
残念ながら行程の都合上、このモーテルに泊まる機会は滅多になく、もう十年以上前に一度お世話になったきりである。
仲間うちからもとても人気のあるモーテルと聞いているので、経営が傾くことはないだろう。時間的にあまり車は停まっていなかったが、モーテル内部のフロアには何人か見かけた。ゆっくり寛いでいたようなので、内部の写真は遠慮。今回は外観だけで。

代わってダウンタウン「パブリックスクエア」と呼ばれる街の中心部はこんな感じ。ラウンドアバウトの周りには必要なお店が並ぶが、ゆっくり流れる時間がいかにも週末らしい。

Carlinville Downtown Public Square

今回は立ち寄る機会がなかったので特に触れていないが、昨晩の宿泊地はリッチフィールド。リッチフィールドと言えば、アリストン・カフェ、というのは先ほども書いたが、そのアリストン・カフェが営業を開始したのはリッチフィールドではなく、このカーリンヴィルだ。
ルート66の宝物の一つであるそのレストランの歴史はこのパブリックスクエアの一角にて始まった。そのことをきちんと記したサインがこちら ↓

アリストン・カフェの前オーナーであり、とても仲良くしてもらった Nick のお父様、Pete Adam 氏の名前がしっかり刻まれている。
うんうん、歴史を感じるなあ~と再度物思いにふけってスクエアでしばらく座ってみた😚

おっと!だいぶ時間が過ぎてしまった。
これでは MLB シカゴ・ダービーは間に合わない!が、やはりベースボールが大好きとは言え、ルート66のアイコンをすっ飛ばして行くわけにはいかない。複雑な心境のところ、実はこの後がこのルートのハイライト 🤩 の一つ。「13-star Flag Barn」で有名な、「ただの納屋?」だ。
カーリンヴィルを出て次の街、Nilwood に向かう途中、左手に現れる。

これね、アメリカ合衆国建国時の 13の★が入った最初の国旗。もちろんその当時に描かれたものではないにしろ、中々他では見ないとても貴重な白物である。最初に見たときからすっかり心を奪われ、通る機会がある度に無くなっていないか「生存確認」をする習慣がついている。

この星条旗、東向きに描かれているので、午前中に来ないとしっかり上手く写真が撮れないんだ。プロのフォトグラファーさんらは問題ないのかもしれないが、私のような素人には逆光はキツイ。だから午後にならないように注意してるのだよ。今回はしっかり午前中、大満足である。

大満足である、はいいが、この時点でまだここか~ 💦
昼前ではあるが、昼にスプリングフィールドにすら着いていないとやっぱり野球は無理か、とこの時点ですっかり諦める。仕方ない 😵‍💫

その後は、Girard、Virden、Auburn と、アイコニックな街を通りながら、一気に 80㍄を爆走、1時間超のノンストップで、アトランタへ。

アトランタの街を走るルート66は、I-55 号線の一本西をほぼインターステートに沿って走る。ダウンタウンの東端をぐるっと行くイメージであるが、いわゆるダウンタウンというのは Arch Street、そしてその隣の Church Street の2本ぐらい。街のアイコンである、Paul Bunyon の像が建つのは、前者、こんな風景だ。

週末とあてか、ダウンタウン内に殆ど人の影が見当たらない。最近復活したと聞いた Palm Grill も活気はない。。。

さて、その街のアイコンである Paul Bunyon、「バニヨン・ジャイアント」だが、前回街を通ったときは確か夜だったので、明るい陽の元でそのお姿を見ることができなかったが、今回はしっかり。
さすがに 19ft (約6㍍)もあると大きい。この像は元々シカゴに程近い、Cicero(シセロ)という街のホットドック屋さんの前に宣伝用として建てられたものだが、2002年、その店が閉店するにあたって、アトランタへ引っ越してきた。このグラスファイバー製の Bunyon 像については、以前 Gemini Giant の話をした時に詳しく書いたので詳細は省略するが、このアトランタにある像を含め、イリノイ・ルート66には合計3体あるので、興味のある人は是非追いかけて頂きたい 👍

そのバニヨン・ジャイアントの建つすぐ南側には、ルート66パークが。ちょっと遠めで恐縮だけど、写真奥の時計台は 1909年に建てられた年代もの。高さ 36ft (約 11㍍)の塔は「セス・トーマス8日時計」と呼ばれるが、それは8日毎に手巻きをしなければならないからである。

おっと、そんな話をしたかったのではなくて、今回アトランタに立ち寄ったのは、最近SNS上で知り合いになった、アトランタ観光局の代表、Whitney に会うためである。が、週末だし、こんなに街に人がいないんじゃ、観光局は開いているんだろうか。

やはり!やはり、である。観光局の入り口は真っ暗で鍵がかかっている。
「ま、仕方ないか」と、一旦はあきらめたのだが、街中で唯一オープンしていた Arch Street Artisans という骨董品やアート作品を扱うお土産屋さんに入ってみた。
店内にはお店番?の女性が一人座っているだけだったが、何やらお電話中だったので店の中をぐるっと見ながら通話が終わるのを待つ。

