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2019 Rockin’ Route 66

過去5年に渡ってニューメキシコ州ルート66と、トゥクムキャリの街の発展に尽力してくれた夏の風物詩、「Rockabilly On The Route」が今後のイベント計画を一切白紙にすると発表されたのが昨年の2月。
ルート66のファンは勿論のこと、多くのロカビリーファンにも衝撃を与えたのはまだ記憶に新しい。
何でも主催者側と市職員の間で知的財産権を巡る意見の不一致があったとかなかったとか言われているが真相は明らかにされていない。

そんな中、Facebook、Instagram 等のソーシャルメディアを通じて新しいイベント企画の発表が先月あった。その名も「Rockin’ Route 66」だ。
ロカビリーからロックへ、個人的な意見を言えば私は前者の方が好きだが、この際細かいことは端に置こう。
同地域共通の目的と趣旨を持ったイベントが行われるということはそれだけでもハッピーだ。

主催者の発表によれば、イベントは ①50年代回帰、そして ②ニューメキシコ州の特色、の二点にフォーカス。
古き良き時代にルート66を行き来したクラッシックカーを走らせ、様々な音楽や生活の違いが世界中の旅行者からもたらされ、変化と発展に溢れた楽しい時代、をテーマに多くの仕掛けが用意されるようだ。
「ニューメキシコ独特の食文化も世界中に発信したい」、この一言に私は最も惹かれたのだが、この新しい試みが大成功し、より多くの人にニューメキシコの良さをもっと知ってもらうことに元住人としては興奮を隠せない(笑)
今から来年、2019年6月27日~30日は決定だな。

公式ウェブサイトはこちら ⇩
http://rockinroute66.com/

前回の Rockabilly On The Route、興味ある方はこちらを!

 

John’s Modern Cabin

またしても廃墟ネタ。
ここまで来るときっと私は廃墟フリークだと思われている気もするが、もう一度はっきり否定したい(笑)
廃墟って絵にはなるけど、何となくやはり怖い。日中に訪れれば大丈夫な場合も多いが、そんな時でも空気感はヒンヤリ気味。ホラー映画の見過ぎが、こんな時にふと何かが起こる感じがして気が気でならないのが本音だ。
元々幽霊は嫌いだし、肝試しなんて超苦手だ。20代後半ハロウィン時に友人らとユニバーサルスタジオの幽霊屋敷に行って酷い目に会ったし。。

と、まあ廃墟が好きなのか嫌いなのかという微妙なスタンスだが、ルート66を旅するようになってずっと気になっていた廃墟、”John’s Modern Cabin” は、ミズーリ州、ニューバーグというエリアにある。
このエリアは過去何回か通ったが、立ち寄る時間がなかったり、立ち寄っても見つけられない旅も何度かあり、つい最近まで個人的には「未開の地」状態であった。

そんな John’s Modern Cabin、2年前にやっと訪れることが出来た。
いや、「導かれた」と私は勝手に思いこんでいる。

まずはその John’s Modern Cabin について3分間でまとまった映像があるので興味のある方は。

2015年秋、その初訪問の前年、イリノイ州で開かれたあるルート66のカンファレンスで、友人 Mike Ward の奥様、Sharonよりあるプレゼントを頂いた。
Sharonはとても聡明で手先の器用な方。中でも刺繍を得意としていて、ルート66にまつわる建物や場所を独自のセンスでアレンジし、小さなハンカチサイズの刺繍を作成しては、ルート66上のモーテルや博物館、レストラン、お店やさんを営んでる人達に順次プレゼントしていた。

With Mrs. Sharon Ward

カンファレンスで会った時「トシ、今日はあなたにプレゼントを持ってきたわ。会えてよかった」と、いつもの優しい笑顔でハグしてくれた。
その時に頂いたものが、これだ。

!!! 何とその題材は “John’s Modern Cabin”!!!
私はこのキャビンがずっと気になっていて行きたくても未だ辿り着けていない、なんて誰にも言ったことは無いし、もちろんこのブログにも、FBにも書いていない。なぜ彼女はこのキャビンを私にくれる題材として選んだのだろう?
(余りの驚きにその際この重要な質問をするのを忘れてしまった)

