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Castaneda Hotel 70年の時空を超えて

Time flies. (光陰矢の如し)はこんな短期間に使うべき言い回しではないのかもしれない。だが本当にそんな感じがするのだから仕方がない。
前回その「元ホテル」に訪れたのが最近のことだと思っていたら何と、2016年10月、実はそれからもう 2年半も経っていたのだ!

2019年4月、私はニューメキシコ州ラスベガスの「Castaneda Hotel」を再訪する機会に恵まれた。Castaneda Hotel のオーナーは「La Posada 物語は永遠に」(2018年3月21日記事)で紹介したアラン。Castaneda と私の関わり、そしてホテルの歴史については「遂に La Castaneda Hotel の中へ!」(2016年10月22日記事)を参照して頂きたい。

こういうのを虫の知らせと言うのかもしれないが、今回限られた日数のルート66旅で選んだのがニューメキシコ州東部だ。Castaneda Hotel も随分改築改装が進んだであろうと予測し、先月アランに進捗状況を知りたくショートメッセージを送ってみた。聞くところによると事は順調に運んでいて、来月には何室か実際にお客を泊められるかもしれない、と。「こりゃ絶対に見に行ってみないとな」私はまだ何も予定も決められない端からぼんやりと決心していた(笑)

4月4日(木)前日トゥクムキャリに泊まった私は、早朝からUS84号線を飛ばしラスベガスへと向かう。残念ながらアランはアリゾナ州のホテルの仕事で当日は不在とのこと。ホテルの仲間に話しておくからゆっくり見て行ってくれ、と事前に連絡をもらったのでお言葉に甘えた。
US84からフリーウェイ25号線に入り、University 通り出口で降りる。何も変わっていないのが心地良い。Grand アヴェニューの交差点まで進み左折、そしてすぐをもう一度左折する。
そこで見えてきたモダンに生まれ変わったホテルの外観に唖然とした。いや表現の訂正が必要だ。外観は変わっちゃいない。煉瓦作りの、あの何年も見てきた Castaneda Hotel だ。変わったのは周りだ。薄暗い柵も撤廃され、周りの樹木もきれいに伐採。エントランス周りもきれいになって、文字通り「ホテル」になっていた。

窓が大きく、陽の光がしっかり注ぎこむ明るいロビーのドアを開けてみる。
フロントには女性のスタッフが一人。自分がアランの友人でホテルを見せて貰いにに来たことを告げると、とても心良く案内してくれる旨を伝えられた。
実は4月3日の夜、初めてのお客様を7部屋分、泊めたそうだ。
今風に言えば「ソフトオープン」といったところか。
全25室はまだ完成していないようで、泊められる状態になった部屋のみ提供開始だそうだ。とはいえ、BARやレストランを始め、客室以外の部分はまだ何も出来ちゃいない。こんな状態でお客を泊めようってんだから、さすがアメリカだ!
今回案内してくれたのは経験豊富なベテランマネージャー、Yvonne さん。彼女のお客様への接し方を見ていれば、このような状況下でも彼らが充分満足するホスピタリティは「完成」していると感心した。
その Yvonne さんに連れられて、ホテルの隅から隅まで案内してもらった。

ロビーは非常に明るくシンプル。今後どのような装飾がされていくのかは分からないが、可能な限りシンプルさを保って欲しいところだ。

そのロビーから階段を上がっていくと客室エリアとなる。

さきほど触れたように全部で25部屋。聞くところによると全ての部屋にテーマがあり、異なった内装とのことだ。例えば201号室は「The Hare」尾っぽの黒いジャックラビットと、白いジャックラビットの競演、202号室は「Bluebird」。ニューメキシコ州に棲む西部、中西部、東部のブルーバード(日本だとコマドリ?)が勢揃いだそうだ。

部屋の窓からは隣にあるアムトラックの駅もしっかり見える。なるほど Harvey House の真骨頂だ。

内側に面している部屋の窓からはまだ作業中の中庭が剝き出し(笑)

せっかく?なので私の一番好きな中庭へ出て幾つかショットを撮ってみる。

パノラマもやってみた。

ここは前回も見せてもらったBARエリアだが、その時は埃をかぶった薄暗い感じであふれていたが、ずいぶん綺麗にに生まれ変わった。

実はこのBARが最も喫緊の課題場所だったようで、その時 Yvonne さんは、今月どこかでオープンしたいと言っていたが、さっき友人のFBポストで「BARのオープンまであと72時間!」という興奮気味のコメントが書かれていた。かなりの急ピッチでやってるのかな。因みにこんな「やることリスト」も貼られていた。


レストラン、厨房、そしてワインセラー、はまだまだこんな感じ。

オープン間近という最も忙しい時に嫌な顔一つせず、ゆっくりいろいろと説明しながら見せてくれた Yvonne さんには本当に感謝。ニューメキシカン・ホスピタリティとは正に彼女のような御持て成し精神のことを指すと再認識。同じホテル業界勤め、自身は営業職ではあるが、改めて学ぶことが多かった。
聞くところによれば Yvonne さんはここラスベガスの出身だが、サンタフェの有名なホテル「La Fonda」に長く勤務したらしい。なるほど、だ。
Castaneda のような歴史が長く、今回70年の時空を超え甦ったホテルなんかは、そう、「あれ」が付き物?だ。La Fondaでも時折その手の話はあったらしい。ここでは詳しく書けないが、興味のある人は是非 Yvonne さんに直接聞いてみては?!


