4th of July

日本にやってきて丸っと3年。4度目の “July 4th” を異国で迎えることになった。Memorial Day、Thanksgiving と米国との繋がりを感じる年次イベントは少なくないけど、やはり7月4日は特別なものがある。

私は日本生まれの日本育ち、だ。もっと細かく言えば「逗子生まれの名古屋育ち」って感じか。ただ重要なのはその「育ち」ってとこだと思う。
この場合の育ちはあくまでも「教育を受けた」時期。
人間形成の根幹部分はこの時期に造られる、という人も多いけど、私にとって真の育ちは「社会に出てから」だと思っている。
その意味では人生の半分以上を過ごしている米国、取り分け「育ち」に関しては98%近く米国で「育ててもらった」自分としては、やはり7月4日は大きな意味を持つのだ。

ルート66を人生のテーマとしている自身には、元軍人、退役軍人を始めとする友人は多い。仕事上の知人も米国国防省、米国海軍、そして米国疾病予防管理センターや各州政府まで多岐に渡る。
彼らの誰からと、この3年間ほぼ毎日SNSを通じてやり取りをしていると、the Stars & Stripes とは切っても切れない縁を感じる。

ただ、今年の7月4日はいろいろな意味で今までとは異なる。言うまでもなく、コロナ禍の影響だ。
報道によればトランプ大統領は4日、新型コロナウイルスの戦いに取り組んできた医療従事者数百人を招き、独立記念日を祝う式典をホワイトハウスで開いた。そこでは、アメリカが新型コロナウイルスとの戦いで「素晴らしい勝利」を収めつつあると強調したという。そうは言うものの、前日3日の新規感染者は5万2300人と過去最多を記録したらしいし、亡くなった人達は13万人にも及ぶ。

感染者数は現在39州で増加しており、最近ではアラバマ、アラスカ、カンザス、ノースカロライナ、そしてサウスカロライナの、少なくとも5州が1日あたりの最多記録を更新したとNY Times も報道している。民主党の Joe Biden大統領候補は自身の Twitterで、「今年の7月4日に、みんなにできる最も愛国的な行動はマスクをつけることだ」と呼びかけた。

アメリカ独立記念日の関心事と言えばやはり「花火大会」だが、今年は多くの州市街村が中止を発表したが、自治体や個人レベルでは結構な花火が上がったとSNS上では動画が散見されていた。
ちょうど動画サイト Youtube にニューヨークのイーストリヴァーでの花火が上がっていたのでご紹介。

こんなこと言うと少々不謹慎かもしれないけど、個人的にはやっぱりMLBのオールスターゲームが中止になったことが結構打撃かな。夏の風物詩じゃないけど、オールスターウィークはアメリカはやはりベースボールの国だ、ということを再認識させてくれる一大イベントが無いのは寂しいよ。
調べたらオールスター戦の中止は第2次世界大戦以来初めてだそうだ。

ここで今更だけど「アメリカの独立記念日ってどんな日なの?」という方に簡単にご説明。独立記念日又は Independence Day は、米国では冒頭にも書いた “July 4th” または “4th of July” と呼ばれる、1776年にアメリカ独立宣言が公布されたことを記念して毎年7月4日に定められている米国の祝日なのだ(池上氏のような気分になってきた)アメリカを最も象徴する祝日であり、独立記念日の一週間は Thanksgiving や Christmas Holiday と並び全米が祝日モード一色になる。
今年2020年は、第244回目の誕生日のお祝い、ってわけだ。
でもここでアメリカの独立の経緯や歴史的考察をするつもりは全くないので、その辺りの詳しい話は Google 先生に聞いて欲しい(笑)
ただ、この国の歴史は、18世紀絶対王政の時代圧倒的権力を持っていた英国王政に「勇敢に立ち向かい」、多大な苦難を乗り越えて勝利=独立を「勝ち取った」という、いかにもアメリカらしいストーリーで歴史は始まったところが大きなポイントだろうか。

毎年この日には数年前に経験した宣誓、 Oath of Allegiance を一番強く思い返す。日本語に訳すと「忠誠の誓い」となり、日本人的感覚には少し重いものかもしれないが、内容はこうだ。
“I pledge allegiance to the Flag of the United States of America, and to the Republic for which it stands, one Nation under God, indivisible, with liberty and justice for all.”
このフレーズ、結構気に入ってたりするんだけど、ルート66の仲間であるオクラホマ州タルサの、Route 66 Alliance のリーダーである Ken Busby 氏が自身のSNSにポストした内容がとても心に刺さった。
いろんなことで毎日を100%楽しめていない中、ちょっと救われた気がした。以下、彼のポストより。

