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オジサン二人のルート66旅⑤ (最終回)イリノイ帰路編

さて、ミズーリ州を爆走して最終シカゴへの帰路。再度セントルイスに宿をとることも考えたが、都会の費用はどうにも高い。
アメリカのホテルは部屋単位の料金制なので、二人で宿泊すれば安上がりに済むが、一人で泊まるとなるとただ単に寝床を確保するという意味では無駄なお金がかかるだけだ。
なので、セントルイスから北に更に60㍄ほど、小 1時間頑張って夜のドライブをし、Litchfield (リッチフィールド)の街で休むことにした。
懸命な読者の皆さんなら、あ!アリストン・カフェのある街だ!とお気付きだろう。残念ながら営業中には到着できなかったが・・・

リッチフィールドのカフェ前通り

翌朝、早いうちから朝飯を食べてさっさと帰路を走ることに。
上手く行けば午後のホワイトソックス対カブスのシカゴ・ダービーが見れるかも?とこの時はまだ考えていたわけで 💦

惜しい。実に惜しい。なぜ一文字足りないのだ。
「H」さえ入っていれば、友人皆に「オレ、店をオープンしたんだよね~」と自慢できるんだけど 😂

この TOSI、苗字か名前かは分からないが、ちょっとリサーチしてみたら、実際世界何か国かで存在するようで、最も多く使われているのが何と、イタリアのようだ。その中でもサンマリノ共和国ではそれなりに存在するらしい(サンマリノは正確にはイタリアではないが)。
因みに「トシ」の姓名が最初に認識されたのは、トスカーナ州ピサ県の県庁所在地であるピサだそうだ。でもイタリアでこの綴りとなると、何となくイメージはシチリアであったり、カンパーニャ、プーリア、又はカラブリア州等の南部であったり・・・ピサかあ。

ま、余談はさておき、私はどこへ行こうが、朝食べるものは特に変わらない。これが人間の習慣というものだろうか(単に自身の好みを人間と大きな括りで言ってみた)。

早朝のせいか、人はまだおらず。値段が安いのが、このインフレ時期には嬉しい。ゆっくり、安く、普通に美味しい朝ごはんを希望する方、おススメ 👍

さて朝食後は、I-55 をそのまま北上すれば、スプリングフィールド、と手っ取り早いが、せっかく遥々やって来たイリノイ州。それではイリノイ・ルート66を走ったとは言えない。
ということで、少し北へ走ってから、州道3号線を西方面へに横断して、イリノイ州道4号線へと向かう。ひたすらこういう道を行くのだが、この4号線にはルート66の歴史を彩った街が多く点在する。

US-4 Illinois

最初にストップしたのは Carlinville(カーリンヴィル)という街。州道4号線を街に向かって走れば、ダウンタウンから南東にちょっと行ったところ、つまりはダウンタウンに入る前の通り沿い、左手に出て来るのがCarlinvilla Motel という中々キュートな感じのするモーテルだ。
残念ながら行程の都合上、このモーテルに泊まる機会は滅多になく、もう十年以上前に一度お世話になったきりである。
仲間うちからもとても人気のあるモーテルと聞いているので、経営が傾くことはないだろう。時間的にあまり車は停まっていなかったが、モーテル内部のフロアには何人か見かけた。ゆっくり寛いでいたようなので、内部の写真は遠慮。今回は外観だけで。

代わってダウンタウン「パブリックスクエア」と呼ばれる街の中心部はこんな感じ。ラウンドアバウトの周りには必要なお店が並ぶが、ゆっくり流れる時間がいかにも週末らしい。

Carlinville Downtown Public Square

今回は立ち寄る機会がなかったので特に触れていないが、昨晩の宿泊地はリッチフィールド。リッチフィールドと言えば、アリストン・カフェ、というのは先ほども書いたが、そのアリストン・カフェが営業を開始したのはリッチフィールドではなく、このカーリンヴィルだ。
ルート66の宝物の一つであるそのレストランの歴史はこのパブリックスクエアの一角にて始まった。そのことをきちんと記したサインがこちら ↓

アリストン・カフェの前オーナーであり、とても仲良くしてもらった Nick のお父様、Pete Adam 氏の名前がしっかり刻まれている。
うんうん、歴史を感じるなあ~と再度物思いにふけってスクエアでしばらく座ってみた😚

おっと!だいぶ時間が過ぎてしまった。
これでは MLB シカゴ・ダービーは間に合わない!が、やはりベースボールが大好きとは言え、ルート66のアイコンをすっ飛ばして行くわけにはいかない。複雑な心境のところ、実はこの後がこのルートのハイライト 🤩 の一つ。「13-star Flag Barn」で有名な、「ただの納屋?」だ。
カーリンヴィルを出て次の街、Nilwood に向かう途中、左手に現れる。

これね、アメリカ合衆国建国時の 13の★が入った最初の国旗。もちろんその当時に描かれたものではないにしろ、中々他では見ないとても貴重な白物である。最初に見たときからすっかり心を奪われ、通る機会がある度に無くなっていないか「生存確認」をする習慣がついている。

この星条旗、東向きに描かれているので、午前中に来ないとしっかり上手く写真が撮れないんだ。プロのフォトグラファーさんらは問題ないのかもしれないが、私のような素人には逆光はキツイ。だから午後にならないように注意してるのだよ。今回はしっかり午前中、大満足である。

大満足である、はいいが、この時点でまだここか~ 💦
昼前ではあるが、昼にスプリングフィールドにすら着いていないとやっぱり野球は無理か、とこの時点ですっかり諦める。仕方ない 😵‍💫

その後は、Girard、Virden、Auburn と、アイコニックな街を通りながら、一気に 80㍄を爆走、1時間超のノンストップで、アトランタへ。

アトランタの街を走るルート66は、I-55 号線の一本西をほぼインターステートに沿って走る。ダウンタウンの東端をぐるっと行くイメージであるが、いわゆるダウンタウンというのは Arch Street、そしてその隣の Church Street の2本ぐらい。街のアイコンである、Paul Bunyon の像が建つのは、前者、こんな風景だ。

週末とあてか、ダウンタウン内に殆ど人の影が見当たらない。最近復活したと聞いた Palm Grill も活気はない。。。

さて、その街のアイコンである Paul Bunyon、「バニヨン・ジャイアント」だが、前回街を通ったときは確か夜だったので、明るい陽の元でそのお姿を見ることができなかったが、今回はしっかり。
さすがに 19ft (約6㍍)もあると大きい。この像は元々シカゴに程近い、Cicero(シセロ)という街のホットドック屋さんの前に宣伝用として建てられたものだが、2002年、その店が閉店するにあたって、アトランタへ引っ越してきた。このグラスファイバー製の Bunyon 像については、以前 Gemini Giant の話をした時に詳しく書いたので詳細は省略するが、このアトランタにある像を含め、イリノイ・ルート66には合計3体あるので、興味のある人は是非追いかけて頂きたい 👍