ホテルのある通りはまだまだ寂しい。アムトラック駅があるのみ、で他には車の修理工場が一軒あるだけ。とっくの昔に閉店してしまった飲食店や散髪屋の看板がひっそりと佇んでいる。

Castaneda の再生と共に、この道もまだ活気を取り戻す日が来るのだろうか。
そんなことを考えながら写真を撮っていたとき、ふと通りがかりの男性に声をかけられた。
「オレさ、お前のこと知ってるよ。SNSでみたことある。確か日本人だよな。そうか、このホテルまで来てくれたんだな、うれしいよ俺は。もう少ししてさ、お客が沢山来るようになったら、オレはここでカフェもやろうかと思ってるんだ。その時は来てくれよな!」
酒臭い息を吐きながら、でも人懐こい笑顔で早口にまくしたて、ひょうひょうと去って行ってしまった。
お世辞にもカフェが開けるようには見えない。
でもこういう歴史の再生は多くの人にいろんな夢を与えるようだ。
アランと彼のチームメンバー全員に感謝するとともに、今度こそは Castaneda Hotel が長く永劫続くことを願って。

ホテルのホームページ:
http://castanedahotel.org/

ホテルの改装状況アップデート:
https://hotelcastaneda.blog/

 

 

ボブさん、安らかに

ルート66は、ルート66で結ばれた私たち大きな家族は、大切な友人を亡くした。50年近くに渡ってマンガーモス・モーテルを切盛りしてきたボブ・リーマンは、先日天国へと旅立った。

ボブに最後に会ったのは2016年の春、モーテルで行われた「ルート66ファミリー」のイベントだ。
その時からあまり体調が良くないと言っていた。
癌を発見されたのは昨年の夏。
それ以来ボブは化学療法や、放射線治療を受けながら懸命に闘ったようだ。

アイオワ州出身のボブとラモナのレーマン夫妻は、ミズーリ州を旅していた時にひょんなことからレバノンの街でその「モーテル」に出会った。
不動屋の熱心に語るルート66とその歴史にすっかり魅了された二人は、短期間でそのモーテルを購入を決め、今日まで大勢の旅行者に愛されてきたわけだ。
私が彼らに最初に話をした時ははっきり憶えていないが、知らないうちにミズーリ州の父と母のような存在になった。
取り分けラモナはいつもとびきりの笑顔とキスで迎えてくれて、到発着時にはいつも1時間は悠にかかるほどお互いの近況を話混んで交流をしてきた。
いつもその背後でゆったり椅子に座りながら、その大きな目で見つめながら頷いていたボブは、次はもう居ない。

昨年9月にシカゴからオクラホマ・シティまで旅をしたとき、実はマンガーモスにも立ち寄っている。ここ最近一連のブログでマンガーモスのことに触れなかったのは、その時の訪問で初めてラモナに笑顔がなかったからだ。
ボブの病気について話をしてくれたが、とても辛く悲しそうで、返す言葉もうまく見つからなかった。

ボブの亡くなった後、多くの「家族」や友人からお悔やみの言葉が私のFacebookページを占領した。どれだけ多くの人に彼が愛されたのかこれだけでも良く分かる。
その後、ラモナが皆に充てて投稿した文章を原文のまま載せたい。

“I want to thank all our Route 66 friends who have sent their love, their esteem of my Bob, and their sadness for his passing. Bob found out last summer he had cancer… he was brave and took the chemo and radiation as prescribed… the cancer was very aggressive..In December it was found also in his brain.. He had 14 days of radiation… It really weakened him.. about 2 weeks ago he lost the strength in his legs… so we had hospice for a week and two days.. they sure are wonderful people. My husband now is at peace..I am so thankful for my two daughters, who were at his side and mine.. funeral is Monday the 4th of March. at Colonial Chapel here in Lebanon.. visitation at 2 p.m. God bless all of you..”

