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ネバダ州ヘンダーソン、新しい友人に会いに

3年ぶりの故郷凱旋シリーズ、今回はカリフォルニア州パサディナで一つお仕事を終えた後の近場、アリゾナ州とカリフォルニア州のルート66 巡りをしたお話を。
私自身のいる アラメダ、即ちイーストベイと呼ばれる地域から南カリフォルニア方面へ行こうとすれば、インターステート 5号線又は、もっと海に近い方を走るカリフォルニア 101 号線、そして超時間がかかるが完全コーストラインと化する US 1 となるのだが、「時は金なり」の考え方をすれば通常は一番目を選ぶ。しかし道が味気ないんだ・・・5時間程度で着くのは魅力的だけどね。

久しぶり、久しぶり、の連発で恐縮だが本当に久しぶりは語彙の少ない私には久しぶり、としか書きようがない。と言うか、きっと誰でもそうであろうと思うが、やはりこのコロナ禍で行動制限された3年間というものは人生初の体験であり、お初ものが連発することにはどうしようもない。

US I-5

そんな退屈極まりない味気のない風景の 5番線でさえ懐かしく、走っていても自然と口元が緩むのだ。途中レストエリアに入り用を足すだけでも何となく楽しくなるこの気持ちを分かってもらえる方はいるだろうか。

この旅に出る少し前に、前職の同僚と日本とアメリカの自販機の違いについて話し合ったことを思い出し、早速パチリ 📸
彼女は台湾生まれの台湾育ち。アメリカの常識?あるある?は、まだドラマの世界でのお話。早速この写真を送ってみたが、ゲージに囲まれ、鍵がかかった自販機と日本の高速道路のレストエリアにあるものとの違いに驚愕していた 😂

何を売っているかさえ分からない自販機はアメリカでも中々珍しいが。

さて、今日のゴールはネバダ州ヘンダーソンの街。ラスベガスの中心地から車で僅か 20分のベッドタウンだ。と、いうと実は怒られるかもしれない。この認識はあくまでも 1990年代半ばのことである。実際ヘンダーソンの街に着いた後で感じたことだが、当時あまり数多くなかったカジノも大きなものが数件以上建ち、しっかり立派に一つのカジノ街を形成するまでに至っており、現在はもはやベッドタウンではなかったのだ。

写真は、ヘンダーソンにある、立派なとあるカジノ。まだ平日なのか、時間が早いのか、人はまばらではあったものの・・・

ラスベガスと言えば(話はそれるが)時に1995年、私がロスアンゼルスにある某旅行会社に勤務していた頃の話なのだけど、メインの仕事は日本からのお客さんに提供する全米規模でのホテルと料金契約をすることだったのだが、当然ラスベガスは最も観光客の多い街の一つであり、私達の大きな収入源でもあったわけで。そんなラスベガスには毎日毎晩多くの日本人ツアー団体が入れ替わり立ち代わり。到着団体の空港出迎えからチェックインのお手伝い、オプショナルツアーへのアテンド等、数え切れないほどのタスクがあり、信じられないことに「ほぼ毎日」、ロスアンゼルスとラスベガスを 2往復していたんだ。😵‍💫💦

飛行機をまるでバスのような感じで乗っていたので、現地職員さんたちとも皆顔なじみで。たまに時間ギリギリになると「トシ、こっちから行け」と優先レーンでセキュリティを通してくれたりと、今では考えられない事情がまかり通っていた。懐かしいなあ。あの時代、やっぱり良かった気がする。スマホなんかなかったけど生活は充分快適だったよね。そんなわけで当時乗っていた航空会社には人生最速の半年ぐらいでプラチナメンバーに昇格したよ 😊

話を戻せば、そうそうヘンダーソン行き。実は今回あまり起こらないことが結構あったんだ。
街へ続く高速道路上で渋滞が。この辺りの事情をよく知っている人ならそんなこと当たり前、日常茶飯事だと思うだろう。もちろん私もそう思いながら比較的気楽に運転していたのだが、30分、1時間、1時間半、全く車が動かない。高速道路上には皆さん諦めたのか、車から降りて完全談笑する人たちの姿も。(この辺はさすが懐の広いアメリカ人である)
ある人が私に「一体どうしたんだっていうんだ?」と聞くが、私に聞かれても何とも答えようがない。