「こんにちは、何かお探し?」
「ああ、どうも。いや、特に何かってことはないんだけど。そこの観光局って今日はお休みだよね」
「そうよ。何か私で分かることであれば」
「実は Whitney って人に会いに来たんだけど、やっていないんじゃ仕方ないね」
「そうなの?Whitney ならきっとイベント会場にいるわよ。さっき見たから。」
「え?イベント?どこで何の?」
「ここからフリーウェイの方へ走ったら Dairy Queen のお店があるけど、分かるかしら」
「ああ、知ってますよ」
「あら、すぐわかるなんて唯の旅行者じゃなさそうね(笑)、今日はそこでクラシックカーの展示イベントがあって、観光局主催だがら彼女はずっとそこにいるはず。行けば絶対会えるわ」
「そうかい、助かった。ありがとう!」
と、こんなやり取りの後、お礼を言って会場へと向かった。

おお、やってる。やってる。全部で30台ぐらいは余裕であっただろうか。
カラフルな車が青空駐車場一面に並んでいた。

で、そこのスタッフに聞いて会えたのが、Whitney Ortiz さん!
元気いっぱいの、如何にも観光局の人!という感じが気持ち良い。
長居はできなかったが、とにかく会えてよかった 😊
今回のテーマである「人に会う旅」が、また一つ実現した。

ルート66を走れば次の目的地は当然?Funks Grove ということになるのだが、今日はホリディウィークエンドの日曜日、友人 Debbie は不在と聞いていたので、Maple Syrup もすでに買い終わったので今回はスキップ。
ということで、Normal の街まで飛ばした。

Normal での滞在は、Sprague Super Service Station に寄って Terri に会うことだけだ。イリノイ州ルート66界では、2015年より「Miles of Possibility」というアカデミックなルート66イベントを開催しており、昨年2021年、パンデミックの中、バーチャル・カンファレンスが開催されたのだが、そこで登壇させてもらい、諸外国から見たルート66と米国文化ということで、日本を代表をして少しお話をする機会を頂戴した。
詳細はこちら!
https://www.toshi66.com/2021-10-26/

で、その登壇に関して声をかけてくれたのが、イベント主催者の一人である Terri だったというわけ。なので、あれから一年が過ぎてしまったが、直接フィードバックを頂く良い機会だと思い、今回ぜひ会いたかった友人の一人だ。

元々教育者であった彼女は相変わらず凛としながらも、優しい笑顔で迎えてくれた。イベントも今年は第 7回目、2022年はまた対面形式に戻るようだ。お仕事の邪魔かなとも思いつつ、お客さんが来るまでしばらく時間を頂き談笑。また何かお手伝いできればこの上ない幸せだ。

さてさて、今日の話は長めだが、もうこの時点では MLB がどうの、という話ではなく、夜までにシカゴ帰れるかな、というレベルになってきた 💦
陽が落ちるまでにもう2か所、寄って行きたいのだ。

これは「Memory Lane」、追憶の路とでも言おうか。中々詩人じゃないか、ミーも 😚
現在は散歩用のトレイルとして活用されている、正真正銘の1926年に開通されたときの、1 ㍄に渡るオリジナル・ルート66 である。
もちろん道路は一部舗装されたいる所もあるが、大部分がオリジナルのそれであり、我々愛好家には堪らない場所の一つなのだ。
と言いながら、実はあまり頻繁に来れていないのも事実。旅程上スキップしてしまう場合も決して少なくなく、前回来てからは10年近く経つのではなかろうか・・・

古い標識が所々に現れる趣向も何とも言えない。

今回は車を完全に脇に停め、少し時間を取ってゆっくり散歩してみた。
ベンチに座ってこの旧道に思いを馳せると、この夢のハイウェイを旅した人たちの微かな囁きが聞こえてきそうである。

ということで、本日最後の訪問地は、Joliet (ジョリエット)にある、Rich & Cremy、アイスクリーム屋さん。
残念ながら?着いた時はもう夕方 5時をすっかり回っていたので、街のハイライトである、ジョリエット旧刑務所も、ジョリエット地域歴史博物館もすっかり閉店。まあ、この辺りのものはいつも来ているので仕方ない、と嘯いて、お腹も空いているから腹ごしらえに一直線。

この店ってさ、いつも混んでるんだよね。今まで来たときに店の前にお客の行列が無かった時は無いから。
で、これが大体2回に1回の割合で注文する、Banana Split 🤩
こういうところで食べるアイスクリームは本当に美味しいよね!

さあ、シカゴまで残りは 40㍄、小 1時間ぐらいかな。もうひとっ走りだっ!(オジサン二人のルート66旅 終)

オジサン二人のルート66旅②イリノイ編

さて、イマイチ曇天で始まったイリノイの旅。ルート66初体験の健さんには一つでも多く観光スポットを見せてあげたのだが、実際はそう悠長なことも言ってられない。なぜか?そう、今晩 19時10分から始まるセントルイスでのMLB観戦があるからだ😂 「野球とルート66、どっちが重要なんだ!」と突っ込まれるかもしれないが、何せ対戦カードは、カージナルス対ブリュワーズ、ナショナル・リーグ中部地区を引っ張る両チームのガチンコ対決だ。し・か・も、しかもだ、今シーズン後の引退を表明しているアルバート・プホルズ選手の雄姿を生で観るのはひょっとしたら今回が最期になるかもしれない。どちらが重要、という単純な話ではないのである。
そんなこと書いてる間にまずはウィルミントン。

