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Joplin Blasters に栄光あれ


皆さんは Jason Botts という野球選手をご存知だろうか。1980年生まれ、カリフォルニア州パソ・ロブレス出身の強打のスラッガーだ。彼を最初に見たのはジョージア州サヴァンナを旅行していた2001年、たまたま通った時にやっていたマイナーリーグの試合を観戦した時のことだ。彼の打順が回ってくるとスタンドは一斉に大きな応援になり、ファンの期待の大きさを一瞬で感じた。何となく「華」のあったその選手が頭の片隅にその後残っていた私は、彼が2005年にメジャー昇格し、テキサス・レンジャースでデビューした時はまるで親戚の叔父さんのように喜んだものだ。
それまで実はマイナーリーグの野球を見たことは一度もなかったのだが、そのサヴァンナの一件以来、機会があれば注目するようになった。なぜかと言えば「心地良い」から。メジャーリーグとは全く違う雰囲気。もちろん粗削りで成長過程の選手ばかりだけど、いつか大きなフィールドで大勢のファンの前でプレイすることを夢見る若い選手たちは本当に躍動感に溢れていた。スタンドに足を運ぶファンもどことなく家族のような雰囲気を漂わせ、時には選手をからかいながら応援に熱を注ぐ。使い古された表現かもしれないけど “American Pastime” を肌で感じたのはこの時が最初だった。あの時感じた心地良さは今でもはっきり憶えている。

さて今日の話題は Jason ではなく、あくまでもルート66。ルート66と密接に関係する野球のお話。
シカゴからサンタモニカまでの長い道、その街道沿いの街々には数多くのメジャー球団、マイナー球団が存在する。2015年、ミズーリ州ジョプリンの街に新しいチームがやってきた。アメリカ独立リーグ AA に所属する「 ジョプリン・ブラスターズ」だ。

ロゴがダサいとか言わないように。鉱業で発展した街ならではのデザインだ(笑)
8州に渡るルート66の中で、ミズーリ州は私は大好きな州の一つ、取り分けジョプリンとその近隣カ―セイジという街は飛び切りのお薦めだ。そんなジョプリンに野球チームが来たのだから嬉しくないはずがない。
マイナーリーグはメジャーリーグより試合数が少ないのでシーズン期間は当然短い。2015年、2016年と、ちょうどジョプリンに行く機会があった時はいずれもシーズンオフ、またはアウェイ試合の時だった。
マイナーチームの多くはスタジアムに比較的簡単に入れる。観戦じゃないよ、グラウンドに、ってこと。一応柵はあるものの、ぐるっと回れば柵のない場所もチラホラあり「どうぞご自由に」的な雰囲気を勝手に感じてはチャンスがあればグラウンドを歩き回ったり、ベンチに座って眺めてみたりする。

とは言え、不法侵入でポリスを呼ばれても困るので、一応スタンドの横にある小さな簡易事務所のおばちゃんに挨拶して「入っていい?」と聞く。
試合のない時にわざわざ来る奴なんて滅多にいないのだろう、「ああ、好きにしな」と、笑顔で歓迎してくれる。
外野のフィールドを歩き、ラインに沿ってホームベースへ、そのままベンチに下がってみて、ベンチから見る試合を想像してみる。「フィールド・オブ・ドリームス」の世界そのものだ。あー楽しい。
そしてベンチ横の通用口からスタンドに移りフィールド全体をパシャリ。


「2017年ジョプリン・ブラスターズはプレイしない。」地元メディアにそう載ったのは昨年の秋。1年目は55勝45敗、2年目は36勝64敗と大幅に勝ち星を減らし、財政困窮に陥った挙句、球団と街との関係が良くなかったのが原因ということだ。
そう、こんなに楽しみにし、ジャージもホーム、アウェイと両方用意し、いつの日か応援に行ける機会を楽しみにしていた夢は儚く散ったのだ!
私は実は一度もブラスターズの試合を見ていない。三度もスタジアムに行ってるのに。。。人生そんなものだよね、と言うには悲し過ぎると思わない?(笑)

あ、そうそう、冒頭に紹介した Jason、2008年~2009年日本の日ハムでプレイしたらしい。流石にそこは知らなかったなぁ。
YouTube でこんな映像を見つけたので最後にご紹介。

 

