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【週刊NY生活月イチ連載】SEASON 4 Vol.17: ここは必見!カリフォルニア(後編)

前回、いや発行紙面で言えば先月になるのかな。普段あまり取り上げていないカリフォルニア・ルート66についてご紹介しようと。
今月はその後編、バーストウから先の州の終点、ニードルスまでを走ってみましょう。

ということで、毎月恒例の日系情報誌「週刊NY生活」紙にて連載中
「さあ行こう!魅惑の旧街道ルート66」SEASON ④の今月はカリフォルニア・ルート66の往復旅後編です。

記事全文は週刊NY生活ウェブサイト ⇩ まで (18ページです)
https://nyseikatsu.com/editions/882/882.pdf

オジサン二人のルート66旅④ミズーリ帰路編

ということで、今回のイリノイ~ミズーリ旅の目的は「ほぼ」終了。
時間は午後3時近いので、今日はこの後どこまで走れるのかは分からないが、シカゴへ向けての帰路、出発だ。
このシリーズ②まで登場してもらった健さんはキューバより一足先に帰ったので、正確には「オジサン一人」のルート66旅に戻るが、その健さん、ニューヨークへの帰路は大変だったらしい。予約していたフライトは悪天候の為、キャンセル。セントルイスからシカゴへ飛ばされて、そのあとフィラデルフィアに行かされ、最終バスに乗ったとか・・・
うーん、やはり持ってるね、この男 😂
やっぱり今回シカゴからセントルイスにかけて天気がイマイチ優れなかったのは、健さんが理由だな。
その後の Gay Parita のイベントの天気を見れば、一目瞭然だ。

さて友人のディスりはここまでにして、先へ急ごう 💦
時間が押しているが、ミズーリ州内の2人の友人に挨拶だけでも!

まずは、Gay Parita から走ること 100 ㍄、Waynesville という小さいが、ルート66 の歴史に溢れる素敵な街。ここでギャラリーを営むのが、Jax Welborn。数年前に彼女がこの地で店を出したのは知っていたが、中々訪れる機会がなく今回が初訪問となった。

地元のアーチストの作品から、ルート66関連の作品まで所狭しと置いてあるが、さすが Jax、几帳面な性格ゆえかそれらも整然と配置されている。
こういうお店を営んでいる人たちは通常週末はお店を出れない。Gay Parita でのイベントも然程遠くはないが、仕方ないのだろう。思いがけずギャラリーを訪問できて一石二鳥?だ 👍

友人知人の作品も多数飾られているギャラリーを見ながら聞いてみる。「ねえ、将来的にさ、私がここに写真の展示させて、って言ったら受けてくれるの?」Jax は、快く「もちろん!」って 😊
それは嬉しい。私もいつかこういうギャラリーでお見せできるような写真を撮りたいものだ。最後に正面からの一枚で。

さて、お次は昨日会いそびれた Wheel Wagon Motel の Connie の所へ。
ウェインズヴィルより更に車で約 1時間、50㍄ほど戻っていく感じである。
細かいことだが、下の2枚の写真は昨日撮ったもの。もう時間は夕方5時を過ぎているので、夕陽がきれいに出ないと写真は「映えない」時間帯へと突入する。

いたよ、いたいた 😊 相変わらず元気のようで安心した。レセプションの横にあるお店も、宿泊客だけでなく、地元の人かな?訪れているお客さんも居て嬉しい。前回来たのはパンデミック前だから、ゆうに3年ほど時間は経過しているのだが、どの友人に会っても、全くそんなインターバルを感じない。昨今のSNSがこれに大きく寄与していることは否めないね。この3年間に何度か連絡取り合ってるしね。

このモーテルはいつ来ても本当に絵になる素晴らしい景観。1936年に “Wagon Wheel Cabin” として開業したが、2009年に Connie が買い取り全面改装、細かいアップデートをしながら現在に至る歴史のあるモーテルである。ルート66より100m以上中に入った部屋棟の前に広がるちょっとした空間が旅人同士のコミュニケーションも生む、私の最も好きな場所だ。
距離の関係から、今回(昨晩)は、レバノンに宿をとったので、ここでゆっくりする時間がないのが残念極まりない。
あ、これって我々州外の人間にとっては一つの大きな問題なんだよね。
ここキューバと、レバノンは僅か90㍄しか離れていないんだけれど、その両街に歴史的な素晴らしいモーテルがあるわけで。旅行に中々そんな時間をかけていられない州外者は、自動的にどちらかに決めないといけなくなる。毎月来れるものでもないし、頭の痛いエリアなんだ 😵‍💫

モーテルの中庭

さあ、ここからイリノイ州に向かってどこまで走れるか?
やっぱりセントルイスかなぁ、でも都会は高いからなぁ。。。

【付録】
時間に追われての今回の旅。
「生存確認」?だけするために停まった箇所を2,3ご紹介。
ミズーリ州ルート66にはまだまだこんな素敵な場所があるのだよ、健さん 😎

Devils Elbow
今回は、いつもあまりお見せしていない、デビルズ・エルボーの街の方を。 街に一つの Market?は、実は郵便局。行く旅に顔を見せると「おやおや、珍しいのが来たな。お前さんにゃ郵便物は届いとらんよ」と、揶揄われるのだが、残念ながらもうとっくに閉まっている時間 💦寂しい・・
デビルズエルボー橋はこのブログトップに。広角で撮ってみた。

で、下は橋を渡って向こう側にある Devils Elbow Inn。一時はバイカー客を中心に物凄い繁盛したのだが、現在改装中のためお休み。
壁一面にデコレートされていたブリキのサインやシールドが懐かしい。
いつごろ復活するのだろうか 😥

