Category: Transportation

ルート66、アルバカーキーの興隆


私が最初にアルバカーキを訪れたのが1996年なので、あれから22年が経つ。2010年にご縁あってニューメキシコ州に住むことになってそれ以来は頻繁に同街と係ることになったが、ここ1、2年、急速にアルバカーキ(ルート66を含め)が「進化」している感じがする。それによってニューメキシコの良いところを失って欲しくないのが本心だが、いやはやもう住人でない輩の意見なんぞ聞かないよ、というのが地元の人達の意見だろうか(笑)
その使い勝手の良さからアルバカーキ空港は全米でも最もお気に入りの空港の一つだし、この街に着くなりここ何年も先ず食べるのはチリバーガーだ。その手のニッチな話は置いておき、今回は短時間だけど街の進化を体感したお話を少し。


“Beep, beep”の音で素早く走るロードランナーは、皆さんもアメリカの漫画から良くご存知と思うが、カッコウ科の鳥で北米大陸南部のユッカの花が咲く乾燥した砂漠地帯に多く生息しているらしい。私が初めてそれを見たのは確か1992年頃テキサス州ヒューストン郊外だった。 事典によると時速30キロ近くの速さで走ることが出来るらしいが、そのロードランナーをモチーフにしたものがニューメキシコには多い。アルバカーキ~サンタフェを結ぶ鉄道は「レイル・ランナー」と呼ばれるが、その車体には大きくこのロードランナーが描かれている。2年前ほどだろうか、アルバカーキ・ルート66が進化を掲げてこのロードランナーを用いて新しい街の象徴(ロゴ)を作成。賛否両論あったが、私は結構気に入っているのだ。


いつも通りチリバーガーを食べた後、街の中心を東西に走る Central Avenue(ルート66)をクルージング。おっと!いきなり見たことないオブジェが登場。
いつ造ったんだろうか、聞いてないぞ(笑)

そして見えてきたのは ART の駅。


ART:Albuquerque Rapid Transit、の導入は2016年に物入りで州議会を通過、当初その建設にあたっては 119億円必要(その後134億に増加)とあって、補助金で75%程度は確保できたものの、残りはどのように費用を捻出するのかで相当な議論を呼んだ。ART は約9マイル(約14キロ)に渡って専用バスをセントラル大通りに通す公共交通機関だ。あれから2年、駅とその専用道路の舗装はほぼ終わったものの、バスそのものは未だ運行していないようだ。ART のホームページでもまだまだ課題は山積みの模様。今後の動向に注視したい。

そういう言っている間にインターステート40号線と25号線の交差するダウンタウンの中心を超え、オールド・アルバカーキを渡ると以前はぐっと寂しかった地区になるのだが、何とここにもバーや、レストラン、クラブに映画館と、オールドタウンからも簡単にアクセスできるウェストサイドの賑わいも出来ていた。車を運転している都合上写真は撮れなかったが、⇩ のような街頭サインも誕生し、その「進化」を主張しているようにみえた。

セントラル大通り(ルート66)を更に西へ走るとアルバカーキの誇る3大モーテル、”Monterey Motel”、 “El Don Motel”、そして “El Vado Motel”が順に現れる。
ルート66が全盛だったころのポストカード(⇩)からも当時の素敵な雰囲気は充分伝わってくるが、さすがに近年はいわゆる「モーテル」の域は出ない。

モンテレイはモーテルと言うより短期間アパート的なものに姿を変え、エル・ドンも営業はしているものの、かつての華やかさは無い。エル・ヴァドに至っては2005年に営業が終了して以来、廃墟への道を辿っていた。

(2015年撮影)

そんなエル・ヴァドが 18億円の新プロジェクトにて、ブティックホテルとして甦る、と聞いたのが数年前のことだ。前オーナーが2005年に辞めた後、新しい所有者ゴンザレス氏は、モーテルの建物を一掃して高級タウンハウスを建造すると明言。市やルート66保存団体は当然の如く反対意見を表明、その建物とエリアを封鎖し数年に渡って交渉に臨んできたという経緯がある。
当初は今年2018年に再開業する予定だったが、そんなのは米国では良くある「予定外の理由」で遅延。当然今は一生懸命開業に向かって頑張っているだろうと想像し、今回はここに寄ってみることを当初から一つの楽しみにしていたのだ。
結果はこんな感じ!

