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【週刊NY生活月イチ連載】Season 5 Vol.7:「青鯨」リゾート化計画や伝説の男の表彰など

毎月恒例のNYを中心としたローカル日系情報誌「週刊NY生活」紙にて連載中「さあ行こう!魅惑の旧街道ルート66」SEASON ⑤の第7回、今月は
アリゾナ州:ルート66復興させた伝説の男
ミズーリ州:セントルイス旧裁判所の改装プロジェクト
オクラホマ州:ブルーホエールの改装
テキサス州:アマリロのドライブインシアター閉業へ
、というニュースをお伝えします。
記事全文は週刊NY生活ウェブサイト ⇩ まで (18ページです)https://nyseikatsu.com/editions/941/941.pdf

そうそう、今日はもう一つ。
週刊NY生活の社長さんより連絡を頂きました。
読者であるコロラド州デンバーにご在住の方が、私の記事を読んでくださって実際にルート66へ旅に出られたそうです。
ありがとうございます!

オジサン二人のルート66旅④ミズーリ帰路編

ということで、今回のイリノイ~ミズーリ旅の目的は「ほぼ」終了。
時間は午後3時近いので、今日はこの後どこまで走れるのかは分からないが、シカゴへ向けての帰路、出発だ。
このシリーズ②まで登場してもらった健さんはキューバより一足先に帰ったので、正確には「オジサン一人」のルート66旅に戻るが、その健さん、ニューヨークへの帰路は大変だったらしい。予約していたフライトは悪天候の為、キャンセル。セントルイスからシカゴへ飛ばされて、そのあとフィラデルフィアに行かされ、最終バスに乗ったとか・・・
うーん、やはり持ってるね、この男 😂
やっぱり今回シカゴからセントルイスにかけて天気がイマイチ優れなかったのは、健さんが理由だな。
その後の Gay Parita のイベントの天気を見れば、一目瞭然だ。

さて友人のディスりはここまでにして、先へ急ごう 💦
時間が押しているが、ミズーリ州内の2人の友人に挨拶だけでも!

まずは、Gay Parita から走ること 100 ㍄、Waynesville という小さいが、ルート66 の歴史に溢れる素敵な街。ここでギャラリーを営むのが、Jax Welborn。数年前に彼女がこの地で店を出したのは知っていたが、中々訪れる機会がなく今回が初訪問となった。

地元のアーチストの作品から、ルート66関連の作品まで所狭しと置いてあるが、さすが Jax、几帳面な性格ゆえかそれらも整然と配置されている。
こういうお店を営んでいる人たちは通常週末はお店を出れない。Gay Parita でのイベントも然程遠くはないが、仕方ないのだろう。思いがけずギャラリーを訪問できて一石二鳥?だ 👍

友人知人の作品も多数飾られているギャラリーを見ながら聞いてみる。「ねえ、将来的にさ、私がここに写真の展示させて、って言ったら受けてくれるの?」Jax は、快く「もちろん!」って 😊
それは嬉しい。私もいつかこういうギャラリーでお見せできるような写真を撮りたいものだ。最後に正面からの一枚で。

さて、お次は昨日会いそびれた Wheel Wagon Motel の Connie の所へ。
ウェインズヴィルより更に車で約 1時間、50㍄ほど戻っていく感じである。
細かいことだが、下の2枚の写真は昨日撮ったもの。もう時間は夕方5時を過ぎているので、夕陽がきれいに出ないと写真は「映えない」時間帯へと突入する。

いたよ、いたいた 😊 相変わらず元気のようで安心した。レセプションの横にあるお店も、宿泊客だけでなく、地元の人かな?訪れているお客さんも居て嬉しい。前回来たのはパンデミック前だから、ゆうに3年ほど時間は経過しているのだが、どの友人に会っても、全くそんなインターバルを感じない。昨今のSNSがこれに大きく寄与していることは否めないね。この3年間に何度か連絡取り合ってるしね。

このモーテルはいつ来ても本当に絵になる素晴らしい景観。1936年に “Wagon Wheel Cabin” として開業したが、2009年に Connie が買い取り全面改装、細かいアップデートをしながら現在に至る歴史のあるモーテルである。ルート66より100m以上中に入った部屋棟の前に広がるちょっとした空間が旅人同士のコミュニケーションも生む、私の最も好きな場所だ。
距離の関係から、今回(昨晩)は、レバノンに宿をとったので、ここでゆっくりする時間がないのが残念極まりない。
あ、これって我々州外の人間にとっては一つの大きな問題なんだよね。
ここキューバと、レバノンは僅か90㍄しか離れていないんだけれど、その両街に歴史的な素晴らしいモーテルがあるわけで。旅行に中々そんな時間をかけていられない州外者は、自動的にどちらかに決めないといけなくなる。毎月来れるものでもないし、頭の痛いエリアなんだ 😵‍💫

モーテルの中庭

さあ、ここからイリノイ州に向かってどこまで走れるか?
やっぱりセントルイスかなぁ、でも都会は高いからなぁ。。。

【付録】
時間に追われての今回の旅。
「生存確認」?だけするために停まった箇所を2,3ご紹介。
ミズーリ州ルート66にはまだまだこんな素敵な場所があるのだよ、健さん 😎

Devils Elbow
今回は、いつもあまりお見せしていない、デビルズ・エルボーの街の方を。 街に一つの Market?は、実は郵便局。行く旅に顔を見せると「おやおや、珍しいのが来たな。お前さんにゃ郵便物は届いとらんよ」と、揶揄われるのだが、残念ながらもうとっくに閉まっている時間 💦寂しい・・
デビルズエルボー橋はこのブログトップに。広角で撮ってみた。

で、下は橋を渡って向こう側にある Devils Elbow Inn。一時はバイカー客を中心に物凄い繁盛したのだが、現在改装中のためお休み。
壁一面にデコレートされていたブリキのサインやシールドが懐かしい。
いつごろ復活するのだろうか 😥

John’s Modern Cabins
1931年、Beatrice と Bill Bayliss 夫妻によって “Bill and Bess’s Place” としてオープンしたキャビン式の宿場。不況時代に高価なホテルに代わって、安いログ小屋式は人気があったそうだ。
今も名前として残っている Johnは、1951年にこのプロパティをUSD$5,000 で買った Lillian & John Dausch 夫妻に起因するものだ。
他のルート66の事例に漏れず、I-44 号線のインターステートが建設されルート66ふが拡張、迂回の歴史を辿ったあたりから、エリアは衰退。

