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Frecs ルート66 デビュー!

A 19-foot-tall sculpture named Frecs now overlooks old Route 66 in Galena. Pictured are (from left) former Galena Mayor Dale Oglesby; Renee Charles, President of the Kansas Historic Route 66 Association; and current Mayor Lance Nichols. by Joplin Globe | Kimberly Barker

“A new Muffler Man – a 19-foot-tall miner named Frecs – recently was erected on old Route 66 in Galena, Kansas”
というニュースが飛び込んできて早一年近くなろうとしている。

2,347マイル(約3,755キロ)に及ぶルート66の僅か 1%にも満たない、17マイル(約27キロ)しかないカンザス州ルート66に新しくマフラーマンが建てられる、と。
誤解のないように最初に明言するけど、カンザス州はそのルート66の中でも私は取り分け好きな州のうちの一つだ。
マフラーマンに関しても過去このブログや、月イチ連載している「週刊NY生活」のコラムにも何回か取り上げてきたので、今更説明は不要だろう。

日本に一時帰国して以来、アメリカには毎年春に諸用で帰るのだけど、2020年の春旅にはこのカンザス州ガレナの新マフラーマン、訪問予定に入れていたんだよねー(涙)

地元紙 Joplin Globe によれば、この 19フィート(約6m弱)の高さを誇るマフラーマンの名前は Frecs、街の歴史保存されている高架橋の近くに設置されているらしい。名前の由来は実在する人物、鉱山労働者の Milbern John Busick 氏より取られたもので、彼の赤毛とトレードマークである「そばかす(Freckles)」から Frecs となった模様。

このプロジェクトが始動したのは当時より約18か月前と書かれているので今から計算すればもう3年以上も経つことになる。Kansas Historic Route 66 Association を運営する Renee Charles さんの発案で、この地域で鉛と亜鉛の発掘を行い、街の発展に人生をかけた祖父、Busick 氏に敬意を表してこのマフラーマンを作ることを思いついたようだ。

この Frecs は、キャンバス、布シート、接着剤、塗料などの材料で構成された「貧乏人のグラスファイバー」と呼ばれるもので作られている。 それら消耗品と労働力の大半は寄付されたものらしく、溶接を担当した John Simon 氏やルート66の一組織である、Young Roadie Association のメンバーたちも一役買って出たそうで、文字通り街を挙げてのプロジェクトとなった。

Renee とは個人的に親交もあり、今月頭にも Kansas Route 66 をサポートする署名運動にも要請を受け、Route 66 Association of Japan としても微力ながら協力させて貰った。
次回私の大好きな Galena を訪れるのはいつになるのだろうか。
夢の中では一度見に行ったんだけどね。

幻のビジターセンター

バーストウからダゲットの交差点方面へ

ルート66に携わって以来結構な年月が経つけど、知らないことってまだまだあるなぁというお話。
もちろんそうは言っても私は歴史家でもツアーガイドでもなく、ルート66に存在する多くのエキスパートである友人知人から見れば、私の知識なんぞ小学生程度のものだ。毎度その歴史や背景に通じる仲間から多くのことを教えてもらうのが、楽しみなのは言うまでもない。

でも今日は「え?なぜ今まで見落としてた?」という大反省する出来事があったので自省を込めて書き記しておきたい。
ということで、今回の舞台はカリフォルア州ダゲット(Daggett)だ。

Route 66 News によれば、ダゲットのルート66沿いに建つ、「有名な」スキーロッジルーフハウスが修復されることになり、本来在ったビジターセンターとして復活するとのことだ。建物の正面には元々「WELCOME」と書かれていたそうで、今回の修復も同様に行われる予定だがそのスケジュール詳細はまだ決まっていないようだ。

同州ビクタービルにあるカリフォルニア・ルート66博物館で働く友人、Delvin も自身のFBで同様のニュースを先週載せていた。
この建物の通りを挟んで東にある、もう使われていないガソリンスタンドが1940年に出来た際に、「スキーロッジルーフハウス」は民間に売却されたそうだ。

カリフォルア州ダゲットの街は、同州ルート66の拠点バーストウより東へ僅か10マイル(約16キロ)に位置し、車で走ればものの15分かかるかかからない距離にある。さらにその先には例の「Bagdad Cafe」が建つ、ニューベリースプリングスの街がまたまた僅か16マイル(約26キロ)にある。バーストウで宿泊した際には朝飯を食べるにBagdad Cafeまで行くのが私の常套なため、ダゲットに立ち寄れる機会は限られていた、というのが「言い訳」だ(笑)。