タペストリー完成!四方山話

人の縁とは不思議なもの。
堀江氏と初めて会ったのは、私が一時東京で生活をした2014年6月のある晩。
とある方よりご紹介頂いた「ひらくPCバッグ」の購入がご縁で、それを作っているスーパークラシック社の南社長に繋げてもらう。その南氏、とても気さくな方で、彼の東京事務所で開催する仲間内のBBQパーティに私まで呼んでくださった。そこで会った何人かのうちの一人が堀江氏だった。同じ愛知が同郷ということもあり、親近感は倍僧。非常に明るい好青年だったことは酔っていたが憶えているけど(笑)
その一ヶ月後、Evernote 社のイベントで偶然再会。「なぜか分からないですけど、後藤さんとはこれから何回も会う気がする」、そう言ってくれた堀江氏の言葉が嬉しかった。私も同じように感じていたからだ。なぜ?って聞かれたら、私もそれは説明できない。

イベントで堀江氏と

その堀江氏、御実家は愛知県一宮市にある堀江織物。「明日はもっと良いものをつくる」をモットーに、品質重視とモノヅクリを楽しむ文化を大切にしながら新しい挑戦を続ける会社の東京オフィスを起点に商品開発に勤しんでいらっしゃる。
http://www.horieorimono.co.jp/
東京原宿には、ハッピープリンターズという「世界一ワクワクする印刷工場」を開設。私も iPhone ケースのバックプリントで幾つかお世話になった。
http://happyprinters.jp/

その堀江氏が昨年新たに、幟、旗、幕、タペストリーを作って行くことをFB上で知った私は、運営に携わっている日本ルート66・アソシエーション用の幟を頼んでみようと速攻閃いて彼に連絡してみた。快諾してくれたので、自分のウェブサイト用のものも一緒に、横文字なので、タペストリーとして注文させて貰うことに。

実際の出来上がりはこちら ⇩

去る2月、名古屋で行われたアメリカ旅行協会さんのイベントに混ぜて貰ってタペストリーを初デビューさせた。想像以上のクオリティにアソシエーション一同も大満足!
その時ちょうど出張で名古屋から東京に帰る所だった堀江氏に声をかけて会場まで立ち寄って貰った。

アメリカで暮らして早25年。それだけに日本での約一年半は本当に馴染めず大変だったけど、その時に出会った沢山の人達は私の宝。これからも色々と情報交換しながら皆一緒に成長して行けたらそんなに楽しいことはない。やっぱり人と人の繋がりって素敵だよね。

ルート66の明るい未来


久しぶりにちょっと真面目なお話。
3か月ほど前のこと、Route 66 Road Ahead Partnership がイリノイ州選出共和党下院議員の、Rodin Davis 議員と Darin LaHood 議員と面談。その結果、Route 66 の歴史的意義を記念し、議会において二つの法案を発表することが約束された。
LaHood 議員は天然資源委員会のメンバーで、Route 66 を National Historic Trail として正式指定するよう、National Trails System 条例の改正を要求する法案、H.R.801を発表。で、もう一方 Davis 議員は交通関連議員連盟やインフラ委員会の一員である立場を上手く利用し、2026年に100周年を迎える Route 66 のために、記念祭を行う準備を統括する連邦委員会を設立する法案、H.R.66 を発表したというわけ。彼らに加え、カリフォルニア州選出民主党 Grace Napolitano 議員も上記天然資源委員会等のメンバーであるため、両氏に積極的に協力して法令の提案準備や起草に一緒に取り組んでくれた。

Route 66 Road Ahead Partnership の現議長は Bill Thomas 氏。で、何をやっているかと言えば、簡単に言うと、 ルート66の活性化と文化としての保存、そして持続を目的とした団体、っていう感じかな。またその同団体の中に International Advisory Board という、アメリカ以外の国に存在する ルート66 アソシエーションや関係諸団体の代表者で構成する集まりもあって、僭越ながら私も情報共有をさせて貰いながらお役に建てないかと日々尽力してる次第です。
Bill が言うように、ルート66を National Historic Trail として指定することは、2015年の夏以来数 Partnership の先導で行われてきた多くのミーティングやワークショップで最も積極的に支持されたアイデアだった。それにこれらのミーティングは、Partnership のミッション、成果、それにゴールに関して、全国のステークホルダーさん達からのフィードバックやインプットを求めるように設定されていたからこそ、法案起草に繋がる一連の成果は非常に意義深いものになったと言えると思う。

LaHood 議員の演説から。
「1世紀にわたるルート66は、アメリカの中心地を旅行する重要な「輸送動脈」でした。マザーロードは多くの仕事とチャンスを提供し、イリノイ州を始めそれが通るすべての州のコミュニティにとって強力な経済発展ツールであり、クロスカントリー旅行者のための時代を超えた思い出を提供しています。今こそ、 マザーロードは、それがふさわしい国家認定を受ける時です!」
いや~上手。さすが政治家だね(笑)
でもこの法案が無事可決されれば、ルート66を保存し、促進し、さらには経済的に発展させることのできる永続的なプログラムとなるわけで。
今後の展開が益々楽しみで仕方ないね!

