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ネバダ州ヘンダーソン、新しい友人に会いに

3年ぶりの故郷凱旋シリーズ、今回はカリフォルニア州パサディナで一つお仕事を終えた後の近場、アリゾナ州とカリフォルニア州のルート66 巡りをしたお話を。
私自身のいる アラメダ、即ちイーストベイと呼ばれる地域から南カリフォルニア方面へ行こうとすれば、インターステート 5号線又は、もっと海に近い方を走るカリフォルニア 101 号線、そして超時間がかかるが完全コーストラインと化する US 1 となるのだが、「時は金なり」の考え方をすれば通常は一番目を選ぶ。しかし道が味気ないんだ・・・5時間程度で着くのは魅力的だけどね。

久しぶり、久しぶり、の連発で恐縮だが本当に久しぶりは語彙の少ない私には久しぶり、としか書きようがない。と言うか、きっと誰でもそうであろうと思うが、やはりこのコロナ禍で行動制限された3年間というものは人生初の体験であり、お初ものが連発することにはどうしようもない。

US I-5

そんな退屈極まりない味気のない風景の 5番線でさえ懐かしく、走っていても自然と口元が緩むのだ。途中レストエリアに入り用を足すだけでも何となく楽しくなるこの気持ちを分かってもらえる方はいるだろうか。

この旅に出る少し前に、前職の同僚と日本とアメリカの自販機の違いについて話し合ったことを思い出し、早速パチリ 📸
彼女は台湾生まれの台湾育ち。アメリカの常識?あるある?は、まだドラマの世界でのお話。早速この写真を送ってみたが、ゲージに囲まれ、鍵がかかった自販機と日本の高速道路のレストエリアにあるものとの違いに驚愕していた 😂

何を売っているかさえ分からない自販機はアメリカでも中々珍しいが。

さて、今日のゴールはネバダ州ヘンダーソンの街。ラスベガスの中心地から車で僅か 20分のベッドタウンだ。と、いうと実は怒られるかもしれない。この認識はあくまでも 1990年代半ばのことである。実際ヘンダーソンの街に着いた後で感じたことだが、当時あまり数多くなかったカジノも大きなものが数件以上建ち、しっかり立派に一つのカジノ街を形成するまでに至っており、現在はもはやベッドタウンではなかったのだ。

写真は、ヘンダーソンにある、立派なとあるカジノ。まだ平日なのか、時間が早いのか、人はまばらではあったものの・・・

ラスベガスと言えば(話はそれるが)時に1995年、私がロスアンゼルスにある某旅行会社に勤務していた頃の話なのだけど、メインの仕事は日本からのお客さんに提供する全米規模でのホテルと料金契約をすることだったのだが、当然ラスベガスは最も観光客の多い街の一つであり、私達の大きな収入源でもあったわけで。そんなラスベガスには毎日毎晩多くの日本人ツアー団体が入れ替わり立ち代わり。到着団体の空港出迎えからチェックインのお手伝い、オプショナルツアーへのアテンド等、数え切れないほどのタスクがあり、信じられないことに「ほぼ毎日」、ロスアンゼルスとラスベガスを 2往復していたんだ。😵‍💫💦

飛行機をまるでバスのような感じで乗っていたので、現地職員さんたちとも皆顔なじみで。たまに時間ギリギリになると「トシ、こっちから行け」と優先レーンでセキュリティを通してくれたりと、今では考えられない事情がまかり通っていた。懐かしいなあ。あの時代、やっぱり良かった気がする。スマホなんかなかったけど生活は充分快適だったよね。そんなわけで当時乗っていた航空会社には人生最速の半年ぐらいでプラチナメンバーに昇格したよ 😊

話を戻せば、そうそうヘンダーソン行き。実は今回あまり起こらないことが結構あったんだ。
街へ続く高速道路上で渋滞が。この辺りの事情をよく知っている人ならそんなこと当たり前、日常茶飯事だと思うだろう。もちろん私もそう思いながら比較的気楽に運転していたのだが、30分、1時間、1時間半、全く車が動かない。高速道路上には皆さん諦めたのか、車から降りて完全談笑する人たちの姿も。(この辺はさすが懐の広いアメリカ人である)
ある人が私に「一体どうしたんだっていうんだ?」と聞くが、私に聞かれても何とも答えようがない。