John’s Modern Cabins
1931年、Beatrice と Bill Bayliss 夫妻によって “Bill and Bess’s Place” としてオープンしたキャビン式の宿場。不況時代に高価なホテルに代わって、安いログ小屋式は人気があったそうだ。
今も名前として残っている Johnは、1951年にこのプロパティをUSD$5,000 で買った Lillian & John Dausch 夫妻に起因するものだ。
他のルート66の事例に漏れず、I-44 号線のインターステートが建設されルート66ふが拡張、迂回の歴史を辿ったあたりから、エリアは衰退。

聞くところによれば、1971年以来メンテナンスはされてなく、1960年代からバイパスされていることから、敷地は悲惨で修復が難しい状態にある。前を通る砂利道も走ることはできるが、途中行き止まりになっており、他の道から迂回して入ってこないといけない。
取り壊しと、それに反対する私達ルート66保存会のやり取りは続くが、今後の展開はまだ不透明なままである。

最後は、私が個人的に「異星」と表現するエリア、Hooker Cut。私と同世代の方々は Steven Spielberg 監督の名作「未知との遭遇」はよくご存じだろう。あの映画の撮影はワイオミング州のデビルス・タワー(おっ!デビルズ被りだ)だが、私にとっての未知との遭遇は、まさにここだった。
きれいに削られた岩山の間をまっすぐ走る片道二車線の道、そしてまっ昼間にもかかわらず、車がほとんど通らない静寂さ・・

話の始まりは1939年、欧州で第二次世界大戦が始まった後、アメリカの参戦が決まる翌年、米国陸軍は近隣の St. Robert の街に “Fort Leonard Wood” 訓練所を設置。砦の建設には多くの労働力と建築資材が必要なわけだが、これを運搬するのに、上のデビルズ・エルボーでは都合が悪かったわけで。つまり、山道は険しく、道の舗装は悪い。トラックの横転が相次いだことから荷物泥棒も増加。ルート66は “Bloody 66” という悪しきニックネームまで頂戴した。
で、そんな環境を一気に変えようとして1941年~42年にかけて行われたのが Hooker Cut という建設大工事。岩山を爆破して現存する「切通しルート」を造ったという場所である。ぜひ行ってみて頂きたい!

シールド補修イベント@Gay Parita (05.28.22)

さて、友人と別れていつものルート66 独り学習旅に戻った私は、キューバより更に南下してレバノンに一泊。「ミズーリ州のお母さん」Ramona の Munger Moss Motel で充電し、車で約 1時間ほどかかる Paris Springs に位置する、 “Gary’s Gay Parita Station” まで走る。
実はココが今回ミズーリ旅のハイライト。Gay Parita で行われる Shield Repair (RePaint) 即ち、ルート66 のマークを旧ガスステーションの前の道に「再塗装」する、ローカル・イベントに参加することが旅の第一目的だ。

前日に集合時間を確認したところ、「9時半あたりに来てくれれば大丈夫だよ」と、いう Rich の言葉に、それならばと、少し余裕をかまして Gay Parita の近くにある Spencer に寄ってみることにした。今まで何度も訪れている大好きな場所だ。スキップしても良かったのだが、よーく考えてみてほしい。パンデミックのおかげで再渡米するのに 3年かかったのだ。この地を訪れるのも自身の記録を辿れば 3年半になる。一体あの時点で誰がこんな状況になることを想像しただろうか。「次回」は必ず来るとは限らないのだ。この場所を見るのは今回が最期になるかもしれない。大切な友人達に次回また会えるとは限らない。このように考えると「その一回」はとてつもなく貴重な時間であり、体験であると改めて感じる。

ルート66を西へ走っていくと、道はゆるやかなカーブで左に曲がる。すると周りが緑に溢れる景色の中から現れるのが、この Johnson Creek Bridge だ。ルート66オリジナルの橋で、まだ国道として制定される前、1923年に架けられたものだ。この景色を見ると、何となくホッっとするのだが、分かって頂けるだろうか。。。💦🤔

橋を渡れば、その向こうは Spencer の街だ。街と書いたが、正確には Township 、つまりは地方自治体の運営する土地区画で、現在人口も 150人程度だそうだ。
この 旧ガスステーションが「街」の目玉で、現在では、きれいに修復された Phillips 66 のビンテージ品と、クラシックなオレンジ色の看板がある。開業当時のオーナーである Sydney Casey 氏は、元々あった理髪店、商店、カフェ、ガソリンスタンドで、旅行者をもてなしたらしい。

上の左側の写真、今まで自分でガスステーションと橋を一緒に撮ることって滅多になかった。なぜか?他の観光客の車が駐車するので、それらを一緒に写り込ませたくなかったから。でも今日は朝早いせいか他に誰もいない!チャンスとばかりにお初のアングルも撮れ、テンション上がってシャッター切ってたらつい思ったより長居してしまった!が、まだ時刻は9時20分。余裕である 😎

と、余裕を持って現地へ着いたら、何と、もう作業が始まっているではないかっ!そうだ、この時間にイージーな感覚、すっかりこの 3年間で忘れていたよ。いけない、いけない、ここは日本じゃないのだ 😵‍💫良い意味でも悪い意味でも「アバウト」なのだ。(私はこの方が断然気持ち良い)

今回このイベントの指揮を執るのは、ミズーリ州ルート66アソシエーション代表の “Roamin’ Rich” こと、Rich Dinkela 氏。このブログでは既に何度かご登場済の ルート66界の重鎮だ。
彼は何年か前にすでにこの舗道に一度シールドを塗ったことがあり、時が過ぎかなり劣化したことによっての今回の「再塗装」という運びだ。

先ずは既に路上に描かれているものの上に、彼が予め作成してきたパーツを合わせ、塗っていく範囲を設定することから始まる。

手順をよく理解していない私は、もっぱら彼らのやることを見ながらそのお手伝いに終始するのだが、せっかくの機会なので、認定もされていない非公式カメラマンとして幾つか記録をすることにした 😂
ではここで Rich の実際の作業も少し動画でお見せしよう。

出来上がった姿を少し遠めから。しばらくこのまま白い塗装を放置して乾かさないといけないとのこと。5月にしては今日のミズーリ州、天候が落ち着かないせいか、比較的湿気も高い。。。

という、ところで乾燥時間を待つ間、お昼+休憩という流れになる。
お昼は裏のパティオで皆でホットドッグにソーダ。久しぶりに会えた Gary や Richard に加え、SNSで繋がっていたものの今回初めて会えた Ed とランチからの談笑タイム。そうそう、こういう時間が Precious なんだよな。
(マスターカードかっ!)

