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師匠との再会、そしていつもの El Trovatore ~アリゾナ・ルート66 小旅行(後編)

アリゾナ州キングマン、この西カリフォルニア州への玄関口としてルート66上でも重要な位置付けとなる街に来るといつも必ず行うのは、
① 博物館訪問
② 「いつもの」モーテルに泊まる
③ 師、Jim Hinckley 氏に会う、の 3つだ。

ただし今回は時間的制約がかなりあり、博物館への訪問は出来なかったが、師匠は変わらず心優しく出迎えてくれた。前回会ったときは日本滞在中の 2018年春だから、まさに 4年ぶりとなるわけだが、何度も言うように SNSでほぼ毎日、ルート66の友人誰かとチャットしたりポストしあったりしていると時間の経過は本当にあやふやになるね。

一緒に食事をする際は毎回違う場所を選ぶのだが、今回も奥様の Judy を交えアメリカン・ステーキの店、「DANBAR」へ。
久しぶりにやっと会えた嬉しさに、あまりにも会話に熱中したからか、プレートの写真を撮ることをすっかり忘れてしまったが、店員さんに頼んだのがこの 2枚のみ 😂 困ったものである。

作家であり歴史家である Jim は最近殊の外精力的に活動しているようで、州外のカンファレンスにも以前に比べると足を運ぶようになり、執筆活動も絶好調。彼の最新刊の一つをサイン入りで頂戴してしまった。

本当はお土産屋さんもそうなんだけど、しっかり買って経済活動に貢献したい気いっぱいなのだが、優しい皆さんから貰ってしまうものも多く、こんな私でも実は恐縮しているのだ。

Jim と言えば、この春、彼の像が博物館近くの鉄道基地に設置されたことを書かないわけにはいかない。街(ダウンタウン)の活性化のために活動する、ボランティア・チームである、Kingman Main Street によって、Jim の長年に渡る街と文化への貢献に対し、Jim そっくりの?等身大のブロンズ像が奉納された。ツアーガイドとして多くの観光客を楽しませてきた、インタラクティブなダウンタウン・ウォーキングツアーの最初のストップ地として今後は利用されるようだ。

残念ながらこの日の再会はそのイベント日より 2週ほど前なので、その式典に出ることも出来なかった上に、今日現在まだその像を拝観していないのだが、逆にその前にご本にどういう気持ちなのか、素直な話を聞くことができた。その時の言葉は、心底謙虚に名誉な気持ちと同時に「超現実的」で「奇妙」だとのこと。
銅像というのは通常亡くなってから建つものだという認識があったので、まだ生きてるうちに・・・💦と、苦笑いの顔が中々キュートであった。

さて、夕食後、やっとモーテルにチェックイン。フロントオフィスの真ん中に鎮座する、オーナーの Sam も変わらず元気そうだ。奥様 Monica の姿が見えなかったが、もう夜なので気を遣わせても何だから聞かずにおいたが、Sam の皮肉たっぷりの長話に付き合っていたら「ところでお前暫く見なかったな、向いにでも泊まってたのか?」って言うから「まさかっ!コロナで日本に幽閉されてたんだよ~」と答えると、「おお、日本にいたのか?」と全く以前の人の話は聞いちゃいない 😂こういう緩いところが気持ちが良いんだけどね。

残念だったのはトレードマークともいえる、モーテル名の入ったネオンタワーが故障中で、修理費の工面に苦労しているので再開の目途は立っていないこと。いつもよりコートヤードが暗く物が悲しい・・・😭

El Trovatore モーテルの特徴の一つ目は、全ての部屋がテーマ毎にペイントされていること。今回お世話になるのは、109 号室「James Dean」である。取り分け彼のファンではないが、毎回違う部屋に泊まり全てを経験する、というのも旅の醍醐味。

毎度のことながら小ざっぱりと綺麗で快適である。シャワーを浴びた後は、洗濯ものをこのように部屋の前のチェアーにかけておくと朝には乾くという運びだ。ルート66旅に ダイソーの 100円物干しは欠かせない。

そして陽のあたるところでお見せしたかったので朝まで待った、このモーテルの特徴の二つ目がこれ。建物の壁にずーーーっと描かれた「World’s Longest Route 66 Map」だ。

毎度出発の朝は早いので、チェックアウト時に彼らに会うことはない。部屋の鍵を指定の場所に返却し(デジタルカードキーじゃないところが良いのだ)、入口に貼ってもらっているルート66ジャパン・アソシエーションのステッカーを確認するのがお約束のルーティンである。

さあ!これでいよいよ今回の旅の終了地点であるカリフォルニアへ!
ルート66の旅は今日も続く。

アリゾナ・ルート66 小旅行(後編)了

とにかくセリグマンへ~アリゾナ・ルート66 小旅行(前編)

5月、快晴の朝、ヘンダーソンを出て一気にアリゾナ州へ。今日の宿泊はキングマン、と既に決まっているので、まずはフーバーダムを越えてUS 93号線を南にキングマンまで走る。その後はキングマンからどこまで行けるのか、は着いた時間次第ってことになるが、本音を言えばウィンスローまでは行きたいと出発時点では思っていた。

ところで、いきなり話はルート66から逸れるが、この日給油をする際に停まったガスステーションの店舗内で面白いものを見たので紹介したい。

2022年、今年は私達米国市民にとっては重要な「中間選挙」というものが秋にある。中間選挙は、大統領選挙から 2年後に実施される議会選挙で、
4年毎の大統領選の中間年に行われるのでこのように呼ばれるものだ。
アメリカ議会は上院と下院の 2院制で、中間選挙では、下院の「全議席」と上院の 1/3 の議席が改選される。もう少し細かく説明をすれば、下院は各選挙区から議員 1人を選出する小選挙区制で、各州への議席の割当ては
10年ごとに実施される国勢調査によって決まり、一方上院議員は人口数に関係なく各州 2人と決まっており、州は全部で 50あるから定数は 100議席となる。選挙日は 11月最初の月曜日の翌日、「火曜日」と決まっており、今年は11月 8日となる。中間選挙は現職大統領と与党の過去 2年間の「政治に対する信任投票」、の意味合いが強く、有権者の支持具合が明確になるので 2年後の本番、大統領選の行方を見通す重要な選挙という位置づけだ。

ご存じのように現在の大統領は第 46代大統領、民主党の ジョー・ バイデン氏であるが、少しご高齢のため、再選にはクエスチョン・マークだ。民主党候補の後任は今の時点ではわからないが、多数の問題を抱えるトランプ前大統領は 2024年の再選に向けて虎視眈々とそのチャンスを狙っていると報道されている。

アリゾナ州は伝統的に共和党が強いが(すなわちトランプ氏所属の党)、近年民主党の勢力が徐々に高まっており「接戦」の繰り広げられる州となっている。が、やはり共和党は根強いのか、そのガスステーションにはこのような商品が並んでいた ↑ 😮

入口横のゲーム機が数台あるところにも、何と ZOLTARが 💦こんなものまで作ってしまうほどトランプ氏はまだまだ人気があるというわけだ。

因みに ZOLTAR とは、簡単に言えば「占いマシン」であり、コインを入れることで、その人の将来を予言したカードを出してくれる娯楽の一つ。ビデオ・アーケード(ゲームセンター)等でよく見かけるもので、たぶん皆さんの記憶の中で一番有名なものは、1988年に上映されたトム・ハンクス氏主演の映画「BIG」で登場したものではないだろうか。

A scene from the film “BIG” ©21st century fox

話を戻して 93号線を下ろう。「今回はあまり起こらないことが起こった」と、前のコラムで書いたが、昨日の今日で 2日連続で渋滞に巻き込まれた。私は比較的長距離運転をする方だが、天候や事故が原因による渋滞にあまり巻き込まれた覚えがない。だがしかし!今日はこれだ。砂嵐・・・

高速の脇はこんな感じ・・

結構前が見えなくなるぐらいの強烈な砂嵐に出くわしたので、上のような撮影ができるのはかなり収まってからなのであるが、多少は状況伝わるだろうか。10㍄程度でノロノロ運転しないとマジで怖い感じがして、そんな楽しくない時間が 2時間近く続いたんだよね・・・
で、予想通りこういう事故が起こる。そんなに時間がかかったのもこれが原因かと。

せっかく早く出て、今日はどこまで走れるかな?と期待していたワクワク感は一気に消沈してしまったよ 😰

そんなわけで、行ける距離がかなり短くなってしまったが、セリグマンは外せない。93号線からキングマンの街に降りず、そのまま一気に インターステート 40号線に入り、走ること約 1時間。セリグマンの看板がお出迎えだ。

