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Castaneda Hotel 70年の時空を超えて

Time flies. (光陰矢の如し)はこんな短期間に使うべき言い回しではないのかもしれない。だが本当にそんな感じがするのだから仕方がない。
前回その「元ホテル」に訪れたのが最近のことだと思っていたら何と、2016年10月、実はそれからもう 2年半も経っていたのだ!

2019年4月、私はニューメキシコ州ラスベガスの「Castaneda Hotel」を再訪する機会に恵まれた。Castaneda Hotel のオーナーは「La Posada 物語は永遠に」(2018年3月21日記事)で紹介したアラン。Castaneda と私の関わり、そしてホテルの歴史については「遂に La Castaneda Hotel の中へ!」(2016年10月22日記事)を参照して頂きたい。

こういうのを虫の知らせと言うのかもしれないが、今回限られた日数のルート66旅で選んだのがニューメキシコ州東部だ。Castaneda Hotel も随分改築改装が進んだであろうと予測し、先月アランに進捗状況を知りたくショートメッセージを送ってみた。聞くところによると事は順調に運んでいて、来月には何室か実際にお客を泊められるかもしれない、と。「こりゃ絶対に見に行ってみないとな」私はまだ何も予定も決められない端からぼんやりと決心していた(笑)

4月4日(木)前日トゥクムキャリに泊まった私は、早朝からUS84号線を飛ばしラスベガスへと向かう。残念ながらアランはアリゾナ州のホテルの仕事で当日は不在とのこと。ホテルの仲間に話しておくからゆっくり見て行ってくれ、と事前に連絡をもらったのでお言葉に甘えた。
US84からフリーウェイ25号線に入り、University 通り出口で降りる。何も変わっていないのが心地良い。Grand アヴェニューの交差点まで進み左折、そしてすぐをもう一度左折する。
そこで見えてきたモダンに生まれ変わったホテルの外観に唖然とした。いや表現の訂正が必要だ。外観は変わっちゃいない。煉瓦作りの、あの何年も見てきた Castaneda Hotel だ。変わったのは周りだ。薄暗い柵も撤廃され、周りの樹木もきれいに伐採。エントランス周りもきれいになって、文字通り「ホテル」になっていた。

窓が大きく、陽の光がしっかり注ぎこむ明るいロビーのドアを開けてみる。
フロントには女性のスタッフが一人。自分がアランの友人でホテルを見せて貰いにに来たことを告げると、とても心良く案内してくれる旨を伝えられた。
実は4月3日の夜、初めてのお客様を7部屋分、泊めたそうだ。
今風に言えば「ソフトオープン」といったところか。
全25室はまだ完成していないようで、泊められる状態になった部屋のみ提供開始だそうだ。とはいえ、BARやレストランを始め、客室以外の部分はまだ何も出来ちゃいない。こんな状態でお客を泊めようってんだから、さすがアメリカだ!
今回案内してくれたのは経験豊富なベテランマネージャー、Yvonne さん。彼女のお客様への接し方を見ていれば、このような状況下でも彼らが充分満足するホスピタリティは「完成」していると感心した。
その Yvonne さんに連れられて、ホテルの隅から隅まで案内してもらった。

ロビーは非常に明るくシンプル。今後どのような装飾がされていくのかは分からないが、可能な限りシンプルさを保って欲しいところだ。

そのロビーから階段を上がっていくと客室エリアとなる。

さきほど触れたように全部で25部屋。聞くところによると全ての部屋にテーマがあり、異なった内装とのことだ。例えば201号室は「The Hare」尾っぽの黒いジャックラビットと、白いジャックラビットの競演、202号室は「Bluebird」。ニューメキシコ州に棲む西部、中西部、東部のブルーバード(日本だとコマドリ?)が勢揃いだそうだ。

部屋の窓からは隣にあるアムトラックの駅もしっかり見える。なるほど Harvey House の真骨頂だ。

内側に面している部屋の窓からはまだ作業中の中庭が剝き出し(笑)

せっかく?なので私の一番好きな中庭へ出て幾つかショットを撮ってみる。

パノラマもやってみた。

ここは前回も見せてもらったBARエリアだが、その時は埃をかぶった薄暗い感じであふれていたが、ずいぶん綺麗にに生まれ変わった。

実はこのBARが最も喫緊の課題場所だったようで、その時 Yvonne さんは、今月どこかでオープンしたいと言っていたが、さっき友人のFBポストで「BARのオープンまであと72時間!」という興奮気味のコメントが書かれていた。かなりの急ピッチでやってるのかな。因みにこんな「やることリスト」も貼られていた。


レストラン、厨房、そしてワインセラー、はまだまだこんな感じ。

オープン間近という最も忙しい時に嫌な顔一つせず、ゆっくりいろいろと説明しながら見せてくれた Yvonne さんには本当に感謝。ニューメキシカン・ホスピタリティとは正に彼女のような御持て成し精神のことを指すと再認識。同じホテル業界勤め、自身は営業職ではあるが、改めて学ぶことが多かった。
聞くところによれば Yvonne さんはここラスベガスの出身だが、サンタフェの有名なホテル「La Fonda」に長く勤務したらしい。なるほど、だ。
Castaneda のような歴史が長く、今回70年の時空を超え甦ったホテルなんかは、そう、「あれ」が付き物?だ。La Fondaでも時折その手の話はあったらしい。ここでは詳しく書けないが、興味のある人は是非 Yvonne さんに直接聞いてみては?!