“America is a nation with a mission — and that mission comes from our most basic beliefs. We have no desire to dominate, no ambitions of empire. Our aim is a democratic peace — a peace founded upon the dignity and rights of every man and woman.” ~ George W. Bush

As this Independence Day comes to a close, I’ve been thinking a lot about events of the past several weeks – events that have shaken our nation to its very core.  We cannot correct past injustices with one speech or one program or one event.  All we can do is pledge to do better tomorrow than we did today.

We need to give each other grace when we fall short.  And we need to acknowledge that most of us are doing the best that we can, based on what we know and have experienced.

As Maya Angelou once noted, “I did then what I knew how to do. Now that I know better, I do better.”

Here’s to a better tomorrow for all of us!!

by Ken Busby at his Facebook on July 4, 2020

最後にネットで見つけた History Channel からの面白いトリビア。何とアメリカの「誕生日」は、同時に過去の何人かの大統領の「命日」なんだとか。 知らなかった!

Frecs ルート66 デビュー!

A 19-foot-tall sculpture named Frecs now overlooks old Route 66 in Galena. Pictured are (from left) former Galena Mayor Dale Oglesby; Renee Charles, President of the Kansas Historic Route 66 Association; and current Mayor Lance Nichols. by Joplin Globe | Kimberly Barker

“A new Muffler Man – a 19-foot-tall miner named Frecs – recently was erected on old Route 66 in Galena, Kansas”
というニュースが飛び込んできて早一年近くなろうとしている。

2,347マイル(約3,755キロ)に及ぶルート66の僅か 1%にも満たない、17マイル(約27キロ)しかないカンザス州ルート66に新しくマフラーマンが建てられる、と。
誤解のないように最初に明言するけど、カンザス州はそのルート66の中でも私は取り分け好きな州のうちの一つだ。
マフラーマンに関しても過去このブログや、月イチ連載している「週刊NY生活」のコラムにも何回か取り上げてきたので、今更説明は不要だろう。

日本に一時帰国して以来、アメリカには毎年春に諸用で帰るのだけど、2020年の春旅にはこのカンザス州ガレナの新マフラーマン、訪問予定に入れていたんだよねー(涙)

地元紙 Joplin Globe によれば、この 19フィート(約6m弱)の高さを誇るマフラーマンの名前は Frecs、街の歴史保存されている高架橋の近くに設置されているらしい。名前の由来は実在する人物、鉱山労働者の Milbern John Busick 氏より取られたもので、彼の赤毛とトレードマークである「そばかす(Freckles)」から Frecs となった模様。

このプロジェクトが始動したのは当時より約18か月前と書かれているので今から計算すればもう3年以上も経つことになる。Kansas Historic Route 66 Association を運営する Renee Charles さんの発案で、この地域で鉛と亜鉛の発掘を行い、街の発展に人生をかけた祖父、Busick 氏に敬意を表してこのマフラーマンを作ることを思いついたようだ。

この Frecs は、キャンバス、布シート、接着剤、塗料などの材料で構成された「貧乏人のグラスファイバー」と呼ばれるもので作られている。 それら消耗品と労働力の大半は寄付されたものらしく、溶接を担当した John Simon 氏やルート66の一組織である、Young Roadie Association のメンバーたちも一役買って出たそうで、文字通り街を挙げてのプロジェクトとなった。

Renee とは個人的に親交もあり、今月頭にも Kansas Route 66 をサポートする署名運動にも要請を受け、Route 66 Association of Japan としても微力ながら協力させて貰った。
次回私の大好きな Galena を訪れるのはいつになるのだろうか。
夢の中では一度見に行ったんだけどね。

ABQ Balloon Fiesta 延期へ

大変なことになった。

先日ここでも紹介した週刊NY生活に投稿した、「コロナ禍がルート66に及ぼす影響」の中で懸念したことが何と哀しくも現実になってしまった。
本来であれば「Toshi の大予言!?」などと軽口を叩くところだが、今回ばかりはそうはいかない。非常に残念なことに、毎年秋恒例の”Albuquerque International Balloon Fiesta” が1972年開始以来、初めての中止に追い込まれることになったのだ。。。