この看板、結構人気がある。
ウエルカム・サインは街の東端、I-40 号線を降りてメインストリートに入って行くところにあるのだが、かなり凝ったデザイン?だよね。「歴史的ルート66の発祥地」と書かれていることで、いろんな議論も沸き起こることは否めないが、その主張は、セリグマンの街が I-40号線にバイパスされた後、エンジェルさんが中心となってセリグマンとルート66の普及に努めたことに基づくものだ。

ところで、今までセリグマン、何回来たかな?
I-40 号線の出口、121 と 123 と、ルート66を結ぶ、極めて小さいヒストリカルエリア内に、お恥ずかしながら今回「初モノ」に出会った 😰
今まで気づかなかったのはきっと新しくできたものだろう、と彼らのウェブサイトを確認すると何とビジネスは1993年から、と書かれているではないか。「BWEAR66AZ」という名の T-シャツ屋さんのようだ。グーグルマップ上でも「Worlds Largest Route 66 Sign」と、記載されているが、本当に世界最大の66の標識なのだろうか。まあ、話半分ということで・・・

さて、セリグマンもパンデミックを挟んでいるので3年以上来ていないが、自分の記録を見返すと、前回写真撮影をしたのは2017年となっている。そんなに長い間訪れてなかっただろうか?うーん・・・
でも街は変わらない。いつものセリグマンの中心通りが心を和ませてくれる。

ルート66が出来て96年。もちろん失われたものも沢山あるが、昔の姿を残していることはそうそうは変わらない。
そんな長く続く歴史遺産が、たかが数年で変わるわけもなく、皆元気な姿を見せてくれることに感謝の念は尽きない。

さてお目当てのエンジェルさんのお店だが、予想以上に街まで来るのに時間がかかってしまったため、エンジェルさんは日中のお休み時間に入ってしまったとのこと。
残念 😵‍💫とはいえ、95歳のご高齢。たかが私が訪問したぐらいでお店に来ていただくほど私は大した者ではないので、無理なお願いは遠慮する。砂塵と事故で時間がかかり会えなかったことは、ご縁がなかったことではなく、神様が再度セリグマンを訪問する機会をくれたということである。

ということで今回は久しぶりの再会を果たせて少しゆっくり話ができた、エンジェルさんの娘、Mirna (ミルナ)と記念ショット。

最近は The Women on the Mother Road にも登場し、精力的な活動をしている。パンデミックの間もただ座って終息を待つのではなく、その時にしか出来ないことに集中し、建物の壁の塗り替えから屋根の補修、そしてお店の中もきれいに改装してお客さんが来るときを想像して過ごしたそうだ。

そんな話をしていると何か外が騒がしい。
店の入り口から次から次へと人が入ってくるではないか!
JTBのツアーバスはもう来ないのに、と思って外へ出ると、何と欧州からのバイクツアーの面々だった。聞くとフランスだって。
まだまだ日本ではマスクする人が 100%近くいて中々パンデミックから抜け出せていない 5月に、マスクなぞどこ吹く風とばかりに誰一人とせず、集団でバイクツアーを楽しむ彼らとの間には大きな人生観の差があることを感じる。

さあ、では最後に変わらないセリグマンの街を一つ一つ確認しながら、先を急ぐことにしよう。

アリゾナ・ルート66小旅行(前編)了


オジサン二人のルート66旅⑤ (最終回)イリノイ帰路編

さて、ミズーリ州を爆走して最終シカゴへの帰路。再度セントルイスに宿をとることも考えたが、都会の費用はどうにも高い。
アメリカのホテルは部屋単位の料金制なので、二人で宿泊すれば安上がりに済むが、一人で泊まるとなるとただ単に寝床を確保するという意味では無駄なお金がかかるだけだ。
なので、セントルイスから北に更に60㍄ほど、小 1時間頑張って夜のドライブをし、Litchfield (リッチフィールド)の街で休むことにした。
懸命な読者の皆さんなら、あ!アリストン・カフェのある街だ!とお気付きだろう。残念ながら営業中には到着できなかったが・・・

リッチフィールドのカフェ前通り

翌朝、早いうちから朝飯を食べてさっさと帰路を走ることに。
上手く行けば午後のホワイトソックス対カブスのシカゴ・ダービーが見れるかも?とこの時はまだ考えていたわけで 💦

惜しい。実に惜しい。なぜ一文字足りないのだ。
「H」さえ入っていれば、友人皆に「オレ、店をオープンしたんだよね~」と自慢できるんだけど 😂

この TOSI、苗字か名前かは分からないが、ちょっとリサーチしてみたら、実際世界何か国かで存在するようで、最も多く使われているのが何と、イタリアのようだ。その中でもサンマリノ共和国ではそれなりに存在するらしい(サンマリノは正確にはイタリアではないが)。
因みに「トシ」の姓名が最初に認識されたのは、トスカーナ州ピサ県の県庁所在地であるピサだそうだ。でもイタリアでこの綴りとなると、何となくイメージはシチリアであったり、カンパーニャ、プーリア、又はカラブリア州等の南部であったり・・・ピサかあ。

ま、余談はさておき、私はどこへ行こうが、朝食べるものは特に変わらない。これが人間の習慣というものだろうか(単に自身の好みを人間と大きな括りで言ってみた)。

早朝のせいか、人はまだおらず。値段が安いのが、このインフレ時期には嬉しい。ゆっくり、安く、普通に美味しい朝ごはんを希望する方、おススメ 👍

さて朝食後は、I-55 をそのまま北上すれば、スプリングフィールド、と手っ取り早いが、せっかく遥々やって来たイリノイ州。それではイリノイ・ルート66を走ったとは言えない。
ということで、少し北へ走ってから、州道3号線を西方面へに横断して、イリノイ州道4号線へと向かう。ひたすらこういう道を行くのだが、この4号線にはルート66の歴史を彩った街が多く点在する。

US-4 Illinois

最初にストップしたのは Carlinville(カーリンヴィル)という街。州道4号線を街に向かって走れば、ダウンタウンから南東にちょっと行ったところ、つまりはダウンタウンに入る前の通り沿い、左手に出て来るのがCarlinvilla Motel という中々キュートな感じのするモーテルだ。
残念ながら行程の都合上、このモーテルに泊まる機会は滅多になく、もう十年以上前に一度お世話になったきりである。
仲間うちからもとても人気のあるモーテルと聞いているので、経営が傾くことはないだろう。時間的にあまり車は停まっていなかったが、モーテル内部のフロアには何人か見かけた。ゆっくり寛いでいたようなので、内部の写真は遠慮。今回は外観だけで。

代わってダウンタウン「パブリックスクエア」と呼ばれる街の中心部はこんな感じ。ラウンドアバウトの周りには必要なお店が並ぶが、ゆっくり流れる時間がいかにも週末らしい。

Carlinville Downtown Public Square

今回は立ち寄る機会がなかったので特に触れていないが、昨晩の宿泊地はリッチフィールド。リッチフィールドと言えば、アリストン・カフェ、というのは先ほども書いたが、そのアリストン・カフェが営業を開始したのはリッチフィールドではなく、このカーリンヴィルだ。
ルート66の宝物の一つであるそのレストランの歴史はこのパブリックスクエアの一角にて始まった。そのことをきちんと記したサインがこちら ↓

アリストン・カフェの前オーナーであり、とても仲良くしてもらった Nick のお父様、Pete Adam 氏の名前がしっかり刻まれている。
うんうん、歴史を感じるなあ~と再度物思いにふけってスクエアでしばらく座ってみた😚

おっと!だいぶ時間が過ぎてしまった。
これでは MLB シカゴ・ダービーは間に合わない!が、やはりベースボールが大好きとは言え、ルート66のアイコンをすっ飛ばして行くわけにはいかない。複雑な心境のところ、実はこの後がこのルートのハイライト 🤩 の一つ。「13-star Flag Barn」で有名な、「ただの納屋?」だ。
カーリンヴィルを出て次の街、Nilwood に向かう途中、左手に現れる。

これね、アメリカ合衆国建国時の 13の★が入った最初の国旗。もちろんその当時に描かれたものではないにしろ、中々他では見ないとても貴重な白物である。最初に見たときからすっかり心を奪われ、通る機会がある度に無くなっていないか「生存確認」をする習慣がついている。

この星条旗、東向きに描かれているので、午前中に来ないとしっかり上手く写真が撮れないんだ。プロのフォトグラファーさんらは問題ないのかもしれないが、私のような素人には逆光はキツイ。だから午後にならないように注意してるのだよ。今回はしっかり午前中、大満足である。

