Jim と言えば、この春、彼の像が博物館近くの鉄道基地に設置されたことを書かないわけにはいかない。街(ダウンタウン)の活性化のために活動する、ボランティア・チームである、Kingman Main Street によって、Jim の長年に渡る街と文化への貢献に対し、Jim そっくりの?等身大のブロンズ像が奉納された。ツアーガイドとして多くの観光客を楽しませてきた、インタラクティブなダウンタウン・ウォーキングツアーの最初のストップ地として今後は利用されるようだ。
ただ運の悪いことに、その年は「大恐慌」と呼ばれる、アメリカを発端に世界的に起こった深刻な経済恐慌があったことはご存じの通りで、この「キャンプ」も例外でなく、何度も所有者と経営者が変わったらしい。1948年、キャンプは場所を当時あったところより更に2ブロックほど西へ移動させ、敷地は “Rockwood Motor Court” と名付けられ、それ以降今日まで70年以上にも渡り受け継がれている。
次にご案内したのが Route 66 State Park(ルート66州立公園)、セントルイスの郊外、車で約 30分ぐらいの所にある。1999年、この公園は広さ 419エーカーを有し、公園周辺の環境とメラメック河 ルート66橋を含む、境界内のルート66の一部を解説、展示したビジターセンターで出来ている。付け加えると、このエリアは昔、タイムズ・ビーチという名の労働者階級のリゾート地域であったが、1980年代に広範囲でダイオキシン汚染が発見され、米国環境保護局によって除染後、解体された黒歴史を持つ 😰
公園の一部はメラメック河の東河畔にあり、ビジターセンターもそこにある。ビジターセンターは9時~16時半まで。上述した地域のルート66に関する結構な展示物に加え、大きなギフトショップも備わっているのは嬉しい限りだね。お店の品揃えは中々のもので、今回は 1946年に出版された J. Rittenhouse 緒の「A Guide Book to Highway 66」を購入した 😊
そんなこんなで思ったより長いしてしまい、ここからキューバまでは飛ばしても 1時間ぐらいかかるので、昨日に引き続きドタバタと焦ることに!🤣 ってことだが、その前に Sullivan にてワンクッション置くことにした。 サリヴァンと言えば、そう「シャムロック・コート」である。 このブログに訪れてくれておいる読者さんなら未だ記憶に新しい(はず)のネオンサイン点灯式の、あの一件だ。 (忘れている人。下記のリンクを参照してください) シャムロック・コート復活の狼煙 https://www.toshi66.com/2022-03-20/(opens in a new tab)
キューバは、(ルート66沿いの)「壁画の街」と呼ばれている。街のロゴにも “Mural City” と記載されているほど。その理由は2001年に始められた “Viva Cuba Murals Project”といい、「美しいキューバ(の街)」を目指し、1984年に設立された Viva Cuba 団体の主導の下、2007年の、キューバの街設立150周年を記念して、街中に12枚の野外壁画を設けようとしたことが始まりなのだ。言うまでないが、著名なワゴン・ウィール・モーテルを含むダウンタウンの歴史地区は、「国定歴史地区」に登録されている。
前置きが長くなったが、その歴史地区を代表する建物の一つ、旧フィリップス66 のガスステーション跡こそが、今日ノーランに会う場所だ。 時計は遡って 1932年、Paul T Car 氏がこのガスステーションを建設した。1968年になって Bill Wallis 氏がこの土地を購入、モービル社のガソリンを販売しつつ Wallis Oil Company のオフィスとしても利用した。その時に建物を 1930年代の当時の姿に復元した、と言われている。
Weir On 66 ホームページより
その後 ジョアン・ウィアーさんが 2016年、The Four Way という名でレストランをオープン、現在の “Weir On 66” となった。 ワシントン通り(旧街道ルート66)と フランクリン大通りの交差点に佇むレストランはこんな感じ。
何とも悲しい日になった。 ニューメキシコ州ルート66アソシエーションの役員であり、ルート66沿線上多くの歴史的なネオン看板の修復に関して第一人者である Johnny Plath 氏が先週、コロナウィルス感染によって亡くなった。 まだ「たったの」68歳だ。 ニュースによれば彼のお父様も同様な理由でお亡くなりになったらしいのだが、どうやらお父様のお世話時に感染してしまったようだ。
Johnny Plath, the image from Route 66 News
