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今、シゲが熱い

直球ストライクのルート66ネタではないが、今日は我々がアメリカとルート66に大いな愛情と敬意を活動している「ルート66アソシエーション・ジャパン」をいつもサポートしてくれるシゲこと、茂村泰彦氏(以下シゲ兄)の近況を少しお伝えしたい。

シゲ兄は島根県出身の歌手でありギタリストだが、更には作詞、作曲、編曲、そしてプロデューサーまでこなす万能ミュージシャンだ。
以前このブログでもシゲ兄のパフォーマンスを紹介しているので、記憶が曖昧な方は下記リンクをもう一度チェック!😉
https://www.toshi66.com/yasuhiko-shigemura-on-stage-rock-bottom-tokyo/

そんなシゲ兄が故郷、広島について書いた曲、The River に関する記事が先月、地元中国新聞に掲載されたので共有したい。
間違ったメッセージと誤解されたくないのだが、これは戦争を批判する曲ではなく、あくまでも世界の平和を願ったものであるということ。
私もシゲ兄もアメリカを心から愛しているからね!

以下、その記事と、The River お聴きください。

https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=117994

さて、そんなシゲ兄。コロナ禍で活動を自粛していたご自身のバンド「Kactus」のライブが 2年ぶりに開催されます。
とは言っても、今回は東京限定の 2回のみ!結成25周年の記念ステージなのでお時間の許す方は是非原宿へ!

近い将来、自由に世界を飛び回れるようになってきたら、シゲ兄をルート66上の各イベントに引きずり回す計画をしているのは内緒 😎

シュトルツ教授、ニューメキシコを調査中

Composer Nolan Stolz at the Lensic Performing Arts Center ©Luis Sanchez Saturno, The New Mexican

そして前回触れた「2編」の二つ目をここで。
今回はニューメキシコ州サンタフェで発行されている日刊紙「サンタフェ・ニューメキシカン」紙に先月18日に掲載された記事、「Musician Travels through New Mexico for Route 66 Composition Field Research」の紹介です。同紙は「米国西部で最も古い新聞」と言われ、何と創刊号は1849年11月28日なのだ!
2004年に本社をサンタフェ市内のワン・ニューメキシカン・プラザに移転し、同州最大の街で発行するアルバカーキ・ジャーナルも実はここで印刷されている。

余談だけど、かくいう私はこのサンタフェ・ニューメキシカン紙とはご縁があり、(10年以上前になるが)サンタフェに住んでいた当時、黄葉の秋を郊外の Tesuque、Chamisa、そして Black Canyon Trail を家内と散策していた際の様子が写真と名前入りで同州に載せてもらったのだ🤩

たまたま記者さんが近くを取材で歩いており「良い写真が撮れたので載せてもいいか」と。本物の記者さんかな?と半信半疑ではあったものの、載って不味い写真ではないのでOKしたら本当に載ってしまったってわけ。
その時の写真がこちら ⇩ 😆

おっと、話が強烈に脱線したけど、ご紹介している ノーランシュトルツ教示が2026年のルート66生誕100周年に向けて活動中のプロジェクト「ルート66組曲」のリサーチをニューメキシコで行っているという内容の記事である。相変わらず原文での紹介しか叶わないが、是非こちらもご一読頂きたい。

https://www.santafenewmexican.com/news/local_news/musician-travels-through-new-mexico-for-route-66-composition-field-research/article_d8824510-a4c1-11ec-8666-87295575efed.html

シュトルツ教授の奏でるルート66

Dr. Nolan Stolz at Kingman, AZ ©Travis Rains, Kingman Daily Miner via AP

最近 SNS 上でルート66を愛する共通の友人を通じて、新しい仲間と知り合った。彼の名前は Nolan Stolz、何とサウスカロライナ州の音楽教授でクラシック音楽の作曲家であり、「ノーラン・ストルツ博士」だそうだ。

こう見えてもクラシック音楽をこよなく愛する私は、彼の経歴に非常に興味が湧き、メッセージのやり取りの中から、ノーランの現在取り組んでいる、ルート66 百年祭に向けた活動に関する記事を 2編、ご紹介したい。