だから私は思った。そう「呼ばれている」と!(笑)
次にミズーリ州に行く時は何が何でも行かなきゃならない。この時強く誓ったことを憶えている。

それから1年後、ミズーリ州でのイベントに参加した際に友人のRhys と「その場所」へと向かった。

With Rhys Martin

彼は何回かそこを訪れているので場所は知っているとのこと。イベントの始まる前の早朝、わざわざ6時半ごろ起きて一緒に訪問してくれたのだ。車で片道30分、決して近い距離ではない。

John’s Modern Cabin はルート66から少し外れた雑木林の中にひっそりと佇んでいる。当時はこの辺りも開かれていたのだろうが、今ではすっかり忘却の彼方に建っているようだ。

初めてみる荒れ果てたその姿は郷愁と共に感動を憶える。今まで何度か見つけられなかった苦い記憶と、嬉しさが入り混じった不思議な気分で写真を撮りまくった。

キャビンは、1931年ベアトリスとビルのベイレス夫妻によって “Bess’s Place” という名前でオープン。当時はダンスホールと6部屋のログキャビンがあり、旅人にホテル、モーテルとは違う「格安」な宿泊所を提供し人気を博した。夫妻はそれから約10年後にそのキャビンを売却、その後数人の所有者を経て、1951年、ジョンとリリアンのダーシュ夫妻が$5000ドルで買収。ジョンは当時の地元の法律(禁酒法)に反旗を翻し、周7日ビールを販売して地元民の人気者でもあった。
が、1957年の区画整理によってキャビンは大通りから奥に場所を移さざるを得なくなり(だから見えなかった!)、ダンスホールは破棄されることになり、近隣の Vernelle’s モーテルもレストランをたたむ羽目になったと言う。
結局このキャビンは Lilianの死後、Johnは閉鎖を決意。1971年以来破棄された建物は腐食と崩壊を免れず今日に至っている。

JMC, in August 1966, courtesy of Renee McHenry at MoDOT

最近はこのような場所からネオンサインや、お金になりそうな残された物品が盗まれるという残念なニュースが頻発しているが、同ミズーリ州に住むルート66に多大な貢献をしている、Rich Dinkela 氏(通称 Roamin’ Rich)が先日このキャビンを荒廃や盗難から救うため立ちあがってくれた。
これは Rich と彼の有志によって素晴らしいプロジェクトが行われた記録の一つ。
次回訪れる時は何等かの形で貢献したいと思っている。
そして Sharon にも大切なこと聞かないと!

 

Road Crew – America’s Route 66 Band


2016年のニューイヤーズディよりスタートしたこのブログ。最初の題材は、夜中のネットサーフィンで何気なく発見した「Songs from the Mother Road」という、私のハートを一瞬で鷲掴みにしたタイトルのCDだった。すぐさまダウンロードして聴いた時の興奮と喜び、「こりゃ良いものに出会ったなぁ。次の旅のお供はこれだよ、これ!」は、今でもはっきり憶えている。
実際すぐには旅に出るチャンスはなかったものの、スマートフォンに落とし込みチャンスがあれば聴いていた。それから10か月、イリノイ州エドワーズヴィルで行われる「Miles of Possibility」という、イリノイ州ルート66アソシエーションが主催するカンファレンスで、Road Crew というバンドがゲスト出演するという情報を得た私は、それまで実は行こうかどうか迷っていたけど、主催者に即レス、参加する旨を伝えた。(Debyjo、Chery すまないw)


イリノイ州とは言え、エドワーズヴィルがあるのは州のかなり南、ほぼミズーリ州との境近辺だ。だから金曜日を一日だけ有給取れば、3日間は余裕で週末の素敵なルート66 小旅行に変わる。
Miles of Possibility は決してルート66愛好家の同窓会でなく、様々なテーマを決め、その分野の第一人者の講演や、各組織のプレゼン等を含んだ立派なカンファレンスだ。もちろん顔見知りの大所帯でのレクリエーションもきっちり行うので同窓会の側面もあるけどね(笑)