 

 

1966年のBob と Glenn


ちょっと前に話題になったことだけど、伝説のロック歌手(古いな表現がw)Bob Seger 氏が、昨年67歳の若さで他界した元イーグルスの Glenn Frey 氏を偲んで曲を書いた。「伝説の」とか書いたけど、実は彼が全盛期だった70年代中盤の姿を私は殆ど知らないんだ(笑)「まだ生まれてない」とか「幼かったからね」とか言わないよ。しっかり洋楽も聞ける時代だったし。ちょっと調べてみたらどうやら日本では余りブレイクしなかったらしい。


本国アメリカでは所謂「スーパースター」だったようで、分かり易い例えをすれば The Boss の愛称で有名な Bruce Springsteen 氏のような存在だったらしい。年間200本以上のライブをこなし、新譜をリリースすればメディアはそれを流し続け、アルバムは常にベストセラーだったそうだ。

そんな二人、実は共にデトロイト地域の出身で、それぞれが有名になるずっと前から友人だったそうだ。Seger 氏はローリングストーン誌のインタビューでこのように話している。
「これは商売じゃないよ、全く。コーラスだって無ければ曲のタイトルだって無いんだ。ただ単に僕が彼に最初に出会った1966年の、あの時の記憶の思い出にしたかっただけなんだ。」ナッシュビルに音楽スタジオでこの曲を録音したときも、テイクは1回か2回だったそうだ。「ドラムの奴にこう言ったんだ。これはある種のバラードだけど、思いっきり力づくで叩いてくれってね。違和感があるほどにね。何故かって?ビートの利いたバラード。それが僕の Glenn に対するイメージなんだ。」彼はそう続けてた。


その後 Bobと Glenn は幾つもキャリアの中で出会いを続けていたらしい。
代表的なものを紹介すると、Bob の最初のメジャーヒット曲 “Ramblin’ Gamblin’ Man” の後ろで Glenn はコーラスを担当していたようだし、イーグルスの名曲の一つ “Heartache Tonight” は Bob が共同で書いた作品とのことだ。

私が生まれた1966年に彼らは初めて出会っていた。自分とは全く関係のない世界のスター達の人生もちょっとしたことで勝手に身近に感じるのは妄想が激しいのだろうか。自分はもうミュージシャンではないけど、もし自分に何か起こったとき、こうやって唄ってくれる友達っているのかな、って。人生も後半に入ってちょっとそんなことを考えた。

そうそう、この曲 “Glenn Song” っていうんだ。超ベタな名前(笑)
でも iTunes なんかで無料でダウンロードできるんだってさ。カッコイイね Bob。

最後に YouTube の映像を。

 

 

 

 

Fermosa Cafe とハリウッド映画


最近つとに人気のある映画「La La Land」、もう見た人は多いのでは?批判を覚悟で言えば、この手の映画は私の好みではないのでほぼ観ない予定なんだけど(汗)、ここに出てくる Cafe が何とカリフォルニア・ルート66では著名な “Formosa Cafe” だと聞いたので無視するわけにはいかない(笑)
Formosa Cafe は賞金稼ぎの Jimmy Bernstein 氏によって1925年に創業。その後パートナーを組んだ Lem Quon 氏が後を継ぎ、彼の孫 Vince Jung 氏に引き継がれた。聞いた話だけど何人かの従業員は40年、50年と働いていたらしい。
その Formosa Cafe、何と昨年クリスマスの直後に閉店してしまったというから、ルート66関係者は大慌て。閉店の理由は詳しく聞いていないんだけど、再開の目途はない模様。
但し!関係者をホッとさせたのはこの事実。実はこの建物は市の保存条例によって保護されているものの一つらしく(外装の殆どとネオンサインも含む)、建物の賃貸管理をする不動産会社は、向こう一年以内に長期契約をしてくれる顧客を探し、そのスペースを何等かの形で再開すると豪語しているとのこと。そう、建物は少なくとも残るわけだ!あー良かった。また一つランドマークが無くなるのかと冷や冷やしたよ。
Formosa Cafe が有名な理由はもう一つ(というか、これが一番かも)この場所の周りには大小多くの映画スタジオがあるので、俳優さんたちが撮影の合間なんかに寛ぎにに来ることで知られてるんです。古くには John Wayne、Elizabeth Taylor、Marlon Brando、Elvis Presley、Clark Gable 等多くの著名人の目撃記録が残っているらしく、今ではCher、Bono、そして Jack Nicholson さんが現れるとか現れないとか。(大きな声じゃ言えないけど)決して料理が格別美味しかったわけじゃないので、近年はそのようにハリウッドスターに会えるかも?で行くお客が多かったとも聞いてる。残念。