結局道路上に完全停止すること3時間半。その後ノロノロと動き始めて更に1時間。どうやら複数台を巻き込む大事故だったようで、その現場の真横を超低速で通過させられるのだが、大きく燃えただれたタンクローリーか、トラックか、事故の凄惨さを出していた。
今まで数多くの車事故を見てきたが、このサイズは稀有だ。
せめて誰も亡くなっていないことを祈りつつ先を急ぐことにした。

午後3時には到着予定だったヘンダーソンも、気が付けばすっかり夕方8時近くなってしまった。
今晩ご厄介になる友人をすっかり待たせてしまった上に、実はこの方と面と向かってお会いするのは今晩が初めてなのだ。事故渋滞に巻き込まれたとは言え、本当に申し訳なかった。

マイク木田さんは、元々NY在住の実業家さん。カラオケボックスをアメリカ社会に定着させた第一人者だ。カラオケ事業以外も、ウェディング、旅行。コンサルティング業等、幅広く事業展開をする、この一見私の人生と交わらないであろう、マイクさんに会えた理由も何を隠そう「ルート66」なのである。

Mike 木田さんとメキシカン料理で乾杯!

コロナ禍真っ只中のある日、私のNY在住時代にお世話になったメディアのお仕事をされていた O 氏より、彼の友人でアメリカの旅とルート66に詳しい人を探している人がいるから是非話をしてくれないかとお声がけがあり、二つ返事で快諾したことで、マイクさんと繋がることができた。まさに人脈は宝であるということを実感したひとコマでもあった。

初めて直接顔を合わせたわけだが、さすがオンラインでは何度か対面しているため、全く「初モノ」感覚がない。これは良いことなのかどうなのか分からないが、大切なことは楽しい時間を過ごさせて貰ったということだ。初対面にも関わらず嫌な顔一つせず提供してくれた一宿一飯の恩は必ずどこかでお返しできればと思っている。

いよいよ明日はアリゾナ・ルート66に向かって出発だ。


週刊NY生活月イチ連載 SEASON 4: Vol. 13 世界初!ルート66旅専用ナビアプリ

新型コロナの感染拡大はまだまだ予断を許さないけど、どうやらここアメリカは完全に経済復興の道へ舵を切ったようだ。ここカリフォルニア州では意外に?マスクをしている人達も相当数みかける。とはいえ、確率的にはアジア系、ヒスパニック系の人たちが多いが。
ところが同じルート66、アリゾナ州へ行ったらマスクをしている人を見ることは終ぞ無かった!驚きっ、とまでは言わないが、ここまで州が違うと状況は異なるものか、と感心してしまった 😂

という、アメリカでは週末旅行がかなり盛んになってきた今、ルート66へ出る計画を立てるには最適の情報をお届けしたい!の、流れで、毎月恒例の日系情報誌「週刊NY生活」紙にて連載中の、「さあ行こう!魅惑の旧街道ルート66」SEASON ④の今月のお話はテクノロジー。世界初の「ルート66を旅するだけ」に作られた万能アプリをご紹介したい。

制作者は私の友人である Marian Pavel 氏、スロバキア出身のルート66への造詣が深い愛好家の一人だ。是非アプリをお試しあれ!

記事全文は週刊NY生活ウェブサイト ⇩ まで (14ページです)
https://nyseikatsu.com/editions/866/866.pdf

Route 66 on Google Doodle 😎

皆さんは Google Doodle をご存知だろうか?「あ、私 Google は使ってない」という人は、この回は飛ばしてもらっても構わないかもしれないけど、 多くの人は Google 又は Google Chrome を一日に何回か開くことかと想像する。
そう、Google Doodle とは、Google のトップページで、世界の行事、記念日、著名人の誕生日などに合わせてデザインが変更されるロゴ(画像または動画)のことだ。注意して毎日楽しみしている人も少ないはずだ。元々 Doodle とは、図形や絵のいたずら書き」の意味で、Google のホームページには、Google の発音と韻を踏んでいる、との説明も。

Google Doodle ⇩ こんなアートワーク例:

そんな Google Doodle、今年の4月30日は、何とルート66を掲載してきたから、私達ルート66 愛好者は狂喜乱舞!地球上のトップ検索エンジンに載ればその知名度、人気は飛躍的に上昇するってものだ 😍