ホテルのある通りはまだまだ寂しい。アムトラック駅があるのみ、で他には車の修理工場が一軒あるだけ。とっくの昔に閉店してしまった飲食店や散髪屋の看板がひっそりと佇んでいる。

Castaneda の再生と共に、この道もまだ活気を取り戻す日が来るのだろうか。
そんなことを考えながら写真を撮っていたとき、ふと通りがかりの男性に声をかけられた。
「オレさ、お前のこと知ってるよ。SNSでみたことある。確か日本人だよな。そうか、このホテルまで来てくれたんだな、うれしいよ俺は。もう少ししてさ、お客が沢山来るようになったら、オレはここでカフェもやろうかと思ってるんだ。その時は来てくれよな!」
酒臭い息を吐きながら、でも人懐こい笑顔で早口にまくしたて、ひょうひょうと去って行ってしまった。
お世辞にもカフェが開けるようには見えない。
でもこういう歴史の再生は多くの人にいろんな夢を与えるようだ。
アランと彼のチームメンバー全員に感謝するとともに、今度こそは Castaneda Hotel が長く永劫続くことを願って。

ホテルのホームページ:
http://castanedahotel.org/

ホテルの改装状況アップデート:
https://hotelcastaneda.blog/

 

 

ボブさん、安らかに

ルート66は、ルート66で結ばれた私たち大きな家族は、大切な友人を亡くした。50年近くに渡ってマンガーモス・モーテルを切盛りしてきたボブ・リーマンは、先日天国へと旅立った。

ボブに最後に会ったのは2016年の春、モーテルで行われた「ルート66ファミリー」のイベントだ。
その時からあまり体調が良くないと言っていた。
癌を発見されたのは昨年の夏。
それ以来ボブは化学療法や、放射線治療を受けながら懸命に闘ったようだ。

アイオワ州出身のボブとラモナのレーマン夫妻は、ミズーリ州を旅していた時にひょんなことからレバノンの街でその「モーテル」に出会った。
不動屋の熱心に語るルート66とその歴史にすっかり魅了された二人は、短期間でそのモーテルを購入を決め、今日まで大勢の旅行者に愛されてきたわけだ。
私が彼らに最初に話をした時ははっきり憶えていないが、知らないうちにミズーリ州の父と母のような存在になった。
取り分けラモナはいつもとびきりの笑顔とキスで迎えてくれて、到発着時にはいつも1時間は悠にかかるほどお互いの近況を話混んで交流をしてきた。
いつもその背後でゆったり椅子に座りながら、その大きな目で見つめながら頷いていたボブは、次はもう居ない。

昨年9月にシカゴからオクラホマ・シティまで旅をしたとき、実はマンガーモスにも立ち寄っている。ここ最近一連のブログでマンガーモスのことに触れなかったのは、その時の訪問で初めてラモナに笑顔がなかったからだ。
ボブの病気について話をしてくれたが、とても辛く悲しそうで、返す言葉もうまく見つからなかった。

ボブの亡くなった後、多くの「家族」や友人からお悔やみの言葉が私のFacebookページを占領した。どれだけ多くの人に彼が愛されたのかこれだけでも良く分かる。
その後、ラモナが皆に充てて投稿した文章を原文のまま載せたい。

“I want to thank all our Route 66 friends who have sent their love, their esteem of my Bob, and their sadness for his passing. Bob found out last summer he had cancer… he was brave and took the chemo and radiation as prescribed… the cancer was very aggressive..In December it was found also in his brain.. He had 14 days of radiation… It really weakened him.. about 2 weeks ago he lost the strength in his legs… so we had hospice for a week and two days.. they sure are wonderful people. My husband now is at peace..I am so thankful for my two daughters, who were at his side and mine.. funeral is Monday the 4th of March. at Colonial Chapel here in Lebanon.. visitation at 2 p.m. God bless all of you..”

ここに書かれている通り3月4日にお葬式がある。あまりにも急であった上、さすがに東京から駆け付けるのは難しい。
だから 2日の土曜日、私はラモナに電話を入れ、葬儀に出席できない旨をわびた。
彼女は自分の悲しみを圧して、遠くから電話をくれたことを喜び、そして感謝の念と共にこう言ってくれた。

「トシ、ルート66が好きで集まった仲間は皆、一つの大きな家族よ。遠く離れた場所にいても、そうやってボブを想ってくれて電話をくれる。それで充分。私は大丈夫、娘たちも一緒にいてくれるしね。ここは閉めないわ。愛する家族たちが返ってくる日を思いながら、ここで待ってるわよ。」