そして午後は、塗装が乾いたことを確認してから、シールドの枠を当てはめて行き、黒い文字やラインを順に塗っていく。

そういえば、Gay Parita については過去にも何度か書いているので詳しくはふれないけど、最新?の画像はお見せしないとね。

いろいろな部分に手が加わり、きれいになってきたのが正面からもわかる。やはりパンデミックの 2年間、Barabara と George が一生懸命準備していたのが分かるね。

奥の納屋には Gary が長い時間かけて収集した多くのアンティークの看板やアーティファクトが所狭しと並んでいる。以前は埃っぽかったけど、そのあたりもきちんと並べられ、掃除もしたようで 😊

代わってこちら ↓ は、Gary が大好きだったクラシックカー。左はその名も「Gary」、1932年の 6速 International だ。右は「Larry」、1928年の同車である。カッコいいよね。

とりわけ一番驚いたのがココ!土産物の並ぶお店部分なんだけど、飾りつけも増え、きちんと椅子も直り、お店の中もかなり整頓されて商品の充実ぶりも増してきた。でも前来た時は、恐竜はいなかったような。。。

最後はここ。裏のパティオ?の奥の、プライベートスペースだ。こんな場所で毎日ゆっくり?できれば(お客さん来たらそうは行かないだろうけど)サイコーだよね。
ちょっと前までは私も「まだ」若ぶってたから、正直ここまで田舎になると生活して行く自信はなかったけど、今ならもう大丈夫 👍問題ないよ。
あ、ネット環境さえきちんとあればね 😉

そんなこと言ってる間に作業は最終章。黒で塗った後の色の境部分の細かい修正を施して完成に向かう。総作業時間、4時間ぐらいかな。

それでは完成したものをご覧あれ!

素晴らしい作品だ!
気になるのは、これでまた何年大丈夫なのだろうか?まあ、その時はその時でまた集まってやれば良いだけだけどね。

最後にまだ登場していない、Barb と George、そして久しぶりに会えた友人達とのショットでこのお話は終わり 👻

【週刊NY生活月イチ連載】SEASON 4 Vol.16: ここは必見!カリフォルニア(前編)

カリフォルニア・ルート66の話って実はあまりしていないことに気づいたんだけど 🤔
別にカリフォルニアが嫌いなわけではないし、なぜだろう?
やっぱり通算で同州への在住期間が長いから他を見たいということだろうか?

何にせよ、あまり取り上げていないのは確かなので、2回に渡ってカリフォルニアにフォーカスしてみようと。秋のドライブにぜひ!

、ということで、毎月恒例の日系情報誌「週刊NY生活」紙にて連載中
「さあ行こう!魅惑の旧街道ルート66」SEASON ④の今月はカリフォルニア州ロスアンゼルスを起点に、バーストウまで往復旅のご紹介です。

記事全文は週刊NY生活ウェブサイト ⇩ まで (14ページです)
https://nyseikatsu.com/editions/878/878.pdf

再点灯式と共に蘇る、伝説のRockwood Motor Court

先週11日~13日の3日間にわたって、ミズーリ州スプリングフィールドでは、第10回目のBirthplace of Route 66 Festival(ルート66生誕地祭)が開催された。昨年、一昨年とパンデミックのせいでイベントはキャンセルの憂き目にあったが、やっと3年ぶりに返ってきた。
とはいえ、残念ながら今年は参加が叶わなかったが、そのイベントの間、もう一つのルート66のアイコンが息を吹き返したお話をしたい。

場所は同じくミズーリ州スプリングフィールド。
1929年、Deverne Ruckman 氏によって、当時シェルのガソリンスタンドの裏に、「ツーリスト・キャンプ」は建設された。ルート66が認定されたわずか3年後のことである。初期のキャンプには、二重構造のキャビンや一人用のユニットなど、合計10棟のゲスト用施設、そしてカフェやガソリンスタンドもあったようだ。

ただ運の悪いことに、その年は「大恐慌」と呼ばれる、アメリカを発端に世界的に起こった深刻な経済恐慌があったことはご存じの通りで、この「キャンプ」も例外でなく、何度も所有者と経営者が変わったらしい。1948年、キャンプは場所を当時あったところより更に2ブロックほど西へ移動させ、敷地は “Rockwood Motor Court” と名付けられ、それ以降今日まで70年以上にも渡り受け継がれている。

モーターコートのホームページによれば、
*6棟のキャビン、ガソリンスタンド、カフェ、そして残る1台の車庫は、すべてここに元からあったもの
*ただし、南側にあるガレージはもう残っておらず、その場所は屋外の集会スペースに改造されている
*キャビンは、オザーク砂岩と赤レンガで縁取られた構造
*ロックウッドという名前は、砂岩を製材しているため「岩の中に木目があるよう」に見える、というこの石の特徴的な模様から付けられたと考えられている
*石造りの外壁の下には、オーク材が斜めに組まれ、屋根はシングル・コンポジションで覆われた古典的な切妻で覆われている

…… そうだ。

そして2019年、90周年を迎えた年に、同市の市会議員である Phyllis Ferguson さんとその家族は、モーター・コートを再びルート66のアイコン的モーテルとして営業すべく、改修に乗り出した。
翌年、長年レストランとして営業されてきたガソリンスタンドと住宅部分の修復が始まり、本来の用途、即ち短期滞在用または賃貸住居としての宿泊施設に戻されることになったのである。