ルート66は8州に渡って 2,347 マイル(約3,945キロ)だけに、各地域の友人知人に会おうと思うと一苦労だけど、こういう集まりがあると沢山の友に一度に一カ所で会えるという最高の利点がある。この手のカンファレンスに出席するのは実は初めてだったけど、今後は可能な限り来ようと誓った。

話はいつものようにズレちゃったけど、その Road Crew の皆さんに会いたいのがメイン目的でサンフランシスコから飛んできたわけで。ちょっとでも話せたら嬉しいな。握手なんかできたら最高だろうな、なんて思いながら、小学生の時に松阪慶子さんに会いに行った時と似たような感覚でその夜まで過ごした。


その夜のステージは最高だった。
例のアルバムから数曲、知らなかった曲も幾つか、そして新しくリリ―スしたばかりのアルバム「Under The Neon」から。ルート66の生ける伝説、Tattoo Man、Ron を唄ったにした軽快なナンバーも心地よい。後でミーハーにも、ジャケットにサインまで頂戴したw


何もかもに満足したのに、その上何と彼らは非常に素敵な人達だった。全く気取らず、奢らず、普通の友人のように話してくれて、一緒に笑ってくれる。
やはりルート66のホスピタリティ精神は著名なミュージシャンであれ何の変わりもない。特にその中でもVocalとGuitarを担当する Joe は会う以前よりFBで繋がってもらったこともあり、とても仲良くしてくれる友人の一人だ。

自らを「America’s Route 66 Band」と呼ぶ Road Crew の4人組。今後も、いやずっと応援して行きたい。
最後に Road Crew の公式ウェブサイトとビデオクリップをどうぞ!
http://roadcrew.weebly.com/

 

Route 66 on LA Times


ちょっと前になるけど、Los Angeles Times に記載されたルート66の紹介ビデオを今日はシェア。全国紙が取り上げる内容としては西海岸に偏っているけどそこはご愛嬌。

 

 

 

西へ進むよ、日曜日。


夢心地の宴から一夜が明けた朝は絵に描いたような快晴となる。これこそルート66に相応しい。晴れ男の異名、回復の朝だ(笑)
何度も通っているオクラホマシティ内最大の湖、オーバーホルスター湖を左手に見ながら橋を渡る。インターステート40号線の北側をほぼ並走するルート66をゆっくり走る。冷たい風が気持ち良い。

Yukon、El Reno、と街を越えるともうすぐ今日の第一目的地、ポニーブリッジだ。ポニーブリッジがあるのは Bridgeport という街だが、ここは特筆する観光スポットは無い。ほぼゴーストタウンと言っても差支えないかもしれない。前述した街々も決して大きくないので、足早にインターステートを通ってテキサスに急いだのならこの橋にお目にかかることはないのだ。
ポニーブリッジはカナディアン河にかかる橋で、全長約4000フィート、38個のトラスが使われており、1933年7月1日に完成した。映画「怒りの葡萄」の中にも登場している。
今日は日曜日の早朝、当然ルート66を走るものは殆どいない。誰ともすれ違わないし、追い抜かれも追い越しもしない。(やっとこの橋ですれ違うことが出来たんだけど)だからラジオステーションを大好きなカントリーミュージックに合わせのんびり横断してみる。

橋を渡った後は Hinton の街を抜け、西へ向かって更に E1020 Road を走る。E1020 Roadとはこの区画上でのルート66の別称だ。特に民家も多くのないこのあたり一帯では東西に走る道は「E」、南北に走る道は「N」を冠した道番号となっている。Hinton を抜けて更に10マイル強走るとそこは Hydro の街。E1020 Roadは限りなくインターステートに近づき並走する。Hydro の街には郵便局、教会、薬局、そしてピザ屋さんと、必要最低限のものしかない。ただその小さな街をルート66上でも極めて有名なスポットに変えたのが Lucille’s Service Station。1929年に建てられた古典的なガソリンスタンドで、1941年ハモンズ一家が運営を引き継ぎ、ルート66史上に残る「マザーロードの母」と呼ばれて親しまれたルシールさんは彼女が亡くなる2000年まで、約60年に渡って多くの旅人と接してきた。
私も1993年以来何度か通ったが、残念なことにまだネットもSNSも確立していなかった頃。ついぞ彼女に会うことは出来なかったのがとても残念だ。