仕事の途中で泣いてオフィスに戻るわけにはいかない。
グッと我慢して「また必ず行くからね」、そう言って電話をきった。

ボブ、安らかに。

Route 66 Passport でスタンプラリー


スタンプラリー。
皆さんもこの名を耳にしたことはあるはず。JRを始め、多くの鉄道会社や旅行会社、または地方都市の観光協会が企画する、一定のテーマの下、スタンプを集める行動だ。企画や特典がなくとも個人的な趣味で行う人も少なくなく、神社の「御朱印」を集めるのもその一種だ。
このスタンプラリー、実はアメリカではそう多くは見かけない企画なのだが、「Route 66 Navigation」を作った友人、Marian Pavel 氏によってその「企画」が発表された。今日はそんな素晴らしい旅のお供を紹介したい。

Marian Pavel 氏

企画(商品)、その名は、何と!ちょっとベタだが、「Route 66 Passport」だ!
アーティスト、Joyce Cole 氏によるイラストが満載の「Route 66 Passport」は、Route 66 の旅行者に、楽しく情報満載で、インタラクティブな記念に残る商品を提供。 でも本当にすごいのは、ベネフィットを受けるのは、旅行者だけではなく、Route 66沿いのコミュニティにプロモーション機会と収益の流れを提供するように設計されている点、その仕組みはこうだ。
パスポートには州ごとに選定されたビジターセンターでスタンプをゲット。旅行者はビジターセンターを訪れることにより、スタンプと共にモーテルやレストランを始め、各地のイベント情報等を一緒に聞ける利点があるわけだし、その一方ビジターセンター側としても、集客が見込まれるためお土産品の販売機会も増える。
更には、このパスポートを作った Marian の会社は Touch Media といい、「Route 66 Navigation」というApp まで開発しているため、ビジターセンターはパスポートと 7日間または1年間の Subscription 付きの App を販売するオプションもあるというわけだ。まさに Win‐Win の関係だね!

Touch Media の開発した App はこれ ⇩

iTunes でも Google Play でもダウンロードできるので、気になる方はチェック!
https://www.route66navigation.com/
残念ながら日本語バージョンはないけど、ルート66のニュース、ビジット先情報はもちろんのこと、イベント予定表や ターン・バイ・ターンのナビゲーションソフトで道に迷う心配も解消だ!(個人的には迷うのが旅の醍醐味ってとこはあるけど)

尚、Touch Media のCEO である Marian は、このパスポートプロジェクトを開発するために、オランダルート66協会の共同創設者、ルート66ロードアヘッドパートナーシップ国際諮問委員会委員長、オランダ市場向けのルート66ガイド、そしてオランダを拠点とする米国バイカールート66ツアーのガイド、と多彩な顔を持つ Dries Bessels 氏を含む複数のコンサルタントのサービスを利用。現地アメリカでも、私の親友の一人、ルート66とアリゾナ州のプロモーションプロジェクトを開発している観光開発コンサルタント、歴史家、そして作家の Jim Hinckley 氏コンサルタントに起用する徹底ぶり。App とパスポートでルート66の旅が一層楽しくなるのは言うまでもない!よね(笑)

最後に YouTube に出ているプロモをちょっとお見せします。

 

 

 

Roamin’ Rich 新会長誕生!

Image From Route66News.com

“Roamin ‘Rich” の愛称で知られる Rich Dinkela 氏が、先週末のグループ選挙で、ミズーリ州ルート66アソシエーションの新会長へ就任することが決まった。
彼は YouTube 等のメディアでも露出度が非常に高い、ルート66界屈指の人気ソーシャルメディアプロモーターでもある。

ミズーリ州ルート66アソシエーションは過去約20年に渡って Tommy Pike 氏とその奥様である Tonya さんの二人三脚で大きな発展を遂げてきたが、今年一気に世代交代をし、さらにパワーアップしていく予感に溢れている。

Rich と私が初めて出会ったのが2015年秋にイリノイ州エドワーズビルで開催された「マイルズ・オブ・ポッシビリティー」、ルート66の歴史的意義やアメリカの偉大な財産として今後どのように保存、発展させていくかを教育的、学術的見地から意見交換をするカンファレンスでのことだった。
もちろん「その場所に居る」ことで、多くのルート66を愛する友人知人と楽しい時間を共有できることが何よりうれしいし、そこで彼に会えたことは非常に有意義なことだった。

彼はいつもいろいろなことを精力的にこなし、ルート66に多大なインパクトを与える。翌年2016年春には(実際にそれは第二回目になるのだが)、ミズーリ州のガスコナーデ橋を取り壊しから守るため、州政府を相手に多くの支持者をまとめ上げ、結果的に保存に成功した。この話は当ブログにも詳しく載せたが(2016年4月26日参照)、その時にも前年に日本ルート66アソシエーションを立ち上げた私にも檀上に上がってその紹介をするチャンスをくれた。
いきなりの指名に少し焦ったが、準備なしにしては上手く話せたと自画自賛、記憶している(笑)

Image From Roamin’ Rich’s Facebook Page

その後もドローンを飛ばすことでルート66を見たこともない世界に導いてくれたり、シールドペイントと言って、ルート66のサインが消えかかった、またはないルート上の重要な場所に一つ一つ出向いて、地道にルート66のプロモートに尽力してくれた。私が言うのもおこがましいが、行動で示す彼のリーダーシップがあればミズーリ州は安泰だ。

時を同じくして、オクラホマ州ルート66アソシエーションにも、私の親友 Rhys Martin 氏が新しく会長の座に就いた。ルート66は一気に世代交代をし、心からルート66を愛する素晴らしい友人たちの手によって発展して行く。まだまだ微力ながらお手伝いできる機会が山ほどありそうだ。

最後に Rich の素晴らしいドローンの世界をもう一度!