そのバニヨン・ジャイアントの建つすぐ南側には、ルート66パークが。ちょっと遠めで恐縮だけど、写真奥の時計台は 1909年に建てられた年代もの。高さ 36ft (約 11㍍)の塔は「セス・トーマス8日時計」と呼ばれるが、それは8日毎に手巻きをしなければならないからである。

おっと、そんな話をしたかったのではなくて、今回アトランタに立ち寄ったのは、最近SNS上で知り合いになった、アトランタ観光局の代表、Whitney に会うためである。が、週末だし、こんなに街に人がいないんじゃ、観光局は開いているんだろうか。

やはり!やはり、である。観光局の入り口は真っ暗で鍵がかかっている。
「ま、仕方ないか」と、一旦はあきらめたのだが、街中で唯一オープンしていた Arch Street Artisans という骨董品やアート作品を扱うお土産屋さんに入ってみた。
店内にはお店番?の女性が一人座っているだけだったが、何やらお電話中だったので店の中をぐるっと見ながら通話が終わるのを待つ。

「こんにちは、何かお探し?」
「ああ、どうも。いや、特に何かってことはないんだけど。そこの観光局って今日はお休みだよね」
「そうよ。何か私で分かることであれば」
「実は Whitney って人に会いに来たんだけど、やっていないんじゃ仕方ないね」
「そうなの?Whitney ならきっとイベント会場にいるわよ。さっき見たから。」
「え?イベント?どこで何の?」
「ここからフリーウェイの方へ走ったら Dairy Queen のお店があるけど、分かるかしら」
「ああ、知ってますよ」
「あら、すぐわかるなんて唯の旅行者じゃなさそうね(笑)、今日はそこでクラシックカーの展示イベントがあって、観光局主催だがら彼女はずっとそこにいるはず。行けば絶対会えるわ」
「そうかい、助かった。ありがとう!」
と、こんなやり取りの後、お礼を言って会場へと向かった。

おお、やってる。やってる。全部で30台ぐらいは余裕であっただろうか。
カラフルな車が青空駐車場一面に並んでいた。

で、そこのスタッフに聞いて会えたのが、Whitney Ortiz さん!
元気いっぱいの、如何にも観光局の人!という感じが気持ち良い。
長居はできなかったが、とにかく会えてよかった 😊
今回のテーマである「人に会う旅」が、また一つ実現した。

ルート66を走れば次の目的地は当然?Funks Grove ということになるのだが、今日はホリディウィークエンドの日曜日、友人 Debbie は不在と聞いていたので、Maple Syrup もすでに買い終わったので今回はスキップ。
ということで、Normal の街まで飛ばした。

Normal での滞在は、Sprague Super Service Station に寄って Terri に会うことだけだ。イリノイ州ルート66界では、2015年より「Miles of Possibility」というアカデミックなルート66イベントを開催しており、昨年2021年、パンデミックの中、バーチャル・カンファレンスが開催されたのだが、そこで登壇させてもらい、諸外国から見たルート66と米国文化ということで、日本を代表をして少しお話をする機会を頂戴した。
詳細はこちら!
https://www.toshi66.com/2021-10-26/

で、その登壇に関して声をかけてくれたのが、イベント主催者の一人である Terri だったというわけ。なので、あれから一年が過ぎてしまったが、直接フィードバックを頂く良い機会だと思い、今回ぜひ会いたかった友人の一人だ。

元々教育者であった彼女は相変わらず凛としながらも、優しい笑顔で迎えてくれた。イベントも今年は第 7回目、2022年はまた対面形式に戻るようだ。お仕事の邪魔かなとも思いつつ、お客さんが来るまでしばらく時間を頂き談笑。また何かお手伝いできればこの上ない幸せだ。

さてさて、今日の話は長めだが、もうこの時点では MLB がどうの、という話ではなく、夜までにシカゴ帰れるかな、というレベルになってきた 💦
陽が落ちるまでにもう2か所、寄って行きたいのだ。

これは「Memory Lane」、追憶の路とでも言おうか。中々詩人じゃないか、ミーも 😚
現在は散歩用のトレイルとして活用されている、正真正銘の1926年に開通されたときの、1 ㍄に渡るオリジナル・ルート66 である。
もちろん道路は一部舗装されたいる所もあるが、大部分がオリジナルのそれであり、我々愛好家には堪らない場所の一つなのだ。
と言いながら、実はあまり頻繁に来れていないのも事実。旅程上スキップしてしまう場合も決して少なくなく、前回来てからは10年近く経つのではなかろうか・・・

古い標識が所々に現れる趣向も何とも言えない。

今回は車を完全に脇に停め、少し時間を取ってゆっくり散歩してみた。
ベンチに座ってこの旧道に思いを馳せると、この夢のハイウェイを旅した人たちの微かな囁きが聞こえてきそうである。

ということで、本日最後の訪問地は、Joliet (ジョリエット)にある、Rich & Cremy、アイスクリーム屋さん。
残念ながら?着いた時はもう夕方 5時をすっかり回っていたので、街のハイライトである、ジョリエット旧刑務所も、ジョリエット地域歴史博物館もすっかり閉店。まあ、この辺りのものはいつも来ているので仕方ない、と嘯いて、お腹も空いているから腹ごしらえに一直線。

この店ってさ、いつも混んでるんだよね。今まで来たときに店の前にお客の行列が無かった時は無いから。
で、これが大体2回に1回の割合で注文する、Banana Split 🤩
こういうところで食べるアイスクリームは本当に美味しいよね!

さあ、シカゴまで残りは 40㍄、小 1時間ぐらいかな。もうひとっ走りだっ!(オジサン二人のルート66旅 終)

オジサン二人のルート66旅②イリノイ編

さて、イマイチ曇天で始まったイリノイの旅。ルート66初体験の健さんには一つでも多く観光スポットを見せてあげたのだが、実際はそう悠長なことも言ってられない。なぜか?そう、今晩 19時10分から始まるセントルイスでのMLB観戦があるからだ😂 「野球とルート66、どっちが重要なんだ!」と突っ込まれるかもしれないが、何せ対戦カードは、カージナルス対ブリュワーズ、ナショナル・リーグ中部地区を引っ張る両チームのガチンコ対決だ。し・か・も、しかもだ、今シーズン後の引退を表明しているアルバート・プホルズ選手の雄姿を生で観るのはひょっとしたら今回が最期になるかもしれない。どちらが重要、という単純な話ではないのである。
そんなこと書いてる間にまずはウィルミントン。