最初にご案内するのは、併設するドライブイン “Launching Pad” に立つ、高さ約 30フィート(約 9m)の「マフラーマン」だ。今更細かく説明する必要はないだろうが、このレストランの前身である Dari-Delight の経営者が1960年にこのグラスファイバー製のフィギュアを $3,500 で購入して以来、この地のトレード・マークとなっているものだ。「ああ、本当にあるんだ」と、ポロっと言った彼の一言に自分が初めてみた時のことを思い出した。

とは言え、「文句」とまではいかないが、このお店とは今まで(今日を含む)自分はあまり相性が良くないのだ。理由は私がお店の営業時間に来ないから。(これじゃあほぼ言いがかり 😂)
遡ること数年、2017年10月に現在のオーナー、Holly Baker さんと、Tully Garrett 氏がこの場所を買うまで、10年間近く閉鎖されていたこと、それに再開した2019年以降は、パンデミックのおかげで旅ができなかったこと、の 2点が主な理由であるが、(小声で言うと)開店が10時半と遅く?シカゴをまずまずの時間に出る旅のスケジュールではキツイのである 💀

なので、新しいオーナーさんとは SNS でやり取りはしているものの、未だお会いできていない。次回以降の宿題である。

そして次は更に車で10分ほど行った Braidwood の “Polk-a-dot Drive In” 。さほど重要な観光スポットではないが(ごめんなさい😵‍💫)通り沿いにあるのでお連れする。

そんなこんなで遂にポンティアック。何時に誰と待ち合わせがあろうと、イリノイ・ルート66を体験してもらうにあたって、ここをすっ飛ばすわけにはいかない。

健さんが事前に入手した「ルート66 パスポート」にスタンプを押してもらう必要があるみたいなので、外観だけでなく、きっちり博物館の中もみていただいた。

この博物館(イリノイ・ルート66 殿堂博物館)のハイライトは何といってもルート66を代表する希代のアーチスト、Bob Waldmire 氏の功績や実際に使用していたものを数多く展示している「ウォルドマイヤー・エクスペリエンス」だろうか。博物館2階にあり、ウォルドマイヤー氏の芸術的、精神的成長をたどるものだ。
1階には彼の有名な フォルクスワーゲンのバンと、そして博物館の裏手には1966年に改装されたスクールバス、通称 「ロードヨット 」が常時展示されている。

そして個人的にとても好きな、博物館の向かいの壁に描かれた ”Waldmire Memorial” (ウォルドマイヤー・メモリアル)と呼ばれる壁画。ルート66の全長にわたる地図が描かれているんだけど、この壁画の長さ、何と 66フィート! 芸が細かい 🤣

という博物館見学の話に加え、今回もう一つ嬉しいことがあった。博物館内にはお土産屋さんがあるのだが、そこに販売員さん?マネージャーさん?として座っていた女性に見覚えがあった。どこで会ったのか、名前も思い出せないまま、(ナンパじゃないぞ!)「私ら知りあいですよね?」と簡単な自己紹介がてら聞いてみる。と、やはり「知り合い」だった!
その名も Joyce Harbin Cole さん。「そうだ、ジョイスだ!」どこで顔を合わせたかは未だ不明だが(笑)きっとルート66の何かの集まりだろう。SNS でも繋がっている彼女がまさか、このショップ(Home Again on Route 66)のオーナーさんだったとは 😊
ちゃっかり記念撮影。予定していなかった友人に偶然会えるのは嬉しいことだね!

ジョイスと彼女のお店内で

おっと、そんなこんなで時間が過ぎている。余裕ブッコいてると 14時のスプリングフィールドでの約束に間に合わないぞ。

時刻はやっぱり14時を回ったところ。少し遅れると途中からメッセージをしたが、待たせて申し訳なかった。Cozy Dog に到着だ!今となっては忘れてしまったが、道中どこかで少しポツポツ降ってる場所はあったものの、スプリングに着いたことにはすっかり雨上がり状態に。

皆さん、ご紹介しましょう。スプリングフィールド在住のルート66仲間、Penny Black さんだ。Penny に初めて会ったのは確か 2015年のイリノイ州でのルート66 カンファレンス。Penny はいつも優しく気遣いながら接してくれる。今では良い友人になった多くの人たちに一堂に会えた素晴らしい機会だった。

お店の中はしばらく来なくても何も変わっちゃいない。素敵 😊

お互いの近況を交えながら健さんを紹介。冒頭から「健さん」と書いているが、「ケン」ではない。「タテシ」なのだ。健と書いてタテシと読む。人生初めてのパターンに最初は驚いた(笑)
そのタテシからとって、ご本人は非日本人への自己紹介は「ター」という名前で通している。この旅がきっかけでルート66の多くの人々に「ター」が可愛がってもらえることを祈るばかりだ 👌

あ、そうそう。ここの Cozy Dog Drive In について。このお店の看板商品は何と言ってもコーン・ドッグだ。コーン・ドッグとは何ぞや?という方のためにちょっとだけ説明すると、棒状のソーセージ(要はホットドッグ)をコーンミールの衣で厚く覆って揚げたもの。アメリカ発祥の 100%生粋のアメリカ料理だ。Penny が実際にご馳走してくれたものがこちら。

コーン・ドッグが最初に売られたのは 1946年。今のこの場所は何と 1949年から営業中だ。お店を始めたのは先ほど紹介した Bob さんのご両親。現在のオーナーさんはお孫さんの ジョッシュ・ウォルドマイヤー氏だ。

最後はお約束のツーショット。また近いうちの再開を約束して次の目的地へ急ぐ。

次の停車駅?は、スタントン。ウサギさんの沢山いる、Hare It Is のヘンリー・ラビット・ランチなのだが、時間に間に合うか。本当は Cozy Dog 以外にも健さんに見せたいところはスプリングフィールドに幾つかあるのだが、とにかく時間がない。許してくれ!