ダゲットの人口は約230人。街の交差点から唯一目視で営業が確認できる食料雑貨店「デザート・マーケット」以外は歴史を感じるのみの静かな場所だ。ルート66を離れて北方向へ15分程度車を飛ばせば、Yermo という街にたどり着き、多くのファンが訪れる「Peggy Sue Old 50’s Diner」という著名なダイナーがある。

街の歴史は1880年代まで遡る。ダゲットの北にはそのエリアの鉱山から銀が採れることで一躍有名になった Calico という街があり、当時ダゲットを通過していたサザンパシフィック鉄道は「Calico Junction」という駅名を付けていたが、Calico の街との分別に紛らわしいことを理由に、街名を1883年当時の同州の政治家であった John Daggett 氏の名前から命名する。
その後サザンパシフィック鉄道は、このダゲットを東西運搬の基点の一つにする予定だったが、鉱山の影響もよって土地の価格が高騰、基点はバーストウへと移行して行くという歴史もあるのだ。

そんな哀しい?背景があるせいなのか、その事実を知った後の自身の勝手な想い込みかは知らないが、私はここの線路の真ん中に座ってじっと先の景色を見るのが好きだ。(良い子は真似しないように)
危ないと思う方も多いだろうが、実は今はもうそんなに頻繁に列車は通らない。通る時もかなり遠くの距離からけたたましいサイレンが鳴るので、事故に巻き込まれることは無いのだ。

話は脱線したが、そう。私は何度もここを通っていながら、この建物の存在を知らなかったのだ!このニュースを見たとき「え?どの建物の話?そんなのあったっけ?」と久しぶりに「狼狽えた」。最近ことの他、記憶には自信を無くしているが、それとこれとは別物である。
自慢じゃないが、シカゴからサンタモニカの全長2,347マイル(約3,755キロ)に及ぶルート66の道はターン・バイ・ターンに「ほぼ」説明できるのだ。(ターン・バイ・ターンの和訳が上手く付けられない、泣)

そこで、自身で撮った写真からダゲットの風景を探してみた。
おおおお、あるじゃないか。
その建物は撮っていないが、その横の旧印刷会社は何枚もレンズに収めている。興味が引かれなかったのか、見る目がないのか。
下記の写真、右端の赤丸部分に映っているのが確認できる!(笑)

次回ダゲットを訪れる時は徹底的に観察しようと思う。
それまでにはビジターセンターになっていて、いやでも目に着くようになっていることを祈って!

デザート・マーケット正面(イラスト風デザインで)

週刊NY生活月イチ連載 SEASON 3: Vol.12 映画から生まれたバグダッドカフェ

毎月恒例の寄稿「魅惑の旧街道ルート66をフォーカス」SEASON 3、第12回目(03月号)は、映画「Bagdad Cafe」のご紹介。
その地、Newberry Springs は訪れたものに時空を超えた郷愁を誘います。

詳細は週刊NY生活ウェブサイト ⇩ まで (25ページです)
https://nyseikatsu.com/editions/764/764.pdf

Bagdad Cafe 30年の時空を超えて

1987年に世界中を唸らせた映画、「Bagdad Cafe」の封切り後から約30年。ちょっと前になるけど、その映画の監督を務めた Percy Adlon 氏が時代を経て初めて語った記事が面白かったので紹介したい。

冒頭に「世界中を」と書いたが、読者の皆さんも知っている通り、当初は「風変わりな」ドイツ映画と見られていたのも事実。実際私自身も、正直告白すれば、一回目はあまりピンと来なかったことを憶えている。1993年にルート66を走り始めたことで何度か見るようになってジワジワとその魅力に憑りつかれていった。 内容を簡単に言えば場所はアメリカのモハヴェ砂漠にある「うらぶれたカフェ」に集う人々と、そこに突然現れたドイツ人旅行者ヤスミンの日常交流を描いた作品だ。撮影はカリフォルニア州ニューベリースプリングにあった Sidewinder Cafe を使用したが、その Cafe のオーナーは映画公開後に店名を賢く Bagdad Cafe に変更するという大技も見せた。

ドイツ映画ということもあり、「Bagdad Cafe」は特にヨーロッパではカルト映画ファンのお気に入りになり、今でもドイツやフランスからの観光客が一番多いと聞く。残念なことにモーテルは数年前に取り壊されたが、カフェは毎日営業。現在のオーナーである Andree さんがルート66と映画の精神を引き継いでいる。