最初にご案内するのは、併設するドライブイン “Launching Pad” に立つ、高さ約 30フィート(約 9m)の「マフラーマン」だ。今更細かく説明する必要はないだろうが、このレストランの前身である Dari-Delight の経営者が1960年にこのグラスファイバー製のフィギュアを $3,500 で購入して以来、この地のトレード・マークとなっているものだ。「ああ、本当にあるんだ」と、ポロっと言った彼の一言に自分が初めてみた時のことを思い出した。

とは言え、「文句」とまではいかないが、このお店とは今まで(今日を含む)自分はあまり相性が良くないのだ。理由は私がお店の営業時間に来ないから。(これじゃあほぼ言いがかり 😂)
遡ること数年、2017年10月に現在のオーナー、Holly Baker さんと、Tully Garrett 氏がこの場所を買うまで、10年間近く閉鎖されていたこと、それに再開した2019年以降は、パンデミックのおかげで旅ができなかったこと、の 2点が主な理由であるが、(小声で言うと)開店が10時半と遅く?シカゴをまずまずの時間に出る旅のスケジュールではキツイのである 💀

なので、新しいオーナーさんとは SNS でやり取りはしているものの、未だお会いできていない。次回以降の宿題である。

そして次は更に車で10分ほど行った Braidwood の “Polk-a-dot Drive In” 。さほど重要な観光スポットではないが(ごめんなさい😵‍💫)通り沿いにあるのでお連れする。

そんなこんなで遂にポンティアック。何時に誰と待ち合わせがあろうと、イリノイ・ルート66を体験してもらうにあたって、ここをすっ飛ばすわけにはいかない。

健さんが事前に入手した「ルート66 パスポート」にスタンプを押してもらう必要があるみたいなので、外観だけでなく、きっちり博物館の中もみていただいた。

この博物館(イリノイ・ルート66 殿堂博物館)のハイライトは何といってもルート66を代表する希代のアーチスト、Bob Waldmire 氏の功績や実際に使用していたものを数多く展示している「ウォルドマイヤー・エクスペリエンス」だろうか。博物館2階にあり、ウォルドマイヤー氏の芸術的、精神的成長をたどるものだ。
1階には彼の有名な フォルクスワーゲンのバンと、そして博物館の裏手には1966年に改装されたスクールバス、通称 「ロードヨット 」が常時展示されている。

そして個人的にとても好きな、博物館の向かいの壁に描かれた ”Waldmire Memorial” (ウォルドマイヤー・メモリアル)と呼ばれる壁画。ルート66の全長にわたる地図が描かれているんだけど、この壁画の長さ、何と 66フィート! 芸が細かい 🤣

という博物館見学の話に加え、今回もう一つ嬉しいことがあった。博物館内にはお土産屋さんがあるのだが、そこに販売員さん?マネージャーさん?として座っていた女性に見覚えがあった。どこで会ったのか、名前も思い出せないまま、(ナンパじゃないぞ!)「私ら知りあいですよね?」と簡単な自己紹介がてら聞いてみる。と、やはり「知り合い」だった!
その名も Joyce Harbin Cole さん。「そうだ、ジョイスだ!」どこで顔を合わせたかは未だ不明だが(笑)きっとルート66の何かの集まりだろう。SNS でも繋がっている彼女がまさか、このショップ(Home Again on Route 66)のオーナーさんだったとは 😊
ちゃっかり記念撮影。予定していなかった友人に偶然会えるのは嬉しいことだね!

ジョイスと彼女のお店内で

おっと、そんなこんなで時間が過ぎている。余裕ブッコいてると 14時のスプリングフィールドでの約束に間に合わないぞ。

時刻はやっぱり14時を回ったところ。少し遅れると途中からメッセージをしたが、待たせて申し訳なかった。Cozy Dog に到着だ!今となっては忘れてしまったが、道中どこかで少しポツポツ降ってる場所はあったものの、スプリングに着いたことにはすっかり雨上がり状態に。

皆さん、ご紹介しましょう。スプリングフィールド在住のルート66仲間、Penny Black さんだ。Penny に初めて会ったのは確か 2015年のイリノイ州でのルート66 カンファレンス。Penny はいつも優しく気遣いながら接してくれる。今では良い友人になった多くの人たちに一堂に会えた素晴らしい機会だった。

お店の中はしばらく来なくても何も変わっちゃいない。素敵 😊

お互いの近況を交えながら健さんを紹介。冒頭から「健さん」と書いているが、「ケン」ではない。「タテシ」なのだ。健と書いてタテシと読む。人生初めてのパターンに最初は驚いた(笑)
そのタテシからとって、ご本人は非日本人への自己紹介は「ター」という名前で通している。この旅がきっかけでルート66の多くの人々に「ター」が可愛がってもらえることを祈るばかりだ 👌

あ、そうそう。ここの Cozy Dog Drive In について。このお店の看板商品は何と言ってもコーン・ドッグだ。コーン・ドッグとは何ぞや?という方のためにちょっとだけ説明すると、棒状のソーセージ(要はホットドッグ)をコーンミールの衣で厚く覆って揚げたもの。アメリカ発祥の 100%生粋のアメリカ料理だ。Penny が実際にご馳走してくれたものがこちら。

コーン・ドッグが最初に売られたのは 1946年。今のこの場所は何と 1949年から営業中だ。お店を始めたのは先ほど紹介した Bob さんのご両親。現在のオーナーさんはお孫さんの ジョッシュ・ウォルドマイヤー氏だ。

最後はお約束のツーショット。また近いうちの再開を約束して次の目的地へ急ぐ。

次の停車駅?は、スタントン。ウサギさんの沢山いる、Hare It Is のヘンリー・ラビット・ランチなのだが、時間に間に合うか。本当は Cozy Dog 以外にも健さんに見せたいところはスプリングフィールドに幾つかあるのだが、とにかく時間がない。許してくれ!

結果から言えば、途中メッセンジャーを通じて、オーナーのリッチとはやり取りしたのだが、彼は今晩早めに店仕舞をして行かなければならない所があるのだとか。頑張って運転したのだが、10分ほど間に合わなかった。
残念!彼に最後に会ったのは2018年。うーん、仕方ない。結構アメリカ人にウケの良い日本のお菓子をお土産に持ってきたので、外のクーラーボックスに置いておくことに。

時間は16時すぎ。セントルイスまではもう少しだが、時間に余裕ができたので、その手前の リヴィングストンという街で、一軒立ち寄ることにした。その名も「ピンク・エレファント・アンティーク・モール」、遠くから嫌でも?視界に入る奇抜なお店だ。ルート66とはそこまで関係のない店ではあるが、ルート66が街を通過していたこともあり、お店はそれなりにその部分を強調している。実際、私自身このお店には入ったことはないのだが、一つでも多くのスポットを健さんに体験してもらうため、入店することにした。

お店の外観はこんな感じだが、中は結構広い!ちょっと小ぶりな体育館、といった感じかな。アンティーク好きにはいいのかな?物がこんなに!😵

一通り歩き回ってみたら、目の縁に飛び込んできたのが「St Louis Cardinals Goods」という小さな看板。カージナルスのアイテムがアンティークって何だよ、と小馬鹿にしながら商品を見たら、何事も馬鹿にするもんじゃない。ごめんなさい、私の勉強不足でした。と言わんばかりの、お宝⚾🏆💵アイテムがっ!