聞くところによれば、1971年以来メンテナンスはされてなく、1960年代からバイパスされていることから、敷地は悲惨で修復が難しい状態にある。前を通る砂利道も走ることはできるが、途中行き止まりになっており、他の道から迂回して入ってこないといけない。
取り壊しと、それに反対する私達ルート66保存会のやり取りは続くが、今後の展開はまだ不透明なままである。

最後は、私が個人的に「異星」と表現するエリア、Hooker Cut。私と同世代の方々は Steven Spielberg 監督の名作「未知との遭遇」はよくご存じだろう。あの映画の撮影はワイオミング州のデビルス・タワー(おっ!デビルズ被りだ)だが、私にとっての未知との遭遇は、まさにここだった。
きれいに削られた岩山の間をまっすぐ走る片道二車線の道、そしてまっ昼間にもかかわらず、車がほとんど通らない静寂さ・・

話の始まりは1939年、欧州で第二次世界大戦が始まった後、アメリカの参戦が決まる翌年、米国陸軍は近隣の St. Robert の街に “Fort Leonard Wood” 訓練所を設置。砦の建設には多くの労働力と建築資材が必要なわけだが、これを運搬するのに、上のデビルズ・エルボーでは都合が悪かったわけで。つまり、山道は険しく、道の舗装は悪い。トラックの横転が相次いだことから荷物泥棒も増加。ルート66は “Bloody 66” という悪しきニックネームまで頂戴した。
で、そんな環境を一気に変えようとして1941年~42年にかけて行われたのが Hooker Cut という建設大工事。岩山を爆破して現存する「切通しルート」を造ったという場所である。ぜひ行ってみて頂きたい!

シールド補修イベント@Gay Parita (05.28.22)

さて、友人と別れていつものルート66 独り学習旅に戻った私は、キューバより更に南下してレバノンに一泊。「ミズーリ州のお母さん」Ramona の Munger Moss Motel で充電し、車で約 1時間ほどかかる Paris Springs に位置する、 “Gary’s Gay Parita Station” まで走る。
実はココが今回ミズーリ旅のハイライト。Gay Parita で行われる Shield Repair (RePaint) 即ち、ルート66 のマークを旧ガスステーションの前の道に「再塗装」する、ローカル・イベントに参加することが旅の第一目的だ。

前日に集合時間を確認したところ、「9時半あたりに来てくれれば大丈夫だよ」と、いう Rich の言葉に、それならばと、少し余裕をかまして Gay Parita の近くにある Spencer に寄ってみることにした。今まで何度も訪れている大好きな場所だ。スキップしても良かったのだが、よーく考えてみてほしい。パンデミックのおかげで再渡米するのに 3年かかったのだ。この地を訪れるのも自身の記録を辿れば 3年半になる。一体あの時点で誰がこんな状況になることを想像しただろうか。「次回」は必ず来るとは限らないのだ。この場所を見るのは今回が最期になるかもしれない。大切な友人達に次回また会えるとは限らない。このように考えると「その一回」はとてつもなく貴重な時間であり、体験であると改めて感じる。

ルート66を西へ走っていくと、道はゆるやかなカーブで左に曲がる。すると周りが緑に溢れる景色の中から現れるのが、この Johnson Creek Bridge だ。ルート66オリジナルの橋で、まだ国道として制定される前、1923年に架けられたものだ。この景色を見ると、何となくホッっとするのだが、分かって頂けるだろうか。。。💦🤔

橋を渡れば、その向こうは Spencer の街だ。街と書いたが、正確には Township 、つまりは地方自治体の運営する土地区画で、現在人口も 150人程度だそうだ。
この 旧ガスステーションが「街」の目玉で、現在では、きれいに修復された Phillips 66 のビンテージ品と、クラシックなオレンジ色の看板がある。開業当時のオーナーである Sydney Casey 氏は、元々あった理髪店、商店、カフェ、ガソリンスタンドで、旅行者をもてなしたらしい。

上の左側の写真、今まで自分でガスステーションと橋を一緒に撮ることって滅多になかった。なぜか?他の観光客の車が駐車するので、それらを一緒に写り込ませたくなかったから。でも今日は朝早いせいか他に誰もいない!チャンスとばかりにお初のアングルも撮れ、テンション上がってシャッター切ってたらつい思ったより長居してしまった!が、まだ時刻は9時20分。余裕である 😎

と、余裕を持って現地へ着いたら、何と、もう作業が始まっているではないかっ!そうだ、この時間にイージーな感覚、すっかりこの 3年間で忘れていたよ。いけない、いけない、ここは日本じゃないのだ 😵‍💫良い意味でも悪い意味でも「アバウト」なのだ。(私はこの方が断然気持ち良い)

今回このイベントの指揮を執るのは、ミズーリ州ルート66アソシエーション代表の “Roamin’ Rich” こと、Rich Dinkela 氏。このブログでは既に何度かご登場済の ルート66界の重鎮だ。
彼は何年か前にすでにこの舗道に一度シールドを塗ったことがあり、時が過ぎかなり劣化したことによっての今回の「再塗装」という運びだ。

先ずは既に路上に描かれているものの上に、彼が予め作成してきたパーツを合わせ、塗っていく範囲を設定することから始まる。

手順をよく理解していない私は、もっぱら彼らのやることを見ながらそのお手伝いに終始するのだが、せっかくの機会なので、認定もされていない非公式カメラマンとして幾つか記録をすることにした 😂
ではここで Rich の実際の作業も少し動画でお見せしよう。

出来上がった姿を少し遠めから。しばらくこのまま白い塗装を放置して乾かさないといけないとのこと。5月にしては今日のミズーリ州、天候が落ち着かないせいか、比較的湿気も高い。。。

という、ところで乾燥時間を待つ間、お昼+休憩という流れになる。
お昼は裏のパティオで皆でホットドッグにソーダ。久しぶりに会えた Gary や Richard に加え、SNSで繋がっていたものの今回初めて会えた Ed とランチからの談笑タイム。そうそう、こういう時間が Precious なんだよな。
(マスターカードかっ!)

