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師匠との再会、そしていつもの El Trovatore ~アリゾナ・ルート66 小旅行(後編)

アリゾナ州キングマン、この西カリフォルニア州への玄関口としてルート66上でも重要な位置付けとなる街に来るといつも必ず行うのは、
① 博物館訪問
② 「いつもの」モーテルに泊まる
③ 師、Jim Hinckley 氏に会う、の 3つだ。

ただし今回は時間的制約がかなりあり、博物館への訪問は出来なかったが、師匠は変わらず心優しく出迎えてくれた。前回会ったときは日本滞在中の 2018年春だから、まさに 4年ぶりとなるわけだが、何度も言うように SNSでほぼ毎日、ルート66の友人誰かとチャットしたりポストしあったりしていると時間の経過は本当にあやふやになるね。

一緒に食事をする際は毎回違う場所を選ぶのだが、今回も奥様の Judy を交えアメリカン・ステーキの店、「DANBAR」へ。
久しぶりにやっと会えた嬉しさに、あまりにも会話に熱中したからか、プレートの写真を撮ることをすっかり忘れてしまったが、店員さんに頼んだのがこの 2枚のみ 😂 困ったものである。

作家であり歴史家である Jim は最近殊の外精力的に活動しているようで、州外のカンファレンスにも以前に比べると足を運ぶようになり、執筆活動も絶好調。彼の最新刊の一つをサイン入りで頂戴してしまった。

本当はお土産屋さんもそうなんだけど、しっかり買って経済活動に貢献したい気いっぱいなのだが、優しい皆さんから貰ってしまうものも多く、こんな私でも実は恐縮しているのだ。

Jim と言えば、この春、彼の像が博物館近くの鉄道基地に設置されたことを書かないわけにはいかない。街(ダウンタウン)の活性化のために活動する、ボランティア・チームである、Kingman Main Street によって、Jim の長年に渡る街と文化への貢献に対し、Jim そっくりの?等身大のブロンズ像が奉納された。ツアーガイドとして多くの観光客を楽しませてきた、インタラクティブなダウンタウン・ウォーキングツアーの最初のストップ地として今後は利用されるようだ。

残念ながらこの日の再会はそのイベント日より 2週ほど前なので、その式典に出ることも出来なかった上に、今日現在まだその像を拝観していないのだが、逆にその前にご本にどういう気持ちなのか、素直な話を聞くことができた。その時の言葉は、心底謙虚に名誉な気持ちと同時に「超現実的」で「奇妙」だとのこと。
銅像というのは通常亡くなってから建つものだという認識があったので、まだ生きてるうちに・・・💦と、苦笑いの顔が中々キュートであった。

さて、夕食後、やっとモーテルにチェックイン。フロントオフィスの真ん中に鎮座する、オーナーの Sam も変わらず元気そうだ。奥様 Monica の姿が見えなかったが、もう夜なので気を遣わせても何だから聞かずにおいたが、Sam の皮肉たっぷりの長話に付き合っていたら「ところでお前暫く見なかったな、向いにでも泊まってたのか?」って言うから「まさかっ!コロナで日本に幽閉されてたんだよ~」と答えると、「おお、日本にいたのか?」と全く以前の人の話は聞いちゃいない 😂こういう緩いところが気持ちが良いんだけどね。

残念だったのはトレードマークともいえる、モーテル名の入ったネオンタワーが故障中で、修理費の工面に苦労しているので再開の目途は立っていないこと。いつもよりコートヤードが暗く物が悲しい・・・😭

El Trovatore モーテルの特徴の一つ目は、全ての部屋がテーマ毎にペイントされていること。今回お世話になるのは、109 号室「James Dean」である。取り分け彼のファンではないが、毎回違う部屋に泊まり全てを経験する、というのも旅の醍醐味。

毎度のことながら小ざっぱりと綺麗で快適である。シャワーを浴びた後は、洗濯ものをこのように部屋の前のチェアーにかけておくと朝には乾くという運びだ。ルート66旅に ダイソーの 100円物干しは欠かせない。

そして陽のあたるところでお見せしたかったので朝まで待った、このモーテルの特徴の二つ目がこれ。建物の壁にずーーーっと描かれた「World’s Longest Route 66 Map」だ。

毎度出発の朝は早いので、チェックアウト時に彼らに会うことはない。部屋の鍵を指定の場所に返却し(デジタルカードキーじゃないところが良いのだ)、入口に貼ってもらっているルート66ジャパン・アソシエーションのステッカーを確認するのがお約束のルーティンである。

さあ!これでいよいよ今回の旅の終了地点であるカリフォルニアへ!
ルート66の旅は今日も続く。

アリゾナ・ルート66 小旅行(後編)了

オジサン二人のルート66旅④ミズーリ帰路編

ということで、今回のイリノイ~ミズーリ旅の目的は「ほぼ」終了。
時間は午後3時近いので、今日はこの後どこまで走れるのかは分からないが、シカゴへ向けての帰路、出発だ。
このシリーズ②まで登場してもらった健さんはキューバより一足先に帰ったので、正確には「オジサン一人」のルート66旅に戻るが、その健さん、ニューヨークへの帰路は大変だったらしい。予約していたフライトは悪天候の為、キャンセル。セントルイスからシカゴへ飛ばされて、そのあとフィラデルフィアに行かされ、最終バスに乗ったとか・・・
うーん、やはり持ってるね、この男 😂
やっぱり今回シカゴからセントルイスにかけて天気がイマイチ優れなかったのは、健さんが理由だな。
その後の Gay Parita のイベントの天気を見れば、一目瞭然だ。

さて友人のディスりはここまでにして、先へ急ごう 💦
時間が押しているが、ミズーリ州内の2人の友人に挨拶だけでも!