ここに書かれている通り3月4日にお葬式がある。あまりにも急であった上、さすがに東京から駆け付けるのは難しい。
だから 2日の土曜日、私はラモナに電話を入れ、葬儀に出席できない旨をわびた。
彼女は自分の悲しみを圧して、遠くから電話をくれたことを喜び、そして感謝の念と共にこう言ってくれた。

「トシ、ルート66が好きで集まった仲間は皆、一つの大きな家族よ。遠く離れた場所にいても、そうやってボブを想ってくれて電話をくれる。それで充分。私は大丈夫、娘たちも一緒にいてくれるしね。ここは閉めないわ。愛する家族たちが返ってくる日を思いながら、ここで待ってるわよ。」

仕事の途中で泣いてオフィスに戻るわけにはいかない。
グッと我慢して「また必ず行くからね」、そう言って電話をきった。

ボブ、安らかに。

キューバとコニーとワゴンウィ―ル


ミズーリ州キューバ。ルート66に興味がなければこの街を知る人は少ない証拠だと思うが、街の話をすると「ん?キューバ?」と大体聞き返されることが多い。かく偉そうに言う私ももちろん、うん十年前はその一人である。パリ、マドリッド、ミラノ、そしてローマと、歴史の浅いアメリカには、欧州でも指折りの著名な街名が着いた街がしっかりあるのだ。それを考えるとキューバという街名があっても然程驚かないのが本音か(笑)
そんな話はさておき、キューバに到着したのは夜の9時少し前。ルート66上のモーテルは夜が早い。簡単に言えば全体的にモーテルのオーナーは高齢の方が多いからであり、お客の到着が遅いと鍵だけ置いてさっさと寝てしまうのだ。
さて今夜はどうだろうと考えながら目的地近くに行くとネオンは点いている。良かったと思う反面、悪いなという気持ちで車を停める。

「お前がトシかい?」と見慣れない中年男性が笑顔で迎えてくれる。
「そうだよ、コニーはもう寝ちゃったかい?」
「ああ、とっくに休んでるさ。オレも9時になったら帰ろうと思ってたんだ。はっはっは。まあ間に合って良かったな、ほら鍵だ。コニーは明日朝8時にはいるはずだよ」と言いたいことだけ言って、お休みと言わんばかりに後ろ手を振って彼は去っていった。
明日は7時には起きて朝飯に行く予定だったから8時なら丁度良い。そこそこの距離を運転しているだけに早めに横になろうと部屋に入る。

これだけ見ると豪華には決してみえないが、ここ ”Wagon Wheel Motel”は、ルート66上に建つモーテルとしては中々立派なのである。現在の総数は19部屋。シングルからファミリー用、そしてスイートまであり、WiFi 完備という心意気だ(端に田舎なので電波が悪いという説もあり)。建物の前には中庭があり、仲間内でゆっくりBBQをして過ごせるスペースもある。
部屋の中はベッドはもちろん、一応TVもある。洗面台、シャワー、トイレと不足なものはないのだ。


ルート66を旅する醍醐味の一つが早朝の美しさだ。もちろん晴天でないとそうは行かないのだが、幸運にも私は晴れ男。ルート66を走って雨にやられるケースは結構は少ない方だ。
昇る朝陽もワゴンウィ―ルの看板と重なっていい感じである。

朝7時、さっそく楽しみにしていた「イベント」に心を躍らせる。モーテルあら歩いて5分ほど行ったところに ”Shelly’s Route 66 Cafe” とダイナーがある。結構友人仲間では好評はダイナーだが、まだそこで実際食べた経験がないのだ。ダイナーは朝6時~午後3時まで。そう、朝と昼専門だ。そして月曜日がお休みなわけだが、過去何回かなぜかワゴンウィ―ルに泊まって朝を食べようとすると月曜の朝にあたるわけで、夕方通り過ぎた回数を含めると相当数なチャンスをふいにしてきた。
それだけに今回はとても楽しみにしていたというわけ。

メニューはお決まりのアメリカンな朝食だが、やっぱり美味い、落ち着く。
定番の目玉焼2個とソーセージパテ、ハッシュブラウンにトースト+コーヒー、でわずか約4ドル強。凄まじい。

ゆっくり朝食を撮った後は、Mural City(壁画の街)と呼ばれる所以である街のいたるところに描かれている画をチェックしに散策。毎度見てみるものだけにきちんとあるかの確認作業みたいなものだ(笑)Cuba Mural Project が始まったのが2001年頃。それから7年ほどかけて地元のアーチスト達が先駆となり合計12の壁画を完成させた。その後2つ加えて今は14となっている。地元の人達の街愛はこんなところでも溢れている。

さて8時過ぎ、約3年ぶりのコニーに対面。この早朝時は(きっと昨晩の宿泊客も少なかったのか)ほぼ誰もロビーに現れないので、たっぷり1時間ほどかけてお互いの近況を報告しながら談笑。

コニーももう70歳を過ぎているがお孫さんが後を継いでくれるまでもう数年は一線で頑張るのだそう。最近の商売は良い感じだと言っているのが非常にうれしい。でも満室(19室だが)になると部屋の掃除や洗濯が大変らしく、あまり満室にはなって欲しくないと笑って言う。本音は10室ぐらい毎晩入ってくれるのが最高なんだとのこと。同じホテル業でも事情が変われば話が変わって面白い。
次回また会えることを約束し、愛情溢れるハグを頂戴した。