結局道路上に完全停止すること3時間半。その後ノロノロと動き始めて更に1時間。どうやら複数台を巻き込む大事故だったようで、その現場の真横を超低速で通過させられるのだが、大きく燃えただれたタンクローリーか、トラックか、事故の凄惨さを出していた。
今まで数多くの車事故を見てきたが、このサイズは稀有だ。
せめて誰も亡くなっていないことを祈りつつ先を急ぐことにした。

午後3時には到着予定だったヘンダーソンも、気が付けばすっかり夕方8時近くなってしまった。
今晩ご厄介になる友人をすっかり待たせてしまった上に、実はこの方と面と向かってお会いするのは今晩が初めてなのだ。事故渋滞に巻き込まれたとは言え、本当に申し訳なかった。

マイク木田さんは、元々NY在住の実業家さん。カラオケボックスをアメリカ社会に定着させた第一人者だ。カラオケ事業以外も、ウェディング、旅行。コンサルティング業等、幅広く事業展開をする、この一見私の人生と交わらないであろう、マイクさんに会えた理由も何を隠そう「ルート66」なのである。

Mike 木田さんとメキシカン料理で乾杯!

コロナ禍真っ只中のある日、私のNY在住時代にお世話になったメディアのお仕事をされていた O 氏より、彼の友人でアメリカの旅とルート66に詳しい人を探している人がいるから是非話をしてくれないかとお声がけがあり、二つ返事で快諾したことで、マイクさんと繋がることができた。まさに人脈は宝であるということを実感したひとコマでもあった。

初めて直接顔を合わせたわけだが、さすがオンラインでは何度か対面しているため、全く「初モノ」感覚がない。これは良いことなのかどうなのか分からないが、大切なことは楽しい時間を過ごさせて貰ったということだ。初対面にも関わらず嫌な顔一つせず提供してくれた一宿一飯の恩は必ずどこかでお返しできればと思っている。

いよいよ明日はアリゾナ・ルート66に向かって出発だ。


【週刊NY生活月イチ連載】SEASON 4 Vol.17: ここは必見!カリフォルニア(後編)

前回、いや発行紙面で言えば先月になるのかな。普段あまり取り上げていないカリフォルニア・ルート66についてご紹介しようと。
今月はその後編、バーストウから先の州の終点、ニードルスまでを走ってみましょう。

ということで、毎月恒例の日系情報誌「週刊NY生活」紙にて連載中
「さあ行こう!魅惑の旧街道ルート66」SEASON ④の今月はカリフォルニア・ルート66の往復旅後編です。

記事全文は週刊NY生活ウェブサイト ⇩ まで (18ページです)
https://nyseikatsu.com/editions/882/882.pdf

【週刊NY生活月イチ連載】SEASON 4 Vol.16: ここは必見!カリフォルニア(前編)

カリフォルニア・ルート66の話って実はあまりしていないことに気づいたんだけど 🤔
別にカリフォルニアが嫌いなわけではないし、なぜだろう?
やっぱり通算で同州への在住期間が長いから他を見たいということだろうか?

何にせよ、あまり取り上げていないのは確かなので、2回に渡ってカリフォルニアにフォーカスしてみようと。秋のドライブにぜひ!