子供のころから敬愛するレジェンドスラッガー、Mark McGwire 選手のセントルイス在籍時の簡易ジャージ発見 😍 しかも何とこれ、たったの 10ドル。喜んでいいのやら、悲しんでいいのやら。

気が付いたらジャージを握りしめてレジに並んでいたよ。

という慌ただしい一日は無事、18時前にはホテルにチェックインという予定通り?の行程で終了した。宿泊先からスタジアムまでは徒歩で10分。平日木曜日であったが、今週末はメモリアル・デー・ウィークエンド。ホテルは満室、街は多くのスタジアムに行く地元民と観光客でいっぱい。やはりセントルイスは都会だな。

ホテルの部屋の窓よりミシシッピ川一望
晴れ男の面目躍如!噴水の位置も大きく変わった公園。

お疲れ様!さあ、スタジアムへ行くぞ!


テキサス生まれのコンビニ、ルート66 進出へ💚

「テキサス州アマリロの東、ルート66にほど近い場所に、コンビニエンスストア “Buc-ee’s” の2号店が間もなく建設予定」

2日ほど前に、友人でありルート66日本アソシエーションへの良き協力者でもある、Ron Warnick 氏の運営する、Route 66 News にその文字が見えたときは思わず二度見してしまった!😳

え?マジで?2号店って、じゃあ1号店はどこ?
さすがに2年もアメリカの帰れていないと生の情報に疎くなるなぁ。と、インターネットで情報だけで情報を得るのは不十分だと実感する。
(ただ単にニュースの見落としだろ、という声もあるがw)

早速調べてみると、それはまだ今年 1月に発表されたばかりのニュースで、どうやらその 1号店とやらは、ミズーリ州スプリングフィールドに出来るようだ。「出来るようだ」そう、まだオープンしてるわけじゃない。
場所はスプリングフィールド市の北東、Mulroy Road とI-44の交差点あたりだって。
んなこと言われても!と思うだろうが、ミズーリ州スプリングフィールドは「ルート66生誕祭」の行われる街。このブログにお付き合いしてくれてるなら、そろそろ「あー、あそこね」と言えるぐらいになろう(笑)🤣

で、それはどこかと言えば街の北東、ほぼ街境と言っていいかもしれない。スプリングフィールドに隣接してるのはスタッフォードという小さな町だけど、そこからルート66をスプリングフィールドに向かって走ってくれば、スタッフォードを出て最初のI-44 と交差する道が Mulroy Road だ。着工は今年の終盤、1年~1年3か月程度の工期を経ての開業だとのこと。

おっと、今日のタイトルはテキサス州アマリロだったね。アマリロのロケーションはAirport 大通りと、I-40 のようで、ここはもう皆さんもよく知っている Big Texan Steak Ranch から東に約2マイル(約3キロ)あたりだそうだ。どちらもとても便利な立地。文字通り「コンビニエンスストア」ということだね!

と、ここまで来て気がついた。冒頭から Buc-ee’s ありきで話をしてきたけど、そもそも Buc-ee’s って何ぞや?って思ってる人もきっと少なくないよね?テキサス州をよく車で旅する人は知ってるかもしれないけど、実はこのBuc-ee’s 、元々テキサス州内のみで営業展開してた、ローカルのコンビニエンスストア+ガスステーションのチェーン。そして今年で記念すべき40周年を迎えるのだ!😎😎😎😎

では僭越ながらここで簡単に Buc-ee’s を紹介させて貰おう。
Buc-ee’sは、Don Wasek 氏とArch “Beaver” Aplin 氏の共同創業という形で、1982年にテキサス州クルートにオープン。その栄えある第 1号店舗は何と今でも営業中だ!(通常こういうチェーンの 1号店は無くなることも珍しくないのがアメリカ)

先にも書いたが、当初はテキサス州内のみでのチェーン店だったが、2017年あたりから州外への進出を試みるように。ルイジアナ州バトンルージュ、フロリダ州デイトナビーチ、そしてアラバマ州ボールドウィンなど、様々なロケーションでの着工が計画され、中には頓挫したもの、延期されたもの、等、幾つかの紆余曲折を経て、現在ではテキサス州、アラバマ州、ジョージア州、フロリダ州、コロラド州、ケンタッキー州、ミシシッピ州、テネシー州と、その勢力を拡大、合計40店舗を構えている「らしい。」(ごめん、正確な店舗数はわからない💦)

Alpin 氏@第1号店

さらには「コンビニエンスストア」と紹介してるけど、それは本人たちがそう言うのだから仕方ない。感じたままを正確に言えば、コンビニエンスストア+ガソリンスタンド+スーパーマーケット、ってな感じだろうか。本当に小さな店舗はコンビニほどのものから、大きな店舗は広大な敷地に、まるでウォルマートか Costco か、というようなものもあり、チェーンとしての統一感がないのも、また素晴らしいね。

小サイズのコンビニ

ところで、彼らのホームページには、2つの “WORLD RECORD”(世界記録)が掲載されている。一つ目は、店舗の大きさ自慢で、テキサス州ニューブラウンフェルスという街にある店舗は、何と66,335平方フィート!
日本の単位で言えば 約6,163㎡ だ。デ、デカい!カテゴリー?としては「トラベルセンター」に当たるらしく、2012年のオープンだ。まさに「世界最大のコンビニエンスストア」といったところだろうか。何しろその店舗には 120の給油ポンプ、1,000台の駐車スポット、64個の氷冷凍庫、83個?(単位はこれでいい?)のトイレ、31台のレジ、80 もの飲料水ディスペンサーがあるらしい。そんなお店の自慢は 「Cintas 社の選ぶ、2012年の “ベスト・レストルーム(トイレ)・イン・アメリカ” に選ばれたこと」と、訪れたときに従業員の兄ちゃんは誇らしげに話してくれたを思いだした 😆

この店舗に代表されるように、Buc-ee’s では、最近 “Travel Center”という位置づけの大型店が多いようだ。ただ多くの店舗は大都市から 1時間ほど離れた場所にあるから、ほとんどの場合、人が郊外に出かける際の最初か最後の休憩場所として利用する。トラベルセンターに偽りなし。ドライブ旅行のたびに Buc-ee’sに立ち寄る、という戦略的な意図は充分機能しているように感じる。付け加えると、ある統計では、テキサス州民の 1年間の州間高速道路走行距離が 550億マイル(約885億キロ)以上らしく、そこから見えてくるものは?そう、Buc-ee’sの店舗は四六時中、きっと満員だろう、ということだ。