まずは、こちらの記事。イリノイ州ブルーミントン・ノーマルを中心に、同州中央部の8つの郡と60 ものコミュニティで発行されている日刊紙 Pentagraph に先月 6日に掲載された、「Composer Cruising Route 66 to Put Highway to Music 」。

https://pantagraph.com/news/state-and-regional/composer-cruising-route-66-to-put-highway-to-music/article_4677bd2e-4923-5063-8bb9-c43c5a99647e.html

調べたところ、Pantagraph は歴史を遡ると、ブルーミントンの実業家ジェシー・W・フェル氏が 1837年1月14日に設立した新聞で、マクリーン郡で最も古い歴史を持つ企業とのことだ。その後オーナーが変わったり、媒体の名称が変わったりで、2008年より現行の Pantagraph で発行している中々由緒あるメディアなのだ。

説明はさておき、記事は「もしルート66が交響楽団であったら、どんな音色を奏でるのだろうか?」という題目で展開。さすが作曲家の先生ならではのアプローチだ。

残念ながら?私は記事元である AP通信社と契約をしていないので、記事を全訳してお届けすることは出来ない。
面倒だな、と思う方もいるかもしれないが、是非原文で一度読んでみて!

Happy 95th Birthday Route 66 🎂~茂村泰彦氏を迎えて

95年前の今日、ルート66はその産声をあげた。合衆国連邦と各州の道路委員会の面々がノースキャロライナ州パインハーストで開催された公式会議にて、「66」が正式に割り当てられ、ルート66が誕生した瞬間だった。
ルート66の歴史についてここで触れるつもりはないが、今回はその歴史に「乗っかった」お話を一つ。

昨年より大手旅行代理店 H.I.S の井手田氏と一緒に同社主催のオンライン・ツアーで「ルート66 妄想ツアー」を担当させて貰っていることは、ちょくちょくこのブログやSNSでも宣伝しているつもりだが、今年の夏前から個人的事情で半年近くお休みを頂いた後、先日久しぶりに妄想ツアーの配信を行った。(視聴参加の皆さんありがとうございました)


11月11日ー
そう、再開するのは 11月11日と決めていたわけで、もはや言うまでもないルート66の誕生日の設定だ。アメリカと日本がちょうど同じ11日になるためには、日本時間 11日の午後10時という、ある意味ギリのベストチャンスに設定が必要だったわけで、平日の夜という「集客」の観点からすれば(一番大事な要因に)疑問符の付く時間帯に快く許可をしてくれた井手田氏には感謝だ。

せっかく 11月11日なのだから、今までとは何か違うことをしたいね、という二人の願いの下、従来のスライドを使った100%講義型から、新しい手法を二つ用意してみた。
一つは現地シカゴからのライブ配信。井手田氏はこれを実現するためにお休みを利用して何と自費でシカゴへ飛び、ダウンタウン、アダムス通りに立つルート66のスタート地点サインポスト、及びそこから少し離れた著名ダイナー「Lou Mitchell 」から何と私のいつも注文する朝食アイテムを実際にオーダーして店内を紹介するという大胆なことをやってくれた。
こういうフットワークの軽さは H.I.S の強みであり、それを実行する井手田氏が多くの同業者に愛される由縁だろうか。

そしてもう一つの企画はスペシャルゲストを招いてのちょっと対談+ライブ音楽、そうミスター・ジャーニーマン、茂村泰彦氏の登場だ。
シゲ兄こと茂村泰彦氏は、島根県出身、広島育ちのプロのミュージシャンである。歌手、作詞家、作曲家、編曲家、ギタリストそしてプロデューサーと活躍の幅は広い(広すぎる🤠)
TUBE、高橋真梨子、中森明菜、黒沢健一、19(ジューク)を始め多くのアーチストの作品に携わり、自身でもバンド「KACTUS(カクタス)」を結成し、毎年全国ツアーに精を出している素敵な「兄貴」だ。
そんな正真正銘のプロに出演をお願いするなど、大した出演料も出せない失礼さも含め😅、かなりガッツの要る話ではあったが、何とシゲ兄は二つ返事で快諾してくれた。