Andree さんと

アドロン氏が語ったのは、映画はアドロン氏のカリフォルニア州のモハーヴェ砂漠へのルート66の旅をしていた際に触発され、Daggett と Bagdad の両小街近郊で「奇妙な光」を見たことが「お告げ」となってこの企画に結び付いたのだとか。本当に些細なことが人生を変えるのが良く分かる。

また、俳優のJack Palance はこの映画で好演したことで、彼のキャリアを一気に上昇させることが出来、1991年に “City Slickers” でオスカーを受賞することになったと公言して憚らない(笑)シティスリッカーズは勿論のこと、その他 “Batman” や、”Tango & Cash” でご存知の方も多いかと。
それと同時にTVシリーズからの”Bagdad Cafe” へ出演することは断っていたそうな。知らなかった。。。

Bagdad Cafe と言えば思いだされるのが、あの名曲「Calling You」。作曲家のボブ・テルソンが作り、これを欧州出身の歌手、Jevetta Steel さんが歌い上げた。これは彼女の作品の中でもトップ10ヒットとなり、アカデミー賞の最優秀歌手にノミネートされることとなる。その後は特にフォローしてなかったが、名作「Calling You 」は、セリーヌ・ディオン、ナタリー・コール、バーブラ・ストライザンド、ジョージ・マイケル、そしてエッタ・ジェームス等多くのアーティストによってカバーされたとのこと。

Bagdad Cafe の横の空き地にたってモーテルサイン柱を眺める。インターステートから少し距離があるので、そこは風の音しか聴こえない。そして目を閉じると自然と「あの声」が降りてくる。1987年、スクリーンで観た時空へのタイムスリップが体験できるのだ。

Old Riverton Store, Kansas Route 66

ルート66の今、を知るに実に便利なウェブサイトがある。ルート66ファンなら誰もが知っているであろう Route66News.com だ。
https://www.route66news.com/
サイト運営者である Ron Warnick 氏には、私もその運営に携わっているルート66日本アソシエーションへも多大なサポートを頂戴している。
先週そんなサイトを通じて衝撃的なニュースが飛び込んできた。
何とカンザス州ルート66のアイコン、Old Riverton Store に現地12月16日午前10時ごろ、銃を持った男が強盗に押し入ったと言うではないか。
最初何を自分で読んだか理解できず、二度見してしまった。

結果から言えば事件発生から6時間後、犯人は郡保安官と州警察によって迅速に逮捕され、店の中の人たち、そして警察側にも何も被害もなく事件は終了したとのことだ。

カンザス州を通るルート66はたったの11マイル(約18キロ)だが、Galena、Riverton、そして Baxter Springs と個性的な素敵な街が3つも沿道に存在する。ルート66全8州でも私の好きな州の一つだ。そんなリバートンにこの Old Riverton Store が建ったのは何と1925年、まだルート66が正式に開通する前だ。お店は Leo Williams 氏によって始められ、その後1973年にJoe と Isabella の Eisler 夫妻が事業を買収した。(現在でも Eisler Brothers Co. という名前が残っている)
彼らの甥っ子である Scott Nelson 氏は、彼がまだ10代の頃からここでアルバイトをしていたそうだ。そして2011年になって Scott はこのお店を購入、現在もオーナーとして毎日お店で地元の人たちの良き友人であり続けている。

Scott Nelson

Scott と初めて話をしたのが2015年3月。ルート66では抜群に美味いローストビーフサンドウィッチを提供する店と聞いて訪れた。噂は全く持って正しく、注文後そこで作ってくれるシンプルだが暖かい味のするサンドウィッチは旅中の胃袋にはとても優しい。

現在 Old Riverton Store は食料品、農産物、花、デリ、肉やチーズ、そして生活必需品の販売に、ルート66のギフトショップとして記念品や地元の手工芸品も販売。隠れたギフトショップの名店でもあるのだ。