ミズーリの大空の下で

前回の訪問から約2年。その後どうなっているのか気になる二つの場所がお互いに5マイル(約8キロ)程度の距離に存在する。
2016年11月、Whitehall Mercantile は、在庫を全て売り切って閉店する、とのニュースが流れた。事の詳細は下記 Archiveを参照してもらいたいが、その後本当に閉まってしまったのかは不明のままだった。
「Whitehall Mercantileが閉まっちゃう」http://www.toshi66.com/2016/11/08/

昨年9月に立ち寄った時、お店は閉まっていたが(通常の営業時間内)中には未だ沢山の商品が残っていた。外観からは精気が余り感じられなかったのでここは引き続き調査が必要だなー。

さて、もう一箇所の方は未来ベクトルの「明るい、その後が気になる」場所。
時は同じく2016年、伝説のオーナー夫妻、Lena と Gary の Turner 夫妻が他界した後、娘のBarbara が後を継いだミズーリ州の観光名所 Gary Parita Sinclair Station、の「その後」を今日は紹介したい。

当時の詳細はこちらも下記 Archive を参照して頂きたい。
伝統の継承:バーブの決断   http://www.toshi66.com/2016-04-30/

待望の後継ぎ問題が解決した後も、夫妻の他界後約1年近くにわたって荒廃していた場所の再開には多くの時間の費用がかかるとみられていた。もちろん実際その通りで、Barbara と彼女の愉快な旦那さん George は、文字通り一生懸命来る日も来る日も Gay Parita Sinclair Station の再開に努力したことは想像に難しくない。

殆ど真夏の酷暑に近い快晴の9月下旬、私は彼らを訪問した。
押せ押せのスケジュールのため彼らには行くことを伝えていない。
忘れられてないだろうか?と一瞬心配になったが、SNSのおかげで今は遠くの友人知人の近況が簡単に手に入る。それは同時にいつ「本当に」会ったのかという記憶が曖昧になるという欠陥も含んでいるんだけれど(((´∀`))ケラケラ

通りから見る限りではすっきりと片付いた良い感じに見える。
特に人影は見当たらないが、開いているはずだ。

車を降りた瞬間に滝のような汗が流れる。今日のミズーリは9月とは信じられないほどの湿気と熱気だ。
「おやおや、珍しいのが来たな」、独特のハスキーボイスで George が人懐こい笑顔と共に迎えてくれた。
綺麗にアップグレードされているのは建物の外観だけではない。

(私のステッカーもしっかり貼ってもらっている)☝

2016年には実は2回、彼らを訪問する機会があった。1回目は4月、同州ヘイゼルグリーンでガスコナーデ橋を守るラリー運動に参加した際で、もう1回は同年8月にスプリングフィールドで開催された「第6回 Annual Festival」に参加した時に一瞬立ち寄った。とはいえ、その時は満足に話もできない挨拶程度のものだったが。。。
George はその後どのように修復作業や新しく購入したものの設置作業に奔走したかを相変わらずの早口で言葉も熱く語りまくった(笑)
ガレージはきちんと整理され、何と訪問客が座れるスペースまで出来ている。

ガレージの裏には1932年の International が鎮座。一回売却したものを再び買い戻したそうだ。George の計画では同じものがもう一台、欲しいらしい。

フロントに飾られたトラックも沢山の花が飾られる素敵なオブジェとして堂々と。

裏は団体客もエンターテイン可能な開放的なスペースにたくさんのピクニックテーブルが設置済だ。

そして両親への哀悼を形にしたファウンテンは立派に完成していた。

押せ押せのスケジュールとは言え、ここに来るときは(というか Barbaraと George に会うときは)長時間滞在になることは覚悟している(笑)とにかくふぃたりは話好きなのだ。Barbara のお父上そっくりだ。
滞在中にイタリアからの4人組の訪問もあり、場は大いに盛り上がる。
今回の米国滞在はわずか1週間、この歳になるとそれなりのエネルギーが必要になってくるが、こういう時間は本当に貴重で何にも代えがたい。
マスターカードの宣伝そのもの、まさに Priceless だ。

2016年より始まった「Annual Show Off Your Ride」と呼ばれるクラシックカーやバイクで皆でルート66を走るイベントも、毎年5月開催で定着したようだし、昨年はイリノイ州ルート66を牽引する Roamin’ Rich こと、Rich もこの Gary Parita の前の道に大きなルート66サインシールドをペイントして話題となった。
今後より一層、この二人の努力でGay Parita は発展して行くだろう。

最後に三人で、はいチーズ!