大満足である、はいいが、この時点でまだここか~ 💦
昼前ではあるが、昼にスプリングフィールドにすら着いていないとやっぱり野球は無理か、とこの時点ですっかり諦める。仕方ない 😵‍💫

その後は、Girard、Virden、Auburn と、アイコニックな街を通りながら、一気に 80㍄を爆走、1時間超のノンストップで、アトランタへ。

アトランタの街を走るルート66は、I-55 号線の一本西をほぼインターステートに沿って走る。ダウンタウンの東端をぐるっと行くイメージであるが、いわゆるダウンタウンというのは Arch Street、そしてその隣の Church Street の2本ぐらい。街のアイコンである、Paul Bunyon の像が建つのは、前者、こんな風景だ。

週末とあてか、ダウンタウン内に殆ど人の影が見当たらない。最近復活したと聞いた Palm Grill も活気はない。。。

さて、その街のアイコンである Paul Bunyon、「バニヨン・ジャイアント」だが、前回街を通ったときは確か夜だったので、明るい陽の元でそのお姿を見ることができなかったが、今回はしっかり。
さすがに 19ft (約6㍍)もあると大きい。この像は元々シカゴに程近い、Cicero(シセロ)という街のホットドック屋さんの前に宣伝用として建てられたものだが、2002年、その店が閉店するにあたって、アトランタへ引っ越してきた。このグラスファイバー製の Bunyon 像については、以前 Gemini Giant の話をした時に詳しく書いたので詳細は省略するが、このアトランタにある像を含め、イリノイ・ルート66には合計3体あるので、興味のある人は是非追いかけて頂きたい 👍

そのバニヨン・ジャイアントの建つすぐ南側には、ルート66パークが。ちょっと遠めで恐縮だけど、写真奥の時計台は 1909年に建てられた年代もの。高さ 36ft (約 11㍍)の塔は「セス・トーマス8日時計」と呼ばれるが、それは8日毎に手巻きをしなければならないからである。

おっと、そんな話をしたかったのではなくて、今回アトランタに立ち寄ったのは、最近SNS上で知り合いになった、アトランタ観光局の代表、Whitney に会うためである。が、週末だし、こんなに街に人がいないんじゃ、観光局は開いているんだろうか。

やはり!やはり、である。観光局の入り口は真っ暗で鍵がかかっている。
「ま、仕方ないか」と、一旦はあきらめたのだが、街中で唯一オープンしていた Arch Street Artisans という骨董品やアート作品を扱うお土産屋さんに入ってみた。
店内にはお店番?の女性が一人座っているだけだったが、何やらお電話中だったので店の中をぐるっと見ながら通話が終わるのを待つ。

「こんにちは、何かお探し?」
「ああ、どうも。いや、特に何かってことはないんだけど。そこの観光局って今日はお休みだよね」
「そうよ。何か私で分かることであれば」
「実は Whitney って人に会いに来たんだけど、やっていないんじゃ仕方ないね」
「そうなの?Whitney ならきっとイベント会場にいるわよ。さっき見たから。」
「え?イベント?どこで何の?」
「ここからフリーウェイの方へ走ったら Dairy Queen のお店があるけど、分かるかしら」
「ああ、知ってますよ」
「あら、すぐわかるなんて唯の旅行者じゃなさそうね(笑)、今日はそこでクラシックカーの展示イベントがあって、観光局主催だがら彼女はずっとそこにいるはず。行けば絶対会えるわ」
「そうかい、助かった。ありがとう!」
と、こんなやり取りの後、お礼を言って会場へと向かった。

おお、やってる。やってる。全部で30台ぐらいは余裕であっただろうか。
カラフルな車が青空駐車場一面に並んでいた。

で、そこのスタッフに聞いて会えたのが、Whitney Ortiz さん!
元気いっぱいの、如何にも観光局の人!という感じが気持ち良い。
長居はできなかったが、とにかく会えてよかった 😊
今回のテーマである「人に会う旅」が、また一つ実現した。

ルート66を走れば次の目的地は当然?Funks Grove ということになるのだが、今日はホリディウィークエンドの日曜日、友人 Debbie は不在と聞いていたので、Maple Syrup もすでに買い終わったので今回はスキップ。
ということで、Normal の街まで飛ばした。

Normal での滞在は、Sprague Super Service Station に寄って Terri に会うことだけだ。イリノイ州ルート66界では、2015年より「Miles of Possibility」というアカデミックなルート66イベントを開催しており、昨年2021年、パンデミックの中、バーチャル・カンファレンスが開催されたのだが、そこで登壇させてもらい、諸外国から見たルート66と米国文化ということで、日本を代表をして少しお話をする機会を頂戴した。
詳細はこちら!
https://www.toshi66.com/2021-10-26/

で、その登壇に関して声をかけてくれたのが、イベント主催者の一人である Terri だったというわけ。なので、あれから一年が過ぎてしまったが、直接フィードバックを頂く良い機会だと思い、今回ぜひ会いたかった友人の一人だ。

元々教育者であった彼女は相変わらず凛としながらも、優しい笑顔で迎えてくれた。イベントも今年は第 7回目、2022年はまた対面形式に戻るようだ。お仕事の邪魔かなとも思いつつ、お客さんが来るまでしばらく時間を頂き談笑。また何かお手伝いできればこの上ない幸せだ。

さてさて、今日の話は長めだが、もうこの時点では MLB がどうの、という話ではなく、夜までにシカゴ帰れるかな、というレベルになってきた 💦
陽が落ちるまでにもう2か所、寄って行きたいのだ。

これは「Memory Lane」、追憶の路とでも言おうか。中々詩人じゃないか、ミーも 😚
現在は散歩用のトレイルとして活用されている、正真正銘の1926年に開通されたときの、1 ㍄に渡るオリジナル・ルート66 である。
もちろん道路は一部舗装されたいる所もあるが、大部分がオリジナルのそれであり、我々愛好家には堪らない場所の一つなのだ。
と言いながら、実はあまり頻繁に来れていないのも事実。旅程上スキップしてしまう場合も決して少なくなく、前回来てからは10年近く経つのではなかろうか・・・

古い標識が所々に現れる趣向も何とも言えない。

今回は車を完全に脇に停め、少し時間を取ってゆっくり散歩してみた。
ベンチに座ってこの旧道に思いを馳せると、この夢のハイウェイを旅した人たちの微かな囁きが聞こえてきそうである。

ということで、本日最後の訪問地は、Joliet (ジョリエット)にある、Rich & Cremy、アイスクリーム屋さん。
残念ながら?着いた時はもう夕方 5時をすっかり回っていたので、街のハイライトである、ジョリエット旧刑務所も、ジョリエット地域歴史博物館もすっかり閉店。まあ、この辺りのものはいつも来ているので仕方ない、と嘯いて、お腹も空いているから腹ごしらえに一直線。

この店ってさ、いつも混んでるんだよね。今まで来たときに店の前にお客の行列が無かった時は無いから。
で、これが大体2回に1回の割合で注文する、Banana Split 🤩
こういうところで食べるアイスクリームは本当に美味しいよね!

さあ、シカゴまで残りは 40㍄、小 1時間ぐらいかな。もうひとっ走りだっ!(オジサン二人のルート66旅 終)

オジサン二人のルート66旅④ミズーリ帰路編

ということで、今回のイリノイ~ミズーリ旅の目的は「ほぼ」終了。
時間は午後3時近いので、今日はこの後どこまで走れるのかは分からないが、シカゴへ向けての帰路、出発だ。
このシリーズ②まで登場してもらった健さんはキューバより一足先に帰ったので、正確には「オジサン一人」のルート66旅に戻るが、その健さん、ニューヨークへの帰路は大変だったらしい。予約していたフライトは悪天候の為、キャンセル。セントルイスからシカゴへ飛ばされて、そのあとフィラデルフィアに行かされ、最終バスに乗ったとか・・・
うーん、やはり持ってるね、この男 😂
やっぱり今回シカゴからセントルイスにかけて天気がイマイチ優れなかったのは、健さんが理由だな。
その後の Gay Parita のイベントの天気を見れば、一目瞭然だ。

さて友人のディスりはここまでにして、先へ急ごう 💦
時間が押しているが、ミズーリ州内の2人の友人に挨拶だけでも!