実はこれね、結構厳しいんだよ。ニューメキシコ州の財政は石油とガスの生産、観光業そして連邦政府予算が重要な推進力になってる。コロナ禍の影響で石油とガスのマーケットが崩壊した今、観光業は取り分け重要な役割を担うべきなんだけど、この観光業は言うまでもなく、ニューメキシコだけでなく世界的に「大恐慌」の状況だ。

数字で言えば毎年の動員数は平均86万人だそうで、イベントが開催される9日間はアルバカーキ―を始め、多くの観光客が州都、サンタフェまで押し寄せる。アルバカーキー中心部のビジネスボリュームに与える経済効果の合計は、1億862万ドルと推定されているのだ。
(実際昨年、2019年のバルーン・フィエスタに帰属する政府収入は、ニューメキシコ州が652万ドル、アルバカーキーが409万ドル、べルナリロ郡が144万ドルと推定されている)
つまりは、この「旗艦的」イベントの中止は、パンデミックがいかに深刻な状態にあるのかを逆に明確にした形になったよね。

フィエスタ理事会のMatt Guthrie会長の言い分はこうだ。会長を始め団体の皆がイベントの開催は心待ちにしていたし、パンデミック発生後もまだ10月まで時間はあるから開催できると信じていた。だけど、参加者の健康と福祉に悪影響を与える可能性は充分にあり、パイロット、ゲスト、スポンサー、スタッフ、そしてボランティアの安全は常に彼らの最優先事項であり、その公約を守ることに専念しなければならないと。
それはそうだよね、もし誰かが、イベントの参加者が、COVID-19に感染してしまった場合、大問題に発展することは想像に容易いし、それこそ今後の運営そのものにも影響が出るに決まっている。中止にすることで生活が回らなくなる人も出てくるかもしれないことを考えると、すごく辛く難しい決断だが、実に懸命な判断と思う。

実際、ニューメキシコ州観光局も「今回の困難な決定はニューメキシコの人々の健康と安全を念頭に置いてなされたものであることを理解しています。観光業はニューメキシコ州の復興に欠かせないものですが、公共の安全を最優先する必要があります。」と間髪いれずに100%の指示を表明した。現にコロナウイルスは、アメリカ国内で少なくとも230万人に感染し、12万人以上が死亡しているのだから。

ここで地元3大ネットワークでのニュースを。

News from KOB Channel 4
News from KOAT Channel 7
News from KRQE Channel 13

聞くところによると、バルーン・フィエスタは非営利組織で、24 人のボランティアの理事会メンバーと年間 20 人のスタッフによって運営されているらしい。2020年は 600 人以上のパイロットをホストし、1,657 台の RV の予約を可能にし、何百ものスポンサーと調整、1,000 人以上のボランティアをサポート、23 万個の商品を注文、エンターテイナーや売店経営者と協力して仕事をする準備をしていたという。これらを踏まえた上で、最終的に10月にイベントを開催できなくなると。もう想像もしたくないよね。

と、冒頭からバルーン・フィエスタが何か知ってて当たり前、的な物言いを進めてきたけれど、それは一体何ぞや?という方に紹介しましょう。

「アルバカーキー・インターナショナル・バルーン・フィエスタ」は10月初旬にニューメキシコ州アルバカーキーの大平原?で開催される「熱気球飛ばし」のイベントだ。第1回目は1972年、わずか13組の参加だったが、今では600ものバルーンが飛び交う「世界最大の」バルーンコンベンションとなったのだよ。実際登録されたバルーンの数は2000年がピークで1,019まで行ったけど「量より質」を重視した後、2009年以降は今の数に抑えたのである。

そもそも始まりは地元ラジオ局、770 KOB Radioの50歳の誕生日祝いのハイライトイベント。同局のマネージャーであった Dick McKee氏、同州で初めて熱気球を所持した Sid Cutter氏、そして熱気球では第一人者である Oscar Kratz 氏の3人によって実現に至ったわけ。

当初の目的は「史上最大の熱気球イベント」で、当時は英国で行われた19組参加を超えるイベントを目指していたらしい。結果21人のパイロットからの参加コミットメントを得たものの、悪天候によってその地に到達できない者も多く、最終的には13組の「風船の集まり」として終了したようだが、このイベントはアリゾナ州、カリフォルニア州、アイオワ州、ミシガン州、ミネソタ州、ネバダ州、そしてテキサス州からのバルーニストが参加し、総勢2万人を動員したというから、大したものではないかい?立派だと思うなー。