Ms. Phyllis Ferguson

というところまでが実は前置きで、本題はここから。
そのRockwood Motor Courtは、この8月13日(土)、オリジナルのネオン・サインのレプリカの再点灯式を開催する、とSNSの投稿がモーテル側からあった。3月に紹介した、同州XXのShamrock Court のそれと同様の点灯式イベントだ。
詳細はここ ↓
https://www.toshi66.com/2022-03-20/

当然点灯式は日没後に行われないと意味がないし、日没も天候によって微妙に前後するから注意が必要だが、(予報によれば)当日の日没は現地時間20時07分で、その約30分後に暗くなる予定、ということで多くのルート66ファンが集まっているのをライブ放映された。
Travis Scott & Playboyz による演出で、19時からは市長さんの祝辞もあった。楽しい雰囲気が映像からしっかり伝わってきて、何人か友人の元気そうな姿もみれてよかったな。

By Jax Welborn in her Facebook

でもね、この手のイベント、2回連続で遠く離れた地から映像で見るなんて、一体私は何をやってるんだろう、と寂しさと諦めと怒りの混じった複雑な気持ちであることも確かなのだ 😰

↑ Video Image by Timothy Lyle in Route 66 in Springfield Missouri (Facebook)

肝心のお部屋だが、フィリスは、アンティークの家具や記念品を使って、
9つのユニットのそれぞれを「異なるノスタルジックなテーマ」で装飾している;フリスコ鉄道、キックス・オン・ルート66、カサブランカ、クラシックカー、キャンプロックウッド(モーターコートの歴史)、フランダース・フィールド(第二次世界大戦について)、キング・オブ・ザ・ロード(ルート66廃線後、モーターコートの終焉への皮肉な頷き)等だとか。
各部屋のサイズも、スタジオ、コテージ、フルサイズルーム、クイーンスイートとバラエティーに富んでいる。

ヴィンテージな雰囲気を保つため、テレビもカード・キーも無しだって!
でもその代わりに、ルート66や第二次大戦などの歴史書籍や雑誌が置いてあるのだそうだが、果たして「その代わり」になっているのかの認識には個人差があろう 😂
でもフィリスへのインタビュー記事によれば、Wi-Fi はあるそうで、曰く、「多少の譲歩は必要」だとのことだった。

「歴史保存が好きでロック・モーター・コートも好き。そして、地域の活性化にも関心がある」というフィリス。地域のことを大切に思い、自身の財産をつぎ込むってそんなに簡単なことじゃない。

今年の春は時間がなく残念な思いをしたが、近いうちに必ずロックウッド・モーター・コートを訪れてみようと思っている。そして、フィリスに直接会える日を楽しみにしている。

from the Motor Court Facebook Page

オジサン二人のルート66旅③ミズーリ編

さて、2日目というか、3日目というべきか、セントルイスの空は雨も上がっていい感じ。晴れ男の面目は完全に解除できたな 😊
今日はこのままミズーリ州をさらに南下してキューバまで健さんをお連れする予定だ。本当はもっと長く体験して貰いたいのだが、何せ仕事があるのでNYへ戻らないといけない。夜にセントルイス発のフライトを予約してあるそうなので、それに間に合うよう計算すると、キューバが限界なのである。

セントルイスと言えば、Ted Drewes のフローズンアイスを食べて貰いたいのだが、彼らの開業時間は11時。ちょっと難しいので、今回は泣く泣くスキップ 😭
その代わり、には全くならないが、ダウンタウンに建つ歴史あるダイナー、”Eat-Lite Diner” がどうなったのかこの目で確認に赴いた。

ダイナーは長く営業してきた L.B.Powers 氏が2017年に閉店、売却した。Joelと Shawna の Holtman 夫妻がその後ここを購入、半年後の2018年に 4月に店が再開したときはルート66界が沸いたものだが、結果的に思うようには行かなかったのか、2020年12月に再び閉店した。

昨年の段階では、この建物の現所有者は地元のシェフ、Tim Eagan 氏と聞いているが、このような状況 ↓ では先は明るくなさそうだ。。。。

次にご案内したのが Route 66 State Park(ルート66州立公園)、セントルイスの郊外、車で約 30分ぐらいの所にある。1999年、この公園は広さ 419エーカーを有し、公園周辺の環境とメラメック河 ルート66橋を含む、境界内のルート66の一部を解説、展示したビジターセンターで出来ている。付け加えると、このエリアは昔、タイムズ・ビーチという名の労働者階級のリゾート地域であったが、1980年代に広範囲でダイオキシン汚染が発見され、米国環境保護局によって除染後、解体された黒歴史を持つ 😰

公園の一部はメラメック河の東河畔にあり、ビジターセンターもそこにある。ビジターセンターは9時~16時半まで。上述した地域のルート66に関する結構な展示物に加え、大きなギフトショップも備わっているのは嬉しい限りだね。お店の品揃えは中々のもので、今回は 1946年に出版された J. Rittenhouse 緒の「A Guide Book to Highway 66」を購入した 😊

と、書いていると浮かれた観光客だが(ま、実際はそうであるとも言える)健さんにお見せしたかったのは「ルート66橋」だ。東河畔と西河畔は以前はこの橋で繋がっていたのだが、老朽化が主因で長い間閉鎖されている。将来の見通しは立っていないと聞いてる。。

健さんと一緒にルート66 に関するオンライン番組をやっているのだけれど、健さんはそのリスナーであるお客さん向けのプレゼントにポストカードを何枚か購入していた。さすが旅行会社の鑑である。