そして午後は、塗装が乾いたことを確認してから、シールドの枠を当てはめて行き、黒い文字やラインを順に塗っていく。

そういえば、Gay Parita については過去にも何度か書いているので詳しくはふれないけど、最新?の画像はお見せしないとね。

いろいろな部分に手が加わり、きれいになってきたのが正面からもわかる。やはりパンデミックの 2年間、Barabara と George が一生懸命準備していたのが分かるね。

奥の納屋には Gary が長い時間かけて収集した多くのアンティークの看板やアーティファクトが所狭しと並んでいる。以前は埃っぽかったけど、そのあたりもきちんと並べられ、掃除もしたようで 😊

代わってこちら ↓ は、Gary が大好きだったクラシックカー。左はその名も「Gary」、1932年の 6速 International だ。右は「Larry」、1928年の同車である。カッコいいよね。

とりわけ一番驚いたのがココ!土産物の並ぶお店部分なんだけど、飾りつけも増え、きちんと椅子も直り、お店の中もかなり整頓されて商品の充実ぶりも増してきた。でも前来た時は、恐竜はいなかったような。。。

最後はここ。裏のパティオ?の奥の、プライベートスペースだ。こんな場所で毎日ゆっくり?できれば(お客さん来たらそうは行かないだろうけど)サイコーだよね。
ちょっと前までは私も「まだ」若ぶってたから、正直ここまで田舎になると生活して行く自信はなかったけど、今ならもう大丈夫 👍問題ないよ。
あ、ネット環境さえきちんとあればね 😉

そんなこと言ってる間に作業は最終章。黒で塗った後の色の境部分の細かい修正を施して完成に向かう。総作業時間、4時間ぐらいかな。

それでは完成したものをご覧あれ!

素晴らしい作品だ!
気になるのは、これでまた何年大丈夫なのだろうか?まあ、その時はその時でまた集まってやれば良いだけだけどね。

最後にまだ登場していない、Barb と George、そして久しぶりに会えた友人達とのショットでこのお話は終わり 👻

再点灯式と共に蘇る、伝説のRockwood Motor Court

先週11日~13日の3日間にわたって、ミズーリ州スプリングフィールドでは、第10回目のBirthplace of Route 66 Festival(ルート66生誕地祭)が開催された。昨年、一昨年とパンデミックのせいでイベントはキャンセルの憂き目にあったが、やっと3年ぶりに返ってきた。
とはいえ、残念ながら今年は参加が叶わなかったが、そのイベントの間、もう一つのルート66のアイコンが息を吹き返したお話をしたい。

場所は同じくミズーリ州スプリングフィールド。
1929年、Deverne Ruckman 氏によって、当時シェルのガソリンスタンドの裏に、「ツーリスト・キャンプ」は建設された。ルート66が認定されたわずか3年後のことである。初期のキャンプには、二重構造のキャビンや一人用のユニットなど、合計10棟のゲスト用施設、そしてカフェやガソリンスタンドもあったようだ。

ただ運の悪いことに、その年は「大恐慌」と呼ばれる、アメリカを発端に世界的に起こった深刻な経済恐慌があったことはご存じの通りで、この「キャンプ」も例外でなく、何度も所有者と経営者が変わったらしい。1948年、キャンプは場所を当時あったところより更に2ブロックほど西へ移動させ、敷地は “Rockwood Motor Court” と名付けられ、それ以降今日まで70年以上にも渡り受け継がれている。

モーターコートのホームページによれば、
*6棟のキャビン、ガソリンスタンド、カフェ、そして残る1台の車庫は、すべてここに元からあったもの
*ただし、南側にあるガレージはもう残っておらず、その場所は屋外の集会スペースに改造されている
*キャビンは、オザーク砂岩と赤レンガで縁取られた構造
*ロックウッドという名前は、砂岩を製材しているため「岩の中に木目があるよう」に見える、というこの石の特徴的な模様から付けられたと考えられている
*石造りの外壁の下には、オーク材が斜めに組まれ、屋根はシングル・コンポジションで覆われた古典的な切妻で覆われている

…… そうだ。

そして2019年、90周年を迎えた年に、同市の市会議員である Phyllis Ferguson さんとその家族は、モーター・コートを再びルート66のアイコン的モーテルとして営業すべく、改修に乗り出した。
翌年、長年レストランとして営業されてきたガソリンスタンドと住宅部分の修復が始まり、本来の用途、即ち短期滞在用または賃貸住居としての宿泊施設に戻されることになったのである。

Ms. Phyllis Ferguson

というところまでが実は前置きで、本題はここから。
そのRockwood Motor Courtは、この8月13日(土)、オリジナルのネオン・サインのレプリカの再点灯式を開催する、とSNSの投稿がモーテル側からあった。3月に紹介した、同州XXのShamrock Court のそれと同様の点灯式イベントだ。
詳細はここ ↓
https://www.toshi66.com/2022-03-20/

当然点灯式は日没後に行われないと意味がないし、日没も天候によって微妙に前後するから注意が必要だが、(予報によれば)当日の日没は現地時間20時07分で、その約30分後に暗くなる予定、ということで多くのルート66ファンが集まっているのをライブ放映された。
Travis Scott & Playboyz による演出で、19時からは市長さんの祝辞もあった。楽しい雰囲気が映像からしっかり伝わってきて、何人か友人の元気そうな姿もみれてよかったな。

By Jax Welborn in her Facebook

でもね、この手のイベント、2回連続で遠く離れた地から映像で見るなんて、一体私は何をやってるんだろう、と寂しさと諦めと怒りの混じった複雑な気持ちであることも確かなのだ 😰

↑ Video Image by Timothy Lyle in Route 66 in Springfield Missouri (Facebook)

肝心のお部屋だが、フィリスは、アンティークの家具や記念品を使って、
9つのユニットのそれぞれを「異なるノスタルジックなテーマ」で装飾している;フリスコ鉄道、キックス・オン・ルート66、カサブランカ、クラシックカー、キャンプロックウッド(モーターコートの歴史)、フランダース・フィールド(第二次世界大戦について)、キング・オブ・ザ・ロード(ルート66廃線後、モーターコートの終焉への皮肉な頷き)等だとか。
各部屋のサイズも、スタジオ、コテージ、フルサイズルーム、クイーンスイートとバラエティーに富んでいる。

