ほんの数か月前、今毎月Zoom配信している「ルート66妄想ツアー」イリノイ州編で、シカゴのダウンタウンを走るアダムス通りの橋が(工事のため)しばらく全線通行不可能になるから注意、と話をしたのだけど、早速そのアップデートがシカゴを基点に活動する、ルート66のエキスパート、David Clark 氏からのアップデートが掲載された。

これは、Jane Byrne Interchange のために撮影したものらしく、Kennedy Expressway に架かる Adams Street Bridge を解体している様子を捕らえたもの。全体の解体作業は1か月足らずで終わったんだって(アメリカらしくないスピーディな?作業だねw)
あ、Jane Byrne Interchange とは、巨大な高速道路のサークル状になっているもので、今のルート66であるアダムス通りを西へ向かって走って行くとインターステート90号線にぶち当たるんだけど、そこから南へ数ブロック下がったところに大きな「高速道路の交差点」と想像して貰えればいいかな。インターステート90、94、そして 290号線が一堂に出くわす姿はまさに多くの旅行者が想像する「アメリカ」の景色だ。

アダムス通りの話題が出れば、ルート66の起点の話をしないわけにはいかない。何をいまさら!と思った貴方は、中々のルート66通。先日の、ルート66の歴史の講義でも勿論取り上げたが、その後幾つかメールでお問合せを頂戴したので、ここでもう一回復習しておこう。

シカゴはルート66の始まりか、終わりか?これはいつも必ず聞かれる定番の議題だ。様々な意見や検証があるが、私はシカゴをいつも「出発点」と考えている。なぜなら昔人々はシカゴから新しい生活や仕事、または休暇を求めて「西へ」移動したからである。アメリカ開拓史は東から西だ。

ルート66の前身は Pontiac Trail(ポンティアック・トレイル)だ。1893年にアメリカで初めてガソリンエンジン車が誕生し、1902年にシカゴにてAAA(アメリカ自動車協会)が結成される20世紀初頭、同年に補発足した National Good Road Association に代表されるよう、自動車の利用拡大に伴って「まともな」道路の要求が高まった。そこで1915年に登場したのがポンティアック・トレイル、シカゴとセントルイスを結ぶために造られた表面の堅固な道路だったわけ。

ここからもルート66の前身だって通る街を見れば一目瞭然だよね。
ただ問題になったのはお金。もともと民間企業によって造られたので資源は限られていて、その負担を背負う必要があったのは当然?イリノイ州だったわけだ。そしてこの事実が州の道路としての Route 4 (州内幹線道路)となる。なので、1928年に発行された下の地図を見てもらえれば、ルート66がルート4と同一に記載されているのが分かる

ではルート66の出発点は?という話の流れになるのが自然だよね(笑)
これには諸説あるのだけど、現状一番支持が多いのは、本当の出発点はJackson と Michigan Ave の交差点、「Historic Route 66 “End” Sign」と書かれている場所だ。ほら、やっぱり”End” なんじゃん!((´∀`))ケラケラ
だけど実はそれ、交通規則の便宜上のことだ。下の地図は現在のシカゴ・ダウンタウン。地図のほぼ中央、Jackson Drive は東向きの一方通行、その1本上(北)が、Adams Street なのだが、これは逆に西へ向かっての一方通行だ。当時はこのように一方通行でなく、Jackson Drive も両通だった。1957年に Jackson Drive は一方通行に変更されたので、それ以来西へ向かう Adams Street の方が”BEGIN”、そして Jackson Drive の方は “End” サインとなったというわけ。

また、1956年の Shell Oil Company による道路地図(下記参照)では、Jackson Drive を更に東伸ばし、現 Lake Shore Blvd と言われるアウター・ドライブと交差しており、赤の矢印でルート66の起点が記されてもいる。
歴史とはかくも面白いものだ。

From David Rumsey Collection

おっと、そう言えば橋のアップデートがまだだった。タイムラプスでの面白い映像、ご覧あれ!

出来上がりまではまだ暫くかかりそうだけど、どんな橋に仕上がるのか、今からとても楽しみだ。
あ、忘れてたけど、David のホームページはこちら ⇩
https://www.windycityroadwarrior.com/
興味のある人は是非。