、ということで、毎月恒例の日系情報誌「週刊NY生活」紙にて連載中
「さあ行こう!魅惑の旧街道ルート66」SEASON ④の今月はカリフォルニア州ロスアンゼルスを起点に、バーストウまで往復旅のご紹介です。

記事全文は週刊NY生活ウェブサイト ⇩ まで (14ページです)
https://nyseikatsu.com/editions/878/878.pdf

愛すべきコグマ🐻NY目指し今日も行く(ルート66編)

どのくらいだろうか、ここ10日間?いや2週間は経ってるかな?自身のInstagram や、Facebook のスレッドに現れる「コグマ」の着ぐるみがいるんだ。最初見たときは確か、ルート66絡みの地平線の続くような道の上を闊歩している感じで。。最初の印象は「うわっ!暑そう!大丈夫かこんなことしててこの人??」だったんだけど、日が経つにつれ多くの応援メッセージと、コグマ自身が楽しんでいる感じが伝わってきた。その結果、自分の中に余計に❓ の数が増えたんだけど🙄

そんなとき、いつもサポートして貰っている提携先の Route66news.com の Ron がそのサイト内でこの「コグマ」に触れてくれたのでご紹介したい。

その「コグマ」の中に入っているのは、カリフォルア州在住の Jesse Larios さんという男性らしい。
「地域社会に恩返しがしたい、人々を助けたい」という思いから、6年前にアラスカン・マラミュートという熊よりインスピレーションを受け、この “Bearsun” というキャラクターを世に出したそうだ。

現在 Jesse さんは、ロスアンゼルスからニューヨークのタイムズスクエアまで歩くことで、自閉症患者の支援や環境保護など、5つもの慈善団体へ寄付を募っている。先週には何と最初の目標であったアメリカ自閉症協会への15,000ドルの寄付に成功したと書かれている。

本来「うち(自宅)」に居れば、連絡を取りすぐにでも飛んでいってサポートの意を表したい所だが、コロナ禍で数千マイルも離れた場所に軟禁されている身では中々簡単にはいかない。彼のアカウントをフォローしてすぐに激励のメッセージを送ったが、思うだけの行動に移せない、もどかしい自分に腹が立つ。
口で言うのは簡単だが、かく言う私もいつも、自分自身を受け入れて成長させてくれた、多くの夢と沢山の友人をくれたアメリカとルート66には恩返しをしたいと思っている。いつどこで、どのような形でできるかは現在模索中であるが、近い将来それが実現できることを夢みて、その準備を日々、少しずつ頑張っている、という感じだろうか。
どうか Jesse さんには健康に留意して安全に活動を成功させてほしい。

Jesse さんの活動は、Instagram そして Facebookで “I am Bearsun” というアカウントで見ることができる。興味のある方は是非フォローしてみて!

あ、そうそう、この「コグマ」は、ステレオタイプを超えた「言葉よりも行動で勝負するキャラクター」をイメージしているため、Bearsunに口は無いのだそうだ。あー耳が痛い。。😅

法整備への飽きなき努力は止まらない

パンデミックが始まって早1年半誓時間が過ぎ、多くの物事が止まっているように見える中、着実に進んでいることもある。
先月の話になって恐縮だが、Darin LaHood イリノイ州下院議員は、Grace Napolitano カリフォルニア州下院議員と共同提案者として “The Route 66 National Historic Trail Designation Act”「ルート66国立歴史地区指定法」米国下院に提出した。

詳しい話は、2020年12月に記した「ルート66生誕100周年」へ向けての法整備 を参照頂きたい。議会が、ルート66を国立公園局の管理下にある国定歴史建造物に指定する法案を通過させようとするのは、これで通算 3回目となる。
というのは、この提案されている法案は、ルート66を国立歴史的トレイルのルートに加えるもので、2018年6月に初めて下院で可決された。その後上院にも同様の法案が提出され、2020年8月に一旦可決されるものの、その時点を超えて進行することはなかったという苦い経験があるのだ。

同じく上記したコラムの中でもお伝えしてる “The Route 66 Centennial Commission Act 「ルート66、100周年記念委員会法」は、驚くなかれ、そのコラムを書いてからわずか2週間後に当時のトランプ大統領が署名をしたことで成立した。(もちろん私の功績は1ミリもない、笑)

前回も紹介した Route 66 Road Ahead Partnership の代表、Bill Thomas 氏は、この両議員の諦めない行動力に感謝を示し、マザーロードは、イリノイ州内のコミュニティに強力な経済開発ツールを提供し住民に雇用機会を創出する。ルート66を「国定歴史建造物」に指定することは、このハイウェイを保存し、促進し、経済的に発展させるための恒久的なプログラムを提供することになるはずだ、と力説する。