シゲ兄、最愛の奥様、美子さんのSNS投稿より

私がシゲ兄と初めて会ったのは、数年前のルート66アソシエーション・オブ・ジャパンの年次会合でのことだった。アーチストだというのにとても気さくで話しやすく、すぐに好印象を持ったことを憶えている。なーんて書くと上から目線っぽくて恐縮だけど、その後シゲ兄の歌を直に聴いたときの感動も忘れていない。もともとウェストコーストサウンドがお好きなようで、ロックとポップスが融合した心地良いサウンドは、同年代ということもあってか、シゲ兄のちょっとハスキーな歌声も加わって、心によく響いた。あとで聞いたらイーグルス、ジャーニー等80年代のアメリカン・ポップスも大好きなようで趣味は完全に一致した😄

そんなシゲ兄に何と 3曲もご披露頂き、私がただただルート66の魅力について語っている番組の価値は何十倍にも膨れ上がったってわけ。
この場を借りて再度、心からお礼を申し上げたい。本当にありがとうございました。

シゲ兄はこの後もまだ今年のツアーが少し残っているのに、その合間をぬって時間を調整してくれた。あと6本ライブはあるのでもし興味のある方は是非足を運んでみて欲しい。平日だけど、東京では 12月3日(金)原宿があるよ!

最後に、シゲ兄が書き下ろした最新作「The River」をご紹介して今日はおしまいに。
曰く「原爆の事を知らない人たち、知るきっかけがなかった人たちに伝えたい。」広島で育った彼だからこその逸品ではないだろうか。

2022年、また以前と同様にルート66を訪れることができる日がくる。今度は私がシゲ兄に少しでも恩返しする番である。
知名度も実績もある人に僭越ながら、ルート66のイベントで一つでも多く歌ってもらうのが私の夢の一つなのだ。そしてその積み重ねは2026年へと続く。私にはまだまだやりたいことが山ほどあるのだ😎


週刊NY生活月イチ連載 SEASON 3: Vol.4 旅に合う最高の音楽

毎月恒例の寄稿、SEASON 3!今月のテーマは何年か前にルート66を再度走ってみようと思い立った時、偶然にも巡り合った素晴らしい音楽のお話です。

詳細は週刊NY生活ウェブサイト ⇩ まで
https://www.nyseikatsu.com/editions/733/733.pdf

Road Crew – America’s Route 66 Band


2016年のニューイヤーズディよりスタートしたこのブログ。最初の題材は、夜中のネットサーフィンで何気なく発見した「Songs from the Mother Road」という、私のハートを一瞬で鷲掴みにしたタイトルのCDだった。すぐさまダウンロードして聴いた時の興奮と喜び、「こりゃ良いものに出会ったなぁ。次の旅のお供はこれだよ、これ!」は、今でもはっきり憶えている。
実際すぐには旅に出るチャンスはなかったものの、スマートフォンに落とし込みチャンスがあれば聴いていた。それから10か月、イリノイ州エドワーズヴィルで行われる「Miles of Possibility」という、イリノイ州ルート66アソシエーションが主催するカンファレンスで、Road Crew というバンドがゲスト出演するという情報を得た私は、それまで実は行こうかどうか迷っていたけど、主催者に即レス、参加する旨を伝えた。(Debyjo、Chery すまないw)


イリノイ州とは言え、エドワーズヴィルがあるのは州のかなり南、ほぼミズーリ州との境近辺だ。だから金曜日を一日だけ有給取れば、3日間は余裕で週末の素敵なルート66 小旅行に変わる。
Miles of Possibility は決してルート66愛好家の同窓会でなく、様々なテーマを決め、その分野の第一人者の講演や、各組織のプレゼン等を含んだ立派なカンファレンスだ。もちろん顔見知りの大所帯でのレクリエーションもきっちり行うので同窓会の側面もあるけどね(笑)