公式サイトは、https://balloonfiesta.com/

何―んて偉そうなことをズラズラと私も並べてるけど、自分がニューメキシコ州に移住するまで実は全くそんなこと知らなかったんだよね(笑)
仕事の都合でサンタフェに移住したのが2010年。ハイアット系のゴルフリゾートホテルだったから、ゴルフシーズンは鬼のように混んで忙しかったんだけど、季節外れの10月にまたピークを迎える繁忙期が最初は全く意味が分からず、それでこのイベントのことを知ったってわけ。 (更には自身の働くホテルがスポンサーをしていたこともあるけど)

アルバカーキ―、いやニューメキシコ州の誇るサンディア・マウンテン

ではここから序にちょっとハイアットの宣伝も。

Albuquerque International Sunport (空港)より車で約30分、アルバカーキ―郊外の Rio Rancho という場所に建っているリゾートホテルは2001年のオープン。そうそう、空港だからと言って「Airport」ではないぞ。「Sunport」と名付けたところに拘りを感じさせる。
“Hyatt Regency Tamaya Resort & Spa” と書かれた正門の位置からはホテルの姿なんぞ見えやしない。ここから車で更に電灯一つない「荒野」を10分近く走るのだ。

このリゾートホテルは Santa Ana Pueblo の保有地(約73,000エーカー)の中で500エーカーほどの場所を利用して建てられた。
保有地全体の大きさからみると「たったの500?」と感じるかもしれないが、それでもわかりやすく言えば東京ドーム約43個分の広さなのだ。
総部屋数は350、3つのプールに、2つの(USオープン公式練習場として利用される)5つ星のゴルフコース、そして4つのレストランに、雄大な景色というニューメキシコを思う存分味わえるホテル。バルーン・フィエスタの会場までも車で約15分と利便性は◎ですよ。

https://www.hyatt.com/en-US/hotel/new-mexico/hyatt-regency-tamaya-resort-and-spa/tamay

バルーン・フィエスタは深夜まだ暗いうちから始まる。これは Dawn Patrol と呼ばれるもので、1978年のバルーン・フィエスタで、カリフォルニア州の気球愛好家が夜間飛行を可能にする位置照明システムを開発したことから始まった。Dawn Patrol は日の出前に離陸し、着陸地点が見えるほど明るくなるまで飛行する。もう暗いうちから観光客はいっぱいです。お店もフル稼働状態。

そしてハイアットのロゴの入った気球。スポンサーらしく、ね。

こんな愉快なキャラクター達や、あのベーダ―卿までお出ましだ!

上がったー!

バルーン・フィエスタの理事会は、今年のイベントは来年 2021年まで「延期される」と発表。第49回目の年次イベントは、2021年10月2日~10月10日に開催される予定だ。

Guthrie 氏はこう言う。
「これは確かに後退ではあるが、私たちは今後もこのイベントを世界で最も素晴らしく最高のイベントにすることに全力を尽くし、バルーン・フィエスタ・パークが再び風船と笑顔で埋め尽くされるのを待ちきれません。」と。
2021年はどのようなフィエスタが見られるのだろうか。

週刊NY生活月イチ連載 SEASON 3: Vol. 15 コロナ禍がルート66に及ぼす影響

毎月恒例の寄稿「魅惑の旧街道ルート66をフォーカス」SEASON 3、第15回目(06月号)は、相も変わらず世界を騒がしている「コロナ」は、ルート66で行われるイベントを軒並み中止、または延期に追いやってます(涙)そんな現地の現状を皆さんとシェア。

詳細は週刊NY生活ウェブサイト ⇩ まで (18ページです)
https://nyseikatsu.com/editions/776/776.pdf

ルート66、次は絶対行こう!このスポット

私が機会あるごとに閲覧している旅行関連サイトで、昨年になるけど、興味深い記事があったのでシェア。
ライターは、私も LinkedIn で繋がっているニューヨーク出身の MARIKA KAZIMIERSKA さん。米国内だけでなく欧州を始め世界中のトラベル事情やフード関連、たまには政治ものと幅広く書いてるけど、何と今回はルート66にフォーカス!

本文は英文のみですが、気になる方はご覧あれ。
あなたの好きな場所は幾つ載っているかな?

https://www.thetravel.com/20-stops-on-route-66-worth-planning-your-us-road-trip-around/

Cracker Barrel の反撃

このブログでもここ数回程コロナ関連の「嬉しくない」記事を書いてきたけど今日は少々趣向の違う話題をお届けしましょう!