まずは、Gay Parita から走ること 100 ㍄、Waynesville という小さいが、ルート66 の歴史に溢れる素敵な街。ここでギャラリーを営むのが、Jax Welborn。数年前に彼女がこの地で店を出したのは知っていたが、中々訪れる機会がなく今回が初訪問となった。

地元のアーチストの作品から、ルート66関連の作品まで所狭しと置いてあるが、さすが Jax、几帳面な性格ゆえかそれらも整然と配置されている。
こういうお店を営んでいる人たちは通常週末はお店を出れない。Gay Parita でのイベントも然程遠くはないが、仕方ないのだろう。思いがけずギャラリーを訪問できて一石二鳥?だ 👍

友人知人の作品も多数飾られているギャラリーを見ながら聞いてみる。「ねえ、将来的にさ、私がここに写真の展示させて、って言ったら受けてくれるの?」Jax は、快く「もちろん!」って 😊
それは嬉しい。私もいつかこういうギャラリーでお見せできるような写真を撮りたいものだ。最後に正面からの一枚で。

さて、お次は昨日会いそびれた Wheel Wagon Motel の Connie の所へ。
ウェインズヴィルより更に車で約 1時間、50㍄ほど戻っていく感じである。
細かいことだが、下の2枚の写真は昨日撮ったもの。もう時間は夕方5時を過ぎているので、夕陽がきれいに出ないと写真は「映えない」時間帯へと突入する。

いたよ、いたいた 😊 相変わらず元気のようで安心した。レセプションの横にあるお店も、宿泊客だけでなく、地元の人かな?訪れているお客さんも居て嬉しい。前回来たのはパンデミック前だから、ゆうに3年ほど時間は経過しているのだが、どの友人に会っても、全くそんなインターバルを感じない。昨今のSNSがこれに大きく寄与していることは否めないね。この3年間に何度か連絡取り合ってるしね。

このモーテルはいつ来ても本当に絵になる素晴らしい景観。1936年に “Wagon Wheel Cabin” として開業したが、2009年に Connie が買い取り全面改装、細かいアップデートをしながら現在に至る歴史のあるモーテルである。ルート66より100m以上中に入った部屋棟の前に広がるちょっとした空間が旅人同士のコミュニケーションも生む、私の最も好きな場所だ。
距離の関係から、今回(昨晩)は、レバノンに宿をとったので、ここでゆっくりする時間がないのが残念極まりない。
あ、これって我々州外の人間にとっては一つの大きな問題なんだよね。
ここキューバと、レバノンは僅か90㍄しか離れていないんだけれど、その両街に歴史的な素晴らしいモーテルがあるわけで。旅行に中々そんな時間をかけていられない州外者は、自動的にどちらかに決めないといけなくなる。毎月来れるものでもないし、頭の痛いエリアなんだ 😵‍💫

モーテルの中庭

さあ、ここからイリノイ州に向かってどこまで走れるか?
やっぱりセントルイスかなぁ、でも都会は高いからなぁ。。。

【付録】
時間に追われての今回の旅。
「生存確認」?だけするために停まった箇所を2,3ご紹介。
ミズーリ州ルート66にはまだまだこんな素敵な場所があるのだよ、健さん 😎

Devils Elbow
今回は、いつもあまりお見せしていない、デビルズ・エルボーの街の方を。 街に一つの Market?は、実は郵便局。行く旅に顔を見せると「おやおや、珍しいのが来たな。お前さんにゃ郵便物は届いとらんよ」と、揶揄われるのだが、残念ながらもうとっくに閉まっている時間 💦寂しい・・
デビルズエルボー橋はこのブログトップに。広角で撮ってみた。

で、下は橋を渡って向こう側にある Devils Elbow Inn。一時はバイカー客を中心に物凄い繁盛したのだが、現在改装中のためお休み。
壁一面にデコレートされていたブリキのサインやシールドが懐かしい。
いつごろ復活するのだろうか 😥

John’s Modern Cabins
1931年、Beatrice と Bill Bayliss 夫妻によって “Bill and Bess’s Place” としてオープンしたキャビン式の宿場。不況時代に高価なホテルに代わって、安いログ小屋式は人気があったそうだ。
今も名前として残っている Johnは、1951年にこのプロパティをUSD$5,000 で買った Lillian & John Dausch 夫妻に起因するものだ。
他のルート66の事例に漏れず、I-44 号線のインターステートが建設されルート66ふが拡張、迂回の歴史を辿ったあたりから、エリアは衰退。

聞くところによれば、1971年以来メンテナンスはされてなく、1960年代からバイパスされていることから、敷地は悲惨で修復が難しい状態にある。前を通る砂利道も走ることはできるが、途中行き止まりになっており、他の道から迂回して入ってこないといけない。
取り壊しと、それに反対する私達ルート66保存会のやり取りは続くが、今後の展開はまだ不透明なままである。

最後は、私が個人的に「異星」と表現するエリア、Hooker Cut。私と同世代の方々は Steven Spielberg 監督の名作「未知との遭遇」はよくご存じだろう。あの映画の撮影はワイオミング州のデビルス・タワー(おっ!デビルズ被りだ)だが、私にとっての未知との遭遇は、まさにここだった。
きれいに削られた岩山の間をまっすぐ走る片道二車線の道、そしてまっ昼間にもかかわらず、車がほとんど通らない静寂さ・・

話の始まりは1939年、欧州で第二次世界大戦が始まった後、アメリカの参戦が決まる翌年、米国陸軍は近隣の St. Robert の街に “Fort Leonard Wood” 訓練所を設置。砦の建設には多くの労働力と建築資材が必要なわけだが、これを運搬するのに、上のデビルズ・エルボーでは都合が悪かったわけで。つまり、山道は険しく、道の舗装は悪い。トラックの横転が相次いだことから荷物泥棒も増加。ルート66は “Bloody 66” という悪しきニックネームまで頂戴した。
で、そんな環境を一気に変えようとして1941年~42年にかけて行われたのが Hooker Cut という建設大工事。岩山を爆破して現存する「切通しルート」を造ったという場所である。ぜひ行ってみて頂きたい!

シールド補修イベント@Gay Parita (05.28.22)

さて、友人と別れていつものルート66 独り学習旅に戻った私は、キューバより更に南下してレバノンに一泊。「ミズーリ州のお母さん」Ramona の Munger Moss Motel で充電し、車で約 1時間ほどかかる Paris Springs に位置する、 “Gary’s Gay Parita Station” まで走る。
実はココが今回ミズーリ旅のハイライト。Gay Parita で行われる Shield Repair (RePaint) 即ち、ルート66 のマークを旧ガスステーションの前の道に「再塗装」する、ローカル・イベントに参加することが旅の第一目的だ。

前日に集合時間を確認したところ、「9時半あたりに来てくれれば大丈夫だよ」と、いう Rich の言葉に、それならばと、少し余裕をかまして Gay Parita の近くにある Spencer に寄ってみることにした。今まで何度も訪れている大好きな場所だ。スキップしても良かったのだが、よーく考えてみてほしい。パンデミックのおかげで再渡米するのに 3年かかったのだ。この地を訪れるのも自身の記録を辿れば 3年半になる。一体あの時点で誰がこんな状況になることを想像しただろうか。「次回」は必ず来るとは限らないのだ。この場所を見るのは今回が最期になるかもしれない。大切な友人達に次回また会えるとは限らない。このように考えると「その一回」はとてつもなく貴重な時間であり、体験であると改めて感じる。

ルート66を西へ走っていくと、道はゆるやかなカーブで左に曲がる。すると周りが緑に溢れる景色の中から現れるのが、この Johnson Creek Bridge だ。ルート66オリジナルの橋で、まだ国道として制定される前、1923年に架けられたものだ。この景色を見ると、何となくホッっとするのだが、分かって頂けるだろうか。。。💦🤔

橋を渡れば、その向こうは Spencer の街だ。街と書いたが、正確には Township 、つまりは地方自治体の運営する土地区画で、現在人口も 150人程度だそうだ。
この 旧ガスステーションが「街」の目玉で、現在では、きれいに修復された Phillips 66 のビンテージ品と、クラシックなオレンジ色の看板がある。開業当時のオーナーである Sydney Casey 氏は、元々あった理髪店、商店、カフェ、ガソリンスタンドで、旅行者をもてなしたらしい。

上の左側の写真、今まで自分でガスステーションと橋を一緒に撮ることって滅多になかった。なぜか?他の観光客の車が駐車するので、それらを一緒に写り込ませたくなかったから。でも今日は朝早いせいか他に誰もいない!チャンスとばかりにお初のアングルも撮れ、テンション上がってシャッター切ってたらつい思ったより長居してしまった!が、まだ時刻は9時20分。余裕である 😎

