
3年ぶりの故郷凱旋シリーズ、今回はカリフォルニア州パサディナで一つお仕事を終えた後の近場、アリゾナ州とカリフォルニア州のルート66 巡りをしたお話を。
私自身のいる アラメダ、即ちイーストベイと呼ばれる地域から南カリフォルニア方面へ行こうとすれば、インターステート 5号線又は、もっと海に近い方を走るカリフォルニア 101 号線、そして超時間がかかるが完全コーストラインと化する US 1 となるのだが、「時は金なり」の考え方をすれば通常は一番目を選ぶ。しかし道が味気ないんだ・・・5時間程度で着くのは魅力的だけどね。
久しぶり、久しぶり、の連発で恐縮だが本当に久しぶりは語彙の少ない私には久しぶり、としか書きようがない。と言うか、きっと誰でもそうであろうと思うが、やはりこのコロナ禍で行動制限された3年間というものは人生初の体験であり、お初ものが連発することにはどうしようもない。

そんな退屈極まりない味気のない風景の 5番線でさえ懐かしく、走っていても自然と口元が緩むのだ。途中レストエリアに入り用を足すだけでも何となく楽しくなるこの気持ちを分かってもらえる方はいるだろうか。
この旅に出る少し前に、前職の同僚と日本とアメリカの自販機の違いについて話し合ったことを思い出し、早速パチリ 📸
彼女は台湾生まれの台湾育ち。アメリカの常識?あるある?は、まだドラマの世界でのお話。早速この写真を送ってみたが、ゲージに囲まれ、鍵がかかった自販機と日本の高速道路のレストエリアにあるものとの違いに驚愕していた 😂


何を売っているかさえ分からない自販機はアメリカでも中々珍しいが。
さて、今日のゴールはネバダ州ヘンダーソンの街。ラスベガスの中心地から車で僅か 20分のベッドタウンだ。と、いうと実は怒られるかもしれない。この認識はあくまでも 1990年代半ばのことである。実際ヘンダーソンの街に着いた後で感じたことだが、当時あまり数多くなかったカジノも大きなものが数件以上建ち、しっかり立派に一つのカジノ街を形成するまでに至っており、現在はもはやベッドタウンではなかったのだ。


写真は、ヘンダーソンにある、立派なとあるカジノ。まだ平日なのか、時間が早いのか、人はまばらではあったものの・・・
ラスベガスと言えば(話はそれるが)時に1995年、私がロスアンゼルスにある某旅行会社に勤務していた頃の話なのだけど、メインの仕事は日本からのお客さんに提供する全米規模でのホテルと料金契約をすることだったのだが、当然ラスベガスは最も観光客の多い街の一つであり、私達の大きな収入源でもあったわけで。そんなラスベガスには毎日毎晩多くの日本人ツアー団体が入れ替わり立ち代わり。到着団体の空港出迎えからチェックインのお手伝い、オプショナルツアーへのアテンド等、数え切れないほどのタスクがあり、信じられないことに「ほぼ毎日」、ロスアンゼルスとラスベガスを 2往復していたんだ。😵💫💦
飛行機をまるでバスのような感じで乗っていたので、現地職員さんたちとも皆顔なじみで。たまに時間ギリギリになると「トシ、こっちから行け」と優先レーンでセキュリティを通してくれたりと、今では考えられない事情がまかり通っていた。懐かしいなあ。あの時代、やっぱり良かった気がする。スマホなんかなかったけど生活は充分快適だったよね。そんなわけで当時乗っていた航空会社には人生最速の半年ぐらいでプラチナメンバーに昇格したよ 😊
話を戻せば、そうそうヘンダーソン行き。実は今回あまり起こらないことが結構あったんだ。
街へ続く高速道路上で渋滞が。この辺りの事情をよく知っている人ならそんなこと当たり前、日常茶飯事だと思うだろう。もちろん私もそう思いながら比較的気楽に運転していたのだが、30分、1時間、1時間半、全く車が動かない。高速道路上には皆さん諦めたのか、車から降りて完全談笑する人たちの姿も。(この辺はさすが懐の広いアメリカ人である)
ある人が私に「一体どうしたんだっていうんだ?」と聞くが、私に聞かれても何とも答えようがない。


結局道路上に完全停止すること3時間半。その後ノロノロと動き始めて更に1時間。どうやら複数台を巻き込む大事故だったようで、その現場の真横を超低速で通過させられるのだが、大きく燃えただれたタンクローリーか、トラックか、事故の凄惨さを出していた。
今まで数多くの車事故を見てきたが、このサイズは稀有だ。
せめて誰も亡くなっていないことを祈りつつ先を急ぐことにした。
午後3時には到着予定だったヘンダーソンも、気が付けばすっかり夕方8時近くなってしまった。
今晩ご厄介になる友人をすっかり待たせてしまった上に、実はこの方と面と向かってお会いするのは今晩が初めてなのだ。事故渋滞に巻き込まれたとは言え、本当に申し訳なかった。
マイク木田さんは、元々NY在住の実業家さん。カラオケボックスをアメリカ社会に定着させた第一人者だ。カラオケ事業以外も、ウェディング、旅行。コンサルティング業等、幅広く事業展開をする、この一見私の人生と交わらないであろう、マイクさんに会えた理由も何を隠そう「ルート66」なのである。

コロナ禍真っ只中のある日、私のNY在住時代にお世話になったメディアのお仕事をされていた O 氏より、彼の友人でアメリカの旅とルート66に詳しい人を探している人がいるから是非話をしてくれないかとお声がけがあり、二つ返事で快諾したことで、マイクさんと繋がることができた。まさに人脈は宝であるということを実感したひとコマでもあった。
初めて直接顔を合わせたわけだが、さすがオンラインでは何度か対面しているため、全く「初モノ」感覚がない。これは良いことなのかどうなのか分からないが、大切なことは楽しい時間を過ごさせて貰ったということだ。初対面にも関わらず嫌な顔一つせず提供してくれた一宿一飯の恩は必ずどこかでお返しできればと思っている。
いよいよ明日はアリゾナ・ルート66に向かって出発だ。