と言うことで今日のテーマは「CRACKER BARREL」。
このブログに付き合ってくれている皆さんはそれが何かは直ぐにピンと来るよね?(笑)
このレストランチェーンへの私の愛情はもう既に充分伝わっていると勝手に想定して、細かい説明は省いて進みますので、ご容赦!

その是非はさておき、米国では現在多くの州で Social Distance を含めた各制限が緩和、解除されつつある中、Cracker Barrel(以下CB)も他の多くのレストランと同様「しばらくは売上が期待できない」と予想しながらも、徐々に営業の再開していると聞いた。
Nation’s Restaurant Newsのレポートによると、CEOのSandra Cochranさんも「当面は売上が不安定になる。誰もが何が起こるか予測するのに苦労している。」と投資家相手に語っていると書かれていた。

Sandra Cochran CEO

でもね、興味深いのは同CEOの次の声明。
「過去数ヶ月間、私達CB、飲食業界、そしてわが国は前例のない極めて難しい課題に直面しています。でも私たちは、このような状況下ではあるもののやがて来る回復時期に向けて、テイクアウト’オプションの加速を含めた「流動性と複数のビジネスモデル」を強化することで、状況に合わせる事業を適応させる迅速な行動をとることで、当社を競争力の高い企業に位置づけることができたと確信しています。」

ん?テイクアウトだって?
食べきれなかったもののドギーバッグじゃなくて、TAKE-OUT。
これは今まで経験していないことだ!素晴らしい!
「複数のビジネスモデル」も非常に気になるところだ。

余談だけど、このテイクアウト、日本では「テイク・アウェイ」と呼ぶことが多い。最初聞いたとき非常に違和感を感じたのだが、調べてみるとどうやら英国ではTAKE AWAYと言うらしい。 勉強になったと同時に日本人にとってやはり英語は British English かぁ、と。。。(汗)

実はCB、ダイニングルームのリニューアルを筆頭に、新メニューの展開やアルコール飲料の販売試験など、コロナウイルスが大流行する前から開発中だった取り組みを進めているらしい。

例えば、現在約20店舗で既に「ミモザ」の提供が始まっていて、オレンジとストロベリーの2種フレイバーとも凄い人気だそうだ。
CBのホームページより ⇩ (見た目もいいよね)

更に(詳細はまだ明かされていないが)顧客がCBの食品や小売商品を購入できる「デジタルストア」も開発しており、CBの姉妹チェーンである「Maple Street Biscuit」の商品もラインナップされるようだ。

この一連の動きは、前年同期の純利益が5,040万ドル(約55億円)だったのに対し、第3四半期は1億6200万ドル(約178億円)の損失を出した後に起因している。発表では売上高は41.5%減の4億3250万ドル(約474億円)と激減。 5月最終週の既存店レストラン売上高は45%減、ギフトショップ売上高は38%減だったようだ。

それでも、Jill Golder CFOは、「CBへの投資は引き続き資本配分の優先事項。もちろん手元での現金保存は重要だが、メニューの進化、ビールとワインのプログラム、デジタル戦略、POSへの慎重な投資を行く」と語っており、さらには CB 505店舗はダイニングルームオペレーションを再開し、他の159店舗では6月末までにテーブルサービスを再開する予定だという。総数664 に及ぶ店舗はパンデミック中も営業していたことで、ある程度健康的なキャッシュフローを保てているようだ。

良く考えてみれば、CBの店舗は地理的にまだ深刻なコロナの影響を受けていない地域が大多数を占める。飲食チェーンとしては極めて稀なケースだが、何と数年前まではカリフォルニア州に店舗はゼロ、今でも確か僅か6店舗ほどのはずだ。あの広大なカリフォルニア州に!だ。
しかもロスアンゼルス、サンフランシスコ、そしてサンディエゴ等の大都市およびその近郊には未だ無い。
東の大将、ニューヨーク州ですらたったの9店舗、当然マンハッタンには無い。
(昔マンハッタンに住んでいた時、「パンケーキを食べにコネチカット州まで行く」(当時一番そこが近かった)と言ったら、殆どの場合大笑いされたものだ)

CBは、例えば今年の夏休暇時、家族が車で移動をすることが大多数になると予想される中、州間に位置する彼らの店舗は非常に有利だとほくそ笑んでいることだろう。我がCBに栄光あれ!(笑)

