Category: Motel & Hotel (Page 1 of 2)

ジョプリンにホリディ・イン誕生

私にとってミズーリ州は、ルート66の走る8州の中でも特別な想いのある大好きな州の一つだ。3か月ほど前にも野球の話で取り上げたが、今回はもう一つ、私自身の専門職、ホテルの紹介をしたい。
今年2018年、ミズーリ州ジョプリンの街に新しいチェーンホテルがオープンした。Holiday Inn Joplin である。残念ながら?私自身の働くブランド・チェーンではないが、そんなことはどうでも良い。ホテル業界全体が栄えればそれが最優先である。


ホテルの経営者は Randy Shippy 氏。ジョプリンで生まれ育った生粋のミズーリっ子らしい。ルート66は、その歴史的重要性と旅行者へのアピール度を考慮した際に大きなマーケティングツールになることをよく理解している彼は、ブランドオーナーである インターコンチネンタル・ホテルズ・グループに掛け合い、ルート66をテーマにしたレストラン&バー施設を盛り込むことによって収益の拡大を見込んでいるとのことだ。

一年間で約100万人がルート66を旅していると言われている中、半分と見積もっても約50万人がジョプリンの街を通過する。私の友人が経営する小さなモーテル「Boots Motel」などのモーテルは苦手で、チェーン系のホテルに宿泊したい旅行者にとっては大きな魅力のホテルになるはずだ。

ただ唯一残念なのが、このホリディ・イン・ジョプリンが、ルート66上に建っているわけではないことだ。ルート66として指定されている 7th Street と、Rangeline Road より南に4キロ近くも離れている。

とは言え、施設は先述したレストランを始め、フィットネスジム、プール、パティオやリビングルームエリアまで、旅の疲れを取るには充分な要素で満載だ。
ジョプリンの街で宿泊する際の一つのオプションにして間違いない。

ホテルの詳細はこちら ⇩ まで。
https://www.ihg.com/holidayinn/hotels/us/en/joplin/jnljo/hoteldetail

 

 

週刊NY生活連載第二弾②:ルート66ベスト10~ホテル・モーテル西部編


本年度4月より始めさせて貰った新企画、その名も「ルート66何でもベスト10」
今月はホテル・モーテルを西部4州から(テキサス・ニューメキシコ・アリゾナ、カリフォルニア)ご紹介します。
詳細は週刊NY生活ウェブサイト ⇩ まで!

https://www.nyseikatsu.com/editions/674/html5/index.html

週刊NY生活連載第二弾①:ルート66ベスト10~ホテル・モーテル東部編

週刊NY生活編集部さんからのサポートの下、2018年度4月より新しい企画が始まりました!その名も「ルート66何でもベスト10」!
ルート66沿線上のモーテル、レストラン、お土産屋さん等を筆者の独断と偏見で選んでご紹介して行きます。旅のご参考になればこれ幸いです。

ということで今月はホテル・モーテルを東部4州から(イリノイ・ミズーリ・カンザス・オクラホマ)ご紹介します。
詳細は週刊NY生活ウェブサイト ⇩ まで!

https://www.nyseikatsu.com/editions/674/html5/index.html

ルート66、アルバカーキーの興隆


私が最初にアルバカーキを訪れたのが1996年なので、あれから22年が経つ。2010年にご縁あってニューメキシコ州に住むことになってそれ以来は頻繁に同街と係ることになったが、ここ1、2年、急速にアルバカーキ(ルート66を含め)が「進化」している感じがする。それによってニューメキシコの良いところを失って欲しくないのが本心だが、いやはやもう住人でない輩の意見なんぞ聞かないよ、というのが地元の人達の意見だろうか(笑)
その使い勝手の良さからアルバカーキ空港は全米でも最もお気に入りの空港の一つだし、この街に着くなりここ何年も先ず食べるのはチリバーガーだ。その手のニッチな話は置いておき、今回は短時間だけど街の進化を体感したお話を少し。