え?じゃあ4月30日ってルート66と関係のある日なの?なんて今更言わないでよ 😁
今から96年前の1926年4月30日、アメリカのハイウェイシステムの原型となる高速道路のひとつに「66」という数字が割り当てられ、現在の「ルート66」が誕生したんだ。

当の Google 社からの説明はこうだ(Google サイト原文)
April 30, 2022
Celebrating Route 66

Today’s video Doodle takes you on the ultimate American road trip, a journey along the historic Route 66. The iconic highway, known for its retro diners, quirky motels, eclectic art installations and extraordinary landscapes, connects Chicago, Illinois to Santa Monica, California. On this day in 1926, the name “U.S. 66” was first proposed for the cross-country route.

Built during the start of mass car ownership in 1926, U.S. Highway 66 made cross-country travel affordable for the first time ever. It also served as an escape route for displaced families during the Dust Bowl. When severe dust storms ravaged the Great Plains in the 1930s, more than 200,000 refugees got on Route 66 to pursue a better life out West. Among these drivers was John Steinbeck, who traveled along Route 66 during this time to seek inspiration for The Grapes of Wrath. 

When the American economy stabilized after World War II, Route 66’s popularity surged. Millions of travelers drove through the highway to witness awe-inspiring sites—like a 50,000-year-old meteor crater in northern Arizona, and graffiti-laden Cadillacs buried nose-down in Amarillo, Texas. 

Although Route 66 was decommissioned in 1985, after five new interstate highways replaced it, many organizations campaigned to preserve the road to honor its historical significance. As a result, parts of Route 66 were preserved as State or National Scenic Byways. Travelers today can still find many original establishments from the heyday of the historic highway.

Today’s video—set to the classic music track “Route 66” by Bobby Troup—celebrates the cultural significance of one of America’s first national highways, and how it became a symbol of a changing nation. 

Honk if you love Route 66! 

これは ⇩ その日にサイルス・エイブリー氏と B・H・ピープマイヤー氏がミズーリ州スプリングフィールドから、ワシントンDC の連邦道路管理局長官であった、トーマス・マクドナルド氏宛に送った有名な電報

この素晴らしい作品を造ったのが、Google のアートリードを務める Matthew Cruickshank 氏。実際にルート66を走って、何か面白いものや気になるものを見つける度にスケッチし、その作品数は 100を超え、全行程 2,448 マイルを走破したようだ。

Cruickshank 氏のスケッチ ©Google.com

これは彼自身のブログ記事。
https://blog.google/products/search/road-tripping-on-route-66/

そして YouTube に掲載された Google Doodle をご覧あれ。

同日には様々な媒体でこの Doodle が話題になった。

https://edition.cnn.com/travel/amp/route-66-google-doodle-trnd/index.html

https://jalopnik.com/todays-video-google-doodle-is-a-route-66-love-letter-1848864711/amp

https://www.travelpulse.com/news/destinations/google-gets-its-kicks-on-route-66-with-new-doodle.html

https://www.thetealmango.com/latest/what-is-route-66-google-doodle-celebrates-the-iconic-highway/

いつか機会があれば、この Matthew Cruickshank 氏に是非会っていろいろな体験話を聴かせてほしい。今会ってみたい人ナンバーワン 😊

今、シゲが熱い

直球ストライクのルート66ネタではないが、今日は我々がアメリカとルート66に大いな愛情と敬意を活動している「ルート66アソシエーション・ジャパン」をいつもサポートしてくれるシゲこと、茂村泰彦氏(以下シゲ兄)の近況を少しお伝えしたい。

シゲ兄は島根県出身の歌手でありギタリストだが、更には作詞、作曲、編曲、そしてプロデューサーまでこなす万能ミュージシャンだ。
以前このブログでもシゲ兄のパフォーマンスを紹介しているので、記憶が曖昧な方は下記リンクをもう一度チェック!😉
https://www.toshi66.com/yasuhiko-shigemura-on-stage-rock-bottom-tokyo/

そんなシゲ兄が故郷、広島について書いた曲、The River に関する記事が先月、地元中国新聞に掲載されたので共有したい。
間違ったメッセージと誤解されたくないのだが、これは戦争を批判する曲ではなく、あくまでも世界の平和を願ったものであるということ。
私もシゲ兄もアメリカを心から愛しているからね!