皆さんも考えてみて欲しい。ルート66が国定歴史建造物に指定されれば、ルート66が通る8つの州とそこに存在する数多くのコミュニティに、必要な連邦予算、資源、雇用がもたらされるわけだ。法案はこのような重要な資金を捻出できることで、歴史的象徴物の修復、改善、そして遺産の保存を支援し、何百万人もの住民のためになり、経済復興そのものを後押しすることになるのは明白ではないだろうか。

Napolitano 議員も言う。「多くのアメリカ人がワクチン接種を受け、ビジネスが再開され、この夏には家族や友人と旅行が出来ることを楽しみにしている。こんな絶好な機会はない。」と。

果たして私たちに届く「素晴らしい夏」の便りはいつかな? 😄

Andrea と Bagdad Café を救おう!

私達、ルート66アソシエーション日本支部の良き友人であり、パートナーである California Historic Route 66 の Tereさんから悲しいお知らせが入ってきた。

皆さんもよく知っているカリフォルア州ニューベリースプリングスにある「Bagdad Café」のオーナーの、Andrea Pruett さんのご自宅が火事に見舞われてしまいました😭
火事の原因は現在も調査中とのことだが、アンドレアさんを始め皆さん無事だとのこと。(そこだけは本当に良かった!)

Andrea さん

火事は全てものを奪って行く上、パンデミックの影響で州や国の設定した店舗閉鎖に加え、お客さんの多くを海外旅行者に依存しているお店の経営状況はかなり悪化していると聞いた。

そこでルート66・カリフォルア・アソシエーションは Sherry Rogaisho さんの発案でアンドレアさんの自宅とビジネスの再建を支援することを目的に Go Fund Me を立ち上げた。

支援を希望する方は是非以下のサイトでお願いします!🙏
https://www.gofundme.com/f/help-andrea-pruitt-rebuild-her-life-after-fire?utm_campaign=p_cp_display&utm_medium=copy_link&utm_source=customer



Route 66 と MLB ⚾

©MLB.com

アメリカ大リーグ(Major League Baseball)の公式サイト、MLB.com にちょっと面白い記事が出ていたのでご紹介。
題して「Baseball road trip locations in all 50 states」、要は全米50州にそれぞれある野球関連の観光スポットの紹介だ。次のロード・トリップに行く時はここを目指そう!又はここに寄ってみよう!そんな所だろうか。

アメリカ国内市場は徐々に開放されつつあり、これからは温暖な気候が到来。野球観戦でも(球場にて)ワクチンが接種も進み、観戦そのものや友人知人との再会は安全になってきた。とは言え、まだまだ予断を許さない部分もあるのは事実。だからここで紹介されているのは、すべて「屋外で他人と安全な距離を置いて訪問できる場所」だって。MLB も気を遣ってるなぁ😆💚👍

いずれにせよ、MLB と Road Trip、それにルート66が絡んでくれば嫌でも自身の興味は沸きたてられるわけで。
本文は全米50州より一つずつ選んでいるので、見てみたい人はここを⇩
https://www.mlb.com/news/featured/baseball-road-trip-locations-in-all-50-states-and-ontario?bt_ee=4kVrfn%2FoQOrGuRKwQFk%2FbUyVTiYxWHrl44tbZP36rZulxWE%2FrFE0hxVugUfKIZzV&bt_ts=1620387186598&partnerId=zh-20210507-156906-MLB&qid=1026

もちろんここでは全部を紹介する時間はないので、ルート66が通る8州、その中でもルート66上の街にあるものだけ、3か所紹介しよう。
以下のルート66通過5州は残念!
Kansas: Humboldt
Missouri: Kansas City
Texas: Winters
New Mexico: Roswell
Arizona: Phoenix

【1】ジャッキー&マック・ロビンソン記念館(カリフォルア州パサデナ)