“Beep, beep”の音で素早く走るロードランナーは、皆さんもアメリカの漫画から良くご存知と思うが、カッコウ科の鳥で北米大陸南部のユッカの花が咲く乾燥した砂漠地帯に多く生息しているらしい。私が初めてそれを見たのは確か1992年頃テキサス州ヒューストン郊外だった。 事典によると時速30キロ近くの速さで走ることが出来るらしいが、そのロードランナーをモチーフにしたものがニューメキシコには多い。アルバカーキ~サンタフェを結ぶ鉄道は「レイル・ランナー」と呼ばれるが、その車体には大きくこのロードランナーが描かれている。2年前ほどだろうか、アルバカーキ・ルート66が進化を掲げてこのロードランナーを用いて新しい街の象徴(ロゴ)を作成。賛否両論あったが、私は結構気に入っているのだ。


いつも通りチリバーガーを食べた後、街の中心を東西に走る Central Avenue(ルート66)をクルージング。おっと!いきなり見たことないオブジェが登場。
いつ造ったんだろうか、聞いてないぞ(笑)

そして見えてきたのは ART の駅。


ART:Albuquerque Rapid Transit、の導入は2016年に物入りで州議会を通過、当初その建設にあたっては 119億円必要(その後134億に増加)とあって、補助金で75%程度は確保できたものの、残りはどのように費用を捻出するのかで相当な議論を呼んだ。ART は約9マイル(約14キロ)に渡って専用バスをセントラル大通りに通す公共交通機関だ。あれから2年、駅とその専用道路の舗装はほぼ終わったものの、バスそのものは未だ運行していないようだ。ART のホームページでもまだまだ課題は山積みの模様。今後の動向に注視したい。

そういう言っている間にインターステート40号線と25号線の交差するダウンタウンの中心を超え、オールド・アルバカーキを渡ると以前はぐっと寂しかった地区になるのだが、何とここにもバーや、レストラン、クラブに映画館と、オールドタウンからも簡単にアクセスできるウェストサイドの賑わいも出来ていた。車を運転している都合上写真は撮れなかったが、⇩ のような街頭サインも誕生し、その「進化」を主張しているようにみえた。

セントラル大通り(ルート66)を更に西へ走るとアルバカーキの誇る3大モーテル、”Monterey Motel”、 “El Don Motel”、そして “El Vado Motel”が順に現れる。
ルート66が全盛だったころのポストカード(⇩)からも当時の素敵な雰囲気は充分伝わってくるが、さすがに近年はいわゆる「モーテル」の域は出ない。

モンテレイはモーテルと言うより短期間アパート的なものに姿を変え、エル・ドンも営業はしているものの、かつての華やかさは無い。エル・ヴァドに至っては2005年に営業が終了して以来、廃墟への道を辿っていた。

(2015年撮影)

そんなエル・ヴァドが 18億円の新プロジェクトにて、ブティックホテルとして甦る、と聞いたのが数年前のことだ。前オーナーが2005年に辞めた後、新しい所有者ゴンザレス氏は、モーテルの建物を一掃して高級タウンハウスを建造すると明言。市やルート66保存団体は当然の如く反対意見を表明、その建物とエリアを封鎖し数年に渡って交渉に臨んできたという経緯がある。
当初は今年2018年に再開業する予定だったが、そんなのは米国では良くある「予定外の理由」で遅延。当然今は一生懸命開業に向かって頑張っているだろうと想像し、今回はここに寄ってみることを当初から一つの楽しみにしていたのだ。
結果はこんな感じ!

働いている人達に話を聞くと、正面ロビーにはタップルームと呼ばれるビールの飲めるバーを地元のビール製造会社を入れてオープンさせ、もちろんモーテルを基本に、レストランやその他のショップ等もコンプレックス内に開業予定だそうだ。
つい先日のニュースでも5月上旬のオープンを目指しているとのことだ。
この夏、アルバカーキへ行く予定のある人は是非宿泊して頂きたい。
因みにエル・ヴァド・モーテルは1937年、アイリッシュ系移民のマーフィー氏によって開業、1993年には米国国家歴史登録財に認定されている。