Travel Center と言えば、ルート66沿いだと、ニューメキシコ州の “Russell’s” が取り分け有名だけど、一般的に私はこの Travel Center と呼ばれる休憩・給油所が大好きなのだ。たとえ必要が無くてもつい寄りたい衝動にかられてしまう。アメリカには、多分最大手であろう、”Travel Center of America” (通称 TA)が、フリーウェイ沿いあちこちに点在し、実際に立ち寄ったことがなくとも、少なくともその看板や宣伝ボードを目にしてる人は多いはずだ。

今日は Travel Center の紹介ではないけど、コンビニがあり、生活必需品から衣料や、簡単な電化製品の販売に加え、トイレ、シャワールーム、小映画館、レストラン(ダイナー)そしてガスステーションを持った、ある意味「大人の遊園地」で味わう嬉しさは言葉では表現できない。しかも、そんなお店が、今後ルート66を旅するときに出会えるようになるなんて!
大袈裟な言い方だけど、キャンピングカーであちこち旅をして、トラベルセンターに立ち寄れる人生があれば、もう他に欲しいものなんてないだろう 🤩

あっ!二つ目の話、忘れてる。それはテキサス州ケイティにある全長255ft (約70m)にも及ぶ、洗車のレーン、だそうだ。ここは軽くスルーしようっと。

とか何とか、偉そうに講釈してみたけど、私が実際に訪れたことのある Buc-ee’s は、記憶では多分 4又は 5店舗程度だと思う。まだまだ修行は足りないね。Buc-ee’s が未だルート66上に存在しない以上、中々レポートする機会はないけど、スプリングフィールドそしてアマリロの両店舗が開いたときには是非詳細を皆さんにお伝えしようと思う。

そうそう、記事ではアマリロ店、3,000万ドル(約34億円)ほどかけて造られる Travel Center らしく、53,000平方フィート(約4,924㎡)規模のものだって。素敵なサイズ感だけに超期待!😍

最後に!ちょうど YouTube に 「世界最大の」Buc-ee’s を伝えてる3分ちょいの映像があったのでご紹介。

Andrea と Bagdad Café を救おう!

私達、ルート66アソシエーション日本支部の良き友人であり、パートナーである California Historic Route 66 の Tereさんから悲しいお知らせが入ってきた。

皆さんもよく知っているカリフォルア州ニューベリースプリングスにある「Bagdad Café」のオーナーの、Andrea Pruett さんのご自宅が火事に見舞われてしまいました😭
火事の原因は現在も調査中とのことだが、アンドレアさんを始め皆さん無事だとのこと。(そこだけは本当に良かった!)

Andrea さん

火事は全てものを奪って行く上、パンデミックの影響で州や国の設定した店舗閉鎖に加え、お客さんの多くを海外旅行者に依存しているお店の経営状況はかなり悪化していると聞いた。

そこでルート66・カリフォルア・アソシエーションは Sherry Rogaisho さんの発案でアンドレアさんの自宅とビジネスの再建を支援することを目的に Go Fund Me を立ち上げた。

支援を希望する方は是非以下のサイトでお願いします!🙏
https://www.gofundme.com/f/help-andrea-pruitt-rebuild-her-life-after-fire?utm_campaign=p_cp_display&utm_medium=copy_link&utm_source=customer



Old Riverton Store, Kansas Route 66

ルート66の今、を知るに実に便利なウェブサイトがある。ルート66ファンなら誰もが知っているであろう Route66News.com だ。
https://www.route66news.com/
サイト運営者である Ron Warnick 氏には、私もその運営に携わっているルート66日本アソシエーションへも多大なサポートを頂戴している。
先週そんなサイトを通じて衝撃的なニュースが飛び込んできた。
何とカンザス州ルート66のアイコン、Old Riverton Store に現地12月16日午前10時ごろ、銃を持った男が強盗に押し入ったと言うではないか。
最初何を自分で読んだか理解できず、二度見してしまった。

結果から言えば事件発生から6時間後、犯人は郡保安官と州警察によって迅速に逮捕され、店の中の人たち、そして警察側にも何も被害もなく事件は終了したとのことだ。

カンザス州を通るルート66はたったの11マイル(約18キロ)だが、Galena、Riverton、そして Baxter Springs と個性的な素敵な街が3つも沿道に存在する。ルート66全8州でも私の好きな州の一つだ。そんなリバートンにこの Old Riverton Store が建ったのは何と1925年、まだルート66が正式に開通する前だ。お店は Leo Williams 氏によって始められ、その後1973年にJoe と Isabella の Eisler 夫妻が事業を買収した。(現在でも Eisler Brothers Co. という名前が残っている)
彼らの甥っ子である Scott Nelson 氏は、彼がまだ10代の頃からここでアルバイトをしていたそうだ。そして2011年になって Scott はこのお店を購入、現在もオーナーとして毎日お店で地元の人たちの良き友人であり続けている。

Scott Nelson

Scott と初めて話をしたのが2015年3月。ルート66では抜群に美味いローストビーフサンドウィッチを提供する店と聞いて訪れた。噂は全く持って正しく、注文後そこで作ってくれるシンプルだが暖かい味のするサンドウィッチは旅中の胃袋にはとても優しい。

現在 Old Riverton Store は食料品、農産物、花、デリ、肉やチーズ、そして生活必需品の販売に、ルート66のギフトショップとして記念品や地元の手工芸品も販売。隠れたギフトショップの名店でもあるのだ。

心優しい Scott は初めて会った時の写真を送ったら、お店の商品棚にこっそり飾っていてくれた。

事件翌日18日から私は何度か Scott に連絡を試みたが、お店の電話は繋がらず、一回繋がった時は従業員だろうか、「今日は Scott はもう帰ったわ」とのことだった。
やっと彼と話しが出来たのが、20日。彼の元気な声が聞こえた時思わず胸が熱くなった。事件の話を聞き心配して連絡を取り続けていたことを伝えると、いつもの明るい声で「トシ、ありがとう。大丈夫、元気だよ」と笑っている。聞くと40年ほど前にも同じような事件があったと言う。まだ子供だったらしいが、決して良い気分じゃないと。(それは当たり前だ)
「まあ、ここで(アメリカ)商売をしてりゃこういうこともある。前回は40年前だったから、次回はまた40年後、そん時は俺はいないから!」とジョークを飛ばしていた。

アメリカは銃社会だ。大人になって過去犯罪歴がなければ、街のスポーツ店で簡単に銃が手に入る。子供も訪れる量販店ウォルマートですら、銃のコーナーが平気でCDを売っている棚の横に並ぶ。
私も約30年に渡ってアメリカに住んだ。銃を持ったことは一度もないが、HOLD UPに遭遇したことはある。銃を廃止しろ!と訴える人々も多いが、銃の所持はアメリカ国家で認められた市民の権利の一つである。
問題は簡単に解決できない。