この記念碑は、ロビンソン兄弟に敬意を表したもので、メジャーリーグ野球の殿堂入りしている、ジャッキー・ロビンソンはジョージア州カイロで生まれてるんだけど、UCLAでスター選手になる前、幼少期から青年期を弟のマックとともにパサデナで育った。野球の世界で「人種の壁」を破ったジャッキーの功績は、皆さんもよく知っていると思うけど、実は弟のマックも1936年のオリンピックで、チームメイトのジェシー・オーエンスに次いで、200メートル走で銀メダルを獲得し、スポーツの歴史に名を残しているんだ。凄い兄弟だよね。

【2】オールド・ホス・ラドボーンの墓(イリノイ州ブルーミントン)

チャールズ・ガードナー・ラドボーン(1854年~1897年)という名の選手を知っている人は少ないんじゃないかな。メジャーリーグ狂の私でも名前と大枠を聞いたことがあるぐらい。ラドボーンはメジャーリーグのピッチャーで投手で、12シーズンに渡って活躍し「オールド・ホス」のニックネームで親しまれたとか。
ロード・アイランド州プロビデンスにある、グレイズに移籍した1884年、彼はシーズン60勝を挙げ、これまでに破られたことはおろか、近づいたことさえないMLBのシングル・シーズン記録を打ち立てたことで有名だ。同年にはワールドシリーズにも勝ち、1939年には野球殿堂入りも果たした。
2019年、ラドボーンの墓の近くにある枯れたオークの木が、彼の等身大の姿に彫られた。ポーズのインスピレーションは、オールド・ジャッジのベースボールカードから得たものらしい。必見だね。

【3】ミッキー・マントル 幼少期の家(オクラホマ州コマース)

最初に断っておくけど、私は大のアンチ・ヤンキースだ。ファンの方には申し訳ないがメジャーでも最も嫌いな球団の一つ。だ・け・ど、ミッキー・マントル氏には敬意を示さずにはいられない、彼はそんなスーパースターなのだ!MLB.comの本文にある給水塔とはこれだ。青いピンストライプ、7番。いや、それ以上にルート66のシールドが美しい(笑)

が、今回紹介されているのはそのミッキーが幼少期を過ごした家。今でもきれいに?残っている。コマースではルート66上に、Commerce Filing Station や、Dairy King のお店があり、今まで何度か取り上げていた。その場所からわずか数ブロックなんだから行かないという選択肢はゼロであろう。また、生家から更に南へ3ブロック行けば、Commerce High School。そこのセンターフィールドのフェンスと車道の間には、ミッキーの像もあるので見逃さないように!

あーこんなこと書いてると、頭の中は完全にルート66の各地にどっぷり飛んでいて、東京の自宅のパソコン前に座ってるなんてことすっかりわすれてるわ 😂


ニードルス~Peanutsが旅した人生とルート66😎

©Charles M. Schulz

世界的に大人気の漫画「ピーナッツ」を知らない方はあまりいないだろう。ピーナッツという名前にイマイチ❓ピンとこない場合は「スヌーピー」と言った方が良いかもしれないけどね(笑)

実は今、大手旅行代理店H.I.S の米国オーランド支店の井手田氏と一緒に「行ってみた~い!憧れのアメリカ・ルート66横断妄想ツアー」というのをオンラインで毎月配信しているんだけど、次回(日本時間3月7日)は、いよいよシリーズ最後の「カリフォルニア州編」。で、その準備をしている時、ニードルスの街を紹介する際に SNOOPY のことに触れるべきかどうか頭を過ぎったのがこの項を書くことになった発端なのだ 😛

Mr. Charles M. Schulz

「ピーナッツ(Peanuts)」の作者は、Charles M. Schulz 氏、1922年生まれ、ミネソタ州ミネアポリスの出身。とはいえ、幼少期から漫画家になることを夢見てみた少年の話を書こうと思っているわけではないので、それ以上のことについては特に触れないけど、ただ一点、彼が1929年から2年間、カリフォルニア州ニードルスに移住した、という事実はルート66ファンとしては見過ごせないポイントなんだよね。