話の順序が逆になってしまったけど、今回このエル・ヴァドの進展を見てみようと思ったのは実は理由がある。ルート66の大先輩でもあり敬愛する花村氏のSNS発信に始まる。私が渡米する直前、花村氏は東京某所で以前エル・ヴァド・モーテルのオーナーであった Ali Hakam氏と1991年に撮った写真を上げ、その上で当時幼かった息子さん(今では立派な大人)は今お仕事で日本に在住しており、彼との再会を楽しむポストを掲載されているのだ。それを見た瞬間、エル・ヴァドのことを思い出して「あ、行ってみてこなきゃ」って思った。

(写真:花村氏のSNSより転載)

当初は行く予定でなかったのだが、これによって(この方向に走ることによって)先日ブログに書いたサンフィデルの出会いも生まれた。
近々この息子さん、Karim Zaher Leif Hakam 氏も紹介してくれると花村氏は言う。どんなお話が聞けるのか、今から楽しみでたまらない。


アルバカーキから西へ向かうルート66

La Posada 物語は永遠に

アリゾナ州ウィンスロー。イーグルスの不朽の名作、”Take it Easy” の歌詞に登場するスタンディング・オン・ザ・コーナーの観光地としてルート66ファンでは知らない者はいない街だ。シカゴ~サンタモニカ間を結ぶルート66全体としても最も多数のビジターを集める名所でもある。同曲の生みの親の一人、Jackson Brown 似の彫像の前で写真を撮るのが定番だが、これに一昨年亡くなった Glenn Frey の彫像も作成されより一層ファンの「聖地」となっているわけで。
そんなウィンスローにはルート66上多くの箇所で見られるモーテルとは一線を画した歴史的ホテルが存在する。”La Posada Hotel”だ。


ラ・ポサダの歴史は ”Harvey House”で著名な Fred Harvey 氏と共に始まる。Harvey 氏は当時まだ荒野だった西部に、銀器、チャイナ、水晶、クリスタル、そして完璧なホスピタリティ精神を持ち込み、文字通り西部の文明化に成功した。
元々ウィンスローは米国先住民のナバホとホピの交易場所として重要な拠点であり、ここを通る大陸間鉄道にとっても、1913年に開通した National Old Hwy、更には1926年にルート66が通るようになって重要な観光地でもあった。このような意味からウィンスローの地が Harvey 氏の直感に触れるのは当然のことだったのかもしれない。彼は1920年代にその案を考え、実際1929年より休憩所(ホテル)作りに専念した。敷地、建物、家具等、総予算は$200万ドル(現在の価格で約$4,000万ドル=42億円)とも言われていたようだから想像を絶する大金だ。
結果ホテルは1930年5月、歴史的大恐慌の翌年に誕生し、 1959年に閉鎖されるまで多くの著名人や観光客が訪れた。閉鎖後はサンタフェ鉄道がオフィスとして利用することになるが、建物の腐敗も進み、1994年殆どの部分が解体されてしまうことになる。
そんな中、米国文化財保護法、米国国家歴史保存法の観点から The National Trust for Historic Preservation という財団が乗り出し、ラ・ポサダの保存を訴え始めることで、その行動が現在のオーナー、Allan Affeldt 氏の目に留まり彼は建物や土地をサンタフェ鉄道より1994年に購入。Affeldt 氏の努力は鉄道会社との3年間の交渉と様々な法的、環境的、財政上の障害を解決し、La Posada LLCを設立。推定$1,200万ドル(約13億円)を投じた一大プロジェクトに邁進することとなる。

さて、前置きが長くなったが、やっと今日の本題に到達だ(笑)