と、余裕を持って現地へ着いたら、何と、もう作業が始まっているではないかっ!そうだ、この時間にイージーな感覚、すっかりこの 3年間で忘れていたよ。いけない、いけない、ここは日本じゃないのだ 😵‍💫良い意味でも悪い意味でも「アバウト」なのだ。(私はこの方が断然気持ち良い)

今回このイベントの指揮を執るのは、ミズーリ州ルート66アソシエーション代表の “Roamin’ Rich” こと、Rich Dinkela 氏。このブログでは既に何度かご登場済の ルート66界の重鎮だ。
彼は何年か前にすでにこの舗道に一度シールドを塗ったことがあり、時が過ぎかなり劣化したことによっての今回の「再塗装」という運びだ。

先ずは既に路上に描かれているものの上に、彼が予め作成してきたパーツを合わせ、塗っていく範囲を設定することから始まる。

手順をよく理解していない私は、もっぱら彼らのやることを見ながらそのお手伝いに終始するのだが、せっかくの機会なので、認定もされていない非公式カメラマンとして幾つか記録をすることにした 😂
ではここで Rich の実際の作業も少し動画でお見せしよう。

出来上がった姿を少し遠めから。しばらくこのまま白い塗装を放置して乾かさないといけないとのこと。5月にしては今日のミズーリ州、天候が落ち着かないせいか、比較的湿気も高い。。。

という、ところで乾燥時間を待つ間、お昼+休憩という流れになる。
お昼は裏のパティオで皆でホットドッグにソーダ。久しぶりに会えた Gary や Richard に加え、SNSで繋がっていたものの今回初めて会えた Ed とランチからの談笑タイム。そうそう、こういう時間が Precious なんだよな。
(マスターカードかっ!)

そして午後は、塗装が乾いたことを確認してから、シールドの枠を当てはめて行き、黒い文字やラインを順に塗っていく。

そういえば、Gay Parita については過去にも何度か書いているので詳しくはふれないけど、最新?の画像はお見せしないとね。

いろいろな部分に手が加わり、きれいになってきたのが正面からもわかる。やはりパンデミックの 2年間、Barabara と George が一生懸命準備していたのが分かるね。

奥の納屋には Gary が長い時間かけて収集した多くのアンティークの看板やアーティファクトが所狭しと並んでいる。以前は埃っぽかったけど、そのあたりもきちんと並べられ、掃除もしたようで 😊

代わってこちら ↓ は、Gary が大好きだったクラシックカー。左はその名も「Gary」、1932年の 6速 International だ。右は「Larry」、1928年の同車である。カッコいいよね。

とりわけ一番驚いたのがココ!土産物の並ぶお店部分なんだけど、飾りつけも増え、きちんと椅子も直り、お店の中もかなり整頓されて商品の充実ぶりも増してきた。でも前来た時は、恐竜はいなかったような。。。

最後はここ。裏のパティオ?の奥の、プライベートスペースだ。こんな場所で毎日ゆっくり?できれば(お客さん来たらそうは行かないだろうけど)サイコーだよね。
ちょっと前までは私も「まだ」若ぶってたから、正直ここまで田舎になると生活して行く自信はなかったけど、今ならもう大丈夫 👍問題ないよ。
あ、ネット環境さえきちんとあればね 😉

そんなこと言ってる間に作業は最終章。黒で塗った後の色の境部分の細かい修正を施して完成に向かう。総作業時間、4時間ぐらいかな。

それでは完成したものをご覧あれ!

素晴らしい作品だ!
気になるのは、これでまた何年大丈夫なのだろうか?まあ、その時はその時でまた集まってやれば良いだけだけどね。

最後にまだ登場していない、Barb と George、そして久しぶりに会えた友人達とのショットでこのお話は終わり 👻

再点灯式と共に蘇る、伝説のRockwood Motor Court

先週11日~13日の3日間にわたって、ミズーリ州スプリングフィールドでは、第10回目のBirthplace of Route 66 Festival(ルート66生誕地祭)が開催された。昨年、一昨年とパンデミックのせいでイベントはキャンセルの憂き目にあったが、やっと3年ぶりに返ってきた。
とはいえ、残念ながら今年は参加が叶わなかったが、そのイベントの間、もう一つのルート66のアイコンが息を吹き返したお話をしたい。

場所は同じくミズーリ州スプリングフィールド。
1929年、Deverne Ruckman 氏によって、当時シェルのガソリンスタンドの裏に、「ツーリスト・キャンプ」は建設された。ルート66が認定されたわずか3年後のことである。初期のキャンプには、二重構造のキャビンや一人用のユニットなど、合計10棟のゲスト用施設、そしてカフェやガソリンスタンドもあったようだ。

ただ運の悪いことに、その年は「大恐慌」と呼ばれる、アメリカを発端に世界的に起こった深刻な経済恐慌があったことはご存じの通りで、この「キャンプ」も例外でなく、何度も所有者と経営者が変わったらしい。1948年、キャンプは場所を当時あったところより更に2ブロックほど西へ移動させ、敷地は “Rockwood Motor Court” と名付けられ、それ以降今日まで70年以上にも渡り受け継がれている。

モーターコートのホームページによれば、
*6棟のキャビン、ガソリンスタンド、カフェ、そして残る1台の車庫は、すべてここに元からあったもの
*ただし、南側にあるガレージはもう残っておらず、その場所は屋外の集会スペースに改造されている
*キャビンは、オザーク砂岩と赤レンガで縁取られた構造
*ロックウッドという名前は、砂岩を製材しているため「岩の中に木目があるよう」に見える、というこの石の特徴的な模様から付けられたと考えられている
*石造りの外壁の下には、オーク材が斜めに組まれ、屋根はシングル・コンポジションで覆われた古典的な切妻で覆われている

…… そうだ。

そして2019年、90周年を迎えた年に、同市の市会議員である Phyllis Ferguson さんとその家族は、モーター・コートを再びルート66のアイコン的モーテルとして営業すべく、改修に乗り出した。
翌年、長年レストランとして営業されてきたガソリンスタンドと住宅部分の修復が始まり、本来の用途、即ち短期滞在用または賃貸住居としての宿泊施設に戻されることになったのである。

Ms. Phyllis Ferguson

というところまでが実は前置きで、本題はここから。
そのRockwood Motor Courtは、この8月13日(土)、オリジナルのネオン・サインのレプリカの再点灯式を開催する、とSNSの投稿がモーテル側からあった。3月に紹介した、同州XXのShamrock Court のそれと同様の点灯式イベントだ。
詳細はここ ↓
https://www.toshi66.com/2022-03-20/

当然点灯式は日没後に行われないと意味がないし、日没も天候によって微妙に前後するから注意が必要だが、(予報によれば)当日の日没は現地時間20時07分で、その約30分後に暗くなる予定、ということで多くのルート66ファンが集まっているのをライブ放映された。
Travis Scott & Playboyz による演出で、19時からは市長さんの祝辞もあった。楽しい雰囲気が映像からしっかり伝わってきて、何人か友人の元気そうな姿もみれてよかったな。

By Jax Welborn in her Facebook

でもね、この手のイベント、2回連続で遠く離れた地から映像で見るなんて、一体私は何をやってるんだろう、と寂しさと諦めと怒りの混じった複雑な気持ちであることも確かなのだ 😰

↑ Video Image by Timothy Lyle in Route 66 in Springfield Missouri (Facebook)

肝心のお部屋だが、フィリスは、アンティークの家具や記念品を使って、
9つのユニットのそれぞれを「異なるノスタルジックなテーマ」で装飾している;フリスコ鉄道、キックス・オン・ルート66、カサブランカ、クラシックカー、キャンプロックウッド(モーターコートの歴史)、フランダース・フィールド(第二次世界大戦について)、キング・オブ・ザ・ロード(ルート66廃線後、モーターコートの終焉への皮肉な頷き)等だとか。
各部屋のサイズも、スタジオ、コテージ、フルサイズルーム、クイーンスイートとバラエティーに富んでいる。

ヴィンテージな雰囲気を保つため、テレビもカード・キーも無しだって!
でもその代わりに、ルート66や第二次大戦などの歴史書籍や雑誌が置いてあるのだそうだが、果たして「その代わり」になっているのかの認識には個人差があろう 😂
でもフィリスへのインタビュー記事によれば、Wi-Fi はあるそうで、曰く、「多少の譲歩は必要」だとのことだった。

「歴史保存が好きでロック・モーター・コートも好き。そして、地域の活性化にも関心がある」というフィリス。地域のことを大切に思い、自身の財産をつぎ込むってそんなに簡単なことじゃない。