まずは、Gay Parita から走ること 100 ㍄、Waynesville という小さいが、ルート66 の歴史に溢れる素敵な街。ここでギャラリーを営むのが、Jax Welborn。数年前に彼女がこの地で店を出したのは知っていたが、中々訪れる機会がなく今回が初訪問となった。

地元のアーチストの作品から、ルート66関連の作品まで所狭しと置いてあるが、さすが Jax、几帳面な性格ゆえかそれらも整然と配置されている。
こういうお店を営んでいる人たちは通常週末はお店を出れない。Gay Parita でのイベントも然程遠くはないが、仕方ないのだろう。思いがけずギャラリーを訪問できて一石二鳥?だ 👍

友人知人の作品も多数飾られているギャラリーを見ながら聞いてみる。「ねえ、将来的にさ、私がここに写真の展示させて、って言ったら受けてくれるの?」Jax は、快く「もちろん!」って 😊
それは嬉しい。私もいつかこういうギャラリーでお見せできるような写真を撮りたいものだ。最後に正面からの一枚で。

さて、お次は昨日会いそびれた Wheel Wagon Motel の Connie の所へ。
ウェインズヴィルより更に車で約 1時間、50㍄ほど戻っていく感じである。
細かいことだが、下の2枚の写真は昨日撮ったもの。もう時間は夕方5時を過ぎているので、夕陽がきれいに出ないと写真は「映えない」時間帯へと突入する。

いたよ、いたいた 😊 相変わらず元気のようで安心した。レセプションの横にあるお店も、宿泊客だけでなく、地元の人かな?訪れているお客さんも居て嬉しい。前回来たのはパンデミック前だから、ゆうに3年ほど時間は経過しているのだが、どの友人に会っても、全くそんなインターバルを感じない。昨今のSNSがこれに大きく寄与していることは否めないね。この3年間に何度か連絡取り合ってるしね。

このモーテルはいつ来ても本当に絵になる素晴らしい景観。1936年に “Wagon Wheel Cabin” として開業したが、2009年に Connie が買い取り全面改装、細かいアップデートをしながら現在に至る歴史のあるモーテルである。ルート66より100m以上中に入った部屋棟の前に広がるちょっとした空間が旅人同士のコミュニケーションも生む、私の最も好きな場所だ。
距離の関係から、今回(昨晩)は、レバノンに宿をとったので、ここでゆっくりする時間がないのが残念極まりない。
あ、これって我々州外の人間にとっては一つの大きな問題なんだよね。
ここキューバと、レバノンは僅か90㍄しか離れていないんだけれど、その両街に歴史的な素晴らしいモーテルがあるわけで。旅行に中々そんな時間をかけていられない州外者は、自動的にどちらかに決めないといけなくなる。毎月来れるものでもないし、頭の痛いエリアなんだ 😵‍💫

モーテルの中庭

さあ、ここからイリノイ州に向かってどこまで走れるか?
やっぱりセントルイスかなぁ、でも都会は高いからなぁ。。。

【付録】
時間に追われての今回の旅。
「生存確認」?だけするために停まった箇所を2,3ご紹介。
ミズーリ州ルート66にはまだまだこんな素敵な場所があるのだよ、健さん 😎

Devils Elbow
今回は、いつもあまりお見せしていない、デビルズ・エルボーの街の方を。 街に一つの Market?は、実は郵便局。行く旅に顔を見せると「おやおや、珍しいのが来たな。お前さんにゃ郵便物は届いとらんよ」と、揶揄われるのだが、残念ながらもうとっくに閉まっている時間 💦寂しい・・
デビルズエルボー橋はこのブログトップに。広角で撮ってみた。

で、下は橋を渡って向こう側にある Devils Elbow Inn。一時はバイカー客を中心に物凄い繁盛したのだが、現在改装中のためお休み。
壁一面にデコレートされていたブリキのサインやシールドが懐かしい。
いつごろ復活するのだろうか 😥

John’s Modern Cabins
1931年、Beatrice と Bill Bayliss 夫妻によって “Bill and Bess’s Place” としてオープンしたキャビン式の宿場。不況時代に高価なホテルに代わって、安いログ小屋式は人気があったそうだ。
今も名前として残っている Johnは、1951年にこのプロパティをUSD$5,000 で買った Lillian & John Dausch 夫妻に起因するものだ。
他のルート66の事例に漏れず、I-44 号線のインターステートが建設されルート66ふが拡張、迂回の歴史を辿ったあたりから、エリアは衰退。

聞くところによれば、1971年以来メンテナンスはされてなく、1960年代からバイパスされていることから、敷地は悲惨で修復が難しい状態にある。前を通る砂利道も走ることはできるが、途中行き止まりになっており、他の道から迂回して入ってこないといけない。
取り壊しと、それに反対する私達ルート66保存会のやり取りは続くが、今後の展開はまだ不透明なままである。

最後は、私が個人的に「異星」と表現するエリア、Hooker Cut。私と同世代の方々は Steven Spielberg 監督の名作「未知との遭遇」はよくご存じだろう。あの映画の撮影はワイオミング州のデビルス・タワー(おっ!デビルズ被りだ)だが、私にとっての未知との遭遇は、まさにここだった。
きれいに削られた岩山の間をまっすぐ走る片道二車線の道、そしてまっ昼間にもかかわらず、車がほとんど通らない静寂さ・・

話の始まりは1939年、欧州で第二次世界大戦が始まった後、アメリカの参戦が決まる翌年、米国陸軍は近隣の St. Robert の街に “Fort Leonard Wood” 訓練所を設置。砦の建設には多くの労働力と建築資材が必要なわけだが、これを運搬するのに、上のデビルズ・エルボーでは都合が悪かったわけで。つまり、山道は険しく、道の舗装は悪い。トラックの横転が相次いだことから荷物泥棒も増加。ルート66は “Bloody 66” という悪しきニックネームまで頂戴した。
で、そんな環境を一気に変えようとして1941年~42年にかけて行われたのが Hooker Cut という建設大工事。岩山を爆破して現存する「切通しルート」を造ったという場所である。ぜひ行ってみて頂きたい!