ヴィンテージな雰囲気を保つため、テレビもカード・キーも無しだって!
でもその代わりに、ルート66や第二次大戦などの歴史書籍や雑誌が置いてあるのだそうだが、果たして「その代わり」になっているのかの認識には個人差があろう 😂
でもフィリスへのインタビュー記事によれば、Wi-Fi はあるそうで、曰く、「多少の譲歩は必要」だとのことだった。

「歴史保存が好きでロック・モーター・コートも好き。そして、地域の活性化にも関心がある」というフィリス。地域のことを大切に思い、自身の財産をつぎ込むってそんなに簡単なことじゃない。

今年の春は時間がなく残念な思いをしたが、近いうちに必ずロックウッド・モーター・コートを訪れてみようと思っている。そして、フィリスに直接会える日を楽しみにしている。

from the Motor Court Facebook Page

オジサン二人のルート66旅③ミズーリ編

さて、2日目というか、3日目というべきか、セントルイスの空は雨も上がっていい感じ。晴れ男の面目は完全に解除できたな 😊
今日はこのままミズーリ州をさらに南下してキューバまで健さんをお連れする予定だ。本当はもっと長く体験して貰いたいのだが、何せ仕事があるのでNYへ戻らないといけない。夜にセントルイス発のフライトを予約してあるそうなので、それに間に合うよう計算すると、キューバが限界なのである。

セントルイスと言えば、Ted Drewes のフローズンアイスを食べて貰いたいのだが、彼らの開業時間は11時。ちょっと難しいので、今回は泣く泣くスキップ 😭
その代わり、には全くならないが、ダウンタウンに建つ歴史あるダイナー、”Eat-Lite Diner” がどうなったのかこの目で確認に赴いた。

ダイナーは長く営業してきた L.B.Powers 氏が2017年に閉店、売却した。Joelと Shawna の Holtman 夫妻がその後ここを購入、半年後の2018年に 4月に店が再開したときはルート66界が沸いたものだが、結果的に思うようには行かなかったのか、2020年12月に再び閉店した。

昨年の段階では、この建物の現所有者は地元のシェフ、Tim Eagan 氏と聞いているが、このような状況 ↓ では先は明るくなさそうだ。。。。

次にご案内したのが Route 66 State Park(ルート66州立公園)、セントルイスの郊外、車で約 30分ぐらいの所にある。1999年、この公園は広さ 419エーカーを有し、公園周辺の環境とメラメック河 ルート66橋を含む、境界内のルート66の一部を解説、展示したビジターセンターで出来ている。付け加えると、このエリアは昔、タイムズ・ビーチという名の労働者階級のリゾート地域であったが、1980年代に広範囲でダイオキシン汚染が発見され、米国環境保護局によって除染後、解体された黒歴史を持つ 😰

公園の一部はメラメック河の東河畔にあり、ビジターセンターもそこにある。ビジターセンターは9時~16時半まで。上述した地域のルート66に関する結構な展示物に加え、大きなギフトショップも備わっているのは嬉しい限りだね。お店の品揃えは中々のもので、今回は 1946年に出版された J. Rittenhouse 緒の「A Guide Book to Highway 66」を購入した 😊

と、書いていると浮かれた観光客だが(ま、実際はそうであるとも言える)健さんにお見せしたかったのは「ルート66橋」だ。東河畔と西河畔は以前はこの橋で繋がっていたのだが、老朽化が主因で長い間閉鎖されている。将来の見通しは立っていないと聞いてる。。

健さんと一緒にルート66 に関するオンライン番組をやっているのだけれど、健さんはそのリスナーであるお客さん向けのプレゼントにポストカードを何枚か購入していた。さすが旅行会社の鑑である。

そんなこんなで思ったより長いしてしまい、ここからキューバまでは飛ばしても 1時間ぐらいかかるので、昨日に引き続きドタバタと焦ることに!🤣
ってことだが、その前に Sullivan にてワンクッション置くことにした。
サリヴァンと言えば、そう「シャムロック・コート」である。
このブログに訪れてくれておいる読者さんなら未だ記憶に新しい(はず)のネオンサイン点灯式の、あの一件だ。
(忘れている人。下記のリンクを参照してください)
シャムロック・コート復活の狼煙
https://www.toshi66.com/2022-03-20/(opens in a new tab)

とりあえず観光客らしく?モーテル前で記念撮影。
実際に点灯式をネットのライブ配信で見ていた時は、その 3か月後に改装されたモーテルをこの目で見ることができようとは夢にも思ってなかっただけに、いい歳してまだ営業していないモーテルの前で目頭が熱くなる。。

さて、本題の?沿線上の友人らと交流する旅、に戻ろう。
次に紹介するのは、音楽家で作曲家の ノーラン(Nolan Stolz)だ。
まだ実際に会ったことがないので、友人と呼ぶのはおこがましいが、昨今の SNS時代、ハードルはちょっと低めで。

ノーランに関しては下記の記事を参照していただきたい。https://www.toshi66.com/2022-04-03/(opens in a new tab)

これから行くキューバでは、何とそのノーランとの会食が待っている!
このミーティング可能になったわけは、私のSNS投稿を見て彼がキューバ付近で会えるかどうか打診してくれたってわけ。何度も言うけど、テクノロジー様様だね 👍

キューバ到着。
アメリカの街でキューバかいっ!って思う方もいるかも。

キューバは、(ルート66沿いの)「壁画の街」と呼ばれている。街のロゴにも “Mural City” と記載されているほど。その理由は2001年に始められた
“Viva Cuba Murals Project”といい、「美しいキューバ(の街)」を目指し、1984年に設立された Viva Cuba 団体の主導の下、2007年の、キューバの街設立150周年を記念して、街中に12枚の野外壁画を設けようとしたことが始まりなのだ。言うまでないが、著名なワゴン・ウィール・モーテルを含むダウンタウンの歴史地区は、「国定歴史地区」に登録されている。