今年の春は時間がなく残念な思いをしたが、近いうちに必ずロックウッド・モーター・コートを訪れてみようと思っている。そして、フィリスに直接会える日を楽しみにしている。

from the Motor Court Facebook Page

オジサン二人のルート66旅③ミズーリ編

さて、2日目というか、3日目というべきか、セントルイスの空は雨も上がっていい感じ。晴れ男の面目は完全に解除できたな 😊
今日はこのままミズーリ州をさらに南下してキューバまで健さんをお連れする予定だ。本当はもっと長く体験して貰いたいのだが、何せ仕事があるのでNYへ戻らないといけない。夜にセントルイス発のフライトを予約してあるそうなので、それに間に合うよう計算すると、キューバが限界なのである。

セントルイスと言えば、Ted Drewes のフローズンアイスを食べて貰いたいのだが、彼らの開業時間は11時。ちょっと難しいので、今回は泣く泣くスキップ 😭
その代わり、には全くならないが、ダウンタウンに建つ歴史あるダイナー、”Eat-Lite Diner” がどうなったのかこの目で確認に赴いた。

ダイナーは長く営業してきた L.B.Powers 氏が2017年に閉店、売却した。Joelと Shawna の Holtman 夫妻がその後ここを購入、半年後の2018年に 4月に店が再開したときはルート66界が沸いたものだが、結果的に思うようには行かなかったのか、2020年12月に再び閉店した。

昨年の段階では、この建物の現所有者は地元のシェフ、Tim Eagan 氏と聞いているが、このような状況 ↓ では先は明るくなさそうだ。。。。

次にご案内したのが Route 66 State Park(ルート66州立公園)、セントルイスの郊外、車で約 30分ぐらいの所にある。1999年、この公園は広さ 419エーカーを有し、公園周辺の環境とメラメック河 ルート66橋を含む、境界内のルート66の一部を解説、展示したビジターセンターで出来ている。付け加えると、このエリアは昔、タイムズ・ビーチという名の労働者階級のリゾート地域であったが、1980年代に広範囲でダイオキシン汚染が発見され、米国環境保護局によって除染後、解体された黒歴史を持つ 😰

公園の一部はメラメック河の東河畔にあり、ビジターセンターもそこにある。ビジターセンターは9時~16時半まで。上述した地域のルート66に関する結構な展示物に加え、大きなギフトショップも備わっているのは嬉しい限りだね。お店の品揃えは中々のもので、今回は 1946年に出版された J. Rittenhouse 緒の「A Guide Book to Highway 66」を購入した 😊

と、書いていると浮かれた観光客だが(ま、実際はそうであるとも言える)健さんにお見せしたかったのは「ルート66橋」だ。東河畔と西河畔は以前はこの橋で繋がっていたのだが、老朽化が主因で長い間閉鎖されている。将来の見通しは立っていないと聞いてる。。

健さんと一緒にルート66 に関するオンライン番組をやっているのだけれど、健さんはそのリスナーであるお客さん向けのプレゼントにポストカードを何枚か購入していた。さすが旅行会社の鑑である。

そんなこんなで思ったより長いしてしまい、ここからキューバまでは飛ばしても 1時間ぐらいかかるので、昨日に引き続きドタバタと焦ることに!🤣
ってことだが、その前に Sullivan にてワンクッション置くことにした。
サリヴァンと言えば、そう「シャムロック・コート」である。
このブログに訪れてくれておいる読者さんなら未だ記憶に新しい(はず)のネオンサイン点灯式の、あの一件だ。
(忘れている人。下記のリンクを参照してください)
シャムロック・コート復活の狼煙
https://www.toshi66.com/2022-03-20/(opens in a new tab)

とりあえず観光客らしく?モーテル前で記念撮影。
実際に点灯式をネットのライブ配信で見ていた時は、その 3か月後に改装されたモーテルをこの目で見ることができようとは夢にも思ってなかっただけに、いい歳してまだ営業していないモーテルの前で目頭が熱くなる。。

さて、本題の?沿線上の友人らと交流する旅、に戻ろう。
次に紹介するのは、音楽家で作曲家の ノーラン(Nolan Stolz)だ。
まだ実際に会ったことがないので、友人と呼ぶのはおこがましいが、昨今の SNS時代、ハードルはちょっと低めで。

ノーランに関しては下記の記事を参照していただきたい。https://www.toshi66.com/2022-04-03/(opens in a new tab)

これから行くキューバでは、何とそのノーランとの会食が待っている!
このミーティング可能になったわけは、私のSNS投稿を見て彼がキューバ付近で会えるかどうか打診してくれたってわけ。何度も言うけど、テクノロジー様様だね 👍

キューバ到着。
アメリカの街でキューバかいっ!って思う方もいるかも。

キューバは、(ルート66沿いの)「壁画の街」と呼ばれている。街のロゴにも “Mural City” と記載されているほど。その理由は2001年に始められた
“Viva Cuba Murals Project”といい、「美しいキューバ(の街)」を目指し、1984年に設立された Viva Cuba 団体の主導の下、2007年の、キューバの街設立150周年を記念して、街中に12枚の野外壁画を設けようとしたことが始まりなのだ。言うまでないが、著名なワゴン・ウィール・モーテルを含むダウンタウンの歴史地区は、「国定歴史地区」に登録されている。

前置きが長くなったが、その歴史地区を代表する建物の一つ、旧フィリップス66 のガスステーション跡こそが、今日ノーランに会う場所だ。
時計は遡って 1932年、Paul T Car 氏がこのガスステーションを建設した。1968年になって Bill Wallis 氏がこの土地を購入、モービル社のガソリンを販売しつつ Wallis Oil Company のオフィスとしても利用した。その時に建物を 1930年代の当時の姿に復元した、と言われている。

Weir On 66 ホームページより

その後 ジョアン・ウィアーさんが 2016年、The Four Way という名でレストランをオープン、現在の “Weir On 66” となった。
ワシントン通り(旧街道ルート66)と フランクリン大通りの交差点に佇むレストランはこんな感じ。

ノーランが連れてきた彼のお友達、ジョンも含め 4人で和気合合とランチをしながらお互いのルート66バックグランドを話した。因みに私の頼んだのはこれ。元々ギリシア料理系のレストランだったということで、GYRO。サラダ付きでとても美味しかった。多分フラットブレッドもここで手作りなんだろう 😋

別れ際に4人で壁画の前でチーズ。あ、壁画がきちんと写っていないね 😰
これはローカルのアーチスト、Ray Harvey 氏による作品で、Bill Wallis 氏とミズーリ州ハイウェイパトロールの75周年を記念して描かれたものだよ。

というところで、健さんとの旅も今回はここで終了。
セントルイスへ引き返し、夕方のNY行きのフライトに乗るそうだ。
短い時間だったけど、このルート66から何かを感じ、より一層好きになって頂けると幸い。自分で走る経験は語る上でも説得力を増すだろうし。
お疲れ様でした~ ♪

私はこの先、ミズーリ・ルート66をもう少し旅します。







オジサン二人のルート66旅②イリノイ編

さて、イマイチ曇天で始まったイリノイの旅。ルート66初体験の健さんには一つでも多く観光スポットを見せてあげたのだが、実際はそう悠長なことも言ってられない。なぜか?そう、今晩 19時10分から始まるセントルイスでのMLB観戦があるからだ😂 「野球とルート66、どっちが重要なんだ!」と突っ込まれるかもしれないが、何せ対戦カードは、カージナルス対ブリュワーズ、ナショナル・リーグ中部地区を引っ張る両チームのガチンコ対決だ。し・か・も、しかもだ、今シーズン後の引退を表明しているアルバート・プホルズ選手の雄姿を生で観るのはひょっとしたら今回が最期になるかもしれない。どちらが重要、という単純な話ではないのである。
そんなこと書いてる間にまずはウィルミントン。

最初にご案内するのは、併設するドライブイン “Launching Pad” に立つ、高さ約 30フィート(約 9m)の「マフラーマン」だ。今更細かく説明する必要はないだろうが、このレストランの前身である Dari-Delight の経営者が1960年にこのグラスファイバー製のフィギュアを $3,500 で購入して以来、この地のトレード・マークとなっているものだ。「ああ、本当にあるんだ」と、ポロっと言った彼の一言に自分が初めてみた時のことを思い出した。

とは言え、「文句」とまではいかないが、このお店とは今まで(今日を含む)自分はあまり相性が良くないのだ。理由は私がお店の営業時間に来ないから。(これじゃあほぼ言いがかり 😂)
遡ること数年、2017年10月に現在のオーナー、Holly Baker さんと、Tully Garrett 氏がこの場所を買うまで、10年間近く閉鎖されていたこと、それに再開した2019年以降は、パンデミックのおかげで旅ができなかったこと、の 2点が主な理由であるが、(小声で言うと)開店が10時半と遅く?シカゴをまずまずの時間に出る旅のスケジュールではキツイのである 💀