ルート66は8州に渡って 2,347 マイル(約3,945キロ)だけに、各地域の友人知人に会おうと思うと一苦労だけど、こういう集まりがあると沢山の友に一度に一カ所で会えるという最高の利点がある。この手のカンファレンスに出席するのは実は初めてだったけど、今後は可能な限り来ようと誓った。

話はいつものようにズレちゃったけど、その Road Crew の皆さんに会いたいのがメイン目的でサンフランシスコから飛んできたわけで。ちょっとでも話せたら嬉しいな。握手なんかできたら最高だろうな、なんて思いながら、小学生の時に松阪慶子さんに会いに行った時と似たような感覚でその夜まで過ごした。


その夜のステージは最高だった。
例のアルバムから数曲、知らなかった曲も幾つか、そして新しくリリ―スしたばかりのアルバム「Under The Neon」から。ルート66の生ける伝説、Tattoo Man、Ron を唄ったにした軽快なナンバーも心地よい。後でミーハーにも、ジャケットにサインまで頂戴したw


何もかもに満足したのに、その上何と彼らは非常に素敵な人達だった。全く気取らず、奢らず、普通の友人のように話してくれて、一緒に笑ってくれる。
やはりルート66のホスピタリティ精神は著名なミュージシャンであれ何の変わりもない。特にその中でもVocalとGuitarを担当する Joe は会う以前よりFBで繋がってもらったこともあり、とても仲良くしてくれる友人の一人だ。

自らを「America’s Route 66 Band」と呼ぶ Road Crew の4人組。今後も、いやずっと応援して行きたい。
最後に Road Crew の公式ウェブサイトとビデオクリップをどうぞ!
http://roadcrew.weebly.com/

 

安らぎを求めてErickへ

アーケディアのネオンフェスタ後、今回の最終訪問地であるテキサス州アマリロに向けて私は西へ西へと車を走らせる。
次の大きな目的は Erick という小さな街の偉大なエンターティナーに会うためだ。
Harley Russell、自らを「二流」と呼ぶルート66を代表する「一流」は今日もまた観光客を持て成す。
街の中心を横切るルート66を Sheb Wooley 通りで左折すると、見慣れた標識と看板で覆われた宮殿が見えてくる。変わっていない、そう変わるわけないか(笑)


ちょうど到着した時は建物の前に何も停まっていないシャッターチャンス。中からはもう帰るであろう観光客とHarley が会話をしているのが聴こえた。


「やあ、Harley 調子はどうだい?」内に開く網状の扉を開ける。
「おやおや誰かと思えば珍しい客だな」と、言葉と裏腹な人懐こい笑顔を顔いっぱいに出迎えてくれる。

相変わらず元気そうだ。「最近はどうしてる?」「今回はどこまで行くんだ?」「日本のツアー客はまだかい?」矢継ぎ早に質問の集中砲火。まあいつものことだ。とは言え、彼は特に質問の答えを早急に求めているわけではないのだ。

 

 

 

「まあ、いい。後ろの家の方でゆっくり話そうじゃないか、今日はもう予約は入ってないからな」笑顔そのまま「宮殿」から一本隔てた自宅へと導かれる。


「好きなとこに座んな。アイスティーでいいかな。これは俺の特製さ、美味いんだ、きっと気にいるさ」そう言われたら要らないとは言えない(笑)

そうやって私とHarley のゆっくりとした時間は様々な話をしながら過ぎた。なぜかこの場所に来ると、Harley と話をしていると気持ちが安らぐ。不思議な感覚だ。ルート66を愛し、音楽を愛し、旅を愛する。そんな共通点が国も人種も文化も全く違う人間を出会わせ何度か同じ空間に置く。何度も繰り返すが、これがルート66に魅了された楽しさの一つだ。私達の大きな違いは、彼は「一流」のエンターティナー、私は(そこそこ一流の)人見知りという点だ(笑)

どの位時間が経ったのだろうか。春から夏に移行する中世部は陽が長いが、もう夕方か。互いの近況や事情を一通り話し合った。楽しく、そしてゆっくりと落ち着いた時間をまた過ごさせてもらった。本当に寛げる安らぎに時間を与えてくれる Harley に感謝だ。