前置きが長くなったが、その歴史地区を代表する建物の一つ、旧フィリップス66 のガスステーション跡こそが、今日ノーランに会う場所だ。
時計は遡って 1932年、Paul T Car 氏がこのガスステーションを建設した。1968年になって Bill Wallis 氏がこの土地を購入、モービル社のガソリンを販売しつつ Wallis Oil Company のオフィスとしても利用した。その時に建物を 1930年代の当時の姿に復元した、と言われている。

Weir On 66 ホームページより

その後 ジョアン・ウィアーさんが 2016年、The Four Way という名でレストランをオープン、現在の “Weir On 66” となった。
ワシントン通り(旧街道ルート66)と フランクリン大通りの交差点に佇むレストランはこんな感じ。

ノーランが連れてきた彼のお友達、ジョンも含め 4人で和気合合とランチをしながらお互いのルート66バックグランドを話した。因みに私の頼んだのはこれ。元々ギリシア料理系のレストランだったということで、GYRO。サラダ付きでとても美味しかった。多分フラットブレッドもここで手作りなんだろう 😋

別れ際に4人で壁画の前でチーズ。あ、壁画がきちんと写っていないね 😰
これはローカルのアーチスト、Ray Harvey 氏による作品で、Bill Wallis 氏とミズーリ州ハイウェイパトロールの75周年を記念して描かれたものだよ。

というところで、健さんとの旅も今回はここで終了。
セントルイスへ引き返し、夕方のNY行きのフライトに乗るそうだ。
短い時間だったけど、このルート66から何かを感じ、より一層好きになって頂けると幸い。自分で走る経験は語る上でも説得力を増すだろうし。
お疲れ様でした~ ♪

私はこの先、ミズーリ・ルート66をもう少し旅します。







週刊NY生活月イチ連載 SEASON 4: Vol. 12 「発祥の地」スプリングフィールドで楽しむ夏

いよいよあと2週間弱で日本はゴールデンウィークとやらが始まる。コロナ対策の規制が特に無い、久しぶりの?大型連休だ。
ニュースによると今年のGW中の国内旅行者数見込みは去年の 160%、意外に皆さんまだまだ慎重なようだが、少しづつ移動の機運は高まっている。あと3か月で夏。夏と言えばルート66発祥の地では毎年街を挙げたイベントが開催される。コロナ禍では自粛していたため、今年の開催は特別だろう。

毎月恒例の日系情報誌「週刊NY生活」紙にて連載中の、「さあ行こう!魅惑の旧街道ルート66」SEASON ④の今月のお話は、そのミズーリ州スプリングフィールドで行われる「Birthplace of Route 66」イベントについて再度取り上げてみた。
あ~これ行きたいな~。8月かぁ。どうかなぁ。。。。 😎

本当はこのイベントでブースを出したいのは内緒🤫

記事全文は週刊NY生活ウェブサイト ⇩ まで (14ページです)
https://nyseikatsu.com/editions/862/862.pdf

シャムロックコート、復活の狼煙

歴史あるシャムロック・コートのポストカード

ネオンサインの話続きで大変恐縮だが、もう一発放っておきたい😝

ミズーリ州サリバンの歴史あるモーテル、「シャムロック・コート」のサインポールと屋根ラインのネオンサインが灯る、待ちに待った点灯式が日本時間朝に行われた。
現地に行けていない私は当然?映像配信を見守るのみしかできないが、それでもこの約6,400マイルもの遠い地で現地と同じ感動を分かち合えるのはテクノロジーの凄いところ。本当にこの時代に感謝だ。

この点灯式は、ミズーリ州ルート66アソシエーションの会長、今までも何度か紹介している、Roamin’ Rich Dinkela 氏が昨年4月に購入したシャムロック・コートにて現地時間19日の日暮れ時間に合わせて行われた。
(私も一応ミズーリ州アソシエーションの会員だ)
いやいや本当にこの男には頭が下がる。敬服と称賛をどのようにしたらようか分からないぐらい素晴らしい。
皆さんは同州ヘイゼルグリーンでのガスコナーデ橋保存運動について書いた記事を憶えているだろうか?
その運動に率先して行動を開始したのもリッチだ。偉大なるルート66のチャンピオンだね。

話は少し遡るけど、この「シャムロック・コート」、元々は(今回の販売者である)ビリー・ウェイランド氏の両親である ジョンとローズ・ウェイランド夫妻が1953年に購入後、一家が 60年以上に渡って所有していたものだ。建物そのものは1947~48年頃建てられ、その所有者であったフリーマン・ドッズ氏より、ウェイランド夫妻が購入したとのことだ。

今回ビリー・ウェイランド氏がリッチにモーテルの売却を決めた時、その時すでに約10年ほどは誰も入居がいない無人状態であったそうだ。基本的なメンテナンスは行ってきたものの、モーテルを元の状態に戻す資金はなく、どのようにしたら良いか分からないものの、何等かの形で保存して欲しいと願っていたらしい。

シャムロック・コート公式ホームページ

さて、今日の点灯式には実に多くの人たちが詰めかけていて、正直少しびっくりした。しかもミズーリ州に、いやアメリカにもはやコロナは無い!と言わんばかりにマスクをした人は見当たらず、皆人生の楽しい時間を謳歌していた。心の底から羨ましい😂
そんなことはさておき、多くの人々がその点灯式を見ようと訪れたことにはワケがある。リッチは SNSを巧みに使ってそのイベントを、その価値ある行動を沢山の人と前もってシェアしていた。
これはあるフェイスブックのグループページ。私も加わっているものの、何も貢献できないことが歯痒い。

そして YouTube ではその点灯式の予告をきちんと配信していたのだ!