Old Riverton Store

終わりなき Bozo 少年の夢

ルート66を旅する者の朝は早い。
素晴らしい朝日を撮影するには、未だ暗いうちから目をこすりながら睡魔と戦うのは日常茶飯事だ。
朝食はダイナーで6時半、いや6時からだって平気でとれるが、前日お土産やグッズを買いそびれた時は結構焦るものだったりする。
そんなトラベラーフレンドリーな場所が、ニューメキシコ州サンタ・ローザにある。「Route 66 Auto Museum」が、それだ。
何と毎朝7:30 よりオープン。それも7 Daysだから助かること甚だしい。
私の何度かその恩恵を受けている一人だ。

1980年、James ”Bozo” Cordova 氏と彼の奥様、Annaは Bozo’s Garageを開業。優秀なメカニックであったBozoは、ルート66を旅する旅行者のために修理やレッカーサービス等を提供し始める。
もともとクラシックカーが大好きだったBozo はいつか自分の趣味を多くの人達と共有したいという夢を持ち、その夢は1999年、ルート66自動車博物館を作り上げることで現実となった。

博物館は大きな体育館のような大きさ で、常時30台ほどのクラシックカー、ビンテージカー、クロムやストリート・ロッドが陳列されている。圧巻のコレクションは必見、入場料は「たったの」$5ドルだ。

今回4年ぶりにその友人夫婦を訪ねてサンタ・ローザへ向かった。前日にほぼ開店と同時あたりに行く旨を伝えたら、「そんな朝早くは私は準備ができないわ」と、いつもきれいに身支度をするAnnaに言われたが、しっかり待っていてくれた。その心遣いというか、フレンドシップがとてもうれしく、心地よい。

広い空間にはしっかりお土産ものも陳列されており、セクション毎にTシャツ、バック、小物、大型の置物なんかに分かれているあたりもお客さんへの優しさが伝わってくる。

ちょうど店を訪れているとき、Bozoから3台も車を買ったという英国から来た夫婦と一緒になった。何とBozoは車を修理するだけでなく、一から作ってしまうのだ!
初めて作ってもらってからBozoの腕を気に入って今回が3台目、ちょうどお金を払いにわざわざ英国からこんなニューメキシコの田舎くんだりまで来たってわけ(笑)<サンタ・ローザ、ごめんなさいw>

Bozoは通常博物館から通りを渡ったところにある「Bozo’s Garage」に居る。朝は Anna の代わりに通常博物館の店番をするらしいが、とにかく早く車と向き合いたいらしい。

With Anna

今日の対面でも彼は車の話ばかりしている。彼が最初にエンジンの修理をしたのは12歳の時だそうだ。その時の仕事っぷりに、Bozoのお母さんはBozoはきっと一流のメカニックになると、近所に言って回ったらしい。
「オレはそれからずっと車と共に生活しているんだ。今はいくつだっけな、あ、70歳を超えてるなぁ。いくつまで生きられるか知らないけど、好きなことを突き詰めるには人生は短いよ」、そう私に語りながらウィンクして大好きなガレージへと消えて行った。

James “Bozo” Cordova

人生、そんなに好きなことに出会えて、それに携わって生きていけるというのは本当に素晴らしい。
Bozo を見ていて、誰かが言った、私が最も好きな言葉の一つを思い出した。
” Happiness is not about getting all you want, it is about enjoying all you have.”

サンタ・ローザを訪れる際は通過せず、ぜひ少しでもこの博物館を訪れてみて欲しい。
Anna と Bozo のホスピタリティはきっと貴方の心にも響くはずだ。

Anna Cordova

Route 66 Auto Museum
2436 Route 66
Santa Rosa, NM 88435
575-472-1966
Open: 7:30-17:30 – 7 Days

Wrinks Market の新女神達

今回のレバノン行きで一番楽しみにしていた訪問がここ、我がルート66の母、ラモナの経営するマンガ―モス・モーテルから目と鼻の先の距離にある、Wrinks Market だ。
2009年に完全に閉店して以来、約8年。遂に再開するというニュースを聞いたときには、かなりテンションが上がったことを憶えている。
下の写真はたぶん2013年頃に撮ったその姿。冬場ということもあり、とても寂しい印象は否めない。もちろん店の中もガランとして何も置いていなかった。

「ここが空いているうちにご主人と交流したかったなぁ」と、通って見る度に想ったことは2回や3回では済まない。

Wrinks Market は1950年、Glenn ”Wrink” Wrinkle 氏によって開業され、マンガ―モス・モーテルと共にルート66繁栄期に一役かった。後程紹介する新オーナーによれば、「彼女の祖父はルート66と、それを旅する人達を心から愛していた」とのことだ。
お店を訪れた旅行者の中には、大陸横断中に「おむつ」を買いに立ち寄った、名優クリント・イーストウッド氏もいたとのこと。

2005年になって82歳になった Glenn はこの世を去り、お店は閉店。その後息子さんが一時的に継いだが、当時の不況の影響で上手く行かず再度閉店となった。ちょうどその頃私も一度訪れているが、営業をしているのかしていないのかスルーした記憶がある。

という前置きの下、2018年9月、やっとこの地をまた訪れる機会があり、お店を訪問してみた。今回はしっかり営業している雰囲気がばっちりだ(笑)

恐る恐る店に入ってみると、明かりは完璧に点き商品もきちんと陳列され、どうやら100%営業中のようだ!

新オーナーは、Glenn のお孫さん、Katie Hapner さんと彼女の義妹 Sarah Carney さんのお二人。さらには Katie の娘さんがこの日はお店をお手伝い、と店内は活気にあふれていた。

小腹を空かしていた私はサンドイッチを注文し、さっそく雑談開始。最初にお相手してくれたのは Sarah さんだが、日本人だと告げると「まあ!Katie は日本の血が少し入っているのよ!オ、キ、ナ、ワ?かしら。そこで育ったって。」
それならと、早速バックヤードを作業をしていた Katie さんを呼んでもらった。
Katie さんもそうだが、彼女の娘さんも大の日本好きで、近いうちに日本へ行くことをとても楽しみにしているそうで、矢継ぎ早の質問を受ける。が、ご存知の通り在米30年の私は今一つ日本文化には疎い。

当初は15~20分程度の滞在予定だったけど、気が付けばゆうに1時間超え。
でも全然へっちゃら。素敵な女神たちとの交流だものね。最後はとびっきりの笑顔の一枚を頂戴した。

地元テレビ局KY3が、お店の再開時にニュースとして取り上げたので最後にご紹介したい。

 

 

 

 

ルート66産のメイプルシロップは美味すぎる!?