以下、その記事と、The River お聴きください。

https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=117994

さて、そんなシゲ兄。コロナ禍で活動を自粛していたご自身のバンド「Kactus」のライブが 2年ぶりに開催されます。
とは言っても、今回は東京限定の 2回のみ!結成25周年の記念ステージなのでお時間の許す方は是非原宿へ!

近い将来、自由に世界を飛び回れるようになってきたら、シゲ兄をルート66上の各イベントに引きずり回す計画をしているのは内緒 😎

シュトルツ教授、ニューメキシコを調査中

Composer Nolan Stolz at the Lensic Performing Arts Center ©Luis Sanchez Saturno, The New Mexican

そして前回触れた「2編」の二つ目をここで。
今回はニューメキシコ州サンタフェで発行されている日刊紙「サンタフェ・ニューメキシカン」紙に先月18日に掲載された記事、「Musician Travels through New Mexico for Route 66 Composition Field Research」の紹介です。同紙は「米国西部で最も古い新聞」と言われ、何と創刊号は1849年11月28日なのだ!
2004年に本社をサンタフェ市内のワン・ニューメキシカン・プラザに移転し、同州最大の街で発行するアルバカーキ・ジャーナルも実はここで印刷されている。

余談だけど、かくいう私はこのサンタフェ・ニューメキシカン紙とはご縁があり、(10年以上前になるが)サンタフェに住んでいた当時、黄葉の秋を郊外の Tesuque、Chamisa、そして Black Canyon Trail を家内と散策していた際の様子が写真と名前入りで同州に載せてもらったのだ🤩

たまたま記者さんが近くを取材で歩いており「良い写真が撮れたので載せてもいいか」と。本物の記者さんかな?と半信半疑ではあったものの、載って不味い写真ではないのでOKしたら本当に載ってしまったってわけ。
その時の写真がこちら ⇩ 😆

おっと、話が強烈に脱線したけど、ご紹介している ノーランシュトルツ教示が2026年のルート66生誕100周年に向けて活動中のプロジェクト「ルート66組曲」のリサーチをニューメキシコで行っているという内容の記事である。相変わらず原文での紹介しか叶わないが、是非こちらもご一読頂きたい。

https://www.santafenewmexican.com/news/local_news/musician-travels-through-new-mexico-for-route-66-composition-field-research/article_d8824510-a4c1-11ec-8666-87295575efed.html

シュトルツ教授の奏でるルート66

Dr. Nolan Stolz at Kingman, AZ ©Travis Rains, Kingman Daily Miner via AP

最近 SNS 上でルート66を愛する共通の友人を通じて、新しい仲間と知り合った。彼の名前は Nolan Stolz、何とサウスカロライナ州の音楽教授でクラシック音楽の作曲家であり、「ノーラン・ストルツ博士」だそうだ。

こう見えてもクラシック音楽をこよなく愛する私は、彼の経歴に非常に興味が湧き、メッセージのやり取りの中から、ノーランの現在取り組んでいる、ルート66 百年祭に向けた活動に関する記事を 2編、ご紹介したい。

まずは、こちらの記事。イリノイ州ブルーミントン・ノーマルを中心に、同州中央部の8つの郡と60 ものコミュニティで発行されている日刊紙 Pentagraph に先月 6日に掲載された、「Composer Cruising Route 66 to Put Highway to Music 」。

https://pantagraph.com/news/state-and-regional/composer-cruising-route-66-to-put-highway-to-music/article_4677bd2e-4923-5063-8bb9-c43c5a99647e.html

調べたところ、Pantagraph は歴史を遡ると、ブルーミントンの実業家ジェシー・W・フェル氏が 1837年1月14日に設立した新聞で、マクリーン郡で最も古い歴史を持つ企業とのことだ。その後オーナーが変わったり、媒体の名称が変わったりで、2008年より現行の Pantagraph で発行している中々由緒あるメディアなのだ。

説明はさておき、記事は「もしルート66が交響楽団であったら、どんな音色を奏でるのだろうか?」という題目で展開。さすが作曲家の先生ならではのアプローチだ。

残念ながら?私は記事元である AP通信社と契約をしていないので、記事を全訳してお届けすることは出来ない。
面倒だな、と思う方もいるかもしれないが、是非原文で一度読んでみて!