Wagon Wheel Motel
901 East Washington Blvd.
Cuba, MO 65453
(573)885-3411

Shelly’s Route 66 Diner
402 South Laurence Street
Cuba, MO 65453
(573)885-6000

 

ジョプリンにホリディ・イン誕生

私にとってミズーリ州は、ルート66の走る8州の中でも特別な想いのある大好きな州の一つだ。3か月ほど前にも野球の話で取り上げたが、今回はもう一つ、私自身の専門職、ホテルの紹介をしたい。
今年2018年、ミズーリ州ジョプリンの街に新しいチェーンホテルがオープンした。Holiday Inn Joplin である。残念ながら?私自身の働くブランド・チェーンではないが、そんなことはどうでも良い。ホテル業界全体が栄えればそれが最優先である。


ホテルの経営者は Randy Shippy 氏。ジョプリンで生まれ育った生粋のミズーリっ子らしい。ルート66は、その歴史的重要性と旅行者へのアピール度を考慮した際に大きなマーケティングツールになることをよく理解している彼は、ブランドオーナーである インターコンチネンタル・ホテルズ・グループに掛け合い、ルート66をテーマにしたレストラン&バー施設を盛り込むことによって収益の拡大を見込んでいるとのことだ。

一年間で約100万人がルート66を旅していると言われている中、半分と見積もっても約50万人がジョプリンの街を通過する。私の友人が経営する小さなモーテル「Boots Motel」などのモーテルは苦手で、チェーン系のホテルに宿泊したい旅行者にとっては大きな魅力のホテルになるはずだ。

ただ唯一残念なのが、このホリディ・イン・ジョプリンが、ルート66上に建っているわけではないことだ。ルート66として指定されている 7th Street と、Rangeline Road より南に4キロ近くも離れている。

とは言え、施設は先述したレストランを始め、フィットネスジム、プール、パティオやリビングルームエリアまで、旅の疲れを取るには充分な要素で満載だ。
ジョプリンの街で宿泊する際の一つのオプションにして間違いない。

ホテルの詳細はこちら ⇩ まで。
https://www.ihg.com/holidayinn/hotels/us/en/joplin/jnljo/hoteldetail

 

 

週刊NY生活連載第二弾②:ルート66ベスト10~ホテル・モーテル西部編


本年度4月より始めさせて貰った新企画、その名も「ルート66何でもベスト10」
今月はホテル・モーテルを西部4州から(テキサス・ニューメキシコ・アリゾナ、カリフォルニア)ご紹介します。
詳細は週刊NY生活ウェブサイト ⇩ まで!

https://www.nyseikatsu.com/editions/674/html5/index.html

週刊NY生活連載第二弾①:ルート66ベスト10~ホテル・モーテル東部編

週刊NY生活編集部さんからのサポートの下、2018年度4月より新しい企画が始まりました!その名も「ルート66何でもベスト10」!
ルート66沿線上のモーテル、レストラン、お土産屋さん等を筆者の独断と偏見で選んでご紹介して行きます。旅のご参考になればこれ幸いです。

ということで今月はホテル・モーテルを東部4州から(イリノイ・ミズーリ・カンザス・オクラホマ)ご紹介します。
詳細は週刊NY生活ウェブサイト ⇩ まで!

https://www.nyseikatsu.com/editions/674/html5/index.html

ルート66、アルバカーキーの興隆


私が最初にアルバカーキを訪れたのが1996年なので、あれから22年が経つ。2010年にご縁あってニューメキシコ州に住むことになってそれ以来は頻繁に同街と係ることになったが、ここ1、2年、急速にアルバカーキ(ルート66を含め)が「進化」している感じがする。それによってニューメキシコの良いところを失って欲しくないのが本心だが、いやはやもう住人でない輩の意見なんぞ聞かないよ、というのが地元の人達の意見だろうか(笑)
その使い勝手の良さからアルバカーキ空港は全米でも最もお気に入りの空港の一つだし、この街に着くなりここ何年も先ず食べるのはチリバーガーだ。その手のニッチな話は置いておき、今回は短時間だけど街の進化を体感したお話を少し。


“Beep, beep”の音で素早く走るロードランナーは、皆さんもアメリカの漫画から良くご存知と思うが、カッコウ科の鳥で北米大陸南部のユッカの花が咲く乾燥した砂漠地帯に多く生息しているらしい。私が初めてそれを見たのは確か1992年頃テキサス州ヒューストン郊外だった。 事典によると時速30キロ近くの速さで走ることが出来るらしいが、そのロードランナーをモチーフにしたものがニューメキシコには多い。アルバカーキ~サンタフェを結ぶ鉄道は「レイル・ランナー」と呼ばれるが、その車体には大きくこのロードランナーが描かれている。2年前ほどだろうか、アルバカーキ・ルート66が進化を掲げてこのロードランナーを用いて新しい街の象徴(ロゴ)を作成。賛否両論あったが、私は結構気に入っているのだ。