ちゃっかり貼らせて貰っている、日本ルート66協会のステッカーの有無を確認し、先を急ぐ(笑)

オクラホマ州ベッカム郡セイヤー。聞いたことがある人は殆どいないはずだ。実際私も初めて訪れた時まで聞いたことすらなかった。当時は人口3000人ほどの街だったが、最近の国勢調査では4500人程度まで増加しているらしい。凄まじい伸びではなかろうか。セイヤーの街を一番有名にしているのがベッカム郡の郡裁判所。

こう見えても?郡都なのである。
ドーム型のデザインが施されている裁判所はオクラホマ州全域を見渡しても数カ所しかない稀有なものなのだ。観光スポットとして有名な Owl Drug Store のあるダウンタウンの交差点を見ていると、とてもそんな人口にいる街には思えない。日曜日の力は偉大だ。


ルート66に興味のない人にとっては多分一回訪れたら二回目はないような場所だ。いや、訂正、一回すら来ないかもしれない。
でもなぜかこの街の持つ独特な空気感、ゆったりと包み込むような雰囲気が私は好きだ。訪れる度に座ってゆっくり眺める「マイスポット」もそのまま、暫く妄想にふける時間が過ぎた。
おっと、今日はアマリロあたりまで出来たら行かないとマズい。そんなばかりはしていられない、とオクラホマ州最後の街へ向かうべく重い腰をあげた。


そうそう、一つ忘れてた。この Owl Drug Store 跡、きれいなオレンジ色の Rexall の文字が魅力的なんだけど、何とこれと同じ看板で現在も元気に営業しているお店が、自身の住む街サンフランシスコにあったのだ!
あまりの感動に写真を撮りまくっていたが、傍から見ればただの薬局。変な奴とばかりにジロジロ見られたことが記憶に新しい(笑)

 

 

Arcadia Neon Fest 2017 ⑤:Arcadia の夜は永遠に

“Hey Toshi, Let’s meet to dine with us around 17:00! Will call ya later.” と、簡単なSNS メッセ―ジが届いたのはその日の午後2時すぎ。おいおい、こっちにも予定ってのがあるんだよ。そうならそうと早く言えよ!と腕時計と睨めっこしながら間に合う距離にいるのか再確認。
もちろん皆で一緒に夕飯するのは大きな楽しみの一つだけど、自分の予定は曲げられない。でもちょっとばかり足早気味に行動、彼らからの場所の連絡を待ちながらBristow、Depew、Stroud の街での撮影に精を出す。


時間を見ればもう4時を回っている。が、一向に連絡の兆しはない。まあこのままArcadia に向かえば5時過ぎには着くはずなのでピッタリだろうとばかりに(それでもフリーウェイには乗らず)ルート66をひたすら走った。

さて、時間は午後5時17分、Arcadia の街に入る。予定より若干遅れたが許容の範囲だ。が、一向に連絡がない。
“hey guys, where you all? Ain’t know the place yet.”
“Oh Toshi, forgot to text ya. We all at XXX.”
とまあいつもこんな感じだ(笑)
指定された店は典型的なアメリカン・フード。オクラホマのアメ食だ。心からホッとする。美味い。


どうやら結局かなりの大人数で行くことになったらしく、誰が行くのか何人行くのか誰もつかめておらず(最終的には30人を超えていたらしい)店には流れてきたものの適当にバラバラに座りそれぞれ楽しんでいる状況だ。
こういうの本当に楽で良い。苦手な方もいるだろうが、私はこういう方が断然性に合っている。

陽もすっかり暮れはじめ、まだ夜は肌寒いオクラホマ州の4月。Arcadia Neon Festa の2日目が始まった。昨日は Jim と Shelle のサプライズ結婚式だったが、今宵は仲間内ですっかり談笑。近隣 Yukon の街よりエルヴィスも甦り(笑)素敵なパフォーマンスで会を盛り上げてくれた。
ご本人の許可を貰っているのでちょっとだけその雰囲気を味わって頂きたい。