そして SNOOPY と言えば?そう、カリフォルニア州サンタ・ローザ(笑)馴染みのない街名かもしれないけど、サンフランシスコから約60マイル弱、車でわずか1時間も北上すれば着く閑静な住宅街。
実はこの街に、SNOOPY愛好家の聖地として崇められる「Charles M. Schulz Museum」(チャールズ・M・シュルツ博物館)があるのだ!
あ、因みに彼のミドルイニシャルで使われる「M」はミドルネームの「モンロー」、意外に知らない人は多いようなので豆知識まで。
もう一つ重要なこと。私は決してピーナッツやスヌーピーの愛好家ではないので誤解のないよう 😎 まあそう思われたらどうだ、ってのはあるけどね。(そう言えば、この博物館の世界で唯一の公認サテライト施設が、南町田のグランベリーモール内にあるそうだよ)

話はそれたけど、この博物館はシュルツ氏がすべてを監修。(実際彼は2000年に亡くなったので完成は見ていない)そこには世界中で愛された漫画「ピーナッツ」の原画から手書きスケッチまで、貴重なコレクションが展示されている。スヌーピーをテーマにしたカフェや、シュルツ氏デザインのスケートリンクなど、スヌーピーに囲まれ、五感でスヌーピーの世界を堪能できる「博物館を越えた博物館」が彼らの謳い文句なのだ。
なぜサンタ・ローザにあるのか?と言えば、シュルツ氏が1969年にそこに移住してから亡くなるまで過ごした場所だかなんだよね。Make Sense.

私は「愛好家(ファン)ではない」と言ったけど、それでも近隣に住んでいるものとして一度訪れてみたことがある。結論、SNOOPY がお好きなら確実におススメだ。

CHARLES M. SCHULZ MUSEUM
2301 Hardies Lane, Santa Rosa, CA 95403
707-579-4452
https://schulzmuseum.org/

おっと、話が中々元の場所に戻ってこないね(笑)ここで書きたいのはニードルスだよ、ニードルスとのか・ら・み 🤣

ニードルス(Needles)は、カリフォルニア州、ネバダ州、に広がるモハべ砂漠の南東に位置し、ルート66を西へ向かう場合、コロラド河を越えてカリフォルニア州に入った最初の街だ。サンタフェ鉄道の停車駅があり、1908年に建てられたハーヴェイハウスである大人気の「エル・ガルセス・ホテル」と共に街は発展した。
カリフォルニア・ルート66の要衝地であるニードルスについてこれ以上書き始めると延々と終わらないので、それはまた別の機会に。

From Charles M. Schulz Museum Official Website

で、シュルツ氏一家はそんな(どんな?)ニードルスへ 1929年、引っ越してきた。彼の長い人生の中で僅か2年間のことなので、あまり知られていないが、街の中にはしっかりその「足跡」が残されている。

ニードルスのダウンタウンの壁画

私がニードルスに行くとき良く食事をする「ワゴン・ウィール・レストラン」というアメリカ西部料理を出すダイナーがあるのだけれど、そのレストランから通りを挟んで向かいにあるサンドウィッチの全国チェーン「サブウェイ」内にも何とスパイクはいるんだよ!

ニードルスのサブウェイ店内

ではそもそもなぜシュルツ家が引っ越してきたかというと、彼の奥様方の親戚が一足先にニードルスに移住し、その街には沢山のチャンスがあることを熱烈に語り、強く勧めたことにあるという。(親戚の移住の本当の理由は健康上のことだったと後に判明するけど)

ニードルス移住期間は未だシュルツ氏が子供の頃なので、もちろんそこで何か功績を残したわけではないが、その頃の経験は多感な時期に少なからず影響を与えたのであろう。
ニードルスに住んでから45年後、シュルツ氏はスヌーピーの兄、スパイクの人生と冒険を通して彼自身の経験の一部を「ピーナッツ」に取り入れた。スパイクは砂漠で一人暮らし、コヨーテと友達になったり、サワロサボテンのジョーと会話したり、時にはサボテンにライトを巻き付け、クリスマスツリーに見立てたり。子供が感じるであろう無限のファンタジーが描かれたってわけだよね。