いつも通りチリバーガーを食べた後、街の中心を東西に走る Central Avenue(ルート66)をクルージング。おっと!いきなり見たことないオブジェが登場。
いつ造ったんだろうか、聞いてないぞ(笑)

そして見えてきたのは ART の駅。


ART:Albuquerque Rapid Transit、の導入は2016年に物入りで州議会を通過、当初その建設にあたっては 119億円必要(その後134億に増加)とあって、補助金で75%程度は確保できたものの、残りはどのように費用を捻出するのかで相当な議論を呼んだ。ART は約9マイル(約14キロ)に渡って専用バスをセントラル大通りに通す公共交通機関だ。あれから2年、駅とその専用道路の舗装はほぼ終わったものの、バスそのものは未だ運行していないようだ。ART のホームページでもまだまだ課題は山積みの模様。今後の動向に注視したい。

そういう言っている間にインターステート40号線と25号線の交差するダウンタウンの中心を超え、オールド・アルバカーキを渡ると以前はぐっと寂しかった地区になるのだが、何とここにもバーや、レストラン、クラブに映画館と、オールドタウンからも簡単にアクセスできるウェストサイドの賑わいも出来ていた。車を運転している都合上写真は撮れなかったが、⇩ のような街頭サインも誕生し、その「進化」を主張しているようにみえた。

セントラル大通り(ルート66)を更に西へ走るとアルバカーキの誇る3大モーテル、”Monterey Motel”、 “El Don Motel”、そして “El Vado Motel”が順に現れる。
ルート66が全盛だったころのポストカード(⇩)からも当時の素敵な雰囲気は充分伝わってくるが、さすがに近年はいわゆる「モーテル」の域は出ない。

モンテレイはモーテルと言うより短期間アパート的なものに姿を変え、エル・ドンも営業はしているものの、かつての華やかさは無い。エル・ヴァドに至っては2005年に営業が終了して以来、廃墟への道を辿っていた。

(2015年撮影)

そんなエル・ヴァドが 18億円の新プロジェクトにて、ブティックホテルとして甦る、と聞いたのが数年前のことだ。前オーナーが2005年に辞めた後、新しい所有者ゴンザレス氏は、モーテルの建物を一掃して高級タウンハウスを建造すると明言。市やルート66保存団体は当然の如く反対意見を表明、その建物とエリアを封鎖し数年に渡って交渉に臨んできたという経緯がある。
当初は今年2018年に再開業する予定だったが、そんなのは米国では良くある「予定外の理由」で遅延。当然今は一生懸命開業に向かって頑張っているだろうと想像し、今回はここに寄ってみることを当初から一つの楽しみにしていたのだ。
結果はこんな感じ!

働いている人達に話を聞くと、正面ロビーにはタップルームと呼ばれるビールの飲めるバーを地元のビール製造会社を入れてオープンさせ、もちろんモーテルを基本に、レストランやその他のショップ等もコンプレックス内に開業予定だそうだ。
つい先日のニュースでも5月上旬のオープンを目指しているとのことだ。
この夏、アルバカーキへ行く予定のある人は是非宿泊して頂きたい。
因みにエル・ヴァド・モーテルは1937年、アイリッシュ系移民のマーフィー氏によって開業、1993年には米国国家歴史登録財に認定されている。

話の順序が逆になってしまったけど、今回このエル・ヴァドの進展を見てみようと思ったのは実は理由がある。ルート66の大先輩でもあり敬愛する花村氏のSNS発信に始まる。私が渡米する直前、花村氏は東京某所で以前エル・ヴァド・モーテルのオーナーであった Ali Hakam氏と1991年に撮った写真を上げ、その上で当時幼かった息子さん(今では立派な大人)は今お仕事で日本に在住しており、彼との再会を楽しむポストを掲載されているのだ。それを見た瞬間、エル・ヴァドのことを思い出して「あ、行ってみてこなきゃ」って思った。

(写真:花村氏のSNSより転載)

当初は行く予定でなかったのだが、これによって(この方向に走ることによって)先日ブログに書いたサンフィデルの出会いも生まれた。
近々この息子さん、Karim Zaher Leif Hakam 氏も紹介してくれると花村氏は言う。どんなお話が聞けるのか、今から楽しみでたまらない。


アルバカーキから西へ向かうルート66

La Posada 物語は永遠に

アリゾナ州ウィンスロー。イーグルスの不朽の名作、”Take it Easy” の歌詞に登場するスタンディング・オン・ザ・コーナーの観光地としてルート66ファンでは知らない者はいない街だ。シカゴ~サンタモニカ間を結ぶルート66全体としても最も多数のビジターを集める名所でもある。同曲の生みの親の一人、Jackson Brown 似の彫像の前で写真を撮るのが定番だが、これに一昨年亡くなった Glenn Frey の彫像も作成されより一層ファンの「聖地」となっているわけで。
そんなウィンスローにはルート66上多くの箇所で見られるモーテルとは一線を画した歴史的ホテルが存在する。”La Posada Hotel”だ。