今回8州にわたるルート66のうち、5つの州から多くの友人が集まった。毎年夏場を中心にルート66沿線上各地でいろいろなお祭りや催しものが開催されるが、いつも一大家族のリユニオンのようだ。互いの元気な姿を確認し、最近どうだい?と仕事の話、家族の話、悩み話、下らないゴシップから政治の話までまるで本当の家族のように本音で気取らず楽しめる。
元々この集まりには最初から参加する予定では居たものの、今年の春に実は少々大きな決断をするに至った。だからこのフェスティバルで彼らに会うことは、オクラホマからテキサスを走っておくことは今回非常に重要だったのだ。

沢山の笑い声とアップビートな音楽に包まれてアーケディアの夜は更けて行く。

 

住むならタルサ!


皆さんはオクラホマ州タルサという街をご存じだろうか?もちろんルート66好きなら誰でも知ってるけど、そうでないと余り馴染みがないかもしれないね。
「ルート66に住むならどこに住みたい?」とてもよく聞かれる質問。田舎暮らしもとても素敵だけど、現実問題やっぱり多少の「文化」が欲しいのが本音、だから私は大体いつもこう答えるんだ「タルサかな」。


これはオクラホマの友人への挨拶でもお世辞でも何でもない、所謂「マジレス」だ。州単位で言えば、ミズーリ州やニューメキシコ州が好き、と何度もこのブログでも言ってるけど、暮らすとなればタルサに落ち着く。
何が魅力なの?と聞かれれば、やはり適度なサイズの中都市であり、ちょっと走れば田舎もあるし、市内には何と140を越える公園(つまり緑が多い)、ギルクリース博物館、ジューイッシュアート美術館、フィルブルック美術館に代表されるアート鑑賞や、オペラ、バレエと言った一流の娯楽も揃っている。ゴルフ場だって当然あるし、リバーパークはアーカンソー河に沿って30キロ以上に及ぶ舗装道が通っている。それに驚くなかれ、アメリカにしちゃ(って言葉悪いけど)結構美味しいレストランも多いんだよ。偏見かもしれないけど、オクラホマっていうイメージからは思いもよらない、テーブルクロスの高級店だって!(笑)
メジャースポーツはないけど、マイナーリーグ系はしっかり揃っているしね。

そんなタルサ、アートのセンスも良いんだ。ルート66に限っても、街のあちらこちらを飾る色々なデコレーション系のデザインが本当にカッコいい。

これは最近のことだけど、タルサ市とタルサ美術委員会が「Route 66 Rising」と名付けた新しい巨大彫刻をアドミラル・トラフィック・サークルと呼ばれる場所に設置することを発表したんだ。(制作者はタルサの人でなく、ニューメキシコ州アルバカーキ出身の Eric Garcia 氏なんだけどね)
その完成デザインがこれ ⇩


シャープ感満載でスタイリッシュだよね。まさに次世代のルート66。中には否定的な意見もあるようだけど、私は好きかな。
この彫刻、高さは約11メートル、幅は27メートル、重さは何と25トンだって!
モンスター級だね。年末までには完成するらしいので、来年は是非見に行ってみたい。とか言いながら今月末タルサにまた行ってきます(笑)

それでは最後にタルサ観光局の街紹介ビデオをご覧ください。

 

 

Joplin Blasters に栄光あれ


皆さんは Jason Botts という野球選手をご存知だろうか。1980年生まれ、カリフォルニア州パソ・ロブレス出身の強打のスラッガーだ。彼を最初に見たのはジョージア州サヴァンナを旅行していた2001年、たまたま通った時にやっていたマイナーリーグの試合を観戦した時のことだ。彼の打順が回ってくるとスタンドは一斉に大きな応援になり、ファンの期待の大きさを一瞬で感じた。何となく「華」のあったその選手が頭の片隅にその後残っていた私は、彼が2005年にメジャー昇格し、テキサス・レンジャースでデビューした時はまるで親戚の叔父さんのように喜んだものだ。
それまで実はマイナーリーグの野球を見たことは一度もなかったのだが、そのサヴァンナの一件以来、機会があれば注目するようになった。なぜかと言えば「心地良い」から。メジャーリーグとは全く違う雰囲気。もちろん粗削りで成長過程の選手ばかりだけど、いつか大きなフィールドで大勢のファンの前でプレイすることを夢見る若い選手たちは本当に躍動感に溢れていた。スタンドに足を運ぶファンもどことなく家族のような雰囲気を漂わせ、時には選手をからかいながら応援に熱を注ぐ。使い古された表現かもしれないけど “American Pastime” を肌で感じたのはこの時が最初だった。あの時感じた心地良さは今でもはっきり憶えている。