働いている人達に話を聞くと、正面ロビーにはタップルームと呼ばれるビールの飲めるバーを地元のビール製造会社を入れてオープンさせ、もちろんモーテルを基本に、レストランやその他のショップ等もコンプレックス内に開業予定だそうだ。
つい先日のニュースでも5月上旬のオープンを目指しているとのことだ。
この夏、アルバカーキへ行く予定のある人は是非宿泊して頂きたい。
因みにエル・ヴァド・モーテルは1937年、アイリッシュ系移民のマーフィー氏によって開業、1993年には米国国家歴史登録財に認定されている。

話の順序が逆になってしまったけど、今回このエル・ヴァドの進展を見てみようと思ったのは実は理由がある。ルート66の大先輩でもあり敬愛する花村氏のSNS発信に始まる。私が渡米する直前、花村氏は東京某所で以前エル・ヴァド・モーテルのオーナーであった Ali Hakam氏と1991年に撮った写真を上げ、その上で当時幼かった息子さん(今では立派な大人)は今お仕事で日本に在住しており、彼との再会を楽しむポストを掲載されているのだ。それを見た瞬間、エル・ヴァドのことを思い出して「あ、行ってみてこなきゃ」って思った。

(写真:花村氏のSNSより転載)

当初は行く予定でなかったのだが、これによって(この方向に走ることによって)先日ブログに書いたサンフィデルの出会いも生まれた。
近々この息子さん、Karim Zaher Leif Hakam 氏も紹介してくれると花村氏は言う。どんなお話が聞けるのか、今から楽しみでたまらない。


アルバカーキから西へ向かうルート66

La Posada 物語は永遠に

アリゾナ州ウィンスロー。イーグルスの不朽の名作、”Take it Easy” の歌詞に登場するスタンディング・オン・ザ・コーナーの観光地としてルート66ファンでは知らない者はいない街だ。シカゴ~サンタモニカ間を結ぶルート66全体としても最も多数のビジターを集める名所でもある。同曲の生みの親の一人、Jackson Brown 似の彫像の前で写真を撮るのが定番だが、これに一昨年亡くなった Glenn Frey の彫像も作成されより一層ファンの「聖地」となっているわけで。
そんなウィンスローにはルート66上多くの箇所で見られるモーテルとは一線を画した歴史的ホテルが存在する。”La Posada Hotel”だ。


ラ・ポサダの歴史は ”Harvey House”で著名な Fred Harvey 氏と共に始まる。Harvey 氏は当時まだ荒野だった西部に、銀器、チャイナ、水晶、クリスタル、そして完璧なホスピタリティ精神を持ち込み、文字通り西部の文明化に成功した。
元々ウィンスローは米国先住民のナバホとホピの交易場所として重要な拠点であり、ここを通る大陸間鉄道にとっても、1913年に開通した National Old Hwy、更には1926年にルート66が通るようになって重要な観光地でもあった。このような意味からウィンスローの地が Harvey 氏の直感に触れるのは当然のことだったのかもしれない。彼は1920年代にその案を考え、実際1929年より休憩所(ホテル)作りに専念した。敷地、建物、家具等、総予算は$200万ドル(現在の価格で約$4,000万ドル=42億円)とも言われていたようだから想像を絶する大金だ。
結果ホテルは1930年5月、歴史的大恐慌の翌年に誕生し、 1959年に閉鎖されるまで多くの著名人や観光客が訪れた。閉鎖後はサンタフェ鉄道がオフィスとして利用することになるが、建物の腐敗も進み、1994年殆どの部分が解体されてしまうことになる。
そんな中、米国文化財保護法、米国国家歴史保存法の観点から The National Trust for Historic Preservation という財団が乗り出し、ラ・ポサダの保存を訴え始めることで、その行動が現在のオーナー、Allan Affeldt 氏の目に留まり彼は建物や土地をサンタフェ鉄道より1994年に購入。Affeldt 氏の努力は鉄道会社との3年間の交渉と様々な法的、環境的、財政上の障害を解決し、La Posada LLCを設立。推定$1,200万ドル(約13億円)を投じた一大プロジェクトに邁進することとなる。