結果から言えば、途中メッセンジャーを通じて、オーナーのリッチとはやり取りしたのだが、彼は今晩早めに店仕舞をして行かなければならない所があるのだとか。頑張って運転したのだが、10分ほど間に合わなかった。
残念!彼に最後に会ったのは2018年。うーん、仕方ない。結構アメリカ人にウケの良い日本のお菓子をお土産に持ってきたので、外のクーラーボックスに置いておくことに。

時間は16時すぎ。セントルイスまではもう少しだが、時間に余裕ができたので、その手前の リヴィングストンという街で、一軒立ち寄ることにした。その名も「ピンク・エレファント・アンティーク・モール」、遠くから嫌でも?視界に入る奇抜なお店だ。ルート66とはそこまで関係のない店ではあるが、ルート66が街を通過していたこともあり、お店はそれなりにその部分を強調している。実際、私自身このお店には入ったことはないのだが、一つでも多くのスポットを健さんに体験してもらうため、入店することにした。

お店の外観はこんな感じだが、中は結構広い!ちょっと小ぶりな体育館、といった感じかな。アンティーク好きにはいいのかな?物がこんなに!😵

一通り歩き回ってみたら、目の縁に飛び込んできたのが「St Louis Cardinals Goods」という小さな看板。カージナルスのアイテムがアンティークって何だよ、と小馬鹿にしながら商品を見たら、何事も馬鹿にするもんじゃない。ごめんなさい、私の勉強不足でした。と言わんばかりの、お宝⚾🏆💵アイテムがっ!

子供のころから敬愛するレジェンドスラッガー、Mark McGwire 選手のセントルイス在籍時の簡易ジャージ発見 😍 しかも何とこれ、たったの 10ドル。喜んでいいのやら、悲しんでいいのやら。

気が付いたらジャージを握りしめてレジに並んでいたよ。

という慌ただしい一日は無事、18時前にはホテルにチェックインという予定通り?の行程で終了した。宿泊先からスタジアムまでは徒歩で10分。平日木曜日であったが、今週末はメモリアル・デー・ウィークエンド。ホテルは満室、街は多くのスタジアムに行く地元民と観光客でいっぱい。やはりセントルイスは都会だな。

ホテルの部屋の窓よりミシシッピ川一望
晴れ男の面目躍如!噴水の位置も大きく変わった公園。

お疲れ様!さあ、スタジアムへ行くぞ!


オジサン二人のルート66旅①シカゴ編

実は今回渡米するまで一つ大きな勘違いをしていたようだ。
ずっとコロナ禍による渡航制限のせいで「2年半」も渡米できていない、と公言していたのだが、前々回のポストにも書いた通り、本当のところは「丸っと 3年」になるらしい。。。😱
オクラホマ州ルート66へ、友人宅で行われる秋のイベントへ弾丸ツアーをしたのは 2019年のつもりでいたが、それは実際には 何と2018年の秋、ということが判明した。そうだよ、よく考えたら 2019年の秋は(まだコロナの到来など想像していなかったので)仕事が変わったこともあり、渡米を春(2020年)のタックス・リターン時に延ばしたのだった😂
ってな事で、ルート66への帰還?も実に 3年ぶりになるんだと言うことに気が付いたわけで。まあ別に半年の差に然程大騒ぎすることはないのだけれど、記憶が明らかに衰えているところに心配の種が育つってものだ 💀

さて本題。この 5月の渡米目的は実はルート66でなく、幾つか重要な私用案件なのでそれらを優先、更にしっかりやるべき仕事もした上で、時間を捻出。シカゴでの案件に合わせ、日本に戻る前の週末に行われたミズーリ州ルート66アソシエーションが企画主催するイベントにも顔を出すことにした。公私のバランスは完璧だ。

3年ぶりのシカゴ・オヘア空港。相変わらずの盛況ぶりだ。カリフォルニア州ベイエリアでは比較的まだマスクをしている人々もみるのだが、ここは少々事情が違うようだ。2週間前の閑散とした羽田空港のことを思い出すと、このギャップには驚きを超え感心する。(出発したサンフランシスコ空港もここまで居なかった)決してコロナを軽視するつもりではないが、合理的な考え方は自身の性にもよく合っている。


到着後、レンタカーを借りて早速ダウンタウンへ向かう。アポイントメントの時間まで約 2時間半。高速道路は想像よりずっと空いていて助かる。
だが、「晴れ男」である私が来たというのに天候はイマイチだ。空港タッチダウン時に機長が「シカゴの天気は霧雨」とアナウンスしていたが、街に近づく頃には完全に止み、青空が雲の間から見え始めていた。

ダウンタウンはやっぱり交通量が半端ないので、今日の宿泊先の駐車場にさっさと止めてあとはその場所まで歩く。
そうそう、この高架下の景色がたまらなくシカゴっぽくて好きなんだ。

さて、ルート66もこれだけの回数を走っていれば、まだ訪れたことがない場所はそうそうないわけで、あるとすれば新しくルート66上にオープンしたビジネスか、夜間時や修復完了したネオンサイン等になるのだが、それらを見られるか見られないかは全てタイミングの問題であり、神様の判断の領域と自分は捉えている。