Johnny と彼の兄弟である Larry は、同州アルバカーキにある Southwest Outdoor Electric 社でネオン看板の作成ならびに復元作業に従事していた。彼の業績の中でも最も注目に値する看板の復元は、同州Santa Rosa にあった Sun n’ Sand Motel、こちらも現在は閉店してしまっている同州 Moriarty の El Comedor の「ロトスフィア」、そしてアルバカーキにある De Anza Motor Lodge のそれらだ。
Johnny とニューメキシコ州ルート66協会とのパートナーシップは、2003年に同協会が提唱した、「ルート66ネオンサイン保護プロジェクト」がきっかけだったと言う。その際 Johnny は、最も困難な二つのネオン看板の修復に入札し、担当することになったとのことだ。上記で紹介した、サンタローザの巨大なサンアンドサンドモーテルの看板と、モリアーティにある「Rotosphere」ネオンだ。彼はこれらのプロジェクトが利益を生まないことを十分に理解していたが、ジョニーはこれらの歴史のあるアイコンであったネオンサインを蘇らせる機会を貰えることにモチベーションがあったそうだ。
Rotosphere at El Comedor, the image from Route 66 News
今年の初め、2020年は初夏ごろに渡米し、ニューメキシコ・ルート66を走る予定をしており、その際 Johnny Plath 氏に面会を申し出るつもりだった。もう何年もの間、是非お会いしてお話を聞きたいと思っていた方だ。本当に残念でならない。 ご本人のご冥福を祈ると共に、ご家族に心よりお悔やみを申し上げたい。
PBSが作成したドキュメンタリー映画「Route 66:The Neon Road」に、Johnny のネオン看板への情熱を見ることができる。この映画は Emmy Award も受賞した。お時間のある方は是非。
そんなことはさておき、イベントはまだ明るい中から始まった。予定では8時過ぎに日没だけど、「本当にこの1時間ぐらいで点灯できるくらい暗くなるのかな?」という思いと共に、Jacob Tovar の Honky-Tonk Music で幕を開ける。
その他このイベントには、予定されていたオクラホマ州副知事、そして同州観光局の責任者でもある Matt Pinnell 中尉や、点灯式企画者でバックアトムのオーナーである Mary Beth のスピーチは勿論、制作過程のドキュメンタリー等が少し入った映像もあったのでテンションは上がる。こういう構成はさすがだ。
Mary Beth on speech from Facebook Event
Gov. Matt Pinnell on speech from Facebook Event
My good friend, Rhys on speech from Facebook Event
ライブ配信はこんな感じで
幸い友人でもある Ron Warnick 氏の運営する Route 66 News がイベントの映像を挙げてくれたので、ここで拝借。見れなかった方は是非堪能して頂きたい。
もはや説明のない「ルート66:母なる道」の著者であり歴史家、ルート66の父と世界中からの敬意を集める Michael Wallis 氏がこのイベントに送った文面を最後に原文で紹介したい。
“The Mother Road Signs — especially neon signs — are the language of Route 66. They are glowing symbols of who we were and who we are. They connect travelers to their journey. Starting with the birth of the highway in the 1920s, dazzling neon has always been the beacon showing us the way. The siren glow of candy-colored bands of neon lures us off the road and helps find where to eat, sleep, shop, and gas up. Neon illuminates history by telling us stories. Thankfully, neon signage has been rediscovered and is making a comeback in Tulsa and up and down the timeworn lanes of Route 66. Just like Mother Road, neon is forever.”