再点灯式と共に蘇る、伝説のRockwood Motor Court

先週11日~13日の3日間にわたって、ミズーリ州スプリングフィールドでは、第10回目のBirthplace of Route 66 Festival(ルート66生誕地祭)が開催された。昨年、一昨年とパンデミックのせいでイベントはキャンセルの憂き目にあったが、やっと3年ぶりに返ってきた。
とはいえ、残念ながら今年は参加が叶わなかったが、そのイベントの間、もう一つのルート66のアイコンが息を吹き返したお話をしたい。

場所は同じくミズーリ州スプリングフィールド。
1929年、Deverne Ruckman 氏によって、当時シェルのガソリンスタンドの裏に、「ツーリスト・キャンプ」は建設された。ルート66が認定されたわずか3年後のことである。初期のキャンプには、二重構造のキャビンや一人用のユニットなど、合計10棟のゲスト用施設、そしてカフェやガソリンスタンドもあったようだ。

ただ運の悪いことに、その年は「大恐慌」と呼ばれる、アメリカを発端に世界的に起こった深刻な経済恐慌があったことはご存じの通りで、この「キャンプ」も例外でなく、何度も所有者と経営者が変わったらしい。1948年、キャンプは場所を当時あったところより更に2ブロックほど西へ移動させ、敷地は “Rockwood Motor Court” と名付けられ、それ以降今日まで70年以上にも渡り受け継がれている。

モーターコートのホームページによれば、
*6棟のキャビン、ガソリンスタンド、カフェ、そして残る1台の車庫は、すべてここに元からあったもの
*ただし、南側にあるガレージはもう残っておらず、その場所は屋外の集会スペースに改造されている
*キャビンは、オザーク砂岩と赤レンガで縁取られた構造
*ロックウッドという名前は、砂岩を製材しているため「岩の中に木目があるよう」に見える、というこの石の特徴的な模様から付けられたと考えられている
*石造りの外壁の下には、オーク材が斜めに組まれ、屋根はシングル・コンポジションで覆われた古典的な切妻で覆われている

…… そうだ。

そして2019年、90周年を迎えた年に、同市の市会議員である Phyllis Ferguson さんとその家族は、モーター・コートを再びルート66のアイコン的モーテルとして営業すべく、改修に乗り出した。
翌年、長年レストランとして営業されてきたガソリンスタンドと住宅部分の修復が始まり、本来の用途、即ち短期滞在用または賃貸住居としての宿泊施設に戻されることになったのである。

Ms. Phyllis Ferguson

というところまでが実は前置きで、本題はここから。
そのRockwood Motor Courtは、この8月13日(土)、オリジナルのネオン・サインのレプリカの再点灯式を開催する、とSNSの投稿がモーテル側からあった。3月に紹介した、同州XXのShamrock Court のそれと同様の点灯式イベントだ。
詳細はここ ↓
https://www.toshi66.com/2022-03-20/

当然点灯式は日没後に行われないと意味がないし、日没も天候によって微妙に前後するから注意が必要だが、(予報によれば)当日の日没は現地時間20時07分で、その約30分後に暗くなる予定、ということで多くのルート66ファンが集まっているのをライブ放映された。
Travis Scott & Playboyz による演出で、19時からは市長さんの祝辞もあった。楽しい雰囲気が映像からしっかり伝わってきて、何人か友人の元気そうな姿もみれてよかったな。

By Jax Welborn in her Facebook

でもね、この手のイベント、2回連続で遠く離れた地から映像で見るなんて、一体私は何をやってるんだろう、と寂しさと諦めと怒りの混じった複雑な気持ちであることも確かなのだ 😰

↑ Video Image by Timothy Lyle in Route 66 in Springfield Missouri (Facebook)

肝心のお部屋だが、フィリスは、アンティークの家具や記念品を使って、
9つのユニットのそれぞれを「異なるノスタルジックなテーマ」で装飾している;フリスコ鉄道、キックス・オン・ルート66、カサブランカ、クラシックカー、キャンプロックウッド(モーターコートの歴史)、フランダース・フィールド(第二次世界大戦について)、キング・オブ・ザ・ロード(ルート66廃線後、モーターコートの終焉への皮肉な頷き)等だとか。
各部屋のサイズも、スタジオ、コテージ、フルサイズルーム、クイーンスイートとバラエティーに富んでいる。

ヴィンテージな雰囲気を保つため、テレビもカード・キーも無しだって!
でもその代わりに、ルート66や第二次大戦などの歴史書籍や雑誌が置いてあるのだそうだが、果たして「その代わり」になっているのかの認識には個人差があろう 😂
でもフィリスへのインタビュー記事によれば、Wi-Fi はあるそうで、曰く、「多少の譲歩は必要」だとのことだった。

「歴史保存が好きでロック・モーター・コートも好き。そして、地域の活性化にも関心がある」というフィリス。地域のことを大切に思い、自身の財産をつぎ込むってそんなに簡単なことじゃない。

今年の春は時間がなく残念な思いをしたが、近いうちに必ずロックウッド・モーター・コートを訪れてみようと思っている。そして、フィリスに直接会える日を楽しみにしている。

from the Motor Court Facebook Page

シャムロックコート、復活の狼煙

歴史あるシャムロック・コートのポストカード

ネオンサインの話続きで大変恐縮だが、もう一発放っておきたい😝

ミズーリ州サリバンの歴史あるモーテル、「シャムロック・コート」のサインポールと屋根ラインのネオンサインが灯る、待ちに待った点灯式が日本時間朝に行われた。
現地に行けていない私は当然?映像配信を見守るのみしかできないが、それでもこの約6,400マイルもの遠い地で現地と同じ感動を分かち合えるのはテクノロジーの凄いところ。本当にこの時代に感謝だ。

この点灯式は、ミズーリ州ルート66アソシエーションの会長、今までも何度か紹介している、Roamin’ Rich Dinkela 氏が昨年4月に購入したシャムロック・コートにて現地時間19日の日暮れ時間に合わせて行われた。
(私も一応ミズーリ州アソシエーションの会員だ)
いやいや本当にこの男には頭が下がる。敬服と称賛をどのようにしたらようか分からないぐらい素晴らしい。
皆さんは同州ヘイゼルグリーンでのガスコナーデ橋保存運動について書いた記事を憶えているだろうか?
その運動に率先して行動を開始したのもリッチだ。偉大なるルート66のチャンピオンだね。

話は少し遡るけど、この「シャムロック・コート」、元々は(今回の販売者である)ビリー・ウェイランド氏の両親である ジョンとローズ・ウェイランド夫妻が1953年に購入後、一家が 60年以上に渡って所有していたものだ。建物そのものは1947~48年頃建てられ、その所有者であったフリーマン・ドッズ氏より、ウェイランド夫妻が購入したとのことだ。

今回ビリー・ウェイランド氏がリッチにモーテルの売却を決めた時、その時すでに約10年ほどは誰も入居がいない無人状態であったそうだ。基本的なメンテナンスは行ってきたものの、モーテルを元の状態に戻す資金はなく、どのようにしたら良いか分からないものの、何等かの形で保存して欲しいと願っていたらしい。

シャムロック・コート公式ホームページ

さて、今日の点灯式には実に多くの人たちが詰めかけていて、正直少しびっくりした。しかもミズーリ州に、いやアメリカにもはやコロナは無い!と言わんばかりにマスクをした人は見当たらず、皆人生の楽しい時間を謳歌していた。心の底から羨ましい😂
そんなことはさておき、多くの人々がその点灯式を見ようと訪れたことにはワケがある。リッチは SNSを巧みに使ってそのイベントを、その価値ある行動を沢山の人と前もってシェアしていた。
これはあるフェイスブックのグループページ。私も加わっているものの、何も貢献できないことが歯痒い。

そして YouTube ではその点灯式の予告をきちんと配信していたのだ!