なので、今回ルート66の旅は非常に限られた時間ということもあり、3年間も会えていない友人達に一人でも多く会えれば、というテーマでスタート。

翌日、朝6時過ぎ、市内ど真ん中に宿泊地の通りの路面からは夜間にも結構雨が降ったことがわかる。が、外に出ると止んでいる。晴れ男の面目ちょっと保てたかも 😚 8時過ぎにはシカゴの街を出るから、それまでもってくれればそれで良し、十分合格点だ。

というところで最初に登場いただくのが、今回初めて直接お会いする、オンラインで知り合って 2年弱になる。ひょんなことから健さんからお声がけを貰ったのが コロナ禍で世界揺れている真っ只中の 2020年夏。彼の仕事の一環でオンラインツアーを提供販売しており、その番組コンテンツの一つとしてルート66について語って欲しいという要請であり、それからオンラインによる「ルート66妄想ツアー」を細々と続けている。健さんとの出会いは人と人のご縁、というのを久しぶりに強く感じたものだ。とはいえ、今回の旅は100%彼にとってもプライベートだけどね。

さあ、シカゴに来たからにはまずはこのサインを確認することから始めなければいけない。ん?若干場所が移動した?(気のせいだろう)サインが低くなった?(これは気のせいじゃない)標識にべたべた貼られたステッカーは多少掃除され綺麗になったか?(取り換えられたようだ)
うっかりしていると、知らないうちに修正・修復が微々されるものである。

お約束、ではないがまずは出会いを祝して健さんとスタート地点で記念の一枚。今までオンライン上の繋がりだったが、何度も何度も顔を見ながら話し合っているのでお互い結構知ってるつもりになっている。だからやっとお会いしたのだけど「今更感」は半端ない😄
健さんがルート66を走るのは今回が初めて。ただ、昨年 11月に配信したオンライン番組では、彼はシカゴに自費で飛んで現地(つまりここのサインから)生中継をしてくれたので、ルート66@シカゴダウンタウンは正確には 2度目となる。

そして市内を流れる河を渡り、シアーズ・タワー前を通り、まず最初の重要な場所へ出向く。この私の与太話ブログを読んでくれている方ならもうお分かりだろう、絶対に外せない朝食スポット「Lou Mitchell’s」へ出陣だ。

あ、その前に「シアーズ・タワー」に違和感を持った若い方たち向けに少し補足説明を。このビル、今では「ウィリス・タワー」(Willis Tower)と呼ばれるけど、英国系保険関連企業の Willis Group Holdings が命名権を取得した 2009年7月までは、シアーズ・タワーの愛称で通っていた。アンテナを除くビル最上階(110階)までの高さは 442m、シカゴでは一番高いビルだけど、アメリカ全土ではニューヨークの One World Trade Center に次ぐ2番目なのだ。

さて、そうこう言ってる間に Lou Mitchell’s に到着。宿泊ホテルより約 1.5キロ弱、徒歩で20分の距離だ。腹を空かせるには最適の距離である。

朝が早いせいか、まだ店内に人はまばらだ。普段はもう少しいるんだけど、それは8時あたりかな。斜め向かいにアムトラック駅があることもあって、通勤するビジネスパーソンが朝も昼もよく利用する人気店だ。数日前にオーナーの Nick に、この朝出勤してるかどうか聞いたんだけど、残念ながらこの日は来れないようだった。ただ、いつもの笑顔のフロアマネージャーの Dana が相変わらず元気そうだったのはうれしい限り。

さて、ここで本日2、3人目の友人に登場していただこう。
話は一週間以上戻るが、まだシカゴに飛ぶ前、かねてからSNS上で交流している Sylvia と Bernhard のご夫婦で、5月中旬からルート66を旅している様子がアップされていて、どうやら同じ時期にシカゴに居るようだったので、メッセージしてみた。「木曜日の朝、7時から Lou Mitchell で朝食する予定だけど、都合合えば合流しない?」
すると行くよ、と即返事。
こうやってまたSNS上で繋がっている友人に「初めて」実際にお会いできる機会に恵まれた。彼らはドイツからのルート66愛好家。実は彼らとはニアミスが一回あり、コロナ禍前の2019年夏、イタリアの友人の結婚式に参列するためフランクフルト経由で行ったのだが、家内がフランクフルトが初めてということで、2,3日滞在した。その時は気が付かなかったのだが、Sylvia 達はフランクフルトから車で15分程度の街に住んでいるらしい。私のフランクフルト紀行をSNSで見て、連絡してくれたのだが、その時はすでに帰国便へ向かう途中だった。わずか3年で逃したチャンスが再度巡ってくるのだから、これも何か一つのご縁なのだろう。

4人でテーブルを囲み、私は今朝は軽め?に大好物のホーランデーズソースがたっぷりかかったエッグスベネディクトを注文、話に花が咲いた。
聞くところによれば二人は5月にカナダ入りから始まり6月中旬までルート66をシカゴからサンタモニカまで行くとか。共通の友人達にも沢山会える予定にしているらしいので羨ましい 😵
1か月以上旅行を楽しめるドイツのライフスタイルはやっぱり進んでるんだなぁと心底感心した。

お互い道中気を付けて!とエールを交換し、お店の前で記念撮影。

さあ、我々も今日はミズーリ州セントルイス目指して出発だ!