ラ・ポサダの歴史は ”Harvey House”で著名な Fred Harvey 氏と共に始まる。Harvey 氏は当時まだ荒野だった西部に、銀器、チャイナ、水晶、クリスタル、そして完璧なホスピタリティ精神を持ち込み、文字通り西部の文明化に成功した。
元々ウィンスローは米国先住民のナバホとホピの交易場所として重要な拠点であり、ここを通る大陸間鉄道にとっても、1913年に開通した National Old Hwy、更には1926年にルート66が通るようになって重要な観光地でもあった。このような意味からウィンスローの地が Harvey 氏の直感に触れるのは当然のことだったのかもしれない。彼は1920年代にその案を考え、実際1929年より休憩所(ホテル)作りに専念した。敷地、建物、家具等、総予算は$200万ドル(現在の価格で約$4,000万ドル=42億円)とも言われていたようだから想像を絶する大金だ。
結果ホテルは1930年5月、歴史的大恐慌の翌年に誕生し、 1959年に閉鎖されるまで多くの著名人や観光客が訪れた。閉鎖後はサンタフェ鉄道がオフィスとして利用することになるが、建物の腐敗も進み、1994年殆どの部分が解体されてしまうことになる。
そんな中、米国文化財保護法、米国国家歴史保存法の観点から The National Trust for Historic Preservation という財団が乗り出し、ラ・ポサダの保存を訴え始めることで、その行動が現在のオーナー、Allan Affeldt 氏の目に留まり彼は建物や土地をサンタフェ鉄道より1994年に購入。Affeldt 氏の努力は鉄道会社との3年間の交渉と様々な法的、環境的、財政上の障害を解決し、La Posada LLCを設立。推定$1,200万ドル(約13億円)を投じた一大プロジェクトに邁進することとなる。

さて、前置きが長くなったが、やっと今日の本題に到達だ(笑)

アランはラ・ポサダと同時に、ニューメキシコ州ラスベガスにある Plaza Hotel のオーナーでもあり、更に同じく同市にある Harvey House 様式の La Castaneda Hotel を甦えさせるプロジェクトも同時進行で行っている。ラ・ポサダは中々泊まる機会がないが、Plaza Hotel は過去何回か宿泊した経験があり、2016年には「日本のMr. Eagles」茂村泰彦氏がホテル前の特設会場で演奏をされた際に駆けつけて泊まった場所でもある。
もともとアランの名前は知っていてFB上でも偶にやり取りをしていたのだが、実はご本人に一度も会ったことがなかった。
今回休暇でルート66を走ることになった時に真っ先に思ったことは彼に会うことだった。というのは上記3つのホテルのいずれかの場所で毎日奮闘している姿がFBにご自身から投稿されていたからだ。
早速私は彼を訪ねてラスベガスに行く旨を伝えたが、生憎その週はウィンスローにいるというので急遽目的地はアルバカーキ東方面から西方面(アリゾナ方面)に変更、ラ・ポサダで会う約束を取り付けた。

アランが現在精力的に行っているのはホテルの敷地内に新しくオープンさせる博物館だ。元々鉄道駅だったころに使われていた荷物置き場、駅員の宿舎棟を上手く改築利用し、歴史の大切な部分を残しながら現代的なアートフル感覚に満ちや空間を創りだしているセンスは圧巻だ。シカゴからサンタモニカまで、将来的に建物の床にはその「道」のペイントを施し、時間・空間のトラベルが体験できる工夫も凝らすとのことだ。

もちろん作業は土台作りが終わったばかりでまだまだ先は長い。
でもそのような苦労を一瞬たりとも感じさせず、彼の理想とする物語を丁寧に説明しながら説いてくれる姿は喜びを通り越して感動さえ憶えた。


更にこのプロジェクトのハイライトの一つには、当時活躍していたサンタフェ鉄道のオリジナル車両が併設展示されるという点もある。


”Pleasure Dome” と呼ばれる当時の豪華列車の車両が惜しげもなく置かれている姿にビックリ!”Turquoise Room”と呼ばれる有名な個室型ダイニングルームやプレジャードームは椅子が360度回転し、大きく天井まで開放的に作られた窓は列車の旅を一段と快適にしたことは想像に難しくない。


(ドーム車両の椅子に座りポーズを取るアラン)