以下、本日 SNS に掲載された写真や映像をお借りして現場の雰囲気を届けたい。特に点灯の瞬間をきちんとライブ配信してくれた友人、Jax Welborn さんには心よりお礼を申し上げたい。

https://www.facebook.com/JaxWelborn/videos/275327051443375


ところで、皆さんミズーリ州サリバンって知ってる?聞いたことある?多分ルート66が大好きでないと余り耳にしない街の名前だと思う。偉そうに言う私も、実際に走るまで知る由もなかったわけで。。。
折角?なのでサリバンの街を少しご紹介。

サリバン(Sullivan)は、ミズーリ州フランクリン郡とクロフォード郡の境界にまたがる街で、人口は7,000人弱だ。この地域の最初の入植があったのは1829年とのことだが、 1859年、スティーブン・サリバン氏が手持ちの土地から鉄道用地を寄付、自ら駅舎を建設したことで、鉄道会社は駅名を「サリバン」とし、郵便局もそれを追随、街名はサリバンとなったってわけだ。近郊の大都市は同州のセントルイスで、距離は約70マイル、車で約 1時間ほどだ。位置的にはこんな感じ。

おっと、大事なことを忘れていた。ルート66ニュースの記事によると、リッチはこのモーテルを購入したものの、モーテル事業には参入するつもりは無く、修復した後にそれを保存し、運営する別の団体に売却するらしい。自分は保存(Preservation)の仕事をしている、とのことだ。
度々呟いているが、私の夢はルート66上でモーテルを営むこと。そのチャンスは果たして訪れるのか?サリバンなんかどう?なんて家内に言ったら。。。想像するだけで怖い(笑)

最後に前述の Jax の素敵な写真と共に、Rich の公式 YouTube であるチャンネルから本日の賑わいを紹介して〆たい。今年、どこかのタイミングでこの新しいネオンが見れることを祈って!

Airbnbに泊まってみよう!?🤠

私が生計としているホテル業界はコロナ禍の影響でここ2年の業績は目を覆うばかりだが、旅行業界全般を見渡してみると特需と呼ぶには不適切だが、その業績が好調の産業もある。
皆さんも既に「Airbnb」という言葉を聞いたことはあると思う。けど、実際に利用した経験はどうかな?
実は私の周りの知人友人も「ない」と答える人が多い。

このブログでも、2019年8月に「ルート66とAirbnb」というタイトルで、ルート66上にもAirbnb のビジネスが登場していることをお伝えした。
詳しくは、https://www.toshi66.com/2019-08-04/

今回もうちょっと Airbnb のことについて書くと、Airbnbはアメリカ、サンフランシスコで誕生した企業で、簡単に言えば、泊まる場所を探す旅行者などの個人と、空き部屋・空き家を短期的に貸したい人とを繋ぐオンラインサービスを提供している。
あまり深く考えたことはなかったのだけど、元来 “Airbed and breakfast” という名前だったが、それを短縮して「Airbnb」になったそうだ。
(何でも短縮するどこかの国の癖は好きじゃないので、この流れは何となく抵抗があるのだが・・😁)

Historic Route 66 Bungalow, Rolla, MO ©Airbnb.com

このサービス、日本では「民泊」と呼ばれるもので、このビジネスモデルは「シェアリングエコノミー」と呼ばれ、彼らはその先駆者的存在になっているわけ。
一応きちんと定義しておけば、シェアリングエコノミーとは、個人や企業が持つモノ、場所、スキル等の資産や価値をネット上のプラットフォームを介して取引する新しい経済の形である。

と、偉そうに言う私も既に人生を半周したオールド・スクールで、シェアリングエコノミーと言われても完全に100%は腑に落ちない🤣

Cozy Tinyhouse “Route66” Container-Private, San Bernardino CA ©Airbnb.com

このAirbnbが展開するビジネスでは、例えば宿泊であれば、ゲストは一般的なホテルよりも割安で宿泊することができたり、現地の暮らしをよりリアルに体感できたり、という利点がウケているわけだ。

いつものように話の脱線はお約束だけど、話を戻すと、この Airbnb が絶好調らしく、メディアによれば Airbnb の2021年第3四半期の業績が、
①売上高67%増の22億ドル、純利益8億3400万ドル、でいずれも過去最高② 10~12月売上高は13.9億~14.8億ドルと予測(市場予想14.3億ドル)
なんだとか。

The Route 66 House, Sedona AZ ©Airbnb.com

何で急にこんなことを書いてるのかと言えば、理由は二つ。先ず私が仕事上で最近民泊絡みの案件を扱っている、という極めて個人的な話と、もう一つは最近ルート66ニュースのサイトで、オクラホマ州サプルパで、長年閉鎖されていたドライブイン・シアター(青空映画館)が今年2022年の後半に Airbnb の宿泊施設として再開する、と報道されたからだ。
(この件はまた情報がもっと出たら書くね)
頼むよ?今更「サプルパって聞いたことない」なんて言わないでよ。
同州タルサより約20キロほど南にある小さなコミュニティだけど、このブログを読んでくれている方々は何度か耳に?目に?してるはずだ 😉
サプルパのルート66が通るメイン通りには、1948年に建てられた武器庫を改造し、数年前にオープンした「ハート・オブ・ルート66オートミュージアム(Heart of Route 66 Auto Museum)」もあるよね!