心優しい Scott は初めて会った時の写真を送ったら、お店の商品棚にこっそり飾っていてくれた。

事件翌日18日から私は何度か Scott に連絡を試みたが、お店の電話は繋がらず、一回繋がった時は従業員だろうか、「今日は Scott はもう帰ったわ」とのことだった。
やっと彼と話しが出来たのが、20日。彼の元気な声が聞こえた時思わず胸が熱くなった。事件の話を聞き心配して連絡を取り続けていたことを伝えると、いつもの明るい声で「トシ、ありがとう。大丈夫、元気だよ」と笑っている。聞くと40年ほど前にも同じような事件があったと言う。まだ子供だったらしいが、決して良い気分じゃないと。(それは当たり前だ)
「まあ、ここで(アメリカ)商売をしてりゃこういうこともある。前回は40年前だったから、次回はまた40年後、そん時は俺はいないから!」とジョークを飛ばしていた。

アメリカは銃社会だ。大人になって過去犯罪歴がなければ、街のスポーツ店で簡単に銃が手に入る。子供も訪れる量販店ウォルマートですら、銃のコーナーが平気でCDを売っている棚の横に並ぶ。
私も約30年に渡ってアメリカに住んだ。銃を持ったことは一度もないが、HOLD UPに遭遇したことはある。銃を廃止しろ!と訴える人々も多いが、銃の所持はアメリカ国家で認められた市民の権利の一つである。
問題は簡単に解決できない。

Old Riverton Store

2020年のフィールド・オブ・ドリームス

1989年に見た映画「フィールド・オブ・ドリームス」、正直当時はあまり感動しなかったことを憶えている。むしろどちらかと言えば、ストーリー的にも、分かったような分からなかったような(笑)
何かいきなりケビン・コスナー氏をディするようなことになったけど、真意はそうじゃない。(むしろ彼は好きな役者の一人だ)
そんな映画のタイトルを何年も後になって、カンザス州バクスター・スプリングスを訪れたときに再び思い出した。同街にある「フィールド・オブ・ドリームス」と名付けられた施設を訪れたときのことだ。

いや、正確にはその施設の名前が書かれた看板の前を通りすぎたときだろうか。二度見をした私は思わず急停車。ギアをバックに入れてその標識をわざわざ確認しに行ったことを憶えている。

その「フィールド・オブ・ドリームス」をまた!鮮明に蘇らせてくれたのが昨月のアイオワ州デモインの地方紙「Des Moines Register」に掲載されたこの写真記事だ!

何とMLBは来年2020年、ニューヨーク・ヤンキースとシカゴ・ホワイトソックスの試合を同州ダイアーズビルで開催することを発表したのだ!
マジかっ?!と記事を目にしたとき疑ったのは言うまでもない。え?なぜ?
無数の疑問が頭の中を駆け巡る。
でもよく考えるとそんな無粋な質問はどうでもいいではないか。興行してくれるというのだから有難く楽しませて貰えればそれで良いのだ!

映画を観た方はよく憶えていると思うけど、この映画の撮影にあたって、ダイアーズビルは実際のベースボール場を建造したわけで。その後もその施設は土地の所有者によってしっかり保存され、今でも勿論使用できる立派な現役の施設さんなのだー!もはやベースボールファンにはたまらない「聖地」だね。(昨今この表現がメディアでも多い(汗)

MLBの公開したポスターによれば、試合予定日は2020年8月13日。しっかりホワイトソックスのスケジュールにも載っているぞ。

しかも当日は試合だけではなく、ベースボール・クリニックの開催を中心としたファンサービスも半端ないという。。。
あー観たいな~、行きたいな~、チケット取れるかな~
オールスター戦の1か月後かぁ。
日本はお盆かぁ。
また一つ悩みのタネが増えちゃったよ!

Castaneda Hotel 70年の時空を超えて

Time flies. (光陰矢の如し)はこんな短期間に使うべき言い回しではないのかもしれない。だが本当にそんな感じがするのだから仕方がない。
前回その「元ホテル」に訪れたのが最近のことだと思っていたら何と、2016年10月、実はそれからもう 2年半も経っていたのだ!

2019年4月、私はニューメキシコ州ラスベガスの「Castaneda Hotel」を再訪する機会に恵まれた。Castaneda Hotel のオーナーは「La Posada 物語は永遠に」(2018年3月21日記事)で紹介したアラン。Castaneda と私の関わり、そしてホテルの歴史については「遂に La Castaneda Hotel の中へ!」(2016年10月22日記事)を参照して頂きたい。

こういうのを虫の知らせと言うのかもしれないが、今回限られた日数のルート66旅で選んだのがニューメキシコ州東部だ。Castaneda Hotel も随分改築改装が進んだであろうと予測し、先月アランに進捗状況を知りたくショートメッセージを送ってみた。聞くところによると事は順調に運んでいて、来月には何室か実際にお客を泊められるかもしれない、と。「こりゃ絶対に見に行ってみないとな」私はまだ何も予定も決められない端からぼんやりと決心していた(笑)