Happy 95th Birthday Route 66 🎂~茂村泰彦氏を迎えて

95年前の今日、ルート66はその産声をあげた。合衆国連邦と各州の道路委員会の面々がノースキャロライナ州パインハーストで開催された公式会議にて、「66」が正式に割り当てられ、ルート66が誕生した瞬間だった。
ルート66の歴史についてここで触れるつもりはないが、今回はその歴史に「乗っかった」お話を一つ。

昨年より大手旅行代理店 H.I.S の井手田氏と一緒に同社主催のオンライン・ツアーで「ルート66 妄想ツアー」を担当させて貰っていることは、ちょくちょくこのブログやSNSでも宣伝しているつもりだが、今年の夏前から個人的事情で半年近くお休みを頂いた後、先日久しぶりに妄想ツアーの配信を行った。(視聴参加の皆さんありがとうございました)


11月11日ー
そう、再開するのは 11月11日と決めていたわけで、もはや言うまでもないルート66の誕生日の設定だ。アメリカと日本がちょうど同じ11日になるためには、日本時間 11日の午後10時という、ある意味ギリのベストチャンスに設定が必要だったわけで、平日の夜という「集客」の観点からすれば(一番大事な要因に)疑問符の付く時間帯に快く許可をしてくれた井手田氏には感謝だ。

せっかく 11月11日なのだから、今までとは何か違うことをしたいね、という二人の願いの下、従来のスライドを使った100%講義型から、新しい手法を二つ用意してみた。
一つは現地シカゴからのライブ配信。井手田氏はこれを実現するためにお休みを利用して何と自費でシカゴへ飛び、ダウンタウン、アダムス通りに立つルート66のスタート地点サインポスト、及びそこから少し離れた著名ダイナー「Lou Mitchell 」から何と私のいつも注文する朝食アイテムを実際にオーダーして店内を紹介するという大胆なことをやってくれた。
こういうフットワークの軽さは H.I.S の強みであり、それを実行する井手田氏が多くの同業者に愛される由縁だろうか。

そしてもう一つの企画はスペシャルゲストを招いてのちょっと対談+ライブ音楽、そうミスター・ジャーニーマン、茂村泰彦氏の登場だ。
シゲ兄こと茂村泰彦氏は、島根県出身、広島育ちのプロのミュージシャンである。歌手、作詞家、作曲家、編曲家、ギタリストそしてプロデューサーと活躍の幅は広い(広すぎる🤠)
TUBE、高橋真梨子、中森明菜、黒沢健一、19(ジューク)を始め多くのアーチストの作品に携わり、自身でもバンド「KACTUS(カクタス)」を結成し、毎年全国ツアーに精を出している素敵な「兄貴」だ。
そんな正真正銘のプロに出演をお願いするなど、大した出演料も出せない失礼さも含め😅、かなりガッツの要る話ではあったが、何とシゲ兄は二つ返事で快諾してくれた。

シゲ兄、最愛の奥様、美子さんのSNS投稿より

私がシゲ兄と初めて会ったのは、数年前のルート66アソシエーション・オブ・ジャパンの年次会合でのことだった。アーチストだというのにとても気さくで話しやすく、すぐに好印象を持ったことを憶えている。なーんて書くと上から目線っぽくて恐縮だけど、その後シゲ兄の歌を直に聴いたときの感動も忘れていない。もともとウェストコーストサウンドがお好きなようで、ロックとポップスが融合した心地良いサウンドは、同年代ということもあってか、シゲ兄のちょっとハスキーな歌声も加わって、心によく響いた。あとで聞いたらイーグルス、ジャーニー等80年代のアメリカン・ポップスも大好きなようで趣味は完全に一致した😄

そんなシゲ兄に何と 3曲もご披露頂き、私がただただルート66の魅力について語っている番組の価値は何十倍にも膨れ上がったってわけ。
この場を借りて再度、心からお礼を申し上げたい。本当にありがとうございました。

シゲ兄はこの後もまだ今年のツアーが少し残っているのに、その合間をぬって時間を調整してくれた。あと6本ライブはあるのでもし興味のある方は是非足を運んでみて欲しい。平日だけど、東京では 12月3日(金)原宿があるよ!