今後、ルート66上にもさらに Airbnb が出現する可能性は高い。今から Airbnb のサイトをチェックして、今年の夏には訪れる「はず」の、復活!旅行シーズン!には乗り遅れないようにしようじゃないかっ!

Buck’s Cosmic Crash Pad, Tulsa OK ©Airbnb.com

最後に「因みに」。
現在 Airbnb ではホテル等の宿泊施設だけじゃなく、何と「島」や「お城」なんかも扱っているらしい。。。

そして、これだけあーだこーだ書いてる私も、実は Airbnb を利用したことはない。。。。。。。🙄
でもね、次は都心部では使ってみるつもり。
ルート66に出たら、やっぱり歴史とホスピタリティのモーテルだもんね~。

Flagstaff AZ ©Airbnb.com

*本文中に掲載している写真は、Airbnb.com サイトより拝借しています


Bluebird Inn、ルート66の新しい仲間

ルート66のモーテル事情。
オーナーさんが高齢化したり、彼らの後継者がいなかったり、又は充分な商売が期待できなかったり、と何かと後ろ向きの話題が多い昨今だけど、何と!何と!私達ルート66に新しいモーテルが誕生したのだ~❢❢(拍手拍手)😀😀😀

去る4月17日、オクラホマ州はエルクシティに誕生したのは「Bluebird Inn」。
場所は、正確にはルート66上でなく、1本入ったブロードウェイだけど、建物そのものは1905年に建てられたという。元は靴屋さんだったそうだ。

名前の「ブルーバード」は、オーナーのジュリーさんがまだ幼い頃、おばあさんから譲り受けた美しい青い鳥の置物から取ったのだとか。
驚く?のは部屋はわずか3部屋しかないということだ。営業として成り立つのかどうか不安だが(大きなお世話w)、それは今度行った時にじっくりその点含め話を聞いてみることにしよう。

オーナーの JULIE BONNERさん(image from KFOR-TV in Oklahoma News 4)

そんな Bluebird Inn とジュリーさんは、地元のオクラホマ州のローカル局 KFOR-TV でも紹介されたようなので貼っておきましょうか。

さて、モーテルの公式ウェブサイトからお借りした部屋の模様は以下。
どの部屋にもそれぞれの個性はあるものの、見た所共通しているのは、センスの感じられるデコレーションと充分なスペースの確保できそうな部屋の広さかな。

JESSIE
MARIE
RACHEL

エルクシティのダウンタウンには、いわゆるチェーン系の安価モーテルは2,3軒あるものの、ルート66の顔となれるようなものは存在しない。
だから、Bluebird Inn への期待は大きいかな。もちろんまだ実際にモーテルも見たこともなければ、オーナーさんにも会ったことはないから、次回のオクラホマ・ルート66を走る時が楽しみで仕方ない。

Lobby / Entrance Area

あ、そうそう、エルクシティと言えば今更言わなくとも「National Rt 66 and Transportation Museum」があることはもう皆さんご存知のはず。
(Museumに関することはまた機会を改めて)

オクラホマシティからお隣テキサス州シャムロック間のモーテル探しって、途中で沢山の友人らに会うこともあって、結構時間との闘いだったんだけど、これからは良いオプションになってくれそうだな。🤩

新しい旅の提案 Route 66 をドライブしよう⁉

ホテルでの仕事を生業としている手前、今日はちょっとホテル絡みの話をしてみたい。(でもこのブログはあくまでもレジャーです 笑)

COVID-19 が世界的に蔓延している中、感染症予防はホテルにとって新しいというか、今後は「施されていて当たり前」の状況に変わりつつある。我々の営業方針や戦略もそこが先ずありきで、内容はホテルによって多少の差はあるにせよ、その上で他社とどう差別化が可能なのか?が重要になってくる。

Image from CNN.com

業界で語られるのは、対新型コロナウイルスのワクチン、広範的で効果的な治療法や、誰でもいつでも受けられる検査方法が提供されるまでは、ホテルでのサービスは必要最小限となり、むしろ「安全」を買う時代に突入する。私が従事してきたホテルでは「サービス」や「アメニティ」が売りだったため、今後逆風は免れない。部屋は提供できても食事は制限的になってしまい、もちろんビュッフェはダメだ。スパやジムだって一定の距離を取らないといけないし、飛沫から防ぐこともMUSTだ。清掃に至ってはハウスキーピングはかなりの苦労を負うことになるだろう。

実際お客さんからは鍵レスや非接触型のチェックインやチェックアウトが望ましいという話を聞くし、できるだけ他人との接触を避けたいのは本音だろう。一人でホテルにやってきて、非接触でチェックイン、そのまま一人でエレベーターに乗り、何も触れる必要なないまま部屋に入る。
こんなフローが当たり前になれば、ホテルマンの存在意義も疑問となってきてしまうわけだ。

さて、今日はそんな言い訳を羅列したいわけではなく、そんな時代だからこそ、ルート66沿線上にあるモーテル、いわゆる「昔ながらのモーテル」は、現代型のホテルやリゾート施設に比べ COVID-19 に感染するリスクが少ないので、新たな人気が出るかもね!というルート66 モーテルの「押し」が主旨なのだ!

先日ファイナンス系の記事にも書かれていたけど、ルート66沿線上の多くのモーテルは通常「屋外」から部屋に入る。蜜になるフロアもなければ、エレベーターもない。車を部屋の外に止めてそのまま入れるのは大きな利点のようだ。屋外廊下は人々は安全と捉えるらしい。
旅はしたいけど飛行機はまだ不安と思う多くの人は、車で移動が出来、自宅からそれほど遠くない場所への「小旅行」が人気となることで近隣州や街からのモーテル利用客を取り込める採算だ。

モーテル、いわゆるモーターコート(Motor Court)は、1930年代から1960年代にかけて大流行した。その後現代のホテル様式に変化したのは、建物内部にロビーや内廊下があった方が安全だという思考に変わったのが大きな理由なのだが、その思考に再び変化の時期が訪れている。

事実、屋内部屋と屋外部屋を両方提供しているホテルは圧倒的に屋外部屋の人気の方が高いそうだ。さらにはホテルやロッジを専門にデザイン、建築する業界にも、今後のデザインの在り方は今までの常識や嗜好では通用しないところに来ているのだとか。