幻のビジターセンター

バーストウからダゲットの交差点方面へ

ルート66に携わって以来結構な年月が経つけど、知らないことってまだまだあるなぁというお話。
もちろんそうは言っても私は歴史家でもツアーガイドでもなく、ルート66に存在する多くのエキスパートである友人知人から見れば、私の知識なんぞ小学生程度のものだ。毎度その歴史や背景に通じる仲間から多くのことを教えてもらうのが、楽しみなのは言うまでもない。

でも今日は「え?なぜ今まで見落としてた?」という大反省する出来事があったので自省を込めて書き記しておきたい。
ということで、今回の舞台はカリフォルア州ダゲット(Daggett)だ。

Route 66 News によれば、ダゲットのルート66沿いに建つ、「有名な」スキーロッジルーフハウスが修復されることになり、本来在ったビジターセンターとして復活するとのことだ。建物の正面には元々「WELCOME」と書かれていたそうで、今回の修復も同様に行われる予定だがそのスケジュール詳細はまだ決まっていないようだ。

同州ビクタービルにあるカリフォルニア・ルート66博物館で働く友人、Delvin も自身のFBで同様のニュースを先週載せていた。
この建物の通りを挟んで東にある、もう使われていないガソリンスタンドが1940年に出来た際に、「スキーロッジルーフハウス」は民間に売却されたそうだ。

カリフォルア州ダゲットの街は、同州ルート66の拠点バーストウより東へ僅か10マイル(約16キロ)に位置し、車で走ればものの15分かかるかかからない距離にある。さらにその先には例の「Bagdad Cafe」が建つ、ニューベリースプリングスの街がまたまた僅か16マイル(約26キロ)にある。バーストウで宿泊した際には朝飯を食べるにBagdad Cafeまで行くのが私の常套なため、ダゲットに立ち寄れる機会は限られていた、というのが「言い訳」だ(笑)。

ダゲットの人口は約230人。街の交差点から唯一目視で営業が確認できる食料雑貨店「デザート・マーケット」以外は歴史を感じるのみの静かな場所だ。ルート66を離れて北方向へ15分程度車を飛ばせば、Yermo という街にたどり着き、多くのファンが訪れる「Peggy Sue Old 50’s Diner」という著名なダイナーがある。

街の歴史は1880年代まで遡る。ダゲットの北にはそのエリアの鉱山から銀が採れることで一躍有名になった Calico という街があり、当時ダゲットを通過していたサザンパシフィック鉄道は「Calico Junction」という駅名を付けていたが、Calico の街との分別に紛らわしいことを理由に、街名を1883年当時の同州の政治家であった John Daggett 氏の名前から命名する。
その後サザンパシフィック鉄道は、このダゲットを東西運搬の基点の一つにする予定だったが、鉱山の影響もよって土地の価格が高騰、基点はバーストウへと移行して行くという歴史もあるのだ。

そんな哀しい?背景があるせいなのか、その事実を知った後の自身の勝手な想い込みかは知らないが、私はここの線路の真ん中に座ってじっと先の景色を見るのが好きだ。(良い子は真似しないように)
危ないと思う方も多いだろうが、実は今はもうそんなに頻繁に列車は通らない。通る時もかなり遠くの距離からけたたましいサイレンが鳴るので、事故に巻き込まれることは無いのだ。

話は脱線したが、そう。私は何度もここを通っていながら、この建物の存在を知らなかったのだ!このニュースを見たとき「え?どの建物の話?そんなのあったっけ?」と久しぶりに「狼狽えた」。最近ことの他、記憶には自信を無くしているが、それとこれとは別物である。
自慢じゃないが、シカゴからサンタモニカの全長2,347マイル(約3,755キロ)に及ぶルート66の道はターン・バイ・ターンに「ほぼ」説明できるのだ。(ターン・バイ・ターンの和訳が上手く付けられない、泣)

そこで、自身で撮った写真からダゲットの風景を探してみた。
おおおお、あるじゃないか。
その建物は撮っていないが、その横の旧印刷会社は何枚もレンズに収めている。興味が引かれなかったのか、見る目がないのか。
下記の写真、右端の赤丸部分に映っているのが確認できる!(笑)

次回ダゲットを訪れる時は徹底的に観察しようと思う。
それまでにはビジターセンターになっていて、いやでも目に着くようになっていることを祈って!