最後に、シゲ兄が書き下ろした最新作「The River」をご紹介して今日はおしまいに。
曰く「原爆の事を知らない人たち、知るきっかけがなかった人たちに伝えたい。」広島で育った彼だからこその逸品ではないだろうか。

2022年、また以前と同様にルート66を訪れることができる日がくる。今度は私がシゲ兄に少しでも恩返しする番である。
知名度も実績もある人に僭越ながら、ルート66のイベントで一つでも多く歌ってもらうのが私の夢の一つなのだ。そしてその積み重ねは2026年へと続く。私にはまだまだやりたいことが山ほどあるのだ😎


ニードルス~Peanutsが旅した人生とルート66😎

©Charles M. Schulz

世界的に大人気の漫画「ピーナッツ」を知らない方はあまりいないだろう。ピーナッツという名前にイマイチ❓ピンとこない場合は「スヌーピー」と言った方が良いかもしれないけどね(笑)

実は今、大手旅行代理店H.I.S の米国オーランド支店の井手田氏と一緒に「行ってみた~い!憧れのアメリカ・ルート66横断妄想ツアー」というのをオンラインで毎月配信しているんだけど、次回(日本時間3月7日)は、いよいよシリーズ最後の「カリフォルニア州編」。で、その準備をしている時、ニードルスの街を紹介する際に SNOOPY のことに触れるべきかどうか頭を過ぎったのがこの項を書くことになった発端なのだ 😛

Mr. Charles M. Schulz

「ピーナッツ(Peanuts)」の作者は、Charles M. Schulz 氏、1922年生まれ、ミネソタ州ミネアポリスの出身。とはいえ、幼少期から漫画家になることを夢見てみた少年の話を書こうと思っているわけではないので、それ以上のことについては特に触れないけど、ただ一点、彼が1929年から2年間、カリフォルニア州ニードルスに移住した、という事実はルート66ファンとしては見過ごせないポイントなんだよね。

そして SNOOPY と言えば?そう、カリフォルニア州サンタ・ローザ(笑)馴染みのない街名かもしれないけど、サンフランシスコから約60マイル弱、車でわずか1時間も北上すれば着く閑静な住宅街。
実はこの街に、SNOOPY愛好家の聖地として崇められる「Charles M. Schulz Museum」(チャールズ・M・シュルツ博物館)があるのだ!
あ、因みに彼のミドルイニシャルで使われる「M」はミドルネームの「モンロー」、意外に知らない人は多いようなので豆知識まで。
もう一つ重要なこと。私は決してピーナッツやスヌーピーの愛好家ではないので誤解のないよう 😎 まあそう思われたらどうだ、ってのはあるけどね。(そう言えば、この博物館の世界で唯一の公認サテライト施設が、南町田のグランベリーモール内にあるそうだよ)

話はそれたけど、この博物館はシュルツ氏がすべてを監修。(実際彼は2000年に亡くなったので完成は見ていない)そこには世界中で愛された漫画「ピーナッツ」の原画から手書きスケッチまで、貴重なコレクションが展示されている。スヌーピーをテーマにしたカフェや、シュルツ氏デザインのスケートリンクなど、スヌーピーに囲まれ、五感でスヌーピーの世界を堪能できる「博物館を越えた博物館」が彼らの謳い文句なのだ。
なぜサンタ・ローザにあるのか?と言えば、シュルツ氏が1969年にそこに移住してから亡くなるまで過ごした場所だかなんだよね。Make Sense.

私は「愛好家(ファン)ではない」と言ったけど、それでも近隣に住んでいるものとして一度訪れてみたことがある。結論、SNOOPY がお好きなら確実におススメだ。

CHARLES M. SCHULZ MUSEUM
2301 Hardies Lane, Santa Rosa, CA 95403
707-579-4452
https://schulzmuseum.org/

おっと、話が中々元の場所に戻ってこないね(笑)ここで書きたいのはニードルスだよ、ニードルスとのか・ら・み 🤣

ニードルス(Needles)は、カリフォルニア州、ネバダ州、に広がるモハべ砂漠の南東に位置し、ルート66を西へ向かう場合、コロラド河を越えてカリフォルニア州に入った最初の街だ。サンタフェ鉄道の停車駅があり、1908年に建てられたハーヴェイハウスである大人気の「エル・ガルセス・ホテル」と共に街は発展した。
カリフォルニア・ルート66の要衝地であるニードルスについてこれ以上書き始めると延々と終わらないので、それはまた別の機会に。

