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先月ドイツの オフタ―ディンゲン(Ofterdingen)という街で米国外初のルート66に関するイベントが行われた。その名も「European Route 66 Festival」。主催者側からも打診を貰ってたし、本当は凄く行きたかったんだけど、どうしても仕事の都合がつかず断念。
いつも「後悔しない人生を勝手に生きてます」なんて偉そうな事言ってるけど、適わぬことも沢山あるわけで。。。😵💫
救いはイベントは大成功だったと聞いたことかな。
アメリカからは私の友人、The Road Ahead Initiative を代表して ジム・ヒンクリー氏が参加。彼のFBポストを読むと期間中ルート66の話を少なくとも60回はしたって 😂
その他、Nick Gerlich 氏や Boots Court Motel のDebbie Dee さん、イリノイ、カンザス、オクラホマ各州の代表者も参加したって。
フェスティバルでは、ルート66を愛する欧州各国の仲間たち、ドイツ、オランダ、スイス、フランス、ベルギー、そしてチェコ、これらの代表がインターナショナルグループの立場からThe Road Ahead Initiative をどのようにサポートして行くかが議論された模様。ジムも勿論これらの国々の人達に加え、英国、スコットランド、それにカナリア諸国からの参加者さん達とも有意義な会話を楽しんだって。羨ましいこと限りない。
ジムの報告書には最後こうまとめてある。「(イベントや街の)雰囲気や音楽なんか、まるでアメリカの小さな街にいるようだったよ。夜な夜な皆と語りあったけど、全く知らない国で集まった”家族リユニオン”だよ、これは(笑)」
ルート66の大切にしているものの一つに「家族」がある。本国を離れた遠いドイツの地でも、この価値観は普遍のよう。
いつか近い将来、日本でも開催できることを夢みて。
こちらは昨年作られたフェスティバル用のプロモビデオ。
アリゾナ州セリグマンの「ルート66の父」、エンジェルさんの掛け声で始まります。お楽しみください。
John’s Modern Cabin (ジョンズ・モダン・キャビン)
永らく私の頭の隅にずっと残ってた宿題。
初めてルート66を走破してから、ミズーリを走ってから、ずっーーーと取れなかった「シコリ」ががやっと取れた ❢ というお話。
先に紹介した Unoccupied Route 66 作品「ミズーリの迷宮」。ネタばれ防止?ということで内容について何も書かなかったけど、その題材はミズーリ州アーリントンにある「John’s Modern Cabin」。
この場所ね、ちょっと奥まった所にあって。注意深くしてないと見過ごしちゃう、というか見つけられずに終わっちゃう。冬は特にダメ。雪なんか降って積もっているようではもう手が付けられない💦
そんなタイミングの悪さもあって実は訪れたことがなかった、ミズーリ・ルート66の重要なアイコンだったんだ。
「今年の4月後半にミズーリに行くから今回は絶対時間を見つけて行こう」と、何となく軽い(絶対とか言っておきながら)決心をしていた春、何の前触れもなく小さなパッケージが届いた。
差出人は Sharon Ward さん。アリゾナ在住のルート66界でも良く知られた Mike Ward 氏の奥様だ。「ん?何だ?アリゾナ州会員の情報か何かかな?」と思いながらパッケージを開けると何と 😮
額にきちんと入れられた手編み刺繍の置物が入ってたんだ。
おおおおおおお、凄い🤩とてもきれいな出来。しかも刺繍はジョンのキャビンじゃないか❣?早速私はマイクに連絡を入れた。
聞くと、シャロンさんはこういう刺繍が大好きらしい。最近ルート66の色んなアイコンの刺繍に入れ込んでいるらしく、友達のために作ってはプレゼントしているんだって。私にも一つわざわざ作ってくれたことにすごーーーーい感謝を込めて御礼を伝えた。
さて、ジョンだよ。ジョンだよ。なぜ私に送ってくれた一品がこのジョンなのか?理由はどうでもいい。ジョンだと言うことが、何か運命的なものを感じるわけで。「キャビンを見たことがない、見てみたい」なんて記憶の限りじゃ誰にも特に話したことないよ。でもこれが送られてきた。
神様が「今回は逃すな。必ず行けよ。」と言ってるようにしか解釈できない(勝って極まりないが)😊
だからミズーリのラリーウォークイベント当日の早朝、同じモーテルに滞在していた友人、RHYS(リズ・マルティン)に頼んで連れて行ってもらうことにした。快く引き受けてくれた彼にもとても感謝している。
モーテルから車を飛ばすこと約40分弱、インターステートを降りその横を寂しげに走るルート66に入る。ここには Vernelle’s という今でも営業しているけど、ちょっと躊躇するモーテルもある。
このような場所にひっそりキャビンはある。
そしてこれがそのキャビン。廃墟具合?が秀逸。美しい。ここでは全部紹介できないけど、キャビンを被写体に30枚ほど撮った。家内に見せても高速で左にスワイプされるんだろうな、きっと💦