 

Wrinks Market の新女神達

今回のレバノン行きで一番楽しみにしていた訪問がここ、我がルート66の母、ラモナの経営するマンガ―モス・モーテルから目と鼻の先の距離にある、Wrinks Market だ。
2009年に完全に閉店して以来、約8年。遂に再開するというニュースを聞いたときには、かなりテンションが上がったことを憶えている。
下の写真はたぶん2013年頃に撮ったその姿。冬場ということもあり、とても寂しい印象は否めない。もちろん店の中もガランとして何も置いていなかった。

「ここが空いているうちにご主人と交流したかったなぁ」と、通って見る度に想ったことは2回や3回では済まない。

Wrinks Market は1950年、Glenn ”Wrink” Wrinkle 氏によって開業され、マンガ―モス・モーテルと共にルート66繁栄期に一役かった。後程紹介する新オーナーによれば、「彼女の祖父はルート66と、それを旅する人達を心から愛していた」とのことだ。
お店を訪れた旅行者の中には、大陸横断中に「おむつ」を買いに立ち寄った、名優クリント・イーストウッド氏もいたとのこと。

2005年になって82歳になった Glenn はこの世を去り、お店は閉店。その後息子さんが一時的に継いだが、当時の不況の影響で上手く行かず再度閉店となった。ちょうどその頃私も一度訪れているが、営業をしているのかしていないのかスルーした記憶がある。

という前置きの下、2018年9月、やっとこの地をまた訪れる機会があり、お店を訪問してみた。今回はしっかり営業している雰囲気がばっちりだ(笑)

恐る恐る店に入ってみると、明かりは完璧に点き商品もきちんと陳列され、どうやら100%営業中のようだ!

新オーナーは、Glenn のお孫さん、Katie Hapner さんと彼女の義妹 Sarah Carney さんのお二人。さらには Katie の娘さんがこの日はお店をお手伝い、と店内は活気にあふれていた。

小腹を空かしていた私はサンドイッチを注文し、さっそく雑談開始。最初にお相手してくれたのは Sarah さんだが、日本人だと告げると「まあ!Katie は日本の血が少し入っているのよ!オ、キ、ナ、ワ?かしら。そこで育ったって。」
それならと、早速バックヤードを作業をしていた Katie さんを呼んでもらった。
Katie さんもそうだが、彼女の娘さんも大の日本好きで、近いうちに日本へ行くことをとても楽しみにしているそうで、矢継ぎ早の質問を受ける。が、ご存知の通り在米30年の私は今一つ日本文化には疎い。

当初は15~20分程度の滞在予定だったけど、気が付けばゆうに1時間超え。
でも全然へっちゃら。素敵な女神たちとの交流だものね。最後はとびっきりの笑顔の一枚を頂戴した。

地元テレビ局KY3が、お店の再開時にニュースとして取り上げたので最後にご紹介したい。

 

 

 

 

キューバとコニーとワゴンウィ―ル


ミズーリ州キューバ。ルート66に興味がなければこの街を知る人は少ない証拠だと思うが、街の話をすると「ん?キューバ?」と大体聞き返されることが多い。かく偉そうに言う私ももちろん、うん十年前はその一人である。パリ、マドリッド、ミラノ、そしてローマと、歴史の浅いアメリカには、欧州でも指折りの著名な街名が着いた街がしっかりあるのだ。それを考えるとキューバという街名があっても然程驚かないのが本音か(笑)
そんな話はさておき、キューバに到着したのは夜の9時少し前。ルート66上のモーテルは夜が早い。簡単に言えば全体的にモーテルのオーナーは高齢の方が多いからであり、お客の到着が遅いと鍵だけ置いてさっさと寝てしまうのだ。
さて今夜はどうだろうと考えながら目的地近くに行くとネオンは点いている。良かったと思う反面、悪いなという気持ちで車を停める。

「お前がトシかい?」と見慣れない中年男性が笑顔で迎えてくれる。
「そうだよ、コニーはもう寝ちゃったかい?」
「ああ、とっくに休んでるさ。オレも9時になったら帰ろうと思ってたんだ。はっはっは。まあ間に合って良かったな、ほら鍵だ。コニーは明日朝8時にはいるはずだよ」と言いたいことだけ言って、お休みと言わんばかりに後ろ手を振って彼は去っていった。
明日は7時には起きて朝飯に行く予定だったから8時なら丁度良い。そこそこの距離を運転しているだけに早めに横になろうと部屋に入る。

これだけ見ると豪華には決してみえないが、ここ ”Wagon Wheel Motel”は、ルート66上に建つモーテルとしては中々立派なのである。現在の総数は19部屋。シングルからファミリー用、そしてスイートまであり、WiFi 完備という心意気だ(端に田舎なので電波が悪いという説もあり)。建物の前には中庭があり、仲間内でゆっくりBBQをして過ごせるスペースもある。
部屋の中はベッドはもちろん、一応TVもある。洗面台、シャワー、トイレと不足なものはないのだ。