私はメイプルシロップが大好きだ。アメリカでの生活にこれは欠かせない。どの位好きなのかは昨年12月24日の投稿「ルート66とパンケーキ」でも余すところなくお伝えしているので興味のある方は読んでもらいたい。
それはともかくとして、うちではここ数年ある特定のメイプルシロップを購入しており、100%それしか利用していない。
100%天然の産物は非常に風味豊かで甘さも丁度良い。クセもしつこさも無い、例の商品と並んで私の中ではメープルシロップ界のツートップなのである。

そのシロップが切れそうになったのが今年の7月下旬。早速いつものように友人店に連絡を入れ今年分の注文をする。友人とは言ってもここ何年かメールのやり取りをしているだけで実はご本人には一度も会ったことがない。
最近イリノイ州ルート66そのものを走る機会が減っていたことに加え、中々限られた時間の中での旅は彼らの営業時間に合わないことも多いためだ。その都度早く巨額ジャックポッドを当て引退したいと切に願うのだ(笑)
とは言え、こうしてアメリカに住んでいる期間に会うことが適わなかった人に、仕事で東京に住んでいる時にそのチャンスが巡ってくるのだから人生は不思議なものだ。どうやら秋期に少し渡米できそうな感じではあったので「今年は直接ピックアップに行くよ」と意気揚々と伝えて取り置き願い大作戦へと舵を切った。

そのお店の名は “Funks Grove Maple Sirup”、イリノイ州シャーリーという所にある。シカゴからルート66を南へ150マイル(約240キロ)、車で約2時間15分強のドライブ、比較的近いものだ。
イリノイ・ルート66はとても景観がきれいで街々によってその姿は千差万別。高速道路など使わず必ずした道を走ってもらいたいものだ。
シャーリーの街近郊へ入ると景色はこのように緑がとてもきれいな森の中を走ることになる。日中でもあまり車は通らないので、街灯のない夜間は結構肝試し的なルートだ。

この辺りは同州でグランドプレーリーと呼ばれ、サンガモン河の支流には、多くの樹木が広がるシュガークリークやティンバークリークを形成し、ホワイト・オーク、バー・オーク、そしてメイプル樹木がそれらの中心だった。イリノイ州地元のネイティブアメリカンはイロコイ種族で、彼らが毎年春になるとメイプルシュガーやシロップを造っていたのが起源だそうだ。その後土地は欧州からの入植者達の手に渡り、1824年アイザック・ファンクという開拓者が本格的にシロップを造りはじめビジネスとしての基礎を築いた。

現在のオーナーはマイクとデビーのファンク夫妻。まさにジェネレーションだ。
毎年約2000ガロン(約7570 リットル)のシロップを製造、販売するが殆どの場合8月中には完売となる。イリノイ州の秋は寒いので10月にもなれば旅行者もほぼいなくなるが、それでも9月に訪れて「OMG!」というケースは少ないないのだ。

幸い今年は9月下旬にイリノイ・ルート66を走ることができたので、私のタスクリストでも最重要項目として、とある天気の良い午後の訪問と相成った。
入り口はあまり目立たない簡素な標識のみ。もちろんこの道を通る皆がここに来るわけではないが、私の少し前を走っていたブルーのコルベットは減速もぜすに走り過ぎて行った。

敷地内に入り車を停める。「販売商品は殆どもう無いのでお店には居ないから、着いたら電話して。3分で行けるから」と、言われ車を降りて電話してみる。車が一台停まっているが、店の雰囲気は静か。
電話が通じない。案の定、電波が届いていない地域だ。ルート66を走っていると非常に良く出くわすこの状況、「電話しろ」というのだから、彼らの電波は正常?なのだろうか。(いや、そんな細かいことは気にしていないんだろうな)

お店の入り口に近づいてみると中から笑い声が。あー良かった、人は居るのだ。
ドアを開けると2人の旅行者らしき女性とデビーが話していた。
「あら、トシ、やっと来たわね。電話くれた?」
「こんにちはデビー、やっと会えたね!電話したのだけれど電波なくてできなかったよ。」
「あらまあ、じゃあ丁度良いタイミングだったわね、会えて嬉しいわ。旅行はどう?」
電波云々の話は一瞬で過去の遺物となる。

2人の旅行者は買いに立ち寄ったのだが、お土産用の最小瓶があるだけだったので少し残念そうだったが、それを3つほど買って帰っていった。
やはり頼んでおいて良かったようだ。デビーは裏の倉庫から私の取り置き分を入れた箱を持ってきてくれた。

今年の消費予定シロップ

彼女はここから3分ぐらいの場所に住んでいるらしく、9月に入ってからは商品もほぼないのでアポのお客のみ対応しているという。
ここ数年のお互いのメールでのやり取りを振り返りながら、小一時間シロップの話で盛り上がった。

Funks Glove のメイプルシロップ、現在ウェブサイトでも購入可能。もちろん現在は SOLD OUTとなってるが、春になるとまた販売が始まるので、欲しい!という方は是非ネット注文をしてみて欲しい。本当は実際に買いに行くのが一番なんだえどね!

 

Funks Grove Pure Maple Sirup
5257 Old Route 66
Shirley, Illinois 61772
https://www.funkspuremaplesirup.com

ジムとカークとアリゾナルート66

4月のとある週末、どうしてもやりたいことがあってアリゾナ州キングマンに行くことにした。ルート66にあまり興味のない家内には「ラスベガス訪問」を落とし処に、ちょっとした週末旅行だ。
地元オークランドからラスベガスにはたったの1時間ちょっと。今から約10年ほど前は仕事でロスアンゼルス~ラスベガス間を一日二往復、それを3、4か月続けたこともあり、ラスベガス空港は文字通り「庭」だ(笑)
相変わらずの景色に思わず微笑みが出た。


車を借りてパラダイス、ヘンダーソンとお馴染の街を過ぎ国道93号線を一気に南下する。1時間半も走ればアリゾナ州ルート66の一大拠点、キングマンだ。
まずはいつも儀式、Mohave Museum of History & Arts の前で写真を一枚。
ここは先住民モハべ族の歴史を紹介する博物館だが、この壁に描かれた絵が何とも私のお気に入り。本当は車が停まっている=入場者がいる、でないと困るのだが、この壁画の前に車が一台も停まっていないかどうかが、私のキングマンを訪れたときの「占い」なのだ。一台もいないとその旅はきっと素晴らしいものになる、そう何年も勝手に決めて必ずこの場所に来る。今回の結果はこうだ~ ⇩