アランはラ・ポサダと同時に、ニューメキシコ州ラスベガスにある Plaza Hotel のオーナーでもあり、更に同じく同市にある Harvey House 様式の La Castaneda Hotel を甦えさせるプロジェクトも同時進行で行っている。ラ・ポサダは中々泊まる機会がないが、Plaza Hotel は過去何回か宿泊した経験があり、2016年には「日本のMr. Eagles」茂村泰彦氏がホテル前の特設会場で演奏をされた際に駆けつけて泊まった場所でもある。
もともとアランの名前は知っていてFB上でも偶にやり取りをしていたのだが、実はご本人に一度も会ったことがなかった。
今回休暇でルート66を走ることになった時に真っ先に思ったことは彼に会うことだった。というのは上記3つのホテルのいずれかの場所で毎日奮闘している姿がFBにご自身から投稿されていたからだ。
早速私は彼を訪ねてラスベガスに行く旨を伝えたが、生憎その週はウィンスローにいるというので急遽目的地はアルバカーキ東方面から西方面(アリゾナ方面)に変更、ラ・ポサダで会う約束を取り付けた。

アランが現在精力的に行っているのはホテルの敷地内に新しくオープンさせる博物館だ。元々鉄道駅だったころに使われていた荷物置き場、駅員の宿舎棟を上手く改築利用し、歴史の大切な部分を残しながら現代的なアートフル感覚に満ちや空間を創りだしているセンスは圧巻だ。シカゴからサンタモニカまで、将来的に建物の床にはその「道」のペイントを施し、時間・空間のトラベルが体験できる工夫も凝らすとのことだ。

もちろん作業は土台作りが終わったばかりでまだまだ先は長い。
でもそのような苦労を一瞬たりとも感じさせず、彼の理想とする物語を丁寧に説明しながら説いてくれる姿は喜びを通り越して感動さえ憶えた。


更にこのプロジェクトのハイライトの一つには、当時活躍していたサンタフェ鉄道のオリジナル車両が併設展示されるという点もある。


”Pleasure Dome” と呼ばれる当時の豪華列車の車両が惜しげもなく置かれている姿にビックリ!”Turquoise Room”と呼ばれる有名な個室型ダイニングルームやプレジャードームは椅子が360度回転し、大きく天井まで開放的に作られた窓は列車の旅を一段と快適にしたことは想像に難しくない。


(ドーム車両の椅子に座りポーズを取るアラン)

聞くところによるとアランとそのマネージメントパートナーの面々はいずれもホテル業に従事した経験はないとのことだ。だが、忘却の彼方にあった施設に「魔法をかけて」新たに博物館として蘇らせるという敏腕ぶりを発揮する。アランの仕事は建物全体のリハビリ、設計、建築と資金調達だそうだ。
私は一階の営業マンとしてホテル業界に携わっているが、彼を話をしていると私にとっては、これがホテルマンとしての集大成という姿が見取れ、感じられる。

色々な話の最後に、いつこのプロジェクトは完成するのか質問してみた。
アランはこう言った、「決して完成と呼べる日は来ないかもな」と。
ルート66は1926年に生まれ、その目的を達し1984年に廃線となった。だがルート66は今でも存在し、多くのファンを巻き込み、姿形を少しずつ変えながら現在を生き続けている。私達はそれを後世に残すため、私達の遺産を永遠に伝えて行くため(私自身も微力ながら)日々奮闘し模索している。
ルート66が今から100年後どんな姿になっているかは想像がつかないが、決して消滅することはないと断言できる。
きっとアランのプロジェクトもそういうものなのだろうと想像しながら晴れ晴れとした気持ちでウィンスローを後にした。

 

Amarillo Inn & Suites 驚愕のコスパ

皆さんも経験あると思うけど、旅に出ると思わぬ出来事に出会う。散々なアクシデントから想像もつかなかった喜びまで多岐に渡る経験ができるからこそ旅は面白い。そんな中で今日はひょんなことから素敵な?ホテルに泊まれたというお話を。