最後に、シュルツ氏は1973年に再婚するんだけど、奥様の Jean は2018年、スヌーピーと一緒にルート66を旅したときのことを公式ホームページ内にブログとして書き残している。全線走破とまではいかなかったようだが、「ピーナッツ」とルート66との永遠の繋がりを感じることのできる嬉しいものである。
https://schulzmuseum.org/route66/

From Charles M. Schulz Museum Official Website
Mrs. Jean Schulz

シュルツ氏と彼の家族、そして関係者の皆さんに大いなる敬意と感謝を込めて💚

R.I.P Esther…..

Esther C. Hollister/ Image from her Facebook

何と言ったらいいのか言葉が見つからない。
8月18日(火)は朝からSNS を見て混乱した。
“Missing Person – Esther Hollister”
明るくジョークの好きな友人だ。今度は何を企んでるんだ?

だが共通の友人のポストやレスポンスは次から次と心配とお悔やみの言葉が並んで追加されてくる。
「行方不明」の記事を載せた友人にメッセージを打ってみる。
「おいおい、これは冗談だろ?」
自分を安心させてくれる返信は終ぞ無かった。

15日(土)、Esther はハイキング中に姿を消して以来戻って来ていない。彼女が運転していたであろう車は見つかっているが周囲にEsther の姿はなく、携帯電話に応答もない。
娘さんが必死の捜索をしている様子が6,000マイルも離れたところから、文面でも伝わってきた。

そして遂に一番聞きたくなかったことが伝えられた。

時差のせいもあるし、私がSNS を見るタイミングもある。
だからこの一連は、私のスレッドには殆ど連続に近いスピードで現れた。

Esther は亡くなった。

17日(月)リバーサイドの建設現場で遺体で発見されたとの報道だった。検死が行われるようだが、地元警察によると犯罪に巻き込まれた疑いはないようだ。
土曜の朝、地元のジムでワークアウトしている様子を投稿していたこともあり、熱中症の可能性が語られている。

Esther はまだ53歳だ。
私と「同級生」なのだ。
最後に会ったのが2015年、ルート66の仲間大勢で集まった時だ。
SNS ではお互いに共通の友人が120人ほどいる。
そのうちの多くがそこに居た、とてもスペシャルな時間だった。
Esther は、そこでいつものように “Miss Route 66 California” の襷をまとって、盟友の Monica と一緒に周りの皆に笑顔を振りまいていたことははっきりと瞼に焼き付いている。

With Monica (left) & Esther (Right)

彼女のSNS はいつも多くの友人らとの笑顔に溢れている。

Esther は事あるごとにルート66の保存と普及を呼び掛けていた。それはまさに私が日本でルート66アソシエーションを結成して行って行きたいことと寸分も違わない。

ルート66が全盛期の時、人々はそこを車で走り、その町に立ち寄り、モーテルに泊まり、お金を落としていた。そのすべての行為が、商業として独立、繁栄した地域社会を生み出していたものだ。
懐古主義だとか、夢物語だとか言われることも無くは無いが、そういう旅と商業を取り戻す手助けがしたい。
アメリカの素晴らしい歴史であるルート66を未来永劫、何世代にも渡って後世に伝え残したい。
そういう想いをいつも抱いていて、中々実際に顔を合わせることはできなかったが、よくメッセージのやり取りをしたものだ。

本当に残念でならない。未だに実感としてわかない。
悲しみがきちんと表現できない。
来年ルート66 のフェスティバルに参加することが出来れば、必ずそこで会える気がする。
Esther、また会う日まで。

All my prayers and condolences to her family and friends.
Rest in peace, my friend. So long.