Dave とシカゴは永遠に

何と表現して良いのか、言葉が全く見つからない。

作家、歴史家、ツアーガイド、そしてルート66界、屈指のパネリストでもあった David Clark 氏が亡くなった、との知らせがあった。

Route66News のサイトでも報じられ、https://www.route66news.com/2022/01/07/david-clark-a-foremost-expert-on-route-66-in-the-chicago-area-dies/

SNS上では、David の継息子さんである Charles Aldarondo氏からの報告を筆頭に、同イリノイ州の仲間たち、Chery Eichar Jett 女史、Geoff Ladd 氏、そして Terri Ryburn 女史からも追悼の意が発された。
そう、皆、昨年10月に開催された(毎年行われている)Miles of Possibility Route 66 Conferenceで共に素晴らしい時間を過ごした仲間たちだ。Dave は彼の友人であるSherry Meyer女史と同カンファレンスを運営し、その中でも大人気のシカゴ・ツアーをも企画した。時差の都合で参加できなかったことが返す返すも悔しい。

シカゴの街になぞらえて、自らを Windy City Road Warriorと呼び、同名のウェブサイトを立ち上げ、長年に渡ってシカゴの街とイリノイ州ルート66を中心に多くの有益な、そして興味深い情報と知識を私達に与えて続けてくれた Dave には心から感謝すると共に哀悼の意を伝えたいと思う。

Dave は一度、彼のウェブサイトにも記してあるように、「私の母はシカゴの北西部、父はジョリエットの出身なんだ。だからルート66は私の血の中にしっかり存在するんだよ」と話してくれた。すごく羨ましかったことを今でもはっきり覚えている。それに奥様も生粋のシカゴニアンだとか。

Dave と奥様 Carol

同じく去年、David が毎月6日に主催、配信している “Route  66 on the 6th” 、6月会合での「International Round Table」に声をかけてもらい、オンライン上で少し講談する機会をもらった。それが彼の番組への最初で最後の登壇になるとは夢にも思わなかった。あの時リハーサルも含め何度か直接話が出来て本当に良かった、と今しみじみ感じるよ。

更に、自身がHIS社の協力で担当配信している、ルート66妄想ツアーの番組内で、シカゴにある重鎮ダイナー「Lou Mitchells’ 」から生配信することから、現地での撮影許可を貰うために、ダイナーのオーナーである Nick Thanas 氏との間を快く取り持ってくれたことも感謝の念に尽きない。

急すぎるよ、本当に。(ルート66である)アダム・ストリートにある自身のコンドに、「次にシカゴに来たときは絶対うちに寄ってくれよな」って。なあ Dave、このパンデミックが明けてあなたとシカゴの街を訪問する時を楽しみにしてたんだよ、この2年間。マジで。

同じくルート66の大切な友人がいつも言う;”Time No Waits”
そう、時は待ってくれない。自分のしたいことや夢を後にとっておくほど私達の人生は永遠に続かないのだ。

David、本当にいろいろありがとう。また会おう。安らかに。

週刊NY生活月イチ連載 SEASON 4: Vol. 7 Miles of Possibility 2021 リモートで登壇!?

さて、今日は久しぶりのネタ。
今年6月19日以来ってことかな、毎月恒例の日系情報誌「週刊NY生活」紙にて連載中「さあ行こう!魅惑の旧街道ルート66」SEASON ④は、長い夏休みを経て、今月号から再開だよ!

このブログを読んでくれている方々には申し訳ない。内容が重複してる😅
先日のイリノイ州で開催された「マイルズ・オブ・ポッシビリティー・カンファレンス」の件で書きました。

記事全文は週刊NY生活ウェブサイト ⇩ まで (18ページです)
https://nyseikatsu.com/editions/843/843.pdf

MOP21 登壇しました😎

© Miles of Possibility

いやいやいやいや、この歳になると時差はやっぱりキツイわ!😂
先月の投稿でも紹介した、Miles of Possibility 2021 のカンファレンスに無事、登壇が終わりました。
最初から分かってたとは言え、午前 1 時にPCの前で 1時間にわたってしゃべるなどという経験は中々したことがないよ。日中ならまだしも、ね。
もちろん自分の番が終わったからってすぐ寝るわけにはいかない。他の登壇者を気遣って、というよりは、彼らも皆良き友人達だから、どんな話をしてくれるのかな~って、やっぱ気合い入れておきちゃうわけ。
だからと言って流石に全部は無理だったけど、週末とはいえ 2 晩連続で朝の 5 時に寝るなんてマジ、学生時代以来だと思う🙄

© Miles of Possibility

登壇日のスケジュールはこんな感じ 👆
私の担当持分、現地時間が朝 11 時は聞こえはいいけど、さっき言ったように日本時間の午前 1 時。そこまで起きてるのも結構大変だったよ。一度寝たら起きられないし、きっと。。。

でもね、やっぱり出させてもらって良かった。機会を与えてくれた主催者の皆に心から感謝したい。久しぶりに楽しい 2日間だったよ。ルート66の多くの友人に一堂に会することができるのは本当に魅力的。特に立場を同じくするアメリカ以外の世界各国のルート66アソシエーションを率いる友人達とは中々会えないからね。

これは ⇩ ここでも紹介したことのあるルート66関連の雑誌「ROUTE Magazine」を発行する Brennen がインスタグラム上で作ってくれた今回の登壇者たちの集まったイメージ画像。