このキャビン、1930年初頭に「バイカ―のオアシス」として、Bill & Bess’s Placeという名前のビアホールとして誕生。その後ジョンと奥さんのリリアンさんが1950年代にこの場所を購入してからこの名前に。ジョンはとてもユニークな人だったようで、日曜日のアルコール販売が禁止の時代に法を破ってまで販売。「日曜日のジョン」と(何か物騒な感じだけど)呼ばれていたそう。ジョンが1960年代に亡くなった後、この場所はどんどん劣化が進み廃墟となったんだって。
何年越だろうか。やっと出会えたジョンの山小屋。遅かれ早かれ来るはずだったことは間違いないけど、シャロンのプレゼントが私の背中を大きく押してくれたことは確かだと思う。迷信とか運命とか特に凝り性なわけじゃないけど、自分じゃコントロールできない何か大きな力が働いたような出来事だった。
シャロンさんにはこの後、ラリーウォークイベントでしっかり御礼を直接伝えることもできた。
そうそう、リズとのショットも忘れずに。
ちょっと前の話になるけど、この行事本当に行きたかったんだよね。多くの友人が結構参加してて、FBで上がる写真を見てはため息をついてました(涙)
上の写真、きれいでしょ?友人KC Keefer の撮ったもの。
これはミズーリ州カ―セイジにある、ブーツコート・モーテル(Boots Court Motel)。暫く壊れていたネオンがやっと灯ったんだ。点灯式当日は、カ―セイジ市長の Mike Harris 氏、Powers Museumのキュレーター Michelle Hansford さん、ミズーリ州ルート66アソシエーション代表の Tommy Pike 氏、そして同モーテルのオーナーである Debye Harvey さん、Priscilla Bledsaw さんらを始め、200人以上が参列したらしく、同市ミドルスクールの子供たちの「America the Beautiful」とアメリカ国家でセレモニーは大変盛り上がったと聞いた。
ブーツ・コート・モーテルは1939年、Arthur Boots 氏によって当時、国道66号と71号が交わる「アメリカの交差点」と呼ばれた場所近くに建てられた。ルート66が東西を結ぶ主要道であったように、ルート71は南北に伸びた道で北はカナダとの国境であるミネソタ州インターナショナルフォールズから南端はルイジアナ州ポートバレとクロッツスプリングスの間を通る国道190号線までを結んでいたから、そのように呼ばれたんだって。
ブーツのオーナーさんは内装を1940年代形式にすることに拘ったそうで、つまり部屋にテレビは無くて(泣)、当時のスタイルのラジオで当時の音楽をかけてお客様の到着を待つというクラシックな感じ。私も初めて泊まった時 ESPN が見られないことに少し焦ったけど、敢えてWi-Fiにも繋げないことでちょっとだけ文明から自分自身を遮断してみたらとても落ち着いたリフレッシュした時間を過ごせたことを憶えてる。たまにはいいかも!
俳優 クラーク・ゲーブルさんも生前何度か大陸横断旅行をしたけど、このモーテルの部屋6号室は彼が宿泊したことでも有名なんだよ~。
今週はドワイト~オデル~ポンティアックと少し主要な街を進みました。
ルート66ファンでなくとも、洋楽好きのあなたなら「ルート66」という歌はどこかで耳にしてるはず。正式な題名は「Get Your Kicks on Route 66」
そう、ルート66で最も良く耳にするフレーズだよね。
元々は1946年に Bobby Troup という人が大陸横断旅行をしている間に作ったものと言われているけど、その後この歌はとても多くのミュージシャンによってカバーされ、誰が歌ったものが一番なのか、誰のアレンジが最も素敵か、という議論はいつでもどこでも起こっている。
記録では、この歌を最初に録音し世の中に広めたのが、かの有名な Nat King Cole 氏(ナット・キング・コール)
彼の名前を聞くと一番最初にクリスマスソングを思い起こすのは私だけ?😂(多分世代のせいだと思う)
その後1961年には Chuck Berry 、1964年には Rolling Stones もカバーバージョンを発表している。
個人的な好みを言えばもちろん、先日亡くなった Glenn Frey が2012年に発表したウェスタンスイング系のバージョンが一番好き。冒頭に YouTube にあるビデオを貼っておきます 😎
以下、歌の内容を東エミさんの日本語訳:
「🎶 もし西に車を走らすつもりならこの道を乗るのが一番さルート66は楽しいぜ。シカゴからロサンジェルスへと曲がりくねっていて、全長は2,000マイル以上、ルート66は楽しいぜ。
ミズーリ州のセントルイスを抜けジョプリンへ。最高にイカすオクラホマ・シティがあって、アマリロに、ニューメキシコ州のギャロップ、アリゾナ州のフラッグスタッフが見えてくる。そうだ、ウィノナも忘れるな。キングマン、バーストウ、サン・バナディノもなっ!
最近の事情を知っとけよ。
カリフォルニアへ旅するのならルート66は楽しいぜ 🎶」
ん?ちょっと待て。ウィノナって何だ?