以下、本日 SNS に掲載された写真や映像をお借りして現場の雰囲気を届けたい。特に点灯の瞬間をきちんとライブ配信してくれた友人、Jax Welborn さんには心よりお礼を申し上げたい。

https://www.facebook.com/JaxWelborn/videos/275327051443375


ところで、皆さんミズーリ州サリバンって知ってる?聞いたことある?多分ルート66が大好きでないと余り耳にしない街の名前だと思う。偉そうに言う私も、実際に走るまで知る由もなかったわけで。。。
折角?なのでサリバンの街を少しご紹介。

サリバン(Sullivan)は、ミズーリ州フランクリン郡とクロフォード郡の境界にまたがる街で、人口は7,000人弱だ。この地域の最初の入植があったのは1829年とのことだが、 1859年、スティーブン・サリバン氏が手持ちの土地から鉄道用地を寄付、自ら駅舎を建設したことで、鉄道会社は駅名を「サリバン」とし、郵便局もそれを追随、街名はサリバンとなったってわけだ。近郊の大都市は同州のセントルイスで、距離は約70マイル、車で約 1時間ほどだ。位置的にはこんな感じ。

おっと、大事なことを忘れていた。ルート66ニュースの記事によると、リッチはこのモーテルを購入したものの、モーテル事業には参入するつもりは無く、修復した後にそれを保存し、運営する別の団体に売却するらしい。自分は保存(Preservation)の仕事をしている、とのことだ。
度々呟いているが、私の夢はルート66上でモーテルを営むこと。そのチャンスは果たして訪れるのか?サリバンなんかどう?なんて家内に言ったら。。。想像するだけで怖い(笑)

最後に前述の Jax の素敵な写真と共に、Rich の公式 YouTube であるチャンネルから本日の賑わいを紹介して〆たい。今年、どこかのタイミングでこの新しいネオンが見れることを祈って!

ルート66生誕祭中止へ;スプリングフィールド二都市の明暗

またまた残念なニュースが入ってきた。という出だしもそろそろ終わりにしたいんだけどな。。。
このブログでも何度か触れてきたのでもう憶えてくれている方も多いと思うが、毎年夏に行われるミズーリ州スプリングフィールドでのルート66誕生祭 “Birthplace of Route66 Festival”が、昨年に続き今年も開催が見送られることが発表された。理由は言うまでもない、同地域でのCOVID-19感染者の増加が懸念されるためだ。

© KY3

地元メディア「スプリングフィールド・ニュース・リーダー紙」は、スプリングフィールドが所属するグリーン郡のCOVID-19の症例が44%増加したと報じている。ミズーリ州全体でも症例数は50%近く増加し、この感染拡大規模は全米2位とのことだ。郡保健局によれば、早ければ来週にも病院の収容能力の限界に達する可能性があると発表されている。

報道ではアメリカは国民の7割近い人口のワクチン接種により、感染拡大は一旦減少傾向にあり、経済も少しずつ回復していると聞いている。つい昨日もメジャーリーグ・ベースボールのオールスターゲームがコロラド州デンバーで開催され、ほぼ満員のスタジアムにはマスクも外した多くの観客が楽しむ姿が映っていた。

それだけに、今年はまず間違いなく開催されるであろうと思っていたフェスティバルであるが、非常に残念な結果となってしまった。もちろん開催の可否に関わらず、まだ今年夏の訪米は様々な事情で難しいのが現状だが、何度か参加しているルート66ファンとしては、やはりこれだけ大きいフェスティバルには国内だけでなく、世界中からルート66ファンが集まり、少なくとも年一回は我々「ルート66ファミリー」の大勢が集う機会は人生の中でも重要なイベントであるので悲しい(今年は約8万人の動員見込み)

逆に言えば、このフェスティバルは規模が大きく、世界中から何万人もの人が集まるため、病院の稼働率がピークに達している中で、病院に負担をかけたり、新種株の蔓延を助長したりするようなことがあってはならないと考えるのは至極妥当であり、正しい。(今年は約8万人の動員見込み)

もし参加の申し込みをした人がいれば、全額返金を委員会は約束しているので、こちらの公式ウェブサイトを参照 ⇩

とは言え、一方ではイリノイ州のスプリングフィールドで開催される「インターナショナル・ルート66・マザーロード・フェスティバル」は、昨年は中止したものの、このブログを書いている時点では、今年9月24~26日でのイベントは開催予定となっている。
これまで同イベントを運営してきたフロリダのBonnier Events社が撤退したことで、過去20年近くにわたって街の目玉の一つとなっていたこのイベントは消滅の危機にあったが、同街で他の数多くのイベントを仕切るグレッグとス―のクーパー夫妻に委託、彼らが快く引き受けたことでフェスティバルの存続は担保された。

クーパー氏曰く、「2026年のルート66、100周年を目前にして、このシイベントがスプリングフィールドにないというのは悲劇的なこと。この街にはルート66にあり、エイブラハム・リンカーンの歴史がある。フェスティバルを開催するのに最適な場所だよ」

フェスティバル詳細はここをチェック⇩
https://route66fest.com/

「インターナショナル・ルート66・マザーロード・フェスティバル」は、イベント期間の3日間で6万~8万人を動員する。同地の「イリノイ・ステート・フェア」に次ぐ地元では最も人気のあるイベントの一つだ。

何とか状況が悪くならず、無事開催につなげて欲しい。それと同時に来年こそ!2022年ミズーリ州スプリングフィールドの「Birthplace of Route 66 Festival」開催を祈って!

二号店、St Robert に誕生!

まず最初に一言。もしこの記事を夜に読み始めたのなら、明日の朝まで待った方がいいよ。夜中にお腹が減るなんて拷問以外何ものでもないから 🤣

という感じで始めてみたけど、今日はパイの話を。パイだよ、PIE。私はとにかくパイが大好きなんだな。「出たよ、この甘党がっ!」という声が聞こえたぞ?きにしない、気にしない。アメリカのパイ、マジ最高だよね。

ルート66界隈でパイと言えば、つい最近も書いた、テキサス州エイドリアンのミッドポイント・カフェだろう。もう耳にタコが出来るほど聞かされた皆さんは既によーくご存知のはずだ。
でもね、今日紹介するのは、まだ一度もこのブログでは書いたことがない秘密の場所なんだ。なーんていうと余計な期待をさせるかもしれないけど、数年前にミズーリ州ルート66を走った時に偶々発見した美味しいパイ屋さんがあるんだけど、そのお店がね。潰れるんじゃないよ。逆だよ、逆、もう一軒出店するのだ!😍🤩😄🍰💚

そのお店はミズーリ州ローラ(Rolla)の街で1986年創業の “A Slice of Pie”だ。とにかく正統派で甘さがそれほどキツクなく、ドライブに疲れた身体に染み渡る美味さが最高の逸品さん達だ。