さて、前置きが長くなったが、やっと今日の本題に到達だ(笑)

アランはラ・ポサダと同時に、ニューメキシコ州ラスベガスにある Plaza Hotel のオーナーでもあり、更に同じく同市にある Harvey House 様式の La Castaneda Hotel を甦えさせるプロジェクトも同時進行で行っている。ラ・ポサダは中々泊まる機会がないが、Plaza Hotel は過去何回か宿泊した経験があり、2016年には「日本のMr. Eagles」茂村泰彦氏がホテル前の特設会場で演奏をされた際に駆けつけて泊まった場所でもある。
もともとアランの名前は知っていてFB上でも偶にやり取りをしていたのだが、実はご本人に一度も会ったことがなかった。
今回休暇でルート66を走ることになった時に真っ先に思ったことは彼に会うことだった。というのは上記3つのホテルのいずれかの場所で毎日奮闘している姿がFBにご自身から投稿されていたからだ。
早速私は彼を訪ねてラスベガスに行く旨を伝えたが、生憎その週はウィンスローにいるというので急遽目的地はアルバカーキ東方面から西方面(アリゾナ方面)に変更、ラ・ポサダで会う約束を取り付けた。

アランが現在精力的に行っているのはホテルの敷地内に新しくオープンさせる博物館だ。元々鉄道駅だったころに使われていた荷物置き場、駅員の宿舎棟を上手く改築利用し、歴史の大切な部分を残しながら現代的なアートフル感覚に満ちや空間を創りだしているセンスは圧巻だ。シカゴからサンタモニカまで、将来的に建物の床にはその「道」のペイントを施し、時間・空間のトラベルが体験できる工夫も凝らすとのことだ。

もちろん作業は土台作りが終わったばかりでまだまだ先は長い。
でもそのような苦労を一瞬たりとも感じさせず、彼の理想とする物語を丁寧に説明しながら説いてくれる姿は喜びを通り越して感動さえ憶えた。


更にこのプロジェクトのハイライトの一つには、当時活躍していたサンタフェ鉄道のオリジナル車両が併設展示されるという点もある。


”Pleasure Dome” と呼ばれる当時の豪華列車の車両が惜しげもなく置かれている姿にビックリ!”Turquoise Room”と呼ばれる有名な個室型ダイニングルームやプレジャードームは椅子が360度回転し、大きく天井まで開放的に作られた窓は列車の旅を一段と快適にしたことは想像に難しくない。


(ドーム車両の椅子に座りポーズを取るアラン)

聞くところによるとアランとそのマネージメントパートナーの面々はいずれもホテル業に従事した経験はないとのことだ。だが、忘却の彼方にあった施設に「魔法をかけて」新たに博物館として蘇らせるという敏腕ぶりを発揮する。アランの仕事は建物全体のリハビリ、設計、建築と資金調達だそうだ。
私は一階の営業マンとしてホテル業界に携わっているが、彼を話をしていると私にとっては、これがホテルマンとしての集大成という姿が見取れ、感じられる。

色々な話の最後に、いつこのプロジェクトは完成するのか質問してみた。
アランはこう言った、「決して完成と呼べる日は来ないかもな」と。
ルート66は1926年に生まれ、その目的を達し1984年に廃線となった。だがルート66は今でも存在し、多くのファンを巻き込み、姿形を少しずつ変えながら現在を生き続けている。私達はそれを後世に残すため、私達の遺産を永遠に伝えて行くため(私自身も微力ながら)日々奮闘し模索している。
ルート66が今から100年後どんな姿になっているかは想像がつかないが、決して消滅することはないと断言できる。
きっとアランのプロジェクトもそういうものなのだろうと想像しながら晴れ晴れとした気持ちでウィンスローを後にした。