デザート・マーケット正面(イラスト風デザインで)

Boots Court Motel 売却へ

先月取り上げたコロナ禍の影響が遂にはっきりと形になってしまった。
先週地元のメディア、Joplin Globe でも取り上げられたように、ミズーリ州ルート66、カ―セイジの Boots Court Motel はオフィシャルに売りに出ることとなった。
Joplin 近郊の The Hunter Team という不動産屋が仲介に入っていて、売却希望価格はUS$210,000(約2,250万円)だそうだ。

ネオン取り付け前のモーテル(2015年)(イラスト風)

Boots Court Motel は1939年に設立され、元々はガソリンスタンドだったものを4つの部屋で構成する小さなモーテル(Court) として出発した。場所は高速道路、国道71号線と66号線の交差点。通称「Crossroads of America」と呼ばれるところだ。ルート66については今更ここで説明する必要はないと思うが、国道71号線も66に勝るとも劣らず、1926年に開通した南北1,500マイル(約2,500キロ)を結ぶ長い長い、歴史のある道である。北端はカナダと米国の国境である、ミネソタ州インターナショナルフォールズ、そして南端はルイジアナ州ポートバレとクロッツスプリングスの間だ。東西に走るルート66と南北に米国大陸をまっすぐに分けるルート71、その交差点は「アメリカの交差点」と呼ぶに実に相応しい(よね?)当時 Boots Court Motel は、有名なジャスパー郡庁舎の素晴らしい景色を眺めることができ、世界中の多くの国々や米国からのトラベラーの宿泊所として人気を博してきた。過去9年間で4,800部屋も販売した実績を持つ。

ジャスパー郡庁舎(イラスト風)

Boot Court は、1939年に Arthur Boots 氏によって建てられた。とても有名な話だが、当時きっての人気俳優であった Clark Gable 氏はオハイオ州の出身で彼がクロスカントリーをする旅では何度もここに宿泊。彼の宿泊した6号室は現在「Clark Gable Room」となって一番予約が取り難い部屋でもある。Boots Court は1950年代に Boots Motel と改名される。

Boots Motel はその後景気の悪さから当時の所有者が地元の開発者に売却、その跡地には「Walgreen」ができるだろう等の噂が飛び交っていたのだが、同州ルート66アソシエーションやマザーロードを愛する支援者のおかげでその計画は頓挫。

悪さを理由に所有者が地元の開発者に売却したため、倒壊する寸前でした。モーテルはウォルグリーンのために破壊されるだろうという憶測が横行しました。しかし、ミズーリ州ルート66アソシエーション、マザーロードの友、その他の保護活動家からの抗議は、開発者たちを怖がらせた。

現オーナーである(先月のブログでも紹介した)Debye Harvey さんと、Priscilla Bledsaw さんは、この歴史的なモーテルをその最盛期でもあった 1940年代のスタイルに戻すため、2011年にプロパティを購入し、翌年2012年よりビジネスを再開、それ以来ずっと惜しみない愛情と努力を注いできた。現在モーテルの部屋数は13にまで増えているが、宿泊として利用できるのはそのうち「8」、残りは修復中だ。
私が Debyeさんや Debbie Dee と知り合ってからまだ僅か数年だが、彼女たちの本当にやさしい、Hospitality に溢れた人柄と物腰にはいつも頭が下がる思いでいっぱいだった。
「1040年代のスタイルに戻す」ため、このモーテルにはテレビはない。が、各部屋にクラッシックなラジオが必ず1台置いてあるのみだ。

私の趣味はスポーツ。それも熱狂的なスポーツファンだ。必ずみるTV番組は ESPN。これさえあれば他は要らないぐらいの勢いである。旅行の滞在先の宿泊部屋でチェックインすると同時にまず ESPN のチャンネルを点けるため、昔家内に「いつもそれだからどこにいるのか分からない!」とキレられたこともある(汗)
そんな私は最初に訪れた際にそんなこととはツユ知らず、真っ青になったことを今でも憶えているが、実際にない経験をしてみるとそれはそれで色々なことに気付かされる。
Boots Court Motel での夜。それはTVからもネットからも解放され、自分の時間をゆっくりと過ごすことができるのだ。