元々彼らの建っているところはルート66上ではないんだ。ローラを走るルート66は、I-44 の南側を走りながら更に南へ向かって下って行くんだけど、Kings Highway と交差するところで西へ(I-44へ向かって)行く。その交差点からもっと南、国道72号線を越え、ウォルマートを過ぎたあたりにあるんだよね。だからルート66とは無関係!なんて冷たいことを言う人もいるんだけど、そこは同じ街中だし、何と言ってもパイだよ!仲間仲間。

オーナーの Ryan and Katherine Warnol 夫妻

で、今度開く St Robert の街は Route 66 Diner で有名だけど、聞くところによると住所が 1106 Old Route 66 だって!まさにダウンタウンのど真ん中、紛れもないルート66コミュニティビジネス。そんなに遠いわけじゃなくてもルートから外れない!ってとこがメチャ嬉しい。St Robert に行くのが楽しみになってきたなー

折角なのでホームページ http://www.asliceofpie.com/ から幾つかパイをご紹介。さーて私もとにかくどっかでパイを手に入れないと!
腹が鳴ってきたーっ😂😂😂

All-American Road 期待されるミズーリ州ルート66の大いなる躍進

「All-American Road」
皆さんはこの名前を聞いたことがあるだろうか。

手前味噌になるのかもしれないが、いやそうなることを前提としつつ敢えて言えば、「ルート66は世界的にみて最も認知度の高い道路(又は最低でもそのうちの一つ)である」と私は確信している 😎
ルート66はパッチワークのようにあちこちと「継ぎ接ぎ」された舗装道路だが、国の歴史や民間の伝承文化の中でも最も重要な位置にあることは、毎年世界各国から多くの観光客が訪れることでも証明されている、と考えるのだ。

実際、ルート66も今年で95歳。ボビー・トゥループの名曲「Get Your Kicks on Route 66」や、文豪ジョン・スタインベックの小説「The Grapes of Wrath」を産みだし、アメリカの文化に多大な影響を与えてきたわけで。

とあるメディアでは、ミズーリ州大学の大学図書館長である Thomas Peters 氏の言葉、「人類の歴史上、ルート66ほど世界中の人々に認知されている道はないと思います」と語った記事が紹介されていた。Peters 氏は「中国とインド、西洋を結んだシルクロードのような古代の偉大な道路でさえ、ルート66には及ばない。」との見解を述べているのだ!

中々思い切った発言だとも感じるけど、彼は「世界のどの街でも、道端で人を呼び止めて「ルート66”知ってる?」と聞いてみれば、大半の人がそれを認知する。」と、彼自身の正当性を説明する。
さらに、「実際はルート66が何であるかを知らなくても、聞いたことがあるような気がするのでは。そして、それは現実というよりも、むしろアイデアに近いもの。現実に存在するが、より神話的なものになっている。」と続けている。
うーん、やっぱり学のある人の台詞は粋だ。とても良いフレーズだからこれから私も使ってみよう!(笑)

前置きが長くなってしまったが、そうそう、今回のテーマは「All American Road」だ。
アメリカには「National Scenic Byway」という法制化された「道」がある。Scenicは「景観の良い」、Bywayは「脇道、」とか「寄り道」という訳が適切かと思うけど、要は車で走る観点から①考古学的、②文化的、③歴史的、④自然的、⑤レクリエーション的、そして⑥景観的、という6つの本質的価値のうち、1つ以上のものが米国運輸省によって認められた道路のことを National Scenic Byway と呼ぶ。つまり認定を受けるわけだ。

更には、この認定を受ける一連の過程を含む計画全体を National Scenic Byway Program と呼ばれるのだが、そのプログラムは(景観は良いけど)一般的に交通量の少ないアメリカ国内の道路を保全・保護し、観光と経済発展を促進することを目的として、1991年に議会によって設立され、米国連邦道路局によって運営されている。

もう一つ「さらに!」を書けば、そのうち最も景観の良いバイウェイ、(6つの本質的価値のうち「2つ以上」を満たしている道)は、「オール・アメリカン・ロード」に、指定される。この指定は「米国内の他の場所には存在しない特徴を持つ」、且つ「それ自体が観光地となるほどユニークで重要であること」を意味するので、経済面や文化面等に非常に重要な役割を果たすのである。🏆

但し!これはあくまでも「OOの州のOO道」という州レベルで認定されることが基本線にあるため、ルート66もシカゴ~サンタモニカ全線域で認定されているわけじゃないのがミソ。イリノイ州、オクラホマ州、ニューメキシコ州、そしてアリゾナ州のルート66は2000年にその認定を受けているけど、残りの4州、ミズーリ州、カンザス州、テキサス州、カリフォルニア州は最近まで「ナショナル・シーニック・バイウェイ」ではなかった。と言っても、現時点でもルート66通過 8州全部が認定されているわけではなく、2021年2月になって、ミズーリ州、そしてカリフォルア州ルート66の一部であるニードルス~バーストウ間のみが新たに追加されただけ。

ご存知の通りカンザス州ルート66はその距離僅か 17マイル、今後もどうなるかは分からない。そしてテキサス州ルート66も他州と比べると短いが、選ばれないのはそれ自体が理由ではなく、テキサス州としてこのナショナル・シーニック・バイウェイ・プログラムに参加していないからだ。どこまでも我が道を行く「Lone Star State」テキサス、見上げ根性だよね(笑)

というのが冒頭から長々と話してきた「オール・アメリカン・ロード」だけれど、今回「ルート66誕生の地」とされる、ミズーリ州ルート66が認定されたことは実に大きな意味を持つんだ。
このブログを読んでくれている皆さんに今更書くことではないけど、この「神話」は、1926年4月30日にルート66が誕生した(公式設立日は11月11日)という歴史にさかのぼり、多くの同州スプリングフィールド市民の誇りでもある。
今から95年前、その金曜日、オクラホマ州とミズーリ州のハイウェイ関係者が会合を開催し午後4時、ダウンタウンの郵便電信局からワシントンD.C.に送られた電報によって、州政府はブランド化に最適な数字とされる「60」をどの州が使うかの妥協案を出した。そう、シカゴのミシガン湖畔から始まり、イリノイ州、ミズーリ州、カンザス州、オクラホマ州、テキサス州、ニューメキシコ州、アリゾナ州を経て、カリフォルニア州サンタモニカの海を見下ろす場所で終わる全長2,448マイルの新しい幹線道路が、「ルート66」と名付けられることになった瞬間だ。歴史好きにこういう話は堪らない!