 

ルート66のライセンス・プレート


アメリカの車に付けるライセンス・プレート。州によってデザインが万千万千である上に、かつ自身でも好きな数字やアルファベットの文字番号列が登録でき、非常に魅力的だ。このような「スペシャル・オーダー」は、通常より多少高めのお金を払って取得するのだが、大体US$100ドル前後(約1万2000円)、もちろん州によって多少の上下があるけど。自分のスタイルを追求するには決して高くない金額だ。
ルート66愛好家でも、「66」や「Route 66」は当然引っ張りだこで中々獲得できるものでもない。でもそんなファンに嬉しい措置として州が正式にルート66をデザインしたライセンス・プレートを出しているのだ。

ルート66オフィシャルプレートが出ているのは本日現在、イリノイ州、ミズーリ州、オクラホマ州、ニューメキシコ州、アリゾナ州、そして今年の夏に加わったテキサス州の合計6州だ。筆者の居るカリフォルニア州、それに全長17マイルしかないカンザス州はまだそのブーム?に乗っかって来ない状況だ(泣)

これらが ⇩ それぞれの州のライセンス・プレート。

しかも何とニューメキシコ州は2パターン。

州ごとに独特なキャラを出して皆、カッコイイ。お土産屋さんで売っているコレクター・アイテムのプレートでなく、きちんと車両を買って登録して、という正式な手続きを踏まないと手に入らないものだけに、嬉しい反面、各州で車を買って付けたくなるような浪費を誘うエレジーも湧き上がる。
次にこれらの州に引越をした際は、私も是非付けてみたいと思っている。

とは言え、今まで住んだフロリダ州、ニューヨーク州、ニューメキシコ州、そして(通算一番長いであろう)カリフォルニア州、の4州において自分でスペシャル・オーダーをした経験は無い。理由は面倒だから。
大きな車両が好きでここ20年ほど四駆車しか乗らないという信念がありながら、実は車にあまり興味はないのだ(笑)
基本車は輸送手段、と捉えていて大きく、便利、そして安全であれば、後は余りこだわりがない。固執メーカーもない。できれば色は緑系が良いが、買うタイミングでそれがなければ待ったりしない。出会わなかった、それだけのことだ。
そんな私も一回だけプレートに拘ってわざわざ「こっちが良いな」と車両登録時に陸運局の担当者に申し出たことがある。
もともとニューメキシコ州は他の州とちょっと違い黄色のプレートを使用している。黄色のプレートというのは中々見たことがなく、どことなく派手さと泥臭さが混在したデザインが魅力的だった。簡単に言えば州旗がそのままプレートになった感じだ。プレートの真ん中に鎮座するジアの赤い太陽。州の説明によればこの二色はブルゴーニュ十字旗に由来し、トラスタマラ朝のイサベル1世と、彼女の指揮下にあったコンキスタド―ルを讃えているとのことだ。


そしてしっかりと書かれた「Land of Enchantment」。魅惑の土地、とでも訳そうか。仕事によるニューメキシコ州への転居が決まった際、このプレートを付けられることに非常にワクワクしたものだ。
が、しかし。転居のタイミングで大きなライバルが出現。
何とその年、2012年はニューメキシコ州はアメリカ合衆国議会が47番目の州として昇格さえた1912年1月6日より数えて100年目にあたってしまった。そのため州は100周年記念プレートして、これまやニューメキシコ州を代表するターコイスをモチーフとした綺麗な青色のプレートを発表。私の心は一気に鷲掴みされたのだ!