ルート66を旅する醍醐味の一つが早朝の美しさだ。もちろん晴天でないとそうは行かないのだが、幸運にも私は晴れ男。ルート66を走って雨にやられるケースは結構は少ない方だ。
昇る朝陽もワゴンウィ―ルの看板と重なっていい感じである。

朝7時、さっそく楽しみにしていた「イベント」に心を躍らせる。モーテルあら歩いて5分ほど行ったところに ”Shelly’s Route 66 Cafe” とダイナーがある。結構友人仲間では好評はダイナーだが、まだそこで実際食べた経験がないのだ。ダイナーは朝6時~午後3時まで。そう、朝と昼専門だ。そして月曜日がお休みなわけだが、過去何回かなぜかワゴンウィ―ルに泊まって朝を食べようとすると月曜の朝にあたるわけで、夕方通り過ぎた回数を含めると相当数なチャンスをふいにしてきた。
それだけに今回はとても楽しみにしていたというわけ。

メニューはお決まりのアメリカンな朝食だが、やっぱり美味い、落ち着く。
定番の目玉焼2個とソーセージパテ、ハッシュブラウンにトースト+コーヒー、でわずか約4ドル強。凄まじい。

ゆっくり朝食を撮った後は、Mural City(壁画の街)と呼ばれる所以である街のいたるところに描かれている画をチェックしに散策。毎度見てみるものだけにきちんとあるかの確認作業みたいなものだ(笑)Cuba Mural Project が始まったのが2001年頃。それから7年ほどかけて地元のアーチスト達が先駆となり合計12の壁画を完成させた。その後2つ加えて今は14となっている。地元の人達の街愛はこんなところでも溢れている。

さて8時過ぎ、約3年ぶりのコニーに対面。この早朝時は(きっと昨晩の宿泊客も少なかったのか)ほぼ誰もロビーに現れないので、たっぷり1時間ほどかけてお互いの近況を報告しながら談笑。

コニーももう70歳を過ぎているがお孫さんが後を継いでくれるまでもう数年は一線で頑張るのだそう。最近の商売は良い感じだと言っているのが非常にうれしい。でも満室(19室だが)になると部屋の掃除や洗濯が大変らしく、あまり満室にはなって欲しくないと笑って言う。本音は10室ぐらい毎晩入ってくれるのが最高なんだとのこと。同じホテル業でも事情が変われば話が変わって面白い。
次回また会えることを約束し、愛情溢れるハグを頂戴した。

Wagon Wheel Motel
901 East Washington Blvd.
Cuba, MO 65453
(573)885-3411

Shelly’s Route 66 Diner
402 South Laurence Street
Cuba, MO 65453
(573)885-6000

 

アリストン・カフェにて


一日の走行距離が380マイル(約600キロ)、は然程大変ではない。せいぜい数時間走れば着くものである。が、各所で再会を祝い、四方山話に花を咲かせながら走るとなると結構時間との戦いに陥るケースも少なくない。
2016年8月に掲載したお話、「ウサギの王国、ヘンリーラビット」に登場するご主人、リッチ・ヘンリー氏にテキストメッセージを送ったのが渡米する2週間ほど前だったか。
「やあリッチ、元気かい?9月の下旬にイリノイ州に行く予定なんだが、お店はまだやっているかい?9月はもうシーズンオフだ、何時に閉めるの?」
昨年リッチは一度体調不調を理由に一旦は引退?に近いようなことを口走ったことがあったのでこのように聞いてみた。
すると体調は順調なようで相変わらず頑張ってお店を開け旅行者のお相手をしてくれているとのことなので、日付と時間とが決まったらまた連絡する旨を伝えておいた。

当日ミッドウェイ空港を出発した私は、いろいろ思い描いていた計画と少々違う事案に遭遇しながら、南下した。先のメイプルシロップのお店で時間を過ごし過ぎのこともあり、リッチには(約束していた)夕方4時に着くのは難しいことを伝えたら、「トシ、俺は今日ミーティングがあってリッチフィールドに来てるんだ、だからスタウントン(彼のお店の場所)には居ないよ、アリストン・カフェまで来れないか。」と。
後から聞いたら急に決まったそうなのだが、「おいおいそれじゃあ先に言えよ」と再度狂ったスケジュールを呪った(笑)。

だが良く考えると実はそれはかなりの好都合だということに気付く。アリストン・カフェは、今年の6月に掲載した「Ariston Cafe 90余年の歴史」に登場する、デミとニックのアダム夫妻が先日リタイヤし、売却されたルート66の名物レストランだ。今回は時間の都合上訪問する予定はなかったのだが、そこにリッチが居るのであれば(アダム夫妻には会えなくとも)レストランを訪問することが可能となる!