聞くところによるとアランとそのマネージメントパートナーの面々はいずれもホテル業に従事した経験はないとのことだ。だが、忘却の彼方にあった施設に「魔法をかけて」新たに博物館として蘇らせるという敏腕ぶりを発揮する。アランの仕事は建物全体のリハビリ、設計、建築と資金調達だそうだ。
私は一階の営業マンとしてホテル業界に携わっているが、彼を話をしていると私にとっては、これがホテルマンとしての集大成という姿が見取れ、感じられる。

色々な話の最後に、いつこのプロジェクトは完成するのか質問してみた。
アランはこう言った、「決して完成と呼べる日は来ないかもな」と。
ルート66は1926年に生まれ、その目的を達し1984年に廃線となった。だがルート66は今でも存在し、多くのファンを巻き込み、姿形を少しずつ変えながら現在を生き続けている。私達はそれを後世に残すため、私達の遺産を永遠に伝えて行くため(私自身も微力ながら)日々奮闘し模索している。
ルート66が今から100年後どんな姿になっているかは想像がつかないが、決して消滅することはないと断言できる。
きっとアランのプロジェクトもそういうものなのだろうと想像しながら晴れ晴れとした気持ちでウィンスローを後にした。

 

Amarillo Inn & Suites 驚愕のコスパ

皆さんも経験あると思うけど、旅に出ると思わぬ出来事に出会う。散々なアクシデントから想像もつかなかった喜びまで多岐に渡る経験ができるからこそ旅は面白い。そんな中で今日はひょんなことから素敵な?ホテルに泊まれたというお話を。

それは2015年の夏、いつものようにルート66をクルージング中、テキサス州アマリロで起こる。オクラホマから西へその日に目的地に向かって走っていたが、毎度のことながらやはり色んなものに興味がわき途中停車の数が増えることに。その夜は夕方にはアマリロに着き、アートギャラリーを経営する友人、BOB と夕飯、そのまま彼の自宅に停めてもらう予定でいたが、その途中停車のおかげで着くころはすっかり夜8時近かった。さすがにこの時間からは迷惑だろうと思い、自分でモーテルを探すことにした。
最初にはっきりさせておくけど、アマリロは大きな街だ。もちろん州北部、パンハンドル地方と呼ばれる地域の一地方都市ではあるが、人口は約20万人。酪農や畜産が中心だが、近年では石油化学産業や製造業も伸びている。
街を東西に貫くインターステート40号線沿いには多くのホテル、モーテル、全米レストランチェーンが軒を並べる。ヒルトン、マリオット、ホリディインを筆頭に、ベストウェスタン、モーテル6、デイズイン、コンフォートイン、レッドルーフ、ベイモント、それにキャンドルスイーツと、かなりの数のチェーンがあるのだ。それだけに私は余裕をぶっこいて夕飯にステーキを食べ、その後ホテルを探した。が、しかし!
その夜に限っては全く空きがない。聞くところによると何か大学のスポーツの大きな試合が2つほどあり、有名チェーンは軒並み満室状態らしい。
結構この時はマジで焦ったことを今でも憶えている。10軒近くあたってどこも取れなかったことはかつてない。


そんな中、Amarillo Inn & Suites という今まで聞いたことのないホテル?モーテル?が検索サイトに現れた。評価は3.1、決して高くはない。が、時間は既に夜の10時近い。四の五の言ってる場合ではない。そして値段は、、、何と$33。
この(ルート66上としては)大きな街で$33。安いに越したことはないが不安な材料の一つであることに変わりはない。
しかしそうは言っても、まあ寝るだけだ。今までもっと悪い(であろう)所に何度か宿泊している。正直言えばモーテル拍が続いていたから、今晩ぐらいコートヤードとか、ダブルツリーあたりで、と考えていたのは事実だけど(笑)
とにかくiPhone でサイトから予約。立地はインターステート40号線沿いだと書かれているから車を飛ばした。

と、さてここからは楽しく素晴らしい驚きの連続だった。どう考えてもこのホテルでこの値段は安い。この後更に二度ほど宿泊しているが、この夜だけ安かったわけではないのだ。
この Inn & Suites、いわゆる Studio 又は1 Bed Room Suite のお部屋タイプだけど、全室バルコニーまたは部屋の前にテーブルセットが置かれている。ベッドルームは建物の内側に面していて大きな吹き抜け?のような作り。

どう?どう見たって$33 のホテル(モーテル)じゃないよね?
チェックインカウンターやロビーはこんな感じ。

それに屋内プールまであるのだ!


これはあくまでも2015年の話なので、とは言え2016、2017年も$40程度だったけど、今はどうなっているか分からないけど、とにかく良い意味で裏切られた素晴らしい体験だった。
あ、そうそう、しかも朝飯付きです!取り立ててそんな大したものではないし、すげー美味しいものではないけど、スクランブルエッグ、ベーコン、シリアル、トースト、ビスケットにフルーツ、そしてコーヒーがあるから文句を言う筋合いはない。席数だってあって、きれいなレストランだ。


レストラン自体もルート66をとても意識した作りになってるんだけど、ルート66という単語はホテル名にも、その他特にどこにも冠してない。
壁絵にルート66の有名な Club Cafe のデザインが描かれているけど、それはニューメキシコ州サンタローザにあるレストラン。

「せめてテキサスのものにしようぜ」と突っ込みながら、とても美味しくいただいた。
アマリロに行かれる際は是非泊まってみてはいかが?