“La La Land” も良いですが、この Cafe、ロスアンゼルスではもう一つ超有名な映画に出てくる場所でもあるんです。分かります?そう、”LA Confidential” なんです。Kevin Spacey、Russell Crowe、Guy Pierce ら錚々たる名優さんたちが出てました。今ではスターとなった Russell Crowe は実はこれがハリウッドデビューだそうですよ!当時まだ若かった私も Kim Basinger の妖艶な魅力にクラックラしてたのを憶えています(笑)

では折角なのでその “LA Confidential” 、Cafe が出てくるシーンをご覧頂いて今日はおしまいです。

 

 

 

 

 

法案可決を目指して

イリノイ州所属の共和党下院議員である Rodney Davis 議員が中心となって「Route 66 Centennial Commission Act」(H.R. 66)の導入草案を今月頭に、米国運輸省長官宛に提出した。
「ルート66百周年記念委員会法」とでも訳したらいいものだろうか。
大まかに言えば、10年後の 2026年にやってくるルート66の100年祭に向けて、国家の支援の下、組織だった活動を行う(行える)団体を形成し、アメリカの歴史と伝統そのものであるルート66の保存に力を入れようということだ。
詳しくみたい方はこちら ⇩ (英語のみ)
https://www.govtrack.us/congress/bills/115/hr66/text

何を今更、と思う人もいるかもしれないけど、ルート66は非常に政治色の強い、利権とお金を生む大きな話だ。元々の発端がAAA(全米自動車協会)で、NPS(全米国立公園局)とも関わる、すなわち(NPSは国の省庁扱い)文字通り国家絡みの案件というわけ。

報告文書によればこの草案は既に地元イリノイ州は勿論のこと、ミズーリ州、オクラホマ州、カンザス州、そしてカリフォルニア州の各州所属の12人の議員さんによって賛同も取り付けている様子だ。この法案が通れば運輸省はルート66の保存に必要な資金を投資する役目も負うから関係各所は調整に大変だ。
委員会にも、運輸長官、下院議員、常任理事、それにルート66関連8州の知事による推薦を経て、最終的に米国大統領によって任命される 19人で構成されるのだ。
話はかなり「デカい」ということが多少は伝わると思う。

前述のNPSと言えば、私の関わっている日本ルート66協会の公式サイトでも触れた Route 66 Road Ahead Initiative (団体)が、100周年を迎える前にルート66を「国家歴史登録道路」(National Trails Hwy) としての公式指定を受けるべく行動している。
同団体には私も個人的に International Advisory Group に参画しているし、実は今朝、日本ルート66協会としても賛同する旨の書簡を送付したばかりなんだ。
下に写真は活動用のピンバッジ。

先週1月20日(金)ドナルド・トランプ新大統領の就任式があり、アメリカは新しいチャプターへと進むことになった。
果たして彼がこの法案を承認してくれるのか?
うーむ、タイミング悪いな(笑)


 

Willem、ミニチュア・アートの王様

        Willem Bor, from Route66News.com

連休中の日曜日。朝メールをチェックしたら、とても悲しいお知らせが入ってきた。私たちの仲間、オランダ・ルート66協会の才能溢れるアーチスト、Willem Bor 氏が末期癌でもう余命が少ないって(涙)
具合が悪いとは聞いていたけど、そこまでとは思ってもいなかったので、グループチャットですぐに同協会の Dries 代表と話す。
彼によれば Willem はもう長くないと。彼が長年に渡って作ってきたランドマークのミニチュアを是非アメリカ本国に送りたいが、その費用について寄付を募りたいと。グループの一人の提案でFB関係諸グループで情報シェアすることでの拡散を期待し、私もシェアを通じてルート各美術館、博物館への理解、基金を募ることを手伝わせてもらった。
同日夜、EU$ 3,000ユーロ近く集まっていると報告が入る。