飛行機に乗ってハワイやカリブ海に行くより、車をドライブしてアメリカの歴史をノスタルジーを持って振り返るという新たな価値観を作りあげることで、ルート66は新しいステージに行くのかもしれない、と思うと逆境時ながらワクワク感が止まらない今日この頃だ 😊

Blue Swallow to Next Chapter

Rob & Dawn by Blue Swallow Motel Official Page

このブログでも幾度となく紹介してきたニューメキシコ州トゥクムキャリにあるブルースワロー・モーテル。先週新しいオーナーさんがFacebookのモーテルの公式アカウントより発表された。
彼らの名前はイリノイ州クリスタルレイク出身の Dawn &Robert Federico 夫妻とのことだ。 正式な所有権の発生は7月22日になるそうだが、Route 66 News の記事によればフェデリコ夫妻はそれに先立ち、ルート66の旅に出て、道行く人々に自己紹介をしようとしているらしい。ミューラー家は6月中旬にモーテルが契約中であることを発表した。

下記が公式発表の全文。そのまま原文でご紹介。

Today is a big day in the continuing story of the Blue Swallow Motel. We are pleased to announce the next team to take over as caretakers for this historic roadside accommodation. The Muellers take great pride in introducing Dawn and Rob Federico as the “new people” whose smiling faces will be seen behind the counter and bustling about the property. Our closing with them took place on June 30th, and they’ve been busy selling their home in Crystal Lake, Illinois and preparing for their journey west since then. The story of how we came to know Dawn and Rob is an amazing one, and I know they look forward to sharing that story with all of you in the future.

A little over nine years after we made almost the same move, the Federicos are hitching up the Blue Swallow trailer today and heading west across Route 66. Watch for them along “The Mainstreet of America” as they make their way to their new business and home in Tucumcari. Wish them well in their new adventure. They’ll be stopping at many places to meet people and introduce themselves. After their arrival in Tucumcari, they will drop their gear and make a swing west to meet more people out that way. The official transition in ownership will take place on July 22nd. We will spend a few days with Dawn and Rob to make sure they can find their way around the place, and then we will quit bothering them and get out of their way.

There’s a time for everything, and now is the time for our family to pass the torch on to the next generation of caretakers. It has been a wonderful experience for Nancy, Kevin, Jessica, Cameron, and Baby Cora, filled with hard work, laughter, tears, and long-lasting relationships. We could not have accomplished the work we’ve been able to do without each of your contributions, love and support. We are confident that Dawn and Rob will be good caretakers of the building, but more importantly, they will continue to provide the kind of service and hospitality that the Blue Swallow has been legendary for over eighty-one years on Route 66. We wish them all the success in the world. Come and see them soon!

今までオーナーであった Nancy と Kevin の Mueller 夫妻に会ったのが数年前。それ以来事あるごとに本当に良くしてもらった。
彼らが不在にするときは夫妻のお子さん夫婦、Jessica と Cameron が負けじと素敵なホスピタリティを提供していたものだ。
個々の事例は過去の記事をご覧頂きたいのでここでは割愛するが、Mueller 夫妻には心からの感謝と御礼を言いたい。
折しもパンデミック時代の影響で今直接出向くことが出来ないのがとても残念、かつ心残りで仕方がない。

With Nancy & Kevin Mueller

もう時効と勝手に決め込んで話をすれば、この Blue Swallow がセールに出た昨年秋、一度 Nancy からメッセージを貰った。その内容は、新しいオーナーを探しているが、もし見つからなかった時には「他のオプション」、そう彼らの所有のまま、Innkeeper を雇うというものだった。私のホテル業界でのバックグラウンドを知って、その際の候補の一人として興味があるか打診してくれたってわけだ。
もちろんあくまでも「オプション」なわけで、個人的にはとても喜ばしいことではあるが、同時に多くの障害があることも否めない。
もしそのような方向性に進むなら気兼ねなく声をかけて欲しいと返答した。

だが新しいオーナーが決まって、Mueller 夫妻が人生の次のチャプターに進むことが出来、本当に良かったと思っている。
いつかどこかでルート66上にてそのような仕事が出来れば、という夢は描いているものの、まだ色々な意味でその時期でない、という神の判断だろう。全ての物事はタイミングなのだ。

Robert 曰く、パンデミックによるダウンタイムの間、12月にサウスウェスト地方へ旅行に出かけたことが彼らの人生を大きく左右するものだったらしい。加えて Mueller 夫妻との出会いにも「ストーリー」があるのだとか。多くの詳細は地元メディアで近々明らかになるそうなので、楽しみだ。トレードショーのディレクターだった Robert とバーチャルアシスタントだった Dawn の Federico 夫妻。ブルースワローがどのように「進化」して行くのか、期待は止まらない。

Nancy, Kevin, Cameron, そして Jessica、9年間本当にありがとう、そしてお疲れ様でした。あなた方に会えたこと、友人となれたことは私の人生の宝の一つ。また会う日まで!
そして Dawn & Rob、Welcome to a big Route 66 family 💛

ABQ Balloon Fiesta 延期へ

大変なことになった。

先日ここでも紹介した週刊NY生活に投稿した、「コロナ禍がルート66に及ぼす影響」の中で懸念したことが何と哀しくも現実になってしまった。
本来であれば「Toshi の大予言!?」などと軽口を叩くところだが、今回ばかりはそうはいかない。非常に残念なことに、毎年秋恒例の”Albuquerque International Balloon Fiesta” が1972年開始以来、初めての中止に追い込まれることになったのだ。。。

実はこれね、結構厳しいんだよ。ニューメキシコ州の財政は石油とガスの生産、観光業そして連邦政府予算が重要な推進力になってる。コロナ禍の影響で石油とガスのマーケットが崩壊した今、観光業は取り分け重要な役割を担うべきなんだけど、この観光業は言うまでもなく、ニューメキシコだけでなく世界的に「大恐慌」の状況だ。

数字で言えば毎年の動員数は平均86万人だそうで、イベントが開催される9日間はアルバカーキ―を始め、多くの観光客が州都、サンタフェまで押し寄せる。アルバカーキー中心部のビジネスボリュームに与える経済効果の合計は、1億862万ドルと推定されているのだ。
(実際昨年、2019年のバルーン・フィエスタに帰属する政府収入は、ニューメキシコ州が652万ドル、アルバカーキーが409万ドル、べルナリロ郡が144万ドルと推定されている)
つまりは、この「旗艦的」イベントの中止は、パンデミックがいかに深刻な状態にあるのかを逆に明確にした形になったよね。