次の再会を約束して私はゆっくり腰を上げた。さて、いよいよテキサスだ。

追伸①:例のアイスティーは美味しかったけど、ちょっと甘いなぁ(笑)

追伸②:今日8月19日は、UKからの訪問客と元気にFBに載っている。人気者 Harley の夏はまだまだ終わらない。
(写真は彼自身のFBページより)

 

 

Arcadia Neon Fest 2017 ⑤:Arcadia の夜は永遠に

“Hey Toshi, Let’s meet to dine with us around 17:00! Will call ya later.” と、簡単なSNS メッセ―ジが届いたのはその日の午後2時すぎ。おいおい、こっちにも予定ってのがあるんだよ。そうならそうと早く言えよ!と腕時計と睨めっこしながら間に合う距離にいるのか再確認。
もちろん皆で一緒に夕飯するのは大きな楽しみの一つだけど、自分の予定は曲げられない。でもちょっとばかり足早気味に行動、彼らからの場所の連絡を待ちながらBristow、Depew、Stroud の街での撮影に精を出す。


時間を見ればもう4時を回っている。が、一向に連絡の兆しはない。まあこのままArcadia に向かえば5時過ぎには着くはずなのでピッタリだろうとばかりに(それでもフリーウェイには乗らず)ルート66をひたすら走った。

さて、時間は午後5時17分、Arcadia の街に入る。予定より若干遅れたが許容の範囲だ。が、一向に連絡がない。
“hey guys, where you all? Ain’t know the place yet.”
“Oh Toshi, forgot to text ya. We all at XXX.”
とまあいつもこんな感じだ(笑)
指定された店は典型的なアメリカン・フード。オクラホマのアメ食だ。心からホッとする。美味い。


どうやら結局かなりの大人数で行くことになったらしく、誰が行くのか何人行くのか誰もつかめておらず(最終的には30人を超えていたらしい)店には流れてきたものの適当にバラバラに座りそれぞれ楽しんでいる状況だ。
こういうの本当に楽で良い。苦手な方もいるだろうが、私はこういう方が断然性に合っている。

陽もすっかり暮れはじめ、まだ夜は肌寒いオクラホマ州の4月。Arcadia Neon Festa の2日目が始まった。昨日は Jim と Shelle のサプライズ結婚式だったが、今宵は仲間内ですっかり談笑。近隣 Yukon の街よりエルヴィスも甦り(笑)素敵なパフォーマンスで会を盛り上げてくれた。
ご本人の許可を貰っているのでちょっとだけその雰囲気を味わって頂きたい。

今回8州にわたるルート66のうち、5つの州から多くの友人が集まった。毎年夏場を中心にルート66沿線上各地でいろいろなお祭りや催しものが開催されるが、いつも一大家族のリユニオンのようだ。互いの元気な姿を確認し、最近どうだい?と仕事の話、家族の話、悩み話、下らないゴシップから政治の話までまるで本当の家族のように本音で気取らず楽しめる。
元々この集まりには最初から参加する予定では居たものの、今年の春に実は少々大きな決断をするに至った。だからこのフェスティバルで彼らに会うことは、オクラホマからテキサスを走っておくことは今回非常に重要だったのだ。

沢山の笑い声とアップビートな音楽に包まれてアーケディアの夜は更けて行く。

 

1966年のBob と Glenn


ちょっと前に話題になったことだけど、伝説のロック歌手(古いな表現がw)Bob Seger 氏が、昨年67歳の若さで他界した元イーグルスの Glenn Frey 氏を偲んで曲を書いた。「伝説の」とか書いたけど、実は彼が全盛期だった70年代中盤の姿を私は殆ど知らないんだ(笑)「まだ生まれてない」とか「幼かったからね」とか言わないよ。しっかり洋楽も聞ける時代だったし。ちょっと調べてみたらどうやら日本では余りブレイクしなかったらしい。