というわけで午後5時半過ぎに何とか到着。いつもの如く素敵なレストランだ。


店に入り、イリノイ州ルート66のミーティングの旨を伝えると、それ用に用意された個室に通される。
「ハロー、リッチ!」
何年か振りの再開に思わず笑顔が更に崩れる。
ミーティング開始時間は6時だと言うが、当然?皆さん揃わない(笑)
結局始まる6時45分あたりまでリッチを含め何人かの出席メンバーと近況報告をしながら旧交を温める時間が取れた。


さらにはタイミングよく、新しいオーナーの一人、Will Law 氏とも挨拶をすることが出来た。デミから私のことは聞いてくれており、いつか会えると思っていたがこんなに早く会えるとは!と喜んでくれる。このあたりの調子の良さは生粋のアメリカ人だ。


次はゆっくり来ることを約束し、今晩の目的地である隣接州ミズーリ州のキューバまでお持たせをしてくれたサンドイッチを頬張りながら、すっかり夕方になったルートに飛び出た。あー寒っ!

ルート66産のメイプルシロップは美味すぎる!?

私はメイプルシロップが大好きだ。アメリカでの生活にこれは欠かせない。どの位好きなのかは昨年12月24日の投稿「ルート66とパンケーキ」でも余すところなくお伝えしているので興味のある方は読んでもらいたい。
それはともかくとして、うちではここ数年ある特定のメイプルシロップを購入しており、100%それしか利用していない。
100%天然の産物は非常に風味豊かで甘さも丁度良い。クセもしつこさも無い、例の商品と並んで私の中ではメープルシロップ界のツートップなのである。

そのシロップが切れそうになったのが今年の7月下旬。早速いつものように友人店に連絡を入れ今年分の注文をする。友人とは言ってもここ何年かメールのやり取りをしているだけで実はご本人には一度も会ったことがない。
最近イリノイ州ルート66そのものを走る機会が減っていたことに加え、中々限られた時間の中での旅は彼らの営業時間に合わないことも多いためだ。その都度早く巨額ジャックポッドを当て引退したいと切に願うのだ(笑)
とは言え、こうしてアメリカに住んでいる期間に会うことが適わなかった人に、仕事で東京に住んでいる時にそのチャンスが巡ってくるのだから人生は不思議なものだ。どうやら秋期に少し渡米できそうな感じではあったので「今年は直接ピックアップに行くよ」と意気揚々と伝えて取り置き願い大作戦へと舵を切った。

そのお店の名は “Funks Grove Maple Sirup”、イリノイ州シャーリーという所にある。シカゴからルート66を南へ150マイル(約240キロ)、車で約2時間15分強のドライブ、比較的近いものだ。
イリノイ・ルート66はとても景観がきれいで街々によってその姿は千差万別。高速道路など使わず必ずした道を走ってもらいたいものだ。
シャーリーの街近郊へ入ると景色はこのように緑がとてもきれいな森の中を走ることになる。日中でもあまり車は通らないので、街灯のない夜間は結構肝試し的なルートだ。

この辺りは同州でグランドプレーリーと呼ばれ、サンガモン河の支流には、多くの樹木が広がるシュガークリークやティンバークリークを形成し、ホワイト・オーク、バー・オーク、そしてメイプル樹木がそれらの中心だった。イリノイ州地元のネイティブアメリカンはイロコイ種族で、彼らが毎年春になるとメイプルシュガーやシロップを造っていたのが起源だそうだ。その後土地は欧州からの入植者達の手に渡り、1824年アイザック・ファンクという開拓者が本格的にシロップを造りはじめビジネスとしての基礎を築いた。

現在のオーナーはマイクとデビーのファンク夫妻。まさにジェネレーションだ。
毎年約2000ガロン(約7570 リットル)のシロップを製造、販売するが殆どの場合8月中には完売となる。イリノイ州の秋は寒いので10月にもなれば旅行者もほぼいなくなるが、それでも9月に訪れて「OMG!」というケースは少ないないのだ。

幸い今年は9月下旬にイリノイ・ルート66を走ることができたので、私のタスクリストでも最重要項目として、とある天気の良い午後の訪問と相成った。
入り口はあまり目立たない簡素な標識のみ。もちろんこの道を通る皆がここに来るわけではないが、私の少し前を走っていたブルーのコルベットは減速もぜすに走り過ぎて行った。

敷地内に入り車を停める。「販売商品は殆どもう無いのでお店には居ないから、着いたら電話して。3分で行けるから」と、言われ車を降りて電話してみる。車が一台停まっているが、店の雰囲気は静か。
電話が通じない。案の定、電波が届いていない地域だ。ルート66を走っていると非常に良く出くわすこの状況、「電話しろ」というのだから、彼らの電波は正常?なのだろうか。(いや、そんな細かいことは気にしていないんだろうな)

お店の入り口に近づいてみると中から笑い声が。あー良かった、人は居るのだ。
ドアを開けると2人の旅行者らしき女性とデビーが話していた。
「あら、トシ、やっと来たわね。電話くれた?」
「こんにちはデビー、やっと会えたね!電話したのだけれど電波なくてできなかったよ。」
「あらまあ、じゃあ丁度良いタイミングだったわね、会えて嬉しいわ。旅行はどう?」
電波云々の話は一瞬で過去の遺物となる。