From Charles M. Schulz Museum Official Website

で、シュルツ氏一家はそんな(どんな?)ニードルスへ 1929年、引っ越してきた。彼の長い人生の中で僅か2年間のことなので、あまり知られていないが、街の中にはしっかりその「足跡」が残されている。

ニードルスのダウンタウンの壁画

私がニードルスに行くとき良く食事をする「ワゴン・ウィール・レストラン」というアメリカ西部料理を出すダイナーがあるのだけれど、そのレストランから通りを挟んで向かいにあるサンドウィッチの全国チェーン「サブウェイ」内にも何とスパイクはいるんだよ!

ニードルスのサブウェイ店内

ではそもそもなぜシュルツ家が引っ越してきたかというと、彼の奥様方の親戚が一足先にニードルスに移住し、その街には沢山のチャンスがあることを熱烈に語り、強く勧めたことにあるという。(親戚の移住の本当の理由は健康上のことだったと後に判明するけど)

ニードルス移住期間は未だシュルツ氏が子供の頃なので、もちろんそこで何か功績を残したわけではないが、その頃の経験は多感な時期に少なからず影響を与えたのであろう。
ニードルスに住んでから45年後、シュルツ氏はスヌーピーの兄、スパイクの人生と冒険を通して彼自身の経験の一部を「ピーナッツ」に取り入れた。スパイクは砂漠で一人暮らし、コヨーテと友達になったり、サワロサボテンのジョーと会話したり、時にはサボテンにライトを巻き付け、クリスマスツリーに見立てたり。子供が感じるであろう無限のファンタジーが描かれたってわけだよね。

最後に、シュルツ氏は1973年に再婚するんだけど、奥様の Jean は2018年、スヌーピーと一緒にルート66を旅したときのことを公式ホームページ内にブログとして書き残している。全線走破とまではいかなかったようだが、「ピーナッツ」とルート66との永遠の繋がりを感じることのできる嬉しいものである。
https://schulzmuseum.org/route66/

From Charles M. Schulz Museum Official Website
Mrs. Jean Schulz

シュルツ氏と彼の家族、そして関係者の皆さんに大いなる敬意と感謝を込めて💚

Tony Moore’s Route 66 Wines

冒頭からこのような写真を見せられたら、皆さんは急に血圧が上がらないだろうか?(笑)
ワイン続きの話で恐縮だが、これは、現在全7回に渡って開催しているZoomによるルート66講座の中で、前回ワインの話に触れるにあたってその資料作成をしている際に偶然発見したものだ。
目が点になり、全身が固まった私の姿は容易に想像してもらえると思うが、正にそのイメージ通り。
「青天の霹靂」とはいささか大げさだろうか。

「Route 66 Wines」「Tony Moore’s Signature Collection」、、ん?Tony Moore? トニー・ムーアって言えば、地球上見渡しても私の知ってるのは世界的にブレイクする前のブリティッシュ・ヘヴィメタルの最先鋒、「アイアン・メイデン」のギターとキーボードを弾いてた彼ぐらいだ。
謎は深まる。。

早速ワイナリーのホームページにいってみる。
“Torti Estate – Wine’s Elegance Since 1910” 、だそうだ。

場所はイタリアのパヴィア。あまりピンと来ない方も多いと思うが、パヴィアの街は大都市ミラノを擁するロンバルディア州の南西35キロほどの所にあり、ポー川とティチーノ川に囲まれた肥沃な土地だ。
ワイナリーがあるのは更にそのパヴィアから25キロほど南に行った「モンテカルヴォ・ヴェルシッジア」(Montecalvo Versiggia)というコムーネらしい。初めて聞く名前だ(笑)

Torti Estate は、オルトレポ・パヴェーゼ(Oltrepò Pavese )DOCワインの伝統を守っており、現在のオーナーであるパトリツィアとディーノ・トルティ夫妻の下、ピノ・ネロ(ピノ・ノワール)とクロアティーナ品種を中心に、ワインとスプマンテの生産をしているとのこと。
因みにDOCとは、「デノミナツィオーネ・ディ・オリジン・コントラータ」(Denominazione di Origine Controllata)の略で、フランスの「アペラシオン・コントラレ」(AOC)とほぼ同等の意味で用いられ、定義された品質基準を満たし、指定された地域で生産されたワインであることが要求される。DOCの定義では、通常許可されているブドウ品種、収穫量、樽使用を含む最低熟成期間、最低アルコール度数などについて厳しい規定があるのだ。