そんなこんなで思ったより長いしてしまい、ここからキューバまでは飛ばしても 1時間ぐらいかかるので、昨日に引き続きドタバタと焦ることに!🤣
ってことだが、その前に Sullivan にてワンクッション置くことにした。
サリヴァンと言えば、そう「シャムロック・コート」である。
このブログに訪れてくれておいる読者さんなら未だ記憶に新しい(はず)のネオンサイン点灯式の、あの一件だ。
(忘れている人。下記のリンクを参照してください)
シャムロック・コート復活の狼煙
https://www.toshi66.com/2022-03-20/(opens in a new tab)

とりあえず観光客らしく?モーテル前で記念撮影。
実際に点灯式をネットのライブ配信で見ていた時は、その 3か月後に改装されたモーテルをこの目で見ることができようとは夢にも思ってなかっただけに、いい歳してまだ営業していないモーテルの前で目頭が熱くなる。。

さて、本題の?沿線上の友人らと交流する旅、に戻ろう。
次に紹介するのは、音楽家で作曲家の ノーラン(Nolan Stolz)だ。
まだ実際に会ったことがないので、友人と呼ぶのはおこがましいが、昨今の SNS時代、ハードルはちょっと低めで。

ノーランに関しては下記の記事を参照していただきたい。https://www.toshi66.com/2022-04-03/(opens in a new tab)

これから行くキューバでは、何とそのノーランとの会食が待っている!
このミーティング可能になったわけは、私のSNS投稿を見て彼がキューバ付近で会えるかどうか打診してくれたってわけ。何度も言うけど、テクノロジー様様だね 👍

キューバ到着。
アメリカの街でキューバかいっ!って思う方もいるかも。

キューバは、(ルート66沿いの)「壁画の街」と呼ばれている。街のロゴにも “Mural City” と記載されているほど。その理由は2001年に始められた
“Viva Cuba Murals Project”といい、「美しいキューバ(の街)」を目指し、1984年に設立された Viva Cuba 団体の主導の下、2007年の、キューバの街設立150周年を記念して、街中に12枚の野外壁画を設けようとしたことが始まりなのだ。言うまでないが、著名なワゴン・ウィール・モーテルを含むダウンタウンの歴史地区は、「国定歴史地区」に登録されている。

前置きが長くなったが、その歴史地区を代表する建物の一つ、旧フィリップス66 のガスステーション跡こそが、今日ノーランに会う場所だ。
時計は遡って 1932年、Paul T Car 氏がこのガスステーションを建設した。1968年になって Bill Wallis 氏がこの土地を購入、モービル社のガソリンを販売しつつ Wallis Oil Company のオフィスとしても利用した。その時に建物を 1930年代の当時の姿に復元した、と言われている。

Weir On 66 ホームページより

その後 ジョアン・ウィアーさんが 2016年、The Four Way という名でレストランをオープン、現在の “Weir On 66” となった。
ワシントン通り(旧街道ルート66)と フランクリン大通りの交差点に佇むレストランはこんな感じ。

ノーランが連れてきた彼のお友達、ジョンも含め 4人で和気合合とランチをしながらお互いのルート66バックグランドを話した。因みに私の頼んだのはこれ。元々ギリシア料理系のレストランだったということで、GYRO。サラダ付きでとても美味しかった。多分フラットブレッドもここで手作りなんだろう 😋

別れ際に4人で壁画の前でチーズ。あ、壁画がきちんと写っていないね 😰
これはローカルのアーチスト、Ray Harvey 氏による作品で、Bill Wallis 氏とミズーリ州ハイウェイパトロールの75周年を記念して描かれたものだよ。

というところで、健さんとの旅も今回はここで終了。
セントルイスへ引き返し、夕方のNY行きのフライトに乗るそうだ。
短い時間だったけど、このルート66から何かを感じ、より一層好きになって頂けると幸い。自分で走る経験は語る上でも説得力を増すだろうし。
お疲れ様でした~ ♪

私はこの先、ミズーリ・ルート66をもう少し旅します。







オジサン二人のルート66旅②イリノイ編

さて、イマイチ曇天で始まったイリノイの旅。ルート66初体験の健さんには一つでも多く観光スポットを見せてあげたのだが、実際はそう悠長なことも言ってられない。なぜか?そう、今晩 19時10分から始まるセントルイスでのMLB観戦があるからだ😂 「野球とルート66、どっちが重要なんだ!」と突っ込まれるかもしれないが、何せ対戦カードは、カージナルス対ブリュワーズ、ナショナル・リーグ中部地区を引っ張る両チームのガチンコ対決だ。し・か・も、しかもだ、今シーズン後の引退を表明しているアルバート・プホルズ選手の雄姿を生で観るのはひょっとしたら今回が最期になるかもしれない。どちらが重要、という単純な話ではないのである。
そんなこと書いてる間にまずはウィルミントン。

最初にご案内するのは、併設するドライブイン “Launching Pad” に立つ、高さ約 30フィート(約 9m)の「マフラーマン」だ。今更細かく説明する必要はないだろうが、このレストランの前身である Dari-Delight の経営者が1960年にこのグラスファイバー製のフィギュアを $3,500 で購入して以来、この地のトレード・マークとなっているものだ。「ああ、本当にあるんだ」と、ポロっと言った彼の一言に自分が初めてみた時のことを思い出した。

とは言え、「文句」とまではいかないが、このお店とは今まで(今日を含む)自分はあまり相性が良くないのだ。理由は私がお店の営業時間に来ないから。(これじゃあほぼ言いがかり 😂)
遡ること数年、2017年10月に現在のオーナー、Holly Baker さんと、Tully Garrett 氏がこの場所を買うまで、10年間近く閉鎖されていたこと、それに再開した2019年以降は、パンデミックのおかげで旅ができなかったこと、の 2点が主な理由であるが、(小声で言うと)開店が10時半と遅く?シカゴをまずまずの時間に出る旅のスケジュールではキツイのである 💀