 

待ちに待った Fabulous 40’s Motel の再開

「Fabulous 40 Motel、そうか40年代にあったものなんだろうな。結構荒れてんなぁ。どうするんだろう、これ。」
私が1996年に初めてルート66、エイドリアンの街を通ってこのモーテルの「廃墟」を見た時の感想だ。

@1996撮影

エイドリアンはテキサス州オールドハム郡の、人口200人に満たない街だ。昨年10月のブログでも紹介した Midpoint Cafe そして、Fran Hauser さんの経営するお土産屋さん Sunflower Station が連なるルート66のメイン通り上にその Fabulous 40 Motel は存在する。
2016年5月に Ramona と Roy 夫妻がその権利を買い取り、10月初旬からモーテルを再開させた、という話は友人伝手に聞いていたが、実際にその雄姿を見るまでにそこから半年かかってしまった。
今年4月にオクラホマ・ルート66を旅した時にテキサス州アマリロから帰路に経つ予定だったから、この機会を逃してはなるまいとばかりにエイドリアンまで最終日の早朝から車を飛ばした。
残念なことに Fran のお店はまだ空いていなかったが、Midpoint Cafe で朝飯にパイとコーヒーをもらい Dennis と談笑。
その後満を持してモーテルへ向かった。ご存知の方もいると思うが、私はルート66 の歴史を文化を次世代へ継承する目的で多くのルート66の活動に参加させて貰っている。日本からの旅行者がルート66を走った時に少しでも暖かい歓迎をしてもらえるように、と行く先々のモーテルやお土産屋さん等でご協力も仰いでいる。
エイドリアンから一番近い宿泊施設の多い街は同州アマリロだ。ここは人口20万人を超えるルート66では大都市なのでデラックスなホテルからモーテルまで幅広く供給はある。が、なぜかルート66っぽいモーテルが無いのも事実だ。
私自身はアマリロに滞在する際、ルート66を思いっきり前面に出しているビジネスホテルっぽいところがあるのでそこに概ね滞在するのだが(このホテルはまた近いうちに紹介したい)、やっぱり「モーテル」がルート66には相応しい。
ってことで、この Fabulous 40 が再開したと聞いた時は是非オーナーさんと親交を深め今後の協力をお願いするため、モーテルを訪れた。

こんな素敵な姿に

時間は午前10時過ぎ、早朝チェックアウトが終わりちょうど良い時間だ。
ドア前に行きベルを押してみる。無反応。
ドアは鍵がかかっていて開かない。
仕方ないので周辺をうろついてみたら、「外出中なので用事のある人は携帯に電話せよ」との張り紙。早速電話する。

「ああ、こんにちは。私はトシってものだけど、XXX という活動をしていることもあって、是非一度会って話がしたいんです。何時ごろ戻られますか?」
「トシって?カリフォルニアの?そう、名前は聞いてるわ。訪ねてきてくれて嬉しいわ。今馬に乗ってバックヤードで仕事してるの。5分ぐらい待てる?すぐ行くわ」と、快諾してくれたのが Ramona さんだった。
ミズーリ州のMunger Moss Motel の「お母さん」も Ramona。どうやら Ramona という女性に悪い人はいないようだ(笑)


ちょっとして現れた Ramona さんは再開したばかりの、まだ改装中の部分も含めて部屋やモーテル周り、そして宿泊者の集うレクリエーション・ルームなんかも説明しながら魅せてくれた。

小さな街の小さなモーテルだけど、Ramona さんのお客さんに対する愛情や気遣いはとても大きい。Midpoint Cafe や Sunflower Station も含めて一泊するのにとても素敵な場所だ。レクリエーション・ルームでは夜まで様々な街、州、そして国からの旅行者が集まり情報交換したり親交したり、まさにルート66のファミリー感覚を経験するのは最高の場所と感じた。

エイドリアンまで足を伸ばす際は是非予約を入れ、泊まってみて頂きたい。
モーテルは現在 10部屋が使用可能(将来的には20部屋に拡張)で、宿泊客はレクリエーションルームでコンチネンタル朝食を無料で食べられるとのこと。
特に公式ウェブサイトはないので、Facebook アカウント “Fabulous 40’s Motel” で検索。


⇧ 夫妻は更に、1920年代のPhillips 66コテージスタイルのガソリンスタンドも併せて購入。ここはお土産店として活用する計画もあるんだとか。

次に訪れるときはどんな様相になっているのか今から楽しみで堪らない。そんな事を考えながらテキサス・ルート66をアマリロへ。

 

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