話は大分それたが、そのトニー・ムーア氏。2019年5月に初めてトルティ・ワイナリーを訪れた際に、すぐに彼らのワイン造りに込められた情熱、ビジョン、細部に至るまでのこだわりに魅了された、とホームページには書かれている。トルティ夫妻が語った彼ら家族の物語や創造的なワイン醸造プロセスは大きなインスピレーションをトニーに与えたようだ。

更には、その日ワイナリーで数時間過ごした夜には、トルティ家族全員と一緒に食事を楽しむ機会があり、そこでトルティ家族の言葉「No Torti, No Party」をイメージし、アコースティックギター一本、即興で披露した、という逸話もあるらしい。
そうなんです!やっぱりあのアイアン・メイデンの彼だったのです!

(ヘヴィメタルを聴かない方には、1986年に”(I Just) Died in Your Arms” の世界的ヒットで一躍有名になったバンド、Cutting Crew でキーボードを担当した彼、と言ったらわかるだろうか)

Iron Maiden 時代の Tony Moore 氏

そうやって生まれたのがこの「Route 66 Wines Tony Moore Signature Collection」だ。
同国内の代理店を通じ25年にも及ぶライセンス契約を経て出来上がったこの一本。
日本から購入できるのはオンラインのみとなるようだが、「家飲み」が主流となっているこの機会に是非、試してみてはいかがだろうか。

https://greatwinedirect.com/collections/route66-wine

おまけでワイナリーのホームページに載っていたトニーさんの熱唱を。

Dino Torti & Tony Moore from Route66.wine

週刊NY生活月イチ連載 SEASON 3: Vol. 18 ルート66の名を世界へ広めた映画 “CARS”(追加書下ろし含)

毎月恒例の寄稿「魅惑の旧街道ルート66をフォーカス」SEASON 3、第18回目(09月号)は、「旅行に行きたいけど安心して行かれない」という皆さんへ「お家でルート66」をご紹介。ルート66の名前を世界中の様々な年代(特に子供たち)へ広めてくれた映画のお話です。
記事内容は多少ネタばれするけど、まだ観ていない方々も既にご覧になった方々も、もう一度この真夏の寝苦しい夜、CARSの醍醐味を楽しんでみてはどうだろうか。

詳細は週刊NY生活ウェブサイト ⇩ まで (18ページです)
https://nyseikatsu.com/editions/788/788.pdf

【追加書下ろし】
そうそう、記事のスペースの都合上書ききれなかった内容を少し2つほど書いてみたい。
まずは、声優さんたち。我々ルート66の重鎮、マイケル・ウォリス氏のことは内容に盛り込ませてもらったが、その他オーウェン・ウィルソン氏、ポール・ニューマン氏、そしてマイケル・キートン氏と錚々たる俳優さんも参加しているのだ。
さらには!実在するレーサーさんたち、マイケル・シューマッハー氏、デイル・アーンハートJR氏、マリオ・アンドレッティ氏なども同様に華を添えている。
最後にスポーツファンとして忘れちゃいけないのは、ボブ・コスタス氏やジェイ・レノ氏のようなキャスターさんたちの「参戦」も無視できない。こういう細部まで徹底的に姿は、やはりディズニー・ピクサーたる所以か、好感度バツグンだ。

Fillmore (Image from Disney-Pixar)

そしてもう一つ。
本文記事にも触れているが、ヒッピーのVWバン「フィルモア」は、あの伝説のルート66アーチスト、ボブ・ウォルドマイヤー氏がベースになっていると言われている。が、ディズニーピクサー側もはっきりとした明言は避けている。ウォルドマイヤー氏は厳格なベジタリアン。当然映画がヒットした末にはマクドナルドの「付録おもちゃ」として登場するであろうVWバンにウォルドマイヤー氏の名前を就けるのは難しいだろう。映画の外でもいろいろな葛藤があるようだ。




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