なので、新しいオーナーさんとは SNS でやり取りはしているものの、未だお会いできていない。次回以降の宿題である。

そして次は更に車で10分ほど行った Braidwood の “Polk-a-dot Drive In” 。さほど重要な観光スポットではないが(ごめんなさい😵‍💫)通り沿いにあるのでお連れする。

そんなこんなで遂にポンティアック。何時に誰と待ち合わせがあろうと、イリノイ・ルート66を体験してもらうにあたって、ここをすっ飛ばすわけにはいかない。

健さんが事前に入手した「ルート66 パスポート」にスタンプを押してもらう必要があるみたいなので、外観だけでなく、きっちり博物館の中もみていただいた。

この博物館(イリノイ・ルート66 殿堂博物館)のハイライトは何といってもルート66を代表する希代のアーチスト、Bob Waldmire 氏の功績や実際に使用していたものを数多く展示している「ウォルドマイヤー・エクスペリエンス」だろうか。博物館2階にあり、ウォルドマイヤー氏の芸術的、精神的成長をたどるものだ。
1階には彼の有名な フォルクスワーゲンのバンと、そして博物館の裏手には1966年に改装されたスクールバス、通称 「ロードヨット 」が常時展示されている。

そして個人的にとても好きな、博物館の向かいの壁に描かれた ”Waldmire Memorial” (ウォルドマイヤー・メモリアル)と呼ばれる壁画。ルート66の全長にわたる地図が描かれているんだけど、この壁画の長さ、何と 66フィート! 芸が細かい 🤣

という博物館見学の話に加え、今回もう一つ嬉しいことがあった。博物館内にはお土産屋さんがあるのだが、そこに販売員さん?マネージャーさん?として座っていた女性に見覚えがあった。どこで会ったのか、名前も思い出せないまま、(ナンパじゃないぞ!)「私ら知りあいですよね?」と簡単な自己紹介がてら聞いてみる。と、やはり「知り合い」だった!
その名も Joyce Harbin Cole さん。「そうだ、ジョイスだ!」どこで顔を合わせたかは未だ不明だが(笑)きっとルート66の何かの集まりだろう。SNS でも繋がっている彼女がまさか、このショップ(Home Again on Route 66)のオーナーさんだったとは 😊
ちゃっかり記念撮影。予定していなかった友人に偶然会えるのは嬉しいことだね!

ジョイスと彼女のお店内で

おっと、そんなこんなで時間が過ぎている。余裕ブッコいてると 14時のスプリングフィールドでの約束に間に合わないぞ。

時刻はやっぱり14時を回ったところ。少し遅れると途中からメッセージをしたが、待たせて申し訳なかった。Cozy Dog に到着だ!今となっては忘れてしまったが、道中どこかで少しポツポツ降ってる場所はあったものの、スプリングに着いたことにはすっかり雨上がり状態に。

皆さん、ご紹介しましょう。スプリングフィールド在住のルート66仲間、Penny Black さんだ。Penny に初めて会ったのは確か 2015年のイリノイ州でのルート66 カンファレンス。Penny はいつも優しく気遣いながら接してくれる。今では良い友人になった多くの人たちに一堂に会えた素晴らしい機会だった。

お店の中はしばらく来なくても何も変わっちゃいない。素敵 😊

お互いの近況を交えながら健さんを紹介。冒頭から「健さん」と書いているが、「ケン」ではない。「タテシ」なのだ。健と書いてタテシと読む。人生初めてのパターンに最初は驚いた(笑)
そのタテシからとって、ご本人は非日本人への自己紹介は「ター」という名前で通している。この旅がきっかけでルート66の多くの人々に「ター」が可愛がってもらえることを祈るばかりだ 👌

あ、そうそう。ここの Cozy Dog Drive In について。このお店の看板商品は何と言ってもコーン・ドッグだ。コーン・ドッグとは何ぞや?という方のためにちょっとだけ説明すると、棒状のソーセージ(要はホットドッグ)をコーンミールの衣で厚く覆って揚げたもの。アメリカ発祥の 100%生粋のアメリカ料理だ。Penny が実際にご馳走してくれたものがこちら。

コーン・ドッグが最初に売られたのは 1946年。今のこの場所は何と 1949年から営業中だ。お店を始めたのは先ほど紹介した Bob さんのご両親。現在のオーナーさんはお孫さんの ジョッシュ・ウォルドマイヤー氏だ。

最後はお約束のツーショット。また近いうちの再開を約束して次の目的地へ急ぐ。

次の停車駅?は、スタントン。ウサギさんの沢山いる、Hare It Is のヘンリー・ラビット・ランチなのだが、時間に間に合うか。本当は Cozy Dog 以外にも健さんに見せたいところはスプリングフィールドに幾つかあるのだが、とにかく時間がない。許してくれ!

結果から言えば、途中メッセンジャーを通じて、オーナーのリッチとはやり取りしたのだが、彼は今晩早めに店仕舞をして行かなければならない所があるのだとか。頑張って運転したのだが、10分ほど間に合わなかった。
残念!彼に最後に会ったのは2018年。うーん、仕方ない。結構アメリカ人にウケの良い日本のお菓子をお土産に持ってきたので、外のクーラーボックスに置いておくことに。

時間は16時すぎ。セントルイスまではもう少しだが、時間に余裕ができたので、その手前の リヴィングストンという街で、一軒立ち寄ることにした。その名も「ピンク・エレファント・アンティーク・モール」、遠くから嫌でも?視界に入る奇抜なお店だ。ルート66とはそこまで関係のない店ではあるが、ルート66が街を通過していたこともあり、お店はそれなりにその部分を強調している。実際、私自身このお店には入ったことはないのだが、一つでも多くのスポットを健さんに体験してもらうため、入店することにした。

お店の外観はこんな感じだが、中は結構広い!ちょっと小ぶりな体育館、といった感じかな。アンティーク好きにはいいのかな?物がこんなに!😵

一通り歩き回ってみたら、目の縁に飛び込んできたのが「St Louis Cardinals Goods」という小さな看板。カージナルスのアイテムがアンティークって何だよ、と小馬鹿にしながら商品を見たら、何事も馬鹿にするもんじゃない。ごめんなさい、私の勉強不足でした。と言わんばかりの、お宝⚾🏆💵アイテムがっ!