4月4日(木)前日トゥクムキャリに泊まった私は、早朝からUS84号線を飛ばしラスベガスへと向かう。残念ながらアランはアリゾナ州のホテルの仕事で当日は不在とのこと。ホテルの仲間に話しておくからゆっくり見て行ってくれ、と事前に連絡をもらったのでお言葉に甘えた。
US84からフリーウェイ25号線に入り、University 通り出口で降りる。何も変わっていないのが心地良い。Grand アヴェニューの交差点まで進み左折、そしてすぐをもう一度左折する。
そこで見えてきたモダンに生まれ変わったホテルの外観に唖然とした。いや表現の訂正が必要だ。外観は変わっちゃいない。煉瓦作りの、あの何年も見てきた Castaneda Hotel だ。変わったのは周りだ。薄暗い柵も撤廃され、周りの樹木もきれいに伐採。エントランス周りもきれいになって、文字通り「ホテル」になっていた。

窓が大きく、陽の光がしっかり注ぎこむ明るいロビーのドアを開けてみる。
フロントには女性のスタッフが一人。自分がアランの友人でホテルを見せて貰いにに来たことを告げると、とても心良く案内してくれる旨を伝えられた。
実は4月3日の夜、初めてのお客様を7部屋分、泊めたそうだ。
今風に言えば「ソフトオープン」といったところか。
全25室はまだ完成していないようで、泊められる状態になった部屋のみ提供開始だそうだ。とはいえ、BARやレストランを始め、客室以外の部分はまだ何も出来ちゃいない。こんな状態でお客を泊めようってんだから、さすがアメリカだ!
今回案内してくれたのは経験豊富なベテランマネージャー、Yvonne さん。彼女のお客様への接し方を見ていれば、このような状況下でも彼らが充分満足するホスピタリティは「完成」していると感心した。
その Yvonne さんに連れられて、ホテルの隅から隅まで案内してもらった。

ロビーは非常に明るくシンプル。今後どのような装飾がされていくのかは分からないが、可能な限りシンプルさを保って欲しいところだ。

そのロビーから階段を上がっていくと客室エリアとなる。

さきほど触れたように全部で25部屋。聞くところによると全ての部屋にテーマがあり、異なった内装とのことだ。例えば201号室は「The Hare」尾っぽの黒いジャックラビットと、白いジャックラビットの競演、202号室は「Bluebird」。ニューメキシコ州に棲む西部、中西部、東部のブルーバード(日本だとコマドリ?)が勢揃いだそうだ。

部屋の窓からは隣にあるアムトラックの駅もしっかり見える。なるほど Harvey House の真骨頂だ。

内側に面している部屋の窓からはまだ作業中の中庭が剝き出し(笑)

せっかく?なので私の一番好きな中庭へ出て幾つかショットを撮ってみる。

パノラマもやってみた。

ここは前回も見せてもらったBARエリアだが、その時は埃をかぶった薄暗い感じであふれていたが、ずいぶん綺麗にに生まれ変わった。

実はこのBARが最も喫緊の課題場所だったようで、その時 Yvonne さんは、今月どこかでオープンしたいと言っていたが、さっき友人のFBポストで「BARのオープンまであと72時間!」という興奮気味のコメントが書かれていた。かなりの急ピッチでやってるのかな。因みにこんな「やることリスト」も貼られていた。


レストラン、厨房、そしてワインセラー、はまだまだこんな感じ。

オープン間近という最も忙しい時に嫌な顔一つせず、ゆっくりいろいろと説明しながら見せてくれた Yvonne さんには本当に感謝。ニューメキシカン・ホスピタリティとは正に彼女のような御持て成し精神のことを指すと再認識。同じホテル業界勤め、自身は営業職ではあるが、改めて学ぶことが多かった。
聞くところによれば Yvonne さんはここラスベガスの出身だが、サンタフェの有名なホテル「La Fonda」に長く勤務したらしい。なるほど、だ。
Castaneda のような歴史が長く、今回70年の時空を超え甦ったホテルなんかは、そう、「あれ」が付き物?だ。La Fondaでも時折その手の話はあったらしい。ここでは詳しく書けないが、興味のある人は是非 Yvonne さんに直接聞いてみては?!