なので、新しいオーナーさんとは SNS でやり取りはしているものの、未だお会いできていない。次回以降の宿題である。

そして次は更に車で10分ほど行った Braidwood の “Polk-a-dot Drive In” 。さほど重要な観光スポットではないが(ごめんなさい😵‍💫)通り沿いにあるのでお連れする。

そんなこんなで遂にポンティアック。何時に誰と待ち合わせがあろうと、イリノイ・ルート66を体験してもらうにあたって、ここをすっ飛ばすわけにはいかない。

健さんが事前に入手した「ルート66 パスポート」にスタンプを押してもらう必要があるみたいなので、外観だけでなく、きっちり博物館の中もみていただいた。

この博物館(イリノイ・ルート66 殿堂博物館)のハイライトは何といってもルート66を代表する希代のアーチスト、Bob Waldmire 氏の功績や実際に使用していたものを数多く展示している「ウォルドマイヤー・エクスペリエンス」だろうか。博物館2階にあり、ウォルドマイヤー氏の芸術的、精神的成長をたどるものだ。
1階には彼の有名な フォルクスワーゲンのバンと、そして博物館の裏手には1966年に改装されたスクールバス、通称 「ロードヨット 」が常時展示されている。

そして個人的にとても好きな、博物館の向かいの壁に描かれた ”Waldmire Memorial” (ウォルドマイヤー・メモリアル)と呼ばれる壁画。ルート66の全長にわたる地図が描かれているんだけど、この壁画の長さ、何と 66フィート! 芸が細かい 🤣

という博物館見学の話に加え、今回もう一つ嬉しいことがあった。博物館内にはお土産屋さんがあるのだが、そこに販売員さん?マネージャーさん?として座っていた女性に見覚えがあった。どこで会ったのか、名前も思い出せないまま、(ナンパじゃないぞ!)「私ら知りあいですよね?」と簡単な自己紹介がてら聞いてみる。と、やはり「知り合い」だった!
その名も Joyce Harbin Cole さん。「そうだ、ジョイスだ!」どこで顔を合わせたかは未だ不明だが(笑)きっとルート66の何かの集まりだろう。SNS でも繋がっている彼女がまさか、このショップ(Home Again on Route 66)のオーナーさんだったとは 😊
ちゃっかり記念撮影。予定していなかった友人に偶然会えるのは嬉しいことだね!

ジョイスと彼女のお店内で

おっと、そんなこんなで時間が過ぎている。余裕ブッコいてると 14時のスプリングフィールドでの約束に間に合わないぞ。

時刻はやっぱり14時を回ったところ。少し遅れると途中からメッセージをしたが、待たせて申し訳なかった。Cozy Dog に到着だ!今となっては忘れてしまったが、道中どこかで少しポツポツ降ってる場所はあったものの、スプリングに着いたことにはすっかり雨上がり状態に。

皆さん、ご紹介しましょう。スプリングフィールド在住のルート66仲間、Penny Black さんだ。Penny に初めて会ったのは確か 2015年のイリノイ州でのルート66 カンファレンス。Penny はいつも優しく気遣いながら接してくれる。今では良い友人になった多くの人たちに一堂に会えた素晴らしい機会だった。

お店の中はしばらく来なくても何も変わっちゃいない。素敵 😊

お互いの近況を交えながら健さんを紹介。冒頭から「健さん」と書いているが、「ケン」ではない。「タテシ」なのだ。健と書いてタテシと読む。人生初めてのパターンに最初は驚いた(笑)
そのタテシからとって、ご本人は非日本人への自己紹介は「ター」という名前で通している。この旅がきっかけでルート66の多くの人々に「ター」が可愛がってもらえることを祈るばかりだ 👌

あ、そうそう。ここの Cozy Dog Drive In について。このお店の看板商品は何と言ってもコーン・ドッグだ。コーン・ドッグとは何ぞや?という方のためにちょっとだけ説明すると、棒状のソーセージ(要はホットドッグ)をコーンミールの衣で厚く覆って揚げたもの。アメリカ発祥の 100%生粋のアメリカ料理だ。Penny が実際にご馳走してくれたものがこちら。

コーン・ドッグが最初に売られたのは 1946年。今のこの場所は何と 1949年から営業中だ。お店を始めたのは先ほど紹介した Bob さんのご両親。現在のオーナーさんはお孫さんの ジョッシュ・ウォルドマイヤー氏だ。

最後はお約束のツーショット。また近いうちの再開を約束して次の目的地へ急ぐ。

次の停車駅?は、スタントン。ウサギさんの沢山いる、Hare It Is のヘンリー・ラビット・ランチなのだが、時間に間に合うか。本当は Cozy Dog 以外にも健さんに見せたいところはスプリングフィールドに幾つかあるのだが、とにかく時間がない。許してくれ!

結果から言えば、途中メッセンジャーを通じて、オーナーのリッチとはやり取りしたのだが、彼は今晩早めに店仕舞をして行かなければならない所があるのだとか。頑張って運転したのだが、10分ほど間に合わなかった。
残念!彼に最後に会ったのは2018年。うーん、仕方ない。結構アメリカ人にウケの良い日本のお菓子をお土産に持ってきたので、外のクーラーボックスに置いておくことに。

時間は16時すぎ。セントルイスまではもう少しだが、時間に余裕ができたので、その手前の リヴィングストンという街で、一軒立ち寄ることにした。その名も「ピンク・エレファント・アンティーク・モール」、遠くから嫌でも?視界に入る奇抜なお店だ。ルート66とはそこまで関係のない店ではあるが、ルート66が街を通過していたこともあり、お店はそれなりにその部分を強調している。実際、私自身このお店には入ったことはないのだが、一つでも多くのスポットを健さんに体験してもらうため、入店することにした。

お店の外観はこんな感じだが、中は結構広い!ちょっと小ぶりな体育館、といった感じかな。アンティーク好きにはいいのかな?物がこんなに!😵

一通り歩き回ってみたら、目の縁に飛び込んできたのが「St Louis Cardinals Goods」という小さな看板。カージナルスのアイテムがアンティークって何だよ、と小馬鹿にしながら商品を見たら、何事も馬鹿にするもんじゃない。ごめんなさい、私の勉強不足でした。と言わんばかりの、お宝⚾🏆💵アイテムがっ!

子供のころから敬愛するレジェンドスラッガー、Mark McGwire 選手のセントルイス在籍時の簡易ジャージ発見 😍 しかも何とこれ、たったの 10ドル。喜んでいいのやら、悲しんでいいのやら。

気が付いたらジャージを握りしめてレジに並んでいたよ。

という慌ただしい一日は無事、18時前にはホテルにチェックインという予定通り?の行程で終了した。宿泊先からスタジアムまでは徒歩で10分。平日木曜日であったが、今週末はメモリアル・デー・ウィークエンド。ホテルは満室、街は多くのスタジアムに行く地元民と観光客でいっぱい。やはりセントルイスは都会だな。

ホテルの部屋の窓よりミシシッピ川一望
晴れ男の面目躍如!噴水の位置も大きく変わった公園。

お疲れ様!さあ、スタジアムへ行くぞ!


オジサン二人のルート66旅①シカゴ編

実は今回渡米するまで一つ大きな勘違いをしていたようだ。
ずっとコロナ禍による渡航制限のせいで「2年半」も渡米できていない、と公言していたのだが、前々回のポストにも書いた通り、本当のところは「丸っと 3年」になるらしい。。。😱
オクラホマ州ルート66へ、友人宅で行われる秋のイベントへ弾丸ツアーをしたのは 2019年のつもりでいたが、それは実際には 何と2018年の秋、ということが判明した。そうだよ、よく考えたら 2019年の秋は(まだコロナの到来など想像していなかったので)仕事が変わったこともあり、渡米を春(2020年)のタックス・リターン時に延ばしたのだった😂
ってな事で、ルート66への帰還?も実に 3年ぶりになるんだと言うことに気が付いたわけで。まあ別に半年の差に然程大騒ぎすることはないのだけれど、記憶が明らかに衰えているところに心配の種が育つってものだ 💀

さて本題。この 5月の渡米目的は実はルート66でなく、幾つか重要な私用案件なのでそれらを優先、更にしっかりやるべき仕事もした上で、時間を捻出。シカゴでの案件に合わせ、日本に戻る前の週末に行われたミズーリ州ルート66アソシエーションが企画主催するイベントにも顔を出すことにした。公私のバランスは完璧だ。