フィエスタ理事会のMatt Guthrie会長の言い分はこうだ。会長を始め団体の皆がイベントの開催は心待ちにしていたし、パンデミック発生後もまだ10月まで時間はあるから開催できると信じていた。だけど、参加者の健康と福祉に悪影響を与える可能性は充分にあり、パイロット、ゲスト、スポンサー、スタッフ、そしてボランティアの安全は常に彼らの最優先事項であり、その公約を守ることに専念しなければならないと。
それはそうだよね、もし誰かが、イベントの参加者が、COVID-19に感染してしまった場合、大問題に発展することは想像に容易いし、それこそ今後の運営そのものにも影響が出るに決まっている。中止にすることで生活が回らなくなる人も出てくるかもしれないことを考えると、すごく辛く難しい決断だが、実に懸命な判断と思う。

実際、ニューメキシコ州観光局も「今回の困難な決定はニューメキシコの人々の健康と安全を念頭に置いてなされたものであることを理解しています。観光業はニューメキシコ州の復興に欠かせないものですが、公共の安全を最優先する必要があります。」と間髪いれずに100%の指示を表明した。現にコロナウイルスは、アメリカ国内で少なくとも230万人に感染し、12万人以上が死亡しているのだから。

ここで地元3大ネットワークでのニュースを。

News from KOB Channel 4
News from KOAT Channel 7
News from KRQE Channel 13

聞くところによると、バルーン・フィエスタは非営利組織で、24 人のボランティアの理事会メンバーと年間 20 人のスタッフによって運営されているらしい。2020年は 600 人以上のパイロットをホストし、1,657 台の RV の予約を可能にし、何百ものスポンサーと調整、1,000 人以上のボランティアをサポート、23 万個の商品を注文、エンターテイナーや売店経営者と協力して仕事をする準備をしていたという。これらを踏まえた上で、最終的に10月にイベントを開催できなくなると。もう想像もしたくないよね。

と、冒頭からバルーン・フィエスタが何か知ってて当たり前、的な物言いを進めてきたけれど、それは一体何ぞや?という方に紹介しましょう。

「アルバカーキー・インターナショナル・バルーン・フィエスタ」は10月初旬にニューメキシコ州アルバカーキーの大平原?で開催される「熱気球飛ばし」のイベントだ。第1回目は1972年、わずか13組の参加だったが、今では600ものバルーンが飛び交う「世界最大の」バルーンコンベンションとなったのだよ。実際登録されたバルーンの数は2000年がピークで1,019まで行ったけど「量より質」を重視した後、2009年以降は今の数に抑えたのである。

そもそも始まりは地元ラジオ局、770 KOB Radioの50歳の誕生日祝いのハイライトイベント。同局のマネージャーであった Dick McKee氏、同州で初めて熱気球を所持した Sid Cutter氏、そして熱気球では第一人者である Oscar Kratz 氏の3人によって実現に至ったわけ。

当初の目的は「史上最大の熱気球イベント」で、当時は英国で行われた19組参加を超えるイベントを目指していたらしい。結果21人のパイロットからの参加コミットメントを得たものの、悪天候によってその地に到達できない者も多く、最終的には13組の「風船の集まり」として終了したようだが、このイベントはアリゾナ州、カリフォルニア州、アイオワ州、ミシガン州、ミネソタ州、ネバダ州、そしてテキサス州からのバルーニストが参加し、総勢2万人を動員したというから、大したものではないかい?立派だと思うなー。

公式サイトは、https://balloonfiesta.com/

何―んて偉そうなことをズラズラと私も並べてるけど、自分がニューメキシコ州に移住するまで実は全くそんなこと知らなかったんだよね(笑)
仕事の都合でサンタフェに移住したのが2010年。ハイアット系のゴルフリゾートホテルだったから、ゴルフシーズンは鬼のように混んで忙しかったんだけど、季節外れの10月にまたピークを迎える繁忙期が最初は全く意味が分からず、それでこのイベントのことを知ったってわけ。 (更には自身の働くホテルがスポンサーをしていたこともあるけど)

アルバカーキ―、いやニューメキシコ州の誇るサンディア・マウンテン

ではここから序にちょっとハイアットの宣伝も。

Albuquerque International Sunport (空港)より車で約30分、アルバカーキ―郊外の Rio Rancho という場所に建っているリゾートホテルは2001年のオープン。そうそう、空港だからと言って「Airport」ではないぞ。「Sunport」と名付けたところに拘りを感じさせる。
“Hyatt Regency Tamaya Resort & Spa” と書かれた正門の位置からはホテルの姿なんぞ見えやしない。ここから車で更に電灯一つない「荒野」を10分近く走るのだ。

このリゾートホテルは Santa Ana Pueblo の保有地(約73,000エーカー)の中で500エーカーほどの場所を利用して建てられた。
保有地全体の大きさからみると「たったの500?」と感じるかもしれないが、それでもわかりやすく言えば東京ドーム約43個分の広さなのだ。
総部屋数は350、3つのプールに、2つの(USオープン公式練習場として利用される)5つ星のゴルフコース、そして4つのレストランに、雄大な景色というニューメキシコを思う存分味わえるホテル。バルーン・フィエスタの会場までも車で約15分と利便性は◎ですよ。

https://www.hyatt.com/en-US/hotel/new-mexico/hyatt-regency-tamaya-resort-and-spa/tamay

バルーン・フィエスタは深夜まだ暗いうちから始まる。これは Dawn Patrol と呼ばれるもので、1978年のバルーン・フィエスタで、カリフォルニア州の気球愛好家が夜間飛行を可能にする位置照明システムを開発したことから始まった。Dawn Patrol は日の出前に離陸し、着陸地点が見えるほど明るくなるまで飛行する。もう暗いうちから観光客はいっぱいです。お店もフル稼働状態。

そしてハイアットのロゴの入った気球。スポンサーらしく、ね。

こんな愉快なキャラクター達や、あのベーダ―卿までお出ましだ!

上がったー!