それは2015年の夏、いつものようにルート66をクルージング中、テキサス州アマリロで起こる。オクラホマから西へその日に目的地に向かって走っていたが、毎度のことながらやはり色んなものに興味がわき途中停車の数が増えることに。その夜は夕方にはアマリロに着き、アートギャラリーを経営する友人、BOB と夕飯、そのまま彼の自宅に停めてもらう予定でいたが、その途中停車のおかげで着くころはすっかり夜8時近かった。さすがにこの時間からは迷惑だろうと思い、自分でモーテルを探すことにした。
最初にはっきりさせておくけど、アマリロは大きな街だ。もちろん州北部、パンハンドル地方と呼ばれる地域の一地方都市ではあるが、人口は約20万人。酪農や畜産が中心だが、近年では石油化学産業や製造業も伸びている。
街を東西に貫くインターステート40号線沿いには多くのホテル、モーテル、全米レストランチェーンが軒を並べる。ヒルトン、マリオット、ホリディインを筆頭に、ベストウェスタン、モーテル6、デイズイン、コンフォートイン、レッドルーフ、ベイモント、それにキャンドルスイーツと、かなりの数のチェーンがあるのだ。それだけに私は余裕をぶっこいて夕飯にステーキを食べ、その後ホテルを探した。が、しかし!
その夜に限っては全く空きがない。聞くところによると何か大学のスポーツの大きな試合が2つほどあり、有名チェーンは軒並み満室状態らしい。
結構この時はマジで焦ったことを今でも憶えている。10軒近くあたってどこも取れなかったことはかつてない。


そんな中、Amarillo Inn & Suites という今まで聞いたことのないホテル?モーテル?が検索サイトに現れた。評価は3.1、決して高くはない。が、時間は既に夜の10時近い。四の五の言ってる場合ではない。そして値段は、、、何と$33。
この(ルート66上としては)大きな街で$33。安いに越したことはないが不安な材料の一つであることに変わりはない。
しかしそうは言っても、まあ寝るだけだ。今までもっと悪い(であろう)所に何度か宿泊している。正直言えばモーテル拍が続いていたから、今晩ぐらいコートヤードとか、ダブルツリーあたりで、と考えていたのは事実だけど(笑)
とにかくiPhone でサイトから予約。立地はインターステート40号線沿いだと書かれているから車を飛ばした。

と、さてここからは楽しく素晴らしい驚きの連続だった。どう考えてもこのホテルでこの値段は安い。この後更に二度ほど宿泊しているが、この夜だけ安かったわけではないのだ。
この Inn & Suites、いわゆる Studio 又は1 Bed Room Suite のお部屋タイプだけど、全室バルコニーまたは部屋の前にテーブルセットが置かれている。ベッドルームは建物の内側に面していて大きな吹き抜け?のような作り。

どう?どう見たって$33 のホテル(モーテル)じゃないよね?
チェックインカウンターやロビーはこんな感じ。

それに屋内プールまであるのだ!


これはあくまでも2015年の話なので、とは言え2016、2017年も$40程度だったけど、今はどうなっているか分からないけど、とにかく良い意味で裏切られた素晴らしい体験だった。
あ、そうそう、しかも朝飯付きです!取り立ててそんな大したものではないし、すげー美味しいものではないけど、スクランブルエッグ、ベーコン、シリアル、トースト、ビスケットにフルーツ、そしてコーヒーがあるから文句を言う筋合いはない。席数だってあって、きれいなレストランだ。


レストラン自体もルート66をとても意識した作りになってるんだけど、ルート66という単語はホテル名にも、その他特にどこにも冠してない。
壁絵にルート66の有名な Club Cafe のデザインが描かれているけど、それはニューメキシコ州サンタローザにあるレストラン。

「せめてテキサスのものにしようぜ」と突っ込みながら、とても美味しくいただいた。
アマリロに行かれる際は是非泊まってみてはいかが?

 

待ちに待った Fabulous 40’s Motel の再開

「Fabulous 40 Motel、そうか40年代にあったものなんだろうな。結構荒れてんなぁ。どうするんだろう、これ。」
私が1996年に初めてルート66、エイドリアンの街を通ってこのモーテルの「廃墟」を見た時の感想だ。