ホテルのある通りはまだまだ寂しい。アムトラック駅があるのみ、で他には車の修理工場が一軒あるだけ。とっくの昔に閉店してしまった飲食店や散髪屋の看板がひっそりと佇んでいる。

Castaneda の再生と共に、この道もまだ活気を取り戻す日が来るのだろうか。
そんなことを考えながら写真を撮っていたとき、ふと通りがかりの男性に声をかけられた。
「オレさ、お前のこと知ってるよ。SNSでみたことある。確か日本人だよな。そうか、このホテルまで来てくれたんだな、うれしいよ俺は。もう少ししてさ、お客が沢山来るようになったら、オレはここでカフェもやろうかと思ってるんだ。その時は来てくれよな!」
酒臭い息を吐きながら、でも人懐こい笑顔で早口にまくしたて、ひょうひょうと去って行ってしまった。
お世辞にもカフェが開けるようには見えない。
でもこういう歴史の再生は多くの人にいろんな夢を与えるようだ。
アランと彼のチームメンバー全員に感謝するとともに、今度こそは Castaneda Hotel が長く永劫続くことを願って。

ホテルのホームページ:
http://castanedahotel.org/

ホテルの改装状況アップデート:
https://hotelcastaneda.blog/

 

 

ミズーリの大空の下で

前回の訪問から約2年。その後どうなっているのか気になる二つの場所がお互いに5マイル(約8キロ)程度の距離に存在する。
2016年11月、Whitehall Mercantile は、在庫を全て売り切って閉店する、とのニュースが流れた。事の詳細は下記 Archiveを参照してもらいたいが、その後本当に閉まってしまったのかは不明のままだった。
「Whitehall Mercantileが閉まっちゃう」http://www.toshi66.com/2016/11/08/

昨年9月に立ち寄った時、お店は閉まっていたが(通常の営業時間内)中には未だ沢山の商品が残っていた。外観からは精気が余り感じられなかったのでここは引き続き調査が必要だなー。

さて、もう一箇所の方は未来ベクトルの「明るい、その後が気になる」場所。
時は同じく2016年、伝説のオーナー夫妻、Lena と Gary の Turner 夫妻が他界した後、娘のBarbara が後を継いだミズーリ州の観光名所 Gary Parita Sinclair Station、の「その後」を今日は紹介したい。

当時の詳細はこちらも下記 Archive を参照して頂きたい。
伝統の継承:バーブの決断   http://www.toshi66.com/2016-04-30/

待望の後継ぎ問題が解決した後も、夫妻の他界後約1年近くにわたって荒廃していた場所の再開には多くの時間の費用がかかるとみられていた。もちろん実際その通りで、Barbara と彼女の愉快な旦那さん George は、文字通り一生懸命来る日も来る日も Gay Parita Sinclair Station の再開に努力したことは想像に難しくない。

殆ど真夏の酷暑に近い快晴の9月下旬、私は彼らを訪問した。
押せ押せのスケジュールのため彼らには行くことを伝えていない。
忘れられてないだろうか?と一瞬心配になったが、SNSのおかげで今は遠くの友人知人の近況が簡単に手に入る。それは同時にいつ「本当に」会ったのかという記憶が曖昧になるという欠陥も含んでいるんだけれど(((´∀`))ケラケラ

通りから見る限りではすっきりと片付いた良い感じに見える。
特に人影は見当たらないが、開いているはずだ。

車を降りた瞬間に滝のような汗が流れる。今日のミズーリは9月とは信じられないほどの湿気と熱気だ。
「おやおや、珍しいのが来たな」、独特のハスキーボイスで George が人懐こい笑顔と共に迎えてくれた。
綺麗にアップグレードされているのは建物の外観だけではない。

(私のステッカーもしっかり貼ってもらっている)☝

2016年には実は2回、彼らを訪問する機会があった。1回目は4月、同州ヘイゼルグリーンでガスコナーデ橋を守るラリー運動に参加した際で、もう1回は同年8月にスプリングフィールドで開催された「第6回 Annual Festival」に参加した時に一瞬立ち寄った。とはいえ、その時は満足に話もできない挨拶程度のものだったが。。。
George はその後どのように修復作業や新しく購入したものの設置作業に奔走したかを相変わらずの早口で言葉も熱く語りまくった(笑)
ガレージはきちんと整理され、何と訪問客が座れるスペースまで出来ている。