凄く素敵だと思いませんか???
⇩ これは当時の愛車達。


見事に二台ともターコイスにしてしまった。良く考えたら1台ずつにしとけばよかったな、と。

最後は話がズレちゃったけど、次に付ける機会があるのなら、どの州のルート66プレートだろうか?今から楽しみである。

CARS 3 – June 2017


昨年6月で第一作目が上映されてから10周年を迎えた、映画「CARS」。
今年2017年の6月16日にそのシリーズ3作目が放映予定になっているのは、ルート66ファンなら周知の事実だよね。
時折少しずつ公式映像がネット上に発表され、その期待は嫌でも高まるのだけど、最近また新しく公開されたのがこちら ⇩

前回の短編予告では事故のシーンがクローズアップされて、え・・・?っていう感じだったのだけど、今回は少なくとも主人公が(ルート66の)ラジエータースプリングスに戻る風景が、アメリカ・サウスウェスト地域の景色と一緒に出てます。
良かった、良かった。
何でも聞くところによると「CARS」は、興業収入10億ドル、関連商品の売上は過去10年間で100億ドルを超えているそうで、ピクサー社の作品群の中でもダントツだとか。

現実の話だけど、先日デトロイトであったオート・ショウに「CARS」の元ディレクター、John Lasseter 氏が登壇したそうで、その際、ピクサー社は今回の「CARS 3」のために(主人公も含め)何度もレーシングカーのデザインを一新したことを語ったと聞いた。それはそれで素晴らしいのだけど、映画のコンセプトがルート66を少し離れてレースに向かっているのかな、と心配も増えてきた。
あと半年も待つのか~。

Save the Gasconade Bridge 経過報告


ちょっと前の話になってしまうけど、ミズーリ州へイゼルグリーン近郊のガスコナーデ橋存続に関して、昨年12月9日のポストで「14日に公聴会が開かれます」と、紹介させて貰った。それほど大きな貢献は出来ていないけど、自分自身も関わっている問題として、それがどのようになっているのかその後の流れを少し説明しようと思います。

MoDOT(ミズーリ州交通局)の発表している内容はこちら。(英文のみ)
http://www.modot.org/central/major_projects/Laclede.htm

前回ポストも書いたように「何もしない」というオプションを除けば、議題に上がっているのは全部で5つ。それら提示内容は上記ウェブサイトで見れるけど、簡単に要約すると:
②橋を改築、一般車両(普通トラックを含む)のみ通行可能とする。
予想費用は約USD$440万ドル。
③現存の橋を解体、同場所に新しく橋を建設する。
予想費用は約USD$430万ドル。
④現存の橋を解体、同場所に同じ形の橋を再建設する。
予想費用は約USD$550万ドル。
⑤現存の橋と、I-44の間に新しく橋を建設。現存のものは使用しない。
予想費用は約USD$412万ドル。
⑥I-44との逆側に新しい橋を建設。6マイルほどの迂回が必要になる。
予想費用は約USD$580万ドル。
という感じ。


住民側(特に保存を訴える団体)は、「取り壊しでなく修復」を根幹とした主張をしているので、それに応えるとなれば一番安価なオプション⑤より少なくともUSD$30万ドルは多くかかるわけ。そうなると、その後の人件費やメンテ費等も含めてより多くの出費を伴うことが予想されるから、MoDOTにとって最良の選択とはかけ離れていくのは明白。さらに MoDOT の文書に賛否両論の一部として記載されているように、例え修復された場合も依然として橋を通行にするにあたっては、車の高さと重さ制限の問題は残るわけで。。。
つまり住民の使用する大型農業機械は通れないし、I-44 で事故が起こった場合の迂回道路としての役割も果たすことはできないんだよね。
うーん頭が痛い。

今月中旬までは多方面からの様々な意見を聞く姿勢を見せてくれているから、一人でも多くの人が「建設的な」意見を MoDOT に送付してくれることを願うのみ。
年末には予算に関する審議会も開かれたようなので、その点もまたお伝えします!

Save The Gasconade Rally by David Schwartz

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