ワシントンDCへ送られた電報

その認定を受けたことで地元メディアの Springfield News-Leader も、「ルート66に再生の兆しが見えてきた」と題し、少し前になるが特集記事を掲載している。
興味のある方はこちらのウェブサイト⇩をクリック!
https://www.news-leader.com/story/news/local/missouri/2021/04/18/route-66-turns-95-united-states-declares-missouris-stretch-prestigious-all-american-road-mother-road/7123068002/

記事の中に登場するのは私の良き友人である Barb Turner(伝説のGary Turner氏の娘さん)彼女の旦那である George と一緒にミズーリ州ルート66を代表する観光スポット、Gay Parita Sinclair Gas Station を運営している。

Barb と George

ルート66の観光マーケットはその約70%を国外からの旅行者に依存しているのも事実で、世界経済の他の部分と同様、コロナウイルスのパンデミックで大きな打撃を受けているのは、もう言うまでもないことだと思う。Barb が云うには、2019年に比べて、昨年2020年の訪問者数は前年比 20%強しかないらしい。今年の見通しはまだ立っていないが、微小策しか持ち合わせない鈍重な政府のせいで迷走しているどこかの国と違って、ワクチン接種が 50%を超える勢いで経済を含め日常の生活を取り戻しつつある現状は、アメリカにとって取り分けミズーリ州ルート66にとって大きな分岐点と成り得る。
「いかにアメリカ人を巻き込むか?」「どのように国内にルート66をもっとアピールして内部需要を拡大できるのか?」

そうは言ってもマザーロードに、自国アメリカの支持者がいないというわけでは決してない。ミズーリ州の多くのファンは何十年もの間、ミズーリ・ルート66の保存に取り組んできていて、事実ルート66が廃線に追い込まれた後、1989年には早々と「Route 66 Association of Missouri」が設立されている。そして翌年 1990年には法案でミズーリ州ルート66は「歴史的建造物」(National Register of Historic Places)に指定された。こういう迅速な動きが 「All-American Road」の認定を受けることになった始まりだったことは明白であり、長年に渡ってルート66の普遍的価値を追求してきたミズーリ州ルート66協会の努力の結晶であったと言っても過言ではないと思う。(因みに私も同アソシエーションの会員である😁)

では、「All-American Road」に指定される「6つの本質的価値のうち2つ以上を満たしている」要因はどこにあったのだろうか?州間高速道路が建設されたことでルート66は廃線になったけれど、州によってはその高速道路がルート66上を通過することで、旧ルート66のオリジナルの道が無くなtってしまった箇所も少なくない。ところが驚くべきことに、ミズーリ州ルート66で、高速道路網に完全に覆われているのは全体の僅か2、3か所だけなのである!言い換えれば「実際のルート66は、今も独立した旅行手段(=道)として存在している」ということだ。「米国内の他の場所には存在しない特徴を持つ」、且つ「それ自体が観光地となるほどユニークで重要であること」に見事に合致するのではないだろうか。

繰り返しになるが、ミズーリ州として「All-American Road」の指定を受けることは、ルート66を愛する人々にとって大きな意味を持つと同時に、州経済に莫大な影響を与えるはずだ。だがそうは言っても、ミズーリ州ルート66の経済規模を実際に「数値化」するのは難しい。2011年に行われた ニュージャージー州にある Rutgers University の調査によると、ルート66のある 8つの州を合わせたルート66の経済生産高は毎年2億6,100万ドルにのぼり、州と地方自治体は毎年 1,410万ドルの税金を徴収しているという。ミズーリ州でも多額なお金が動いていることは間違いない。

英文のみ、59ページに及ぶ大作だけど、興味のある方はこちら ⇩
https://www.wmf.org/sites/default/files/article/pdfs/Route%2066%20Economic%20Impact%20Study%E2%80%94Synthesis.pdf

そして経済と言えば(「本質的価値」に相当するためここで触れないわけにはいかない)毎年スプリングフィールドで行われる「Birthplace of Route 66 Festival」(ルート66誕生際)だろうか。アメリカ人の車への情熱と放浪の旅を称える、年に一度の大きなイベントであり、今年2021年は8月13、14日が予定されている。市の広報担当によれば、マスクの着用が義務付けられるのか、現在の対策はどうなっているのか、など、具体的なことはまだ決まっていないが開催は決定とのこと。パンデミックの際に活躍した地域の「ヘルスケア・ヒーロー」を、フェスティバルの特徴であるクラシックカーのパレードやその他のアクティビティで称えることを計画しているらしい。🥰

今年で10周年を迎えるこの祭りも、昨年はパンデミックが理由で中止に追い込まれた。今年は無事開催されることが決まっていとは言え、実際どの位の人々が訪れてくれるかは未知数だ。と言うのもインターナショナルの旅行者の動向がまだ把握できないから。毎年右肩上がりで参加者数を伸ばし、前回2019年には約 7万人近くを動員をし、今後8万、9万人規模へと期待する中起こった大ブレーキ。
アメリカ国内でコロナのワクチン接種が行われる=>人々は公衆衛生上の制限に疲れてくる=>ルート66への旅行が恩恵を受ける可能性がある、という図式もある。つまりパンデミックによる旅行への「国内需要の鬱積」が、すぐに多くの人々のドライブ旅行に現れてくるだろうと予測をしている団体も少なくない。

前マサチューセッツ州下院銀の経験を持つ、非営利団体「Scenic America」の代表である Mark Falzone 氏が率いる団体は、ミズーリ州ルート66のような価値ある場所のために 3億2500万ドルの税金を使うことを、次のハイウェイ資金調達法案に盛り込むことを提唱している。バイデン政権は2兆ドル規模のインフラ計画を推進しているため、議会は今後数カ月のうちにこの法案を審議することになるだろう。
https://www.news-leader.com/in-depth/news/politics/2021/04/01/2-trillion-infrastructure-bill-charts-detail-bidens-plan/4820227001/

All-American Road のようなバイウェイの指定には、「ブランディング」という形の重みと説得力がある。「このような素晴らしい指定を受ければ、ビジネスは間違いなく活発になる」と関係者は言う。
「認定」という名の勲章の意義は途轍もなく大きいのだ。

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