ガレージの裏には1932年の International が鎮座。一回売却したものを再び買い戻したそうだ。George の計画では同じものがもう一台、欲しいらしい。

フロントに飾られたトラックも沢山の花が飾られる素敵なオブジェとして堂々と。

裏は団体客もエンターテイン可能な開放的なスペースにたくさんのピクニックテーブルが設置済だ。

そして両親への哀悼を形にしたファウンテンは立派に完成していた。

押せ押せのスケジュールとは言え、ここに来るときは(というか Barbaraと George に会うときは)長時間滞在になることは覚悟している(笑)とにかくふぃたりは話好きなのだ。Barbara のお父上そっくりだ。
滞在中にイタリアからの4人組の訪問もあり、場は大いに盛り上がる。
今回の米国滞在はわずか1週間、この歳になるとそれなりのエネルギーが必要になってくるが、こういう時間は本当に貴重で何にも代えがたい。
マスターカードの宣伝そのもの、まさに Priceless だ。

2016年より始まった「Annual Show Off Your Ride」と呼ばれるクラシックカーやバイクで皆でルート66を走るイベントも、毎年5月開催で定着したようだし、昨年はイリノイ州ルート66を牽引する Roamin’ Rich こと、Rich もこの Gary Parita の前の道に大きなルート66サインシールドをペイントして話題となった。
今後より一層、この二人の努力でGay Parita は発展して行くだろう。

最後に三人で、はいチーズ!

 

キューバとコニーとワゴンウィ―ル


ミズーリ州キューバ。ルート66に興味がなければこの街を知る人は少ない証拠だと思うが、街の話をすると「ん?キューバ?」と大体聞き返されることが多い。かく偉そうに言う私ももちろん、うん十年前はその一人である。パリ、マドリッド、ミラノ、そしてローマと、歴史の浅いアメリカには、欧州でも指折りの著名な街名が着いた街がしっかりあるのだ。それを考えるとキューバという街名があっても然程驚かないのが本音か(笑)
そんな話はさておき、キューバに到着したのは夜の9時少し前。ルート66上のモーテルは夜が早い。簡単に言えば全体的にモーテルのオーナーは高齢の方が多いからであり、お客の到着が遅いと鍵だけ置いてさっさと寝てしまうのだ。
さて今夜はどうだろうと考えながら目的地近くに行くとネオンは点いている。良かったと思う反面、悪いなという気持ちで車を停める。

「お前がトシかい?」と見慣れない中年男性が笑顔で迎えてくれる。
「そうだよ、コニーはもう寝ちゃったかい?」
「ああ、とっくに休んでるさ。オレも9時になったら帰ろうと思ってたんだ。はっはっは。まあ間に合って良かったな、ほら鍵だ。コニーは明日朝8時にはいるはずだよ」と言いたいことだけ言って、お休みと言わんばかりに後ろ手を振って彼は去っていった。
明日は7時には起きて朝飯に行く予定だったから8時なら丁度良い。そこそこの距離を運転しているだけに早めに横になろうと部屋に入る。

これだけ見ると豪華には決してみえないが、ここ ”Wagon Wheel Motel”は、ルート66上に建つモーテルとしては中々立派なのである。現在の総数は19部屋。シングルからファミリー用、そしてスイートまであり、WiFi 完備という心意気だ(端に田舎なので電波が悪いという説もあり)。建物の前には中庭があり、仲間内でゆっくりBBQをして過ごせるスペースもある。
部屋の中はベッドはもちろん、一応TVもある。洗面台、シャワー、トイレと不足なものはないのだ。


ルート66を旅する醍醐味の一つが早朝の美しさだ。もちろん晴天でないとそうは行かないのだが、幸運にも私は晴れ男。ルート66を走って雨にやられるケースは結構は少ない方だ。
昇る朝陽もワゴンウィ―ルの看板と重なっていい感じである。

朝7時、さっそく楽しみにしていた「イベント」に心を躍らせる。モーテルあら歩いて5分ほど行ったところに ”Shelly’s Route 66 Cafe” とダイナーがある。結構友人仲間では好評はダイナーだが、まだそこで実際食べた経験がないのだ。ダイナーは朝6時~午後3時まで。そう、朝と昼専門だ。そして月曜日がお休みなわけだが、過去何回かなぜかワゴンウィ―ルに泊まって朝を食べようとすると月曜の朝にあたるわけで、夕方通り過ぎた回数を含めると相当数なチャンスをふいにしてきた。
それだけに今回はとても楽しみにしていたというわけ。