Willem の作品群の詳細はこちら。
http://www.rte66.nl/index.php/ct-menu-item-39/modelbouw

少々抜粋して。どれもこれも見事過ぎて言葉が出ない。

思い返すと、ルート66に関係する皆と交流が始まって間もないころ、とあるFB上のグループに招待をしてくれたのが Willem だ。残念ながらまだ一度も実際に会ったことはない。去年ドイツで行われたルート66フェスティバルで会いたいと思っていたが、自分の仕事の都合がつかず参加は断念。後悔という念が消えない。
以前、オクラホマ州の友人、Ken が私にこんなことを言った。
「Time No Waits」、時間は待ってくれない、ということだ。思ったことは行動しないと二度と起こらないかもしれない。
せめて彼が最後の一秒まで、彼の最愛の奥様 Monique と家族、そして素晴らしきルート66の仲間達に囲まれて精一杯生きることが出来るよう、オランダから遠く離れたサンフランシスコから祈りたい。

 

ルート66フェスティバル@LA:その②

土曜の朝は8時にLAダウンタウンの北、Philippe’s に集合。
これはイベント時に毎回集まる恒例のグループ朝食会。実はPhilippe’s は初めての訪問。ロスエリアに通年10年ぐらいは住んでるはずなんだけど、一度も機会が無かったね。っていうかダウンタウンの北なんて行かないよ、普通(笑)
このレストランは何と1908年創業で、ロスでも最も古いレストランの一つだそう。フレンチディップで有名なんだってさ。

こういう古いネオンサイン系の看板はテンションあがるよね。

フレンチディップを食べてみる手もあったんだけど、朝8時だからやっぱりいつもの普通の朝食メニューにしてみた。

bf
これで$6ドル、安いと思わない?
地元サンフランの物価に比べると極度にやっぱり安い。セルフサービスのカジュアルレストランってことを差し引いても、ね。
それが理由かいつも凄く混んでるらしい。土曜のこの時間だって注文するのに15分近くならんだよ。

counter
今朝集まったのは20名ほど。一階で好きなものをそれぞれ買って、二階のプライべ―トスペースで食べる。皆それぞれ待ち時間も注文のタイミングが違うんで、持って上がったら既に食べ終わってる奴も数名。何か良いわ~こういう感じ。
皆で一緒に歩調を合わせようという気概がないのが素晴らしい(笑)

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約二時間の食事、歓談、そしてラッフル。
当ったのはゴルフボール(もちろんルート66のロゴ入り)、マウスパッド、そして食器皿セット。

その後、このグループ朝食に参加していない友人からパサディナの Andy’s Coffee Shop にいるから来い、とメッセンジャーが入る。他の用事をしているジェリーに声をかけ Andy’s で皆と合流。
ジェリーは禅マスターのようになってます。(あれ?写真に二人足りないw)

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この調子であーだこーだと喋り倒して昼まで過ごしました。。。。笑

66 ダイナー&みのりん

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アルバカーキから帰路に着くフライトに乗る前に腹ごしらえ、ということでフィナーレを飾る食事に相応しいのはやっぱりココ、 “66 Diner” かな。ハンバーガー、ステーキ、そしてシェークと、アメリカの定番メニューのオンパレード。
マイアミも真っ青なパステルカラーに、ポップカルチャー満載の店内はまさに50年代のダイナー。お薦めです。

今日はここで、実はある友人と久しぶりのキャッチアップを兼ねた夕飯。そのお相手は、何と!日本陸上競技界のレジェンドで日本女子3000m障害のパイオニアと言われる、早狩実紀選手です。勿論現在も現役バリバリ。京都光華陸上競技実業団に所属される選手であり指導員さんで、昨年より「MINORI RC」を率いて更にご活躍中です。一日前に日本からこちらに帰って来られたばかり、時差ボケの中お付き合い頂きました。

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よーく考えたら去年もこのダイナーで一緒に食事をしたので二年連続の 66 Diner だ。こんな凄い方に恐縮だが、いつかルート66を「みのりん」と走るという企画が出来れば最高だなと秘かに企んでいる(笑)

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晴れ男の私は結局また3日間晴天に恵まれて、空港へ向かうインターステート25号線の出口から夕焼けを拝むことが出来た。多くの日本人旅行者にとって、ルート66とは即ち西部の砂漠やカウボーイ文化を連想させ、アクセスしやすい現状もあり、必然的にカリフォルニアとアリゾナに集中する。ニューメキシコくんだりまでやって来てくれる人は決して多くない。だけど、ニューメキシコはルート66が走る8州の中でも最も素敵なものが沢山残っている場所なので、是非訪れてもらいたいと心から思うのだ。

日曜日。まだ夕方の6時過ぎ。でもやっぱり空港はいつも通り「ガラガラ」だわ。
ニューメキシコ、最高!