2人の旅行者は買いに立ち寄ったのだが、お土産用の最小瓶があるだけだったので少し残念そうだったが、それを3つほど買って帰っていった。
やはり頼んでおいて良かったようだ。デビーは裏の倉庫から私の取り置き分を入れた箱を持ってきてくれた。

今年の消費予定シロップ

彼女はここから3分ぐらいの場所に住んでいるらしく、9月に入ってからは商品もほぼないのでアポのお客のみ対応しているという。
ここ数年のお互いのメールでのやり取りを振り返りながら、小一時間シロップの話で盛り上がった。

Funks Glove のメイプルシロップ、現在ウェブサイトでも購入可能。もちろん現在は SOLD OUTとなってるが、春になるとまた販売が始まるので、欲しい!という方は是非ネット注文をしてみて欲しい。本当は実際に買いに行くのが一番なんだえどね!

 

Funks Grove Pure Maple Sirup
5257 Old Route 66
Shirley, Illinois 61772
https://www.funkspuremaplesirup.com

Terri & Sprague Super Station の壮大なプロジェクト


皆さんはイリノイ州ノーマル (Normal)、という街の名前を聞いたことがあるだろうか。ノーマルはイリノイ州のほぼ真ん中あたりに位置し、通常近郊のブルーミントン (Bloomington) と一緒に「ブルーミントン・ノーマル・メトロポリタン地域」等と呼ばれたりするが、ノーマル単体では人口約55,000人程の小さな街だ。かく偉そうに語る私も実はルート66を走り始めるまで勿論聞いたこともなかった。
ノーマルはシカゴから140マイル(約224キロ)、車で2時間ほどルート66を南に向かったところにある。街で最も有名なものは州の公立大学としては最古のイリノイ州立大学のメインキャンパスがあることで、街のほとんどの人達がこの大学か、ステートファームまたはカントリーフィナンシャル(ともに保険会社)で働いているとうから驚きだ。
そんなノーマルには昔から素晴らしい歴史的建造物がある。1931年、ウィリアム・スプラーグ氏によって建てられたチューダー建築様式のガソリンスタンド「スプラーグ・スーパーサービス・ステーション」だ。これはルート66に現存する僅か3か所の建物中最も大きな2階建てもので、当時は一階がステーションとカフェ、二階はオーナーと従業員がクラスアパートだったそうだ。

The Station in 1966

ガソリンスタンドはルート66の発展と共に繁盛し、1940年代~60年代はその頂点を極めたが、高速道路の発展により徐々に衰退。1971年に最後の給油販売をし閉店。1979年にはガスポンプ自体が撤去されたと記述が残っている。その後この場所は溶接会社、ボイラー会社、レンタカー会社と姿かたちを変えて残るが、そこに颯爽と登場したのが本日の主人公、テリー・リバーン女史である。
イリノイ州立大の講師であり、かつルート66の歴史家でもあるテリーは夫のウィリアム・サンダース氏(2011年他界)と共に2006年、22万ドル(約2400万円)の資金でこのステーションを購入、歴史的建造物復活への第一歩を踏むこととなる。

Terri Ryburn 女史

テリーの構想はこのステーションを多角化してルート66の発展に役立てることで、インフォメーション・センター、カフェ、ダイナー、ソーダ・ファウンテン、ベッド&ブレックファスト、イベントスペースとしての将来的計画を持つ。聞くところによると総額120万ドル(約1億5千万)相当の野心的なプロジェクトだそうだ。
この「完全なる修復」プラスアルファのプロジェクトは、オーナー自身からの更なるポケットマネーや、市や街、そして国立公園サービス(政府)からの助成金を始め、マッチンググラントや各州ルート66アソシエーション団体からの寄付金等、多くのルート66を愛する者達からの支援する気持ちで成り立っている。こんなところはいかにも「ルート66は一つの大きなファミリー」のコンセプトが体現されている。

そして2017年8月、スプラーグ・スーパーサービス・ステーションは万感の想いを乗せて再開した。昨年より仕事の都合でルート66よりかなり遠い場所に住んでいるため開店日には行けなかったが、それから1年経った今年、やっと念願かなっての訪問となった。もちろんまだ観光センター+お土産屋+イベントスペースの部分しか完成していないが、今後少しずつ確実にプロジェクトを進めて行くことだろう。

知ったかぶりにずらずらと書いてきたが、今回の訪問時にテリーさん本人に話してもらったことだ(笑)優しい笑顔と暖かい人柄に加え、亡き夫との夢に向かって進むテリーさんからは芯の真っすぐ通った強い意志も同時に感じることができた。とても貴重で有意義な時間だったことは言うまでもない。

最後になったけど、スプラーグ・スーパーサービス・ステーションは、2008年4月25日、国家歴史登録財に指定され、翌年2009年にイリノイ州名誉勲章殿堂協会にも選出、そして2011年8月15日には地元の歴史的ランドマークとして指定されている。

Sprague Super Station – Ryburn Place
http://www.ryburnplace.com/
305 Pine Street, Normal, IL 61761

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