本国アメリカでは所謂「スーパースター」だったようで、分かり易い例えをすれば The Boss の愛称で有名な Bruce Springsteen 氏のような存在だったらしい。年間200本以上のライブをこなし、新譜をリリースすればメディアはそれを流し続け、アルバムは常にベストセラーだったそうだ。

そんな二人、実は共にデトロイト地域の出身で、それぞれが有名になるずっと前から友人だったそうだ。Seger 氏はローリングストーン誌のインタビューでこのように話している。
「これは商売じゃないよ、全く。コーラスだって無ければ曲のタイトルだって無いんだ。ただ単に僕が彼に最初に出会った1966年の、あの時の記憶の思い出にしたかっただけなんだ。」ナッシュビルに音楽スタジオでこの曲を録音したときも、テイクは1回か2回だったそうだ。「ドラムの奴にこう言ったんだ。これはある種のバラードだけど、思いっきり力づくで叩いてくれってね。違和感があるほどにね。何故かって?ビートの利いたバラード。それが僕の Glenn に対するイメージなんだ。」彼はそう続けてた。


その後 Bobと Glenn は幾つもキャリアの中で出会いを続けていたらしい。
代表的なものを紹介すると、Bob の最初のメジャーヒット曲 “Ramblin’ Gamblin’ Man” の後ろで Glenn はコーラスを担当していたようだし、イーグルスの名曲の一つ “Heartache Tonight” は Bob が共同で書いた作品とのことだ。

私が生まれた1966年に彼らは初めて出会っていた。自分とは全く関係のない世界のスター達の人生もちょっとしたことで勝手に身近に感じるのは妄想が激しいのだろうか。自分はもうミュージシャンではないけど、もし自分に何か起こったとき、こうやって唄ってくれる友達っているのかな、って。人生も後半に入ってちょっとそんなことを考えた。

そうそう、この曲 “Glenn Song” っていうんだ。超ベタな名前(笑)
でも iTunes なんかで無料でダウンロードできるんだってさ。カッコイイね Bob。

最後に YouTube の映像を。

 

 

 

 

California Route 66 & Joshua Tree N.P.:その④

Newberry Springs と言えば、バグダッドカフェ、だろうか。1987年に旧西ドイツで制作された映画でも有名な「あの場所」だ。多分日本のルート66ファンの方々の中でもトップ3を争う人気スポットではなかろうか。


Jevetta Steele さんが唄った「Calling You」のメロディが、ここを訪れると必ず頭の中を勝手に流れる。いやはや音楽とは恐ろしく影響力を持つものだ。
感謝祭の翌日なんぞ営業してるのかな?なんて思いながら行ってみたら、やってるじゃん!さすがだ。とは言えお客はまだゼロ。書かれている営業開始時間から30分ほど経ってから参上したんだけど、何とシェフもさっき着いたばかりで着替えてもいないらしい。「好きにやっていいよ」と、セキュリティのお兄さん。
「あなたに言われなくたってこっちの方が常連だよ」と心の中で悪態をつきながら、誰もいないのをチャンスとばかりに撮影開始。


オーナーのアンドレアさんは娘さんの住むロスアンゼルスに行っているらしく今日は不在。一通り無人のカフェの撮影を愉しみ、お兄さんに御礼を言って退散した。
ここを訪れたことのある人なら分かると思うけど、バグダッドカフェに誰も居ないって早々あることじゃないんだ。勿論皆、それぞれの時間を満喫しているので写真撮りたいからどいてなんて絶対に言えない。建てものの外だって必ず車やバイクの1,2台は最低でも停まってるものだ。

ところが今日はどうだ。いやー来てみて良かった。マジで。
オーナーさんと今回会えなかったのは残念だったし、朝食だってモーテルに付いているものをしっかり食べたから、例えシェフが時間通り来てたって注文なんかしないよ(笑)
誰も居ないってのは逆の意味でテンションが上がった。サンギビ、クリスマスなんかの祭日絡みは狙い目だね、きっと。
じゃあ折角なんで、Calling You の歌で本日はお別れです。

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