メニューはお決まりのアメリカンな朝食だが、やっぱり美味い、落ち着く。
定番の目玉焼2個とソーセージパテ、ハッシュブラウンにトースト+コーヒー、でわずか約4ドル強。凄まじい。

ゆっくり朝食を撮った後は、Mural City(壁画の街)と呼ばれる所以である街のいたるところに描かれている画をチェックしに散策。毎度見てみるものだけにきちんとあるかの確認作業みたいなものだ(笑)Cuba Mural Project が始まったのが2001年頃。それから7年ほどかけて地元のアーチスト達が先駆となり合計12の壁画を完成させた。その後2つ加えて今は14となっている。地元の人達の街愛はこんなところでも溢れている。

さて8時過ぎ、約3年ぶりのコニーに対面。この早朝時は(きっと昨晩の宿泊客も少なかったのか)ほぼ誰もロビーに現れないので、たっぷり1時間ほどかけてお互いの近況を報告しながら談笑。

コニーももう70歳を過ぎているがお孫さんが後を継いでくれるまでもう数年は一線で頑張るのだそう。最近の商売は良い感じだと言っているのが非常にうれしい。でも満室(19室だが)になると部屋の掃除や洗濯が大変らしく、あまり満室にはなって欲しくないと笑って言う。本音は10室ぐらい毎晩入ってくれるのが最高なんだとのこと。同じホテル業でも事情が変われば話が変わって面白い。
次回また会えることを約束し、愛情溢れるハグを頂戴した。

Wagon Wheel Motel
901 East Washington Blvd.
Cuba, MO 65453
(573)885-3411

Shelly’s Route 66 Diner
402 South Laurence Street
Cuba, MO 65453
(573)885-6000

 

Baxter Springs の再開発

全長2,448マイル(約3,980キロ)に及ぶ道の長さの中で、僅か13マイル(約21キロ)しかないカンザス州ルート66。しかしながらその全体の0.01%にすら満たない13マイルの中には見どころも多く、私の大好きなパートでもあるのだ。
カンザス・ルート66を代表するものは何か?と聞かれればガレナにある Cars On the Route や、リヴァ―トンのグローサリーストアを想像することが多いと思うけど、今日は伏兵(と言ったら失礼千万w)?バクスター・スプリングスの街をご紹介したい。と言うのも、ここ数日、新しい「街復興」のニュースが飛び込んできたからだ。

バクスター・スプリングスはその街名の通りミネラルや亜鉛が出て、当時の原住民にとって夏のキャンプ場でもあったらしいのだが、それに目を付けた John J. Baxter 氏が160エーカーの土地で宿場と雑貨屋を1853年に始めたことから街の歴史は動いている。土地柄数々の紛争へ経て、1868年にバクスター・スプリングスという名前になり、当時需要の高かった牛肉の輸送鉄道の北部への中継地点として街は飛躍的な発展をした。しかし時代の流れと共に鉱業に頼っていた経済は衰退し、今ではメインストリートも少し寂しいものになってしまった。

そんな中聞こえてきたのが、街近辺、オクラホマ州マイアマ―に拠点を置く非営利法人「Decades of Wheels」の代表、David Hickmott 氏の発案、街のメイン通り、ミリタリーアベニュー(ルート66)の1100ブロックの西側で大規模な街の再開発の計画だ。そこでは車博物館、ゴーカート・トラック、地ビール工場、そしてレストランやバーを展開するという。博物館「Decades of Wheels」では常時30台程度の映画に出てくる著名車を中心に展示、さらにそれらを定期的に入れ替えをすることでリピーターを作ることも忘れていない。エリアはいつもライブミュージックやレストラン、子供向けのアトラクションも設け、カンザス・ルート66が多くの観光客を集められるよう「家族で過ごせる場所」の提供に尽力するそうだ。

開店は今年の10月13日(土)、秋のルート66旅はカンザス州を目指したいね!
公式ページはこちら ⇩
https://www.decadesofwheels.com/

バクスター・スプリングスのメイン通りいには現在は閉鎖されているカフェ、著名なレストラン「Angels on the Route」を始め、薬局、質屋、そしてお土産屋さんが細々と営業しているのみ。ただ、最近再開店したリッツ劇場のオーナーさんはこの再開発にただ一人反対中と聞く。素晴らしい計画だけに一日も早く和解して、皆で同じ方向に向いて発展して行って欲しいね!

 

 

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