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(2016年10月、ニューメキシコの旅はこれで終了です。ありがとうございました)

 

サンタフェのエスプレッソ

グロリエタでいつもの標識を無事「確認」した後は、いよいよサンタフェ、ニューメキシコ州の州都。25番のフリーウェイもエルドラド近辺まで来るともう見慣れた景色だ。自然とテンションも上がる。
サンタフェは、この広いアメリカの中でも比類のない独特な場所だ。(現存する中では)国内で2番目に古いこの街は、ネイティブ・アメリカン、スペイン系、メキシコ系、そしてカウボーイ等の様々な文化が融合し「サンタフェ・スタイル」と呼ばれる新しい分野を造りだした。「洗練された伝統」とでも言ったらいいだろうか。
”Santa Fe”は「聖なる信仰」という意味で、正式名称は ”La Villa Real de la Santa Fé de San Francisco de Asís” という。日本語に直せば、「アッシジのフランチェスコの聖なる信仰に忠実な都」だ。(どうやら私がイタリアのアッシジが好きなこととは無関係ではなさそうだ、笑)

まずは街の中心のプラザに行ってみた。10月は暑い夏が終わり、でもまだ寒くない絶好の気持ち良い季節。プラザの木々も黄色に光る。時間は限りなくゆったり流れるから、この後の予定も忘れそうだ。

今週末はアルバカーキで開催される Balloon Fiesta 期間中でもあり、多くの観光客が街を訪れていた。そのためか、いつもより出店も多かった。

実は今日は何を書こうか迷ったけど(サンタフェの話をすればキリがないから)、私の大好きなコーヒー屋さんの話をしたい。今回は約1時間程度の滞在だったが、ここは外せない場所、最初に来てからもう20年ぐらい経つ。
お店の名前は「Holy Spirit Espresso」、プラザからちょっと東に数ブロックほど行ったアートギャラリーの一角にひっそりとある。

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オーナーは超気さくで天然度200%のビルさん。最初に会ったのは90年代前半、まだ彼のお店が「ワゴン車」だった頃だ。当時は今の場所から更に1ブロック東に行った「Eldorado Hotel & Spa」の正面入り口付近にあった。まだ「ラテ(Latte)」という飲み物がアメリカで今ほど当たり前でなかった頃だけど、ミラノのカプチーノに決して負けていない、その美味しさに仰天したことを憶えている。お客さんの多くは観光客であったため、当然と言えばそれまでだが、ビルさんの入れるコーヒーのファンはヨーロッパ人が多かったというのも頷ける。世界中から御礼の絵葉書が届くそうでワゴン車の周りいっぱいに貼られていた。

そんなビルさんのワゴン車がお店に変わっていたのを発見したのが、2010年。仕事でサンタフェに移住した時だ。毎日何人のお客さんがいるんだろう、思い出してもらうのに時間がかかったが、「ああ思い出した。二年に一回ぐらい来る奴だろう」と言って貰ったときは嬉しかったなぁ。
お店の中のコーヒーマシンは当時のワゴン車そのもの。店内も大人4人入ったら満員。ビルさんもここ20年ぐらい毎年撮っている、という奥様と息子さんとの三人のポートレートも歴史が感じられて嬉しい。ご夫婦は早々変わらないものの、息子さんは最初赤ちゃんだったのがすっかり成人になっている。面白いね、当たり前なんだけど。

今日はビルさんは友人の手伝いとかでアルバカーキに行ってしまったらしく、初めて奥様にお会いした。正午になると少し汗ばむぐらいになったので、今日はアイス・カフェ・モカ」を注文した。これまたこのお店では「初」だ。氷を入れていない所が素敵だね。

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甘味を注入して元気をつけた後は、またルート66に戻ろう。夕方にはフライトもあるし、夕飯の約束だってある。ちょっと(後ろ髪なんかないけど)後ろ髪を引かれる想いのままサンタフェの街を出た。

 

 

 

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