@1996撮影

エイドリアンはテキサス州オールドハム郡の、人口200人に満たない街だ。昨年10月のブログでも紹介した Midpoint Cafe そして、Fran Hauser さんの経営するお土産屋さん Sunflower Station が連なるルート66のメイン通り上にその Fabulous 40 Motel は存在する。
2016年5月に Ramona と Roy 夫妻がその権利を買い取り、10月初旬からモーテルを再開させた、という話は友人伝手に聞いていたが、実際にその雄姿を見るまでにそこから半年かかってしまった。
今年4月にオクラホマ・ルート66を旅した時にテキサス州アマリロから帰路に経つ予定だったから、この機会を逃してはなるまいとばかりにエイドリアンまで最終日の早朝から車を飛ばした。
残念なことに Fran のお店はまだ空いていなかったが、Midpoint Cafe で朝飯にパイとコーヒーをもらい Dennis と談笑。
その後満を持してモーテルへ向かった。ご存知の方もいると思うが、私はルート66 の歴史を文化を次世代へ継承する目的で多くのルート66の活動に参加させて貰っている。日本からの旅行者がルート66を走った時に少しでも暖かい歓迎をしてもらえるように、と行く先々のモーテルやお土産屋さん等でご協力も仰いでいる。
エイドリアンから一番近い宿泊施設の多い街は同州アマリロだ。ここは人口20万人を超えるルート66では大都市なのでデラックスなホテルからモーテルまで幅広く供給はある。が、なぜかルート66っぽいモーテルが無いのも事実だ。
私自身はアマリロに滞在する際、ルート66を思いっきり前面に出しているビジネスホテルっぽいところがあるのでそこに概ね滞在するのだが(このホテルはまた近いうちに紹介したい)、やっぱり「モーテル」がルート66には相応しい。
ってことで、この Fabulous 40 が再開したと聞いた時は是非オーナーさんと親交を深め今後の協力をお願いするため、モーテルを訪れた。

こんな素敵な姿に

時間は午前10時過ぎ、早朝チェックアウトが終わりちょうど良い時間だ。
ドア前に行きベルを押してみる。無反応。
ドアは鍵がかかっていて開かない。
仕方ないので周辺をうろついてみたら、「外出中なので用事のある人は携帯に電話せよ」との張り紙。早速電話する。

「ああ、こんにちは。私はトシってものだけど、XXX という活動をしていることもあって、是非一度会って話がしたいんです。何時ごろ戻られますか?」
「トシって?カリフォルニアの?そう、名前は聞いてるわ。訪ねてきてくれて嬉しいわ。今馬に乗ってバックヤードで仕事してるの。5分ぐらい待てる?すぐ行くわ」と、快諾してくれたのが Ramona さんだった。
ミズーリ州のMunger Moss Motel の「お母さん」も Ramona。どうやら Ramona という女性に悪い人はいないようだ(笑)


ちょっとして現れた Ramona さんは再開したばかりの、まだ改装中の部分も含めて部屋やモーテル周り、そして宿泊者の集うレクリエーション・ルームなんかも説明しながら魅せてくれた。

小さな街の小さなモーテルだけど、Ramona さんのお客さんに対する愛情や気遣いはとても大きい。Midpoint Cafe や Sunflower Station も含めて一泊するのにとても素敵な場所だ。レクリエーション・ルームでは夜まで様々な街、州、そして国からの旅行者が集まり情報交換したり親交したり、まさにルート66のファミリー感覚を経験するのは最高の場所と感じた。

エイドリアンまで足を伸ばす際は是非予約を入れ、泊まってみて頂きたい。
モーテルは現在 10部屋が使用可能(将来的には20部屋に拡張)で、宿泊客はレクリエーションルームでコンチネンタル朝食を無料で食べられるとのこと。
特に公式ウェブサイトはないので、Facebook アカウント “Fabulous 40’s Motel” で検索。


⇧ 夫妻は更に、1920年代のPhillips 66コテージスタイルのガソリンスタンドも併せて購入。ここはお土産店として活用する計画もあるんだとか。

次に訪れるときはどんな様相になっているのか今から楽しみで堪らない。そんな事を考えながらテキサス・ルート66をアマリロへ。

 

週刊NY生活⑲:ニューメキシコ州

恒例の月一寄稿。今月は遂にニューメキシコ州に入りました!が、ニューメキシコ州について四の五の語っていたら結局トゥクムキャリの街までしか紹介できませんでした(汗)さあ、先は長いぞ~!お時間のある方は下記のURLで、13ページをご覧ください!