さて今日の話題は Jason ではなく、あくまでもルート66。ルート66と密接に関係する野球のお話。
シカゴからサンタモニカまでの長い道、その街道沿いの街々には数多くのメジャー球団、マイナー球団が存在する。2015年、ミズーリ州ジョプリンの街に新しいチームがやってきた。アメリカ独立リーグ AA に所属する「 ジョプリン・ブラスターズ」だ。

ロゴがダサいとか言わないように。鉱業で発展した街ならではのデザインだ(笑)
8州に渡るルート66の中で、ミズーリ州は私は大好きな州の一つ、取り分けジョプリンとその近隣カ―セイジという街は飛び切りのお薦めだ。そんなジョプリンに野球チームが来たのだから嬉しくないはずがない。
マイナーリーグはメジャーリーグより試合数が少ないのでシーズン期間は当然短い。2015年、2016年と、ちょうどジョプリンに行く機会があった時はいずれもシーズンオフ、またはアウェイ試合の時だった。
マイナーチームの多くはスタジアムに比較的簡単に入れる。観戦じゃないよ、グラウンドに、ってこと。一応柵はあるものの、ぐるっと回れば柵のない場所もチラホラあり「どうぞご自由に」的な雰囲気を勝手に感じてはチャンスがあればグラウンドを歩き回ったり、ベンチに座って眺めてみたりする。

とは言え、不法侵入でポリスを呼ばれても困るので、一応スタンドの横にある小さな簡易事務所のおばちゃんに挨拶して「入っていい?」と聞く。
試合のない時にわざわざ来る奴なんて滅多にいないのだろう、「ああ、好きにしな」と、笑顔で歓迎してくれる。
外野のフィールドを歩き、ラインに沿ってホームベースへ、そのままベンチに下がってみて、ベンチから見る試合を想像してみる。「フィールド・オブ・ドリームス」の世界そのものだ。あー楽しい。
そしてベンチ横の通用口からスタンドに移りフィールド全体をパシャリ。


「2017年ジョプリン・ブラスターズはプレイしない。」地元メディアにそう載ったのは昨年の秋。1年目は55勝45敗、2年目は36勝64敗と大幅に勝ち星を減らし、財政困窮に陥った挙句、球団と街との関係が良くなかったのが原因ということだ。
そう、こんなに楽しみにし、ジャージもホーム、アウェイと両方用意し、いつの日か応援に行ける機会を楽しみにしていた夢は儚く散ったのだ!
私は実は一度もブラスターズの試合を見ていない。三度もスタジアムに行ってるのに。。。人生そんなものだよね、と言うには悲し過ぎると思わない?(笑)

あ、そうそう、冒頭に紹介した Jason、2008年~2009年日本の日ハムでプレイしたらしい。流石にそこは知らなかったなぁ。
YouTube でこんな映像を見つけたので最後にご紹介。

 

伝説のタトゥーマン

 

オクラホマ州バートルズヴィル。タルサから約30キロ、もう少し北へ行けばカンザス州とのボーダーにある、人口約35,000人の素敵な郊外の街に彼は住んでいる。
“Tattoo Man of Route 66” ‐ ルート66の世界で彼の存在を知らない人はいない。生きる「伝説」だ。彼の身体に100以上のタトゥー、そう刺青が彫ってある。足の指先から、腕、胸、腹、背中、そう文字通り身体中に。最近は場所が無くなってきて困っていて、とうとう髪の毛を剃って頭にそのスペースを求めている。
最初に彫り始めてから約18年、使ったお金はUSD$20,000 ドル(約230万円)を下らないそうだ。彫り師は数人いるそうだけど、カンザスの Gypsy というアーチストがそのうち一番多く、30 近く担当しているとか。