子供のころから敬愛するレジェンドスラッガー、Mark McGwire 選手のセントルイス在籍時の簡易ジャージ発見 😍 しかも何とこれ、たったの 10ドル。喜んでいいのやら、悲しんでいいのやら。

気が付いたらジャージを握りしめてレジに並んでいたよ。

という慌ただしい一日は無事、18時前にはホテルにチェックインという予定通り?の行程で終了した。宿泊先からスタジアムまでは徒歩で10分。平日木曜日であったが、今週末はメモリアル・デー・ウィークエンド。ホテルは満室、街は多くのスタジアムに行く地元民と観光客でいっぱい。やはりセントルイスは都会だな。

ホテルの部屋の窓よりミシシッピ川一望
晴れ男の面目躍如!噴水の位置も大きく変わった公園。

お疲れ様!さあ、スタジアムへ行くぞ!


【週刊NY生活月イチ連載】SEASON 4: オクラホマ~テキサス往復 充実の3日間

まだ完全に終息したわけではないけど、アメリカは完全に経済復興に舵を切ったので、そろそろ(注意しながら?)この夏は旅に出よう!

とうことで、このシーズン④、元々の企画であったおススメ旅に戻りました 😚

毎月恒例の日系情報誌「週刊NY生活」紙にて連載中「さあ行こう!魅惑の旧街道ルート66」SEASON ④の今月はオクラホマ・シティを起点に、テキサスのグルームまでご紹介です。

記事全文は週刊NY生活ウェブサイト ⇩ まで (14ページです)
https://nyseikatsu.com/editions/874/874.pdf

オジサン二人のルート66旅①シカゴ編

実は今回渡米するまで一つ大きな勘違いをしていたようだ。
ずっとコロナ禍による渡航制限のせいで「2年半」も渡米できていない、と公言していたのだが、前々回のポストにも書いた通り、本当のところは「丸っと 3年」になるらしい。。。😱
オクラホマ州ルート66へ、友人宅で行われる秋のイベントへ弾丸ツアーをしたのは 2019年のつもりでいたが、それは実際には 何と2018年の秋、ということが判明した。そうだよ、よく考えたら 2019年の秋は(まだコロナの到来など想像していなかったので)仕事が変わったこともあり、渡米を春(2020年)のタックス・リターン時に延ばしたのだった😂
ってな事で、ルート66への帰還?も実に 3年ぶりになるんだと言うことに気が付いたわけで。まあ別に半年の差に然程大騒ぎすることはないのだけれど、記憶が明らかに衰えているところに心配の種が育つってものだ 💀

さて本題。この 5月の渡米目的は実はルート66でなく、幾つか重要な私用案件なのでそれらを優先、更にしっかりやるべき仕事もした上で、時間を捻出。シカゴでの案件に合わせ、日本に戻る前の週末に行われたミズーリ州ルート66アソシエーションが企画主催するイベントにも顔を出すことにした。公私のバランスは完璧だ。

3年ぶりのシカゴ・オヘア空港。相変わらずの盛況ぶりだ。カリフォルニア州ベイエリアでは比較的まだマスクをしている人々もみるのだが、ここは少々事情が違うようだ。2週間前の閑散とした羽田空港のことを思い出すと、このギャップには驚きを超え感心する。(出発したサンフランシスコ空港もここまで居なかった)決してコロナを軽視するつもりではないが、合理的な考え方は自身の性にもよく合っている。


到着後、レンタカーを借りて早速ダウンタウンへ向かう。アポイントメントの時間まで約 2時間半。高速道路は想像よりずっと空いていて助かる。
だが、「晴れ男」である私が来たというのに天候はイマイチだ。空港タッチダウン時に機長が「シカゴの天気は霧雨」とアナウンスしていたが、街に近づく頃には完全に止み、青空が雲の間から見え始めていた。

ダウンタウンはやっぱり交通量が半端ないので、今日の宿泊先の駐車場にさっさと止めてあとはその場所まで歩く。
そうそう、この高架下の景色がたまらなくシカゴっぽくて好きなんだ。

さて、ルート66もこれだけの回数を走っていれば、まだ訪れたことがない場所はそうそうないわけで、あるとすれば新しくルート66上にオープンしたビジネスか、夜間時や修復完了したネオンサイン等になるのだが、それらを見られるか見られないかは全てタイミングの問題であり、神様の判断の領域と自分は捉えている。

なので、今回ルート66の旅は非常に限られた時間ということもあり、3年間も会えていない友人達に一人でも多く会えれば、というテーマでスタート。

翌日、朝6時過ぎ、市内ど真ん中に宿泊地の通りの路面からは夜間にも結構雨が降ったことがわかる。が、外に出ると止んでいる。晴れ男の面目ちょっと保てたかも 😚 8時過ぎにはシカゴの街を出るから、それまでもってくれればそれで良し、十分合格点だ。

というところで最初に登場いただくのが、今回初めて直接お会いする、オンラインで知り合って 2年弱になる。ひょんなことから健さんからお声がけを貰ったのが コロナ禍で世界揺れている真っ只中の 2020年夏。彼の仕事の一環でオンラインツアーを提供販売しており、その番組コンテンツの一つとしてルート66について語って欲しいという要請であり、それからオンラインによる「ルート66妄想ツアー」を細々と続けている。健さんとの出会いは人と人のご縁、というのを久しぶりに強く感じたものだ。とはいえ、今回の旅は100%彼にとってもプライベートだけどね。