3年ぶりのシカゴ・オヘア空港。相変わらずの盛況ぶりだ。カリフォルニア州ベイエリアでは比較的まだマスクをしている人々もみるのだが、ここは少々事情が違うようだ。2週間前の閑散とした羽田空港のことを思い出すと、このギャップには驚きを超え感心する。(出発したサンフランシスコ空港もここまで居なかった)決してコロナを軽視するつもりではないが、合理的な考え方は自身の性にもよく合っている。


到着後、レンタカーを借りて早速ダウンタウンへ向かう。アポイントメントの時間まで約 2時間半。高速道路は想像よりずっと空いていて助かる。
だが、「晴れ男」である私が来たというのに天候はイマイチだ。空港タッチダウン時に機長が「シカゴの天気は霧雨」とアナウンスしていたが、街に近づく頃には完全に止み、青空が雲の間から見え始めていた。

ダウンタウンはやっぱり交通量が半端ないので、今日の宿泊先の駐車場にさっさと止めてあとはその場所まで歩く。
そうそう、この高架下の景色がたまらなくシカゴっぽくて好きなんだ。

さて、ルート66もこれだけの回数を走っていれば、まだ訪れたことがない場所はそうそうないわけで、あるとすれば新しくルート66上にオープンしたビジネスか、夜間時や修復完了したネオンサイン等になるのだが、それらを見られるか見られないかは全てタイミングの問題であり、神様の判断の領域と自分は捉えている。

なので、今回ルート66の旅は非常に限られた時間ということもあり、3年間も会えていない友人達に一人でも多く会えれば、というテーマでスタート。

翌日、朝6時過ぎ、市内ど真ん中に宿泊地の通りの路面からは夜間にも結構雨が降ったことがわかる。が、外に出ると止んでいる。晴れ男の面目ちょっと保てたかも 😚 8時過ぎにはシカゴの街を出るから、それまでもってくれればそれで良し、十分合格点だ。

というところで最初に登場いただくのが、今回初めて直接お会いする、オンラインで知り合って 2年弱になる。ひょんなことから健さんからお声がけを貰ったのが コロナ禍で世界揺れている真っ只中の 2020年夏。彼の仕事の一環でオンラインツアーを提供販売しており、その番組コンテンツの一つとしてルート66について語って欲しいという要請であり、それからオンラインによる「ルート66妄想ツアー」を細々と続けている。健さんとの出会いは人と人のご縁、というのを久しぶりに強く感じたものだ。とはいえ、今回の旅は100%彼にとってもプライベートだけどね。

さあ、シカゴに来たからにはまずはこのサインを確認することから始めなければいけない。ん?若干場所が移動した?(気のせいだろう)サインが低くなった?(これは気のせいじゃない)標識にべたべた貼られたステッカーは多少掃除され綺麗になったか?(取り換えられたようだ)
うっかりしていると、知らないうちに修正・修復が微々されるものである。

お約束、ではないがまずは出会いを祝して健さんとスタート地点で記念の一枚。今までオンライン上の繋がりだったが、何度も何度も顔を見ながら話し合っているのでお互い結構知ってるつもりになっている。だからやっとお会いしたのだけど「今更感」は半端ない😄
健さんがルート66を走るのは今回が初めて。ただ、昨年 11月に配信したオンライン番組では、彼はシカゴに自費で飛んで現地(つまりここのサインから)生中継をしてくれたので、ルート66@シカゴダウンタウンは正確には 2度目となる。

そして市内を流れる河を渡り、シアーズ・タワー前を通り、まず最初の重要な場所へ出向く。この私の与太話ブログを読んでくれている方ならもうお分かりだろう、絶対に外せない朝食スポット「Lou Mitchell’s」へ出陣だ。

あ、その前に「シアーズ・タワー」に違和感を持った若い方たち向けに少し補足説明を。このビル、今では「ウィリス・タワー」(Willis Tower)と呼ばれるけど、英国系保険関連企業の Willis Group Holdings が命名権を取得した 2009年7月までは、シアーズ・タワーの愛称で通っていた。アンテナを除くビル最上階(110階)までの高さは 442m、シカゴでは一番高いビルだけど、アメリカ全土ではニューヨークの One World Trade Center に次ぐ2番目なのだ。

さて、そうこう言ってる間に Lou Mitchell’s に到着。宿泊ホテルより約 1.5キロ弱、徒歩で20分の距離だ。腹を空かせるには最適の距離である。

朝が早いせいか、まだ店内に人はまばらだ。普段はもう少しいるんだけど、それは8時あたりかな。斜め向かいにアムトラック駅があることもあって、通勤するビジネスパーソンが朝も昼もよく利用する人気店だ。数日前にオーナーの Nick に、この朝出勤してるかどうか聞いたんだけど、残念ながらこの日は来れないようだった。ただ、いつもの笑顔のフロアマネージャーの Dana が相変わらず元気そうだったのはうれしい限り。

さて、ここで本日2、3人目の友人に登場していただこう。
話は一週間以上戻るが、まだシカゴに飛ぶ前、かねてからSNS上で交流している Sylvia と Bernhard のご夫婦で、5月中旬からルート66を旅している様子がアップされていて、どうやら同じ時期にシカゴに居るようだったので、メッセージしてみた。「木曜日の朝、7時から Lou Mitchell で朝食する予定だけど、都合合えば合流しない?」
すると行くよ、と即返事。
こうやってまたSNS上で繋がっている友人に「初めて」実際にお会いできる機会に恵まれた。彼らはドイツからのルート66愛好家。実は彼らとはニアミスが一回あり、コロナ禍前の2019年夏、イタリアの友人の結婚式に参列するためフランクフルト経由で行ったのだが、家内がフランクフルトが初めてということで、2,3日滞在した。その時は気が付かなかったのだが、Sylvia 達はフランクフルトから車で15分程度の街に住んでいるらしい。私のフランクフルト紀行をSNSで見て、連絡してくれたのだが、その時はすでに帰国便へ向かう途中だった。わずか3年で逃したチャンスが再度巡ってくるのだから、これも何か一つのご縁なのだろう。

4人でテーブルを囲み、私は今朝は軽め?に大好物のホーランデーズソースがたっぷりかかったエッグスベネディクトを注文、話に花が咲いた。
聞くところによれば二人は5月にカナダ入りから始まり6月中旬までルート66をシカゴからサンタモニカまで行くとか。共通の友人達にも沢山会える予定にしているらしいので羨ましい 😵
1か月以上旅行を楽しめるドイツのライフスタイルはやっぱり進んでるんだなぁと心底感心した。

お互い道中気を付けて!とエールを交換し、お店の前で記念撮影。

さあ、我々も今日はミズーリ州セントルイス目指して出発だ!


シュトルツ教授、ニューメキシコを調査中

Composer Nolan Stolz at the Lensic Performing Arts Center ©Luis Sanchez Saturno, The New Mexican

そして前回触れた「2編」の二つ目をここで。
今回はニューメキシコ州サンタフェで発行されている日刊紙「サンタフェ・ニューメキシカン」紙に先月18日に掲載された記事、「Musician Travels through New Mexico for Route 66 Composition Field Research」の紹介です。同紙は「米国西部で最も古い新聞」と言われ、何と創刊号は1849年11月28日なのだ!
2004年に本社をサンタフェ市内のワン・ニューメキシカン・プラザに移転し、同州最大の街で発行するアルバカーキ・ジャーナルも実はここで印刷されている。

余談だけど、かくいう私はこのサンタフェ・ニューメキシカン紙とはご縁があり、(10年以上前になるが)サンタフェに住んでいた当時、黄葉の秋を郊外の Tesuque、Chamisa、そして Black Canyon Trail を家内と散策していた際の様子が写真と名前入りで同州に載せてもらったのだ🤩

たまたま記者さんが近くを取材で歩いており「良い写真が撮れたので載せてもいいか」と。本物の記者さんかな?と半信半疑ではあったものの、載って不味い写真ではないのでOKしたら本当に載ってしまったってわけ。
その時の写真がこちら ⇩ 😆

おっと、話が強烈に脱線したけど、ご紹介している ノーランシュトルツ教示が2026年のルート66生誕100周年に向けて活動中のプロジェクト「ルート66組曲」のリサーチをニューメキシコで行っているという内容の記事である。相変わらず原文での紹介しか叶わないが、是非こちらもご一読頂きたい。

https://www.santafenewmexican.com/news/local_news/musician-travels-through-new-mexico-for-route-66-composition-field-research/article_d8824510-a4c1-11ec-8666-87295575efed.html

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