幻のビジターセンター

バーストウからダゲットの交差点方面へ

ルート66に携わって以来結構な年月が経つけど、知らないことってまだまだあるなぁというお話。
もちろんそうは言っても私は歴史家でもツアーガイドでもなく、ルート66に存在する多くのエキスパートである友人知人から見れば、私の知識なんぞ小学生程度のものだ。毎度その歴史や背景に通じる仲間から多くのことを教えてもらうのが、楽しみなのは言うまでもない。

でも今日は「え?なぜ今まで見落としてた?」という大反省する出来事があったので自省を込めて書き記しておきたい。
ということで、今回の舞台はカリフォルア州ダゲット(Daggett)だ。

Route 66 News によれば、ダゲットのルート66沿いに建つ、「有名な」スキーロッジルーフハウスが修復されることになり、本来在ったビジターセンターとして復活するとのことだ。建物の正面には元々「WELCOME」と書かれていたそうで、今回の修復も同様に行われる予定だがそのスケジュール詳細はまだ決まっていないようだ。

同州ビクタービルにあるカリフォルニア・ルート66博物館で働く友人、Delvin も自身のFBで同様のニュースを先週載せていた。
この建物の通りを挟んで東にある、もう使われていないガソリンスタンドが1940年に出来た際に、「スキーロッジルーフハウス」は民間に売却されたそうだ。

カリフォルア州ダゲットの街は、同州ルート66の拠点バーストウより東へ僅か10マイル(約16キロ)に位置し、車で走ればものの15分かかるかかからない距離にある。さらにその先には例の「Bagdad Cafe」が建つ、ニューベリースプリングスの街がまたまた僅か16マイル(約26キロ)にある。バーストウで宿泊した際には朝飯を食べるにBagdad Cafeまで行くのが私の常套なため、ダゲットに立ち寄れる機会は限られていた、というのが「言い訳」だ(笑)。

ダゲットの人口は約230人。街の交差点から唯一目視で営業が確認できる食料雑貨店「デザート・マーケット」以外は歴史を感じるのみの静かな場所だ。ルート66を離れて北方向へ15分程度車を飛ばせば、Yermo という街にたどり着き、多くのファンが訪れる「Peggy Sue Old 50’s Diner」という著名なダイナーがある。

街の歴史は1880年代まで遡る。ダゲットの北にはそのエリアの鉱山から銀が採れることで一躍有名になった Calico という街があり、当時ダゲットを通過していたサザンパシフィック鉄道は「Calico Junction」という駅名を付けていたが、Calico の街との分別に紛らわしいことを理由に、街名を1883年当時の同州の政治家であった John Daggett 氏の名前から命名する。
その後サザンパシフィック鉄道は、このダゲットを東西運搬の基点の一つにする予定だったが、鉱山の影響もよって土地の価格が高騰、基点はバーストウへと移行して行くという歴史もあるのだ。

そんな哀しい?背景があるせいなのか、その事実を知った後の自身の勝手な想い込みかは知らないが、私はここの線路の真ん中に座ってじっと先の景色を見るのが好きだ。(良い子は真似しないように)
危ないと思う方も多いだろうが、実は今はもうそんなに頻繁に列車は通らない。通る時もかなり遠くの距離からけたたましいサイレンが鳴るので、事故に巻き込まれることは無いのだ。

話は脱線したが、そう。私は何度もここを通っていながら、この建物の存在を知らなかったのだ!このニュースを見たとき「え?どの建物の話?そんなのあったっけ?」と久しぶりに「狼狽えた」。最近ことの他、記憶には自信を無くしているが、それとこれとは別物である。
自慢じゃないが、シカゴからサンタモニカの全長2,347マイル(約3,755キロ)に及ぶルート66の道はターン・バイ・ターンに「ほぼ」説明できるのだ。(ターン・バイ・ターンの和訳が上手く付けられない、泣)

そこで、自身で撮った写真からダゲットの風景を探してみた。
おおおお、あるじゃないか。
その建物は撮っていないが、その横の旧印刷会社は何枚もレンズに収めている。興味が引かれなかったのか、見る目がないのか。
下記の写真、右端の赤丸部分に映っているのが確認できる!(笑)

次回ダゲットを訪れる時は徹底的に観察しようと思う。
それまでにはビジターセンターになっていて、いやでも目に着くようになっていることを祈って!

デザート・マーケット正面(イラスト風デザインで)

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