© ROUTE MAGAZINE

最上列は、左から歴史家で作家の Jim、そして同じく歴史家であり知識の量ではずば抜けている Joe、その次が Brennen、一番右は ルート66 生誕100年祭では中心的人物になるであろう、Bill。いずれも重鎮さんたちだ。

また、同じインターナショナル・アソシエーション同盟として、三段目一番左の、スロヴァキアの Marian、お隣はカナダの Bonnie、最下段左から二人目は、オランダの Dries だ。

最後に Route 66 Miles of Possibility について少々。この Miles of Possibility は、実は地元イリノイ州の 3人の素敵な女性によって運営されている法人化された非営利団体だ。彼女らは一生涯を通じて旅を愛していることで一致していて、教育、資金調達、非営利団体の運営、歴史、保存、執筆、編集、小売業、観光業など、様々な分野での経験を積み重ねてきているスター達なのだ。

© Miles of Possibility

左から、Debyjo(イリノイ州ジョリエット) Cheryl (イリノイ州エドワーズビル)、そして Terri (イリノイ州ノーマル)。

Penny & Geoff © Miles of Possibility

カンファレンスも今年で6年目、コロナ禍ということで、初めてのバーチャル開催だった。来年 2022 年度はまた集客型に戻るそうだし、次はLIVE で皆と共に喜びを分かち合いたいな。

追記:Miles of Possibility のウェブサイトにはこんなふうにご紹介いただきました。

© Miles of Possibility

A Worldwide Celebration of Route 66 – MOP2021

何だかんだと言っているうちにもう9月も半ばを過ぎたね。結局という単語は未だ早いのかもしれないけど、2021年もルート66に出れないまま、ただただ時間は通りすぎた。
この歳になると、特に今のこの年代っていうのかな。自分では非常に大事な10年間だと認識している。決して多くないけど、ちょっと自由に使える小遣い、それなりに出来た友人知人のネットワーク、そしてもう少しだけ無理の利きそうな体力と正に人生のハイライトに差し掛かっているのだが。。。もう少しの我慢で終わることを心より祈っている。

そんな中、宣伝というわけではないが、2015年のイリノイ州エドワーズビルで行われた栄えある第一回「マイルズ・オブ・ポッシビリティ」(Miles of Possibility Route 66 Conference) 、今年で6回目を迎える。
Illinois Route 66 Byway、Illinois Rock & Roll Museum、Bloomington-Normal のアソシエーション、そしてスプリングフィールド市商工会議所当が中心になって行っているこのイベントの特徴は、出店、ライブ、そしてクラシックカーのショウではなく、毎回ルート66をこよなく愛する歴史家、作家、写真家、さらにはローカルアートや街の歴史に詳しい人達の楽しいプレゼンテーションに支えられているアカデミックで情報発信という側面を持つことだ。

第一回目の内容については過去記事で触れているので、ご覧になっていない方は是非一読を。と言いながら Road Crew の皆さんに会えたミーハーな内容だけど(笑)
www.toshi66.com/2017-12-03/

ちょうど第2回大会が行われるころから日本へ出向いていることと、その後のパンデミックで中々参加が叶っていないのだが、今年は光栄にもスピーカーとして参加させて貰うことになった!
記事名にも書いているように、今年のテーマは「A Worldwide Celebration of Route 66」。世界中の仲間たちが10月21日~24日オンライン上で集合するのだから楽しみだ。

まだ完全な詳細を聞いていないが、ルート66の歴史を語らせたらこのツートップ、という Joe Sonderman 氏、Jim Hinckley 氏、に加え ROUTE Magazine の発行人である Brennen Matthews 氏 を始めとした豪華な顔ぶれと同じ場所に立つというのはさすがに緊張するものだ。
同じ International という立場では、オランダ・ルート66・アソシエーションの Dries Bessels 氏、スロヴァキアからはルート66パスポートで有名な Marian Pavel 氏、そしてカナダ・ルート66・アソシエーションの Bonnie Game 氏、と曜日は異なるが、元気な姿が見られるのは嬉しい。

当日のテーマは、日本人旅行者市場の(ルート66への)現状と展望に加え、自身が有志と運営している ルート66・ジャパン・アソシエーションの紹介をしようと考えている。
実は現在ちょっと仕事が忙しく、このブログを始めいろいろなルート66絡みの活動を一時休止していて。。汗 。。このイベントを皮切に活動再開!かな。

イベントの詳細はこちら ⇩ 😀

https://www.route66news.com/2021/09/18/miles-of-possibility-conference-will-be-virtual-with-speakers-from-worldwide/

ルート66生誕祭中止へ;スプリングフィールド二都市の明暗

またまた残念なニュースが入ってきた。という出だしもそろそろ終わりにしたいんだけどな。。。
このブログでも何度か触れてきたのでもう憶えてくれている方も多いと思うが、毎年夏に行われるミズーリ州スプリングフィールドでのルート66誕生祭 “Birthplace of Route66 Festival”が、昨年に続き今年も開催が見送られることが発表された。理由は言うまでもない、同地域でのCOVID-19感染者の増加が懸念されるためだ。

© KY3

地元メディア「スプリングフィールド・ニュース・リーダー紙」は、スプリングフィールドが所属するグリーン郡のCOVID-19の症例が44%増加したと報じている。ミズーリ州全体でも症例数は50%近く増加し、この感染拡大規模は全米2位とのことだ。郡保健局によれば、早ければ来週にも病院の収容能力の限界に達する可能性があると発表されている。