そして更にカッコイイのが彼の愛車、1956年製 Chevy。赤、青、白のアメリカ国旗三色で統一された何とも言えない輝きを放つ彼の相棒は遠くからでも一目で彼が来たと分かる。初めてタルサで会った時もそれでやって来てくれた。

そんなタトゥーマン、(本名は Ron Jones )Ron がある日こんなことを言って来た。

「なあトシ、お前のルート66に対する愛情と熱意に敬意を表してお前の名前を彫るから漢字で名前を書いて送ってこいよ」

はあ?一瞬どころか、二瞬も三瞬も耳を疑ったよ。
「俺の名前を彫るって?正気かいロン?」、こうとしか言えない(笑)
どうやら本気らしいので取りあえずそれから自分の名前を漢字で書いて送った。
それから1か月ぐらい経ったろうか。Ron の右の乳房の上に彫られた私の名前の写真が送られてきた。

2015年10月、イリノイ州エドワーズビルにて

この時の感動は今でも忘れないけど、その嬉しさをどんな言葉で表現していいのか困ったことが一番の思い出かもしれない(笑)
彼が一番最初に彫ったルート66のシールドから始まって、モーテル、ダイナー、Cars のキャラクター等様々な著名なアイコンやネオンがぎっしり詰まったその「身体」に一緒に入れて貰えるなんて!しかも同じ日本人でその時 Ron の身体に彫ってあったのは私の敬愛するルート66の大先輩、竹内章夫氏だけだ。(その後ラスベガス在住の素敵な写真家 Ken Kanazawa 氏も刺青のお仲間に)

Ron に後悔させないよう、今まで以上にしっかりルート66と向き合って、出来る限りのお手伝いをして行かなきゃね!

これはまた別の投稿で触れたいけど、同じく私達共通の友人に「The Road Crew」というルート66を中心に活躍する素晴らしいバンドがある。その彼らが昨年リリースしたアルバムに Ron に敬意を表して一曲書いているんだ。

今日の最後はそのナンバーを YouTube で。勿論ご本人達、登場です 🎶

 

 

 

Award Winning “Hell or High Water” & Route 66

そこまで映画の話をするのが好きなわけではないんだけど、旬の話題なのでご勘弁を(笑)
昨日?だったのかな、アカデミーかオスカーかグラミーか、良く分からないんだけど(筆者はその手のものが大嫌いなので)発表にミスがあってネットニュースが随分騒いでたよね。その賞の一つに選ばれていたらしいんだけど、 “Hell or High Water” 皆さんはもうご覧になったかな?


その映画、撮影された場所のクレジットがトゥクムキャリ、モリアルティ、そしてアルバカーキ、とニューメキシコ州のルート66とドンぴしゃり!私の大好きな俳優さんの一人、Jeff Bridge 氏も素敵な演技を見せてました。

内容についてはネタバレになるから割愛。Hell or High Water は映画批評サイト、Rotten Tomatoes でも98%の 「Fresh 評価」を獲得してましたし、興業収入でも大成功になりました。
ただこの作品、元々予算は非常に低かったようでUS$ 1200万ドル強しかなかったらしいんだけど、積極世界中での興業成績は何とUS$ 3100万ドル!だそうですよ。
話の中では場所はテキサス州西部だけど、実際に撮影されたのはニューメキシコ州。同州はかなり寛大な映画税額控除プログラムがあると聞いているので、それが大きな理由になっていることはきっと間違いない。2015年の春に実際の撮影が始まった時、撮影場所は(Comancheria とリストされたけど)トゥクムキャリだったそうで、同街のルート66 のアイコン、Tee Pee Curios とRockin’ Ys’ Roadhouse を俳優さんたちが訪れたそう。

その他では、Portales(ポルタレス)、Clovis(クロヴィス)、それにEstancia(エスタンシア)等の小さい街々でも撮影が行われたらしい。

ディズニー作品の “CARS” のように、どうせならもっとルート66を盛り上げる材料に使ってくれればいいのにね。でも全く関係のないスクリーンで見るルート66は本当にワクワクするもんだよ。

では最後に恒例?、予告編の掲載です。



 

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