そろそろ話を元に戻そう。メディアの記事によればこの売却の理由がどうしてもコロナ禍が理由に見られてしまうらしいが、実はそうではなく、コロナ禍は最終的に結論を促された最後の背中ひと押しだとのことだ。もうだいぶ年齢的にキツくなってきたこともあり、引退=売却の図式は少し前からあったようで、彼女らの家族とも相談した結果それが最善だとの結論に達したそうだ。

残念ながらこのような事は Boots Court Motel だけが抱える問題ではない。ルート66 全体に起こっていることでもあるのだ。現行の移動規制がが解除され、また私たちが自由に旅ができるようになる近い将来、その景色は全く異なるものになっている可能性も否定できない。

幸い売却が済んだとしても彼女らはカ―セイジの街から出ていくことjはないそうだ。そこは正直心の底から安堵した。

今年の旅行をキャンセルした多くの人たちはこう言う。
「来年必ずまた会おう」
何度も書くがルート66 は一つの大きな家族だ。
私もこのコミュニティに出会って、受け入れてもらって、実に沢山の素晴らしい時間を過ごした。出会った人々は素晴らしい人達で、彼らとルート66 の話をし、古いルート66 の経験を聞き、そして勉強する。そしてそれらを次の若い世代に伝えていく。

Debbie Dee、Debye、そして Priscilla 、それに彼女らと一緒に多くの時間と財力を投げ打った Rod には心からお礼と「お疲れ様」と言いたい。新しくオーナーになる方が、ルート66に同じ情熱と愛情を注いでくれることを願って。

2,200万円かぁ。パッと出せるほど貯蓄があったらなぁ。

モーテルのネオンを灯りに夜通し歓談する愛好家たち

週刊NY生活月イチ連載 SEASON 3: Vol. 14 ニューメキシコのホテルは今

毎月恒例の寄稿「魅惑の旧街道ルート66をフォーカス」SEASON 3、第14回目(05月号)は、コロナ禍で奮闘するニューメキシコ州のホテル事情についてご紹介。まだまだ自由に旅行できる日は少し先になりそうですが、「その日」が来た時の準備は是非やっておきましょう?!

詳細は週刊NY生活ウェブサイト ⇩ まで (18ページです)
https://nyseikatsu.com/editions/772/772.pdf

Time No Waits, Again…

何とも悲しい日になった。
ニューメキシコ州ルート66アソシエーションの役員であり、ルート66沿線上多くの歴史的なネオン看板の修復に関して第一人者である Johnny Plath 氏が先週、コロナウィルス感染によって亡くなった。
まだ「たったの」68歳だ。
ニュースによれば彼のお父様も同様な理由でお亡くなりになったらしいのだが、どうやらお父様のお世話時に感染してしまったようだ。

Johnny Plath, the image from Route 66 News

Johnny と彼の兄弟である Larry は、同州アルバカーキにある Southwest Outdoor Electric 社でネオン看板の作成ならびに復元作業に従事していた。彼の業績の中でも最も注目に値する看板の復元は、同州Santa Rosa にあった Sun n’ Sand Motel、こちらも現在は閉店してしまっている同州 Moriarty の El Comedor の「ロトスフィア」、そしてアルバカーキにある De Anza Motor Lodge のそれらだ。

Johnny とニューメキシコ州ルート66協会とのパートナーシップは、2003年に同協会が提唱した、「ルート66ネオンサイン保護プロジェクト」がきっかけだったと言う。その際 Johnny は、最も困難な二つのネオン看板の修復に入札し、担当することになったとのことだ。上記で紹介した、サンタローザの巨大なサンアンドサンドモーテルの看板と、モリアーティにある「Rotosphere」ネオンだ。彼はこれらのプロジェクトが利益を生まないことを十分に理解していたが、ジョニーはこれらの歴史のあるアイコンであったネオンサインを蘇らせる機会を貰えることにモチベーションがあったそうだ。

Rotosphere at El Comedor, the image from Route 66 News

今年の初め、2020年は初夏ごろに渡米し、ニューメキシコ・ルート66を走る予定をしており、その際 Johnny Plath 氏に面会を申し出るつもりだった。もう何年もの間、是非お会いしてお話を聞きたいと思っていた方だ。本当に残念でならない。
ご本人のご冥福を祈ると共に、ご家族に心よりお悔やみを申し上げたい。

PBSが作成したドキュメンタリー映画「Route 66:The Neon Road」に、Johnny のネオン看板への情熱を見ることができる。この映画は Emmy Award も受賞した。お時間のある方は是非。

De Anza Motor Lodge, the image from Route 66 News

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