報道ではアメリカは国民の7割近い人口のワクチン接種により、感染拡大は一旦減少傾向にあり、経済も少しずつ回復していると聞いている。つい昨日もメジャーリーグ・ベースボールのオールスターゲームがコロラド州デンバーで開催され、ほぼ満員のスタジアムにはマスクも外した多くの観客が楽しむ姿が映っていた。

それだけに、今年はまず間違いなく開催されるであろうと思っていたフェスティバルであるが、非常に残念な結果となってしまった。もちろん開催の可否に関わらず、まだ今年夏の訪米は様々な事情で難しいのが現状だが、何度か参加しているルート66ファンとしては、やはりこれだけ大きいフェスティバルには国内だけでなく、世界中からルート66ファンが集まり、少なくとも年一回は我々「ルート66ファミリー」の大勢が集う機会は人生の中でも重要なイベントであるので悲しい(今年は約8万人の動員見込み)

逆に言えば、このフェスティバルは規模が大きく、世界中から何万人もの人が集まるため、病院の稼働率がピークに達している中で、病院に負担をかけたり、新種株の蔓延を助長したりするようなことがあってはならないと考えるのは至極妥当であり、正しい。(今年は約8万人の動員見込み)

もし参加の申し込みをした人がいれば、全額返金を委員会は約束しているので、こちらの公式ウェブサイトを参照 ⇩

とは言え、一方ではイリノイ州のスプリングフィールドで開催される「インターナショナル・ルート66・マザーロード・フェスティバル」は、昨年は中止したものの、このブログを書いている時点では、今年9月24~26日でのイベントは開催予定となっている。
これまで同イベントを運営してきたフロリダのBonnier Events社が撤退したことで、過去20年近くにわたって街の目玉の一つとなっていたこのイベントは消滅の危機にあったが、同街で他の数多くのイベントを仕切るグレッグとス―のクーパー夫妻に委託、彼らが快く引き受けたことでフェスティバルの存続は担保された。

クーパー氏曰く、「2026年のルート66、100周年を目前にして、このシイベントがスプリングフィールドにないというのは悲劇的なこと。この街にはルート66にあり、エイブラハム・リンカーンの歴史がある。フェスティバルを開催するのに最適な場所だよ」

フェスティバル詳細はここをチェック⇩
https://route66fest.com/

「インターナショナル・ルート66・マザーロード・フェスティバル」は、イベント期間の3日間で6万~8万人を動員する。同地の「イリノイ・ステート・フェア」に次ぐ地元では最も人気のあるイベントの一つだ。

何とか状況が悪くならず、無事開催につなげて欲しい。それと同時に来年こそ!2022年ミズーリ州スプリングフィールドの「Birthplace of Route 66 Festival」開催を祈って!

法整備への飽きなき努力は止まらない

パンデミックが始まって早1年半誓時間が過ぎ、多くの物事が止まっているように見える中、着実に進んでいることもある。
先月の話になって恐縮だが、Darin LaHood イリノイ州下院議員は、Grace Napolitano カリフォルニア州下院議員と共同提案者として “The Route 66 National Historic Trail Designation Act”「ルート66国立歴史地区指定法」米国下院に提出した。

詳しい話は、2020年12月に記した「ルート66生誕100周年」へ向けての法整備 を参照頂きたい。議会が、ルート66を国立公園局の管理下にある国定歴史建造物に指定する法案を通過させようとするのは、これで通算 3回目となる。
というのは、この提案されている法案は、ルート66を国立歴史的トレイルのルートに加えるもので、2018年6月に初めて下院で可決された。その後上院にも同様の法案が提出され、2020年8月に一旦可決されるものの、その時点を超えて進行することはなかったという苦い経験があるのだ。

同じく上記したコラムの中でもお伝えしてる “The Route 66 Centennial Commission Act 「ルート66、100周年記念委員会法」は、驚くなかれ、そのコラムを書いてからわずか2週間後に当時のトランプ大統領が署名をしたことで成立した。(もちろん私の功績は1ミリもない、笑)

前回も紹介した Route 66 Road Ahead Partnership の代表、Bill Thomas 氏は、この両議員の諦めない行動力に感謝を示し、マザーロードは、イリノイ州内のコミュニティに強力な経済開発ツールを提供し住民に雇用機会を創出する。ルート66を「国定歴史建造物」に指定することは、このハイウェイを保存し、促進し、経済的に発展させるための恒久的なプログラムを提供することになるはずだ、と力説する。

皆さんも考えてみて欲しい。ルート66が国定歴史建造物に指定されれば、ルート66が通る8つの州とそこに存在する数多くのコミュニティに、必要な連邦予算、資源、雇用がもたらされるわけだ。法案はこのような重要な資金を捻出できることで、歴史的象徴物の修復、改善、そして遺産の保存を支援し、何百万人もの住民のためになり、経済復興そのものを後押しすることになるのは明白ではないだろうか。

Napolitano 議員も言う。「多くのアメリカ人がワクチン接種を受け、ビジネスが再開され、この夏には家族や友人と旅行が出来ることを楽しみにしている。こんな絶好な機会はない。」と。

果たして私たちに届く「素晴らしい夏」の便りはいつかな? 😄

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