一番最初に聴いた時に思った感想、いや「違和感」と言ってもいいかもしれない。聞いたことないぞ。
シカゴ、ロスアンゼルス、セントルイス、ジョプリン、アマリロ、ギャロップ、フラッグスタッフ、キングマン、バーストウ、サンバナディノ、ぜーんぶ知ってる。少なくとも聞いたことある。でもウィノナって?
調べてみたら、アリゾナ州ウィノナは、フラッグスタッフから東へ約16マイル、ウォルナット渓谷国立モニュメントの近郊、とても小さな街らしい。実際は街というのも憚れるぐらい(笑)
ウィノナ自体には特に何もないんだけど、インターステート40号線をウィノナで降りて、州高速 394号線を西に向かう道が素晴らしくきれいなんだ。厳密に言えばルート66から少し外れて行くけど、394号線を走って89号線にあたりまで、目の前には San Francisco Peaks という山が広がり見応えのある景観が楽しめるってわけ(写真参照)
ここを通るときは是非試してみてはいかがだろうか?😊
2016年4月23日、ガスコナーデ橋でのラリーを終えた後、私は友人ジェリーの車の助手席に座って、次のイベントが開催されるマンガ―モス・モーテルへ戻っていた。
橋からモーテルのある街中まで戻るにあたって早く着けるインターステートは通らず、わざわざルート66を風を感じながらゆっくり走る。そんな拘りもルート66愛好家同志でないと中々出来ない。
「リボンロード」と呼ばれるミズーリ名物の上下に大きく起伏する道を走りながら、今から 5年前、いや 3年前であれ、自分がミズーリ州のこの道を、ルート66界では名が知れたアーチスト、ジェリーと一緒に走っていることなんかどうやって想像できただろうか?な~んて夕陽を見ながらボーっと考えていた。
インターステートが出来た時、当時の人々はどう思ったのだろうか?今日の自分みたいに横目でそれを見ながら、それでもルート66を走ったのだろうか?この景色はその時に見えていたものと同じなのかな?
90年も経てば普通景観は大きく変わる。だけどこの砂利道、太陽、緑の木々しか見えていないこの景色はほとんど変わっていないはずだ。
夕陽が真正面に見え、沈んだかと思えばまた昇って。
そうやって時間はゆっくり流れている。だんだんと夕陽が霞んで見えた。
今年も行われました、何と29回目を迎えましたアリゾナ州ルート66アソシエーションが主催する「アリゾナ・ファン・ラン」イベント。
どうぞご覧ください。
このイベントはキングマン商工会議所と、同観光局が主催となって、キングマンからセリグマンまでの道、約140 ㍄を多数のクラシックカーで練り走るというもの。車好きにはかかせないイベントで、これを合図に毎年ルート66各地でのイベントが始まるんだ 😎
公式ページ:http://azrt66.com/
ゲイリー・ターナー(Gary Tuner)
恐らくルート66ファンで彼の名を知らない人はいない。ミズーリ州アッシュグローブ にある “Gary’s Gay Parita” の名物オーナーだ。
「ルート66の名所だからちょっと寄ってみようか」、そんな軽い気持ちで訪れたらあなたの旅程は 180度狂うだろう(笑)
とにかく話が大好き❣ ルート66にまつわる情報、裏話、アップデート、何でも知っている。人懐こい笑顔とお節介を通り越した極上のホスピタリティ精神で、訪れる何千何万の観光客のアイドルだった彼が他界して早、約1年4か月が過ぎた。享年70歳。早すぎるよね😔
Gary の亡き後、Gay Parita Station は、度々空き巣の被害にあい、当時の面影が全くない寂しい場所になった。私も彼の死後 2度ほど訪れる機会があったけど、いずれも私以外誰も居なく、閉まったのか盗られたのか、あるはずの看板の場所がぽっかり空いていた。
そんな折、Gay Parita Station が、Gary の娘さんの手によって再開すると耳に入ってきた。「マジで?どっからの情報だい?」と耳を疑ったが、情報元は、「これは正式なルートからだ。まだ秘密だからO月O日までは黙っててくれよ。」と、言われた。
そして2016年4月、再開の正式発表後、私はその娘さん、Barbara(通称Barb バーブ)に会いに行った。この再開からたったの 2週間前、バーブは長年暮らしたサウスキャロライナの家を売却。勤め先の劇場マネージャーも辞めて「ご両親の元」に帰ってきた。
「悩みに悩んだけど、両親の残した”遺産”をしっかり後世に伝えていくことが使命とようやくわかったのよ。もっと大勢の人達に見て貰わないと。これが両親が人生をかけて大切にしてきた場所だってことを見てもらいたい。ここで終わらせちゃダメ。(私が)続けなきゃ。」
夫のジョージと、迷いない表情で語るバーブがカッコいい 😊
バーブとジョージは今後ご両親のためのメモリアルガーデンを造ることを計画中だと言っていた。更にグレードアップした楽しく素晴らしい「Gary Parita」の再生を心から応援したいと思う。