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Bill さんの見守る調印式

Shea Museum 1
イリノイ州でルート66の発展に大きく寄与する(と期待される)法案に昨日州知事が署名。オートバイのナンバープレートがルート66仕様の新しいデザインがオプションとして追加された。車両に対しては既にこのようなナンバープレートがあるが、バイクに対しては初めての試み。私はバイクに(未だ)乗らないので、直接的な影響は少ないけどこのようなニュースは嬉しいものだ。

イリノイ州ルート66プレート

イリノイ州ルート66プレート

法案署名の式典が行われたのは、旧 Shea Museum にあったガスステーションをそっくりそのまま移動した先、@同州スプリングフィールドのピザ屋さん。
式典には先日スプリングフィールドで開催されたお祭りの時に挨拶させて貰った、イリノイ州ルート66シーニックバイウェイの事務局長、Bill Kelly 氏も同席したそうだ。次に会う時はイリノイ州の今後のプロジェクトに関して意見交換をさせて頂く予定なので、その時にこの件も色々聞かせて貰おうと楽しみにしている。

その式典はさておき、今日ちょっと触れたいのは Shea Museum。先に述べたように現在ピザ屋さんがオーナーになってガスステーションはきちんと保存してくれている。
知ってる人も多いと思うけど、Shea Museumは、元々テキサコ系のガスステーションだったものがマラソン系に変わり、その後 Bill さんと Helen さんの夫婦によってルート66上でも最も著名なアイコンの一つ、”Museum” として生まれ変わった。

ビルさん

ビルさん

Museum には50年以上に渡って収集されたオリジナルのガスポンプ、木製電話ボックス、サイン、写真等、ルート66に関するありとあらゆるものが展示されていたんだ。今まで何人が訪れたんだろう?以前ゲストのサインブックを見せてもらったとき、何冊もある電話帳かと思ったことを憶えてる。
1993年にその功績を讃えられ、BillさんとMuseumはルート66の殿堂入り。彼の家族もその後確か2002年頃だったと思う、殿堂入りした。

残念ながら2013年12月、ビルさんは91歳の若さで永眠。(奥様ヘレンさんはその約1年後に永眠)Museum の記念品は全てオークションにかけられることになったんだ。私がBillさんと話がで出来たのは一回だけ。彼の体調や私の旅程なんかで中々タイミングが合わず、「じゃあまたね!」の約束を果たすことが出来なかった。

その後私が訪れることができたのは2014年10月。夕方のちょっと冷たい風と掃除されていない黄色い落ち葉の山が寂しさを一層煽っていた。完全に施錠されて閉まっている Museum を外から眺めていると、車椅子に乗った髭もじゃのオジサンが寄ってきて「ここは奴が居なくなってからずっとこのままさ。これからどうなるんだろうな。」と言いたいことだけ言って去ってった。

今回の調印式に数多くある幾つかのスプリングフィールドのアイコンで、なぜこの場所が選ばれたのかの経緯は知らないけど、BillさんとShea一家の功績が今一度スポットライトを浴びることになって本当に良かったと思う。
姿身は亡くなったけど、彼の魂はきちんと受け継がれ、そしてその形を変えて次世代に確実に受け継がれて行く。きっと天国から調印式を誇らしげに見てるんじゃないかな。ちょっと心が温かくなった。

 

 

 

 

翻訳のお仕事頂きました

アリゾナ州キングマンにある アリゾナ・ルート66 ミュージアム、通称「パワーハウス・ミュージアム」。ルート66ファンのあなたなら当然知ってるよね?(笑)で、そのミュージアムが近い将来、英語圏以外の観光客の皆さんのために数か国語でパンフレットやそしてミュージアム内の説明表示盤を作っちゃおうって。
更に驚くべきことは、何とその日本語版の担当として一緒にお仕事をすることになっちゃいました~
この上ない名誉、頑張ります!

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ミュージアムの公式ホームページはこちら ↓
http://www.gokingman.com/attraction-Powerhouse-Route-66-Museum#_=_

お疲れ様、Laurel

Laurel
2016年1月28日、ルート66は大きな財産をまた一つ失った。ローレル・ケインさん(Laurel Kane)、オクラホマ州アフトンにあるパッカードミュージアムで多くのルート66愛好家を持成してくれた「母」だ。
前夫デイビッドによると、彼自身とローレルの娘さん、そしてローレルの長年の親友ロイ・マッコイさんらに看取られ静かに永遠の眠りについたという。

コネチカット州出身のデイビッドとローレルは、1930年代に 建てられた DX Gas Station を買って、1998年に2年間の月日をかけて修復。
2002年にオクラホマ州に移住しローレルは毎週毎週ルート66とミュージアムに訪れる観光客達に笑顔を振りまいた。
記録によればローレルは生前、約18か国から来た7000人以上のお客さんを持て成したらしい。

私が彼女に会ったのは実はたったの一回、それもわずか2時間程度だ。暑い8月の土曜日の午後だった。「早く来ないと閉めちゃうからな」、そうロンに言われてなぜか必要以上に車を飛ばした。私は残念ながら「虫の知らせ」のようなデリケートな感覚は持ち合わせちゃいない。それまでにミュージアムは合計3回ほど立ち寄ったけど、一度もローレルには会ったことがなかった。だからだろうか?「今回はどうしても会わないと帰れない」、なぜかそう思ったことは憶えている。

「一期一会」、この言葉を今日ほどはっきり、強く、鮮明に感じたことはない。
あの夏に出会えて良かった。本当に短い時間だったけど、話が出来て本当に良かった。日本でルート66のアソシエーションを立ち上げたことを心から喜んでくれた。

彼女の笑顔は、ホスピタリティの心は、そしてルート66への情熱は、この共通の「道」を愛する大勢の旅人の中に永遠に残ると思う。
ローレル、お疲れ様。安らかに。

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