バルーン・フィエスタの理事会は、今年のイベントは来年 2021年まで「延期される」と発表。第49回目の年次イベントは、2021年10月2日~10月10日に開催される予定だ。

Guthrie 氏はこう言う。
「これは確かに後退ではあるが、私たちは今後もこのイベントを世界で最も素晴らしく最高のイベントにすることに全力を尽くし、バルーン・フィエスタ・パークが再び風船と笑顔で埋め尽くされるのを待ちきれません。」と。
2021年はどのようなフィエスタが見られるのだろうか。

Boots Court Motel 売却へ

先月取り上げたコロナ禍の影響が遂にはっきりと形になってしまった。
先週地元のメディア、Joplin Globe でも取り上げられたように、ミズーリ州ルート66、カ―セイジの Boots Court Motel はオフィシャルに売りに出ることとなった。
Joplin 近郊の The Hunter Team という不動産屋が仲介に入っていて、売却希望価格はUS$210,000(約2,250万円)だそうだ。

ネオン取り付け前のモーテル(2015年)(イラスト風)

Boots Court Motel は1939年に設立され、元々はガソリンスタンドだったものを4つの部屋で構成する小さなモーテル(Court) として出発した。場所は高速道路、国道71号線と66号線の交差点。通称「Crossroads of America」と呼ばれるところだ。ルート66については今更ここで説明する必要はないと思うが、国道71号線も66に勝るとも劣らず、1926年に開通した南北1,500マイル(約2,500キロ)を結ぶ長い長い、歴史のある道である。北端はカナダと米国の国境である、ミネソタ州インターナショナルフォールズ、そして南端はルイジアナ州ポートバレとクロッツスプリングスの間だ。東西に走るルート66と南北に米国大陸をまっすぐに分けるルート71、その交差点は「アメリカの交差点」と呼ぶに実に相応しい(よね?)当時 Boots Court Motel は、有名なジャスパー郡庁舎の素晴らしい景色を眺めることができ、世界中の多くの国々や米国からのトラベラーの宿泊所として人気を博してきた。過去9年間で4,800部屋も販売した実績を持つ。

ジャスパー郡庁舎(イラスト風)

Boot Court は、1939年に Arthur Boots 氏によって建てられた。とても有名な話だが、当時きっての人気俳優であった Clark Gable 氏はオハイオ州の出身で彼がクロスカントリーをする旅では何度もここに宿泊。彼の宿泊した6号室は現在「Clark Gable Room」となって一番予約が取り難い部屋でもある。Boots Court は1950年代に Boots Motel と改名される。

Boots Motel はその後景気の悪さから当時の所有者が地元の開発者に売却、その跡地には「Walgreen」ができるだろう等の噂が飛び交っていたのだが、同州ルート66アソシエーションやマザーロードを愛する支援者のおかげでその計画は頓挫。

悪さを理由に所有者が地元の開発者に売却したため、倒壊する寸前でした。モーテルはウォルグリーンのために破壊されるだろうという憶測が横行しました。しかし、ミズーリ州ルート66アソシエーション、マザーロードの友、その他の保護活動家からの抗議は、開発者たちを怖がらせた。

現オーナーである(先月のブログでも紹介した)Debye Harvey さんと、Priscilla Bledsaw さんは、この歴史的なモーテルをその最盛期でもあった 1940年代のスタイルに戻すため、2011年にプロパティを購入し、翌年2012年よりビジネスを再開、それ以来ずっと惜しみない愛情と努力を注いできた。現在モーテルの部屋数は13にまで増えているが、宿泊として利用できるのはそのうち「8」、残りは修復中だ。
私が Debyeさんや Debbie Dee と知り合ってからまだ僅か数年だが、彼女たちの本当にやさしい、Hospitality に溢れた人柄と物腰にはいつも頭が下がる思いでいっぱいだった。
「1040年代のスタイルに戻す」ため、このモーテルにはテレビはない。が、各部屋にクラッシックなラジオが必ず1台置いてあるのみだ。

私の趣味はスポーツ。それも熱狂的なスポーツファンだ。必ずみるTV番組は ESPN。これさえあれば他は要らないぐらいの勢いである。旅行の滞在先の宿泊部屋でチェックインすると同時にまず ESPN のチャンネルを点けるため、昔家内に「いつもそれだからどこにいるのか分からない!」とキレられたこともある(汗)
そんな私は最初に訪れた際にそんなこととはツユ知らず、真っ青になったことを今でも憶えているが、実際にない経験をしてみるとそれはそれで色々なことに気付かされる。
Boots Court Motel での夜。それはTVからもネットからも解放され、自分の時間をゆっくりと過ごすことができるのだ。

そろそろ話を元に戻そう。メディアの記事によればこの売却の理由がどうしてもコロナ禍が理由に見られてしまうらしいが、実はそうではなく、コロナ禍は最終的に結論を促された最後の背中ひと押しだとのことだ。もうだいぶ年齢的にキツくなってきたこともあり、引退=売却の図式は少し前からあったようで、彼女らの家族とも相談した結果それが最善だとの結論に達したそうだ。

残念ながらこのような事は Boots Court Motel だけが抱える問題ではない。ルート66 全体に起こっていることでもあるのだ。現行の移動規制がが解除され、また私たちが自由に旅ができるようになる近い将来、その景色は全く異なるものになっている可能性も否定できない。

幸い売却が済んだとしても彼女らはカ―セイジの街から出ていくことjはないそうだ。そこは正直心の底から安堵した。

今年の旅行をキャンセルした多くの人たちはこう言う。
「来年必ずまた会おう」
何度も書くがルート66 は一つの大きな家族だ。
私もこのコミュニティに出会って、受け入れてもらって、実に沢山の素晴らしい時間を過ごした。出会った人々は素晴らしい人達で、彼らとルート66 の話をし、古いルート66 の経験を聞き、そして勉強する。そしてそれらを次の若い世代に伝えていく。

Debbie Dee、Debye、そして Priscilla 、それに彼女らと一緒に多くの時間と財力を投げ打った Rod には心からお礼と「お疲れ様」と言いたい。新しくオーナーになる方が、ルート66に同じ情熱と愛情を注いでくれることを願って。

2,200万円かぁ。パッと出せるほど貯蓄があったらなぁ。

モーテルのネオンを灯りに夜通し歓談する愛好家たち

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