さあ、シカゴに来たからにはまずはこのサインを確認することから始めなければいけない。ん?若干場所が移動した?(気のせいだろう)サインが低くなった?(これは気のせいじゃない)標識にべたべた貼られたステッカーは多少掃除され綺麗になったか?(取り換えられたようだ)
うっかりしていると、知らないうちに修正・修復が微々されるものである。

お約束、ではないがまずは出会いを祝して健さんとスタート地点で記念の一枚。今までオンライン上の繋がりだったが、何度も何度も顔を見ながら話し合っているのでお互い結構知ってるつもりになっている。だからやっとお会いしたのだけど「今更感」は半端ない😄
健さんがルート66を走るのは今回が初めて。ただ、昨年 11月に配信したオンライン番組では、彼はシカゴに自費で飛んで現地(つまりここのサインから)生中継をしてくれたので、ルート66@シカゴダウンタウンは正確には 2度目となる。

そして市内を流れる河を渡り、シアーズ・タワー前を通り、まず最初の重要な場所へ出向く。この私の与太話ブログを読んでくれている方ならもうお分かりだろう、絶対に外せない朝食スポット「Lou Mitchell’s」へ出陣だ。

あ、その前に「シアーズ・タワー」に違和感を持った若い方たち向けに少し補足説明を。このビル、今では「ウィリス・タワー」(Willis Tower)と呼ばれるけど、英国系保険関連企業の Willis Group Holdings が命名権を取得した 2009年7月までは、シアーズ・タワーの愛称で通っていた。アンテナを除くビル最上階(110階)までの高さは 442m、シカゴでは一番高いビルだけど、アメリカ全土ではニューヨークの One World Trade Center に次ぐ2番目なのだ。

さて、そうこう言ってる間に Lou Mitchell’s に到着。宿泊ホテルより約 1.5キロ弱、徒歩で20分の距離だ。腹を空かせるには最適の距離である。

朝が早いせいか、まだ店内に人はまばらだ。普段はもう少しいるんだけど、それは8時あたりかな。斜め向かいにアムトラック駅があることもあって、通勤するビジネスパーソンが朝も昼もよく利用する人気店だ。数日前にオーナーの Nick に、この朝出勤してるかどうか聞いたんだけど、残念ながらこの日は来れないようだった。ただ、いつもの笑顔のフロアマネージャーの Dana が相変わらず元気そうだったのはうれしい限り。

さて、ここで本日2、3人目の友人に登場していただこう。
話は一週間以上戻るが、まだシカゴに飛ぶ前、かねてからSNS上で交流している Sylvia と Bernhard のご夫婦で、5月中旬からルート66を旅している様子がアップされていて、どうやら同じ時期にシカゴに居るようだったので、メッセージしてみた。「木曜日の朝、7時から Lou Mitchell で朝食する予定だけど、都合合えば合流しない?」
すると行くよ、と即返事。
こうやってまたSNS上で繋がっている友人に「初めて」実際にお会いできる機会に恵まれた。彼らはドイツからのルート66愛好家。実は彼らとはニアミスが一回あり、コロナ禍前の2019年夏、イタリアの友人の結婚式に参列するためフランクフルト経由で行ったのだが、家内がフランクフルトが初めてということで、2,3日滞在した。その時は気が付かなかったのだが、Sylvia 達はフランクフルトから車で15分程度の街に住んでいるらしい。私のフランクフルト紀行をSNSで見て、連絡してくれたのだが、その時はすでに帰国便へ向かう途中だった。わずか3年で逃したチャンスが再度巡ってくるのだから、これも何か一つのご縁なのだろう。

4人でテーブルを囲み、私は今朝は軽め?に大好物のホーランデーズソースがたっぷりかかったエッグスベネディクトを注文、話に花が咲いた。
聞くところによれば二人は5月にカナダ入りから始まり6月中旬までルート66をシカゴからサンタモニカまで行くとか。共通の友人達にも沢山会える予定にしているらしいので羨ましい 😵
1か月以上旅行を楽しめるドイツのライフスタイルはやっぱり進んでるんだなぁと心底感心した。

お互い道中気を付けて!とエールを交換し、お店の前で記念撮影。

さあ、我々も今日はミズーリ州セントルイス目指して出発だ!


【週刊NY生活月イチ連載】SEASON 4: Vol. 14 旅の計画はしっかりと(Q&A)

毎度懲りずに世界の流れから数歩遅れて行動する日本政府もようやくその重い腰を上げた!と言いたいところだが、まだ日本へ入国できる外国人は団体旅行のみって💦
そのニュースを聞いた時、旅行代理店とグルになって特例措置を出してるのかと思ったよ 🤣

と、揶揄はしてみたものの、こっれは大きな第一歩だよ、ジャパン。そう、世界は確実にコロナ禍の戦いに終止符を打つ方向で動いている。基本的なエチケットを守り他人を想いやる行動をとれば、恐れることはない!

毎月恒例の日系情報誌「週刊NY生活」紙にて連載中「さあ行こう!魅惑の旧街道ルート66」SEASON ④の今月はちょっと半年前に書いた内容に近いが、今回は回答を含めた Q&A ということでご容赦。いよいよルート66へ本格的に出る人も増えるだろう!ってことで、ルート66を旅するにあたって、良く聞かれることを綴ってみた。

同紙に投稿している今年2月の Vol.10 の記事、そして先月のアプリ記事と合わせて読んで貰えれば、もうあなたの準備は完全だ!😎

某鉄道会社の宣伝文句まるごとコピー、「そうだ!ルート66へ行こう!」

記事全文は週刊NY生活ウェブサイト ⇩ まで (14ページです)
https://nyseikatsu.com/editions/870/870.pdf

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