https://www.nyseikatsu.com/editions/639/html5/index.html

Art’s Motel の復活


イリノイ州ファーマーズヴィルにある ART’S MOTEL。そう聞いてあの独特な目を引く赤い看板を想像出来る人はかなりのルート66ファンだ。モーテル自体はかならい長い間休業中だったけど、この看板は2006年にイリノイ州史跡保存会の有志が中心になって修復されたもので、モーテル自体も1995年にイリノイ・ルート66の殿堂に選ばれている。
そんな Art’s Motel が去る2月、何と再オープンしたと聞いたからこれは超興奮ものだ!

このモーテルの元を辿れば1920年、当時は Hendrick’s Brothers Cafe という名前のガソリンスタンド。1937年に Art McAnarney 氏が購入し僅か6部屋でスタートしたと記録には残っている。1952年の大火災の後、Art 氏が亡くなり、二人の息子さんが後を継いだがその後経営は尻すぼみで気が付いたら閉まっていたそうだ。

Art Motel の部屋は基本二つのダブルベッドに、ケーブルTV、冷蔵庫、それに電子レンジ完備としっかりと最低限のニーズは満たしてる。値段は聞くところによれば何と一泊$50。昨今のホテル、モーテルの値段高騰から考えると非常にリーズナブルだね。(全11室とのこと)

となると、当然?気になるのはレストラン。そう、実は元々この敷地内には Art’s BBQ というレストランもあったようで、その建物、内装はしっかり残っていたんだ。訪れるたびにここはまだまだ使えるのに、と思っていたものだけど、やはり建物リーズでカフェ経営をする人を募集中らしい(笑)
新しくアメリカでカフェやレストランを開きたい方、是非いかがだろうか?

Reichardt 氏のお宝映像①


さて皆さんは Anthony Reichardt という人を知ってますか?
な~んて偉そうに聞いてるけど、実は私も彼の存在を知ったのはここ僅か2年弱。ルート66の大ファンでない限り余り耳にしない名前だから仕方ない(笑)
と言うわけで、今日はその Reichardt さんの映像作品群をご紹介したい。

Reichardt さんはカリフォルニア州サンタアナ在住で、US Postal Service、郵便局のトラック運転手さんだ。自慢の1959年製キャデラックに乗って1992年~1998年にかけてルート66を数回旅したそうで、その時の映像や写真を多数 YouTube に載せて私たちを楽しませてくれている。
公式サイト:
https://www.youtube.com/channel/UCkH__8wqUEOm4FAp_DjAowQ

その Reichardt さん、何がそんなに凄いのか?その答えは彼が旅した時期にあるんだ。今となっては当たり前のスマホや SNS。だけど、90年代にそんなものは存在しなかった。たった20年前だけど、そうだった。つまりインターネットが普及する前の映像(記録)を見せてくれるのだ!
ルート66の世界にとってそれはもはや宝以外何ものでもない。
もう既に他界してしまった人々や、朽ちて無くなってしまったランドマーク等、いろいろ貴重な「お宝映像」が見れるってこと!

今日はその中でも一際お宝度の高い、ニューメキシコ州トゥクムキャリにある Blue Swallow Motel の伝説、Lillian Redman さんをフォーカスしたこの映像をご覧あれ。Lillian さんの姿をこれだけ捕らえた映像は他に中々類を見ない。
Lillian さんは1958年、旦那さんと一緒にモーテルを購入。それから引退するまでの40年、ホスピタリティ精神に溢れたそのキャラクターは、ルート66を走る沢山の旅人に愛された。
私が最初に走ったのは1996年。Lillianさんの引退の2年前だけど、とうとう彼女に直接会うことは出来なかった。私もホテルマンの端くれとして、色々聞きたい話はあったんだけどね。


最後にLillian さんの有名な一言で。
“When Route 66 was closed to the majority of traffic and the other highway came in, I felt just like I had lost an old friend. But some of us stuck it out and are still here on Route 66.”
— Lillian Redman

 

 

 

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