今回のキングマン訪問の目的は二つ、友人ジム (Jim Hinckley) と一緒にアリゾナ・ルート66を走る、そして同州アッシュフォークにある Zettlers Route 66 Store を訪れてご主人のカークさん (Kirk Slack)に初対面することにある。
ルート66ファンでない方には取り立て何てことないように聞こえるかもしれないが、勿論そうではない。
ジムはルート66でもかなりの重鎮。歴史家、写真家、ツアーガイド、作家、旅行マーケティングコンサルタント、話家、と実に様々な顔を持つ。特にアリゾナ州とルート66を語らせたら彼の右に出るものはそうそう居ない。発行した書籍は実に20冊以上、と、こんな人物と一緒にルート66を走る意味は言葉では表現できない嬉しさと光栄さが入り混じる。
まずはそのジムと、これも街では有名な観光スポット、Powerhouse Museum パワーハウス博物館で落ち会うことに。こちらの博物館はインフォメーションセンター、お土産屋さん、展示品、歴史の説明をフルに備えたルート66中でも絶対に訪れて欲しい博物館の一つ。特に2階に展示されている大恐慌時代、オクラホマ州から仕事や普通の生活を求めてやってきた人達を描いたスタインベック作「怒りの葡萄」に出てくる幌馬車がそのまま再現されており、当時の様子がはっきり分かるようになっている。一枚撮ってくれるというのでポーズ。

 

少々手前味噌になるが、この博物館、初めて電気自動車の歴史についても展示しており、そのプロジェクトの責任者 ジョシュアと一緒に、ルート66日本アソシエーションとしてその展示品、説明分の和訳を全て担当させてもらった。
それについてお土産屋さんの前に張り紙がちょっとあったのでついでにご紹介。

車の中で何だかんだとルート66やお互いの近況について話をしていると、アッシュフォークの街に着いた。お腹が減っては戦は出来ずとばかりに街に新しく出来たであろう(前回訪問した時は無かった)BBQのお店で腹ごしらえ。
ジムと奥様のジュディと一緒に記念撮影。中々自然体で気に入っている(笑)


Zettlers Store は1930年にパン屋さんとして開業するが、1945年に食料品店に業態を変え2012年まえで営業してた。その後暫く閉鎖してたものを昨年、ご主人のカークが自身のお土産屋さんとして再開してくれたお店だ。
再開したお店にもカークにも(FBで繋がってたこともあり)是非会いたくてこの日を待ちわびていたのだ。

今日はちょうど先日仕入れたばかり、という年代物のレコードプレイヤーを修理中で、かなり歴史と年期の入った代物にジムと二人でテンションはマックス。所狭しと置いてある面白いお宝グッズや定番のお土産品も充実。アリゾナ・ルート66を走る方は是非訪れて欲しい。

右よりジム、私、カークと
お店の床一面に書かれたロゴの
前で記念撮影。
お店のFBページにも連日連夜
訪れた旅人達が紹介されている。

 

 

 

 

アッシュフォークを出た後は、セリグマンからオールドループを走り、ピーチスプリングスやトラックストンを経てキングマンに戻る経路をたどった。本当はこの沿線をもう少しゆっくり走りたかったのだが、夕方にキングマンの市長やアリゾナ州ルート66アソシエーションの人達と軽く夕飯を取る段取りをしてると言われ、思わずアクセルを踏み込む(笑)
本当にルート66の関わる人達は仲が良く、家族同様に見知らぬ者も受け入れてくれる。

ジム夫妻と一緒に走った今日の日は絶対に忘れない。
大きなプロジェクトに向かう私へのエールも忘れることなく、最新の出版書物も頂く。これには共通の友人、バンコクの世界一アホな敬愛すべきランナー、Kさん夫婦も載っている。ルート66は世界を繋ぎ、人を繋ぎ、そして過去と未来をも一本の道でしっかり繋ぐ。


キングマンの夕暮れと共に。

Meteor City 再開へ向けて

アリゾナ州メテオ・シティ。現地語?で書けば Meteor City、ちょっと風変わりだよね。実は「シティ」とは言ってもそれは都市ではなく、街でも、村ですらないのが現状なのだ。メテオ・シティは州中東部、ココノ郡にありナバホ、ホピの両居住区の南側に位置するエリアで、2012年に閉鎖してしまった(当時は人気の高かった)ドーム型のトレーディングポストが廃墟目前の様態で残っているだけ、というのがここ数年の姿。


でもそんなメテオ・シティがそのトレーディングポストを起点に復活しようとしているのだ~
復活かも?の噂を聞いたのが確か今年の初旬。その後ルート66日本アソシエーションとしてもお世話になっているロンのニュース記事にも載っていたように、いまや一歩一歩確実な情報として私達ルート66ファンのテンションを上げている。

ジョアンとマイケルのブラウン夫妻はルート66からは遠く離れたインディアナ州ジェファーソンヴィル在住。でも元々の生まれはカリフォルニア、ルート66南西部が大好きで特にアリゾナ州の Two Guns を愛して止まない二人だったようだ。現在の仕事に区切りを付けこの南西部に住みたい、そんな強い気持ちからこのメテオ・シティを復活させるべくトレーディングポストを正式に購入、取得したのが今年の3月だった。ジョアンは決心するまで何度も悩んだそうだが、彼らの地元でしばしばアリゾナ州の州ナンバーを付けた車を見かけた時なんかは「自分たちは正しい方向に進んでいる!」と信じたみたい。

そんなジョアンからFBを通じて友人申請があったのが4月の頭。いまやルート66の仲間たちはFBで300名近く繋がっている「一大家族」なので、きっと誰かから私の事を聞いたのだろう。通常会ったことない人とは繋がらない主義だけど、ルート66は別。友人、親友の友人はもちろん大歓迎。丁寧にご挨拶を戴き「近いうちにどこかルート66で会えるといいね」、そんな会話をしてた矢先、その「奇跡」は起こった(笑)

場所はテキサス州エイドリアン、もう皆さんよーくご存じの「ルート66の中間地点」だ。4月23日 親友のデニスを訪ねてその中間地点のミッドポイント・カフェで彼ら自慢のパイを頬張りながら談笑していた時、突然デニスが「ジョアンを知ってるか?」と聞く。全く予期していない質問に「ジョアン?ジョアン?どこのジョアンだ?」と聞き返すのが精一杯。何となく最近聞いた名前だな、とその3秒後あたりに思っただろうか、でも記憶の中で繋がらない。デニスはそのまま接客でレジへ行ってしまったその時、「Are you Toshi?」年配のカップルの女性が驚きの表情のまま近づいてきた。
「Hi Toshi、I’m Joan from Meteor City」
その一言で私は一瞬にして数日前のFBでのやり取りに引き戻された(笑)


ルート66。30年以上も前にその役目を終え、今年設立91周年を迎えるその道からはもう、そうそう新しいものは生まれない。だけどそこへ行く度に、その沿線に立つ旅に新しい出会いと友人は生まれる。人と人が繋がってできる道、それがルート66なんだと心から思う。

トレーディングポスト再開は早ければ、8月1日だそうだ。

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